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南ミシガン通り 2120番地

ジョージ・サラグッドの新作『2120 South Michgan Ave.』が素晴らしい

エル・テッチさんや三鷹バイユーのゆうさんがそれぞれのlogで激賞されて
いるのにホダされて ぼくもつい購入してしまった(笑)

アルバム表題曲は言わずもがな ストーンズ64年のオリジナル曲
彼らが憧れのチェス・スタジオを訪れた際に仕上げたインストゥルメンタル・
ナンバーであり タイトルはミシガン州シカゴにあるチェスの住所をそのまま
記したものだった

そうしたいきさつからも察することが出来るように サラグッドの本作は
マディからウォルター ベリーからディドリー あるいはレノアーからタッカーまで
のア・ラカルトであり まるでチェス・レコードの歴史を音で再現するような趣が
濃厚だ

しかしながら マニアックに走りたい気持ちをあえて抑え ベリー「let it rock」に代表
されるように 犬でも知っているようなチェス縁の代表曲を並べていることにまず
好感を抱く

実際の音作りにしても 例えばディクソンのようにウッド・べースを用いながら
4ビート〜シャッフルにシフトしていくような方向性は意識的に? ガマンしつつ
あくまで8ビートの解釈でガンガンと開き直っていくところなど
もう圧倒的にサラグッドらしい

細かいところよりはそうした大らかさをサラグッドは大事にする

きっと彼はチェス・レコードの遺産を使用機材も含めオタクっぽくなぞることより
エルモア・ライクな3連のスライドを弾いて観衆を湧かすことの価値を恐らく
解っているのだ

エル・テッチさんは「スタンスがまったくブレない」と書かれた
ゆうさんは「時代性を放棄したアルバム」と記された
まさにそのことが肝だとぼくも思う

ところで サラグッドのメジャー・デビューは77年
もうすでにロックの歴史が一回りも二回りもした時期に彼は出発したのだった
それでも彼がやる音楽はただひたすらに ロッキン・ブルーズのみ!

ぼくにはその行為が 古い畑に水を撒き 気持ちも新たに耕していくような
心意気に思えてならなかったのである

そんな意味では 後発のダン・ベアード(大好きだ!)にも サラグッドはきっと
勇気を与えたはずだ

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by obinborn | 2011-07-31 20:44 | rock'n roll | Comments(2)  

7月30日

東京ローカル・ホンクを高円寺のJIROKICHIにて

やはりホンクはいいバンドだなあ 
改めてそう思わずにはいられないライヴだった

四人のメンバー全員がきちんとチーム・プレイに徹し 歌へと向かい合う
そんな心映えのようなものが最後まで途切れることなく続いていく
会場はやがて熱いウネリへと満たされていく

音楽を聞いてきて良かったと思える瞬間がこれだ

それはむろん欧米ロックの直截な翻訳ではなく ましてヒロイックな態度であったり
もっともらしく厭世的な世界観を伝えるものでもなく
木下弦二の視界に映るものを丁寧に追いかけていく音による水彩画だ

簡素に凝縮された歌詞は音によって弾みが付き ときに饒舌になり ときに寡黙になる
そんな瞬間瞬間を拾い上げていけばいくほど 世界の豊かさに気がつかされるような

とどのつまり東京ローカル・ホンクとはそのようなバンドであり
その音楽は光となり影となり ぼくたちの毎日を合わせ鏡のように映し出していく

弦二の飾り気のない むしろ素直過ぎるような発声/ヴォーカルがそこに生きてくる
井上文貴のギター・オブリが影を作り 新井健太のベースが輪郭を鮮やかに描き出し
田中クニオのドラムスは まるで弦二のもうひとつの声のように響き渡る
そして三声コーラスが弦二の背中に寄り添い どこまでも後押ししていく

バンドとはきっとそういう集合体なのだろう

言い忘れたことはあるだろうか?

命を慈しむような「おいで おいで」が「生きものについて beautiful no name」
と対を成すように
序盤の「いつもいっしょ」の主人公は 終盤の「車のうた」や最後の「すんだこと」
にも生きている

そんな風にぼくはホンクを聞いた

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by obinborn | 2011-07-31 00:13 | one day i walk | Comments(0)  

7月29日

しかし電力業界というのは歪んでいる

九州電力のやらせメール事件が発覚したばかりだが それに続いて
今度は中立的な立場であるはずの原保安院が07年のシンポジウムの際
中部電力にやらせを依頼したというのだから そう思わざるを得ない

実際には中電が妥当ではないと法令順守に従って判断し 保安院の思惑は
留保されることになったらしいが そのようなほころびが露呈してしまうこと
自体がこの業界の病理を剥き出しにしているし
そもそも原保安院とは経済産業省の天下り団体のようなものだから
まっとうなチェック機構があったかどうかさえ疑わしい
(この国ではどうやら業界の自己保全が最優先されるらしい)

あまりにもフザけた話なので音楽に話題を変えよう
今日のお題はぼくの大好きなブルーズ・マン、ジミー・リードである

1925年 ミシシッピに生まれ 18歳の頃シカゴへと移り 50年前後から音楽
活動を開始したリードの歩みは マディやサニー・ボーイ2世のようにそのまま
戦後ブルーズの歴史と歩を一にしている

ただマディやウォルターを剛とすれば リードの魅力とはあくまで柔であり
この人のレイジーな歌やハーモニカはどちらかというとスリム・ハーポなど
ルイジアナ・ブルーズの匂いに近い

実際リードの代表作「you don't have to go」などは バーバラ・
リンを始め 南部一帯のチトリン・サーキットでR&Bとして今なお親しまれている
というから その影響力は推して然るべしだろう

ギターの相棒であるエディ・テイラーとのやりとりもリード・サウンドの肝となるもの
だし その2本のギターの凹凸感こそはジョーンズ/リチャードの原点になったので
はないだろうか?

原稿でブルーズそれ自体について書くことは殆どない
しかしその音楽はいつの間にか自分でも意識しない部分で血となり肉になっていった
ような気がする

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アラスカに40年ほど眠っていたというリードのvee jay原盤(LP1067)
3年ほどまえに入手した際は そのmint度と芯の太い音に心底驚かされたものだった
わずか2,000円
これだからレコ屋通いは今も止められない
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by obinborn | 2011-07-30 00:57 | one day i walk | Comments(4)  

7月28日

朝日『時評』(28日)での森達也は率直だった

今回の震災に関して彼はこう言う
「自分たちの本質的な冷酷さに、多くの人たちは意識下で気付いてしまった」

そうなのだ 亡き人や残された人を思いつつも 私たちは今日もビールを飲み
飯を食べ 今日のおかずは少し味付けが濃かったね などと言い合うのが
恐らく(ぼくを含めて)一般的な家庭の光景ではないだろうか

森は続ける
「でも冷酷な存在である自分に気付くことは、世界に対してのそれまでの無関心を、
能動へと転換する契機となるかもしれない」

彼が言う”冷酷さ”はむろん自国の震災には相応な反応を示しても
四川やハイチの遥かに規模の大きかった地震には他人事だったことを言い含めている
驚くべきことに他ならぬぼく自身がそうだったのである

恐らく励ましの言葉も善意から生まれる行動もそうした冷酷さや後ろめたさとセット
になっているのだろう
そのことを否定してはいけないと思う
そうした矛盾こそは人という生きものなのだから

さて 卑近な例を少しばかり思い起こしてみよう

この春 お花見の自粛と開催との間で意見が分かれた
ぼくにはそれが不思議でならなかった
たとえ桜の下で酒を飲もうが それを控えようが 晴れない気持ちは誰もが同じだからだ
だからこそ そうした二者択一の発想を貧しく思ったのである

早いハナシ 宴会をしたい気持ちと中止しなければという心情との間を往来するのが
”普通の”人間の正直な感覚ではないだろうか?

原発事故に関しては
21世紀の最初の10年を経て まさか自分が被爆するとは思っていなかった
そう感じている方も少なくないだろう

しかも今回は1945年のように他国によって投下されたものではけっしてなく
私たちが黙認し あるいは安全神話に加担し どこか他人事のように考えていたことへの
あまりに大き過ぎる そして取り返しのつかないツケなのだった

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しなやかなビートが小波となって大波となって打ち寄せる77年に録音された
『サンバの巨匠たち』 
定形や譜割ではないリズムが人懐っこい歌と溶け合っている
右端にいるのが当時67歳前後だったネルソン・カヴァキーニョだ
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by obinborn | 2011-07-29 00:22 | one day i walk | Comments(0)  

本日(7/27)よりi tune storeやamazon mp3でダウンロード発売

「物語性がある歌詞も好きなんですけれど ぼくにとって歌とは”窓”であればいい
と思っています」

「聞き手に想像の余地を残しておく そんな歌作りを心掛けています」

今年2月 東京ローカル・ホンクの木下弦二はぼくにそんなことを語ってくれた

もうすぐ(7/27)ダウンロード配信される彼らのシングル曲「目と手」をまえに
ぼくは彼のそんな言葉の数々を思い起こしている

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やや抽象的な言い方になってしまうが ここ数ヶ月を晴れない気持ちで過ごして
いる、、、というのが多くの人々の偽らざる心境ではないだろうか

ライヴ演奏で馴染み始めた「目と手」は シンプルに選び抜かれた歌詞が 小さなもの
言葉にならないものを慈しむようなサウンドスケープのなかに映えた曲だが
今回の震災を経て ぼくのなかでより切実な表情を持つものへと変化していった

いずれにせよ ひとつの曲が作者の意図を離れて聞き手それぞれの”窓”になる
とはそういうものだろう

「篩(ふるい)にかけたソングライティングをしたい」

木下が言うそれはすなわち 時間の経過のなかで劣化しない曲作りのことだと思うが
「目と手」は彼のそんな”作法”が際立つ歌でもある

そう 簡素な言葉が世界の複雑さを仄めかす一方で その音楽は世界にある美しいもの
かけがえのないものを伝えていく 

ミディアムの淡いテンポが日常と手を携えながら
鮮やかな転調が目に映る景色に広がりを持たせながら

思えば自分が普段の暮らしのなかで目や手をことさら意識することが
ここしばらくあっただろうか

そんな気持ちとともにぼくは今 この曲を噛み締めている

小尾 隆
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by obinborn | 2011-07-27 05:46 | one day i walk | Comments(4)  

中村とうようさんのこと

もう既に多くの方がご存じのように, さる21日音楽評論家の中村とうよう氏が
急逝された。

『マガジン』最新号のとうようズ・トークでも原発や君が代の問題に触れるなど
相変わらず社会派たる気骨を示しながら、 ムサビに寄贈した各種楽器のなかで
親指ピアノが今回は事情であまり数を出典出来なかったことに触れ、機会があれ
ば他の親指ピアノの面白さも知って欲しいと書かれたり、ご自身の今後の予定も
記すなど意欲を見せていただけに、飛び降り自殺という行為がぼくのなかでなか
なか像を結ばない。あれほどラテンやアフリカ音楽の生命力を語ってきた人なの
に、、、そんな感想を抱く方々も少なくないのではないだろうか。

人の心の闇は伺い知れないとはいえ、震災や原発事故や政治の混迷がどこかで
とうようさんの視界をネガティヴに覆ってしまったのだとしたら何ともやり切れない。

とうようさんの功績に関してはこれまでも多くの人が語り、これからもきっと語り継
がれていくだろうから、ここではあくまでぼくの個人史との接点を少しばかり書き出
してみたい。

やはりぼくには『ニューミュージック・マガジン』編集長としての存在感が何よりも
大きかった。

フォークやロックという”新しい”音楽の波に突き動かされるように69年同誌を創刊
したとうようさんだが、70年代も後半になりそれらが次第にコマーシャリズムに毒され 
内実を失っていくと、誰よりも早くそれらを告発する一方で世界にはフォークやロック
以外にも素晴らしい音楽があることを説き、若者たちに依って立つ場所の客観性を
促した。

ぼくなどはジャクソン・ブラウンの『プリテンダー』やウォーレン・ジヴォンの再
デビュー作(ともに76年)を聞きながら、駄目なロックにも真実があるという気持ちが
あり、とうようさんのそういう割り切り方には反発さえ覚えたものだ。のちにワールド
・ミュージックと呼ばれるブームの先駆となったのも『マガジン』ではあったが、他国の
素晴らしい音楽をただ”消費”していくだけなのでは? という懸念をぼくはどうしても
拭い去ることが出来なかったのである。それはとどのつまり日常のなかで音楽を聞く
という行為をどう捉えるのか、また精神性と娯楽性にどう折り合いを付けていくのかと
いう問題であり、自分の身近にある切実な音楽と遠い国の豊かな音楽との響き方の
決定的な違いでもあった。

それでもファニア・オールスターズのサルサに触れ、ネルソン・カヴァキーニョのサンバ
を聞きながら、少しずつ自分の視界が広がっていったこともまた事実だった。ぼくのなか
に当時も今も切り裂かれている二つの感情や自己矛盾があるとしたら、恐らくそういう
ことだろう。

今ぼくの手元には『マガジン』の78年2月号がある。 

ボズ・スキャッグスの”変節”に戸惑う故・松平維秋さんのナイーヴと頑固を往来
するような文章があり、その一方でサルサやレゲエを紹介する記事が掲載される
など、ロックを取り巻く環境が激しく変化していった時代を象徴するような内容に
なっているのだが、そうした事象を俯瞰していく(ときに啓発的な)雑誌作りや問題
提議に、ぼくはとうようさんの人となりを強く感じてならない。

ちなみに同号での「とうようズ・トーク」にはこんな文章が残されている。

「自分がいったん慣れ親しんだサウンドにいつまでも安住してしまうような、ブリティ
ッシュ・プログレなら何でもいい、ウェスト・コースト風シンガー・ソングライターなら
無条件に好き、といったタイプの聞き方がヌルマ湯につかって抜け出そうとしない
怠惰な姿勢だと言うのなら、一度ディラン・ファンになったらどこまでも彼に追従して
行く、といったタイプも同様に怠惰であるということになるような気もする。(中略)
ディランさんよ、お前はなぜこうした問題(註:ここではカリフォルニア的楽天主義を
皮肉ったドノヴァンを引き合いにしている)に対して、口をつぐんでいるのだ。自分
より上の世代に対しては『時代は変わる』と叫んだくせに、なぜその後の時代の変化
を語ろうとしないんだ」

こんなに厳しい言葉も昨今の音楽雑誌ではすっかり見かけなくなったが、ここには
音楽の聞き方をめぐる根本的な問いがあるばかりか、他ならぬとうようさん自身の
煩悩までもが行間からくっきりと浮かび上がってくるかのようだ。

パブリック・エナミーやソニック・ユースのレコードに0点を付けるなど極端な面も
あったとうようさんだが、それだけの覚悟や批評性そして何より自分の審美眼を
失わなかった証しだろう。そうした意味では極めて人間臭く、喜怒哀楽のはっきりし
た人だという印象がずっとぼくにはある。

あれは76年の春だっただろうか。日本で行われた捕鯨反対のコンサートの欺瞞を
告発し、日本とアメリカとの文明的なコンテクストなしにそうした”ヒューマン”に
共振する落とし穴を若者たちに激しく訴えた”大人”も ぼくが知る限りとうようさん
たった一人だけだった。

幅広く大衆音楽の聞き手であることに徹し、反骨精神を持ち続け カウンター(対抗)
の立場からものを言った。ぼくにはとうようさんのそんな姿が戦後を逞しく生き抜いた
オヤジのように映るのだ。こんなにスケールの大きい音楽評論家はもう二度と現れ
ないだろう。

今までありがとうございました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。

小尾 隆

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とうようさんが解説を書かれた『V.A/すばらしきサンバの仲間たち』(録音は76年
日本盤の発売は80年)と、文中でも触れた『マガジン』の78年2月号。表紙は
河村要助さんの描く”時の人” ボズ・スキャッグスだった。
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by obinborn | 2011-07-24 02:25 | one day i walk | Comments(10)  

メンフィスへの道

ウェクスラー/ダウドのプロダクションでもう一枚どうしても忘れ難いのが
ダスティ・スプリングフィールドの『in memphis』(69年)だろう

ルルやシェールのマスル詣とは異なり こちらはメンフィス
それもスタックスではなくレジー・ヤング(g)らが根城とするアメリカン・
スタジオであることが興味深い

かつてアリーサやピケットを南部録音に導いたウェクスラーはダスティを
まえに どんな青写真を描いていたのだろうか

原文のライナーにも書かれているように 英国人のポピュラー歌手である
ダスティが遙か彼方のメンフィスで録音することには戸惑いもあったらしいが
そんな不安もセッションをするうちに杞憂に終わり 結果素晴らしいアルバムが
生まれた

それまでスタジオに行き 完成されたオケに歌を被せるだけだったダスティに
とって デモ録音を聞き その場でヘッド・アレンジしながら演奏を練ってい
くアメリカン・スタジオの面々を目の当たりにすることは新鮮な驚きであったはず

そんな初々しいまでの息遣いがこのアルバムには漲っている

曲はマン=ウェルズ、ゴフィン=キング、デビッド=バカラックといったビルド系
のチームから ランディ・ニューマンが2曲 そして南部組としてはヒントン=フリッツ
「ベッドで朝食を breakfast in bed」が取り上げられ 彼らの出世作となった

ゴフィン=キングではミディアム・スローの「no easy way down」が秀逸
同曲に於けるレジー・ヤングのオブリの美しさといったら、、、
キング自身のヴァージョンは彼女のファースト『writer』(70年)に収録されている
が こうしたR&Bフィールはキング的な作風の骨組みとなるところでもある

それはともかく チャレンジングな精神が南部録音というロケーションで結晶した
このアルバムには 永遠という言葉がよく似合う

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現行CDには未発表トラックが大幅に加えられているが なかでもデヴィッド・ゲイツ
作の「make it with you」は出色  レジー・ヤングは”弾かないギタリスト”の鑑の
如く 左右のトラックに分けて抑制の効いたオブリを繰り出していく
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by obinborn | 2011-07-23 17:06 | one day i walk | Comments(0)  

マスル・メンを探せ!

ジェリー・ウェクスラー〜atlantic/atcoのスワンプ・ロック戦略の一環として
ルルの『new routes』(70年)とともに先駆となったのがシェール『3614
jackson highway』(69年)だったように思う

アラバマ圏外の歌手をマスルに呼び フェイム・スタジオから枝分かれしたマスル・
ショールズ・サウンド・スタジオの白人チームによる演奏でR&Bのアルバムを作る

そんな目見論は『boz scaggs』(69年)でまずは試されたわけだが ボズの盤には
何故かウェクスラー/ダウドは関わっていない それでも『ronnie hawkins』(70年)
などを制作しながら ロック界のマスル出張はトラフィックやバリー・ゴールドバーグ
またはトニー・ジョー・ホワイトやオーリアンズなどによって活況を呈することになった

そんなことを念頭に置きながら 改めてシェール『3614』を聞いてみたい

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タイトルはマスルの住所をそのまま言い表すものであるし この集合写真はそのまま
当時のマスル・チームである 一部推測も含めながらメンバーを言い当ててみたい

まず前列中央が言わずと知れたシェール
二列めが左から エディ・ヒントン、デヴィッド・フッド、ソニー・ボノ、ウェクスラー、
ジニー・グリーン、ドナ・ザッチャー、トム・ダウド
三列めも左からジミー・ジョンソン、アリフ・マーディン、ロジャー・ホウキンズ、
バリー・バケットの順

どうでしょう? あながち間違ってはいないと思うのだが 異論がある方はぜひコメント
して欲しいと思う(集合写真の種あかしは『Eric Clapton』(70年)のようにはされて
いないのだ)

音楽(選曲)のメニューはバッファロー、ディラン、ドクター・ジョン、オーティスらに
ペン=オールダム、エディ・ヒントンら地元組が混ざるというもの
アン・ピーブルズの名唱で知られる「(just enough to keep me)hangin'on」も
なかなかの出来映えだ

フェイム・ギャングとはまた違ういい意味での折衷主義がこうしてマスル産のホワイト・
ソウルを数多く生み出していくことになったのである
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by obinborn | 2011-07-21 15:25 | one day i walk | Comments(0)  

ギターを弾かないジミー・ジョンソン

デニー奥山さんが ジミー・ジョンソンは実は裏方でギターは殆ど弾いて
いないのでは? とご自身のblogで指摘されていた

なるほど そう考えるとすっきりする  マスル・ショールズのセッション・
メンのうち 「これがジミーの音!」と言い切れる者はまずいないんじゃないか
とぼくも思うのである 弾いてもリズム、ロウ・ポジションでのアルペジオくらい
あとはエディ・ヒントンやピート・カーらの名手にお任せだった、、、というのが
どうやら本当のところらしい

奥山さんのこの見解を決定的に裏付ける盤がトラフィックのライヴ・アルバム
『オン・ザ・ロード』(LP2枚組)である

トラフィック72年初頭のツアーは 前2作で知己を得たマスル・ショールズ・
サウンド・スタジオの面々(ホウキンス、フッド、バケット)がリズム隊でサポート
し トラフィック史上もっとも安定したグルーヴが肝となったのだが
そのツアーから4月の西独公演の模様を収めたのがこの『オン・ザ・ロード』だ

件の人、ジミー・ジョンソン氏は ゲイトフォールド・ジャケでしっかり名前入りで
写真が紹介されている  しかし演奏には一切加わっていない もしやと思い
今日リマスターCDで全編聞いてみたのだが 見事なまでに皆無なのでした、、、

それでもこうしてツアー・バスでの楽しげなスナップが残されているくらいだから
やはり裏方であり かつマスルの精神的な支柱であったのかもしれない

こういうフリー・フォームな演奏では自分の出番はないと奥ゆかしくも考えたの
だろうか
ツアー中はミキサー卓でもいじっていたのだろうか

話は変わるけれども ここでのトラフィックは完璧な演奏を聞かせる
バケットにオルガンを任せた安心感もあってか ウィンウッドは歌/ギター/ピアノ
でのびのびと個性を際立たせ 英米混成の今でいうミクスチュア・ロックの先駆と
なった

全編大枠だけを決めたようなインプロヴィゼイション主体の長尺演奏だが
楽器どうしのせめぎあいというよりは 懐の深いリズムの波のなかをウィンウッド/
キャパルディ/ウッドがゆったりと自由に泳いでいる点がトラフィックらしい  
そうした意味ではガーナ出身のパーカッション奏者、リー・ボップの存在が鮮やか
に浮かび上がってくる作品でもあるだろう

とくにD面すべてを占める「low spark of hi heeled boys」の素晴らしさといったら!

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『アウトバーン』みたいなジャケットですが これはクラフトワークではありません
上部に映るアルバムはマスル好きにはもはや説明不要でしょう
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by obinborn | 2011-07-20 18:14 | one day i walk | Comments(2)  

7月18日

げげ、DJの次の日はまたまた早朝バイトなのでした
今の時代 原稿を書くだけで食べていけるほど甘くはない

ぼくはサラリーマン時代の蓄えや 同居人の理解があるからこんなに気ままな生活を
しているけれど 将来ある若者はけっして音楽ライターにだけはなってはいけません(笑)

タージ・マハールの『music keeps me together』(75年)が素晴らしい

タージ本人にとってはちょうど起源となるブルーズから始まり より広範にカリブ海の
音楽へと舵を切り始めた頃の記録であり そうした方向性は77年の名作『music fa ya」
へと結びついていく  そんな意味でもこれは忘れ難いアルバムだ

自分が立っている場所から 一歩だけ踏み出していけばこんなにも豊穣な世界がある
そんなことを音で実践するタージの姿勢に ぼくはライ・クーダーと同じくらい視界を
広げさせられていったのだ

図らずとも それは当時のローリング・ストーンズが指し示した歩みにも似ている

”ワールド・ミュージック”という言葉に 先進国による搾取や消費の匂いを感じる方々も
少なくないだろう

それでも「smell like a teen sprit」だけがロックではないと思う


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by obinborn | 2011-07-19 01:16 | one day i walk | Comments(4)