中村とうよう氏の思い出

中村とうようさんとは神保町のカレー屋さんでばったり
遭遇したことがあります。むろんこっちは30歳の若造で
一方的にとうようさんを慕っていただけの関係でしたが、
原稿用紙の入った封筒を取り出す姿は、物書きを志して
いた私にとって「ああ、とうようさんがいる!」という
感激で一杯でした。また「とうようズトーク」では飲食
店で客が店にごちそうさまと言うのは良くないなんて書
いていたのに、その店では帰り際店員にしっかり挨拶さ
れていて、とうようさんも人の子だったと感慨を新たに
しました。ちょうど1990年前後だったと記憶します。ま
だワープロも浸透していなく、原稿用紙に手書きするの
がごく一般的な時代でした。

とうようさんから一番大きく影響されたのは、やはりリ
ズムの悦楽・豊かさのことだったと思います。ロックに
入る以前にジャズやラテンに精通されていた彼にとって、
ロックはあくまで客観的な素材のひとつだったのかもし
れません。そんな部分にまだ若かった私は反発した時期
もありました。きっとそこら辺は世代的に埋められない
溝なのかもしれませんね。それでもとうようさんのお陰
でライ・クーダーとタージ・マハールを俯瞰することが
出来たのは私にとって最大の収穫でした。またブラジル、
カリブ、アフリカ、アラブ、東欧州など、世界各地の音
楽を貪欲なまでに吸収していく姿勢にも学ぶものは少な
くありませんでした。

一番印象に残っているのはジャズの新伝承派をめぐって
とうようさんが『スウィング・ジャーナル』と激しく論
争した80年代後半の時期です。かつて隆盛を極めたハー
ドバップの時代をいたずらに懐古し、バップ・ジャズの
形だけを真似たブラフォード・マルサリスらの動きは氏
の感性に合わなかったようで「内実を伴わない上辺だけ
の音楽」「肉体というスポンティニアスな衝動に欠く」
「単に小器用なだけ。マルサリスには汗の匂いがしない」
などなど、もうボロクソに叩いていました。その一方で
あるべきジャズの未来としてジェイムズ・ブラッド・ウ
ルマーを早い時期から高く評価していたのも、またとう
ようさんその人でした。ここら辺はしっかり筋が通って
いました。

今は何でも”当たり障りなく”やり過ごすのが賢明な時代
です。そんな傷付けず傷付けられずの風潮が批評という
分野をも浸食しているとしたら深刻だと思います。遂に
最後までとうようさんとお話する機会は叶いませんでし
たが、彼の批評精神は事なかれ主義、政治への無関心、
都会的流行の上辺などが跋扈する現在こそ、必要とされ
るものではないかなと感じます。最後にとうようさんの
至言をご紹介しておきましょう。正確な引用ではありま
せんが、およそ次のような内容でした。「昔の人だって
現代人のようにテレビを観ながら衣を縫うことは出来た
だろう。でも昔の人がそれをしなかったのは、何の有益
にもならない二股作業は無駄だと熟知していたからだ」


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by obinborn | 2017-05-26 14:48 | one day i walk | Comments(0)  

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