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3月31日

しかし昨夜は生まれて初めて九品仏の駅に降り立ったのだった。

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(九品仏にあるお寺。立派だった)

同じ東京とはいえ、私が普段のらりくらりしている江古田〜池袋あたりが
城北で、あっちは城南地区。生活圏としてはまったく違うといって構わない
だろう。こっちが埼玉エリアに路線がアクセスするなら、向こうのお隣は
品川や大井町を睨みつつ、伸びる先は神奈川なのだった。

ちなみに私の世代のギター・ヒーローとしては野方の森園勝敏、戸越銀座の
チャーが城北・城南の両横綱。港区のボンボンだったはっぴいえんどと京浜
地区のはちみつぱいの好対照、それを斜に構えて見ていた三多摩地区のRC
といった勢力図も、70年代の前半には確実にあったように思える。

ところでシカゴのブルーズ・シーンはどうだったのだろう。
よく語られるのは50年代サウスサイドの活況だ。

さしずめリトル・ウォルターなどサウスサイドの大関といったところ(マディ
が横綱だから)。
ヴォーカルはアヴェレージかもしれないが、ブルーズ・ハープのスウィング感
が尋常ではない。加えてロバート・Jr.ロックウッドのジャズ的なコード崩しギ
ターの妙味もあれば、ディクソン=ビロウのリズム隊は鉄壁と、まさにサウス
サイドの風を切るが如し!

せいぜい私は今日も江古田の町を歩くことにしよう。

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(Pヴァインがチェスの権利を獲得したことはブルーズ・ファンにとって朗報
だった。事実ヴァインはブルーズからソウルまでの膨大なチェス・カタログを
続々とリイシュー。写真は85年にリリースされた日本独自編集のウォルター
第二集の二枚組LPであり、古典的名盤『Best Of~』とともに愛された。レコ
ーディング・セッションの模様を生々しく伝える終盤の楽屋裏的テイクも大変
ありがたかった)
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by obinborn | 2012-03-31 18:25 | blues with me | Comments(0)  

3月30日

九品仏の庄屋でアラケンこと新井健太のインタヴューを。

東京ローカル・ホンクの屋台骨といったら、アラケンのベース抜きには語れない。
そんな風に思われる方々も少なくないのではないだろうか。
ときに寡黙に、ときに饒舌に、アラケンのベースはホンクという音の絵をくっきり
と、しなやかに描き出す。

そんな彼のベース観や、昨年の秋から今年3月まで続いたホンクの
全国ツアーのこと、そして彼のこれまでの歩みまで思う存分に語って頂いた。

いろいろな道のりがあり、さまざまな過去がある。
アラケンは今それら全てを慈しみながら、今日もまた音楽をしている自分を見つめ、
それを可能にしている周りの環境に心から感謝しているようだった。

いや、ありがとうを言いたいのはむしろぼくのほうだよ、アラケン!

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by obinborn | 2012-03-31 01:47 | 東京ローカル・ホンク | Comments(0)  

3月29日

ドキュメンタリー番組がいつも嘘臭く思えてしまうのは、突き詰めて言う
と、限られた時間枠で起承転結を作らなければいけないからだと思う。
まして震災や原発事故のように、まだ始まったばかりのことに承はあっても
結があるわけがない。

古川日出男の『馬たちよ、それでも光は無垢で』(新潮社2011年)を読んで
そんなことを考えた。著者は66年福島に生まれた作家であり、これは原発事故
後現地に赴き、彼が見たもの感じたことを極めて感覚的に小説化したものだ。

何しろ時間軸は過去と現在を往復するし、場所も相馬や郡山からニューヨーク
やリヴァプールまで飛躍する。また観察する目線が人のそれから馬や牛から見
た光景へと随時転化していく様も鮮やかだ。

橋下徹市長のように役に立つ・立たないとか無駄である・無駄でないという
解りやすい二元論を立て結論を急ぐような人には即座に切り捨てられてしまい
そうだが、ゲージツというものは本来とても抽象的なものだ。そうした
尺度でしかものを見たり感じたり出来ない人に説明しても仕方ないかも。

ゲージツ家が政治的なものにコミットしていく難しさとは、当然ながらそういう
デリケートな部分にも関わってくる。そんなに政治に関心があるならジョン・ホ
ールや喜納昌吉のように議員になれ!とか短絡的に言われかねないから。
あるいは逆に、音楽家は黙って音楽をやってろ!とか言われたりね。

福島を徹底的に見届ける。文章化する。結論もないし、解りやすい救済の言葉も
書かれていないが、『馬たちよ、それでも光は無垢で』を読むと著者の心の流れが
次第に見えてくる。橋下サンには紙のムダなんて怒られるかもしれないけど(苦笑)。        
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by obinborn | 2012-03-30 11:28 | 文学 | Comments(0)  

3月28日

ニシノユキヒサを赤坂グラフィティにて。

1曲めの出音からして気合いが入っていた。覚悟が据わっていた。音はラウドで
そしてちょっぴり大人の年輪を覗かせていた。タマコウォルズの別動隊とでもいう
べき西池崇、河野薫、中原由貴の三人に鈴木昌久が加わったニシノユキヒサは、
そんな剥き出しのロック・アンサンブルを轟かせた。

キーボードが入っていないため空間は隙間だらけなのだが、そのぶん立ち上がってくる
のは骨っぽいギター・サウンド。不器用ながら愛すべき西池崇のキャラも手伝って、
彼の塩辛いヴォーカルが音楽のど真ん中を突き、今回はフレットレスを使用していた
河野薫のベースも大胆に空間を満たしていく。そして中原由貴に関してはパワー・ド
ラムに徹するが如く、ある種の清々しさとともにバンドをぐいぐいと盛り立ててゆく。

中盤からはゲストに青山陽一が加わり、鈴木、西池とともにトリプル・ギターを存分に
聞かせ、終盤にはビル・ウィザーズの70'sニュー・ソウル古典「Lean On Me」
が飛び出す。その次のアンコールに何の脈絡もなく憂歌団の「出直しブルーズ」を持っ
てくる辺りも、このセッション・バンドの足回りの軽やかさを物語っているかのよう。

この日は対バン形式で、ニシノユキヒサより明らかに若いバンドも3つ登場したが、
彼らがこの先輩バンドを羨望しつつ、素直に耳を傾けている姿はすごぶる印象的だった。
惜しみない賞賛とわずかな嫉妬。

他ならないぼく自身、平均年齢40歳以上であろうニシノユキヒサがもっと稚拙であった
かもしれない20代や30代の頃のことを知らないのだった。だいいち自分が20代だったり、
30代だったりした頃は、果たして一体どうだっただろうか。

そのことの悔しさや切なさ、ひりひりと沸き上がってくる痛み。
それは胸にそっとしまっておきたい。


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by obinborn | 2012-03-29 02:30 | タマコの人々 | Comments(0)  

3月26日

もう3月の最終週だというのに、近所にある千川通りの名物である桜はまだいっこう
に咲きません。でもかすかにつぼみがポツポツと付き始めているのでお楽しみはこれ
からということで。

楽しみといえば明後日とちょっと差し迫ってはいるのですが、28日にニシノユキヒサ
のライヴにちょっくらこのアホウ面下げて行ってきます。集団音楽のダイナミズムを
体現するタマコウォルズの実力は広く知られるところではありますが、タマコの別動隊
ともいうべきトリオ(西池さん、河野さん、中原さん)が、お仲間のソングライター、
鈴木昌久さんと気持ちも新たに合体したバンドがニシノユキヒサということらしいで
す。

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私はこのラインナップを一度だけ昨秋、囲碁お見知りおきを楽団で拝見しているとは
いえ、ほとんど初めてということで楽しみにしています。自分なりに熟知したバンドに
出掛けるのとはまた違う、まったく白紙状態の心持ちでいきなり接するライヴというの
もいいものですよね。先ほどタマコネットのほうにチケットの予約を致しました、はい。

年度末の中日ということでなかなか難しい方もいらっしゃるでしょうし、私自身もとあ
る雑誌社から「20世紀を代表するベーシストとドラマーを各15人ずつ選べ!」という
至上命令が出されていたり、週末には待望のアラケン(新井健太)さんの取材が控えて
いたりするのですが、ひょっとしてひょっとすると青山陽一さん辺りがふらりと遊びに
来られたりするかもしれません。お時間がある方はぜひ!

先日blogにも書きましたが、ここ一年ほどナカハラさんを至るところで誉めまくってい
るのですが、実際ご本人にお会いする時はいつも案外照れくさいもの(笑)。ここは
ひとつ「ふん、わしはナカハラナニガシなんぞに興味はないぜ!」「それより大河小説
『からまわる男』の続きは一体どうなっているんじゃい!」といった氷のような顔を作
りながら客席で一人静かにビールでも呷ることにしましょう。

そうそう最後に。

ナカハラさんはドラムだけでなく、ヴォーカルやコーラスもなかなか魅力的なのです。
声量あるヴォーカリストの「どお? ワタシ4オクターブの声が出るのよ、オホホ〜」
と言わんばかりの大袈裟な歌や、雰囲気勝負のありがちなウィスパー系ヴォイスとは
まったく逆の、掌にすごく温かいものがじわりじわりと残っていくような声。

嘘だと思ったらニシイケさんと交互に歌う「アイビー」やニシイケさんの
の主旋律を脇からそっと支える「ビュリフォー」などでのコーラス(2曲ともタマコ
ウォルズのミディ・クリエイティブ盤に収録)を聞いてみてくださいね。

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ああ、結局またホメちゃった(笑)。
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by obinborn | 2012-03-26 15:16 | タマコの人々 | Comments(0)  

3月23日の東京ローカル・ホンク

(やや長めの前口上です)

『音楽批評の原則について』のテキストに関しては、ツイートやリツイートと
いった形で多くの反響を頂きました。ありがとうございます。カウント数が普段
の倍もあったし(笑)。しかしそれでもですね、好きな音楽の感想を書いたテキス
トよりも問題提議(意見表明)したほうのそれに注目が集まってしまうというのは
個人的には思わず考え込んでしまうわけで、みんな”音楽そのもの”よりも討論の
ほうが好きなのかな〜? などと思い始めると何とも複雑な気持ちに陥ってしまう
のです。問題提議のほうが私のつまらぬ音楽感想文よりも関心を集めやすいという
側面はあるのかもしれませんが、不肖なワタクシ個人の率直な思いとしては、負の
感情に多くの時間を費やすならば、自分の本当に好きな音楽やバンドをもっと聞い
てみて欲しい! という気持ちのほうが遥かに強くあるわけです。  

まあ、私のようなへたれおっさん音楽ライターのボヤキはともかくとして(笑)、
東京ローカル・ホンクは本当に優れたバンドであり、先日彼らが新たに試みた
「ホンク九重奏団」の演奏がとてもスリリングだったことをとにかく伝えたいので
す。

というわけで、もう一度こちらのテキストのほうをトップに持っていきます。
名声を得た(もしくはリジェンダリーな)音楽家のライヴに足を運ぶのもむろん
いいことです。

しかしまだ広く知られていない(だけど優れた)人たちの
音楽に触れるのはもっと良いことのはず。ビートルズがストーンズが最初から有名
だったでしょうか? あるいはシュガー・ベイブが最初から”伝説”だったでしょ
うか? そんなことはないですよね。音楽はいつの時代も”そこら辺のライブハウ
ス”に転がっているのですから。

*    *    *

東京ローカル・ホンクを吉祥寺のスターパインズ・カフェにて。

昨年秋から新作『さよならカーゴカルト』のレコ発全国ツアーを行ってきた
彼らは先月初めて東北地方も訪れ、今日がいよいよ東京での千秋楽と相成った。

第一部では普段着のホンクというか、フォーピース・バンドの粋を過不足なく聞かせ、
第二部ではホンク以外の5人の個性派ミュージシャンとのコラボレーションを試みる。
そんな意欲的なアプローチがうまく引き出された夜だったと思う。

歌の主人公たちの無名性(名もなき人々)を丁寧に映し出すという意味で、ホンクの
楽曲はどれを取っても互いに通じ合い響き合っている。「お散歩人生」でも「昼休み」
でも、町の何気ない描写「拡声器」でも、そこら辺のこだわりに関して木下弦二のソ
ングライティングは徹底していると言っていいだろう。そんな風にして僕たちは彼ら
の明るかったり脳天気だったりする歌の背後に、悲しみの表情や言葉にならない影を
感じ取っていく。

第二部はまるで音の粒子がキラキラと降り注いでくるようだった。

サーディンヘッドの小林武文、ヤセイ・コレクティヴの松下マサナオと中西道彦、
タマコウォルズの中原由貴、そしてラップ・スティールの名手である佐藤克彦という
名だたるミュージシャンたちを連れ出し合体したホンクは、いわばホンク九重奏団
という様相を呈しながら、ポリリズミックな音の波を大胆に作り出していく。

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(ホンク9のリハーサル。中央下より時計回りに新井健太、松下マサナオ、中原由貴、
田中クニオ、小林武文、佐藤克彦、井上文貴、中西道彦、木下弦二)
*このお写真は新井健太さんのblogよりお借りしました

一本のマイクを9人が円陣を組みながら囲み、まるでブルガリアン・ヴォイスのよう
な剥き出しの低音部の和声で聞かせていく二部冒頭のアカペラはどうだろう。
その輪唱が次第に広がり会場を満たしていく様はまさに息を飲むほど清冽だったし、
続く「自然ソング」ではあえてシンプルなビートに四人のドラマーが合わせることで
微妙なズレやユニゾンを醸し出す。

かと思えば、もともとアフリカ音楽の痕跡がある「泥男」ではスタジオ・レコーディ
ングにはないラップ的なコーラスを随所に配しながら、ブラック・ミュージックの
エッセンスを抽出する。そんなミニマル的な音の動きとしては「鏡の中」も聞きもの
だった。こちらはより高音のパートにフォーカスした音の流れがザイール音楽のよう。

四人もドラマーがいる。ベーシストが二人もいる。そんな彼らが同時に音を奏でた様子
を文章で伝えることはとても難しい。

ただそのダイナミズムは想像して頂けるはず。恐らくリハの段階から役割分担があった
のだろう。田中クニオと中原由貴が比較的ベーシックなパートを担い、小林武文と松下
マサナオが自由闊達なフィル・インに向かう土台を作っていたことはすごぶる印象的だ
った。これがドラムスの四人に対する感想だ。

そんなホンク九重奏団の奔放な演奏は終盤の長尺インプロヴィゼーション曲「カミナリ」
で極まった。
風の匂いを、不穏な気候を、あるいは自然の畏怖を彼らはスケッチし、一期一会の音の渦
へと転化していく。その様子のスリリングなこと!

控えめな詩人と遥かなる音の冒険者たち。

その詩人はツアー・ファイナルをけっして美辞麗句でまとめ上げたりはしないし、
音の冒険者たちは今夜の演奏に満足しながらも、明日はきっと別の絵を描き始めている
ことだろう。同じ絵にため息をつきながら、別のキャンバスに心を弾ませながら。

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削りに削られた簡素な歌詞の奥行きと、フォー・ピース編成ならではのバンド・
サウンドの妙味。たとえば以下のPVからそんなことを感じ取っていただければ、
ファンの一人として嬉しいです。


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by obinborn | 2012-03-26 03:29 | 東京ローカル・ホンク | Comments(0)  

音楽批評の原則について

ジャズ・ミュージシャンの菊池成孔による『ミュージック・マガジン』批判は、
あっという間にネットを駆け巡ってしまいました。
http://www.kikuchinaruyoshi.net/2012/03/23/ミュージックマガジンから撤退します/

彼はぼくが普段聞くタイプの音楽家ではないのですが、野次馬的にただ見物を決め込む
のもサイテーだと思います。ですからこうして自分のblogで書きますね。『マガジン』の
姉妹誌である『レコード・コレクターズ』に執筆している身としては、何らかの形で自分
の立ち位置を明確にする必要もあるでしょう。

菊池さんの怒りをぼくなりに整理すると、ジャズというにはあまりに多面的な活動をする
彼がトリックスター的に扱われていることへの不満と、彼のプロジェクトの一環である
ラテン・オルケスタに対する斜に構えたような評文(レヴィ=ストロースの名前を出して
得意気になったり、ティト・プエンテの発言を都合良く改竄したりとひどい代物だ)にあ
ると思います(何が「メンドクサイんですけど〜」だ。そんなことなら書くなよ!)。
そしてそれを放置した編集部の見識への疑問でしょう。

個人的な話になりますが、ぼくがマガジンの読者だった頃、そのオルケスタの評文を
書いた女性ライターには随分嫌な思いをさせられました。彼女がジェイムズ・テイラーの
85年作『That's Why I'm Here』のレコード評でジェイムズをおちょくるような文章を書
いたことがイヤな記憶として残っています。当時ミニコミ(死語ですなあ〜)を始めてい
たぼくにとって、その人はやがて反面教師になりました。近年になっても彼女は佐野元春
の楽曲「Us」(07年の『Coyote』に収録)に関して、極めて薄っぺらいことをこちらは
CDジャーナル誌に書いていました。

ジェイムズに関してはこういうシンガー・ソングライターはもう古い、といった
主旨だったと記憶しています。佐野元春については彼が引用した英語詞のフレーズが
トッド・ラングレンの曲タイトルと同じだったというあまりに皮相的なことをつらつらと
書き連ねるだけだったのです。

音楽家が音楽をどう演奏するのかも、聞き手がどう解釈するのかも自由です。
音楽というイマジネーションや妄想の産物とは本来そういうものでしょう。
ただし、最低限音楽家が意図するものを汲み取るのが物書きとしてのルールです。

たとえば舌足らずの中学生がすぐ側にいるとしましょう。
彼はいわば駆け出しのパンク・ロッカーのようなものだ。
ぼくら大人は彼の発した言語そのものより彼の言いたかったことを汲もうと務めます。

たとえば老獪な政治家がすぐ側にいるとしましょう。
彼はいわば成金趣味の空虚なスーパー・スターかもしれない。
ぼくら大人は注意深く彼の発言から嘘を看破します。

批評とはおよそそのような訓練や想像力と似ています。

ありていに言えば自分には手に負えない音楽だと思ったら原稿依頼を断るべきです。
読者の立場からすれば、言語のロジックというか知的遊戯に終わっている批評など
読みたくもないでしょうし(否、なかには読みたいヒネクレ者もいるか)、万が一
編集者たちがレトリックのみを弄ぶような文章を面白がっているとしたら最悪ですよね。
そしてどんな時代であれ、素直に音楽と向き合っていない文章は淘汰されるだけで
しょう。

だから菊池さんの論旨を突き詰めれば、非常にシンプルな怒りだと思います。
ある意味最もミュージシャンらしく、人間臭く、それでいて茶目っ気もある(笑)。

音楽ライターは個々にどういう音楽に何を書くのか読者にいつも見られています。
それはどういう種類の音楽には自分は手を染めないかということと表裏一体です。
書いたことの価値が、書かなかった何かによって保証されることも多々あります。

もし中村まりが「お前は日本人なのに何で英語詞で歌うんだ?」と
批判されたら、ぼくは本気で怒るでしょう。
もし中原由貴が「お前のグルーヴはジャスト・イン・タイムではない!」と
批判されたら、ぼくは本気で怒るでしょう。

何故ならそれが全くの見当外れだから。
中村さんの歌は英語でもきちんと聞き手に届くし、中原さんのドラムスはグルーヴ
というものの胆をしっかり掴み取っているから。

お陰様で? ぼくのようなへたれライターも20数年文章を書いてこられました^0^
歳を取るほど考え方がどんどんシンプルになり、視界はすくっと澄み渡ってきます。

それはまあ、かつて映画論に夢中だった青年が「そんなのどうでもいいじゃん!」
とある日気が付き、50歳にして渋谷に名画座を作り、「楽しけりゃいいんだよ」と
いろいろな意味で含蓄を込めるのと似ているかもしれません。

ちなみに余談ですが、小生が今年劇場で観た映画は、がっかりする人がいらっしゃる
かもしれませんが、『三丁目の夕日 '64』だけです(笑)。まあ所詮"この程度の奴”
なんですよ、ワタクシは^0^ 

小尾 隆

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かつて自己憐憫の産物と揶揄されたジェイムズは、この85年作で変わっていくもの
を見つめながら変わらないことを確かめる。それはまるで光をそっと束ねていく
ような営為だった。バディ・ホリーが募る気持を込めた「Everyday」をジェイムズ
はまるで自分の歌のように歌う。そのことの価値はきっと毎朝食べるパン以上のも
のだろう。


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by obinborn | 2012-03-25 02:20 | one day i walk | Comments(0)  

中原由貴さんのこと。彼女の心映えのこと。

いいなあとしんみり思う。

この人はいつも素直。どんな時も謙虚。
思い込んだら一直線みたいなところもぼくはすごく好き。

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(昨日23日ホンク9での中原さん。これらのお写真は熱心なホンクの聞き手で
あるutaさんのblog http://blog.livedoor.jp/gogouta/より借用させて頂きました)

美しい!
ああ、でもこんなこと書いてしまうと次回のライヴ会場でお会いした時、
照れくさくなってしまうなあ(笑)。

中原さんのblogはこちら。
http://mooran170.tamacowolds.net/?page=0

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(こちらのお写真はタマコウォルズのオフィシャル・サイトから借用させて
頂きました)

ちなみに拙者による中原さんのロング・インタヴューはこちらで。

http://obinland.exblog.jp/16269470/
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by obinborn | 2012-03-24 20:27 | タマコの人々 | Comments(0)  

3月22日

この一ヶ月は原稿のこともあって、ギタリストのあれこれに関して
改めて考えることが多かった。

結論から言うと、上手いだけではなくトータルに音楽を見渡せる人が
やはり好きということでしょうか。
そう、ぼくはとくに”歌伴ギター”が好きなのでした。

事実、デヴィッド・ブロムバーグのことで真っ先に思い起こしたのは、
フィービ・スノウのファーストに収録された「Either Or Both」での
彼のアコースティック・ギターとドブロのことだった。

写真はブロムバーグの復活作となった89年作。
『Sideman Serenade』というアルバム・タイトルも、この人の
控えめな性格とギターをよく表している。

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by obinborn | 2012-03-23 01:34 | one day i walk | Comments(0)  

3月21日

そうかあ〜、他人が書いた曲も自分の歌になり得る、みたいな視点で
いろいろ考えていくとちょっと感慨深くなってしまう。

思えばディランのファースト・アルバムが、ストーンズのデビュー作が
どうだったかを思い起こしてみれば、音楽を巡る連鎖について考えざる
を得ない。ザ・バーズにしても然り。

その人のルーツとまでかしこまったりする必要はないけれど、
きっと、他人の曲が自分を映し出すといったような動機になったはず。
何しろストーンズ64年のデビュー・アルバムはボビー・トゥループの
「ルート66」(恐らくチャック・ベリーのヴァージョンを参考にした)
で始まっていたからね。

英国のシンガー・ソングライター、ラルフ・マクテルは60年代から活躍
している大物(彼の「Street Of London」はあまりに有名)だけど、彼
が76年に発表した『Right Side Up』(英Warner Bros.)では一曲めに、
トム・ウェイツの「San Diego Serenade」が収録されている。

「一晩中起きていてやっと朝が解った。電球を点けてみてやっと太陽に
気がついた。長いこと離れていて初めて故郷があることを知った。歌が
必要になって初めてメロディを覚えた」

そんな倒置法というかNever~Tillのセンテンスが延々と続いていく歌だが、
ぼくはこの曲を聞いて、ラルフ・マクテルのことが少しだけ解ったような
気がした。

やっと知ることの諦観とかすかな喜び。喪失とわずかな再生。
こんな歌はそうめったにあるものじゃない。

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by obinborn | 2012-03-22 19:10 | one day i walk | Comments(0)