2017年 03月 11日 ( 1 )

 

追悼:ヴァレリー・カーター

信じたくないニュースが飛び込んできた。3月4日ヴァレリー・
カーターが心筋梗塞のため亡くなったという。近年はコケイン
所持で逮捕されるという好ましくない情報が伝わっていたが、
以降彼女は麻薬を絶つことを決意し、更正プログラムを無事に
終えている。今回の心筋梗塞にどこまでドラッグの後遺症があ
ったかは解らないものの、ヴァレリーの名誉のために、彼女が
リハビリに取り組んでいたことをまずは報告しておきたい。

フロリダ州ウィンターヘヴンに生まれ、アリゾナ州のフェニッ
クスで少女時代を過ごしたヴァレリーは、その後60年代のフォ
ーク・シーンに影響され、ニューヨークのグリニッチ・ヴィレ
ッジで歌い始めた。残念ながらそこで頭角を現すことはなかっ
たが、自作曲の「クック・ウィズ・ハニー」がジュディ・コリ
ンズによって取り上げられるという幸運があり、その後西海岸
のマリン・カウンティでリチャード・ホウヴェイ、フィフス・
アヴェニュー・バンド出身のジョン・リンドとともにハウディ
・ムーンを結成。74年には彼ら唯一のアルバムをA&Mレコー
ドからリリースした。そこからは「クック・ウィズ・ハニー」
の作者版がシングル・カットされた。ハウディ・ムーン解散
後はアルバムにも関わったリトル・フィートのローウェル・
ジョージの口利きもあり、ヴァレリーは77年にコロンビアか
ら初ソロ作『ジャスト・ア・ストーンズ・スロー・アウェイ』
で本格的にデビューする。その直前にはジャクソン・ブラウン
とローウェルとヴァレリーが共作した「ラヴ・ニーズ・ア・
ハート」がジャクソンの『ランニング・オン・エンプティ』
収録曲として親しまれていた。またジェイムズ・テイラーは
75年の『ゴリラ』に収録された「アングリー・ブルース」で
ヴァレリーを初めて起用。以降彼女は長らくジェイムズのコ
ーラス要員として欠かせない存在となってゆく。

96年頃だっただろうか。一度だけヴァレリーにインタヴュー
したことがある。その席でジェイムズの『(ライヴ)』に
収録された「アイ・ウィル・フォロウ」の話題になり、「ス
タジオ・ヴァージョンにはないあなたのヴァースがとても
素敵ですね」と讃えると、「よく気が付いてくれたわね!
わあ〜、世界に向かって知らせたいくらいよ!」と嬉しそう
に答えた姿は印象的だった。ソロでも、他人のバック・コー
ラスを担う時でも、その天衣無縫なヴォイシングを夢中で追
いかけた人は少なくないだろう。いわばヴァレリーは若葉の季
節を歌うシンガーだった。その伸びやかな歌声には陽射しが
似合っていた。彼女のファースト・ソロの冒頭に配されたフ
ァイヴ・ステアステップスの「ウー・チャイルド」こそは、
その頂点だったと思う。歌が聞き手を温かい場所へと連れ戻
していく。ヴァレリーはぼくにそんな体験をもたらせてくれ
た。それは雨の日々のなかで太陽の暖かさを待ちわびる気持に
近いかもしれない。

どうか安らかにヴァレリー。あなたのことをけっして忘れな
い。

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by obinborn | 2017-03-11 03:18 | one day i walk | Comments(0)