自衛隊のこと

自衛隊について語ることは勇気を要する。人にはいつも臆する
ことなく書いているように見えるかもしれないが、ぼくは案外
小心者であり、政治のことで友だちを失いたくないという気持
はみんなと同じくらい強い。それでも自衛隊に関して迂闊に物
を言えないような空気が、実は日本人の不幸そのものではない
か?と思い始めている。ここでは自衛隊(旧警察予備隊)の歴
史をいちいち繰り返さないけれども、専守防衛という何となく
観念的な存在だった自衛隊が、もう少しだけ身近でリアルなも
のに感じられるようになったのは、確か90年代初頭の湾岸戦争
あるいはもう少し先のイラク・ウォーからのことだったと記憶
する。PKO法の執行によって自衛隊が海外派兵され、国際的に
貢献する(ときに犠牲になる)下敷きはその頃作られた。

そもそも戦後の日本の平和と安定は、日米安保条約によって保
たれてきた。中国や旧ソビエト連邦といった社会/共産主義圏の
脅威の防波堤となり、日本に民主資本主義をもたらしたのはア
メリカだった。かつての大戦で敵対した米国勢に敗れた代償と
して米軍基地が日本の各地に作られた。その基地から朝鮮戦争
のため、ヴェトナム・ウォーのため米軍が飛び立っていった。
いずれもアメリカの大義名分は共産(独裁)主義との闘いだっ
た。その方便は9/11以降も変わってはいまい。さらに近年では
世界各地でテロが勃発し、より世界の成り立ちを複雑に見せて
いる。

結論から言おう。日米安保条約によって平和を享受してきた私
たちが、その条約から眼を背けたまま憲法9条の価値だけを語
るのは欺瞞的ではないか? というのがぼくの立場だ。激変す
る世界情勢(中国の領海侵犯や北朝鮮のミサイル発弾など)の
なかで、日本の幾つかのムーヴメントが掲げるメッセージはあ
まりに”お花畑”であるし、世界各地の悲し過ぎる民族紛争のな
かにあって、まるで米国兵の血は流れても構わないけれど、日
本の自衛隊のそれは嫌だと駄々をこねる幼児のようにも映って
しまう。

我が国の自衛隊についてすら語れない不幸のことを思う。

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by obinborn | 2016-09-21 18:39 | one day i walk | Comments(0)  

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