ネット時代に問われる知性

『現在ビジネス』を読んでいたら、ネットの影響によりいつの

間にか”検索タイプ”の人が増え、自分の頭で思索を深める力が
弱まってしまったとの記事があった。また検索行為とは同時に
すぐ回答を求めがちな傾向と結びつきやすいため、余計に自分
自身で考える想像力が失われつつあるとも指摘されていた。以
前私はここで炎上ネタと大衆心理について書いたが、気に喰わ
ない相手に標的を定めて集中砲火し、一時のカタルシスを得る
のは(自戒を込めて)止めておいたほうがいい。

個人の思想/信条というものはそれぞれが育った時代や環境、あ
るいは近くにいた者の影響などが微妙に入り混ざりながら形成
されるものであり、直接話しをしたこともない他人がいとも簡
単にジャッジを下すのは傲慢だろう。ましてそのジャッジが有
名人によって為される場合は、それこそ自分では何も考えない
者がリツイや「いいね!」で付和雷同的に加担しながら一気に         増幅してしまう。例えば学園闘争の時代にイヤな思いを体験し

た者はそれがトラウマとなり、どうしても集団的な考え方とは
距離を置き、いつの間にか個人主義者の道を歩み始める。逆に
今という厳しい時代はデモに行って頭数になるのが一番現実的
な選択肢だと主張する者もいるだろう。

実はこのような話を先日居酒屋で交わしたのだが、直接膝詰め
て語り合うのはいいものだ。ちょっとしたすれ違いがあればす
ぐその場で是正出来る。物事を弁証法的に検証し俯瞰する力を
鍛えることが出来る。もっと平たく言うなら「ああ、そういう
見方もあるね!」「なるほど!」の世界だ。

ネット時代にはそれに向かう知性もまた同時に問われている。

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by obinborn | 2017-06-13 05:39 | one day i walk | Comments(0)  

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