2017年 05月 05日 ( 1 )

 

オイラの音楽遍歴(簡略版)

オイラの音楽遍歴をごく簡単に振り返ってみると、最初は
小学生時代の森山加代子「コーヒー・ルンバ」や、江利チ
エミ「テネシー・ワルツ」だったと記憶する。弘田三枝子
のパンチのある歌唱が好きだったから、当時から無意識な
がらも洋楽志向があったのかもね。オイラの母親は戦時下
は満州に疎開し少女時代を過ごしたので、戦後日本に帰っ
てきてからはモダンなものに対する憧憬が人一倍強かった。
そんな母からの影響がオイラの遺伝子にあるのかもしれな
い。

中学に入ってもう少し自覚的に音楽を聴くようになってか
らは、南沙織「17才」やサイモン&ガーファンクル「アメ
リカ」のシングル盤を300〜400円で買った。ただし、岡林
信康の「チューリップのアップリケ」を聞いていた時だけ、
母に怒られた。当時は理不尽なものを感じたけれど、今や
っと「みんな貧乏が悪いんや〜」と歌う岡林に反発した母
親の気持に寄り添うことが出来る。それは親元で暮らす中
坊が安易に労働歌へと感情移入することへの戒めであり、
共産主義への警戒であり、歌は人に希望を与えなきゃ!と
いう彼女のごくまっとうな願いが込められていた。

オイラの洋楽かぶれは高校時代に加速した。時代的にはレ
ッド・ツェッペリンとCSN&Yをやや後追いながらも素晴し
いなと思った。もっとも同時にカーペンターズの綺麗なメ
ロディも大好きだった。そのカーペンターズが歌うA SON
G FOR YOUのソングライターが、オクラホマの怪人レオ
ン・ラッセルだったと知ったことは収穫で、以降のオイラ
はアメリカ南部のロックに目覚め、メロディの良さだけで
はなく、リズムのヴァリエーションやコクのあるビートを
知っていく。リトル・フィートの「ディキシー・チキン」
は、そんな音楽体験の頂点だったように思えてならない。

とまあ、思いつくままに音楽遍歴を語ってみました。父は
09年に肺腫瘍で死んだ。母は何度か入退院を繰り返しなが
ら今も元気だ。妹はきっと仕事を頑張っていることだろう。
果たしてオイラはどうなんだろう?

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by obinborn | 2017-05-05 18:37 | Comments(0)