追悼:石坂敬一氏

大晦日に亡くなった石坂敬一さん。ぼくには東芝音楽工業の
洋楽ディレクターとしてのお姿が馴染み深い。氏が頻繁にラ
ジオにも出演されていた70年代。それはまさにニューロック
の黎明期であり、その鼓動を何とか日本に伝えたいと尽力さ
れていた。ビートルズの『赤盤・青盤』に詳細な年表を付け
るよう進言されたのも石坂氏に他ならなかった。そのお陰で
ぼくのような洋楽少年少女が日本全国に芽生え育っていった。

RCサクセションの問題作『COVERS』の発売を巡って忌野
清志郎さんと意見が対立し「東芝からは出せない」という立
場に立たされた。それは無邪気な音楽青年がやがて大人にな
り、企業側の論理に従わざるを得ないという意味で、とても
他人事と思えない苦々しい教訓を残した。実際どんな”ロッ
ク”と言えども、流通の段階で様々なビジネスの現実に直面
することを思い知らされた事件だった。

「歳を喰ってもオレの好みは変わらないよ」とヤードバーズ
に溯るジェフ・ベックへの愛情を吐露された石坂さんのお話
が耳に焼き付いている。アーティストへの想いが日本盤を発
売することにしっかり結び付いていた佳き時代の音楽ディレ
クター。音楽を取り巻く環境が激変した今の時代にあって、
ぼくが思うのはそんなことだったりする。日本というアジア
の土地にロックという夢を与えてくれた石坂さん。今まで本
当にありがとうございました。心からご冥福をお祈りします。

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by obinborn | 2017-01-03 02:38 | rock'n roll | Comments(0)  

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