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ニール・ヤング『DECADE〜輝ける10年』に寄せて

ニール・ヤング最初のベスト・アルバムは76年に発売された
『DECADE』(輝ける10年)だった。ワーナー・パイオニア
(現ワーナーミュージック・ジャパン)から国内盤もしっか
りリリースされたが、何と3枚組で価格は確か¥6,000だった
と記憶する。そんなものは諦めるに越したことはない。何し
ろこっちは浪人確定組の高校3年だ。卒業記念に買ったのは
マンフレッドマンズ・アースバンド『ローリング・サイレン
ス』と『ザ・バーズ・グレイテスト・ヒッツ』所沢・ミノヤ
のカウンター越しにいた店員のお姉さんは長身の美女で、私
は萌えたが、当然交際には至らず。それでも300円分まけて
くれたことは今でもはっきり覚えている。確か初めて購入し
た輸入盤がこの2枚じゃないかな。

私が通った所沢北高等学校は、今でこそ立派な進学校となっ
たが、当時は落ちこぼれの巣窟であり、埼玉ベース住吉連合
の予備軍バイカーとノンポリと、川越高校に落ちた優等生の
混血であり、野戦病院のようなものだった。それでも幸せな
気持になったのは、ラジオから流れてくる「プラウド・メア
リー」であり、美容院の息子が持ち込んだ「セックス・マシ
ーン」であり、治外法権の「津軽じょんがら節」だった。私
は同級生の兄が弾く寺内タケシの津軽に圧倒されて、何故か
バックマンターナー・オーヴァー・ドライヴと、西の町から
やってきたキャロルをコピーするバンドに誘われたが、いか
んせん実力は伴わず。

そんな個人史はともかく、大事なのはニール・ヤングの最初
の10年を見つめられたことだろう。バッファローからCSN&
Yへと栄光の駒を進めながらも、何故か「俺ってだめだもん
ね〜」とか、「あかんべ〜」とか、そんなことを当時から彼
はずっと歌ってきた「川面に裸足で突っ込み、ハイスクール
の頃のように手足を伸ばしたい」普通そんなことを大人たち
は歌わない。むしろ見ては見ないふりをするのではないだろ
うか?それに加えて、死んでしまった友人たちのために、弔
いのレコーディング・セッションを、テキーラの杯をしこた
ま重ねながら深夜に行うなんて、あまりに青臭さ過ぎるじゃ
んか。

友の一人は自死をした。憧れて止まなかった師も息絶えた。
明日からの私は一体どうすればいいのだろう? 書き込まれ
ることのない日誌。閉じられたままのノート。冬は長い。そ
れでも私はこれからも書いていく。長い冬に逆らうように、
もっともらしい態度に異を唱えながら。

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by obinborn | 2016-11-06 05:03 | rock'n roll | Comments(0)  

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