2017年 04月 30日 ( 1 )

 

パブリック・イメージと闘ってきた吉田拓郎

文芸誌『すばる』2010年3月号に掲載された吉田拓郎さ
んのインタビューを興味深く読みました。聞き手は作家
の重松清さんで、彼はずっと熱心な拓郎ファンだったと
か。そんなこともあってか、拓郎は珍しく打ち解けなが
ら本音を語っているのでした。古いファンはどうしても
中津川フォーク・ジャンボリーでアンプが故障し、突如
「人間なんて」をアンプラグドで歌い始める拓郎の姿を
いつまでも追い求めてしまう。あるいは「旅の宿」や「
落陽」のイメージかもしれません。そうした肖像に関し
て、煩悶し反発してきたのが他ならぬ拓郎だったことが
この取材ではかなり正直に明かされているのでした。

もともと拓郎さんはフォークを始める前にR&Bのバンド
を組まれていた方です。それがたまたま「イメージの詩」
や「人間なんて」が全共闘世代に支持され、同期されな
がら吉田拓郎というパブリック・イメージが次第に捏造
されていったのです。70年代に於いてはよく、こっち側
あっち側という分け方でフォークと歌謡曲の線引きがさ
れていましたよね。あたかもフォークは純粋な表現であ
り、歌謡曲は旧態依然とした商業主義の産物だと言わん
ばかりに。そうした時代のど真ん中で拓郎は「結婚しよ
うよ」をヒットさせ、南沙織のために「シンシア」を書
きました。それでも彼の葛藤はなかなか理解されず、フ
ァンはいつまでも中津川での吉田拓郎のイメージを追い
求めていったのです。

彼が背負わされた時代性・政治性とはおよそそのような
ものでした。そういえば以前『報道ステーション』に招
かれた時も拓郎さんは、歌謡フィールドにいた安井かず
みさん(故人)との親交を明かし、彼女から「汚らしい
ジーンズとTシャツのままでステージに出るフォーク・
シンガー」と揶揄されたことを告白していました。実は
ぼく(小尾)が敵対するフォーク集団は未だに「拓郎は
商業主義に魂を売った。フォーク・アーティストとして
は到底認められない」などと、団塊の世代ならではの我
が儘な主張を今日も繰り返しているのでした。

「きみの部屋のカーテンやカーペットは汚れていないか
い?」(「シンシア」)と歌う拓郎さんが好きです。そ
のたった一行から、彼のナイーブ過ぎる心情が伝わって
くるからです。


e0199046_09362588.jpg


[PR]

by obinborn | 2017-04-30 09:38 | Comments(0)