追悼:レオン・ラッセル〜タルサに還る

レオン・ラッセルのエピソードにこういうものがある。まだ
18歳だったにもかかわらずバンドでピアノを弾いていた彼だ
が、大人向けのクラブに出演する許可はなかなか下りず、苦
肉の策としてバックステージ・パスを偽造していたという。
時は60年代半ばのハリウッド。すでにこの青年は故郷オクラ
ホマ州タルサを後にしていた。ジェリー・リー・ルイスから
直々にピアノの腕前を誉められていた。

そんなレオンの訃報が届いた。フィル・スペクターの門下生
となり、レッキング・クルーの一員として60'sポップス黄金
時代を陰から支えたこと、ダラス出身のマーク・ベノと出会
いアサイラム・クワイアというデュオを組み、サイケデリッ
クの時代に反応したこと、そしてジョー・コッカーらとマッ
ドドッグス&イングリシュ・メンを結成し、英米混成のメン
バーによる一大R&Bレビュー・ツアーに繰り出したこと…。
それらが走馬灯のように甦る。デラニー&ボニーを見出し、
彼らの音楽監督となったスワンプ・ロックの日々、ジョージ
・ハリソンやボブ・ディランとともにバングラ・デシュ難民
のベネフィット・コンサートに出演したことも今では懐かし
い。ハンク・ウィルソンという変名でカントリー・シンガー
に化けたり、『STOP ALL THAT JAZZ』というタイトルで
ジャズを仄めかしつつ一曲めがティム・ハーディンといった
茶目っ気も素敵だった。英国人のデニー・コーデルとともに
インディの先駆とも言えるシェルター・レーベルを興し、フ
ィービー・スノウやJ.J.ケイルといった新しい才能を世の中
に問い掛けたこともある。

豪放にうねる熱狂的な南部ロックが看板だったせいで、ソロ
・アクトの一部があまり顧みられていないのは残念だ。なか
でもレオンのソロ作としては3枚めに当たる72年の『CARN
EY』は、ソングライターとしての才能が全面開花した記念碑
だと思う。普段のワイルドなロックとは裏腹の、ひたひたと
降り注ぐ雨のように静謐なソングライティングが光る。「タ
イト・ロープ」では綱渡りのような人生の危うさを歌い、「
マスカレード」では華やかな社交パーティのなかにある空し
さや孤独を写し取った。仮面を剥いだピエロの独白のような
アルバム・ジャケットが、それらの歌とピタリ呼応しながら、
この男の実像を伝えていく。昨夜悲しい知らせを聞き、真っ
先にレコード棚から抜き出してきたのは、ぼくの場合この『
CARNEY』だった。カーニーを「人生の舞台」と意訳したい。

鮮やかに時代を彩り、シーンを牽引し、音楽ジャンルを軽々
と跨いだ人だった。銀色の長髪を振り乱し、ぎょろっとした
不敵な眼つきと生めかしくセクシーなヴォーカルで聴衆たち
を興奮の渦に巻き込んだ人だった。そんなレオン・ラッセル
が今、人生という舞台からそっと退場する。彼によって導か
れた土地のことを考えてみる。その土地はよく耕され、草花
を咲かせた。樹木を育てた。そしてレオンは故郷タルサの土
地へと還っていった。

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by obinborn | 2016-11-14 12:21 | one day i walk | Comments(0)  

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