渋谷・ブラックホークを回想する

渋谷・ブラックホークについてはいつか総括しなくちゃなあ、
とはずっと思っていました。というのも私がいくらホークの
世界に反旗を翻したとしても、今も自分の栄養になっている
音楽の多くは、かつてそこで流れていたものだからです。

やはり大前提となるのはネットが到来する遥か以前という時
代状況でしょう。テレビでもラジオでも掛からないマニアッ
クなSSWやスワンプあるいはトラッドを聞きたい!となると
実際に百軒店の坂道を登り、その場に行くしかなかったとい
う条件は、個々それぞれの若い頃の体験としてしっかり刻ま
れたのでした。以降ホークを真似た店が幾つか出来ては消え
ていきましたが、一番の違いはネット環境の有無だったと思
っています。それ故にホークは今も語り継がれる伝説となっ
たのです。

ノスタルジックにホークを語る大人たちに共鳴しつつも、時
に疎ましさを感じてしまうのは私だけでしょうか?もう少し
具体的に言うとブラック・ミュージックへの視座をホークが
持ち得なかったこと、通常の優れたポップスを「上から目線」
で見下していたことは彼らの致命的な欠点でした。店員と私
との喧嘩を振り返ってみても、根本にあるのは閉じられた空
間への苛立ちでした。ホークの帰りにすぐ近所のB.Y.G(今
も健在)へ駆け込んだ時の安堵とともに、私の古い記憶が甦
ってきます。

いずれにせよ、多くの聞き手たちがホークに集い、会話が禁
止された空間で黙して音楽に聞き入り、やがて巣立っていっ
た。それは愛すべき(守られるべき)時間の経過でしょう。
それでもまるで古傷のように残る違和感は忘れないほうがい
い。私はホークではないし、ホークは私ではない。つまりそ
ういうことだと思っています。

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by obinborn | 2016-11-30 19:15 | one day i walk | Comments(0)  

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