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ジョニー・アランはワトキンスさんがお気に入り!

1950年代に栄華を誇ったのが南西ルイジアナのスワンプ・ポップだ。
クッキー&ザ・カップケイクス、トミー・マクレイン、ウォーレン・ストーム
辺りが日本では比較的有名であろうか。

音楽的には同じルイジアナ州のニューオーリンズR&Bとの関連を考えれば、
その像を結びやすい。そう、ファッツ・ドミノのピアノ3連をよりヴォーカル・
オリエンテッドに置き換えたのがスワンプ・ポップと言えるだろう。
ストームとは高校で同級だったボビー・チャールズにしても、チェス時代の作品
などスワンプ・ポップの流れのなかに自然と収まるかも。



ジョニー・アランもまたそんなスワンプ・ポップを代表する一人。そんな彼が
91年に渡英した際のライヴ盤が英Aceより遂にリイシューされた。ルイジアナの
ピアノ・ロッカー、ウィリー・イーガンズにチャーリー・ハート(ex:スリムチャンス)
が助演したり、ドクター・ジョンのイギリス公演をディズ&ドアメンがサポートする
など、ルイジアナ周辺の音楽家と英パブ・ロック界との強い結びつきが勿論ここでも
聞き出せる。

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(91年の12月4日にロンドンのロイヤル・ナバール・クラブで行われたライヴを収録。
ガルフ・コースト一帯を代表するナンバーが全18曲!)

アランをここでサポートするのはバラム・アリゲイターズのゲレント・ワトキンス
(註1)だ。
彼のピアノやアコーディオンは、アランのもうひとつの声になるほどの親和性を
見せている。またここではドラムスのボビー・アーウィン(ロバート・トレハーン)も
名を連ねるなど、現在のニック・ロウ・バンドに在籍する二人がこのルイジアナ・
シンガーに貢献していることに、パブ・ロックの奥深さを感じずにはいられない。
あるいはここでサックスを吹いているニック・ペントロウも、以前からディズたちの
レコーディングにも参加するなど、パブ・サーキット繋がりを伺わせる。

そのアラン自身も79年のアルバム『Louisiana Swamp Fox』でロウの「I Knew The
Bride」をカバーしている。ジム・フォード作の「Ju Ju Man」にしてもロウが在籍
していたブリンズリー・シュウォーツのヴァージョンを参考にしたと思しきアレンジ
であることなどに興味は尽きない。

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(79年のJin盤は地元ルイジアナ州クロウリーの録音だが、そこはかとなく漂う
”裏バプ・ロック”的な匂いが好事家の心をくすぐる。というかこの家族写真のよう
なジャケットは、所詮アートな鼻持ちならない連中の出鼻を挫くことだろう)

ルーラルな風情や哀愁の3連符バラードとともに、チャック・ベリーの数ある楽曲の
うちからカントリー色の強い「Promised Land」を料理し、このロックンロール巨人
がザディコ〜ケイジャンと親戚であることも自然に浮かび上がらせていく。そういえば
アランはこの曲のシングル・レコードを英国のインディペンド・レーベル、スティッフ
からリリースしていたのだった。

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(アラン・オン・スティッフ! 同レーベルの第一号がロウ「So It Goes」だったこと
も何やら符合めく)

ベリーの曲に感じられるカントリー色(「Plomised Land」「It Don't Take But A Few
Minits」「You Never Can Tell」など)がニック・ロウのそれこそ「I Knew The Bride」
辺りに影響を及ぼしているのではないか? などなどを想像すると思わずニンマリして
しまう^0^のだが、アランを介してベリーとロウの音楽的な共通点を探ってみるのも
あながち間違いではあるまい。

音楽は理屈じゃない。そりゃそうだろう。しかし丁寧に人脈図を追いかけていけば自分
でも思いがけない驚きの光景に出会えることもまた事実なのだった。
そう、あのピート・フレイム氏が書いたファミリー・トゥリーのように!
Roll'em, Mr.Pete !

(註1)ゲラント・ワトキンス
英国のパブ・サーキットで活躍するウェールズ州出身の鍵盤奏者。
古くはロン・カバナ率いるジュース・オン・ザ・ルースに客演するなど地味な存在
だったが、デイヴ・エドモンズ・バンドに参加した80年代前半頃から一般的にも知ら
れるようになり、以降もビル・ワイマンのウィリー&ザ・プア・ボーイズや、ニック・
ロウのインポシブル・バードに参加する一方、自身のルーラルな音楽趣味を活かした
バラム・アリゲイターズを率いるなど、パブ・ロック・ファンの信頼を勝ち得た。
近年ではポール・マッカートニーやヴァン・モリソンといった大物のレコーディング
にも駆り出されるなど注目を浴びている。ガルフ・コーストの音楽に敬意を払った
ピアノやアコーディオンはむろんのこと、温もりのあるハモンド・オルガンにも評価
が高い。


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by obinborn | 2012-04-29 13:50 | one day i walk | Comments(2)  

4月28日

池袋のフロウでコスモポリタン・カウボーイズを。

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カントリー・ミュージックに憧れて音楽を始める人もきっといるだろうけれど、
パンクやフリー〜アヴァンギャルドの世界からカントリーへと辿り着いた人は
あまりいないのではないか。

そんな後者の匂いをハル宮沢率いるコズモズはいつも感じさせ、納得させ、
ときにしみじみと泣かせるのだが、宮沢がストラトキャスター一本で全編を
通した今夜もまた痛快極まりないものだった。

スライやスタッフやクリームの語法をカントリーに混ぜるということ以上に、
他人が書いた曲の他人の物語を自分に引き寄せるといった切迫感が何よりも
胸を打った。そして宮沢のイガラっぽい歌声には、彼がやり過ごして来た歳月が
しっかりと宿っていた。

それがイアン・マッコールの「Dirty Old Town」であれ、
それがオレンジ・カウンティ・ブラザーズの「これこそ男たちの人生」であれ、
それらが昨日ではなく今日の歌として聞こえたことがとても嬉しかった。

ぼくがコズモズのライナーノーツを書かせて頂いてからはや5年以上が経つ。

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パラフレーズから渋さ知らズまで東京アンダーグラウンドの放蕩息子、ハル宮沢と。
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by obinborn | 2012-04-29 02:03 | rock'n roll | Comments(0)  

DJのお知らせ

◎5月19日sat 19時〜@狭山fellows
http://park.geocities.jp/rockinfellows/

特集:私の好きなギタリストたち
DJ:小尾隆&狭山の皆さん
『レココレ』20世紀のギタリスト100人と連動した企画です。
徹底的にこだわり抜いた選曲でお届けします!

◎5月25日fri 19時〜@自由が丘birdsong cafe
http://birdsongcafe.sunnyday.jp/

特集:マスル・ショールズ&南部サウンドの世界
DJ:奥山和典 荘治虫 小尾隆
以前からリクエストがあったマスル・ショールズ・サウンドを
中心とした一夜がいよいよ実現!



その頃にはみなさんゴールデン・ウィーク疲れでしょうか? 日雇い労働者
の私としては”困った週間”の終わりでむしろ歓迎なのですが、それはともかく
ぜひこの機会に遊びにきてください。お待ちしていま〜す^0^

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アーロの語り継がれるべき73年作。「Cooper's Lament」ではエドが左チャンネル
でリードを弾き、右ではクーダーが裏拍に乗っかったリズムを取るという悶絶級の
セッションが展開されている。ギターのショウケイス的な意味合いよりも歌心が
遥かに勝った古典。これを聞けば誰もがエドというオウラホマ州タルサ出身の男を
思い起こし、胸を焦がすことだろう。
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by obinborn | 2012-04-28 02:19 | one day i walk | Comments(0)  

追悼:クリス・エスリッジ

クリス・エスリッジが23日に息を引き取ったらしい。

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インターナショナル・サブマリン・バンド(ただしレコーディングには不参加?)
からフライング・ブリトー・ブラザーズへ、グラム・パーソンズと活動をともに
したり、ジョー・スコット・ヒルらとLAゲッタウェイなるセッション・バンドを
組んだり、60年代末から70年代前半までのロスのシーンでは中心的なスタジオ・プ
レイヤーでもあった。

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左からクレイナウ、エスリッジ、(デルモ二人を挟んで)パーソンズ、ヒルマン
(サンフェルナンド・ヴァレーで温めたカントリー・ソングの数々はキリスト
教原理主義に怯える「Sin City」、徴兵の知らせを告げる「My Uncle」、
エルヴィス・コステロのヴァージョンでも知られる恋愛歌「I'm Your Toy」
などなど。後年は”屋号出してます”的なバンドになってしまったのが残念だが、
ブリトーズの真髄を聞くならエスリッジ、ヒルマン、パーソンズが揃って
いたこの時代だろう)


ブッカー・T&プリシア・ジョーンズの2枚組やジーン・クラークの
『ホワイト・ライト』で聞けるエスリッジの”語らない”ベースが大好きだ
った。そして彼の何よりも誇らしい仕事として挙げられるのは、ライ・クー
ダーを支えてきたことだろう。ライのファースト(70年)からチキン・アル
バム(76年)までは、南部ロケーションを敢行した『流れ者の物語』(72年)
を除けば、殆どすべてにエスリッジがベースで貢献している(以降ライのベー
シストはティム・ドラモンドになり、やがてホルヘ・カルデロンに)。

つまりライの盟友であるジム・ケルトナーのドラムスと常にセットとなっていた
わけであり、その膨らみのある太く温かいアンサンブルはそのまま初期のライに
とって骨格となるものだった。

余談ですが、「ベースなんてみんな同じくね?」(語尾上げで)と仮にでも
思っている方がいたら、弊log内にあるアラケン(新井健太)さんのインタビューを
ぜひ読んでみてください。多少大袈裟な言い方をすればベーシストの選択にさえ、
その人となりが現れるのでは。

エスリッジもまた歌伴の鑑のようなベーシストであり、そういう質実剛健な
部分がぼくは好きでした。

ご冥福をお祈りします。

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(71年にアトコ・レーベルから発売された『L.A Getaway』は、サンディエゴから
やってきたジョー・スコット・ヒルをエスリッジとジョニー・バーバータ(タートルズ
〜CSN&Y)が囲んだLAスワンプ黎明期の総力戦。ペン、レベナック、トゥーサンなど
広く南部を見渡した選曲に、ブラックベリーズの女声コーラスも魅力的だ。
ゲストの鍵盤奏者はレベナック、オールダム、ネクテルなど。オーバーダブの段階では
クラレンス・ホワイトの”ベンド・フェンダー”も加えられた。なおこの録音が終わっ
てからジョーはキャンド・ヒートとともに欧州ツアーへと旅立つ)

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(『L.A Getaway』に付けられていたブックレットより。エスリッジはときにキーボード
も弾いたが、ヘンリー・ディレツによるポートレイトはそんなこともまた物語る)
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by obinborn | 2012-04-26 15:03 | one day i walk | Comments(4)  

4月24日〜チャック・Eは私に首ったけ

昨晩に引き続き、午前一杯リッキー・リー・ジョーンズ(79年)の
新規ライナーノーツ原稿の執筆を。

彼女のデビュー・シングル「恋するチャック」(Chuck E's In Love)
は、当時FM局を中心にガンガン流されていたと記憶する。

”チャック・E.は私に夢中。きっと私に首ったけ”

そんなフレーズがウィリー・ウィークスのフェンダー・ベースとともに
弾き出されていく、いなせなラブ・ソングだ。

それでも求愛されたリッキー・リー自身は態度を留保する。
チャック・Eにしてみれば、永遠に続くようなじれったい時間であり、
きっと苦しみ抜いた日々だっただろう。

顛末がこの歌のなかで明かされることはなかった。
そこにぼくはリッキー・リーという女性の大きさや、ソングライターと
して守るべき領域なり、喉元に押さえた心持ちを感じてならない。

相手を傷つけまいとする態度は、ときに残酷でときに不遜だ。
それでもリッキー・リーは気持ちを留保しながら歌う。

”チャック・Eは私に夢中なの!”


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by obinborn | 2012-04-24 23:47 | one day i walk | Comments(0)  

楽しい歌がもう聞こえない。追悼リヴォン・ヘルム

「ぼくが生まれた時、親父はアーカンソー州イレイン近くにミシシッピ・
デルタの畑を借りて、綿を作っていた。デルタの風景はみんなが普段接して
いるものとはまったく違う。だからまず、ぼくが育った頃の南部の農村の
様子から話そう。綿が王様でロックンロールがまだ生まれてまもない頃の
話だ。
 そこはバイユーと小川と堤防と水路が続く広くて平坦な世界で、綿と大豆
作りに世界一適した豊かな農地だ。16世紀に初めてスペイン人がやってきた
時、デルタの糸杉の森にはチョクトーやチカソーやナチズといったミシシッピ・
インディアンが住んでいた。彼らは天文学や魔術に関するとても大きな土まん
じゅうを作っていた。ぼくの祖母のドニー・ウェッブはチカソーのインディアン
だった。フィリップス郡の住民の多くと同じように、ぼくにもインディアンの
血が流れている。
 想像してみて欲しい。見渡す限り続く綿畑。砂利の道。ピーカンの森。
井戸の小屋。葛のつる。小作人たちの粗末な小屋。土地を借りて耕作する者たち
の農家。水がいっぱいの田んぼ。世界一大きな空。すぐそばにあるミシシッピ川
は、まるで内海のようにまわりとは違う独自の気候だ。夏には気温が木陰でも
華氏110度を超える。綿の土地。ぼくたちは綿作りの農民だった」

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「ぼくはいつもドラマーばかりを見ていた。というのもホーンやリズム・
セクションのなかで、ドラムが一番かっこいいと思ったからだ。シンバル
の響きやドラムが弾ける音。それはぼくの心のなかでは土曜日の夜や楽し
い時間と同じ意味を持っていた。
 ぼくが好きだったのはルイジアナ州ビロシキからやって来たF.S.ウォル
コット・ラビット・フット・ミンストレルズだった。ロックンロールはど
こから生まれたのか? 人からそう訊かれるとぼくはいつも昔見た南部の
メディソン・ショウやワイルドなミッドナイト・ランブルを思い出すよ」

「金曜の夜が最高に華やかな時間だとすれば、日曜はいつも停滞の時だった。
朝寝をしたり、カジノをやったり、レッド・キャップ・ビールを飲んだり、
テレビを見たりする時だった。その時だけがぼくたちのツアーのなかで、
とても静かで、そして移動していない時間だった。当時結婚したロニー・
ホーキンスはやがて金曜の夜よりも日曜を選ぶようになった」

リヴォン・ヘルム(『ザ・バンド:軌跡』音楽之友社 94年より)

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(78年にABCレコードから発売されたソロの2作目。スティックを持つ
ジャケットとは裏腹に、ウィリー・ホールとロジャー・ホウキンズにドラムズ
を委ねている。そんなことひとつひとつにも、リヴォンの広く音楽を見渡す心
を感じてならない)

「どの時点だったかは覚えていないが、ぼくがホークスを抜けている間に
リチャードがドラマーをやっていたことを聞かされた。実際叩かせてみせたら、
それがすごく良かったと聞かされた。ゆったりとドラムを叩き、少しビートから
遅れるがそれがとてもいいのだと。彼は何の訓練も受けていないのにむずかしい
左手の動きをマスターし、ピアノの楽節に似た価値あるフレーズを叩き出した。
それは他の誰も真似出来ないものだった。だからぼくたちはこの曲ではリチャ
ードのほうがいいドラムを叩くから交替しないほうがいいという判断をするよう
になり、バンドには二人のドラマーがいることになった。ステージでリチャードが
ドラムを叩いている時、他の楽器を持たなければいけないのなら、マンドリンが
音楽全体によい影響を与えるだろう。ぼくはそう考えた」

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(やはりそういう意味で「トゥ・キングダム・カム」のドラムスはリチャードだろ
う。かくの如く未だに多くの謎解きの発見に満たされた作品。ブラウン・
アルバムに連なる物語歌は「ザ・ウェイト」や「カレドニア・ミッション」くらい
で、むしろ「イン・ア・ステイション」での独白など一人称による歌も多い)

「ビッグピンク・アルバムは68年の7月1日に発売されたが、バンドの名前が
クラッカーズでないことにぼくたちは驚いた。<ザ・バンド>それがぼくたちの
名前だった。それはウッドストックの人たちがぼくたちを呼ぶ時の名だった。
キャピトルのデスクの向こう側の人たちはクラッカーズという名前でレコードを
発売したくないと考え、勝手に名前を変えたのだ! ザ・バンドという名を初めて
聞いた時、ぼくはショックを受けた。それはわざとらしく尊大で、俺様たちは凄い
んだぞと言わんばかりの威張った感じがする。それはぼくたちが付けた名前じゃない。
ぼくはクラッカーズを主張した」

「ジョージ・ハリソンは68年の秋、ウッドストックにやってきた。彼と
エリック・クラプトンが新聞で誉めてくれたことをぼくたちは喜んでいた。
ビートルズからファンだと言われるのは大きな励みになる。ジョージやエリ
ックたちと一緒にレコーディングをしようという話もあった。イギリスの
ミュージシャンとアメリカのミュージシャンが一緒になり、ビールを飲みながら暖炉
のそばで寛ぎながらジャムをする。考えるだけでもゾクゾクするだろ?」

(上記書:原題は"Levon Helm And The Story Of The Band"より)

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(言わずと知れた69年の”ブラウン・アルバム”。大分水嶺を超えて旅をする男
が行く先々で出会うのは、安酒場の賑わい、南北戦争の回想、雨乞いをする男、
不誠実な召使い、年老いた船乗りなど。そうした題材が”若さ”を売り物に
するロック音楽のなかから出て来たこと自体が驚きだった。アルバムの最後は
収穫の季節を待ちわびる農夫の祈りで終わっている)

「ぼくとリチャードはホテルの部屋で85年のツアーがとても厳しくて自分たち
がないがしろにされていることを語り合った。リチャードが言うんだ。
『リヴォン、自分がもうだめなんじゃないかと思うことくらい人間を傷付ける
ものはないと思わないか? そういうことを考え始めると大きな穴に入って抜け出
せなくなってしまうんだ』ぼくはリチャードに言った。『おまえの言いたいこと
はわかる。堕ちていくと感じるのも不思議じゃないよ。でもちょっと待ってくれ。
たとえくだらないラウンジのような場所でのプレイでも、自分を試すいい機会だ
と考え直そうよ。楽器をセットして神経を集中し、10数曲を演奏すること。
ボールを抱えてエンドゾーンに倒れ込む少年と同じような喜びを味わえるまで、
何度も何度も試すんだ!』あと数週間でリチャードは43歳になるところだった」

*     *     *

リヴォンはいろいろな意味で大きく、逞しい人だったと思います。
いつも自分たちをすくっと見渡していて、しかも大樹のように根を張っている。

ドラマーとしての手癖が一番良く解るのはザ・バンドの「クリプル・クリーク」に
「ドント・ドウ・イット」そしてソロになってからの「シング、シング、シング」
辺りかもしれません。カウベルの使い方も上手かったし、シンプルかつ粘っこいビート
を次第にグルーヴさせていく名人でした。そして人懐っこいあのサザーン・ヴォイス。
チャック・ウィルスの「ロックンロール・シューズ」で聞ける明快で抜けるような声
も良かったし、ニューオーリンズの賑わいを伝えるような「オフェリア」も格別でした。

ザ・バンドが解散してからオリジナル曲にこだわらず、より広範のブルーズやR&B
を演奏していったことも、突き詰めて考えれば常に自分たちの音楽がどういう場所
から生まれてきたのかを厳しく見つめ、日々更新していく作業のようだった気が
します。それは喩えれば自分たちが耕した土地を涸らさせまいとする思いにも似ている
のではないでしょうか。

こんなことを書いていても、今はただただ悲しくて仕方ありません。
90年代の再編ザ・バンドを渋谷のクアトロの最前列で観たこと、それもステージ
右端にセットされたリヴォンのドラムスのまえに陣取ったことを、ふと思い出しました。

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by obinborn | 2012-04-22 12:52 | one day i walk | Comments(2)  

4月21日

本日は自由が丘のバードソング・カフェにて久し振りのDJでした。
お陰さまで立ち見が出るほどの満員御礼! 生ビールも劇的に売り切れ^0^
皆さん、ありがとうございました。
以下は私の選曲です。
*   *   *
Every Brothers/So Sad
Ralph Mctell/San Diego Serenade
G.T.Moore/Otis Blue
Lindisfarne/All Fall Down
Etta James/At Last
John Hartford/Gentle On My Mind
Bob Dylan/Mr.Bojangles
Arlo Guthrie/Cooper's Lament
Carp/The Great Kansas Hymn
Marc Benno/Hey There Señorita
久保田麻琴と夕焼け楽団/That Lucky Old Sun
Levon Helm/Violet Eyes
~~
Jackie De Shannon/What The World Need Now Is Love

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ピラ/ワロンカー体制を更に推し進めたアーロの73年作。
「Cooper's Lament」ではジェシ・エドとクーダーのギターがスリリングに
交差し、「Gate Of Eden」ではクーダーのボトルネックとクラレンスの手数
の多いリックが好対照を描くなど、さながら西海岸系ギタリストの名鑑といった
ところ。
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by obinborn | 2012-04-22 01:08 | one day i walk | Comments(0)  

4月19日

デヴィッド・ブロムバーグを渋谷のクアトロにて。

近年アメリカで活動をともにしているマーク・コスグローヴ(mdn,g)と
ネイト・グロウワー(vln,g)からなる腕達者なストリング・トリオであり、
三人が一斉にマンドリンを弾き出す場面もあれば、マークがソロ・
ギターで「アラバマ・ジュビリー」を披露することもあり、各自のそんな
弦楽器の自由な持ち替えだけでも、幸せな気持ちに満たされた夜だった。
日本人演奏者のタローが多くの場面にマンドリンで活躍するという頼もしい
光景もあった。

それでも私が一番感じ入ったのはやはりブロムバーグの歌声だ。
テナー・ヴォイスで去り行く汽車のような情感を残していく歌とギターに
この人を聞いているんだな、という感慨をしみじみと持てた。
とくに彼のファースト・アルバムの冒頭を飾った自作曲「シェルビー・ジーンへの
最後の歌」での、低音をシンコペイトしたギターと一心同体になった佇まいは、
私に”ソングライターのギター”という語彙を思い起こさせたほど。

”彼はアフロ・アメリカンだったんだよ”
そんなビル・ロビンソンの南部放浪物語を語った「ミスター・ボジャングルズ」は
作者ジェリー・ジェフ・ウォーカーの歌で知られると同時に、バーグのギターを伴う
ことで一際各自の胸に焼き付かれている演奏でもあるだろう。その「ボジャングルズ」
がバーグのギターとモノローグのみで弾き語られたあと、マーク、ネイト、そして
タローを加えながら、
イアン・タイソンの季節労働歌「サマー・ウェイジズ」へと引き継がれていく
その鮮やかさといったら!

終盤にはステージから降り、客と直に触れ合いながらノン・マイクで「ロール・オン・
ジョン」を弾き語るというスペシャルな場面も。確かこれはグリーンブアイア・ボーイズ
時代のジョン・ヘラルドの持ち歌じゃなかったかな。

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(一応この前とは別のフォト・セッションどす^0^体もデカいデヴィッドさんだが、
手の大きさにも注目を!)
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by obinborn | 2012-04-20 05:41 | one day i walk | Comments(0)  

自分だけ安全地帯にいて反原発を叫ぶのはさぞかし楽なことだろうね

自家撞着的なエコロジストたち。あなたたちすべてにこれを捧ぐ。
外側に理想郷を抱きがちなサヨクたち。あなたたちすべてにこれを捧ぐ。
内側に国家という独立幻想を見るウヨクたち。あなたたちすべてにこれを捧ぐ。
物事を二つの面から見る訓練をしていないきみたち。あなたたちすべてにこれを捧ぐ。

そりゃオイラだって核エネルギーなんて不気味で嫌いだけど、自分の立ち位置も顧みず
あまりに反原発=正義みたいな旗を振りかざす輩が多くって、こういう一面(以下)
をどう受け止めるんですか? 想像してみたことがあるんですか? って言いたく
なったので。

*    *    *

大島半島には、主に原発作業員が泊まる民宿が点在し、
地域の若者の多くは原発関連の会社で働く。

人口9,000人ほどの町の中心部、JR若狭本郷駅前でタクシー
約10台が列を成す。運転手たちは車内で携帯電話を操作したり、
外でたばこを吹かしたりして時間を持て余していた。

客の八割は原発関連のビジネス客。原発中止で収入は半分近く
減っている。
「私たちは原発依存症なんて言われるが、こんな田舎で他の仕事
なんてすぐに見つけられますか?」
穏やかな表情がこわばった。

大島の山間部で店を営む女性は、再稼働を望む地元が”金目当て”
と言われることに胸を痛める。
「この町で作った電気の大半は関西に送られ、一番恩恵を受けて
きたのは都市部。でも事故が起きれば都市より私たちのほうが被害
が大きい。それでも再稼働を望まざるを得ない地域の実情を考えて
みてほしい」

(4月15日の毎日新聞社会面より抜粋)

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大島半島の先端部。左部に関西電力の大飯原子力発電所が見える。
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by obinborn | 2012-04-17 13:21 | rock'n roll | Comments(5)  

DJのお知らせ

昨年の暮れ以来久し振りになってしまいますが、DJ会を行います。
今回は何が飛び出すか?! よろしければ遊びに来てください。

4月21日(土)19時半start:自由が丘 バードソング・カフェ
http://birdsongcafe.sunnyday.jp/
DJ:小尾隆 文屋章 新井崇嗣 新井裕尚
料金¥1,000(チャージ&ドリンク)より

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レココレ”20世紀のギタリスト100人”でも入選はおろか、個人リストでも
選んだのは私一人だけ(涙)だったのがヘンリー・マカロック(ジャケット右上)。
塩辛い歌と超低速ギターで知られるこの男はかつてアン・ブリックスに曲を提供し、
またある時はロニー・レインの伏兵でもあったが、一般的な勲章はジョー・コッカー
とともにウッドストック・フェスに出演した(映画にも映っている)ことや、かつて
夫唱婦随バンドと揶揄されたウイングス「マイ・ラヴ」で一世一代のソロを弾いた
ことかもしれない。
問わず語りのヴィブラートと山びこ的なタイム感だったら、やはりこの人でしょう。
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by obinborn | 2012-04-17 05:00 | one day i walk | Comments(2)