佐野元春『Back To The Street』

渋谷のブラックホークに関してはいつも愛憎半ばといった感情
を抱いてしまう。きっと深入りした訳でもまったく行かなかっ
たわけでもないという私の個人史故の気持だろう。70年代に
百軒店の一角にひっそりと佇んでいたこのロック喫茶のポリシ
ーは、ラジオでは流れないマイナーな音楽を静かに聞くという
ものであり、具体的には英米のSSW、スワンプ・ロック、そし
てブリテン諸島のトラッド音楽へと深く分け入っていった。店
主である松平維秋氏の嗜好をダイレクトに反映したその傾向は、
彼が店を辞した77年以降は徐々に変化していったが、今もホー
クと言って連想されるのは、そうしたメインストリームとはな
り得ない”もうひとつのロック”だった。

コーヒーが不味かったとか、店員の女の子が無愛想であったと
か、肝心の松平さんが頑固一徹だったとかを今ここで挙げつら
うことはしたくない。私もホークならではの審美眼に影響され
随分多くのレコードを買い求めたし、当時店内では話せなかっ
たものの、歳月を経た後、ホーク出身の人達たちと出会うこと
にもなった。ついでに言えば97年の拙書『Songs』にブラック
ホークの影を読み取った方もいらっしゃった。そういう意味で
は私もホーク・チルドレンの末席にいる一人なのかもしれない。
時代に流されないことの大切さ。それを教わった方々は何も私
だけではあるまい。

よく70年代は老成した時代だったと指摘される。自分のなかの
若さを恨めしく思い、達観や諦観を決め込む風潮があった。例
えばはっぴいえんどの「春よ来い」に濃厚に立ち込める屈折は
どうだろうか。あがた森魚の「大寒町」に聞き出せる覚めた感
覚はどうだろうか。ホークの固い椅子に座りながらそれらに安
堵を覚えるのに反して、店から出て帰りの坂道を下る頃にはも
う一人がこう囁いていた「このままでいいのかい?」と。恐ら
くどっぷりとブラックホークの渋い世界に浸るには若過ぎたの
だと思う。そんな煩悶がしばらく続いていたある日、私はまる
で啓示のように一人の音楽家と出会った。忘れもしない80年の
春。それが佐野元春だった。言葉は生き生きと背景から抜け出
し、歌の主人公たちは今にも通りへと駆け出して行きそうだっ
た。そんな動き出す言葉とビートとの超克を耳にしたのは、生
まれて初めての鮮烈な体験だった。

だから「ブラックホークの99枚」に続く一枚を選ぶとしたら、
私は何ら躊躇うことなく、彼のデビュー・アルバム『Back To
The Street』をそっと差し出すことだろう。

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by obinborn | 2016-03-15 17:27 | rock'n roll | Comments(0)  

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