記憶という支柱

「過去の時間によって守られていると、感じることがある」
作家の小川洋子さんは自伝的な要素の強い著作『ミーナの
行進』で、登場人物の一人にそう語らせている。過去の時間
に守られるとはどういうことだろうか。例えばそれは自分が
すっかり忘れてしまったことでも旧友がしっかり覚えている
ありし日の己であったり、時の流れとともに風化してしまう
記憶に抗しながら、人々の営みやある夏に見上げたいわし雲
の形を忘れまいとする気持のありようなのかもしれない。

今年に入ってまだわずか一ヶ月ちょっとにもかかわらず、私
が青年期に接した音楽家たちが、長いお別れを告げるかのよ
うに舞台から退場していった。デヴィッド・ボウイ、グレン
・フライ、ポール・カントナー、モーリス・ホワイト、そし
てダン・ヒックス。それぞれに対する思いに濃淡こそあれ、
いずれも私が10代から30代にかけて接した人達であり、彼ら
の音楽はときに聞き手に寄り添いながら、ときに私たちを突
き放しながら様々なドラマを手繰り寄せてきた。今日こうし
て自分という小さな窓から彼らを眺めてみても、単なる郷愁
だけではなく、もっと大きなものを授かった実感がある。

ちなみに小川洋子さんはミーナとともに過ごした若葉のよう
な季節をこう言い表している「私の記憶の支柱と呼んでもい
い」と。

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by obinborn | 2016-02-08 20:22 | one day i walk | Comments(0)  

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