ティム・ハーディンの寂しい死

ジョン・レノンが射殺された80年の12月は彼の死を悼む記事
で溢れ返ったが、ちょうど同じ頃あまり話題になることもな
くひっそりとドラッグ渦の果てに亡くなったのがティム・ハ
ーディンだった。60年代半ばにニュー・フォークの旗手とし
てデビューした彼は、次第にグリニッチ・ヴィレッジのシー
ンでボブ・ディランやフィル・オクスと並ぶ人気者になった
が、公民権運動の高まりやヴェトナム戦争への反対といった
潮流を受けて、当時ディランやオクスがプロテスト・ソング
に価値を見出していたのに対し、ハーディンはあくまで個人
的な体験に基ずく愛と失意を歌う動機にしたものだった。彼
の代表作「イフ・アイ・ワー・カーペンター」にしても、「
もしぼくがしがない大工だったとしても、きみはぼくと結婚
してくれるかい?」という歌詞を震えるようなヴォイスで歌
った。世間体や名誉欲とはまるで違うピュアな気持を恋人に
託した。

そんなところにティム・ハーディンの新しさがあったのだと
思う。「私たちはこう主張する」ではなく「ぼくはこう思う」
言葉にしてみれば些細な違いに過ぎないのかもしれないが、
作者が歌に向かう心映えとしてはまったく異なる感情の襞が
そこにあった。ボルティモアからやって来たレディとして、
ハーディンは恋人のスーザンを讃え、彼女がダミアンという
新しい生命を身籠ったことを『ティム・ハーディン2』のジャ
ケットで伝えるほどだった。しかしながらそんな幸せは長く
続かなかった。ある意味スーザンとの別離がハーディンのそ
の後の人生を規定したとも言えよう。その作風はアルバムを
重ねるごと耽美的になった。ジャズの秘めやかな語法をより
多く用いるようになった。自作にこだわらなかった『ペイン
ンテッド・ヘッド』(72年)というカバー集であっても、ピー
ト・ハムによるバッドフィンガーの「ミッドナイト・カラー」
は誰よりもハーディンの孤独を映し出した。遠く離れれば離
れるほど、真夜中になればなるほど、ハーディンは今ここに
いない人に想いを巡らせたのだろう。

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by obinborn | 2016-01-22 17:57 | one day i walk | Comments(1)  

Commented at 2016-01-22 21:45 x
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