ボブ・ディラン〜悲しきベイブ

昨年はボブ・ディランの年だった。ファンが浮かれ、メディア
が騒ぎ、レコード会社が特需とばかり大喜びした。だけどもう
こういう馬鹿騒ぎはいい加減にして欲しい。以前も少し書いた
けど、ノーベル受賞後のディランの煮え切らない態度を見てい
ると、彼自身が”権威の側”に名を連ねてしまうことを誰よりも
恐れているのではないか?と深読みしたくなる。そしてさらに
重要なのは、エリオットがいてケラワックがいてギンズバーグ
がいて、そうした過去の偉人たちが築いてきた連綿とした系譜
のなかにたまたま自分もいるのだ、と明言したディランの謙虚
な心映えだろう。

基本的にメディアと大衆の関係というのは、その年のニュー・
イヤーズ・モデルを作り出し、熱狂し、飽きたら冷たく扱い、
最後には三面ゴシップ記事で腐すという方向で成り立っている。
よくテレビで「あの人は今どうしてる?」の芸能人特集が組ま
れる。かつて名を成した子役が現在東京ガスの検針員をやって
いる様が、以前はアイドルとして頂点に立った者が今は全国の
スナックを渡り歩きながら歌う様が逐次報告される。当事者に
してみれば「もういい加減ほっといてくれ!」というのが本音
に違いない。

かつて60年代の中頃にディランがウッドストックで隠遁生活を
始めたのは、自分を追い回すマスコミの喧騒から逃れるためだ
った。フォークの神様と崇められ、左翼運動に利用され、英雄
伝説のなかで消費されてしまうことへの本能的な回避だった。
そう考えると、最初の人気絶頂時に書かれた「悲しきベイブ〜
IT'S AIN'T ME、BABE」の歌詞が、なお一層暗示的に響いてく
る。

俺の窓から出ていってくれ
せいぜい好きなやり方で出ていくがいい
俺はきみが欲しがっていた男じゃないし
きみが必要としていた男でもないんだ ベイブ

きみは言っていたね 誰か強い人を探していると
正しかろうが間違っていようが 自分を守護してくれて
どこのドアでも開けてくれるような人が欲しいと

冗談じゃない
俺はきみが求めているような男じゃないし
きみが必要としていた男でもないんだ ベイブ
(悲しきベイブ)

実際には男女のすれ違いを動機に書かれた歌なのかも知れな
い。それでも最初のきっかけを超えて多義的な様相を帯び、
聞き手それぞれの事情に当てはまっていくのがポピュラー音
楽の面白さだ。今この「悲しきベイブ」を聞き直すと、まる
で冬の朝のように孤独なディランの姿が浮かび上がってくる。
かつては何も持っていない青年だった。今では多くのものを
持っている大人だ。ノーベルを受賞しようがしまいが、夏は
終わり、枯れ葉の季節がやって来て、いつか寒い朝を迎える。

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by obinborn | 2017-01-08 05:24 | one day i walk | Comments(0)  

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