AORと私の交差点

『レココレ』最新号のAOR特集を興味深く読んだ。スワンプが
看板?のぼくとAORとでは相性が悪いと思われている方がいら
っしゃるかもしれないが、名盤ガイドのなかには自分の愛聴盤
もある程度の枚数があり、AORというジャンルが元々はシンガ
ー・ソングライターのアップデイト版だったと思い至った次第。
以前もここで金澤氏と話したように、ジェイムズ・テイラーや
ネッド・ドヒニーといった黒人音楽の素養があるSSWの場合は、
ブルーアイド・ソウルの発展形として楽しむことも出来よう。
彼らに特有のハネ〜シンコペーションの感覚こそ、優れたAOR
の証。そういう意味ではR&Bを根っ子に持つボズ・スキャッグ
スが時代とともに洗練されていった歴史にAORが凝縮されてい
る。リズムに対して自覚的だったという意味では、フィービー・
スノウやポール・サイモンも先駆的な存在だっただろう。

これまでヘッド・アレンジでのんびりとやっていた人たちが、
70年代の中盤を過ぎた辺りから、音楽産業のスピード化によっ
て効率が求められていく。そういう意味では譜面が読めないタ
イプは次第に淘汰され、スコアに対応出来るスタジオ・ミュー
ジシャンたちへと徐々に世代交代していったのかもしれない。
だからAORを深く愛する人でも、AORを基本的にはスタジオ・
ミュージックと認識されていることが腑に落ちるのだった。そ
れはグレイトフル・デッドがジャム演奏に価値を求めていった
姿とはどこまでも対称を描く光景に違いない。

個人的にはロビー・デュプリーやマイケル・マクドナルドのリ
フが広く流布され、使い回されるようになった頃からAORがつ
まらなくなったと感じている。これは何もAORに限った現象で
はなく、多くのポップ音楽が二匹めのドジョウを狙うという悪
癖から逃れられないわけだけど…それはともかく、ぼくが最良
のAORとして思い浮かべるのは、マーク・ジョーダンの『マネ
キン』(78年)だ。スティーリー・ダンを育てたゲイリー・カ
ッツのプロデュースなれど、スティーリー色は巧妙に避けられ、
あくまでジョーダンのソングライティングを活かすべく、TOT
O周辺のプレイヤーが控えめで含蓄ある演奏に終始する。そん
な知的なエレメントが好きだった。どこかの誰かを糾弾するの
ではなく、ただ虚ろに漂うジョーダンの歌に心を寄せることが
出来た。そんな風に感じた日々がまるで昨日のようだ。

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by obinborn | 2016-08-17 17:27 | one day i walk | Comments(1)  

Commented by 浅野孝幸 at 2016-08-18 21:52 x
うっひひー、AORって聞いた時点で、俺等達はオカマ野郎になりやがったボズかよ!ってかんじです、広告代理店さんのくくりはイモ臭くて相手にできませーん!

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