2018年 01月 04日 ( 1 )

 

追悼:リック・ホール、第二回〜ひとつの時代しか生き抜けなかった男

リック・ホールの訃報を受けて、アラバマ・サウンドが今再び
話題になっていますが、追悼記事の一部にやや誤認が散見され
ますので、ごく大雑把に整理しておきますね。フェイム・スタ
ジオをフローレンスに設立したホールが、プロデューサーとし
てR&Bやソウル音楽に関わったのはおよそ61年くらいからで、
彼はここでアーサー・アレキサンダーやジミー・ビューズとい
ったシンガーを育てます。そんなフェイムに注目したのがアト
ランティック・レコーズのジェリー・ウェクスラーです。それ
まで自社のあるニューヨークのスタジオでのセッションに甘ん
じていたアリーサ・フランクリンやウィルソン・ピケットにア
ラバマ録音を提案し実行したのはジェリーの功績で、アラバマ
・サウンドが全国区へと羽ばたいていく契機となりました。ち
なみにこの頃のフェイムに集まっていたスタジオ・メンはジョ
シ・ボイスb、フリーマン・ブラウンds、ジュニア・ロウg、
クィントン・アイヴィkbdらで、彼らはフェイム・ギャングと
いう愛称で親しまれました。またオールマン・ブラザーズを結
成する以前のデュエイン・オールマンが腕を買われ、フェイム
のスタジオ・ミュージシャンとして頭角を現していくのは68〜
69年頃のことでした。

ところが69年前後からフェイムに枝分かれが起きました。デヴ
ィッド・ フッドb、ロジャー・ホーキンスds、バリー・バケッ
トkbd、ジミー・ジョンソンgといった同地の白人チームが独立
し、新たにマスル・ショールズ・サウンド・スタジオ(MSS)
を拠点に独自の活動を始めたのです。これにはリック・ホール
のワンマンぶりに嫌気が差したとか、ギャランティに不満があ
ったとか諸説語られていますが、マーティン・ルーサー・キ
ング牧師の暗殺やオーティス・レディングの事故死などを経て
サザン・ソウルが一つの節目を迎えていた背景を考えてみたい
ですね。そう、ぶっちゃけもう黒人音楽だけでは喰っていけな
くなった事情もありましたが、いよいよ本格的にロック音楽の
ルーツ探しという気運が高まったのがまさにこの時期だったの
です。

その動向に目を向けたのが、またもやジェリー・ウェクスラー
でした。フッド、ホウキンス、バケット、ジョンソンは通称ス
ワンパーズと呼ばれていますが、彼らを気に入ったジェリーは
トロイ・シールズ、バリー・ゴールドバーグ、マイク・フィニ
ガン、ドニー・フリッツといった音楽家を積極的にスワンパー
ズと組ませ、MSSでのレコーディングを精力的にこなしました。
またアメリカだけでなく、ローリング・ストーンズ、トラフィッ
ク、ルル、ロッド・スチュワート、マイク・ハリソンといった
英国のミュージシャンも同地を訪れるようになり、ロック音楽
とマスル・ショールズとの蜜月時代が始まりました。MSSのス
タジオはその住所から俗に『3614ジャクソン・ハイウェイ』と
も呼ばれますが、そのタイトルを冠したシェール69年のアルバ
ムは、ジャケットに主役のシェールだけでなく、スワンパーズ

の面々を登場させるなど、かなり意識的にMSSをアピールした

ものでした。そうしてジェリーはアトランティック傘下の姉妹レ

ーベル、アトコに関してもロック部門のカタログを強化しながら

スワンプ・ロックの時代を牽引していったのです。

さらなる枝分かれも時代の変化とともに訪れました。70年代も
後半になると、同じアラバマのマスル・ショールズ地区ながら、
新しくブロードウェイやウィッシュボーンといったスタジオが
開設され、より洗練されたAOR路線の音楽を作り上げました。
レニー・ルブランの76年盤とルブラン&カーの77年盤はそれぞ
れがブロードウェイ録音とウィッシュボーン・レコーディング
になります。この2枚をプロデュースしたピート・カーもマス
ルに新しい息吹きを持ち込んだ優れたギタリストでした。そし
てビッグ・トゥリー・レーベルから発売されたこれらのアルバ
ムの配給網もまたアトランティックだったところに、マスルと
の深い因縁を感じずにはいられません。

こうして改めて時代を俯瞰していくと、リック・ホールが充実
したプロデュース業に打ち込んでいたのは主に60年代であり、
以降はアトランティックやジェリー・ウェクスラーの思惑に
翻弄されていった様子が伺えます。個人的にはフェイム・ギャ
ングが活躍したソウルの時代も、スワンパーズによるロック・
・サークルとの実りある出会いの季節も、AORの時代に備えた
ブロードウェイ/ウィッシュボーン・サウンドも好きですが、
リックの輝かしい業績が凝縮された60年代のフェイム・サウン
ドがあったからこそ、アメリカ深南部のアラバマ音楽がこれだ
け注目され広く深く愛されたのだと思います。なお最後に参考
文献としてピーター・ギュラニックの名著『スウィート・ソウ
ル・ミュージック』(シンコーミュージック)を挙げておきま
しょう。サザン・ソウルの隆盛、リック・ホールの野心と失意、
白人と黒人との葛藤、その書物にはそれらすべてが書き留めら
れています。

(写真はデュエイン・オールマンと打ち合わせするリック・ホ
ール)


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by obinborn | 2018-01-04 17:27 | one day i walk | Comments(0)