2017年 05月 19日 ( 5 )

 

ポール・スタンレーと私

就職活動のためオイラが動き出したのは22歳の時だった。
不真面目な学生だったのでかなり苦労したと記憶する。
ある日オイラはそんな日々に疲れ、何故か上野動物園で
孔雀を観ていた。その時に流れ出したポール・スタンリ
ーのこの歌が忘れられない。「気にしないで。抱きしめ
て。きっとすべてがうまくいくから」

それから歳月が経ち、私はスタンリーがユダヤ人の末裔
としてニューヨークへと渡った家系だと知った。このあ
りふれた恋愛歌がもっと深い部分で聴こえてきた。


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by obinborn | 2017-05-19 18:24 | one day i walk | Comments(0)  

ランディ・ニューマンのこと、羽田野さんのこと。

昨夜はみんなと中華料理を囲む手があったか!くっそ〜(笑)
でも渋谷の隠れ家「国境の南」で一人しっぽり飲むのが私ら
らしいといえば私らしかったね。店主の羽田野さんは私がリ
スペクトする大先輩で、ちょっとした雑文のなかにこっちが
ハッとするような鋭い記述がある。例えばランディ・ニュー
マンのようなソングライターに関して「どれだけ多くを語る
か」よりも「どれだけ聞き手に多くを想像させるか」なんて
さらっと書かれている。文体が必ずしも整然とされているわ
けではないし、すっきりリズムに乗っているわけでもないの
だが、その朴訥とした文章のなかに羽田野さんの人となりが
見える。私如きが真似したくともけっして真似出来ない世界
だ。

20才の時、私はランディ・ニューマンの『GOOD OLD BOY
S』を中古盤で買った。NHKーFMの『サウンド・ストリート』
で佐野元春さんがニューマンの「マリー」を掛けその歌詞を
紹介されたのが直接のきっかけだったと記憶する。くたびれ
た中年のカップルが場末の劇場で肩を抱き合って微笑み合っ
ている。男はこう囁く「マリー、最初にきみと会った時のよ
うに今も愛しているよ」と。語られる言葉そのものはニュー
マンの武骨な声と相俟って平坦かもしれない。でもその背中
の彼方に主人公が重ねてきた時間の流れがある。煩悶の日々
が見える。羽田野さんにとって、あるいは私にとって、歌と
はそういうものなのかもしれない。


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by obinborn | 2017-05-19 17:38 | one day i walk | Comments(0)  

昨夜のヒダルゴ=リボウを反芻しつつ、ロス・ロボスを聴く

いやあ〜、ヒダルゴ&リボウは本当に素晴しかったなあ!
こりゃ今日は原稿仕事出来んわい(笑)というわけで早朝
バイトを終えたオイラは昨夜を反芻すべくロス・ロボスの
『THE NEIGHBORFOOD』(90年 Slash)を!昨日ヒダル
ゴがこのアルバムからジミー・マクラクリンのGEORGIA
SLOPを取り上げたのは嬉しい驚きだった。今現在の耳で
この『ネイヴァーフッド』を振り返るなら、初期の陽気な
テックス・メックスから脱して、より包括的にアメリカ(
とその周辺)の音楽に向かっていったロボスの分岐点とい
ったところだろうか。制作陣はラリー・ハーシュにミシェ
ル・フルームという気鋭たち。彼らはやがてチャド・ブレ
イクを加え、96年の傑作『コロサル・ヘッド』を生み出し
ていくのだった。

ヒダルゴとルイ・ペレスが主導するスルメ味のロックとR&
B、あるいは哀愁のケイジャン・チューンと重厚極まりない
ブルーズ・ロック。これらが混然一体となって壮大なサウン
ドスケープを描き出していく様は、ザ・バンドのそれを思い
起こさせる。あるいはフェアポート・コンベンションの勇気
ある越境とか、長く続かなかったブラスターズの頓挫を含め
て。そういえばブラスターズ出身のスティーヴ・バリン(sax、
kbd)が活躍し始めるのは本作の前後だった。ゲストとして
本作に参加したジョン・ハイアットとリヴォン・ヘルムも、
広範な”アメリカーナ”に貢献した。とくに読み書きが出来な
い少年たちに捧げられたヒダルゴ=ペレス作のLITTLE JOHN
OF GODは胸を打つ。ヒダルゴの歌を受けた後のワン・ヴァ
ースをリヴォン・ヘルムが引き継ぐ。その光景に筆者は最も
美しいアメリカン・ロックの姿を思わずにいられない。

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by obinborn | 2017-05-19 12:30 | one day i walk | Comments(0)  

5月18日のデヴィッド・ヒダルゴとマイク・リボウ

18日は渋谷のクラブ・クアトロにてデヴィッド・ヒダルゴ
とマーク・リボウのライブを。ぴったり息の合った二人の
歌とギター、互いが繰り出すスリリングなソロ・パート、
もしくはルーツ音楽への敬愛。それらが何ひとつ気負いなく
滲み出すような一夜だった。ことリボウに関してはかつてラ
ウンジリザーズを牽引していた頃のフェイク・ジャズのイメ
ージは皆無であり、ヒダルゴの歌へと寄り添う姿が感動を呼
び起こしていく。演目に関してもマール・ハガードのベイカ
ーズフィールド・カントリーからジミー・マクラクリンの西
海岸ブルーズGEORGIA SLOP、メキシコのソン・ハローチョ
まで、ごく自然にジャンルを越境していく様が素晴しい。

だからと言って単に和気あいあいとしたコラボレイトという
わけではない。ステージが後半に進むにつれてヒダルゴとリ
ボウそれぞれのフレーズがどんどん鋭角的になり熱を帯びて
いく様は、かつて熱血的なギター少年だった二人を彷彿させ
る。恐らく互いの共通分母であるR&Bとロックンロールへの
想いがあり、それらはグレイトフル・デッドのBERTHA、マ
ーヴィン・ゲイのWHAT'S GOING ON、そしてトミー・ジェ
イムズ&ザ・シャンドルズのあの無邪気なトップ40曲Hanky
Pankyが立て続けに演奏された終盤で実証された。二度のア
ンコールに応えた最後の曲がウィルソン・ピケットの麗しき
メンフィス・ソウルIN THE MIDNIGHT HOURだったことに
は、とかく”新しさ”ばかりを求めがちな音楽ジャーナリズム
への警告が込められていたようにも思える。

どちらかと言えば筆者はロス・ロボスのデヴィッド・ヒダル
ゴを追いかけてきた聞き手だが、リボウを相方にしたヒダル
ゴの姿はとても詩的であり、ものすごく音楽的だった。それ
らのひとコマひとコマをずっと覚えていられたら、どんなに
素敵なことだろう!電車は終電近く。季節には仄かに夏の匂
いがした。

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by obinborn | 2017-05-19 01:09 | Comments(0)  

5月18日のデヴィッド・ヒダルゴとマイク・リボウ

18日は渋谷のクラブ・クアトロにてデヴィッド・ヒダルゴ
とマーク・リボウのライブを。ぴったり息の合った二人の
歌とギター、互いがスリリングに繰り出すソロ・パート、
もしくはルーツ音楽への敬愛。それらが何ひとつ気負いなく
滲み出すような一夜だった。ことリボウに関してはかつてラ
ウンジリザーズを牽引していた頃のフェイク・ジャズのイメ
ージは皆無であり、ヒダルゴの歌へと寄り添う姿が感動を呼
び起こしていく。演目に関してもマール・ハガードのベイカ
ーズフィールド・カントリーからジミー・マクラクリンの西
海岸ブルーズGEORGIA SLOP、メキシコのソン・ハローチョ
まで、ごく自然にジャンルを越境していく様を素晴しいと思
った。

だからと言って単に和気あいあいとしたコラボレイトという
わけではない。ステージが後半に進むにつれてヒダルゴとリ
ボウそれぞれのフレーズがどんどん鋭角的になり熱を帯びて
いく様は、かつて熱血的なギター少年だった二人を彷彿させ
る。恐らく互いの共通分母であるR&Bとロックンロールへの
想いがあり、それらはグレイトフル・デッドのBERTHA、マ
ーヴィン・ゲイのWHAT'S GOING ON、そしてトミー・ジェ
イムズ&ザ・シャンドルズのあの無邪気なトップ40曲Hanky
Pankyが立て続けに演奏された終盤で実証された。二度のア
ンコールに応えた最後の曲がウィルソン・ピケットの麗しき
メンフィス・ソウル曲IN THE MIDNIGHT HOURだったこと
には、”新しさ”ばかりを求めがちな音楽ジャーナリズムへの
警告的な態度が込められていた。

どちらかと言えば筆者はロス・ロボスのデヴィッド・ヒダル
ゴを追いかけてきた聞き手だが、リボウを相方にしたヒダル
ゴの姿はとても詩的であり、ものすごく音楽的だった。それ
らのひとコマひとコマをずっと覚えていられたら、どんなに
素敵なことだろう!電車は終電近く。季節には仄かに夏の匂
いが漂っていた。

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by obinborn | 2017-05-19 01:09 | Comments(0)