個人的な歌が世界を変革する

昨夜NHKで『60年代:若者たちの反乱』を観た。キューバ革命、
東西ベルリンの隔離、ヴェトナム戦争、ソ連のチェコへの介入、
中国の文化大革命などの史実をフィルムで追ったもので、コマ
切れの感は否めなかったものの、それでも当時を知らない世代
には十分衝撃的だったろう。わけてもデヴィッド・ボウイが西
独でのライブで「ヒーローズ」を歌ったシーンは圧巻だった。
「ぼくたちは一日だけ英雄になれる/世界を繋ぐものが何一つな
くても/ぼくは王できみは女王だ/銃弾が空を飛び交うなか/恋人
たちは永遠のキスをする」と歌われるこの曲が、東独の若者た
ちにも伝わり、これがベルリンの壁を打ち砕く原動力になった
とされている。但しボウイ自身はこの曲の政治的意図を否定す
るばかりか、当時ドイツ人の女性と不倫関係にあった友人のた
めに作った歌だと告白している。そんな禁断の愛を歌った歌が
ベルリンの壁を壊すきっかけになったのは、ひとえに歌の解釈
がどこまでも自由だということを証明する。ぼくがいつもプロ
テストソングの限界(と音楽的語彙の貧しさ)を指摘するのは
まさにそういうことに他ならない。番組には勿論パリの五月革
命も出てきた。そんな政治の季節に行う映画祭なんかに意味が
あるのか?と煩悶するゴダールとトリュフォーの姿も少しだけ
観られたのは収穫だった。但し、以降どんどん政治色を強めて
いくゴダールに対し、トリュフォーの場合はもっと古典的な映
像美やストーリー性を重視していたようで、このパリ革命は奇
しくもそんな二人の映画青年を分け隔てる事件となってしまっ
た。こんな点にもアートと政治を巡る難しさが露呈していると
思い、胸が痛くなった。


[PR]

by obinborn | 2016-02-22 10:04 | rock'n roll | Comments(0)  

<< 抵抗の歌 2月20日のやぎたこ >>