グリン・ジョンズの自伝『サウンド・マン』を読んだ

グリン・ジョンズの自伝『サウンド・マン』(新井崇嗣訳/シン
コーミュージック)を読了。いやあ〜面白かった!今でこそジ
ョージ・マーチンやジェリー・ウェクスラーといったプロデュ
ーサーの書籍が出るなど、レコーディング現場に於ける裏方の
存在が一般的にも広く認識されてきたが、このジョンズもまた
彼らと並ぶ大物として語られるに相応しい人だろう。幼少期に
聖歌隊に入ったことに始まる彼の音楽体験は、やがてロニー・
ドネガンのスキッフルによって明確に方向性が示され、百貨店
で働きながらスタジオ・エンジニアへと昇格していく道のりへ
と連なっていくが、その歩みが60年代初頭の英国ロック黎明期
とぴったり重なり合っているのだから興奮させられる。とくに
イアン・スチュワートとは当時ルーム・シェアをしていたとい
うだけあって、デビュー前後のローリング・ストーンズに関す
るエピソードはたっぷり。サットンのパブでR&Bナイトを企画
しストーンズを出演させたものの、客が10人しか集まらず「彼
らに最も低額のギャラを払ったのは世界で恐らく私だろうね」
とジョンズ氏はユーモアとともに回想する。63年3月のことだ。

まだシングル盤が主流の60年代前半に於いて、LP用のレコーデ
ィング・セッションはせいぜい1回3時間で済ませるのが常識
であり、またエンジニアやプロデューサーはあくまで所属する
レコード・カンパニーの社員であることが当たり前とされてい
た。そうした業界の慣習から少しずつ抜け出し、アルバムとと
もにアーティストを育て、自らオリンピック・スタジオを拠点
にフリーランスの制作者として名を成していくジョンズ。その
代表作がザ・フーの『フーズ・ネクスト』であり、フェイシズ
の『馬の耳に念仏』であり、黄金期のストーンズ作品でのエン
ジニアリングだった。ザ・バンドが仲間割れをして『ステージ
・フライト』のミキシングをトッド・ラングレンとジョンズに
競わせたことや、『ゲット・バック・セッション』の際にビー
トルズの四人を車座にさせるよう提案したことも、本書にはし
っかり書き留められている。

恐らくエンジニア出身という経歴故だろう。ここで本人が語る
グリン・ジョンズの肖像は控えめであり、いわゆるビッグマウ
ス(大口叩き)が多い音楽業界のなかでは良くも悪くも職人肌
を感じさせる。ハウリン・ウルフをロンドンに送り込んだノー
マン・デイロンの無能さや、デヴィッド・ゲフィンの商魂逞し
さを罵る記述があるものの、その一方で『レット・イット・ビ
ー』や『レッド・ツェッペリン1』に自分のクレジットを要求
した(実際は無記名)功名心を正直に告白するなど何とも人間
的であり、けっして「俺が一番!」的な成り上がり物語にはな
っていない。例えばイーグルスとの確執に関しても、フライ=
ヘンリーが強権を発動する以前の四人のハーモニーこそに価値
があり、ランディ・マイズナーが歌う「悲しみの我ら〜Most Of
Us Are Sad」を讃える部分などに、ジョンズの繊細な感性が
浮かび上がってくる。やがてバーニー・レイドンのデュオ・プ
ロジェクトに手を差し伸べ、ジョン・ハイアットのセッション
でもレイドンを起用し続け、商業的な成功からは程遠かったも
のの、初期のギャラガー&ライルやランバート&ナッティカム
といったアクースティック・デュオを誇りに思い、ロニー・レ
インやイアン・マクレガンとの友情を最後まで育んだのがジョ
ンズその人だった。

エンジニアやプロデューサーとは何も技術ばかりが要求される
仕事ではない。ときにミュージシャンと正面からぶつかり合い
意見を戦わせるなど、泥臭い役柄も演じなければならない。
過度の飲酒で思うようにドラムを叩けなくなったキース・ムー
ンに「オレも禁煙するからきみも飲むな!」と体当たりで叱咤
する場面など、多くの人々の共感を呼ぶだろう。ベーシックな
部分では人と人とが顔を見合わせながら録音するランスルー(
完奏)に価値を見出してきた人だ。だからこそ、過度のダビン
グが施され、”0か1か”にデジタル変換されてしまう昨今の録音
現場を嘆き、インディ・カンパニーが大手に再統合されていく
業界をジョンズは憂いてみせる。単にブリティッシュ・ロック
の裏面史が覗けるというだけでなく、音楽に向き合うジョンズ
の真摯な人間ドラマがここにある。

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by obinborn | 2016-04-10 10:03 | one day i walk | Comments(0)  

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