カテゴリ:文学( 53 )

 

『アフターダーク』再訪

「人は昼間は無神論者でいられるかもしれない。でも夜一人
ぽっちになった時、どこかで神のことを思っている」そんな
哲学書がありましたが、今日久し振りに村上春樹の『アフタ
ーダーク』(04年)を読み直し、そのフレーズを思い返しま
した。発売された当時読んだ頃よりも染みるという体験は誰
にもあるでしょうが、私もまさにそんな感じでした。背景に
なっているのは阪神大震災で、その時心を砕かれてしまった
人たちが別の時・別の場所で何かしらの煩悶をしている様子
が、45歳の時の自分より58歳の今のほうが遥かに染み込んで
きたのです。

例えばとある登場人物のこんな呟きはどうでしょう「人間
ゆうのは、記憶を燃料に生きてゆくもんやないのかな。も
しそういう記憶の燃料みたいなものが私になかったとした
ら、私はとうの昔にポキンと二つに折れていたと思う。大
事なことやらしょうもないことやら、いろいろな記憶を時
に応じてぼちぼちと引き出していけるから、こんな悪夢み
たいな生活をし続けていても、なんとか乗り越えていける
んよ」

決して高く評価されているとは言い難い『アフターダーク』
ですが、読み直して得るものは少なくありませんでした。


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by obinborn | 2017-08-13 20:10 | 文学 | Comments(0)  

小池真理子『望みは何と訊かれたら』

小池真理子『望みは何と訊かれたら』(07年)を再読。
あの忌まわしい連合赤軍事件をモチーフにしながら学園
闘争の時代を検証している。高邁な思想が平気で他者を
傷付け、排除し、自己目的化していった顛末をリアルに
描き切っている。こればかりは70年代の序盤に学生だっ
た作者にとって避けては通れない主題なのだろう。事実、
小池さんの小説はこのテーマを扱ったものが多い(直木
賞に輝いた96年作『恋』はその最たるもの)

裏テーマはこれまた作者が得意とする男女の秘めやかな
関係であり、そうした個人的な事項と集団が暴走した時
の怖さを対にした小説の構成は流石だと認めざるを得な
い。ところで、学園闘争の反省も虚しく90年代半ばには
オウム真理教が世間を震撼させる。その事件を今なお生
々しく記憶されている方々は少なくないだろう。

時代の雰囲気。もっともらしい主張。それらに吞み込ま
ていった若者たち。それらを思い返すたびに私はその場
から離れたくなる。加齢とともに遠近法で学園闘争の季
節を振り返りながら、私はこう思うのであった。「もう
まっぴらだ。誰かのスローガンに従う下部になるなんて」

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by obinborn | 2016-12-25 18:36 | 文学 | Comments(0)  

桐野夏生『バラカ』

桐野夏生『バラカ』読了。600頁以上の長編でしたが、
山あり谷ありの展開で、飽きずに最後まで読み進める
ことが出来ました。まず粗筋をごく大雑把に説明して
おくと、東日本大震災後に孤児として捨てられていた
バラカという少女がボランティアの老人に救出される
ことから物語が始まります。やがてその少女が日系ブ
ラジル人夫妻の娘であり、遥かドバイの地で人身売買
されているところを、キャリアウーマンの沙羅によっ
て引き取られていく過程が次第に明かされていきます。
過酷な労働故に子供を手放さざるを得なかった日系ブ
ラジル人と、競争社会を生き抜き”勝ち組”となった日
本人独身女性との対比も、格差が激しく進んでいる現
代の労働市場とグローバイズムの時代を象徴するかの
よう。また、そもそも赤ん坊を金銭で買うという沙羅
の倒錯した発想が論議を呼びそうです。いずれにして
もその”買われた子”であるバラカは、その神秘的な顔
立ちや震災時の原発事故によって甲状腺がんを患った
ことでシンボリックな存在になり、様々な思惑を持っ
た大人たちに利用される数奇な運命を辿っていきます。

桐野さん自身「震災後に人々の欲望が剥き出しになっ
たような気がする」とあるインタヴューで語っている
ように、本書では震災や原発事故をなかったことにし
たい勢力の巧妙な情報隠蔽や、東京オリンピック開催
への疑問(フィクションなので本書では大阪オリンピ
ックと設定)が描かれ、人々の記憶がどんどん風化し
ていく様に対抗するかのようです。しかしながらその
一方では、バラカが反原発派のヒロインとして崇拝さ
れる危うさに触れるなど、とくに反原発派に肩入れす
ることなく、文学としての止揚を保っています。また
怪しげな新興宗教家や葬儀屋の男が悪の化身となって
登場し、彼らの王国を夢見る様からも”欲望”に翻弄さ
れる現代人の危うさが伝わってきます。

「これからの日本を考えると絶望する」と桐野さんが
おっしゃる通り、本書にはひとかけらの希望もありま
せん。なにしろ「あらゆることを諦めて生きていく」
のがバラカのような被ばく者たちであり、東京五輪が
華やかに行われようが株価が上昇しようが、彼らはず
っと故郷に帰れないまま全国を放浪せざるを得ないの
ですから。文中の言葉を借りれば、被ばく遍歴を互い
に語り合うことで結び付く”棄民”。国民としてはけっ
して保障されない様子を端的に言い表したその単語が、
矢の如く鋭く迫ってきます。また人々が被ばく者に涙
を流すのはあくまでテレビの画面を通してのことで、
そんな連中ほど実際はいち早く逃げ出すことを言い当
てるなど、偽善的な態度に関しても容赦なく暴いてい
きます。

元々90年代序盤のデビュー以来、普通の人々がなかな
か目を向けようとしない人生の暗い側面に焦点を当て、
深く探っていくのが桐野夏生の特質です。非正規雇用
の青年の孤独を徹底的に描いた07年の『メタボラ』や、
東電OL殺人事件をテーマにした03年の『グロテスク』
はそんなダークな力作でしたが、今回の『バラカ』は
それらに続く一里塚だと思います。我々は今どういう
時代に生きているのか。どんな荒れ地を今日も彷徨っ
ているのか。その文学的な答えとしてこれ以上のもの
はないでしょう。なお本書のエピローグでは40歳にな
り、やっと初めて定住の喜びを得たバラカの暮らしが
開示されます。わずか4頁足らずに書き留められた彼
女の現在の姿のみに、僅かながら希望のようなものが
立ち上がってくるようです。

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by obinborn | 2016-03-08 12:08 | 文学 | Comments(0)  

三島由紀夫『午後の曳航』

遅ればせながらこの歳になって初めて『午後の曳航』を
読みました。三島由紀夫が1963年に発表したこの小説は
息子が義理の父親を殺めてしまうという衝撃的な結末で
当時センセーショナルな話題を集めました。戦後間もな
い横浜の港町を舞台にした物語は二部に分かれ、第一部
ではブティックを営む未亡人と船乗りの男との道ならぬ
恋が描かれ、第二部では彼らの幸福な再婚に反発した13
歳の息子による煩悶が語られていきます。息子が許せな
かった想いをつぶさに観察していくと、母親の再婚とい
う状況に適応出来なかったというよりは、むしろ船乗り
という誇らしい職業を捨て、陸に上がって一般的で規範
的な生活をまっとうしようとした義父への失望がひしひ
しと伝わってきます。実際息子の登は義父と出会ったば
かりの頃は海の男に憧れ、船の見学を嬉々として申し出
るほどでしたが、やがて彼が船を諦め母と一緒になり凡
庸な生活へと身を委ね始める頃から、彼らの幸せと反比
例するが如く、息子は”父”への敵対心を胸にたぎらせ、
遂に復讐してしまいます。

かつての『青の時代』同様、『午後の曳航』でも三島ら
しい切羽詰まった美学と修辞的で過剰な文体(スタイル)
とが物語の両軸となっています。ある意味、義父を殺め
ることで、かつて勇敢な船乗りだった男の人生を祝福す
るかのようなアイロニーが胸に突き刺さります。こうし
た展開を、その後の三島が辿った自決事件になぞらえて
しまうのは少しばかり安易でしょうか? 凡庸な毎日の
なかに生き甲斐を見出しそうとしている私には、あまり
にも衝撃的で生めかしい作品でした。

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by obinborn | 2015-11-17 18:17 | 文学 | Comments(0)  

風とピンボールと羊

別にノーベル賞の話題を意識した訳ではないが、久し振りに
村上春樹の初期三部作を読み返してみた。最終章の『羊』が
単行本として世に発表されたのは82年の10月のことだった。
当時は文壇にダブル村上が出て来たと話題になったり『風』
が群像新人賞を穫ったりと、一般的にもそれなりの評判を巻
き起こしたと記憶しているが、まだ確固たるステイタスを築
くまでには至っていなかったという印象のほうが強い。読み
返してまず思ったのは、とてもまっすぐな青春小説であった
こと。むろん村上らしい諦観や気取った修辞がいささか鼻に
付く部分はあるものの、テーマとしては変わっていく季節や
死が語られ、結果として青年期(20代)の終わりが「僕」と
かつて友人だった「鼠」とのすれ違いを通しながら、最後の
最後には二人の関係の崩壊が残酷なまでに提示されている。

一人称で進められていく物語とは良いものだ。それはとりも
なおさず「僕」が少しずつ自分以外の世界を知っていくこと
でもあろう。誰もがやっかいな自意識から逃れられないので
あれば、一人称を真ん中に据えながら語り始めてみるのも悪
くない。そんな「僕」が古い形のピンボールを愛でる。「鼠」
を探しに北の寒い土地へと出向いていく。ニール・ヤングや
ジェイムズ・テイラーの最初の3枚を忘れられないように、
村上春樹の初期三部作を読み直す。それは自分という一人称
を取り戻そうとする営為なのかもしれない。

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by obinborn | 2015-10-10 18:00 | 文学 | Comments(0)  

『昭和の犬』

犬との暮らしを通して時代背景が浮かび上がってくるような
『昭和の犬』を読んだ。作者の姫野カオルコさんが私と同い
歳ということもあり、あの時代の地方での暮らしぶりはこん
なものだったねと頷かされもしたし、全体としては姫野さん
の半生を辿る自伝的な色合いが強い。けっして裕福だったわ
けではなかった時代だが、彼女と飼い犬との会話はまるで昨
日のことのように生き生きと語られている。正確には会話と
いうよりは匂いや肌ざわりといったものだろうか。ときに父
親がシベリアに拘束されていた時代や、必ずしも幸福ではな
かった母親の結婚生活も仄めかされるが、あくまで騙し絵の
ようなものであり、テーマに結び付く伏線とはけっしてなら
ない。

私は大きなテーマに頼ったり、ことさら意味性を訴える小説
を好まない。いや、昔はそういう社会ドラマのような作品を
三浦綾子から山崎豊子まで読んでいた時期があったので、必
ずしもポリシーがあるわけではないのだが、経年とともに、
文体それ自体の美しさとか、完結することのない抽象性のほ
うにより惹かれるようになった。音楽でいえば大袈裟なプロ
グレではなく、シンガー・ソングライターのような味わいか
もしれない。世の中の不公平や欺瞞や差別に立ち向かってい
く表現が好きな方には物足りないだろうが、『昭和の犬』に
は子供や動物の眼を通して見る世界があり、主人公の背がや
がて伸び、大人になってから感じるものまでが年代記(クロ
ニクル)のように描かれている。言うまでもなく犬好きの方
はマスト。思えば今日も人間とばかり会話していた。

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by obinborn | 2015-08-26 02:10 | 文学 | Comments(0)  

語る言葉

FBを何年もやっていると、どういうテキストを書けば誰
に受けるのかとか、こういう記事を挙げればあまり反応
がないだろうな、といったことが判ってくる。しかしツ
イでもFBでも他人の目線ばかり意識したらオシマイで、
やはり自分が日々思っていることをなるべく率直に書く
のが一番いいのだろう。前掲した佐野さんファンの文章
にはハッとさせられた。ことに政治状況が緊迫している
昨今では、左派でも右派でも相手を罵る言葉しか持って
いないのでは?と思わせる文章が目立ち、自分に立ち返
って問題を考える視点に乏しいからだ。例えば安倍氏や
百田氏の言動にはかなり問題があるだろうが、理論武装
せずただ「安倍死神」というプラカードを掲げて悦に浸
ったり、百田の小説など読むものかと読書以前に否定し
てしまう態度には首をかしげてしまう。私が以前ここで
『永遠の0』を擁護したのも、人格と作品は切り離して
フェアに接したいという願いからだった。ところが現実
は私が『永遠の0』を庇うと「お前は右翼か!」と単純
に記号化されるのがオチで、私はこういう人達と闘って
きたんだなあと実感させられる。大抵ありがちな傾向と
しては自分の考えに近いテキストをシェアして納得する
というお決まりのパターンであり、それだけでは批評精
神など養われなくなってしまう。昨日の朝刊に掲載され
た作家・赤坂真理さんのインタビューは鮮烈だった。彼
女の発言を読んでいると、現行憲法と日米安保条約との
間で葛藤する姿がしっかり伝わってくる。射程の長い言
葉を大事にしたい、それは白黒付けることを急ぐ現在の
風潮にあがらうことなのだ、と彼女は言う。そして赤坂
さんは「スローガンを掲げる集団を信じない」と言う。
看板としての民主主義に警告を発し、自分で考えるとい
う個人主義に立ち返る。個人主義とは自分勝手という意
味ではない。それは運動が退潮してたった一人になった
としても自分の言葉を持っているかという問いであり、
長いものには巻かれまいとする個の魂なのである。

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by obinborn | 2015-07-24 20:13 | 文学 | Comments(0)  

そこに物語はあった

高校時代にJ.D.サリンジャーの小説に出会った。彼の物
真似とも評された庄司薫もすべて読んだ。庄司のことは
大学で催された講演会に駆け付けたくらいだから、当時
それなりに気に入っていたのだろう。一浪してやっと入
った学校では宗教団体や中核派にオルグされそうになっ
た。まだ何も知らないひとりぽっちの19歳だったので感
化されても不思議ではなかったが、庄司の代表作『赤頭
巾ちゃん気を付けて』終盤に出てくる”ぼく”の「他の誰
の言葉でもなくぼく自身が感じたもの」に激しく影響を
受けたばかりだったので、私はそうしたオルグに陥るこ
とがなかった。単純といえば確かにあまりにもシンプル
な原理だが、そうした感覚は以降ずっと私を支え続けた
ように今にして思う。

これまた好きな作家である小川洋子さんがサリンジャー
が死んだ際に、大人との対立軸ではなく根源的な孤独を
彼は見つめ続けたと指摘されていて嬉しくなった。そう
したソルーション自体は何も大袈裟なものではない。た
だいくら他人と交わりながら高揚感を得たとしても、帰
り道はいつも決まって一人であり、付いてくるのは自分
の影のみだということ。私は少なくともそのことを自覚
していたい。小川さんの小説にしても、登場するのは記
憶を次第に失くしていく老人であったり、ホロコースト
の時代によって自由を奪われていく人々だったりする。

「小説を書くというよりは、あらかじめそこにあった物
語や記憶を掘り起こしていくのが私の役割なのかもしれ
ません」と小川さんは語る。そうした謙虚な心映えがき
っと人の孤独へと語りかけ、愛おしい時間を醸し出して
いくのだろう。

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by obinborn | 2015-07-18 19:18 | 文学 | Comments(0)  

佐々涼子『紙つなげ!彼らが本の紙を造っている』を読んで

今年も様々な書物を読んだけれど、最も心に残ったのが佐々涼子さ
のノンフィクション『紙つなげ!彼らが本の紙を造っている』だっ
た。大震災で大きな打撃を受けた石巻市の日本製紙だが、逆境にめ
げず工場の復興に取り組む人々の思いに気持ちが高ぶった。日本中
の人に”なかったことにしたい日”を問い掛けるならば、多くの方が
真っ先に3月11日と答えるだろう。あの悪夢のような日からスター
トしたドキュメントである。むろん綺麗ごとばかりではない。例え
ば瓦礫を取り除く作業時にあえて笑顔で作業員たちを束ねようとし
た現場リーダーの思いに反して、目撃した近所の住人が「なんで笑
っているの?」と問い返す場面など人の気持ちはそれぞれ違うとい
う現実を突きつけられる。また野球部の存続を巡っての部員の葛藤
にしても「こんな大変な時期に野球をしていいのだろうか?」とい
う根源的な問いが発せられてもいる。

それでも驚かされるのは経営者たちの前向きさだ。普通これだけの
壊滅的な悲劇を目の当りにすれば工場の閉鎖を検討したり人員整理
を進めるのでは?とついこちらが陥ってしまいがちな思考とは別に
日本製紙のリーダーたちは早々と復興までの目標を具体的に掲げ、
期日から逆算しながら工場の立て直し計画へと邁進していく。その
スピードある対応を読んでいくと、経営者の判断なり人間性なりが
いかに企業の生命線であるかが解る。愚痴を言う中間管理職に対し
ても、リーダーたちは「出来ません無理です、の報告は欲しくない
」と手厳しいのだが、根底には人との信頼が企業を良くするという
揺るぎない倫理観があるようだ。

人を使い捨てにするブラック企業の台頭や非正規雇用の増大など、
昨今の働き方をめぐる問題はあまりにシビアな現実だが、その一方
でこんな会社があり、地元である石巻としっかりと結び付いている
ことを知る価値はあるだろう。佐々さんの徹底した取材力や抑えた
筆致も良質なノンフィクションかくあるべし!と思わせる。明日が
まったく見えないような過酷な現実を前に悲観論を語るのは簡単だ
が、実際にこうした人々がいて、心を束ねながらアクションを起こ
していった。そのことほど尊いものはないだろう。無数の死者を前
にしての絶望も、企業人としての葛藤も、そして前向きに進む理由
も、そのすべてが『紙つなげ!』には書き留められている。

ちなみに作者は文中で「ノンフィクションを書いていると、私が能
動的に書いているというよりは、物語という目に見えない大きな力
に捕らえられて、書かされているのだと感じることがある」と記し
ている。そのような謙虚な態度が闇の彼方へと消えていった死者た
ちの木霊を聞き取り、生き残った者たちの言葉に向かい合いながら、
たすきがけのように読者のもとまで届いたのだと思う。

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by obinborn | 2014-11-04 07:04 | 文学 | Comments(0)  

柴崎友香『春の庭』を読んで

ぼくも読みましたが、本当に素晴しい作品だと思いました。
芥川賞受賞の会見でも言及されていますが、とくに終盤に
人称がこれまでの太郎から(姉である)私へと入れ替わる
部分には視界がパッと入れ替わるような目眩を覚えました。
この『春の庭』に出て来る登場人物たちは何も特別な才能
の持ち主とか恵まれた環境にいるとかではなく、ぼくたち
の周りにいくらでもいる普通の人々なのですが、そんな彼
や彼女らが内面に壊れやすいものや温かい記憶をそっとし
まいこみながら日々を暮らしていることが、次第に明らか
になっていきます。舞台は東京の世田谷区にある何の変哲
もない町並みなのですが、朽ちていくものもあれば新たに
立ち現れる光景もあります。いわば過去と現在そして未来
の縮図であり、作者の柴崎さんはそれらの”動かない物語”
を辛抱強く定点観測しながら、抑制されたタッチで書き留
めていきます。そしてぼくたち読者はいつか気が付くので
す。土地は動かないけれども人々は入れ替わっていくと。
たとえ外側からは見えにくいとしても、人にはそれぞれの
傷蓋があるのだと。

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by obinborn | 2014-09-04 17:46 | 文学 | Comments(0)