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スティーリー・ダン私感

スティーリー・ダンは初期の3枚くらいまでは熱心に聞いて
いたけれど、最高傑作と呼ばれる『エイジャ』辺りになると
ぼくとの距離はどんどん増していってしまった。それはバン
ド・サウンドを切り捨て、ベッカー=フェイゲンが強権体制
を敷き、プレイヤーを駒のように扱うことへの反発だったと
思う。この件に関しては「バンドにどこまで幻想を持つのか
の感覚の違い」と以前金澤さんから意見を頂いたことがある          けれど、実際スティーリーの音楽は以前の温かさやホノボノ
とした部分が希薄になり、バンドというより目的を遂行する
精緻なチームといった要素を強めていった。ただ彼らのこの
プロジェクト的な意識が従来の音楽に風穴を開けたことは認
めよう。今迄裏方だったスタジオ・ミュージシャンが表舞台
へと羽ばたいていくフュージョンの時代の先駆がベッカー=
フェイゲンに他ならなかった。ウォルター・ベッカーの訃報
を耳にして涙は出てこなかった。ただ『さわやか革命』が大
好きだった二十代の頃の自分を振り返ったら、ふと寂しくな
った。ベッカーさん、今までありがとうございました。

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by obinborn | 2017-09-04 19:10 | one day i walk | Comments(2)  

Commented by サンリ アルバドール at 2017-09-27 14:03 x
こんにちは。
私もいま、自分の持っているスティーリーダンのアルバムを聴き返しているところですが
その中で良さを再発見したのが復帰第一作のTwo Against Nature でした。
作風は前作・前々作の延長なんだけど、それらの完成度が100だとすると
それをあえて70くらいに落として若干緩く仕上げてあるのがポイントで、その分
温かみが戻ってきている感じがするんですね。

この作品から逆にふり返ってみると、本当はAjaもGauchoも彼らにとっては通過点でしか
ないのかもしれないな、と思いました。言い方が悪くなるけど、録音・演奏の両面で
どこまで究極を追求できるかを、膨大な時間と制作費を投じて実験していた時期の
研究報告その1・その2みたいなもので。それがひと段落したことで会得できた
「肩の力の抜き方」がTwo Against ~以降に生かされていったのかも、と感じたわけです。
こういう成長の仕方って、世の中ではあまり評価されないのかもしれませんが…
Commented by obinborn at 2017-10-09 06:24
お返事がかなり遅くなり大変申し訳ありません。概ね貴氏のおっしゃることに同意します!どこまで完璧を追求するかの経過報告がAJAやガウチョではないか、そこからさらに年輪を重ね、あえて肩の力を抜いた方向性を目指したというのは、人間的でありすごく共感できるものですから。それがより自然なグルーヴになっていますね!

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