カテゴリ:blues with me( 46 )

 

ありがとう、ボビー”ブルー”ブランドさんへ

今日(18日)は隣町・東長崎のクレオール・コーヒーに行き、
ボビー・ブランドの『Come Fly With Me』(abc 78年)を購
入しました。今さらと怒られそうですが、これメチャクチャ
良いですね!デューク/ピーコック時代のブランドがブルーズ
・ファンの”聖典”であることはむろん間違いないのですが、も
っと柔らかくなった彼の姿に出会えるという意味で、この通称
ブランコ・アルバムはまさに鉄板だと確信するに至りました。

もう少し具体的に言うと、リズムのヴァリエーションが広くな
り、時に使用されるエレピの柔らかな音色や女声コーラスも効
果を上げています。そういう意味ではよりソウルに接近したブ
ランドの姿に立ち会えます。デューク時代には殆ど見受けられ
なかった例の”うがい歌唱”も随所に押し出され、以降のマラコ
時代へと自然に繫がっていきます。新たにスタックスの社主と
なったアル・ベルのプロデュース。西海岸からナッシュヴィル、
さらにシカゴ、テキサスまで足を伸ばしたレコーディングから
は、新しい時代にどう対応しようか?というブランドの試行錯
誤とチャレンジングと孤独が密かに聴こえてくるようです。同
時代のオーティス・クレイやシル・ジョンソンの動きと比較し
てみるのも一興ですし、メンフィスで育ったソウル・チルドレ
ンがドン・ディヴィスと出会い、シカゴ録音の大傑作『FINDE
R KEEPERS』を作り上げたことなどを思い起こしてしまいま
した。

若い頃はよく理解出来なかったブランドの音楽が、今では毎日
の”きしみ”のように染み渡る。互いに悪意なんか全然ないのに、
レコード屋さんの話題を交わしただけで、「元カノは今も元気
で良かったなあ〜」と思う反面、まるで癒えていない古傷のよ
うな痛みを運んでくる。音楽とはきっとそういうものだろう。
ありがとう、ボビー・ブランドさん。ぼくはあなたの歌が大好
きです。

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by obinborn | 2016-12-18 18:50 | blues with me | Comments(0)  

ローリング・ストーンズ『ブルー・アンド・ロンサム』に寄せて

『ブルー&ロンサム』は収録曲の半分しか知らない音楽評論家を
青ざめさせ、ブルーズ愛好家を意気揚々とさせるブルーズのカバ
ー・アルバムだ、と昨日書いた。その気持にいささかも変わりは
ない。ビギナーや一般的なリスナーはともかくとして、少なくと
も公の場で文章を書いている音楽ライターや評論家だったら、最
低でも半分は原典作品を知っていなきゃ。そんな意味を込めた。

実際のところ、ぼく自身も”青ざめた”書き手の一人だった。勿論
個々のアーティストに関してはレコードを持ち、それぞれの音楽
性を把握していたのだが、楽曲単位での記憶という点ではおぼつ
かないものが少なくなかったのだ。ブルーズという音楽の構造上
個々の楽曲の識別が難しいという側面を考慮したとしても、実に
脇が甘いと言わざるを得ない自分を呪った。

そのように『ブルー&ロンサム』は激渋のブルーズ集となってい
る。例えばハウリン・ウルフであれば「44 Blues」や「Evil」もし
くは「Smokestack Lightnin'」、リトル・ウォルターだったら「
My Babe」や「Off The Wall」あるいは「Mellow Down Easy」と
いったナンバーが看板だろうが、そうした犬でも知っているよう
な(手垢に塗れた)作品を外し、もう少し地味な選曲を心掛けた
様子が伝わってくる。シカゴ・ブルーズを軸にライトニン・スリ
ムのルイジアナ・サウンドまでに足を伸ばす。そんなストーンズ
が魅力的だ。

それにしてもミック・ジャガーの精気に満ちたヴォーカルやブル
ーズ・ハープはどうだろう。とても70歳を超えたおじいさんの姿
とは信じられない。むろん他の三人にしても、生き生きと活気漲
る演奏を繰り広げている。原点回帰と言ってしまえばそれまでだ
が、やはりローリング・ストーンズという母船が帰っていく場所
とは、ブルーズという大きな港なのだろう。若さに物を言わせて
いた時期をとっくにやり過ごし、年齢と闘いながら築いてきた長
い道のり。もしかしたら彼らのそうした歩みこそがブルーズだっ
たのかもしれない。老練したロック・バンドの現在地点として、
これほど正直で誠実なアルバムは他にないだろう。今ぼくはそん
なことを思い始めている。

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by obinborn | 2016-12-03 07:29 | blues with me | Comments(0)  

追悼:モーズ・アリソン〜TELL ME SOMETHING

今年も様々な音楽家が亡くなった。世紀の変わり目というのは
このように10数年経ってから初めて意識されるものなのかもし
れない。それは親しかった者の不在が、慌ただしく興奮状態の
葬儀前後ではなく、半年くらいしてからやっと突然実感される
のと似ている。20世紀を彩った多くの偶像たちの退場。何だか
寂しいね。

モーズ・アリソンは50~60年代にプレステッジ、コロンビア、
アトランティックなどに結構な量のレコードを残しているけれ
ど、本人も参加したトリビュートに近いアルバムとしては、96
年に発売された『TELL ME SOMETHING:THE SONGS OF MO
SE ALLISON』をお薦めしたい。ヴァン・モリソン、ジョージィ
・フェイム、ベン・シドランと”大人の粋”を知り尽くした三人
が、大先輩であるモーズの歌を歌い、敬意を込めたナイスな作
品だ。

むろんモーズがこだわったスモール・コンボによる無駄のない
シンプルな演奏が用意され、幾多のモーズ・ソングスが最高の
形で再提示されるといった塩梅。彼の歌(その多くはぼやき節
やほろ苦い人生訓話)がザ・フー、カクタス、ボニー・レイッ
ト、ザ・ルーモアなど数多くのロック音楽家によって広まった
ことも忘れられない。この『TELL ME SOMETHING』では、
ポール・バターフィールドもベターデイズ時代に取り上げたIF
YOU LIVEが最もお馴染みだろうか?軽妙洒脱で足回りのいい
シャッフル・ビートのなか、ベン・シドランが憂いのヴォーカ
ルを、ジョージィ・フェイムが腹八分目のハモンド・オルガン
を弾く会心の演奏だ。さぞかし作者モーズはご満悦だったろう。

青年時代にはよく解らなかったモーズ・アリソンの良さが、今
では五臓六腑に染み亘る。やっとのことだ。ぼくの経験も人生
もまだまだだね、ミスター・モーズ。享年89歳。いままであり
がとうございました。

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by obinborn | 2016-11-16 13:09 | blues with me | Comments(0)  

クラン・レコードの平野実さんを偲ぶ

何の変哲もない私鉄沿線の町にその店はあった。今や伝説として
語られる輸入レコード店・クランのことだ。テックス・メックス
とルイジアナのスワンプ・ポップ&ザディコを看板にした同店は、
いつしか人と人の交差点となり、何人かのミュージシャンやライターを輩出していった。その渦の真只中にはいつも店主の平野実さんがいらっしゃった。今や故人となってしまった彼をクランの思い出とともに偲びたい。そう、1978年から2008年までの30年、平野さんはずっと店を支え続けたのだった。

☆      ☆      ☆

開店は78年 当初は当時潮流だったSSW~スワンプ・ロックを中心に掛けるロック喫茶だった

私が最初に行ったのは79年の夏 初めてのリクエストは『ジェシ・ウィンチェスター』

リクエストはLPの片面単位ごと あの頃はこうした店が主流だった

トム・ウェイツ『クロージング・タイム』をフルで流す夜も

西武池袋線江古田駅北口から約5分 三叉路前の青梅(現:西京)信用金庫が店の目印だった

コーヒーは豆を挽いていた 値段は250~300円前後と記憶する

夜は次第に呑み屋へと変化  私はサントリーホワイトのボトルをよく入れていた

美味しかったフードはボルシチ ごく初期にはカレーも置いていたらしい

まだSNS環境がない時代 店に置かれた一冊のノートが「つぶやき」の場だった

渋谷のブラックホークを意識してか、月曜夜に英トラッドを聞く会を開催

トイレには「ウンコは家でしましょう」の張り紙が

店では野良猫がよく平野さんに懐いていた 心温まる風景だった

マチケン(町田謙介)、クランでソロ・ライブ

友部正人が自主制作盤『何でもない日には』販促のため来店

湯布院のSSW通販店タンボリンと親交 「田圃林通信」を配布

八王子のロック喫茶「アルカディア」と親交  「アルカディア通信」を配布

常連の長谷雅春氏、「ビール・ストリート」~「レッドビーンズ(赤豆報)」と自らミニコミで大活躍

私(小尾)のミニコミ「ハックルバック」にも平野氏は寄稿して
くださった

当初から委託中古盤などを扱っていたが、やがて輸入盤専門レコード店へと方向転換

Pヴァインがチェスの権利を獲得した80年代前半頃から、同社と取り引き開始

平野氏、本格的な音楽体験のため、幾度かテキサスへと旅立つ

スワンプ・ポップに着眼 大河シリーズ『ジェイ・ミラー・セッションズ』を取り扱う

フラーコ・ヒメネスの貴重なインディー録音盤をがっつりと輸入

ジョー・キング・カラスコやバックウィート・ザディコら新世代もいち早く紹介

ロス・ロボスのメジャー・デビュー作『AND A TIME TO DANCE』を輸入 音楽メディアなど各方面に衝撃を与えた

ファビュラス・サンダーバーズやリロイ・ブラザーズも積極販売

スティーヴ・レイ・ヴォーン来日時には「SRV公演のため本日臨時休業」の張り紙も

サニー・ランドレスが帯同したジョン・ハイアット来日公演のため臨時休業

スティーヴ・ジョーダンやフレディ・フェンダーの輸入盤を国内配給開始 ライナーも平野氏(ときにペンネームの黒岩姓で)担当

アコーディオンやラブボードといった楽器、スラック・キーの教則本、ルイジアナ音楽研究の第一人者であるジョン・ブローヴェンの著作なども販売 音楽ファンから信頼を得る

ダグ・サームのビデオ上映会を開催 小型テレビ画面で見せられた

レコを買うとポイント制の割引券(茶色の名刺サイズ)が貰えた

レア盤の購入には、例えば¥2,800円プラス割引券20枚要というハードルあり

そのハードルでリードーシーのポリドール盤やSDQのマーキュリー盤を購入した思い出も

ブレイヴ・コンボのカール・フィンチ、来日時のステージで招聘の平野氏を讃える

平野氏、『ミュージック・マガジン』『レコード・コレクターズ』に幾つかの記事を寄稿

『ミュージック・マガジン』の連載で店が紹介される

山崎直也、中山義雄といった鋭い感性の音楽評論家諸氏も店を愛した

さらにチカーノ・ラップのカセットまで取り扱うマニアックぶりを発揮

この頃からクレイジー・ケン・バンドの横山剣氏と親交

90年代後半からは古着や中古オーディオ機器の扱いも始める

平野さんは配線回路に詳しく、機械の修理にも長けていた

クラン閉店は2008年の春 とくに告知はぜず、粛々と

平野さんは常に無口で淡々とした風情 「世間に動ぜず」が基本姿勢だったように思える

私が最後にお会いしたのは2014年秋のスクイーズボックス・ナイト
お元気そうだったのに…

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by obinborn | 2016-11-01 18:36 | blues with me | Comments(0)  

追悼:バックウィート・ザディコ


バックウィート・ザディコ(スタンリー・デューラル)が癌
のため亡くなりました。遅ればせながら何枚かの所有盤を持
ち出してきて追悼しています。クリフトン・シェニエが60〜
70年代を通してザディコ音楽を広めたスターだとすると、バ
ックウィートはその後、80年代以降のザディコを牽引してい
く存在でした。当初はサニー・ランドレスも所属していた地
元南ルイジアナのレーベル、ブルーズ・アンリミッテッドで
ローカルな活動に甘んじていたバックウィートでしたが、や
がてブラックトップやラウンダーといったルーツ音楽に理解
のある白人向けの中堅レコード・カンパニーと契約しながら、
音楽の幅を広げていきました。87年には何と大手のアイラン
ドへと移籍してファンを驚かせます。折しもこの頃は、ワー
ルド・ミュージックの全盛期。ザディコというルーラルな音
楽をもっと広めたい!というクリス・ブラックウェルの思惑
も容易に想像されます。正確な時期はもう忘れてしまいまし
たが、確か90年前後に初来日した際の公演を私は渋谷のクア
トロで観ていたのでした。

今聞いているのはブラックトップを経てラウンダーに移籍し
た最初のアルバム『TURNING POINT』〜84年です。アルバ
ム表題曲はタイロン・ディヴィスの代表的なノーザン・ソウ
ルのカバーであり、このようにR&B/ソウルの有名ナンバーを
取り上げ、ザディコ音楽としてリアレンジするアプローチが
バックウィートにはとくに顕著でした。どこまでレーベルが
主導するアイディアだったのか、それとも本人による選択だ
ったかは解りませんが、少なくとも音に接している限り、私
には親しげに語り掛けてくる気持を感じます。まあ逆にザデ
ィコというクレオール(フランス系入植者とルイジアナ黒人
との混血)文化にどこまでも学究的〜フォークリリックな態
度を求める方々には、適さなかったのかもしれません。

「ぼくの父は本物のフランス人でした。ぼくの家庭ではフラ
ンス語で会話するのが当たり前の環境でした。当時はクリフ
トン・シェニエくらいしか、ぼくたちフランス系クレオール
が聞ける音楽はなかったんです。やがてぼくは自分でザディ
コを演奏し始めました。父親には”学校に行け!”と言われま
したけど、ぼくはやがてファッツ・ドミノやリトル・リチャ
ードに夢中になりました。71年になって本格的にバンドを組
む頃には、クール&ザ・ギャングやアース・ウィンド&ファ
イアそしてパーラメントなどのファンク・ジャズも聞いてい
ましたよ」(『TURNING POINT』のライナーに於けるバッ
クウィートの回想より)

音楽が何よりも混血文化であることを身を持って示してくれ
たバックウィート・ザディコさん、本当にありがとうござい
ました。あえてバックウィート(黒ん坊という蔑称。ガーラ
ンド・ジェフリーズの歌に「俺をバックウィートと呼ぶな」
という人種問題を告発した歌があるほど)という芸名を用い
ながら、ザディコとR&Bとロックを分け隔てなく歌い演奏し
続けたバックウィート・ザディコ。私はあなたの理解者であ
りたいと願っています。

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by obinborn | 2016-10-05 17:26 | blues with me | Comments(0)  

ビリー・バトラーとともに、夕暮れ時を。

今日は昨日とは対照的に暑い日でした。それでも夕暮れが早く
なり何となく秋を実感する時期になりました。というわけで
さっきレコ棚からアットランダムに引っぱり出してきたのが、
ビリー・バトラーのセカンド・アルバム『GUITAR SOUL!』
(プレステッジ 69年)です。私が所有しているのはOJS(オリ
ジナル・ジャズ・シリーズ)の廉価リイシュー盤で、あの懐か
しい西武百貨店系列のWAVEの値札が貼ってあるので、恐らく
90年代に池袋の同店で購入したものだったと推察されます。

私がビリー・バトラーというジャズ・ギタリストを知ったのは、
彼が昨日紹介したビル・ドゲット・コンボに在籍してからであ
り、およそ55年から60年にかけてビリーはビル・ドゲットたち
とともに初期のキャリアを磨いていきます。そういう意味では
ジャズというよりもR&Bテイストをルーツに持つ人だったのか
もしれません。そんなビリーはやがてビル・ドゲット・コンボ
から独立しソロ活動へと転じます。ブルーノートと並ぶジャズ
の名門レーベル、プレスティッジに招かれた彼は大いに自信を
深め、メルヴィン・スパークスやブーガルー・ジョーンズとと
もに同レーベルお抱えのセッション・ギタリストとして活躍し
始めるのでした。

この『GUITAR SOUL!』はそんなビリーのリーダー・アルバム
第二弾です。まず驚かされるのがA面冒頭の超ファンク・ナン
バーBLOW FOR THE CROSSING。彼は何とワウワウ・ペダル
を駆使しながら、69年前後のジミ・ヘンドリクスと同期するよ
うなエグいプレイを展開しているのです。スペックス・パウエ
ルのファットバック・ドラムスが俄然映えるのも、こうしたフ
ァンク曲ゆえでしょう。ボブ・ブッシュネルのフェンダー・ベ
ースとの絡みも効果的。かと思えばA2曲のGOLDEN EARRIN
GSと、B4のAUTUMN NOCTURNE/YOU GOT MY HEADでは
まるでジャンゴ・ラインハルトのようなジプシー・ジャズを奏
でるのですから多面的ですね。さらにラテン・ビートの応用と
いう50年代からジャズと親和性が高い領域については、B面3
曲めB&B CALYPSOのお遊びを、余裕でこなしていきます。

それでもビリーのルーツとなるのは、やはり圧倒的にR&Bな
のでしょう。かつて同じ釜の飯を喰ったビル・ドゲットの看板
曲HONKY TONKを堂々とB1に配していることが何よりの証明
です。ちなみにこのHONKY TONKというR&Bインストを私が
最初に聞いたのは、ロギンス&メッシーナのカバー・アルバム
『SO FINE』(コロンビア 75年)でした。ボビー・ダーリンか
らハンク・スノウ、クライド・マクファッター、エヴァリーズ、
チャック・ベリー、さらにクリス・ケナーまで幅広くセレクト
したこの盤は、私のハイスクール・イヤーズの聖典でした(出
来ればもっと評価して欲しい!)

「ビリーは踊るヴァイオリンのようにギターを弾く。あるいは
自ら歌うようなギターを奏でる。私は彼に尋ねた”きみにはどん
なメゾットがあるんだい?するとビリーは答えた”きみが何かを
掴み取った時に自分自身であればいいんだよ。別にそれがラジ
オ局と取り引きする時に、価値あることでなくともさ!”」

1969年の11月に記されたラリー・カートのライナーノーツには
そんな記述があります。ビル・ドゲットのR&Bコンボに在籍し
つつも、チャーリー・クリスチャンの甘美なシングル・ノート
に憧れ、またジャンゴ・ラインハルトとT.ボーン・ウォーカー
を視界に収め、恐らくジミ・ヘンドリクスの台頭も意識してい
たのでしょう。そんなことを思い浮かべながらこの『GUITAR
SOUL!』を聞いていると、当時の音楽状況(ロックとジャズとR
&Bのシンクロナイズのようなもの)が、はっきり浮かび上がっ
てくるのです。

世間一般ではあまり評価されていないビリーですが、彼が60年
代というワン・ディケイドの混沌のなかにあって、『GUITAR
SOUL !』のような名作を残したことにひたすら感謝しています。
あ〜、夕暮れが迫ってきました。

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by obinborn | 2016-10-04 18:02 | blues with me | Comments(0)  

コテコテ・ジャズは最高っす!


ハモンド・オルガンは南部の教会で用いられるなど、バレル
ハウス・ピアノとともに黒人音楽の歴史を支えてきました。
50年代にはR&Bやジャズの分野にも応用されるなど、どんど
ん進化していきました。一番有名なのはビル・ドゲッドやジミ
ー・スミス辺りでしょう。私もオルガンの泥臭くファンキーな
タッチは大好きなので、ロックをとりあえず一周し終えた90年
代には狂ったようにオルガン・ジャズ、オルガンR&Bのレコー
ドを集め始めたものです。ちょうどイギリスでアシッド・ジャ
ズ〜レア・グルーヴのブームがあり、日本でもピーター・バラ
カンがベビー・フェイス・ウォレットのブルーノート盤や英チ
ャーリーがコンパイルしたビル・ドゲットのLPを紹介していた
頃だと記憶します。ヒップホップ以降の世代ではビースティ・
ボーイズがジミー・スミスのROOT DOWNをサンプリングし
ましたよね。その温故知新的な効果は絶大でした。

やがて聞く枚数を重ねていくと、ブルーノートは比較的大人し
いオルガン・ジャズに終始していて、プレステッジやチェスの
傍系のアーゴといったレーベルにもっとエグく、よりR&Bパー
ティ向けのダンス・レコードが多いことに気が付いていきまし
た。『ジャズ批評』誌が”コテコテ・ジャズ”なる造語を新たに
作り出し、従来のハード・バップとは違うファン層を開拓しな
がら、モダン・ジャズ派には敬遠されがちだったB級プレイヤ
ーたちを掘り起こしたことも忘れられません。グルーヴ・マー
チャントも真っ黒ないいレーベルです。60年代後半に立ち上げ
られた会社らしく、当たり前のようにエレクトリック・ベース
や16ビートが援用されているのは、当時のソウルやファンクの
台頭を意識していたからでしょう。ブラック・ミュージックは
スライ&ザ・ファミリー・ストーンやカーティス・メイフィー
ルド、あるいはスティーヴィ・ワンダーなどの台頭で、70年代
の扉を開きつつありました。

73年にグルーヴ・マーチャントからリリースされた『GIANTS
OF THE ORGAN:COME TOGETHER』を、そんなニューソウ
ルの蜂起と共に感じてみるのもあながち間違いではないと思い
ます。ジミー・マグリフとグルーヴ・ホルムズという二大ハモ
ンド奏者がまったく互角に共演したこの盤は、いわばオルガン・
トリオ二組が同時にプレイしているようなものであり、単純に
2倍以上の劇薬的な効果を促します。ドラマーとコンガ奏者だ
けはバーナード・パーディとクワシ・ジェイオルバに固定しつ
つも、ギターをジョージ・フリーマンとドネル・レヴィに振り
分けた点にも、ダブル・トリオの意義をはっきり汲み取ること
が出来ます。

もっとも当時のマイルズ・デイヴィズのようなポリリズム的な
面白さは希薄というか、そもそも目指すところではなく、あく
までシンプルなビートが絶え間なく供給(反復)され、そのな
かでオルガン×2、ギター×2の丁々発止がスリルとともに展開
されるという塩梅です。なおこの顔合わせに気を良くしたのか、
マグリフとホルムズは、同じ73年に本作のライブ展開版とも言
うべき『IN CONCERT』を残しています。そちらもぜひ併せて
聞きたいですね。

元々ブッカー・T&MG’sのGREEN ONIONやTIME IS TIGHTを
中学生の頃から身体に馴染ませていた私には、こうしたオルガ
ン・ジャズ〜コテコテ路線に免疫があったのかもしれません。
まさに娯楽ジャズの極み〜ダンス・パーティ必携の一枚が、こ
の『GIANTS OF THE ORGAN:COME TOGETHER』ではない
でしょうか。というわけで音楽のお供はビールからハイボール
へと進み始めました。

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by obinborn | 2016-10-02 17:24 | blues with me | Comments(0)  

夕暮れとマディ


猛暑の戻りのせいか、今日は一瞬立ちくらみになり頭が真っ白
になってしまいました。そんな疲れをマディで癒す夕暮れは最
高に幸せ。とくにこの『SINGLES 1955〜1959』はヒット曲ば
かりを集めているので、当時のサウスサイドのジュークジョイ
ントでマディの曲に合わせてダンスしていた人々のことを容易
に想像出来ます。やれ音楽に於ける構造主義からの脱却とか、
やれポスト・モダン以降のオーネット・コールマンとかいった
屁理屈を言う前に、「あんたマディをゲップ出るまで聞いたこ
とあんの?」と問い質したいようなクソ同業者は多いです(笑)
さあ、マディのSUGAR SWEETとともに私の夕暮れが始まりま
す。

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by obinborn | 2016-09-06 17:52 | blues with me | Comments(0)  

ダグ・サームとボブ・ディランの出会い

ダグ・サームの伝記『TEXAS TORNADO』をほぼ読了。こち
らは英語なのであくまで流し読みでしたが(汗)、黒いスー
ツを着てブリティッシュ・インベンションに対抗したサー・
ダグラス・クィンテット65年のデビュー時の苦労話から、シ
スコのアヴァロン・ボールルーム(のちのフィルモア・ウェス
ト)でビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーや
クイックシルヴァー・メッセンジャーの連中と共演した様子、
西田さんご指摘のマネジャーを介したトレイシー・ネルソンと
SDQの絡みなどが語られていきます。なかでも多くのページを
73年の傑作『ダグ・サーム&バンド』に割いている部分はクラ
イマックスかもしれません。ちょうどドクター・ジョンの『ガ
ンボ』(72年)をプロデュースしたばかりのジェリー・ウェク
スラーがその経験を生かしながらダグに相応しい共演者たちを
吟味し集めていった様子がリアルであり、フラーコ・ヒメネス
のチカーノから、デヴィッド・ニューマンのようなアフリカン
=アメリカンまでが一堂に会したセッションは、クロス・カル
チャーの最高峰を伝えるものとなりました。ドクター・ジョン
が最も得意なピアノではなくオルガンを弾き、元々はオルガン
奏者のオーギー・マイヤーズが主にピアノを担当したという、
まるで変化球のような事実を私はここで初めて知りました(
私なりに邪推すればドクターのピアノだとシンコペ感覚があま
りに強烈なので、ダグのカントリー・ソウルには合わないとウ
ェクスラーが的確に判断したのだと思います)それはともかく、
このセッションに参加したボブ・ディランは亡きダグ・サーム
に対して次のような讃辞を贈っています「ダグのSHE'S ABOU
T A MOVERと私のLIKE A ROLLING STONEはちょうど同じ65
年にヒット・チャートを駆け巡った。ダグはとても大きなソウ
ルの持ち主で私たちはいつしか同じ土壌に生まれた音楽を共有
し、ともに演奏する仲間となった。私たちはハンク・ウィリア
ムズの歌に声を合わせた。それ以上の体験は未だかつてないよ。
私はダグの天衣無縫を愛し、ダグの壊れそうなまでの繊細さに
触れた。私はダグを永遠に失ってしまったが、彼は研ぎ澄まさ
たまま、今もここにいるんだ。私とダグは人生の幾つかの局面
で出会い、ともに幸運な時間を過ごしたんだよ」

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by obinborn | 2016-03-08 18:08 | blues with me | Comments(0)  

真夏の夜とジョン・リー・フッカー

東京エリアのなかでもとりわけ練馬区の温度は高い。
何でも今日は36℃を記録したそう。こんな暑さでは
読書もまるで身に入らないから、さっきからずっと
ジョン・リーを聞いている。生涯一貫して粘着力の
あるストンプ・ブギと呻くような歌で通したのだか
ら大したものだ。確か80年代に実現した日本公演に
行かなかったことが今さらながら悔やまれる。動く
彼を初めて見た映画『ブルーズ・ブラザーズ』の衝
撃もあったはずなのに、たぶんお金がなかったのだ
ろう。ジワジワと発酵していくようなジョン・リー
の音楽にはやはり広範なアフリカン=アメリカンの
系譜を強烈に感じてしまう。彼の場合いわゆるギタ
ー・ヒーローやモダン・ブルーズの文脈とは違う部
分で異彩を放ってきたと思う。好きなアルバムはい
ろいろあるものの、やはり初期のものほど純度が高
い。日本のスパイダーズ、英国のゼム、アメリカの
キャンド・ヒートやJ.ガイルズ・バンドなど、与え
た影響もハンパなし。ロック・バンドというものが
ブルーズに感化されたものだと信じられていた頃を
懐かしく思い起こす方々もいらっしゃるだろう。ち
なみにジョン・リーのギタリストとしての腕前はま
さに我流とも言える無茶ぶりのアタックの強さが胆。
ヴァン・モリソンがたまに弾くギターにも乱れ打ち
のようなジョン・リーの痕跡がある。ごく例外的な
バラード「ドント・ルック・バック」(私はゼムの
演奏で知った)にしても、それは無口な男がふと漏
らした呟き。そこに真実味を感じるのは私だけでは
あるまい。

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by obinborn | 2015-07-26 18:59 | blues with me | Comments(0)