窮屈な言葉、自由な音楽

ある方がブログで最近のニール・ヤングに関して、ポリティ
カルな意識は解るけど、かつてあったようなメロディが乏し
くて音楽的な魅力は今ひとつと書かれていた。また本当に危
機的な状況ならば音楽どころではないのでは?とも。すごく
正直な意見だと思った。ロック・ファンというのはとかく”
生き様”を至上価値として重視し、ディランやヤングならど
んなつまらない作品でも一生付いていきます!的な人たちが
多い。またそうした態度を貫くことがロックだと勘違いして
いる。その部分ぼくは少し違うんだよな。たとえ偉大なディ
ランでもヤングでもエリック・クラプトンでも、駄目なアル
バムを出したらちゃんと指摘する。そういう批評精神をぼく
は大事にしたい。

もう少し観点を換えてみるなら、多くの優れたアーティスト
たちが20代に瑞々しい”名盤”を生み出したことは偶然ではあ
るまい。最も感受性が強く、また吸収する力もある時期にレ
コーディング・アーティストでいられた彼らの幸せを感じず
にはいられない。むろんベテランになっても過去の栄光に溺
れることなくクリエティヴィティを発揮している音楽家はい
る。ぼくの知るところでは『ニューヨーク』のルー・リード、
『センチメンタル・ハイジーン』のウォーレン・ジヴォン、
『COYOTE』の佐野元春などだ。それらはぼくにロックであ
ることの価値を改めて問い掛けてくる傑作だった。

むろん個々の音楽家の”手癖”やワンパターンを愛おしく思う
時はある。それは一人の人間はそれほど変われないのだとい
う生きた証明であろう。新しい作品がたとえ過去の模倣であ
ったとしても、愛するアーティスト/バンドはぼくにも沢山い
る(例えばジョン・フォガティやデイヴ・エドモンズ)それ
でも、もう一人の自分は冒頭のブロガーさんに共感するので
ある。

今日たまたまあるフォーク・シンガーのFBを読んでいて、嘘
寒くなった。その方は自分のアクースティック・ギターに「
大きな変化は小さな願いから」といった旨のステッカーを貼っ
ていた。彼にとってはウディ・ガスリーに似たそれを模したの
だろう。しかしそうして貼られた標語より、もっと豊かにイメ
ージを喚起し、聞き手を遥か遠い土地へと誘っていくのが音楽
の役割ではないだろうか? 窮屈過ぎる言論が跋扈する2017年
の初めに、ぼくはそんなことを考えてみた。

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by obinborn | 2017-01-10 17:58 | rock'n roll | Comments(0)  

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