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パブリック・イメージと闘ってきた吉田拓郎

文芸誌『すばる』2010年3月号に掲載された吉田拓郎さ
んのインタビューを興味深く読みました。聞き手は作家
の重松清さんで、彼はずっと熱心な拓郎ファンだったと
か。そんなこともあってか、拓郎は珍しく打ち解けなが
ら本音を語っているのでした。古いファンはどうしても
中津川フォーク・ジャンボリーでアンプが故障し、突如
「人間なんて」をアンプラグドで歌い始める拓郎の姿を
いつまでも追い求めてしまう。あるいは「旅の宿」や「
落陽」のイメージかもしれません。そうした肖像に関し
て、煩悶し反発してきたのが他ならぬ拓郎だったことが
この取材ではかなり正直に明かされているのでした。

もともと拓郎さんはフォークを始める前にR&Bのバンド
を組まれていた方です。それがたまたま「イメージの詩」
や「人間なんて」が全共闘世代に支持され、同期されな
がら吉田拓郎というパブリック・イメージが次第に捏造
されていったのです。70年代に於いてはよく、こっち側
あっち側という分け方でフォークと歌謡曲の線引きがさ
れていましたよね。あたかもフォークは純粋な表現であ
り、歌謡曲は旧態依然とした商業主義の産物だと言わん
ばかりに。そうした時代のど真ん中で拓郎は「結婚しよ
うよ」をヒットさせ、南沙織のために「シンシア」を書
きました。それでも彼の葛藤はなかなか理解されず、フ
ァンはいつまでも中津川での吉田拓郎のイメージを追い
求めていったのです。

彼が背負わされた時代性・政治性とはおよそそのような
ものでした。そういえば以前『報道ステーション』に招
かれた時も拓郎さんは、歌謡フィールドにいた安井かず
みさん(故人)との親交を明かし、彼女から「汚らしい
ジーンズとTシャツのままでステージに出るフォーク・
シンガー」と揶揄されたことを告白していました。実は
ぼく(小尾)が敵対するフォーク集団は未だに「拓郎は
商業主義に魂を売った。フォーク・アーティストとして
は到底認められない」などと、団塊の世代ならではの我
が儘な主張を今日も繰り返しているのでした。

「きみの部屋のカーテンやカーペットは汚れていないか
い?」(「シンシア」)と歌う拓郎さんが好きです。そ
のたった一行から、彼のナイーブ過ぎる心情が伝わって
くるからです。


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by obinborn | 2017-04-30 09:38 | Comments(0)  

トルーマン・カポーティは語る「たとえ人々がどう言おうが、それが本当の自分でない限りどうと言うことはない」

浩子さんの個展に関しては前述したけど、閉館後四人で飲み
に行った。ぼくがよく行く吉祥寺のMANDALA2の隣にある吞
み屋さんで、アテが美味く従業員の感じがとてもいいお店だ
った。こういう時どういう会話をするのかといえば、シリア
スな話からバカっ話まで。そんな風に飛躍するのが楽しいね。
例えば近年情報通は多くなったけれど、そのぶん心を揺さぶ
るような音楽の文章は少なくなってしまったね、とか渋谷の
パルコでロン・ウッドにばったり遭遇しました!もうオーラ
出まくりでした!とか、あるいはミュージシャンの地方公演
は大都市でのそれとはまた違う熱量があるんですよ!といっ
た見解まで、それこそまさに飛びまくり(笑)

SNSをやっていると、ときにイヤな奴が現われたり、自分が
予想出来る範囲外でトラブルとか、思わぬ誤解が生じること
がある。一応告白しておくと、ぼくは一時期かなり叩かれま
くられた。たぶん同業者のねたみ・そねみの変形ヴァージョ
ンかなと思ったけど、そうした疑心暗鬼に陥っていくのは自
分でもすごくイヤ〜な気持だった。本来自由であるはずの心
の領域が侵害されていく無駄な時間に過ぎなかった。

「たとえ人々がどう言おうが、それが本当の自分でない限り
どうということはない」アメリカ戦後文学の精神的な支柱だ
ったトルーマン・カポーティの言葉だ。それは削りに削ら
れた作家の本音であり、偽らざる実感だった。ぼくはこれか
らも愛すべき人々と歩んでいくことにしよう。そこには踏み
しめる大地があり、賑やかな町並みがあり、かけがえのない
暮らしがある。そのことを忘れずに。


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by obinborn | 2017-04-29 06:25 | Comments(0)  

メルリ堂のオールデイズ・シリーズ、最高です!

音楽配信(ダウンローディング)に対抗する措置だろうか。各レコード会社が
生き残りを賭けて廉価盤の企画を打ち出している。ワーナーの名盤探検隊やア
トランティックR&Bのシリーズ、昨年好評だったソニーのAORラインナップな
ど積極的なアプローチが目立つ。それらメジャー・カンパニーに負けず劣らず、
メルリ堂のオールデイズ・レーベルも頑張っている。ブルーズ、R&B、ポップ
スを中心に、170点以上を既にリリースしている。しかも紙ジャケ・日本語の
解説・最新リマスター仕様でお値段も1500〜2000円(税抜)とは嬉しい限り。

ぼく自身は未だにLPやシングル・レコードを収集する趣味があり、実際に普段
聞くのもアナログ中心だったりするのだが、こうした廉価盤CDは後学のために
も重宝している。とくに今の若い人達にとっては、過去の優れた音楽を知るた
めの水先案内と成り得るだろう。個人的な嗜好から言っても、アラン・トゥー
サンのファースト・アルバム『ザ・ワイルド・サウンド・オブ・ニューオーリ
ンズ』や、敬愛して止まないジュニア・パーカー初期の名作『ドライヴィング
・ホイール』など、重要な作品をこのシリーズで聞き直したほどだ。

いわば温故知新なのだと思う。どんなに新しい音楽もファッションも実は過去の
アイディアやインスピレーションに多くを授かっているし、それらをリスペクト
することからまた何かが始まっていくのだろう。そんなわけでメルリ堂のオール
デイズに大注目を!最後に宣伝となってしまい恐縮ですが、ぼくもこのシリーズ
でボビー・チャールズ『シー・ユー・レイター・アリゲイター』と、この4月に
出るダグ・サームの『ザ・ベスト・オブ・サー・ダグラス・クィンテット』のラ
イナー原稿を書かせて頂きました。

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by obinborn | 2017-03-04 03:17 | Comments(0)  

サム・クックと冬の歌

大好きなサム・クックの『ハーレム・スクエア・ライブ』を
聞いています。自分にとってはマーヴィン・ゲイとダニー・
ハサウェイとアリーサ・フランクリンとオーティス・レディ
ングそれぞれのライブ・アルバムと同じくらい恒久の輝きを
放っている名盤です。

とにかく聴衆とのコール&レスポンスや演奏の臨場感が半端
なく凄く、サムのよく伸びるハイトーン・ヴォイスとキング・
カーティス楽団との緊密な連携には、本当に感動させられま   
す。1963年1月12日にフロリダ州マイアミにある黒人向けの
クラブで収録された『ハーレム』ですが、実は長い歳月の間
黙殺され続けた挙げ句、やっと陽の目を見てRCAレコーズか
ら正式にリリースされたのは、1985年になってからのことで
した。

63年の社会情勢を振り返ってみましょう。アメリカに限って
みても、公民権のための運動はまだ志半ばでした。それどこ
ろか実際にはもっとひどい差別が平然と行われていた時代で
す。私がドニー・フリッツに直接尋ねた時、彼はこう言って
いました「俺はアーサー・アレクサンダーと二人で南部一帯
をツアーした。よく言われたよ”何で黒ん坊なんかと一緒にい
るんだい?”と。俺はそいつに言ってやったよ”一緒に音楽を
やりたいだけさ!”とね」

今再び、トランプ新大統領の出現によって、アメリカ社会は
混乱の時を迎えてしまいました。海の彼方の人ごとではあり
ません。本来ならば仲良き隣人のはずの日本人と韓国人との
関係が、靖国神社や慰安婦の問題で再び冷え込んでしまいま
した。私たちは今まで一体何を学んできたのでしょうか?

サムは「NOTHING CAN CHANGE THIS LOVE」のなかでこ
う歌っています「きみの瞳の彼方にはアップル・パイが見え
るよ。シェリー・パイのよう。アイス・クリームのよう。ぼ
くは意味なくきみに降参してしまうよ」単なるラブソングが
いつしか人種の壁を超えながら伝わってきます。それがサム・
クックの無垢な声で歌われます。聞き手であるぼくたちはい
つの間にか、サム・クックの歌に夢中になっています。

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by obinborn | 2017-01-13 21:43 | Comments(0)  

ジェシ・ウィンチェスター覚え書き

以前レコ屋のリコメンド欄にジェシ・ウィンチェスターが
カナダ出身のSSW〜と書かれており呆れてしまった。ジェ
シはルイジアナに生まれメンフィスで育ち音楽活動を始め
たが、ヴェトナム戦争の徴兵を拒否した理由で国外に追放
されカナダのトロント周辺で長らく逃亡生活をしていたの
である。そんなある日教会で歌っていたジェシを見て声を
掛けたのがザ・バンドのロビー・ロバートソンだったとい
うわけ。ファースト・アルバムがまるで指名手配の”お尋ね
者”のようなジャケットになったのはジェシ精一杯の皮肉で
あった。その後も長らくカナダで音楽活動を続けた彼だが、
77年ジミー・カーター大統領の特赦によって、やっと故郷
アメリカに帰ることが許された。ジェシの心中は一体どの
ようなものだったろう。以降はレコーディングもナッシュ
ビルのクアドロフォニック・スタジオを使ったり、ウィリ
ー・ミッチェルの制作下メンフィスのロイヤル・レコーデ
ィング・スタジオでハイ・サウンドにアプローチするなど、
その音楽はずっと柔らかいものとなった。私はむしろ77年
以降のジェシを積極的に評価しているくらいだ。ソングラ
イターとしていかに彼が優れているかは、イアン・マシュ
ーズが「ビロシキ」を、エミルー・ハリスが「デフィニン
グ・グレヴィティ」を、ニコレッタ・ラーソンが「ルンバ
・マン(ガール)」を、マイク・フィニガンが「ミシシッ
ピ・ユー・ワー・オン・マイ・マインド」を取り上げたこ
とでも証明済みだ。個人的なことで申し訳ないが、ライナ
ーノーツも『ジェシ・ウィンチェスター』(ワーナー)と
『ラヴ・フィリング・ステイション』(芽瑠璃堂)の2枚
を書かせて頂いた。ばっちり気合いを入れて書いたのでも
しよろしければ読んでみてください。そのライナーで私が
書いたのはジェシのキャリアばかりでなく、彼と同時代を
生きたアメリカの小説家ティム・オブライエンのことだっ
た。オブライエンの代表作『本当の戦争の話をしよう』で
彼が告白しているように、オブライエンもまたジェシと同
じく徴兵を逃れて国外追放された経歴を持つ。従って触れ
ないわけにはいかなかったのであった。そんなジェシであ
るが、癌のため2014年に亡くなってしまった。挙げた音源
は彼の遺作から。晩年には愛情に満ちたトリビュート・ア
ルバムが作られ、またその印税が彼の医療費に当てられた
が、私たちファンの願いは叶わなかった。この「今ぼくた
ちが持っているすべて」を耳にしていると、かつて厳しい
逃亡生活を送った者が歳月を経て、春風のように優しい眼
を宿しているのが解るだろう。最後にオブライエンの言葉
を引用する「かつて私はコーラとビーンズとベースボール
を愛するごく平凡な少年だった。ごく普通に青年期を送り、
ガールフレンドを得て日曜日の夕方には近所の野原を散歩
するまっとうな人生を望んでいた。しかしある日突然、そ
の機会はヴェトナム・ウォーとともに奪われてしまった」


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by obinborn | 2016-01-28 17:46 | Comments(0)  

さらば、書泉グランデ

昨日書泉グランデの問題点を指摘したら、それなりの人数の
賛同を得ることが出来た。むろんオレと違う考え方の人や関
心のない人やあえて抵触しない人たちもいるのだろうが、か
つてはスルー出来た問題が今現在では社会のすぐ側でオレた
ちの足元を揺さぶっていることは覚えておいたほうがいいだ
ろう。そこで諦観を決め込むことは選挙に行かない無関心層
と同じで、ここにある現実を容認してると受け取られても仕
方ない。ごくたまに「オマエは音楽評論家なのだから音楽の
ことだけを書け!」と言う人がいるのだが、冗談じゃない。
オレは音楽評論家である前に、きちんと税金を収めている社
会の構成者の一人だ。そういう意味ではオレが実際に知って
いるミュージシャンが三人賛同してくれたのはとくに心強い。
その意識を自身の音楽に反映させるかどうかは個々によって
アプローチは勿論違う。ただもうこの時代に「音楽と社会問
題とは関係ない」とする見方はあまりにナイーヴ過ぎるので
はないだろうか。これからあとどの位自分が現役で社会と関
われるのかは解らないが、一定の団体に所属する形ではなく、
個人の思いとしてオレは物を言っていこう。ボウイの77年作
『ロウ』はオレが浪人していた18歳の時に最もよく聞いたア
ルバムだ。こうした鋭い音楽を若いうちに聞いておいて良か
った。むろん書泉の事件とボウイとは直接関係しないが、オ
レのなかにくすぶっているものを今なおはっきり思い起こさ
せてくれる。

註:書泉グランデ問題
シリア難民を揶揄し「難民になって金を貰おう!」など極端
な排外主義を掲げる漫画家はすみとしこ氏のトーク&サイン
会を2月に書泉グランデが行う予定だったが、批判が殺到し
1月27日にイベントの中止が伝えられた。


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by obinborn | 2016-01-28 10:27 | Comments(0)  

3月12日の佐野元春

12日は佐野元春デビュー35周年アニヴァーサリーの前夜祭
となるキックオフ・パーティを恵比寿のリキッドルームで。
コヨーテ・バンドを従えたライブが第一部、気鋭の噺家で
ある立川志らべによる落語を手始めに、彼と佐野とのトーク
・セッションを行ったのが第二部と、会場はファン・ミーテ
ィングの如く和やかなムードへと包まれた。何でも志らべは
長年の佐野ファンらしく、楽曲から雑学までを縦横無尽に取
り込んだ噺で楽しませてくれた。トーク部分では「佐野さん
は吉野家の牛丼食べたことあるんですか?」というツッコミ
も(笑)

ライブのほうはコヨーテ・バンドに大井”スパム”洋輔のパー
カッションが加わる編成で、「誰かが君のドアを叩いている」
を珍しくオープニングに選び、次に「ポップ・チルドレン〜
最新マシンを手にした陽気な子供達」を繋げるという意表を
付いた展開! 92年の『SWEET 16』アルバムに収録された
この2曲がレアだった。それでも3曲めには佐野の楽曲のな
かでも最も政治色が濃厚な「国のための準備」が演奏される
など、現在の日本に漂う不穏をしっかり届けた(実際為政者
はいつだって甘い言葉で巧みにぼくたち大衆を操るのだ)

コヨーテ・バンドの緊密な演奏を聞いていると、今現在の佐
野が幾度めかの沸騰点に達しつつあることを実感出来る。彼
はデビュー以来常に一貫してバンド・サウンドを掲げてきた
が、コヨーテ・バンドと合流してからはや7年近くになろう
としている。この夜は佐野がコヨーテ・バンドとともに取り
組んだ作品として3枚めとなる新作のリリースも告知された
。ご本人に聞いたところによると、レコーディングはほぼ終
わり、今現在は(詰めの重要な作業である)ミックス・ダウ
ンを行っているとのこと。『BLOOD MOON』とネーミング
されるらしいその新作が今から楽しみだ。

それにしても思う。自分は一体何が好きで佐野元春を聴いて
きたのだろうと。帰りの電車に揺られながら、ぼくは彼の35
年の歩みを考えていた。同時に自分が通り過ぎてきた歳月の
ことを考えていた。

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by obinborn | 2015-03-13 11:28 | Comments(2)  

ボブ・ディラン 『SHADOWS IN THE NIGHT』

ボブ・ディランの新しいアルバムはスタンダード・ソング集になる
らしいよという噂から始まり、今それがフランク・シナトラに因ん
だ曲ばかりを歌ったものとして届けられると、ちょっと目眩がして
しまう。予想出来なかった展開というわけではない。21世紀に入って         からのディランは自分の人生を総まとめするかのように、彼の栄
養となったブルーズやゴスペルに敬意を払ったアルバムを作り、自
分の独創性を発露するというよりはルーツ・ライクな姿勢に徹して
きたから、その一環としてシナトラのようなポピュラー・ソングを
歌っても不思議ではなかった。いわば本作は広範なアメリカ音楽に
対するディランの感謝のひとつであり、少し前にクリスマス・アル
バムを作った延長のようなものだろう。

ただ今から半世紀前の1965年にディランがシナトラを歌う日が来る
とは誰も予想出来なかったと思う。当時台頭してきたフォークやロ
ックという音楽はいわば従来のポップスに対する反逆児であり、デ
ィランが『セルフ・ポートレイト』や『ディラン』といった自分の
アルバムでエヴァリー・ブラザーズやエルヴィス・プレスリーのバ
ラードを取り上げただけでも70年代には随分非難された記憶が筆者
にはある。しかしながら日本に限っても、岡林信康が美空ひばりへ
の共感を示し、吉田拓郎の「襟裳岬」を森進一が大ヒットさせ、は
っぴいえんど解散後の松本隆は歌謡曲の作詞家としてビッグセラー
を飛ばす。今や佐野元春も雪村いづみとコラボレイトして素晴しい
歌を共にしたり、雪村の過去の音源を掘り起こし監修するような時
代。狭義の音楽ジャンルはどんどん溶解しつつある。

そうした幾つかの音楽勢力地図を振り返ってみると今のディランが
ポピュラー・ソングを歌う心持ちが自ずと見えてくる。ぼくが中学
生となり物心が付き始めロックに目覚めた頃、両親が聞いていたク
ラシックや歌謡曲は唾棄すべきものだった。フォークやロックこそ
が自分の気持ちを代弁してくれる尊い兄貴のような存在であったか
ら。しかしながらそんなアティチュードが長続きするわけもなかっ
た。とくに自分がかつて反抗していた頃の両親の年齢を超えたり、
そのうちの一人が今やもう永遠に語ることも出来ないとなれば、な
おさらだ。だからぼくはディランの『SHADOWS IN THE NIGHT』
を愛おしいホーム〜家庭のような作品として聞いている。

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by obinborn | 2015-02-14 00:39 | Comments(0)  

ウォーレンさんの窓辺から

ウォーレン・ストームもまたルイジアナのスワンプ・ポップを代表する
シンガー&ドラマーだ。
彼の50年代のキャリアはまた別の機会に譲るとして、今回はストームが
80年にリリースしたアルバム『Sincerly』に触れておこう。

というのも今をときめくサニー・ランドレスが本作に参加し、ドブロや
エレクトリック・スライドで大活躍しているから。
私がランドレスの名前を初めて知ったのは確かジョン・ハイアット『Slow Turning』
だったと思うが、それと前後してルイジアナのケイジャン・バンド、
ボーソレイユのアルバムでそのプレイを聞くようになった。

白眉はボビー・チャールズ(ストームとは高校が同級)の「Tennessee Blues」
だろうか。ゆる〜く、されど粘っこいフレーズを醸し出すランドレスのギターが
味わい深い(最近の彼は弾き過ぎだと思う)。

他にはチャック・ベリー「Roll Over Beethoven」、ジェリー・リード作でマイク・
フィニガンの名唱でも知られる「Misery Loves Company」、デイヴ・エドモンズ
もファーストで演奏していた「I'm A Lover Not A Fighter」(ここでは作者がプロ
デューサーのジェイ・ミラーになっている)辺りに注目を。フロイド・クレイマー
風のゆったりとしたピアノが聞ける「I'm Busted」もなかなかの出来。

どこまでも迂回しながら地続きでしかないような気持ち。
昨日見た窓を今日もまた見つめるという諦観のようなもの。
溜め息もまた深呼吸と同じような苦い伴侶なのだ。
そのような感情にストームの音楽はきっと寄り添っていくことだろう。

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by obinborn | 2012-05-02 21:36 | Comments(0)  

いいベーシストとは何だろう?

やはりリーランド・スクラーはいいベースを弾くなあ。
オイラ、これを聞くと泣けてくるよ。


there are ladies in my life
lovery ladies in these lazy days
and through i never took a wife
may i say that i have loved me one or two
of the people in my past
fading faces in a waking dream
and through they never seemed last very long
there are faces i remember
from the places in my past

i said all the dead head miles
and the insincere smiles
sometimes i can laugh and cry
and i can't remember why
but i still love those good times gone by
hold on to them close or let them go
i don't know i just seem to sing these songs
and say i'm sorry for the friends i used to know

かつてスクラーが荒井由実の『14番目の月』にフルで参加した時、
松任谷正隆はスクラーについて「古いタイプのベーシストかもしれ
ないけれど好き」との旨をラジオで語っていたと記憶しているが、
彼の言わんとすること(註1)はとてもよく解る。

もう少し説明したいけど、それは原稿に書くことなのでがまんがまん(笑)。


註1「言わんとすること」
そもそも古いとか新しいとかの判断が帰属する世代や個人の感覚によって
異なるので、言葉に左右されずに斟酌する必要がある。ジェイムズのこの
録音は71年の1月から始まっているが、メロディを丁寧に拾い上げ、柔ら
かく流れるようなベースを弾いたスクラーは、当時かなり斬新な存在だった
はず。恐らく松任谷氏は76年の9月になってからスクラーを呼び寄せた自分
自身に対するいささかの自嘲や照れを言い含めていたのでは。
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by obinborn | 2012-04-10 19:50 | Comments(0)