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今宵はライノ・レーベルの大河シリーズ『SOUL SHOTS』を!

今日は群馬県の沼田まで義父の一周忌法要に行ってきました。
普段電車に乗らない生活をしているので弱冠疲れましたが、
家族・親族のみんなと会えて良かったです。法要後は地元の
老舗:網元で鰻を。これがまた美味しかったのでした。

京都の音楽通&ベーシストTANYさんのツイを見て、久し振り
に米ライノが87年前後にリリースした『SOUL SHOTS』を聞
き始めました。60〜70年代のR&B〜ソウルのヒット曲を網羅
したこのシリーズ、さっき棚から引っぱり出したら、Vol.1か
ら飛び飛びで7枚ほどありました(汗)

個々の素晴らしい楽曲についてはあえて触れませんが、一枚
ごとに「ダンス・パーティ」「インストゥルメンタル」「ス
ウィート・ソウル」「ブルー・アイド・ソウル」など必ずテ
ーマを設け、それに沿った選曲がされている点に興味を覚え
ました。細かいことを言えば「俺なら違うセレクトをする!」
という気持も弱冠ありますが、それを言ってしまうのは禁猟
区。だったら自分でCDRなりカセットテープを作ってみなさ
い!っていうお話ですよね(笑)

80年代後半のライノ・レーベルと言えば、まさに自主独立の
気風に溢れたインディの会社でした。その功績の多くはリイ
シューにありましたが、ロスアンジェルスに拠点を置くレー
ベルだけに、チカーノの新世代をコンパイルした”新録音”を
何気に出していたことは、もっと語られていいような気がし
ます。

いずれにせよ、まるでヒット・パレードのように幾多のR&B
〜ソウルの名曲群を聞けるのはすごく嬉しいものです。今夜
はこの『SOUL SHOTS』のシリーズでガンガン行きます!

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by obinborn | 2017-01-28 20:09 | one day i walk | Comments(0)  

編集者と私


Kさんは07年から08年にかけて私の書籍を担当してくださった
編集者です。具体的には増補改訂版の『Songs』を手始めに、
『U.S Records』『U.K Records』と計3冊の作業に関わって
頂きました。私が掘っている音楽のことを殆ど知らない方(
そりゃそうですよね)でしたが、どこまでも一生懸命に、とき
に私の文章の誤りを優しく指摘する、ありがたい存在でした。

時を経て、ある日自由が丘にあるバードソング・カフェで久し
ぶりに彼女と再会しました。何でも今現在は出版業界から足を
洗い、別の職業に就いているとのこと。私もフリータイムの音
楽ライターとして将来を案じ、まったく異なる職場を見つけま
した。そこには時間という名の堆積があったように思います。
Kさんとはバードソング・カフェが移転する以前、まだ中目黒
にお店があった頃から、よくミーティングを重ねました。向こ
うがどう思っていたのかは解りませんが、夏目漱石の話をした
り、「私は海外旅行なんかに興味はありません。小説を読む時
間を大事にしたい」と言っていたことは今でもよく覚えていま
す。

二時間ほどお酒を飲み会話をした後、私は一足先に店を出まし
た。Kさんはバー・カウンター席を離れ、地下から階段を登っ
てきてくれました。それだけではありません。別れの挨拶をし
てからふと振り返ってみると、彼女はまだそこに立ったまま、
私に手を振っていました。


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by obinborn | 2017-01-28 01:21 | one day i walk | Comments(0)  

ロニー・レインのこと、学生時代の記憶

夕暮れの陽射しが少しずつ伸びてきました。さっきビールを
飲み始め、我が最愛の人、ロニー・レインの『ANYMORE F
OR ANYMORE』(74年)を聞いています。彼のことは音楽
誌等に沢山の記事を書いてきましたので、もう言い残すこと
は殆どありません。ですから今日は少々脱線して、ごく個人
的なことをメモしていきたいと思います。

私が最初にこのレコードを聞いたのは、大学時代の友人S君
が貸してくれたからでした。あれは確か79年の夏休み前後の
ことでした。S君とは音楽サークルで知り合ったのですが、
皆がドゥービー最高!イーグルス抜群!と騒いでいるなかで
殆ど浮いた存在でした。何せ卒業アルバムの記念写真にマッ
ド・エイカーズの『ウッドストック・マウンテンズ』を掲げ
るような男ですからね。でも私は何故かそんなS君に注目し
ていました。彼とよく話してみると児童文学を愛するナイー
ブな青年でした。S君とよくつるんで大学近くにある江古田
のロック喫茶クランで語り合い「吉祥寺の芽瑠璃堂にエディ
・ヒントンのカット盤が入荷したらしい。オビ君、ぼくは今
日バイトがあるから2枚買ってきてね!」なんていう会話を
しました。

あの時代から40年近くの歳月が流れ、お互いの連絡は少しず
つ途切れていきました。S君はさる有名なタレントさんと幸せ
な結婚をし、私もまた妻を得ました。80〜90年代は仕事の忙
しさもあってか、完全に交流は絶えてしまったのです。ところ
が運命とは本当に面白いものですね。S君が下北沢のロック・
バー、ストーリーズに通っていて、時々「オビ君に会いたいな
あ」なんて言っていることを、ヘタウマ・スワンプ・ギタリス
トのY君や『ワルボロ』でおなじみの映画監督Sさんが教えてく
れたのです。ストーリーズの店主である落合さんも何気に動い
てくださいましたし、S君と同じ文学部のIさんとは本当に偶然
にも、藤沢のケインズというバーで出会い、S君の話題に花を
咲かせました。

私が2008年に3冊めの著作を出し、そのトーク・イベントが
新宿のディスク・ユニオンで催された時、その長く失われた
友人のS君が来てくれたことは本当に嬉しかった!実際彼は
私の音楽嗜好に決定的な影響を与えた人物であり、あの夏に
ロニーのLPを貸してくれたことを、今も鮮やかに思い起こす
ことが出来ます。でもそれ以上にS君から教わったのは「時
代なんてナンボのもんじゃい?ぼくは流行で動かないのさ」
という人生への真摯な眼差しでした。しかも彼の場合、常に
伏せ目がちであり、控えめであり、デリケートな心のありか
のことを熟知していました。

そんなことを思い出しながら聞くロニー・レインは特別です。
都会の喧騒、あるいは世間の流行に背を向けて旅立つ男たち
を捉えたアルバム・ジャケット。それがすべてを物語ってい
るような気がします。

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by obinborn | 2017-01-27 18:18 | one day i walk | Comments(0)  

グレッグ・オールマンの『レイド・バック』を再訪してみました

「深夜のホテルの一室で、グレッグ・オールマンが音を
消したままテレビを観ている。そのブラウン管の明かり
が照らし出す彼の疲れた横顔は、メイコンの月夜の墓地
のように蒼白い」これはかつてまだ使い走りの記者に過
ぎなかった若き日のキャメロン・クロウがローリング・
ストーン誌に寄稿した文章ですが、ツアーに明け暮れる
グレッグの孤独を写し取った名文だと思っています。

彼が初めてのソロ・アルバム『レイド・バック』を発表
したのは、オールマンズが『ブラザーズ&シスターズ』
をリリースしたのと同じ73年のことでした。まさか新生
オールマンズのカムバック作の前に出すわけにもいかな
かったので、発売は『ブラザーズ〜』の後になってから
のことでしたが、ジョニー・サンドリンをプロデューサ
ーに迎え、ジョージア州メイコンのキャプリコーン・サ
ウンド・スタジオで録音されたという点で両者は共通し
ます。時期は微妙に違っていたのでしょうが、バンドの
新作と前後してグレッグがソロ作のために時間を割いて
いたことは興味深い現象ですね。

本作にはかつてオールマンズで歌っていた「ミッドナイ
ト・ライダー」と「プリーズ・コール・ホーム」の再演、
アワーグラス時代にロスアンジェルスで修行していた頃
に知り合った旧友ジャクソン・ブラウンの「ジーズ・デ
イズ」、フォンテラ・バスとボビー・マクルーアが65年
の3月にヒットさせたR&B「ドント・メス・アップ・ア
・グッド・シング」、カーター・ファミリーを始めとし
て多くの人々に親しまれてきたカントリー・ソング「永
遠の絆」、既にカウボーイを立ち上げていたスコット・
ボイヤーの「オール・マイ・フレンズ」、残りの2曲が
当時グレッグと結婚したばかりのシェールに捧げたと思
しき「マルティカラード・レディ」に「クィーン・オブ
・ハーツ」というグレッグの書き下ろしでした。

オールマン・ファミリーからチャック・リーヴェル、ジ
ェイモ、ブッチ・トラックスの三人を招集しつつも、グ
レッグはバンドとの違いを明確にするために、アトラン
ティック・ジャズを中心に鳴らしたデヴィッド・ニュー
マンのサックスや、当時ニール・ラーセンらとともにフ
ルムーンを結成していたバジー・フェイトンのギターを
随所に配していきます。米南部ロックならではの寛ぎ(
それこそレイド・バック!)を基本としながらも、時々
洗練されたアーバンなテイストが加わった点に、本作の
意義があるのかもしれません。

とくに「クィーン・オブ・ハーツ」に於けるバジー・フ
ェイトンのギター・ソロとオブリガートは屈指の名演!
フェイトンといえばボブ・ディランの『新しい夜明け』
(70年)やラスカルズの『アイランド・オブ・リアル』
(72年)に起用され、少しずつ頭角を現してきたプレイ
ヤーですが、グレッグの「クィーン・オブ・ハーツ」も
また”名盤の陰にフェイトンあり!”を世間に知らしめて
いきました。このバラードは途中でイン・テンポとなり、
デヴィッド・ニューマン(当時は『ダグ・サーム&バン
ド』=73年にも参加)のサックスがここぞとばかりに吹
きまくるのでした。

『レイド・バック』にはいわば米南部ロックと都会的な
テイストの抱き合わせがあり、超克があり、グレッグは
そのなかで歌唱に思いの丈を込めていきます。高校時代
に本作やエリック・クラプトンの74年作『461オーシャ
ン・ブルーバード』と出会ったことは、私に歌とギター
との幸せな関係を考えさせるきっかけになりました。グ
レッグの歌の彼方から今宵もメイコンの月が立ち登って
くるようです。

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by obinborn | 2017-01-27 01:55 | one day i walk | Comments(0)  

追悼:ブッチ・トラックス

ブッチ・トラックス(写真右端)が亡くなってしまった。
享年69歳。オールマン・ブラザーズ・バンドのドラマー
として、結成された69年からずっとリズム・パートの一
角を担ってきたメンバーだった。とくにジェイモとのツ
イン・ドラムス(パーカッション)は米南部ロックのダ
イナミズムを伝えるとともに、ジャズ的なアプローチも
示す確かな技術があり、90年代以降に隆盛を極めたイン
プロ〜ジャム・シーンの礎となった。なおご存知のよう
に、現在大活躍しているデレク・トラックスはブッチの
甥っ子である。

悲しくなって『フィルモア・イースト・ライブ』のLP盤
を部屋から取り出してきた。忘れもしない高校2年の時
に所沢のヤマハ楽器でぼくはこのアルバムを購入したの
だった。ベリー・オークリーの弾力あるベースと同期し
ながら舞い上がっていくブッチやジェイモのリズムがあ
ってこその、デュエイン・オールマンであり、ディッキ
ー・ベッツだった。今でもそう思う。

小川洋子の自伝的な小説『ミーナの行進』のなかには、
ある日撮った家族・親族との記念撮影を振り返りながら
主人公が呟く場面がある「みんないる。誰一人欠けてい
ない」と。そのことを反芻しながら『フィルモア』のジ
ャケットを眺めていると、何とも言えない感情に襲われ
てしまう。確かにみんないる。時計回りにデュエイン、
ジェイモ、グレッグ、ベリー、ブッチ、そしてディッキ
ー。みんなまだ20代の若者たちだった。

ブッチさん、今まで素晴しい演奏の数々を本当にありが
とうございました。「エリザベス・リードの追憶」序盤
での秘めやかなパートから、次第に熱を帯びていくあな
たのドラムスが大好きでした。

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by obinborn | 2017-01-26 02:59 | one day i walk | Comments(4)  

ヴァン・モリソン『KEEP IT SIMPLE』

ヴァン・モリソンの近作では『KEEP IT SIMPLE』(08年)も
いいですね。9年前のアルバムを”近作”と呼ぶかどうかはとも
かく、自分の感覚ではつい最近のことのような気がする。この
盤以降モリソンは『アストラス・ウィークス再現ライブ』『B
ORN TO SING』『DUETS:RE〜』そして昨年の大傑作『KEE
P ME SINGING』をリリースしていく。とかくベテラン勢は10
数年ぶりの新作といった間隔になりがちだが、モリソンの場合
はずっと快調にキャリアを進めてきたことが解る。

内容は完全にオリジナルの新曲集といった塩梅だ。ロニー・ド
ネガンとのスキッフル・ライブやカントリー大会の『YOU WI
N AGAIN』と『PAY THE DEVIL』ですっかりルーツに立ち戻っ
たモリソンが、シンプルなコンボ編成で自分の歌に取り組んで
いる。ジョン・プラタニア(g)デヴィッド・ヘイズ(b)といっ
た70年代初期からモリソンを支えてきた最古参のメンバーもい
れば、ミック・グリーン(ジョニー・キッド&パイレーツ〜パ
イレーツのg)やゲラント・ワトキンス(デイヴ・エドモンズ〜
ニック・ロウ〜バラム・アリゲイターズのkbd)と、パブ・ロッ
ク界隈のキー・パーソンもいる。以前から少しずつモリソンが
切り開いてきたカレドニアソウルと大衆路線の融合かな。あま
り語られないのが残念だが、かつての名盤『INTO THE MUSIC』
で大活躍した女性ヴォーカリスト、ケティ・キッスーンも久し
ぶりに参加し、過日と変わらぬ瑞々しい歌唱を披露している。

なおアナログ盤のみD面に、08年の1月にブラックプール・オペ
ラ劇場で行われたライヴから3曲が収録されている。とくに名
曲AND THE HEALING HAS BEGUNが、かつてほど重くなく、
ペダル・スティールの楚々とともに響き渡る様は格別!そう、
前述した79年の名作『INTO THE MUSIC』で親しまれた曲だ。
そのスタジオ・アルバムで起用されていたケティが、歳月を経
てここでもモリソンとともに歌っている。音楽を聞いていて心
温まるのはこんな時だ。以前『バック・コーラスの歌姫たち』
という裏役シンガーにスポットを当てた映画があったけれど、
ケティ・キッスーンもまた素晴しい!

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by obinborn | 2017-01-25 02:06 | one day i walk | Comments(0)  

アイズリー・ブラザーズ『ライヴ』〜黒人音楽の沸騰点へ!

歳のせいか、最近陽射しの強さが気になってきた。とくに
冬が侮れない。南向きの部屋では昼間ずっとカーテンを閉
める次第だ。かつてこんなことはなかった。ぼくは以前告
白したように緑内障であり、定期的に眼科検診を受けてい
る身だが、他の疾患を誘発しないようせめて気を付けたい。

今日の午後はずっとアイズリー・ブラザーズ『ライヴ』(
73年)を聞いていた。録音場所は残念なことに明記されて
いないものの、比較的小規模のクラブで行われたらしい親
密感は、容易にカーティス・メイフィールドやダニー・ハ
サウェイのライヴ作を思い起こさせるものだ。

アイズリーズといえばヴォーカル・グループとしてモータ
ウンに所属しながら「ツイスト&シャウト」や「ディス・
オールド・ハート・オブ・マイン」をヒットさせていた60
年代に始まり、90年代以降露になったブラコン〜H路線ま
で様々な顔がある息の長いヴォーカル&インスト・グルー
プだが、やはり独立レーベルのT・ネックを興してニュー・
ソウルの時代と同期していった70年代前半の時期に、ぼく
は一番親しみを覚える。

ジミ・ヘンドリクスの「マシーン・ガン」でアーニー・ア
イズレーのエグいギターが炸裂する。JBばりのファンク・
ナンバー「イッツ・ユア・シング」は高らかに公民権運動
と結託する。そして白人ロックからスティーヴン・ スティ
ルス「愛への讃歌」とボブ・ディランの赤裸々なメイク・
ラヴ曲「レイ・レディ・レイ」が選曲される。さらにはニ
ール・ヤングの「オハイオ」が学園闘争の時代を反映する。
そのどれもに高らかな信念(少なくともぼくたちはこうで
ありたいという願い)があり、音楽的にはソウルとロック
との幸せな結婚がある。

自覚的なアーティストは時代を切り取ると同時に、そうし
た時代の状況に流されないよう、音楽としてのクォリティ
をしっかり掴み取る。そうしたトータルな観点で振り返っ
てみると、この『アイズリーズ・ライヴ』が時の流れを超
え、今なお当時を知らない若者たちから支持されている理
由が判る。そこにはリズムのさざ波があり、劇的な興奮が
あり、ファンク音楽ならではの連帯と陶酔がある。

目はすっかり悪くなってしまったけれど、自分の耳で偏見
なく音楽を聞き取る能力は失いたくない。そんなことをふ
と思う一月終わりの季節だった。


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by obinborn | 2017-01-24 18:29 | one day i walk | Comments(0)  

B.J.トーマスのこと

今日は奥田英朗の『向田理髪店』を読了。北海道の過疎地を
テーマにした連作短編で、小さい町ならではの人間関係の温
かさと疎ましさがユーモアとともに描かれていた。現実とし
ては財政破綻に陥った夕張市を想定したのではないだろうか。
僕が奥田さんで偉いなと思うのは、いわゆる自己憐憫に終始
しがちな私小説ではなく、人々が求めている”物語”を洗い直
しながら紡いでいること。行間に温かさが滲む。ほんのりと
した湯加減に包まれる。

B.J.トーマスの歌にも同じようなことが言える。彼は60年代
の後半から70年代にかけて全米チャートを賑わしたシンガー
であり、代表曲「雨に濡れても」を両親のレコードで聞いた
若い人たちも少なくないだろう。B.J.の場合自分の歌を自分
で作るシンガー・ソングライターではなかったけれど、その
確かな歌唱が多くの人々の心を捉えた。SSWの時代には随分
と”ヘタウマ”が跋扈した。それでも同時代を駆け抜けたB.Jは
歌そのもので、確かなテナー・ヴォイスで、聴衆たちを魅了
していったのだ。

そんなB.Jにとって73年の『SONGS』はメジャー・キャリア
の後半戦だった。ウェイル=マンの曲を、ゴフィン=キング
のナンバーを、あるいはマーク・ジェイムズやバリー・ゴー
ルドバーグの曲を、B.J.はしっかり自分の歌へと昇華させる。
まさにシンガーならではの矜持、ここにあり。

温かい部屋で立派なオーディオ装置に囲まれるのが歌ではな
いだろう。深夜のラジオで、町の片隅で、本物の歌は人々の
凍て付いた心を溶かしていく。B.J.トーマスはそれが出来る人
だ。北の町の寒さを思う。B.J.のことを思う。

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by obinborn | 2017-01-22 18:59 | one day i walk | Comments(0)  

リアリストの思考

かつてサラリーマンの平均年収は600万だった。ちょっと身
振りがいい企業で700〜800万だったと記憶する。若い人は
知らないだろうが、一億総中産階級と呼ばれた高度成長時代
である。以降バブルの栄華と退潮、リーマン・ショックを経
て、日本経済は低迷の一途を辿っている…というのが大筋で
の見立てである。私がとくに指弾したいのは小泉・竹中内閣
時代に推し進められた新自由主義だ。この愚策によって非正
規労働者が増え、彼らは企業の単なる雇用調整弁の対象とな
り、不安定な生活を余儀なくされた。アルバイトの時給を現
在1,000円と仮定したら、今や年収200万も夢のまた夢だろう。

一体どうしてこのような世界になってしまったのだろう?
年末から新年にかけての朝日の論調は醜くかった。要するに
かつての栄華を振り返るのではなく、低成長時代を受け入れ、
それに合わせて自身の私生活もシフトせよ、という説教だっ
た。身の丈にあった暮らしといえば何やら文学的だが、実際
は「お前の未来などない」という死刑宣告であり、恫喝であ
る。きっとこの状況のままではバブルを謳歌し優雅なセカン
ド・ライフに手を出している団塊の世代と、現在の若者たち
との間で階級闘争が発生するだろう。そう、村上龍の近未来
小説のように。

若い人と話していて心が痛いのは、もう年金なんか当てにし
ていないという恨み節があること。それだったら今この一瞬
を享楽的に刹那的に楽しめばいいという逆張りがあること。
そこに、かつて日本を支えた中間層の心の豊かさを伺うこと
は出来ない。内田樹や想田和弘といった”リベラルな”論客が
成長しなくてもいいという新たな神話に歩を合わせている様
などまさに噴飯モノであり、知性の退廃という他ない。金銭
で買えないものがあると流布するのは、持っている者たちの
戯れ言に過ぎない。もっと平たく言えば、ある程度の蓄えが
あってこそ心の平静が保たれ、それが音楽や文学といったカ
ルチャーに結び付き、知的な思考の源泉となる。私のような
リアリストは少なくともそう考える。

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by obinborn | 2017-01-19 01:25 | one day i walk | Comments(0)  

追悼:リチャード・イングイ〜あなたに出会えて良かった

リチャード・イングイの訃報が届いた。チャールズ・イング
イとともにソウル・サヴァイヴァーズのヴォーカルとソング
ライティングを担った素敵な兄弟だった。ガレージ・バンド
に始まり、アラバマのフェイム・スタジオを訪れ、最後には
フィラデルフィアの地でシグマ録音を敢行する。その歩みに
ブルーアイド・ソウルの時代が凝縮されていたような気がし
てならない。ぼくが彼らを知ったのはブルーズ・ブラザーズ
がEXPRESSWAY TO YOUR HEARTを取り上げていたから。
ソウル・サヴァイヴァーズの原曲は67年の9月、全米チャー
トで堂々の4位に輝いた。既にヤング・ラスカルズはデビュ
ーしていたけれど、サヴァイヴァーズの情熱もなかなかだっ
た。リチャード・イングイさん、豊かな音楽のありかのこと
をぼくはあなたから学びました。願わくばその土地がこれか
らも耕され、来るべき収穫の季節を迎えますように。

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by obinborn | 2017-01-17 02:19 | one day i walk | Comments(0)