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3月28日/そしてラクーンからの便り

いろいろなことが剥き出しになり
いろいろなことが試されている

あの日を境に何だか位相が歪み 
見える光景が違ってきてしまった

昨日までそこにあった町や人が
今は瓦礫のなかというのはどんな気がするのだろう

自分が育ち子供の頃の記憶と分け難く結びついている光景が
一瞬にして奪われるのはどんな気がするのだろう

自分の家や店や学校が跡形もなく流されてしまったというのは
一体どんな気がするのだろう

持っていたものをすべて失うというのは
一体どんな気がするのだろう

帰るべき家はもうない 会うべき人たちはもういない
それは一体どんな気がするのだろう



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追記:その後ラクーンより掲示板のほうに連絡がありましたので
こちらに転載させていただきます
大変な状況のなか よくぞ書いてくれたと思う
ラクーン、負けるなよ!

 *             *             *

だんまりですみません
投稿者:raccoon 投稿日:2011年 4月 1日(金)16時45分42秒

被災地へのおこころづかいありがとうございます。
先日やっと故郷・陸前高田で家族と対面できました。

それまでは毎日映像を見るたび泣いて暮らしていましたが
行く道の、自衛隊の皆さんやタンクローリー、
救援物資を運ぶトラックの逞しい姿に何度勇気づけられたことか。
皆さんの善意のライン。
そうでした、心が折れたなんていっている場合ではないのでした。
頭は冷たく心は熱く。やることは山積みです。

まだ音楽などを楽しめる余裕はありませんが
もう少し経って、気持ちをくんでくれるのも
傍にいてくれるのも必ず音楽だと思っています。

それぞれの思いを胸に前へ
どんなに厳しいときも生き抜いてゆきましょう。
http://www3.nhk.or.jp/news/jishin0311/movie/chapter_43.html

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ラクーンが大好きなヤングブラッズ
写真は彼らの71年作『Good And Dusty』の裏ジャケットから
「これならオレでも演奏出来るんじゃないか?」と思わせる鷹揚
な響き ヘタレの極北のような親近感が魅力のグループだった
ジェシ・コリン・ヤングの名曲「light shine」が愛でるような余韻を残しながら
アルバムは終わる
ちなみにレコード番号はraccoon#9
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by obinborn | 2011-03-29 02:19 | rock'n roll | Comments(5)  

3月26日

地震後2週間め 給料日後の週末
しかしながらとにかく町に人が少ないです
電車もガラガラ
節電のため店舗も軒並み短縮営業をしている

こんな状況下でのDJは推してしかるべしだったのかも
限りなくゼロに近いお客さんにたじろぐ
こんな体験は今までで初めてです

飲食業の方々も他のお店の方々も苦しい
ぼくも今日はキツかったです
先月50人集客したのがまるで夢のよう
やはり直接に間接にいろいろな形で影響が出ている

仕事を抜け出して駆け付けてくれたTさんと
店主の松尾さんの心遣い(もしくは単なる傷の舐め合い^0^)
が唯一救いでした

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なお掲示板のほうに かもんみねこさんがこんな絵を送ってくれました
こちらに転載させていただきます みねこちゃんアリガトー!

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copyright and publising by かもんみねこ
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by obinborn | 2011-03-27 06:48 | one day i walk | Comments(0)  

ロング・インタヴュー、木下弦二 (上巻)

 東京ローカル・ホンクの木下弦二と初めて言葉を交わしたのは、
忘れもしない07年秋のことだった。ちょうど彼らのセカンド・アル
バム『生きものについて』が発売されたばかりであり、その時の
弦二は初対面のぼくをまえに、自分たちの音楽をどう説明しよう
か思案しているようだった。

 あれからおよそ3年半が経った。その間ぼくは可能な限り彼らの
ライヴに通い詰めた。最高の時の彼ら四人はまるで奇跡のような
サウンドを鮮やかに描き出した。演奏が多少平均的な出来映えに
終始した夜でさえ、帰り道を歩くぼくは幸せな気持ちに満たされた。

 今回実現した木下弦二へのロング・インタヴューを、どうか丹念に
読み込んでいただければと思う。自分たちが作る音楽への情熱はむろん
のこと、現在のホンクに辿り着くまでの試行錯誤や、日本の音楽シ
ーンの断片も、そこからはくっきりと浮かび上がってくる。ソングライ
ターとしての弦二の”作法”に触れるいい機会でもあるだろう。

 なお最後に、今回の東日本大震災を受けて弦二とぼくはメールで
互いの今現在の気持ちを報告し合ったのだが、その往復書簡も巻末に
記した。

(小尾 隆 2011年3月)

*            *            *

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☆「リマスターすることで、もっと届けたかったんです」

ーー『生きものについて』のリマスター版が
昨年の11月に完成しました。おめでとうござ
います。弦二さんがご自身のブログでこの作
品に対する並々ならぬ”想い”を語られていま
したね。自分の子供のように愛おしいアルバ
ムだと思うのですが、今はどういうお気持ち
ですか。

「人によっては初版(07年)の方が良かった
という意見もあるんです。確かに初版は録音
からミックスまで全部ぼくらが自分たちで行
った重要なアルバムです。でも時間が経つに
つれて、もう少し作品に客観性を持たせて、
もっと人に届くような音にしたい、という気
持ちがどんどん強くなってきたんですね。人    
間って変化しないで止まっていることは出来
ないじゃないですか。とくに『生きものにつ
いて』はメッセージ色の強い作品だと思って
いますから、言葉にすると嘘っぽくなってし
まうかもしれませんが、『世の中を良くして
行こう』という流れに少しでも貢献できたら、
という気持ちがすごく大きくなってきたんで
す」

ーー音像が太く逞しくなりました。同時に透
明感が増したな、という印象も受けました。

「CDでも部屋で落ち着いて聞くことでやっ
といいものだな、と思える音楽ってあります
よね。今までのぼくたちはどちらかというと
そっちの側に傾いていたところがあったんで   
す。音楽という美味しい料理を作るだけで精
一杯だったという気もするんです。でもみん
なに料理を食べてもらうには出し方もちゃん
と考えなければいけない。そう考えるように
なったんですね。すごく簡単に言ってしまえ
ば、今回のリマスターの音は明るく、太くな   
っています」

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◎東京ローカル・ホンク/生きものについて(リマスター版) マインズ・レコード
(収録曲)
1.生きものについて - Beautiful No Name
2.犬
3.いつもいっしょ
4.笑顔
5.四月病
6.ハイウェイソング
7.おバカさん
8.社会のワレメちゃん
9.伊豆半島

ーー実際のリマスター作業にはメンバーも参
加したのでしょうか。

「いえ、久保田麻琴さんにお任せしました。
とくにこちらからの注文はしていません。と
いうのも麻琴さんが以前からこのアルバムを
評価してくれていたからなんですね。ぼくた
ちのことを深いところで理解してくれていた
ので、安心してお任せしました。麻琴さんは
プロでなければ解らないような、ぼくにも判
別出来ないような細かい作業をされたし、幾
つものヴァージョンを作ってくれました。や
はり麻琴さんにはプロのエンジニアとしての      
豊かな経験値もあり、さらに聞き手の立場に     
なって音楽を聞く耳を持っているんですね。      
そして麻琴さんがスゴいのは、理屈ではなく  
『ハートに届くかどうか』で判断する、動物    
的勘みたいなものをもっているところだと思
います」

ーーリミックスも行ったようですね。ミック
スをやり直すというのは、レコーディングの
最終段階での極めて重要な作業ですが、作り
直した部分は大きかったのですか。

「各トラックがバラバラの状態で麻琴さんに
お願いしましたから、正確にはまさにリミッ
クスを行ったということです。ただ、今回の
作品はリミックスという言葉に伴う世間的な    
イメージとは違うもので、余計なことは何も
していないし、初版の印象を損なう音に仕上
げたわけでもありません。だからあえてリミ
ックス・アルバムとは謳っていないんです。
ぼくは今回の作業をして良かったと思ってい
ます」


ーー変わっていない部分と変わった部分が
違和感なく混ざっていますね。変わった部分
をとくに感じたのは、「笑顔」や「ハイウェ
イソング」でのヴォーカルのダブっぽい残
響処理や、「伊豆半島」でのちょっとアンビ
エントな音空間でした。「伊豆半島」ではア
ラケン(新井健太)さんのウッド・べースの
弓弾きが、すごく鮮度よく聴こえてきて驚き
ました。

「そうですね。『伊豆半島』ではちょっとだ
け洒落っ気を出してみました。初版の音に関
しては、解ってくれる人は解ってくれるだろ
うとか、ぼくたちの文脈に乗ってもらおうと
いったような敷居の高さも反省点としてあっ
たんです。でもリマスターすることでもっと
明るく力強い作品に仕上げたかった。もっと
人に届けたかったんです」


☆「自分なりの音楽表現を見つけるまで、遠回りしてきました」

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ーーアルバム表題曲の「生きものについて」
や「社会のワレメちゃん」は、弦二さんに
とっても真ん中となるような重要な曲だと
思います。「ワレメちゃん」の歌の主人公に
しても、ノンポリではあるんだけれど、部屋
の一歩向こう側に不穏な空気を感じ取って
いますね。

「たとえばボブ・マーリィーのように『お前
らはここを出て行け!』って強い言葉で言う
ことが出来ればいいんでしょうが、ぼくには
確証を持ってそれを言うことは出来ないんで
すね。でも社会にはこういうものが必要なん
だと思ったり、何かを願うことは出来る。み
んなが不幸にならない世の中を実現するには
どうしたらいいんだろう?って考えることも
出来る。でも現実としてはもっとお金は欲し
いし、自分たちや家族が食べていくだけでい
っぱいいっぱいという部分もあります。クジ
引きがあったら当たればいいなあ、と思う自
分とかは絶対いるわけじゃないですか(笑)。
ぼくははっきりと見えないものを言うことは
出来ないし、自分の手が震えるものや、肌で
触れることが出来る身近なものしか、歌にす
ることは出来ないんです」

ーー歌作りに対する弦二さんのそうした姿勢
は、「ヒコーキのうた」や「昼休み」にも
”気配”として立ちこめていますね。

「はい。音楽が面白いのはこちらがはっきり
としたテーマを持たせた曲でも、不思議と聞
き手それぞれの事情にどんどん当てはまって
いくことだと思うんですね。こっちが意図し
た部分とはまた別に、歌が聞き手たちのもの
になる。だからぼくは想像の余地を残してお    
くような歌作りを心掛けています。たとえば、   
日本の古典的な悲劇といえる『忠臣蔵』は封     
建社会の理不尽さや連帯、家族愛など見る人
によっていろいろなことを訴えかけてきます
よね。だからいつの時代もリアリティがある。
ぼくもそんな歌を書くことが出来たらと思い
ます」

ーーボブ・ディランの「激しい雨が降る」
(A Hard Rains  A Gonna Fall 62年)に
しても、キューバ危機の歌だと後から説明
されてしまうと、とたんに歌のイメージが萎
れてしまいますよね。歌ってそういうもので
はないだろううとぼく自身も思いたいんです。
あの歌にはもっと広がりがあるし、様々な解
釈が出来る。込められた暗喩もキューバ危
機にとどまらない、もっと普遍的なものだと
ぼくは信じているんです。

「遠藤ミチロウさんが以前、新聞記事を歌に
してドンドン歌ってもいいんだよ、ってイン
タヴューで言っていたんですね。そのときは
カッコイイなあと感じたし、そういう方法も
あると思うんです。でもぼくの場合はもっと
長く歌える歌を作りたい。そのためにはどう
しても篩(ふるい)に掛けるような作業が必
要なんですね」

ーーホンクはサウンドスケープもユニークで
すね。「犬」や「おバカさん」のリズム・セ
クションだけを拾い上げてみると、アフリカ
音楽にも通じるようなミニマルな動き、旋回
していくようなグルーヴを感じるんです。そ
れが優しいメロディと平行しながら歩いてい
くところにもホンク・サウンドの不思議さが
あると思います。アフリカ音楽は好きですか?

「実は大好きなんです。ぼく自身は少し意識し
ている部分もありますね。サリフ・ケイタな
んかもヨーロッパのミュージシャンを使って
一時期のマイルズ・ディヴィス・グループを
思い起こさせますし、そうしたヨーロッパ経
由のアフリカ音楽と現地のアフリカ音楽との
違いも面白いです」

ーーパパ・ウェンバもザイール発の音とパリ
で録音したものでは、全然質感が違いますね。


「うん、まったく違いますね。現地での音は
もう圧倒的なファンク!という感じですから。
それとぼくはエチオピアの60年代から70年代
にかけての音楽を体系的にまとめたCDを聞く
機会があって、シーンが確立される以前の混
沌とした様子がすごく興味深かったです。そ
うだな、日本人が60年代にR&Bを探りながら
演奏しているのと何だか同じ匂いがしたんで
す。チャック・ベリーにしたって、あのスタ
イルを確立する以前には絶対何かがあったは
ずなんですね。世界各地で微妙に時期がずれ
ながら、音楽に新しい動きが出てくる瞬間っ
ていうのは本当に面白いなと思います」


ーーぼくが初めてホンクの生演奏に接したの
は、狭山での第二回ハイドパーク・フェス
(06年9月)を除けば、07年12月の東中野・
驢馬駱駝でのワンマンだったんです。もうその
頃にはある程度ホンク・サウンドというものを
確立されていたと思うのですが、前身である
”うずまき”時代(90年代)を含めて、果たして
最初は一体どういうバンドだったんだろう?と
いうことをどんどん知りたくなりました。

「ごくごく初期から話を始めると、一番古く
からの付き合いであるドラムズのクニオ(田
中クニオ)とは、オリジナルのロックンロー
ル・バンドを、今と同じ四人編成で組んでい
たんです。でも音楽をやり始めたばかりです
から、どうしても形から入るというか、最初
からロックンロールという言葉やスタイルに
寄り掛かっていたんですね。俺はロックンロ
ーラーだ! 俺はブルーズ・マンだ! とい
う風に(笑)。白人と黒人がいればやっぱり
黒人だろうという意識もあったし、そういう
世界に自分を当てはめて生きていました。で
もそういう仲間がいた反面、少しでも知らな
いミュージシャンがいるとイジメが始まって
しまったり(苦笑)。その世界ではブルーズ
やソウルやレゲエは語るけれども、キング・
クリムゾンのことはたとえ知っていても口に
は出さないように蓋をして、自分をどんどん
追い込んでいくんです。すごく大雑把に言え
ば、ジャック・ダニエルズをラッパ呑みしな
がらキース・リチャーズの真似をする。そん
な世界がひとつのライフ・スタイルとしてあ
りますよね。それはそれでいいのかもしれま
せんが、ぼくはもっと普通にいろいろな音楽
が好きな人だったので、それは結局出来なか
ったんです」

ーーすごく狭い世界での気取りがあり、ウン
チク合戦がある。そのことに対して次第に嫌
になってくる。ぼくはずっと聞き手の立場に
いましたが、弦二さんと同じような経緯を辿
ってきました(笑)。ブルーズの世界にして
も何だか年功序列みたいな部分があって、
とても窮屈な思いをしていました。

「ハハハ(笑)。ぼくもある日突然気が付い
たんです。ぼくが今やっていることは何てカ
ッコ悪いんだろう、ぼくは何でこんなに無理
をしているんだろうなって。やはりぼくにと
ってはストリートという表現よりも、商店街
という言葉のほうが遥かにリアリティがある
んですね。ストリートはアズベリー・パーク
にはあるのかもしれないし、ロンドンに行け
ばあるのかもしれない。でもぼくには解らな
い。スウィンギング・ロンドンって言われて
も、ロンドンがスウィングしているのかどう
かも解らない。当時そうした意識を持ってい
た人はぼくの周りでは殆どいませんでした。
ぼくはずっと戸越銀座に住んでいるんですが、
自分の町から見える風景をどうして歌にする
ことが出来ないんだろう?という悔しさをず
っと感じていました」

☆「『俺、もうロックは辞めるから』 そう宣言したこともありました」

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ーー洋楽好きの少年時代から始まって、ずい
ぶん遠回りをしましたね。

「本当にそうですね(笑)。60年代があって、
小尾さんたちの70年代があって、その次くら
いにぼくらの世代があって、いずれにしても
まだヒップホップが出てくる以前でしたから、
ぼくらはまずジャンルのなかで生きるしかな
かったのかもしれません。逆に今の若い人な
らもっと過去も現在も飛び越えて平行して音
に接していますから、すんなりと自分の表現
に入っていけるんでしょうね。ぼく、ある日
みんなの前で宣言したんです。『俺、もうロ
ックは辞めるから』って。あれは確か22歳か
23歳の頃(80年代後半)のことだったと思い
ます」

ーー思い切った選択でしたね。

「ぼくのそうした気持ちを当時理解してくれた
のはクニオだけだったんです。だからずっと
スタジオに籠りながら、日本の文化や西海岸
のカウンター・カルチャーの話に夢中になっ
ていました。音を出すのはほんとに最後だけ、
みたいなときもありました。でも当時の日本
では”くじら”というバンドが独特のオリジナ
リティを持っていて、それは今ホンクがやっ
ている音楽とはまた違うんですが、あの頃は
相当影響を受けました。それからある日、ラ
イヴハウスでアコースティック・デイという
ものがあったんです。時期的にはアンプラグ
ドのブームの頃(90年代前半)だったんで
すが、多くの人たちはアコースティックとい
っても普通に大きな音で演奏していた。でも
ぼくらは一切のPAを通さずに完全な生音でプ
レイしたんですね。ぼくらは当時ブライアン
・イーノのアンビエント音楽や環境音楽も聞
いていましたから、そうした小さな音への意
識はすごくありました。そうするとお店の人
に『空調を切ってください』と言って抵抗さ
れたり、客席にいるバンド仲間でもまあ帰っ
てしまう奴はいなかったけれど、明らかに戸
惑っている様子がこっちには伝わってくるん
ですね。そのとき自分たちが周りの空気を切
り裂いているんだな、という快感を覚えたん
です。でもそういう静けさのなかで途中から
リズムが入ってくると、すごく曲が生きてく
るんです。あのときは確か20分くらいのステ
ージで、(久保田麻琴と)夕焼け楽団の『バ
イ・バイ・ベイビー』や細野(晴臣)さんの
『蝶々さん』、RCサクセションの『わかっても
らえるさ』を歌いました。ぼくのオリジナルの
『遠い願い』もあの頃はもう出来ていたので、
それも歌いました。そうやってクニオやベース
の迫田敬也(99年の12月に自分の音楽を
追求すべく脱退 新井健太が新たに加わった)
といっしょに演奏していくようになりました」

ーー弦二さんは日本語のきれいな響きを大事
にしていますね。弦二さんにとってソングラ
イティングとは、どういうものでしょうか?

「ぼくは一時俳句の世界に入り込んだんです。
ショックでした。すべてを言い切るのではな
く、限られた簡素な形式のなかで、ただ風景
だけがそこにあるんです。ですから俳句はぼ
くにとって”窓”のような存在でした。そこに
入っていくのも出ていくのも自由なんだとい
うのは、ものすごく大きな発見でしたね。デ
ィテールが細かく書き込まれたものも素晴ら
しいし、トム・ウェイツやブルース・スプリ
ングスティーンのような物語性のある歌も大
好きです。ウェイツの『サンディエゴ・セレ
ナーデ』なんかもう本当に美しい。スプリン
グスティーンの『ザ・リヴァー』の主人公の  
その後の人生を想像してみたり。『ハイウェ
イ・パトロールマン』には映画『ディア・ハ    
ンター』と共通する世界を感じたり。子供の
頃って映画が終わると、『もう終わってしま
ったの?』という感じで寂しくなったことっ
て誰にでもあると思うんですが、そういう感
覚に近いかな。話は戻りますが、そうしたス
トーリーのある歌も好きですが、ぼくは自分
というのは”窓”であればいいな、って思った
んです」

ーー”窓”であり、”鏡”であるかもしれません。

「ああ、それは初めて聞く感想なのですが、
鏡かもしれませんね。俳句のなかでも種田  
山頭火は自由律だったから、余計に好きにな
りました。彼の句に『分け入っても 分け入   
っても 青い山』というものがあるんですが、
初めて知ったときはもう本当にびっくりして
しまいました。ハイキングをしているのとは
明らかに違う様子、厳しい旅をしているその
人の気配が漂ってきましたから。それから日
本語のことで言うと、夏休みにおばあちゃん
の家で食べた西瓜の味とか祭り囃子の音って、
ずっと記憶に残るものですよね。俳句はそう
いう題材で歌を作っていくいいきっかけにな
りました。でもそうした日本的な表現をやっ
と発見した反面、和食だけを重視する自分も
不自然だとまた感じ始めてしまったんですね
(笑)。そういうトンネル状態から解放され
て、和食でも洋食でも、古くても新しくても、
美味しければいいじゃん!というところまで
辿り着くまでも、すごく時間が掛かってしま
いました(笑)」

(続く)
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by obinborn | 2011-03-25 00:09 | インタヴュー取材 | Comments(4)  

ロング・インタヴュー、木下弦二 (下巻)

☆「『いつもいっしょ』を書くことで、ぼくは救われたんです」

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ーーホンクの四人はそれぞれが引き算の美学
というか、ワビサビの感性を持った優秀なプ
レイヤーの集合体ですが、井上(文貴)さん
のギターも俳句的ですね。

「メンバーのことを褒めるのは手前味噌にな
ってしまいますが、井上は『これが弾ける!』
というレベルでは絶対に音を選択しない人で
すね。きっと彼のなかにある美意識が一段高
い所に設定されているんだと思います。井上
が言うんですよ。『ギター・スリムのフレー
ズのなかに重要なものはすべてある』って。
それが奴のなかでどう消化されているのかは
解りませんが、結果的に井上の語法へと結び
付いているんでしょうね」

ーー「いつもいっしょ」は比較的ポップで親
しみ易い歌ですが、この曲だけでホンクを判
断して欲しくない、といった気持ちはありま
すか。

「いや、それはまったくありません。という
か、どの曲もぼくたちの歌なんだから、むし
ろいい曲だと言ってくれるだけでぼくは嬉し
いです。どの曲がその人にとってホンクへの
入り口であったとしても、ぼくはそれを歓迎
します。あの曲が生まれた背景を説明してし
まうと、NHKのドキュメンタリー番組で(終
戦間際の)沖縄戦を取り上げていたんですね。
ぼくは普段は殆どテレビを見ないのですが、
たまたま見ていました。日本軍がかなり追い
詰められてパラノイアのような状況にまでな
ってしまうんです。そこである沖縄の女の子
が目の前で両親を、何故か日本軍によって殺
されてしまうんです。またその女の子自身も
手榴弾を浴びてしまったのですが、アメリカ
兵によって助けられ、終戦後はお兄さんに育    
てられ、そのお兄さんはのちに精神を病んで   
しまいます。女の子は体中に破片の痕があり
いじめを受けて苦しみます。辛い記憶から逃
れて大阪で暮らしていたその女性が長い歳月
を経てやっと沖縄に戻ってくるんです。その   
とき彼女が両親を殺された浜辺で『お父さん
!』って叫ぶんです.........。ぼくは当時娘が
二歳になったばかりだったのですが、その胸
に刺さった叫びをどう受け止めてよいか解ら
ず、ずっと頭のなかを離れませんでした。そ
れで『いつもいっしょ』を書くことでやっと
自分が救われたような気持ちになりました。  
そうした悲しい物語を明るくポップな表現で
伝えるということを考えながら、あの曲が生  
まれました」

☆「ぼくたちホンクには喜びがある。聞き手たちがいる」

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ーーうずまきを結成されたのが94年の初頭と
いうことですから、もうかれこれ17年も音楽
をやり続けてきたんですね。その間にはJポッ
プの隆盛もあれば、渋谷系も喫茶ロックのブ
ームもあった。音楽仲間の鈴木祥子さんはす
っかりメジャーな存在になった。いつかMC
で弦二さんは『結局どのブームにも乗れませ
んでした』なんて笑いとしておっしゃってい
ましたね(2010年9月 高円寺・JIROKICHI
にて)。そうした状況を横目で眺めながら、
どう感じてきましたか?

「ぼくたちは美味しい料理を作るから、美味
しい料理を食べて欲しい。ぼくたちはそれを
きちんと届けたい。そういうことです。勿論
現実的には辛い部分もありますが、それ以上
にぼくらは幸せなんだなと思っています。と
いうのも、ぼくらより先にメジャー・デビュ    
ーして、ぼくらより有名になったけれど、も    
う解散してしまったバンドも、幾つも見てき   
ました。でもぼくたちは今も音楽を続けてい
る。いろいろなライヴハウスが声を掛けてく
れて、充実したライヴ活動を今日も行ってい
る。キヨシローさんをはじめ、春日(博文)
さん、麻琴さん、(鈴木)茂さんたちがきち
んと評価してくれる。そして一番嬉しいのは、
ぼくたちの音楽を目的にライヴを見にきてく
れるお客さんがちゃんといるということです。
このまえここ(2010年12月 渋谷B.Y.G)で
打ち上げをやったじゃないですか。こっちの
席でもあっちの席でも、ぼくたちの歌について、
『あの歌はこういう歌ですよね』とか、『あの
歌で会いに行くのは彼ですか、彼女なんで
すか』とか夢中になって話してくれる........。
これは本当に素晴らしいことだと思っていま
す」

ーー友部正人さんとの出会いもありました。

「友部さんはとても強い人です。揺るぎない   
のに撥ね付ける感じがまったくない。足下は
しっかりしながら、とても柔らかく立ってい  
られるんだなと思います。具体的には横浜の
サムズ・アップの社長さんがすごく勘のいい
人で『今度、一緒にやってみたら?』と言わ
れたのが最初のきっかけだったのですが、共
演してからは結局一緒にアルバムを一枚作り、
一緒にツアーにも出ました。友部さんが『今
までのバンドのなかで一番歌いやすい!』っ
って言ってくれたのが、とにかく嬉しかった
ですね。それはぼくたちが余計なことは何も
しないバンドだったからだと思うんです。で
も糊白はきっちり付けていくぞ!といったと
ころかもしれません。これがバンドではなく
個人としての共演となると、みんな自分なり
の切り口を見せなければいけない、と意識し
てしまったと思うんです。でもぼくたちはホ
ンクというバンドとして参加したので、普段
とまったく変わりようがなかった。それがい
い、と周りの人たちも言ってくれました」


ーー以前、おおはた雄一さんに取材した際に
彼が『いつかぼくも歌うのを止めるのかもし
れない』って、おっしゃったんですね。弦二
さんはそういう気持ちになったことはありま
すか。

「いや、まったくありません。おおはた君は
冗談で言ったんでしょう?」

ーーもし自分の音楽がワンパターンになって
しまい、過去を切り売りするばかりの状態に
なってしまったらどうしますか? という話
の流れでのぼくの質問でした。

「おおはた君はメジャーの世界にいて、曲も
ぼくなんかよりずっと早いペースで作ってい
るから、そう感じるときがあるのかもしれま
せん。おおはた君と比べることに意味はない
ですし、彼の本当の気持ちも解らないのです
が、ぼくの場合は曲を作るのが遅いし、別に    
多作というわけでもないから(笑)、歌を止   
めようと思ったことはありません」


ーーひとりの音楽ファンに戻ってみて、弦二さ
んの生涯のフェイバリット・アルバムを
5枚選んでいただけますか。勿論今日の気分
ということで構いません。

「はい。まずはスティーヴィー・ワンダーの
『キー・オブ・ライフ』。ジョン・レノンは
『イマジン』と『ジョンの魂』のどちらも好
きです。ビートルズでは『ヘルプ!』のアル
バムがとくに好きなんです。あとはジャコ・
パストリアスがビッグ・バンドと共演した『
ツインズ』という日本でのライヴ盤が今日の
気分かもしれません。最後はキース・ジャレ
ットが演奏したバッハの作品集『Das Wohlte
mperiete Klaiver Buch I』ですね」


ーー今日はお忙しいなか、どうもありがとう
ございました。最後にどうしても言っておき
たいことはありますか。

「ありがとうございました。そうですね、ぼ
くは(社会学者の)宮台真司がけっこう好き    
で一時期わりと読んでいたのですが、あの人    
が『意味を求めるな、喜びを求めろ』って言    
っていたんですね。凄いなあ、そうか、そう
いうことなんだなって思いました。喜びがあ
る。ぼくたちには音楽がある。バンドがある。
ぼくたちには聞き手たちがいる。だからこれ
からも音楽という美味しい料理をしっかりと
作って、それが温かいうちに届けていきたい
と思っています」

2011年2月5日 渋谷B.Y.Gにて

取材/文:小尾 隆
写真(2010年の彼ら):uta
also thanks to:今村佳子 常木晴亮 そしてホンク・ファンの方々


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☆その後の”往復書簡”

ーー小尾

弦二さん、その後お元気でしょうか。この取材のあと3月5日に
渋谷のB.Y.Gでホンクのワンマン・ライヴがあり、すぐ次に東日本大震災が
起きてしまいました。ぼくはテレビや新聞でそれを知るしか術がなく、
また家でたまに音楽を聞いていても少しも楽しい気持ちになれない自分
がいます。やはり何か歪んでしまったような、色彩あるものがいきなり
単色になってしまったような、そんな印象を受けてしまうのです。
音楽家は音楽を作ることは勿論、聞き手へと届ける役割も担っていますね。
まずはミュージシャンとして現在の心境を聞かせていただけますか。

ーー弦二

小尾さん、ご無事で何よりです。
私は自分に何が出来るのか問いかけつつ、自分たちの日常生活の不安も抱えながら日々をすごしています。
そんな中、ラジオから聞こえてくる「励まし」や「癒し」をテーマとした歌たちを聴きたくない、という不思議な感覚を覚えます。それは災害時でなくても、もともと好きになれないものであったのかもしれません。しかし、例えばこんな時に自分が歌いたい歌が、自分の作品中にあるだろうか?と問いかけると何も思い浮かびません。
こんな時はいつも
「自分たちの歌がはたして有効なものなのか?」という思いにかられます。
被災していない自分の正直な感覚としてはむしろ、ビートルズの「シーラブズユー」やビージーズの「メロディーフェア」のような曲がラジオから流れて欲しいと思ってしまいます。
それが何を意味しているのか自分でもよくわかりません。
今、自分はミュージシャンとしての自分は凍りつき、顔も知らない被災者を見つめながらも、家族の事を考える一人の裸の人間になってしまっているような気がします。
しかし、ホンクのメンバーとも話しましたが、みんな
「自分には音楽しかない、これで何かの役に立つ方法はないのか?」という思いで一致していることも事実です。
被災していない地域は、普段よりも活発に活動し、経済も含めて日本を活気付けて行かなければとも思います。
こんな時こそ笑顔で歌って、少しでも喜びを共有する場を提供するのがプロといえるのかもしれません。
小尾さんの率直な考えを聞かせていただけるとうれしいです。

ーー小尾

弦二さん、おっしゃるように”癒し”や”励まし”の歌ばかりがラジオから聞こえてくるというのも、
巧妙に仕組まれたメディアの罠のような気がして、ぼくはラジオは聞きませんが気持ち悪いと思います。
ぼくとしてもビートルズのあの無邪気な「ツイスト&シャウト」や、駄目男の日常を描いた「ヤー・ブルーズ」
を爆音で聞きたい!という衝動に駆られます。それは後付けかもしれませんが、説明的な歌詞で納得したくない、
というぼくの思いからかもしれません。

歌いたくないときは歌わなくていいと思います。弾きたい気持ちになれないときはギターを抱えなくていいです。
むしろそうして表から遠ざかり、深く潜行することからきっと、新しい歌が生まれてくるのだと思っています。
そして歌いたくなったら、また歌ってください。曲を作りたくなったら、また曲を作ってください。

むやみに自主規制するのも馬鹿げているし、”不謹慎”という名のもとで楽しい感情やハッピーなロックンロールを
押さえ込むような動きに、ぼくも抵抗します。

それでは今回最後の質問です。

弦二さんは戸越銀座にお住まいですが、震災後の自分の町を言葉としてスケッチしていただけますか。

ーー弦二

お返事、ありがとうございます。
私の住む戸越銀座で何が起きているかといえば、
スーパーマーケットとドラッグストアに行列ができています。
そして、私が小さかったころのように、道端や商店で人と会話を交わすことが増えたような気がします。
私も含めて、原発事故や余震の影響で不安に駆られた行動をとる一方、ある種の壁が取り払われて緩やかな連帯が生まれているのかもしれません。
たとえば、子連れでスーパーマーケットのレジで並んでいるときに、見ず知らずの人から
「紙をむつはもう買いました?昨日大型店に昼ごろ行ったら、もう売り切れ間近でしたよ。行ったほうがいいですよ!」と声をかけてもらいました。
我先に食品など大量に買い込む人々が、同じ境遇の人を気遣いもする。
私もその一人であり、複雑な気持ちです。

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by obinborn | 2011-03-25 00:08 | インタヴュー取材 | Comments(2)  

3月22日〜悪魔から逃れて

クリンク(芽瑠璃堂)から今月発売されたダニー・オキーフの99年作
『悪魔から逃れて』はぼくがライナーノーツを書かせていただいたのだが
執筆してから一ヶ月後に彼の「ウェル・ウェル・ウェル」をこうした現状のなかで
聞くことになるとはまさか思っていなかった

ぼくはそのライナーでこう記している

「ボブ・ディランが共作者として名を連ねた『ウェル・ウェル・ウェル』は話題
を呼び デヴィッド・リンドリーもカヴァーしたほどだが 環境汚染に対する悲し
みや人間の傲慢への警告が言葉となり音となり打ち寄せる樣は、、、」

福島第一の原発事故が当面の小康状態を迎えつつある現在 メディアは
早くも「がんばろう、日本!」の切り売りだ 復興に向かって心を合わせていく
のは勿論大切なことだが その一方で原発事故の事実を隠蔽しようとする
動きもすでに始まっていることをぼくら国民は注視していかなければならない

「ウェル・ウェル・ウェル」とは「いいんだ、いいんだ」くらいの意味だろうか?
それがぼくには政府がほとんど棒読みのように繰り返す「健康への影響は
当面ありません」なる見解と皮肉っぽく折り重なり合いながら聞こえてならない
のである

広島と長崎の原爆があった 九州では水俣の汚染もあった
それでも我々は学んでこなかった
スリーマイルやチェルノブイリもあった
それでも我々は学んでこなかった

文明という甘い汁を享受することで叡智を忘れ傲慢になっていたことを
誰もが自覚しなければ 今回の未曾有の事件を根本の部分で受け止める
ことにはなり得ない 

それでもどことなく漠然と未来は続いていくと思っていた者もいただろう
”自分たち”の世代だけはうまく逃げ切れると手前勝手な楽園を夢見ていた
者もいただろう

どんな時代であれ 思い上がりというのはそういうものだ
21世紀になってから最初の10年が過ぎたこの荒れ地で
そうした厚顔無知は思いがけない方向から早期修正を迫られることになった

かつて「ぼくと彼女と週末に」という浜田省吾の歌があった
そこでは若く無邪気なカップルが川辺で遊んでいるときに
死に絶えた魚が岸に打ち寄せられている光景を目にする場面が描かれていた

ぼくらはこれからそうした光景を何年後 何十年後と見ていくことになる
岸辺に打ち寄せられた魚たちの無惨な姿をずっと見届けていくことになる

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by obinborn | 2011-03-23 07:33 | one day i walk | Comments(0)  

月と専制君主

今年1月に発売された佐野元春のアルバム『月と専制君主』に
関する幾つかの寄稿文が 彼のHPで公開されました ぜひ読んで
みてください このblogではぼくが書かせていただいた分を掲載し
ておきます

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*             *             *

「月と専制君主」クロスレビュー

動き出していく言葉たち。輝き始める音楽たち。

小尾 隆

『月と専制君主』というアルバム表題がいいなあ、とまずは思った。月というロマンティックで普遍的な存在に対して、不気味で邪悪なイメージがある専制君主という言葉。そんな相反する要素をメタファーのように結び付けていくところに、佐野元春という詩人の天賦の才があると思う。月に関しては初期の歌に登場していた向こう見ずなカップルたちが大人になった姿を伝える近年の「月夜を往け」を思い起こしてもいいし、専制君主については奇しくもこの原稿を書いている時点でエジプトを追われつつあるムバラク大統領の圧政を連想してもいいだろう。「月と専制君主」のオリジナル・ヴァージョンを初めて耳にしたのはもう20年以上も昔のことだが、鋭角的かつ重厚だった89年版に対して、今回再録音されたニュー・ヴァージョンは、アコースティックかつソウルフルで柔らかい響きに包まれている。そのためか"歩いてゆこう"という聞き手たちへの呼びかけは、以前よりも優しく親しげだ。

 アルバムの全曲が過去の作品のリメイク、いわゆるセルフ・カヴァーとなった『月と専制君主』は、そのような発見に満たされた"新作"といっていいだろう。比較的新しい曲でも初めて世に出たのは11年前の「クエッチョンズ」であり、最も古いナンバーを探せば27年も前の「日曜の朝の憂鬱」となるが、佐野本人にとっても今の気持ち、現在の声で過去の自分の歌に再び向き合いたい、リアレンジしてみたいと思うのは極めて自然な欲求であったに違いない。古い歌に新しい息吹を与えるといった表現はいささか陳腐だとしても、彼はその行為にけっして臆することはなかった。最近行われた幾つかのインタヴューのなかで佐野は本作に関して、「最初は気楽にやってみようと思っていたのですが、途中からどんどん作業にのめり込んでいきました」との旨を語っている。その過程とは取りも直さず、彼が歌の意味を再発見しながら、改めてその歌の核心へと踏み込んでいった時間に他ならなかっただろう。そのようにして佐野元春はかつての歌を手元で温め直す。聞き手たちが馴染んだ曲を再発見する。そうしたサークル(円循)を経ながら歌が再び光を取り戻し、河口へと辿り着いていく。そうした"気付き"こそが『月と専制君主』という作品集の太い生命線ではないだろうか。互いにやり過ごしてきた歳月や、重ねていった試練を振り返ればなおさらのことだ。

 変化していった声に関していえば、佐野は多くのヴェテラン・ヴォーカリストと同じように戸惑った時期もあったようだが、近年やっと今の自分の声と歌い方に自信を持てるようになったと率直に語っている。それを何より証明するのが『The Sun』に『Coyote』といった傑作アルバムであることは言うまでもあるまい。年輪を感じさせるビター・スウィートなヴォーカルと思索的な方向性を深めた楽曲との拮抗。世紀が変わってからの佐野元春の新たな魅力とはそのようなものだが、その2枚の延長線上にこの『月と専制君主』を位置付けてみれば、視界はよりくっきりと晴れ渡っていくのではないだろうか。そう、21世紀という荒野をこの作品とともに"歩いてゆこう"。

 ご存じのように、ラヴ・ソングの文体を纏いながら歌に重層的な広がりを持たせる作風は、佐野元春というソングライターの大きな特徴のひとつ。そうした意味ではこのアルバムが「ジュジュ」に始まり、「レインガール」で幕を閉じることは、とても興味深い連鎖である。両者とも一見他愛ないアバウト・ア・ガール・ソングであり、ティーンエイジ・ロックンロールの体裁を保っているものの、前者の男の子は世界が静かに朽ちていくのを見つめながら"君がいない"と大切な何かの不在を嘆いているし、後者の青年はレインガールと踊ることを夢見ながら"同じ言葉を繰り返している愚かなひとたち"(政治家であれ宗教家であれ)を観察しているといった具合なのだ。スキッフル・ビートからモータウン・サウンドの黄金律へとリフレッシュされた「ジュジュ」。ファストなポール・マッカートニーといった風合いから寛いだワルツへとスロー・ダウンされた「レインガール」。どちらも"大人になった"ぼくたちにぐっと寄り添い、微笑みかけてくれるような仕上がりといえる。ちなみに「月と専制君主」を含めたこれら3曲のブラン・ニュー・アレンジは、2010年の秋に行われたコヨーテ・バンドとのクラブ・サーキットでも披露されたが、裏メロを見事に拾い上げた「ジュジュ」のコーラスや、ツアー終盤には各楽器のソロ・パートまで加えられた「レインガール」の響きが実に新鮮だったことを、ぜひ付記しておきたい。

 数多い元春クラシックスから比較的地味なナンバーが選ばれているのも本作の傾向といえるだろうが、「クエスチョンズ」「彼女が自由に踊るとき」そして「C'mon」がセレクトされたことには驚かされた。いずれも佐野の周りに不穏な空気が立ち込めていた時期の作品であり、彼のキャリアのなかでは必ずしも高く評価されてきたとは言い難いアルバム『Time Out!』(90年)と『Stones And Eggs』(99年)からの選曲だが、今回の新たなレコーディングによって、歌われていることの精度がいささかも損なわれていないことが逆に証明されたようなものだ。歌詞を拾ってみれば、ぼくたちはいつも部屋の壁際に追いつめられているし、この世界が今日もたそがれていくのを眺めているだけなのだ。希望が込められた「彼女が自由に踊るとき」でさえ、そこに彷徨っているのは不自由でうまく踊れないといった現実の気配である。3曲ともにオリジナルでのニュー・ウェイヴ的なエッジの立ったサウンドとは対を成すように、テンポを落とし言葉を噛み締めるようなニュアンスが醸し出されている。歳月を味方に付けたといった印象も間違いではあるまい。

 さて、音楽面でのクライマックスは何といっても「ヤングブラッズ」だろう。近年では「観覧車の夜」を思わせるような大胆なラテン・グルーヴに導かれた重心の低い演奏がとにかく圧巻であり、鋼のようなWisdom、輝き続けるFreedomというリフレインはついに永遠のものとなった。これは些細なことかもしれないが、同曲のオリジナル・ヴァージョンが同時代のスタイル・カウンシルとの類似を意地悪く指摘(不思議なことにそういうことをあげつらう人たちに限って、佐野がどういう言葉を選び取り、何をどう届けようとしているのかに関心を示さないのだ)されたことを思えば、まさに借りを返したと言わんばかりの力強い仕上がりだ。それでも佐野は音楽の継承が相互影響によって為されてきたことを熟知している音楽家である。今回もホーン・アレンジがスライ&ザ・ファミリー・ストーンの「エヴリディ・ピープル」に触発された旨を記すことを忘れず、ポップ音楽への切れ目のない献身を見事に表明しているのだ。69年に「エヴリディ・ピープル」が歌われたように、2011年には新たな「ヤングブラッズ」が奏でられ、同じように心の守護や人々の繋がりを訴えかける。素敵じゃないか!

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 佐野らしい詩情と世界への考察は「夏草の誘い」「日曜の朝の憂鬱」「君がいなければ」でも遺憾なく発揮されている。ここら辺の選曲は、やはり最もファンの胸にすっと降りてくるような気がする。そして聞き手はやがて発見する。昔も今も佐野が一貫して"君"に語りかけていることを。彼は今でもときどきステージで思い出したようにハーモニカを吹く。先に少し触れた2010年秋のツアーでも、「サムディ」でハーモニカを吹き、ときに言葉以上の気持ちを伝えていたが、今回の「日曜の朝の憂鬱」でのハーモニカもまた感動を呼ぶことだろう。

 ボブ・ディランであれ、ルー・リードであれ、ブルース・スプリングスティーンであれ、キャリアを積んだミュージシャン/パフォーマーにとって過去のレパートリーとどう向き合っていくかは大きな課題であるが、佐野もまたそうした領域に足を踏み入れてきたかと思えば、ある種の感慨も湧く。どうか思い起こして欲しい。彼が長いキャリアの節目節目でヴァージョンの改編を大胆にも行ってきたことを。何よりもザ・ハートランドとの熱演がライヴの記憶のなかで焼き付いている「ガラスのジェネレーション」や「きみを探している」を、あえてザ・ホーボー・キング・バンドとともに再録音するなどのチャレンジングは、自らの肖像が錆び付いてしまわないための迂回であり決意だったのだ。そうした意味では今回のセルフ・カヴァー集も、けっして奇をてらったものではないことに思い至るはずである。そう、ロック音楽とは思い出という壁に張り付いている名詞ではなく、いつでも新しい季節に向かって動き出していくための動詞なのだから。

 レコーディング・メンバーについても書いておこう。ベイシックな固定メンバーは井上富雄、古田たかし、長田進、Dr.kyOnというもうすっかりお馴染みの人たちだ。ザ・ホーボー・キング・バンドから佐橋佳幸が参加していない点については、彼が奏でるギターの優しい音色や鳴りが好きな方には残念かもしれないが、ザ・ハートランド時代を支えた長田進のアグレッシヴなギターを久しぶりに聞ける喜びはけっして少なくない。あの黙示録的な「欲望」のイントロダクションから、今回の「クエッチョンズ」や「C'mon」まで、長田独特のギター語法は今日も健在だ。この4人による編成がライヴの場で最初に実現したのは、2010年3月に行われたアニヴァーサリーの第一弾"アンジェリーナの日"でのことだったが、佐野自身はこのバンド編成を、「ハートランドとホーボー・キング・バンドの合体なんだ」と簡潔に説明する。いずれにせよ、キャリアの長さ故にこうした贅沢な人選も可能なのだろう。

"がんばれベアーズ"にも喩えられた若く勇敢だったザ・ハートランド。成熟したテイストとともに柔らかいサウンドスケープを描き出していくザ・ホーボー・キング・バンド。そして最近では一世代若いコヨーテ・バンドを率いながら、あえて粗い目のザクザクとしたオルタナティヴ・ロックに挑戦する佐野元春。そうした側面から彼の旅を振り返ると、"いつもバンドとともに"といった姿勢がくっきりと立ち上がってくる。一緒になって腕を磨き、喜びも悲しみもバンドとともに分け合ってきた彼らの姿は、ぼくに友情とか信頼といった懐かしい言葉を思い起こさせる。

 プロ・トゥールズ一台あれば簡単に音が作れてしまう今の環境にあっても、佐野はバンドとともにスタジオで練習し、手振り身振りを交えながら以心伝心となるまで音を固め、録音テイクを重ねていく。演奏がうねりを見せ始めるまでをしっかりと見届ける。たとえランニング・コストが掛かろうとも、アナログの質感を大切にしたエンジニアを立てることで、彫りの深い音を響かせるのである。

 イメージの飛躍に溢れた歌詞の素晴らしさは勿論のこと、かくの如く音の建築士としてもけっして妥協することなく歩み続けてきたのが佐野元春という人だ。『月と専制君主』には埃を被った部屋の奥から古い歌を探し出し、新しい時代に向けてもう一度解き放とうとする気持ちが満ち溢れている。その息吹をどうか感じ取っていただきたい。

*            *            *

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by obinborn | 2011-03-22 15:28 | rock'n roll | Comments(2)  

ありがとうございます!

木下弦二のロング・インタヴュー記事を読んでいただけたでしょうか

アップした17日は拙blogが始まってから最高のカウント数に達したり
幾人かの方々から何とも嬉しいコメントや感謝のメールを頂戴したりと
お陰さまで良い反応をいただいています

本来であれば然るべき雑誌媒体で掲載すべきだったのかもしれません
それが私の力不足で実現出来なかったことをまずはお詫び致します

でも 見方や考え方を少しばかり変えてみるのはどうでしょう?

ダイレクトな配信やファンの方々との交信は個人的にもスリリングな体験でしたし
書き手の一人としては締め切りや文字数制限なしに作業を進められたことは
存外大きく新鮮な発見でした
そう、今回はカットすることなく取材当日の内容を(雑談を除いて)殆どすべて
文章としてまとめることが出来たのです

そういう意味では昨年秋に癌で亡くなられた同業者、角野恵津子さんは
取材記事を自分のページで公開する先駆者の一人でした
私はついぞ彼女と知り合うことはありませんでしたが
角野さんのHPを読んでみて『これでいいんだ!』という勇気のようなものを
与えられたことは確かです

むろん私自身は読書が好きなこともあり 活字への愛着は人一倍持っていますし
理解ある素晴らしい編集者たちも知っています
やはりそれらの活字メディアと共存していくのが今後は媒体としての道なのだろうな
という感触も得ることが出来ました

いろいろな意味で忘れられないインタヴューとなりそうです
喰い足りない部分はまだまだあるかもしれませんが 今回の記事がみなさんにとって
木下弦二の人となりや東京ローカル・ホンクの音楽に触れる何らかの手助けになれば
取材者としてこれ以上の喜びはありません

ありがとうございました

小尾 隆

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(2010年10月 川崎の第三回京浜ロック・フェスにて 演奏を終えた弦二と)
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by obinborn | 2011-03-20 13:51 | one day i walk | Comments(0)  

3月19日

セリーグ問題を再び取り上げてみたいと思います

ヤクルト宮本前選手会長says
「停電、節電と言っている時に 煌々としたなかでやるのは
ぼくは心が痛い」

これこそが多くの人々の”まともな”感覚ではないでしょうか?

ちなみにパ楽天を今季から率いる星野監督は 宮本を擁護し
「よく言った こういう言葉が巨人の選手から出て欲しかった」
と皮肉たっぷりに述べています

自分が来週やるDJを棚上げしてもしなくても
ぼくとプロ野球とでは規模が全然違うでしょう(笑)

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ヴァン06年のアルバムは まるで『おやじ、カントリーを歌う』の風情そのまま
そうした交歓をニック・ロウ人脈というかロンドン裏街道組みであるゲライント・
ワトキンスやポール・ライリーらと行った まさにパブ・ロック風味の作品だ

全編ホンキー・トンク・スタイルが辺りを包み込み ゲランのピアノには何やら
フロイド・クレイマーの風情が漂う

獄中で死んだR&B歌手リトル・ウィリー・ジョンの持ち歌「big blue diamonds」
やチャック・ウィルスの啓示的な「what am i living for?」など
歌われるべき歌の数々が収録された

腹八分目の歌唱です
こうした旅の報告を私は嬉しく受け止めています
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by obinborn | 2011-03-20 03:37 | one day i walk | Comments(0)  

3月18日〜どんな気がする?

プロ野球のセリーグが予定の通り今月25日の開幕を
決定しました(パは延期)

セ理事長の弁によると「野球をお見せするのが野球人としての責務」
とか こういう正論にも時と場合があると私は思います
これはむしろ”強弁”の類いでしょう 既得権益の匂いがプンプンします

ただでさえ節電が叫ばれるなかで 東京ドームをはじめとする大きな
会場でナイターをすることに後ろめたさを感じないのでしょうか?

選手会からもこんな批判的な声が上がっています

「野球で勇気付けようという気持ちはぼくらも同じ それが今の時期か
といえば違うと思う」(阪神:新井選手会長)

「野球で力を と今言うのは思い上がりだと思う 時期がある」
(ヤクルト:宮本前選手会長)

また何よりもこうした未曾有の事故の只中で選手がのびのびとプレイ
したり 観客が心から楽しめる精神状態だとはとても思えません

私自身も揺れています

過度の自粛や不謹慎を意識するのではなく(節電しながら)なるべく普段
の暮らしをしましょうという気持ちに変わりはないのですが
ライヴハウスが営業を中止したり 音楽家が公演を中止/延期する
やむなき事情も理解出来るからです

それは自粛というよりは感性や想像力の問題です 現実的には停電地域に該当
したり 食材が思うように供給出来ないといった事態も今後はもっと増えるでしょう

そしてやはり一番はっきりしているのは
野球同様に 演奏家も聞き手も今は音楽を楽しめる状態ではないということです
(しかしながら一方で今あえて演奏しよう!という音楽家の心意気も解ります)

場合によっては私が来週予定しているDJ会も中止になるかもしれません
メンタル面において あるいはもっと具体的な理由によって

ぜひ みなさんの意見や感想を聞かせてください
お願いします 

小尾

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ヴァンの77年盤 ストーンズのサポートで有名になったオリー・E・ブラウンと
同時期には何故かダニー・オキーフ『ルーレット』にも駆り出されたレジー・マク
ブライドによるリズム隊がひたすら怪物級の力技で押し切る 全編で鍵盤を弾き
制作にも関わったドクター・ジョンもひたすらシンコペイト!
「ヘヴィ・コネクション」に何度胸を突かれたことだろう 
今振り返れば若々しいというしかないヴァン32歳前後の記録である
ただし本人はこの頃ジャンキー道まっしぐらだった
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by obinborn | 2011-03-18 13:58 | one day i walk | Comments(7)  

3月15日

東京ローカル・ホンクの木下弦二からメールと電話が届いた
やはり彼もこの未曾有の事態に対して思いを馳せている様子が言葉
の端々から伝わってきた

必要以上の楽観でも 人を沈黙へと押しやってしまうような悲観でもなく
まして言葉遊びや 言葉のあやでもなく
ぼくたちは生き続けなければいけない そう思う

こんな震災下ではあるけれども 人は日々の営みを萎縮させてはいけない

笑いたいときには思いっきり笑おう
怒りたいときにはまるでガキのように怒ろう

”自由”とはきっとそういうことだとぼくは思っています

弦二へのインタビュー記事を完成させるまでは死ねないなあ、とマジに思う
あるいは人によっては『何と大袈裟な!』と言うかも知れないけれど
これはぼくのとても重要な仕事です
この仕事を途中で放棄するわけにはいきません

堅苦しくなってしまったね
みんな普通に暮らしていいんだよ
みんな笑いたいときは思いっきり笑っていいんだよ

また会いましょう!

小尾 (3月15日)

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(写真は2010年9月の木下弦二:撮影uta氏)
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by obinborn | 2011-03-16 00:05 | one day i walk | Comments(2)