追悼:ダン・ヒックス
オフィシャル・サイトで夫人が触れているので誤報ではない
だろう。近年は病気がちでヤキモキさせられたが、またいつか
元気になってステージに戻ってくるものだと思っていただけに
惜しまれる。享年74歳。少年期をニューメキシコのサンタロー
ザで過ごしたヒックスは当時からドラムスを叩いていたという
が、やがてサンフランシスコに移住し、カレッジに通いながら
幾つかのアマチュア・バンドを転々とした。64年になるとサム
・リンデの代役としてザ・シャーラタンズに参加。これがプロ
としての第一歩になった。このバンドにはのちにフレイミン・
グルーヴィーズに加入するマイク・ウィルヘルムも一時在籍し
ていたらしい。69年にバンドが解散するとヒックスはギターに
コンバートして、ダン・ヒックス&ヒズ・ホット・リックスを
結成し、エピック・レーベルより『Original Recordings』でデ
ビューした。その後はブルーサムへ移籍し、ライブ作の『Whe
re The Money?』最高傑作とも言われる『Stricking It Rich』
マリア・マルダーでおなじみとなった「ドーナツショップのウ
ェイトレス」を収録した『Last Train To Hicksville』を続々と
73年までに発表し黄金期を築く。ホット・リックスが解散して
からのヒックスは78年にワーナー・ブラザーズから『It Happe
ned One Bite』を発表したが、以降長い沈黙が続いた。何でも
アルコール依存症に陥り演奏活動もままならなかったと伝えら
れている。それでも89年には初来日公演が実現したり、94年に
はダン・ヒックス&ザ・アクースティック・ウォーリアーズと
してライブ作『Shootin' Straight』をリリースするなど、健在
ぶりが嬉しかった。しばらくの療養期間を経てヒックスが本格
的に音楽シーンに戻ってきたのは21世紀になって間もなくのこ
とだった。トム・ウェイツやリッキー・リー・ジョーンズやブ
ライアン・セッツアーなどヒックスをリスペクトするゲスト達
に囲まれた00年の『Beatin' The Heat』が完全復活への花向け
となった。メンバーこそ入れ替わっていたものの、そのアルバ
ム同様にホット・リックスが再編された形で01年と05年には
久し振りのジャパン・ツアーも実現し、会場を大いに湧かせた。
どこか人を喰ったユーモラスな出で立ちでジャンゴ・ラインハ
ルトのような芳香溢れるジプシージャズとボブ・ウィルズばり
のウェスタンスウィングを混ぜ合わせた音楽スタイルといい、
女性コーラス二人とヒックスとが互いに掛け合っていくスモー
キーなヴォーカルといい、その音楽世界はどこまでも粋で軽妙
洒脱なスピリットに満たされていた。ロック音楽の周縁に位置
しながらも世間の流行には流されず、一貫してオールドタイム
な音楽指向を示し続けたこともヒックスらしく、ライ・クーダ
ーやロニー・レインがそうであったように、筆者を含む多くの
聞き手たちを秘めやかに鼓舞し続けた。ずっとお茶目な人だっ
っただけに追悼に涙は似合わない。自作のナンバーにデューク
・エリントンの「キャラヴァン」を即興で取り込みつつニヤニ
ヤしていたヒックス。吊りズボンでまるで決まらないアクショ
ンをして笑みを誘った彼。そんな姿を思い出しながら筆を置く
ことにしよう。ダン・ヒックスさん、誰もあなたの代りにはな
れません。
by obinborn | 2016-02-07 10:56 | one day i walk | Comments(0)