カテゴリ:rock'n roll( 364 )

 

髭スワンプのボビー・ランスさん

ボビー・ランスは71年の『ファースト・ピース』は持っていま
したが、72年のセカンド『ローリン・マン』は先日大阪出張の
際やっと入手することが出来ました。前作はマスル・ショール
ズでの録音で、バリー・バケットやフッド=ホウキンズなどい
わゆるスワンパーズと合流して作られたもの(デュエイン・オ
ールマン参加説あり)でしたが、『ローリン・マン』では一転
してニューヨークのアトランティック・スタジオでのロケーシ
ョンが組まれました。前作のようにスタジオメンの力を借りる
のではなく、無名ながらも自分の仲間たちとともに録音した点
に好感が持てます。ヴァン・モリソンでいえば、彼が自分のバ
ンドで臨んだ『ヒズ・ストリート・クワイア』にも通じる”親和
力”がポイントですね。

所属レーベルもコテリオンから親会社のアトランティックへと
移籍(昇格?)し、レコード会社から期待を寄せられていた当
時の様子が伺えます。自らギターやピアノを弾くランスですが、
やはりその強烈に泥臭いヴォーカルが最大の魅力でしょう。70
年代前半は彼のようなダミ声の持ち主が、ロック・シーン全体
のダウン・トゥ・アース志向と相俟って脚光を浴びましたが、
ランスもまたそんな一人でした。前作でのこなれた名人芸と違
い、より求心力を増した歌が全編にビシバシと漲っています。
ちょっとメロウなコード感のあるLAST STOP CHANGE HAND
Sではイントロのギター・ハーモニクスから思い切り気持を持っ
ていかれますし、ゴスペル・ライクなHE PLAYED THE REALS
での希求するかのような感情表現も見事。そしてスライド・ギ
ターが炸裂するブギウギ・ロックンロールのYOU GOT TO RO
CK YOUR OWNの骨太な味わいはまさにランスの真骨頂であり、
レコーディング・スタジオの熱気が伝わってくるようです。

残念ながらランス本人の詳しい経歴は不明ですが、契約レーベ
ルから想像するに、かのジェリー・ウェクスラーに見出された
たのかもしれませんし、彼の出資協力を得てキャプリコーン・
レーベルを設立したばかりのフィル・ウォルデンの審美眼に
叶ったという可能性もあります。いずれにしても、今ではもう
滅多に出てこない”真性スワンプ”の記録がここにはあります。
マスル録音の『ファースト・ピース』のほうが人気は高いよう
ですが、そうした話題抜きに自分のバンドで勝負に出たこの
『ローリン・マン』に、ランスの男気を感じずにはいられませ
ん。個人的にはボビー・ウィットロックの『ロウ・ヴェルヴェ
ット』(これも自分のバンドでの録音)と並ぶ愛聴盤になりそ
うです。ローウェル・ジョージを彷彿させるランスの髭面も最
高!きっとこれからも髭スワンプの知られざる名盤として語り
継がれていくことでしょう。

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by obinborn | 2016-07-16 16:11 | rock'n roll | Comments(0)  

7月14日のツル&ザ・シスター・レイ/サーディン・ヘッド

14日は元住吉のPOWERS2にてツル&ザ・シスター・レイと
サーディン・ヘッドのツーマン・ライブを。まずはシスター
・レイのノイジーでパンキッシュな演奏にヤラれた!バンド
名から容易に想像出来るように、彼らはヴェルベッツやルー
・リードに倣った大音量ロックを炸裂させた!しかし単なる
轟音には終わらず、ツルのギター・パートひとつ取っても考
え抜かれた経験値を感じさせる。とくにヴェルベッツWhat's
Goes Onの痙攣するようなビートは、60年代のN.Yファクト
リーにあった鋭さを運んでくるかのようだった。

対するサーディン・ヘッドは、筆者が現在最も注目している
ジャム・バンドだ。二本のギターの駆け引きと多彩なビート
を繰り出していくリズム・セクションは、ときに激しくぶつ
かり合いながら、ときに息を呑むようなメロディックな輪郭
を共有しながら、スリリングな音模様をどこまでも自由に描
き出す。最も叙情的な曲Blow Rippleでコーラスが加わる以外
はすべてインストゥルメンタルなのだが、デッドのDARK S
TARやクリムゾンの『太陽と戦慄』に幻惑されたかつての音
楽少年は、サーディンが放出し続ける雄大かつ繊細な音の塊
に今日も心震わせたのだった。彼らは一体どんな音楽を聞い
て育ち、どんな演奏にインスパイアされてきたのだろう? 
いつかそんなことを四人と語り合ってみたい。

アンコールでは先に演奏したシスター・レイのツルをステー
ジへと呼び戻したサーディンが、ツルとともにデヴィッド・
ボウイのHang on YourselfとHeroesの2曲を演奏。とくに
テンポを落としながら迫る後者では、三人のギター奏者が
ソロ・パートを分け合うなど、この夜ならではの感動的な
場面が繰り広げられていった。

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by obinborn | 2016-07-15 06:12 | rock'n roll | Comments(0)  

追悼:スコティ・ムーア

スコティ・ムーアが亡くなったことをRollingstoneのTWで
知った。84歳だった。言うまでもなく50年代のエルヴィス
をビル・ブラック(b)、D.J.フォンタナ(ds)とともに支え
たギタリストであり、ロカビリー〜ロックンロールに与え
た影響力は計りしれない。例えばジョン・フォガティやデ
イヴ・エドモンズのギター奏法ひとつ取っても、ムーアや
マール・トラヴィスやチェット・アトキンスなしには成り
立たないほどのものだった。

以前ムーアに電話インタビューしたことがある。確か90年
代に彼を囲むトリビュート・ライブがリリースされた時だ
ったと記憶する。その時「64年に出たあなたのソロ・アル
バムを持っています」と伝えたら、ムーアが「きみは熱心
なコレクターだね!アメリカ人にとってもこのレコードは
レアなんだよ」なんてお世辞を言ってくれたっけ。

ナッシュヴィル・カントリーの名プロデューサー、ビリー
・シェリル(コステロ『ALMOST BLUEも!)を迎えたそ
の『THE GUITAR THAT CHANGED THE WORLD!』は、
「ハウンド・ドッグ」や「冷たくしないで」といったエル
ヴィス縁のヒット曲をインストに翻訳したもので、まさに
ムーアが奏でるギターの色艶を堪能出来る聖典だ。

そのアルバムの裏面にはこんな記述がある「彼らは旅に出
たけどいつも傷心だった。ツアーで稼いだお金はガソリン
代に消えた。そう、エルヴィスたちはスコティのおんぼろ
車で旅をしたのさ。彼らの稼ぎは一晩65ドル。そのうち12
ドルをエルヴィスが受け取った。スコティとビルは6ドルず
つだった。やがてスコティの車が壊れると、エルヴィスが
やっと中古のリンカーンを買えたんだよ…」

そんな50年代のメンフィスの日々に思いを馳せると、どう
しようもなく感慨が押し寄せてくる。誰も歩かなかった道
を彼らは歩き、その轍には後進たちが続いていった。偉大
なるシンガーの隣では、いつも名脇役がしっかりギターを
弾いていた。その人の名はスコティ・ムーア。私はこれか
らも彼のことをけっして忘れないでしょう。今まで本当に
ありがとうございました。

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by obinborn | 2016-06-29 18:00 | rock'n roll | Comments(0)  

ディノ・ダネリのこと


「ディノ・ダネリのドラムスにはスタジオ・ミュージシャン
にはけっして出せない奔放さがある」武蔵小山のレコード店
ペットサウンズの森勉さんが、そうお書きになられていたの
を読んだ時、ああ、この人は本当にラスカルズを愛されてい
るんだな、と心底嬉しく思ったことがある。

1960年代にはザ・バーズの「ミスター・タンブリンマン」の
ように、メンバーのマイケル・クラークではなく、スタジオ
集団レッキング・クルーのハル・ブレインが”虎”となってド
ラムスを叩いているようなケースが少なくなかった。まだ音
楽ビジネスが未熟であり、ミュージシャン自身が主導権を握
るような状況はなかった。

そんな時代のなか、66年にデビューしたヤング・ラスカルズ
は健闘した。アトランティックという自覚的なレコード会社
と、トム・ダウドやアリフ・マーディンといった優秀なスタッ
フに彼らは恵まれた。でもそれだけのことではない。自分たち
の歌を自分たちの演奏で届けたい。そんな想いはニューヨーク
周辺のクラブ・サーキットでトップ40を演奏しながら修行を
積んだメンバーたちのプライドでもあっただろう。しかも彼ら
の場合、フェリックスがハモンド・オルガンのフット・ペダル
で低音部を支えていたから、専任のベース・プレイヤーはいな
かった。ベース奏者が示す明確なラインなしで、ドラムスに向
かっていったディノ・ダネリは一体どんな心持ちだったのだろ
う。

アルバム『COLLECTIONS』は「ダンス天国」でB面の最後を
閉じる。その演奏のなか、ヴォーカルのエディ・ガバルッティ
がメンバーを紹介していく。そう、「オン・ドラムス、ディノ
!」「オン・オルガン、フェリックス!」といった具合に。
それはとても誇らしい光景だった。ぼくがかつてリンゴ・スタ
ーやチャーリー・ワッツのドラムスに心揺さぶられたのと同じ
ように、ディノは情熱とともにしっかりバスを踏み、スネアを
刻み、ここぞという展開でトップ・シンバルの音を高らかに鳴
らしている。

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by obinborn | 2016-06-06 00:45 | rock'n roll | Comments(0)  

ヤング・ラスカルズと私

昨日はダスティ以外にも3枚ほど買ったんだけど、とくに
嬉しかったのは、ヤング・ラスカルズの『COLLECTION』
だった。1966年にシングルGood Lovin'でデビューした彼
らは、全米一位に輝いたその曲を収めたアルバムをリリー
スした後、あまり間髪を置かずにセカンド作『COLLECTI
ON』のレコーディングに取り組む。前作同様まだまだカバ
ー曲が多く、ここでもクリス・ケナーの「ダンス天国」や
マーヴェレッツの「海のなかには魚がいっぱい」あるいは
バディ・ジョンソンのSince I Feel For Youといった演目に
頼っている。そのクラブ・バンド然とした匂いはパブ・ロ
ックを愛する者の一人としてむろん大歓迎!それでもこの
アルバムの価値は優れたオリジナル・ナンバーにあると思
う。メンバーのフェリックス・キャヴァリエとエディ・ブ
ルガッティが共作したWhat Is The ReasonやLonely Too
Long、そしてLove Is A Beautiful Thingは、以後も長らく
ラスカルズのステージを支え続ける名曲となった。

イタリア系のアメリカ人としてニューヨークに育ったラス
カルズのメンバーは、人種差別に対してもヴェトナム・ウ
ォーに関しても敏感に反応していった。やがて生まれた
「希望の光〜A Ray Of Hope」は、混迷する時代に投げか
けられた架け橋となる。チャック・ベリーやレイ・チャー
ルズの自伝映画でも描かれていたように、60年代に於いて
はライブ・コンサートに入場出来ないアフロ=アメリカン
たちが多くいた。シスター・ロゼッタは乗るバスのシート
に差別があることに抗議した。ガーランド・ジェフリーズ
は自分を乗せようとしないタクシーが、次の角で白人を招
く場面を目撃している。その傷付いた心はどれほどのもの
だっただろうか。

「ぼくたちラスカルズは黒人を規制する会場では、もう二
度と演奏しない」フェリックスはそう発言し、その結果と
して彼らは活動を制限され、袋小路へ追い込まれ、いつし
か解散してしまった。ブラック・ミュージックから恩恵を
授かり音楽の道を志したイノセントな若者たちが、やがて
暗い時代へと吞み込まれていく。音楽を聞いていてダンス
するハピネスと同じくらい、悔しさや罪悪感を噛み締める
のはいつもそんな時だ。

まだ20代半ばだったフェリックスはWhat Is The Reason
でこう歌っている「恋に落ちるのに理由なんてないよね!」
と。そのごくシンプルな歌詞が、聞き手たちの経験を伴い
ながら、もう少しだけ重層的な表情を帯びていく。ヤング
・ラスカルズはぼくに、自分が何故ロック音楽を好きにな
ったかを、今も鮮やかなまでに思い起こさせてくれる。

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by obinborn | 2016-06-05 14:33 | rock'n roll | Comments(0)  

ポールは歌う「あの頃に戻ろうよ」と

1日は都内で音楽仲間との懇親会を。いやあ〜楽しかった!
みんな歳を喰ったとはいえ、好きだった音楽に対して心を開
き、互いに語り合っていく。遠慮もなければ社交辞令もない。
そんな時間をたっぷり過ごした。とくにTさんが回す『LET
IT BE』が良かった。このアルバムこそは、ぼくがカーペンタ
ーズとともに洋楽への扉を開けてくれた作品だったから。今
でこそグリン・ジョンズが辛抱強く、この分裂寸前のカルテ
ットの演奏にテープを回していたことが解るけれど、当時の
ぼくは何の意味も解らず、ただひたすらこの作品を、正確に
はラジオを通して聞いていた。マットレスでバスドラのキッ
クを抑えたドラムスが好きだった。ハンブルグ時代のロック
ンロール曲One After 909を、虚飾なく演奏する姿が好きだっ
た。そしてポールはこう歌っていた「あの時代に戻ろうよ」
と。

ぼくが若かった頃はそんなGet Backの意味さえ、ないがしろ
にしていたと思う。傲慢だった。怠慢だった。人の気持に対
してあまりにも鈍かった。メンバー全員がまだ20代後半だっ
た頃、もうけっして元には戻れない関係を予感していた四人
の心模様を思うと、今も胸が張り裂けそうだ。

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by obinborn | 2016-05-02 01:30 | rock'n roll | Comments(0)  

私は明日もきっとその人の名を呼ぶだろう、ウィルコ!と。


川越のパブロック・ナイトは熱狂だった。私より遥かに若い
娘さんたちが、LPやシングルでパイレーツやブリンズリーや
エディ&ザ・ホットロッズなどを回していたのだから、思わ
ず頬が緩んでしまった(笑)やはりミッシェルガン・エレファ
ントの影響でこういう音楽に目覚めた世代なのだろうか?きっ
かけがどうであれ、パブロックが今なおこうして愛好されてい
る事実がもう嬉しくって。思えばシンプルなビート・ミュージ
ックやルーツ音楽は、とりたてて新しくない代りにけっして古
いわけでもない。そんな意味では間違いなく時代を超越したホ
ンモノというわけ。私が心から良いと思い、ずっと文章を書い
てきたパブロックは間違ってはいなかったのかも。

私の好きなパブロックの名盤は、勿論数え切れないほどある。
そのなかでも70年代中盤という時代背景を考慮しながら、あえ
て一枚を選ぶとしたら、私は何の迷いもなくドクター・フィー
ルグッドの『STUPIDITY』を差し出すだろう。まったくギミッ
クのない演奏と、キャンベイ・アイランド(ロンドンを挟んだ
対岸の工業とリゾートのエリア)出身の四人組ならではの、中
央に対して反抗するスピリットが見事なまでに捉えられている。
以前から音や映像で親しんできたリー・ブリローとウィルコ・
ジョンソンとの友情が感じられる良き日々だ。しかもその関係
が歳月とともに次第に綻びを見せ始め、崩壊していく様が切ない。

この『STUPIDITY』は何と76年の10月に英国のアルバム・チャ
ートで第一位に輝いた。産業化するばかりだったロック・カル
チャーに怒りを表明したこの若者たちが愛した音楽は、この盤
でカバーされた曲のシークエンスで言うと、チャック・ベリー、
ソロモン・バーク、ボ・ディドリー、ルーファス・トーマス、
コースターズ、サニーボーイ2世だった。今私が言いたいこと
はそれほど多くない。あえて言えばこうかな「ウィルコさん、
リー・ブリローが早死したぶん、黒色のテレキャスターをずっ
と鳴らし続けてください!」

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by obinborn | 2016-04-26 18:35 | rock'n roll | Comments(0)  

モンキービジネスの住人たちに

音楽出版に長らく携わっていると、いわゆる業界のイヤな部分
が見えてきてしまう。私が一番悪癖だなと思うのは対象アーテ
ィストのライブに足を運びもしないくせに、彼や彼女の新作に
”今が旬!”とばかり飛び付き誉めまくるというパターンで、こう
いう人達はもういい加減駆逐されて欲しい。こんなこと書くの
も私がある一定の音楽家たちのライブには誰にも負けないくら
い通っているからであり、たった一回それも”レコ発”のような
時のイベントに来ただけで、そのミュージシャンの全体像を解
った風に書かれると、ホント不愉快な気持になってしまう。む
ろん第一印象による客観的な音楽批評は必要なのかもしれない。
しかしながらそこに音楽する演者への理解がなければ、それは
単なるゴミ〜雑文であろう。そもそも私は業界的な馴れ合いが
好きでなく、そういう”どっぷりな”人達とはなるべく距離を置
いてきた。その哲学はごくシンプル。私はこう言いたい「好き
なら書くがいい。それほどでもないなら書くな!」

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by obinborn | 2016-04-18 02:20 | rock'n roll | Comments(0)  

かつて辿って来た以上の自由〜『サタニック・マジェスティーズ』

あまり報われることのなかった『ビトゥイーン・ザ・バトン
ズ』を経たストーンズの次なるステップが67年の暮れにリリ
ースされた『サタニック・マジェスティーズ』だった。『バ
トンズ』のベーシックな録音が西海岸のRCAスタジオでスタ
ートしつつも、最終的にはグリン・ジョンズのエンジニアリ
ングによってロンドンのオリンピック・スタジオで仕上げら
れたように、『サタニック』の録音もジョンズの元、同スタ
ジオで行われた。以降『ベガーズ』や『ブリード』といった
傑作がオリンピックで生まれたことを思えば、その基礎固め
となったアルバムという見方も出来るだろう。但し発売当時
の評価は『サージェント・ペパーズ』の物真似ではないか?
と散々たるものだった。ルーツ・ロック指向の筆者自身、長
いこと邪道だと思い込んでいたフシがある。しかし何度も丁
寧に聞き直すうちにそんな認識がいかに浅はかなものである
か解ってきたのだ。冒頭を飾るSing This All Togetherの主旋
律の最後にNow~と突如中近東的な音階が飛び出し、タブラ
が打ち鳴らされるエスニックな展開などまさに象徴的だろう。
アラブ~中近東的なアプローチとしては、Gomperのシタール
も聞き逃せない。ここら辺は同時期のジョージ・ハリソンや
ドノヴァンといった英国アーティストのみならず、デヴィッ
ド・リンドレーが在籍したサイケデリック・グループである
アメリカのカレイドスコープとも共振した”非西洋圏音楽”へ
の思いが聞き取れる。楽曲としてはやはりB面のShe's A Ra
inbowと2000 Light Years From Homeがとくに印象的だ。
89~90年のスティール・ホイールズ・ツアーで後者がリスト
に加わったことに狂喜された方も少なくないのでは?両者と
もにサマー・オブ・ラヴの時代ならではのカラフルな色合い
とスペーシーな広がりのあるサウンドが素晴しい。また隠れ
た人気曲としてはThe Lanternのフォーキーな味わい、Citad
elでのエッジの効いたギターも極上のトリップへと誘ってく
れる。前述したShe's A Rainbowは90年代にアップル・コン
ピュータのCMソングとして甦り、若いコに「誰の曲ですか
?」なんて尋ねられたっけ。その編曲はレッド・ツェッペリ
ン結成以前のジョン・ポール・ジョーンズであり、彼がミッ
キー・モストに雇われてドノヴァンの音楽を押し広げていた
ことも同時代ならではの符合であろう。全編でキラキラとし
たピアノを弾くニッキー・ホプキンスの存在も、以降暫くス
トーンズに欠かせないものとなった。英米で初めて曲目のシ
ークエンスが一致したこの『サタニック』について、ミック
・ジャガーはこんな風に回想している「ぼくたちがShe's A
RainbowとCitadelと2000 Light Years From Homeをレコー
ディングした時、かつてぼくたちが辿ってきた道のり以上の
フリーキーな精神を感じたのさ!」

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by obinborn | 2016-04-07 18:49 | rock'n roll | Comments(2)  

Rolling Stones /After-math

66年の4月にリリースされた『アフターマス』はこれまで
多くのカバー曲を取り上げてきたストーンズが、初めてジ
ャガー=リチャードによるオリジナル曲のみで構成したア
ルバムとして話題になった。グループとしては4作目のLP
であり、全曲がロスアンジェルスのRCAスタジオで録音さ
れている。これまでも渡米した際はチェスとともに愛用し
てきたRCAスタジオでの作業がより熟れてきた過程であろ
うか。同地のエンジニアであるデイヴ・ハッシンジャーが
裏ジャケットにストーンズとの出会いを記す序文を寄せて
いることも象徴的だ。何と言っても強調したいのは各種楽
器を操るブライアン・ジョーンズの活躍であり、珠玉のバ
ラードLady Janeでのダルシマーや、Under My Thumbでの
マリンバの響きがサイケデリアの時代を彩り、67年の12月
に発表された記念碑『サタニック・マジェスティーズ』を
予見させている。その一方ではFlight 505やIt's Not Easyと
いった従来のR&B〜ロックンロール、ブライアンのスライ
ド・ギターが冴えるブルージーなDoncha Bother Meといっ
た楽曲もあり、先進性とルーツ回帰との間で揺れ動く66年
ならではの彼らの姿を克明に捉えている。モータウン・サ
ウンドと同じように一拍目のスネアを強調したStupid Girl
と、68年の『ベガーズ・バンケット』にも通じるカントリ
ー・ブルーズ曲High And Dryを対比させても、チャートバ
スターと老ブルーズマンとのような取り合わせだ。またス
トーンズとしては初めて11分半を超える長尺ジャムとなっ
たGoin' Homeには当時台頭してきたフリートウッド・マッ
クやチキン・シャックといった英ブルーズ・ロックの影響
を感じずにはいられない。アルバム・タイトルのAFTERM
ATHとは文字通り「余波」という意味であり、まさに66年
というニューロック勃興期の空気に晒された彼らの姿が映
し出された貴重な作品集となった。本作からはMothers Little
Helperが66年の7月に全米8位、Lady Janeが同年8月に24
位へとチャート・イン。なお余談になるが、諦観に満ちたOut
Of Timeはハル・アシュビー監督の映画『帰郷〜Coming Ho
me』に使用され、ヴェトナム戦争に翻弄される主人公たち
の気持を汲み取っていた。

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by obinborn | 2016-04-07 07:35 | rock'n roll | Comments(2)