カテゴリ:rock'n roll( 359 )

 

抵抗の歌


ぼくがWay of Life(人生の選択)を巡って出入り禁止〜お前
は二度とウチに来るな!を伝えたのは意外にもこれまでわず
か一人だけ。彼とは二度ほどSNSでモメた。まず一つめは数
年前の冬に山梨県が大雪で閉じ込められていた時の最高指令
官の動きについてだった。彼がはっきりと首相を揶揄したこ
とに対し、安倍ちゃんだって赤坂で鮨を食べる権利はあるだ
ろうとぼくが反論した。安倍首相なんてちっとも好きではな
いけど、皆で寄って集って批判することに違和を感じたまで
だった。最高の司令官なら現地で雪かきすれば?と戯画で伝
えるポスターに喝采を叫ぶ連中にも付和雷同的な不気味さを
感じた。二つめは「いいね!」のあり方に対する認識の違い
だった。自分が参加するわけでもないライブやイベントにや
たらいいね!しまくる彼の存在には当時から軽薄さを感じて
いたのでその旨を本人に伝えた。彼は応援という気持を込め
ているらしいが、ぼくの場合は(とくに日本人通しだと)
相手が期待してしまうぶん、無闇やたらにいいね!を押せな
いのだった。いや、本当に応援してるんだったら黙ってその
アーティストのライブに行くのが一番いいと思う。むしろぼ
くは行けないライブに「いいね!」してしまい激しく後悔し
たことがあるくらいだ。こればかりは感性の違いだろう。
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by obinborn | 2016-02-24 18:17 | rock'n roll | Comments(0)  

個人的な歌が世界を変革する

昨夜NHKで『60年代:若者たちの反乱』を観た。キューバ革命、
東西ベルリンの隔離、ヴェトナム戦争、ソ連のチェコへの介入、
中国の文化大革命などの史実をフィルムで追ったもので、コマ
切れの感は否めなかったものの、それでも当時を知らない世代
には十分衝撃的だったろう。わけてもデヴィッド・ボウイが西
独でのライブで「ヒーローズ」を歌ったシーンは圧巻だった。
「ぼくたちは一日だけ英雄になれる/世界を繋ぐものが何一つな
くても/ぼくは王できみは女王だ/銃弾が空を飛び交うなか/恋人
たちは永遠のキスをする」と歌われるこの曲が、東独の若者た
ちにも伝わり、これがベルリンの壁を打ち砕く原動力になった
とされている。但しボウイ自身はこの曲の政治的意図を否定す
るばかりか、当時ドイツ人の女性と不倫関係にあった友人のた
めに作った歌だと告白している。そんな禁断の愛を歌った歌が
ベルリンの壁を壊すきっかけになったのは、ひとえに歌の解釈
がどこまでも自由だということを証明する。ぼくがいつもプロ
テストソングの限界(と音楽的語彙の貧しさ)を指摘するのは
まさにそういうことに他ならない。番組には勿論パリの五月革
命も出てきた。そんな政治の季節に行う映画祭なんかに意味が
あるのか?と煩悶するゴダールとトリュフォーの姿も少しだけ
観られたのは収穫だった。但し、以降どんどん政治色を強めて
いくゴダールに対し、トリュフォーの場合はもっと古典的な映
像美やストーリー性を重視していたようで、このパリ革命は奇
しくもそんな二人の映画青年を分け隔てる事件となってしまっ
た。こんな点にもアートと政治を巡る難しさが露呈していると
思い、胸が痛くなった。


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by obinborn | 2016-02-22 10:04 | rock'n roll | Comments(0)  

吉田拓郎の肖像

昨夜(12日)の『報道ステーション』に出演した吉田拓郎は
立派だった。70歳を迎えた自分のことを偽らず率直に語るそ
の姿に好感を抱いた。とくに印象的だったのは古館アナウン
サーが”歌謡曲とフォークとの対立軸"にハナシを向けた時、
拓郎があっけんからんと「今思えばボクはフォークの側ではな
かったと思うんです。ナベプロからデビューしてジュリーのよ
うになるほうが相応しかったのかもしれません」といった旨を
語っていたこと。もともと彼はもっともらしい言説が大嫌いな
人だった。トライブ(部族)やセクト(派閥)の窮屈さに異を
唱え、”汚いジーパンを履いて歌う”フォークソングの世界を抜
け出し「襟裳岬」や「シンシア」で歌謡曲にアプローチした。
そんな拓郎に対するフォーク原理主義者たちの批判は厳しく続
いたが、彼は何より自分に正直であることを選択した。元々は
故郷の広島でバンドを組み、レイ・チャールズなどのR&Bを
歌っていた人である。そんじょそこらのにわかフォーキーたち
とは音楽の成り立ちが違う。また岡本おさみに作詞を担当させ
た「祭りの後」に関しては、昨夜の番組で「とても20代が背負
える歌ではなかったね」と現在の心情を吐露した。そんな点に
ぼくは拓郎の人間味を感じずにはいられない。そのひとつひと
つの発言に、ユーモアの感情があったこともポイントだ。様々
な誹謗中傷や人気歌手故のねたみやそねみを受けながら、けっ
して屈しなかった吉田拓郎という肖像。いつかの彼にこんな
歌詞があった「自由を語るな、不自由な顔で」あるいは「自然
を感じるなんて、何て不自然なんだろう」イデオロギーという
悪弊にいち早く”アカンベ〜”とばかり背を向け、やっと一人に
なった自分に勝利しながらも群衆とともにいる喜びを願い、
もっと自由であっていいじゃないかと問い掛けたかつての青年。
それらは今もぼくを震わせ、反抗という血潮をこの身体にそっと
打ち付けてゆく。

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by obinborn | 2016-02-14 00:16 | rock'n roll | Comments(0)  

ポール・カントナーと「木の舟」

ポール・カントナーの訃報に接して反射的に思い浮かべたのが
Wooden Ships(木の舟)だった。ジェファーソン・エアプレイ
ンが69年にリリースしたアルバム『ヴォランティアーズ』に
収録されたこの曲は終末思想を歌ったもので、この汚染された
地球を離れ僕たちは木の舟で旅立とうといった内容になってい
る。いかにも当時のヒッピーらしい願望が夢幻的なサウンドと
もに奏でられ、カントナー、スリック、バリンと入れ替わるヴ
ォーカルも曲の表情を豊かにしたが、選民的な現実逃避ではな
いか?という批判もあり、ジャクソン・ブラウンが同曲に反発
して「For Everyman」を書き上げたことは広く知られている。
実際筆者がジャクソンにインタヴューした時も、彼はヒッピー
的なコミュニズムに懐疑の念を抱き、もっと現実を見つめなき
ゃいけない、しっかり社会に目を向けよう!とひどく真剣に語
っていた。カントナー、クロスビー、スティルスの三人が共作
したこの「木の舟」は一般的にはCS&Nのヴァージョンのほう
で親しまれているだろうか。少し気になって『CS&N』のアル
バムを取り出してみたら、カントナーの名前がクレジットされ
ず、単にクロスビー=スティルスのみの表記になっていて驚い
てしまった。些細なことかもしれないが、こんな点にもヒッピ
ー的な夢と音楽ビジネスという現実との落差が現われているよ
うで心が痛い。個人的にはジェファーソン自体よりは離脱組で
あるキャサディとコウコネンによるホット・ツナに肩入れして
いたのでカントナーはあまり意識していなかった。それでもス
リックとともにジェファーソンを旗揚げしたカントナーの退場
に寂しさを覚えずにはいられない。筆者がリアルタイムで接し
たのはスターシップと改名してから。スターシップに関しては
どんどん産業ロック的な音作りになってしまったが、75年の
『レッド・オクトパス』や76年の『星船〜スピットファイア』
辺りはまだ往年のシスコ・サウンドらしい自由な気風、おおら
かなノリ、音楽で結ばれた友情のようなものがあり、本当によ
く聞いたものだった。そうそう、映画『オルタモントの悲劇』
で暴徒化するヘルス・エンジェルズを必死になだめようとして
いたのはカントナーではなかっただろうか。そんなことを突然
思い出したら涙がこぼれてきた。


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by obinborn | 2016-01-29 15:06 | rock'n roll | Comments(0)  

追悼:グレン・フライ

「最初にアラバマを訪れたのは71年。ぼくはエディ・ヒントン
からギターの手ほどきを受けた。それはボビー・ウーマック風
の中国的リックと呼ばれるフレーズだった。尊厳溢れる体験だ
ったよ。だからこの曲ではぼく自身がそのギターを弾いてみた」
グレン・フライのI Found Somebodyにはそんなエピソードが
添えられている。彼が現在来日中のジャック・テンプチンとと
もに書き上げた曲だ。そのフライが18日合併症のためニューヨ
ークの病院で亡くなった。67歳だった。

デトロイトに生まれた彼はいつしかロスアンジェルスを目指し、
ジョン・デヴィッド・サウザーとともにロングブランチ・ペニ
ーホイッスルを69年に結成。これがプロとしての第一歩だった。
日々トゥルヴァドール・クラブなどで切磋琢磨していたフライ
はやがてドン・ヘンリーと出会い、彼らはリンダ・ロンシュタ
ドのバック・バンドを務めながら何とか食い繋いだ。やがて互
いを刺激し合う仲となった二人はソングライティングのコンビ
を組む。これがイーグルズの始まりだった。以降彼らが70年
代の西海岸ロックを支える大きな潮流となったことは言うまで
もないだろう。楽天的なヒッピーを気取ったTake It Easyや、
恋人と一夜を過ごすPeaceful Easy Feelingといった初期の代表
曲に、青年期ならではの不安や焦燥が同居していたことを覚え
ておきたい。そんな部分に人々は共感を寄せていった。かつて
ヘンリーは「CSN&Yが俺たち唯一の希望だった」と述懐してい
たが、CSN&Yが解散してからのカリフォルニアのロック・シー
ンを牽引したのはイーグルズに他ならなかった。73年のセカン
ド『ならず者』を西部劇仕立てのコンセプト・アルバムにした
ことも話題になった。作品では無法者ドゥーリン・ダルトンの
生涯が描かれていたが、それがロック・スターという危い職業
に就いている彼らと二重写しになっていたことに抜き差しなら
ない意味があった。また76年作『ホテル・カリフォルニア』の
表題曲では「69年以来そのスピリットは切れたままです」と魂
の不在を嘆き、「駆け足の人生」では現代人の享楽的な生活を
戒めた。

そんなピュアな精神を持っていた彼らだけに、90年代に再結成
してからはまるで産業ロックの偶像のように変容してしまった
のは大きな皮肉だった。いや、そこまで言わなくとも、バンド
の音楽性に幅を持たせたドン・フェルダーを解雇するなど、近
年のフライ/ヘンリーの言動に傷付いた古くからのファンは少な
くない。それはビートルズの昔からSMAPの現在に至るまで、
仲間と始めた楽しいことがビジネスや人間関係とともに異なる
様相を呈してくる苦々しい現実だった。いいコンビだったと思
う。大抵の場合はドン・ヘンリーが思索的な詩人となり音楽に
深みを与えた。もう一方のグレン・フライは陽気なハンサム・
ガイを演じながら「気楽に行こうよ」と呼びかけた。その両軸
がうまく噛み合っていた。仲間たちがそれを支え、テキーラ・
サーキットと呼ばれる豊潤な音楽シーンが形成された。彼らの
歌やハーモニーはローレル・キャニオンに響き渡った。もうあ
の若葉のような季節は戻ってこない。

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by obinborn | 2016-01-19 13:44 | rock'n roll | Comments(1)  

音と見識

13日の朝刊で巻上公一さんが的確なボウイ評を書かれていて
救われた。他の方が自分の仕事との関係からどうしてもボウ
イとの交遊を披瀝してしまう(それも仕方ないけど)のに対
し、巻上さんはミュージシャンとしての観点から冷静に洞察
されていたのが印象的だ。ボウイへの評価は様々あるだろう
が、巻上さんが自分の直截的な感情吐露ではなく、虚構のな
かで物事の屈折率を変えたとの旨を指摘されたことは、ぼく
も極めて重要だと考える。シンガー・ソングライターという
自作自演歌手の場合、とかく彼や彼女が作った歌世界が当人
の個人史を反映したものだと思われがちだが、ボウイはそう
した私的なソングライトを避け、その時々で様々なペルソナ
を立てた。宇宙から地球に落ちて来た男を演じるという初期
のSF的な設定を始め、ベルリンの冷たい壁に立ち尽くす思索
的な男、ファンクのリズムを求めてアメリカを横断する男な
ど、時代時代でボウイは”古い服を脱ぐように”次々と新しいキ
ャラクターを演じたのだった。個人的にはダンス・ミュージッ
ク度が高くなった『レッツ・ダンス』以降は彼への興味をなく
してしまったが、やはり『ロウ』や『ヒーローズ』までのボウ
イは革新的だったと思う。また意外と語られないのだが、ソウ
ル・ミュージックに接近した『ヤング・アメリカンズ』や『ス
テイション・トゥ・ステイション』ではヴォーカリストとして
の魅力が炸裂。その音域の広さに驚いたものだった。この時期
の作品はボウイにいつまでもグラム・ロックのイメージを求め
るファンから反発されたが、過去の自分の肖像を大胆に塗り替
えていく手法が彼らしい。またカヴァー集の『ピンナップス』
ではプリティ・シングス「ロザンヌ」ゼム「ヒア・カムズ・ザ
・ナイト」ザ・フー「アイ・キャント・エクスプレイン」など
英国のビート曲を楽しませてくれた。ここら辺に音楽好きとし
ての彼の本音が見え隠れしているのではないだろうか。訃報に
接して涙は出てこなかった。きっと近年の彼を無視し続けてき
た自分への罪悪感も関係しているのだろう。だからぼくは彼を
追悼しない。たまたま地球に落ちてきた男が様々なペルソナと
なって私たち(孤独、群衆心理、未来への恐れなどが私たち)
を啓発し続け、物事を違う側面から見るように促し、今再び
宇宙へと帰っていった。その軌跡は恒久の星のように今も燦然
と煌めいている。

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by obinborn | 2016-01-13 13:58 | rock'n roll | Comments(0)  

久し振りにジミ・ヘンドリクスを聞いた

最初にヘンドリクスのLPを購入したのは私が高校を卒業した
76年の春のことで、そのアルバムは彼の最終作『クライ・オ
ブ・ラヴ』だった。次に買ったのがサウンドトラック盤の『
天才ジミ・ヘンドリクスの生涯』だった。これは当時新譜と
して発売されたニール・ヤングの『ラスト・ネヴァー・スリ
ープス』と一緒に買ったから、多分79年頃のことだったと思
う。その帰り道にマルチ商法のセールスマンに声を掛けられ
無理矢理車のなかで説明を受けたことまで覚えている(あの
時逃げ出さなかったら私は道を間違えただろう)この『生涯』
は73年にワーナー・パイオニアから日本盤も発売された2枚
組だったが、以降廉価版としてリイシューされ私はそちらの
方を求めたのだった。映画のほうは今もって未見だが、音源
自体はヘンドリクスのキャリアをてっとり早く把握出来るも
ので、67年のモンタリーからHEY JOE、ROCK ME BABY、
LIKE A ROLLING STONE、WILD THINGの4曲、70年のバー
クレーからJOHNNY B GOODEとPURPLE HAZEの2曲、69
年のウッドストックからTHE STAR SPANGLED BANNER、
70年のワイト島からMACHINE GUN、RED HOUSE、IN FR
OM THE STORMの3曲、69年のフィルモア・イーストから
MACHINE GUNの別ヴァージョンが選曲されている。いずれ
も各地でのライヴで統一されているのが素晴しい。その上で
ヘンドリクスが67年のロンドンでスタジオ録音したギターの
弾き語りHERE MY TRAIN-A COMIN'と、サントラらしくイ
ンタヴューも収録されている。金のない(今もだけど)青年
にとってこのアルバムは宝物に違いなかった。音楽的なこと
を書いておこう。やはりとくにMACHINE GUNの2ヴァージ
ョンが際立っている。彼はプロとしてデビューする以前アメ
リカ陸軍のパラシュート部隊に属していたが、それがヴェト
ナム戦争で実践される恐れのようなものを感じ取っていたの
だろう。この曲を聴くと今でも空から落下していく時の、ぞ
っと身がよだつような恐怖を感じる。歌詞も付いているが、
言葉以上にエレクトリック・ギターの生々しい音でそうした
複雑な感情を描いたところにきっと価値がある。例の半音上
がり下がりのフレーズでの模写がそれを雄弁に物語っていて、
「戦争はいけません」なんていう美辞麗句以上の体験を聞き
手である私たちに促すかのようだ。今現在では遺族の意向に
よりヘンドリクスのスタジオ・アルバムが整理され、またラ
イヴ音源に関しても価値ある発掘が為された。その一方でか
つて発売されていた『クラッシュ・ランディング』など幾つ
かのアルバムが市場から抹殺されてしまったことが残念でな
らない。この『天才ジミ・ヘンドリクスの生涯』もまたそん
な一枚だ。どんなにリマスターされいい音になったとしても、
青年期に接したジミヘン体験には代えられない。そんなこと
を思いながら聴くこの『生涯』は格別だ。かつてはギターを
中心に堪能していた11分越えのブルーズ・ナンバーRED HO
USEだが、彼がヴォーカルと対となりながらギターを奏でて
いたことが今の私にはよく解る。

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by obinborn | 2016-01-09 18:46 | rock'n roll | Comments(0)  

俺たちに必要なのは金さ!

プロテストソングについて延々と噛み合ない論議を続けて
いたら疲れてしまった。世の中には理解出来ない種類の人
や話しても解らない奴がいるものだ。だいだい発端となっ
たテキストを読んでみれば、小説という活字メディアと映
画という視覚媒体の違いを具体的に指摘し、それぞれの役
割を肯定的に考えようという論旨であり、よって音楽とい
う”音”メディアの特性は自ずと見えてくるだろうと結んだ
のだった。どうせ大したロジックも持たず、単に私の存在
が気に喰わないからという程度の理由で絡んできたのだろ
う。正月の三が日もまだ終わっていない時にまったく迷惑
な話である。しかもアカの他人に向かってプロテストソン
グ・アレルギーだと決め付けるのだから我慢ならない。念
のために言っておくと世の中には素晴しいプロテストソン
グが沢山ある。古くはゴスペルの世界で歌われてきたI Sha
ll Be Not Movedを例にとっても、近年メイヴィス・ステイ
プルが公民権運動の戦いは今も続いているというテーマの
もとで「私は席を動かない」と歌えば、あの忌まわしいバ
ス・ボイコット事件が自然に浮かび上がってくるし、ガー
ランド・ジェフリーズはHail Hail Rock N Rollという歌のな
かで黒人の少年を主人公に設定しながら、「タクシーは僕
を無視し次の角で白人を拾っていった」という痛烈な歌詞
を歌わせている。白人なら乗車させるのかという歴然たる
事実を目の当りにした彼の心を想像すると私の胸はいつも
潰れそうになる。しかしこの歌に奥行きがあるのは単なる
白人へのアンチに終わらず、エルヴィス・プレスリーやジ
ェリー・リー・ルイスやバディ・ホリーといった白人アー
ティストを、チャック・ベリー、リトル・リチャード、フ
ァッツ。ドミノといった黒人音楽家たちと同様に讃えてい
ることにあった。他にもオハイオ州立大学ケント校でデモ
隊に警官が発砲して4人の学生が死亡した事件に抗議した
ニール・ヤングのOhioなどはロック・ファンにおなじみだ
ろう。そのニールが9・11事件の際「イマジン」を弾き語
り、佐野元春が「光」を歌ったのも負の連鎖への戒めであ
った。ついでながら付記しておくと佐野の「光」は2000年
当時まだ黎明期だったダウンロード配信で自主配信され、
彼が所属していたエピック・ソニー・レコードを激怒させ
ている。以上のことからも私がプロテストソングに価値を
見出していることが解るだろう。ただ私が問題提議したの
はあまり音楽性がないプロテストソングは面白くないとい
う率直な感想であり、またそれらの歌が特定の政治団体に
利用されると本来の役割を失い、別の様相を呈し始めます
よという警告である。極端なハナシ、新興宗教の団体がビ
ートルズのAll You Need Is Loveを使って信者勧誘するこ
となど、案外近い将来に於けるシュールな光景になり得る
かもしれない。そこら辺の危険性を鋭く見抜いて「オレた
ちに必要なのは金だけだ!」と返したフランク・ザッパの
シニシズムとユーモアを私は愛する。そう、善意が必ずし
も善意として機能しないところに現代社会の複雑さがあり、
どんな信念に基ずいた行動であれ熱狂を孕み始めると危う
くなるのだ。そうした現実に直面した時に対象と一定の距
離を保ちながら醒めた部分を失わないというのが、今も昔
も変わらない私の行動基準なのである。
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by obinborn | 2016-01-07 13:43 | rock'n roll | Comments(0)  

ニルス・ロフグレン『クライ・タフ』

90年代の頭に渋谷のクアトロで観たニルス・ロフグレンは
生涯の記憶に残るショウだった。私もまだ若かったのだろ
う。出待ちしてニルスにサインを貰った記憶が今となって
は懐かしい。76年にリリースされた『クライ・タフ』はグ
リン出身の彼にとって2作めのソロ・アルバムで、今もっ
て最高傑作という声は高い。以降もキャリアを進めていく
アーティストにとってそんな讃辞は酷だろうか。それでも
代表作がある小説家が末永く大衆に親しまれるように、当
時まだ20代だったニルスが本作をバネに飛躍していったこ
とを讃えたい。この『クライ・タフ』が発売された76年は
パンク/ニューウェイブの台頭もあって、ニルスのような古
いタイプのロックを新しい形で守護するようなソングライ
ター&ギタリストは現れにくい状況だっただけに、筆者は
手放しで喝采を叫んだ。ヤードバーズの「フォー・ユア・
ラヴ」を狂おしいまでに熱演していたことが何よりも彼が
どういうロックを好きだったのかということを、言葉以上
に言い含めていた。アルバム全体も小回りが利くサウンド
が心地好く、飄々としたヴォーカルとともに偉ぶるところ
が一切ない。歌詞にしても「ユニオン・ホールに行くには
出遅れてしまったけれど、ドクター・フィールグッドが俺
を待っていてくれていたんだ!」(クライ・タフ)なんて
いう素敵な一行がさりげなく書かれている。先ほどニルス
のことを”古いロックの新しい守護者”と米ローリング・ス
トーン誌のデイヴ・マシューのようなことを書いてしまっ
たけれど、今こうして聞き直してみればその理由が解る。
ジム・ゴードンのオカズ盛り盛りのシャープなドラムスと
チャック・レイニーもしくはポール・ストゥールワースに
よるニュー・ソウル感覚に満ちたベースとが幸福に出会っ
ていたのだ。76年以降ロック音楽は細分化する一方だった
が、リズム・セクションにこんなケメストリーが生まれる
瞬間があったことを筆者は忘れたくない。「あなたが弾い
たニール・ヤングのSpeakin' Outのギターに痺れてファン
になりました」拙い英語でそう伝えると、ニルスはそっと
微笑んでくれたのだった。

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by obinborn | 2016-01-06 00:25 | rock'n roll | Comments(0)  

J.Geils Band 『Monkey Island』

2016年明けましておめでとうございます。本年もよろしく
お願い致します。今年も皆さんが幸せでありますように。
77年に発表されたJ.Geils Bandの『Monkey Island』は彼ら
の新局面を打ち出す意欲作となった。70年にデビューして
以来6枚のスタジオ・アルバムと2枚のライブ作でブルーズ
とR&Bを追求してきた彼らだが、9作めに当たるこの『Mo
nkey』ではマイケル・ブレッカーのサックスやシシー・ヒ
ューストンのヴォーカルをフィーチャーするなど外部プレ
イヤーとの接触を計り、従来の泥臭いサウンドとは異なる
洗練された音作りへと舵を切った。しなるようなファンク
・ビートに貫かれたSurrenderでのシシーとピータ・ウルフ
の掛け合い、ちょっと肩の力を抜いた可愛らしい楽曲You'
re The Only One、大泣きのバラードで最近では木下弦ニが
ソロ・ライブで取り上げることもあるI'm Fallin'でのブレッ
カーのテナー・サックス、マーヴェロウズが65年に放った
ドゥ=ワップ・ヒットI Doのカバーなどが新鮮だった。わけ
ても驚かされたのが、9分を超えるアルバム表題曲Monkey
Islandだった。歌がなかなか始まらないインストに比重を置
いたナンバーで、マジック・ディックが得意のハーモニカば
かりかトランペットでソロを取っている。むろん従来のノリ
を生かしたI'm Not RoughやSo Goodのような曲もあるのだ
が、全体としては内省的な響きが勝っているのが本作のカラ
ーだろう。アルバム最後に置かれたWreckageでの枯れた味
わいのエレピとアクースティック・ギターにも、未来への漠
然とした不安を感じ取ることが出来る。細かく見ていくとア
ルバム・クレジットにもずっと表看板だったJ.Geils Bandの
文字はなく、ただそっ気なくGeilsの記されているのみなので
あった。本作をもって彼らはアトランティック・レーベルと
の蜜月時代を終え、新たにEMIアメリカと契約し、One Last
Kiss、Come Back 、Love Stinks、Centerfold、Freeze Fram
eなどのヒット曲を連発していく。しかしながら80年代の音
を反映したエレクトリック・ポップ路線は筆者には受け入れ
難いものだった。ライブ活動に於いてはきっと従来と同じよ
うな熱いステージを繰り広げていたと思うが、大人になると
いうこと、売れるということはそういうものなんだなと、妙
に寂しく感じたものだ。そんな彼らの歴史を思う時、分岐点
となった本作『Monkey Island』をふと取り出してみたくな
るのだった。ちなみにピーター・ウルフは7人めのメンバー
とも噂され、楽曲クレジットにも記されることが多かったジ
ューク・ジョイント・ジミーについてこう語っている「オレ
たちの架空のヒーローだよ。いつもオレたちを見守ってくれ
るような」と。そのJJJの名前が記されることも以降はすっか
り途絶えてしまった。

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by obinborn | 2016-01-01 14:23 | rock'n roll | Comments(0)