2016年 06月 06日 ( 3 )

 

書き手として、26年間を振り返ってみた

音楽に関する原稿を書き始めた26年前に、とある先輩から
アドバイスを頂いたことがある。それは「これなら任かせ
ておけ!」という分野を作ることと、「けっして何でも屋
にはなるなよ!」という助言だった。幸いにもぼくはそれ
をずっと守ってきた。唯一意外に思われそうなのが、かつ
てキング・クリムゾンのかなり長いテキストを寄稿したこ
とかもしれないが、それとて一時の彼らが好きだったから
に他ならない。

むろんライターによってアプローチが違うことはぼくも認
める。ある者は生活のため、好きでもないヴィジュアル系
Jポップのバンドに密着して提灯記事を書きまくる。またあ
る者はビッグネイムのアーティストに特化した企画をプレ
ゼンする。その領域を侵害したりはしない。でもぼくには
それがどうしても出来ないんだなあ〜(笑)広く多岐に亘
って多くの音と触れ合いながら、時代を俯瞰する視点は書
き手の必須条件だろうが、それを実際に原稿という形で落
とし込む際には、細心の注意が必要だろう。まるで一夜漬
のようにwikiをコピペしたような文章は、その音楽の熱心
なファンであればあるほど、いとも容易く見破る。鋭く刺
さるナイフのように看破する。

慌ただしい日々のなか、自分らしさを保つのは大変なこと
だと思う。でも一番大事なのは好きなミュージシャンやバ
ンドに対し、自然に向き合い、彼らが放つひとつひとつの
言葉や音を丁寧に拾い上げていくことだ。思わず青臭いこ
とを書いてしまったけれど、ぼくはこれからもそんな気持
を大事にしていきたい。今日はずっと曇りの天気だったけ
れど、ジェリー・ガルシアのギターを聞いていたら、坂道
の彼方に大きないわし雲が見えてきた。

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by obinborn | 2016-06-06 18:26 | one day i walk | Comments(0)  

追悼:デイヴ・スゥオブリック〜あなたの音楽に出会えて良かった

デイヴ・スゥオブリックがフェアポート・コンベンションに
初参加したのは1969年7月のことだった。マーティン・ラン
ブルを交通事故で失うという悲劇に見舞われ、存続するかど
うかの瀬戸際に立たされていたバンドは、ある日トレヴァー
・ルーカスの家にスゥオブリックを呼び、一緒に音を奏で始
めた。彼の楽器はヴァイオリン。その調べはいつしかフェア
ポートの一翼となり、バンドを黄金時代へと導いていく。69
年の夏から秋にかけて彼らがレコーディングに取り組んだ『
リージ&リーフ』アルバムは、やがてフェアポートの記念碑
となった。

そのスゥオブリックが亡くなってしまった。近年は足腰が衰
え車椅子に座るなど体調が心配されたが、とうとうその日が
訪れてしまった。『リージ』のB面に収録された「タム・リ
ン」で枯れ葉のように舞うスゥオブリックのヴァイオリンが
大好きだった。そのフレーズはときにイングランドの凍て付
いた大地を思わせた。寒さにじっと耐える冬ザクロのような
孤独を醸し出した。そしてロック・バンドにヴァイオリン奏
者がいてもいいんだ!という発見は、後進に勇気を与えてい
く。この日本に限っても、はちみつぱいがそうだった。彼ら
を母体にしたムーンライダーズがそうだった。彼らの仲間の
あがた森魚がそうだった。

『リージ』アルバムのジャケットをかざしてみる。フェアポ
ートのメンバーは自分たちの新しい音にきっと手応えを感じ
ていたのだろう。そんな気持を物語るようにメンバー6人の
顔がしっかりと写し出されている。サンディやリチャードと
いった顔役はもとより、バンドの母体を支えたサイモン・ニ
コルがいる。頑固そうなアッシュレイ・ハッチングスがいる。
重厚なドラムスを叩くデイヴ・マタックスがいる。そしてデ
イヴ・スゥオブリックがいる。皆んながいる。誰一人として
欠けていない。フェアポートの音楽はこれがトラッドでこれ
がロックだというつまらない論議や、アクースティックかエ
レクトリックかという退屈な垣根を飛び越えながら、今日も
なお迫ってくる。そのど真ん中には確かな腕のヴァイオリニ
ストがいた。スゥオブリックさん、今までありがとうござい
ました。あなたの音楽に出会えて良かった。

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by obinborn | 2016-06-06 12:29 | one day i walk | Comments(0)  

ディノ・ダネリのこと


「ディノ・ダネリのドラムスにはスタジオ・ミュージシャン
にはけっして出せない奔放さがある」武蔵小山のレコード店
ペットサウンズの森勉さんが、そうお書きになられていたの
を読んだ時、ああ、この人は本当にラスカルズを愛されてい
るんだな、と心底嬉しく思ったことがある。

1960年代にはザ・バーズの「ミスター・タンブリンマン」の
ように、メンバーのマイケル・クラークではなく、スタジオ
集団レッキング・クルーのハル・ブレインが”虎”となってド
ラムスを叩いているようなケースが少なくなかった。まだ音
楽ビジネスが未熟であり、ミュージシャン自身が主導権を握
るような状況はなかった。

そんな時代のなか、66年にデビューしたヤング・ラスカルズ
は健闘した。アトランティックという自覚的なレコード会社
と、トム・ダウドやアリフ・マーディンといった優秀なスタッ
フに彼らは恵まれた。でもそれだけのことではない。自分たち
の歌を自分たちの演奏で届けたい。そんな想いはニューヨーク
周辺のクラブ・サーキットでトップ40を演奏しながら修行を
積んだメンバーたちのプライドでもあっただろう。しかも彼ら
の場合、フェリックスがハモンド・オルガンのフット・ペダル
で低音部を支えていたから、専任のベース・プレイヤーはいな
かった。ベース奏者が示す明確なラインなしで、ドラムスに向
かっていったディノ・ダネリは一体どんな心持ちだったのだろ
う。

アルバム『COLLECTIONS』は「ダンス天国」でB面の最後を
閉じる。その演奏のなか、ヴォーカルのエディ・ガバルッティ
がメンバーを紹介していく。そう、「オン・ドラムス、ディノ
!」「オン・オルガン、フェリックス!」といった具合に。
それはとても誇らしい光景だった。ぼくがかつてリンゴ・スタ
ーやチャーリー・ワッツのドラムスに心揺さぶられたのと同じ
ように、ディノは情熱とともにしっかりバスを踏み、スネアを
刻み、ここぞという展開でトップ・シンバルの音を高らかに鳴
らしている。

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by obinborn | 2016-06-06 00:45 | rock'n roll | Comments(0)