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リッキー・ファターのドラムが聞こえてきた

ボニー・レイットの新作を聞いていて「おお!」と思った最初の曲は
5曲めの「Down To You」だ。スウィング・ビートと8とがミックスされ、
見事なまでに合致したこのナンバーは、ビートへのこだわりという観点から
NRBQ(註1)やキース・リチャーズとの接点も見いだせる。



嬉しかったのはリッキー・ファターがドラムスを叩いていたこと。
もっと嬉しかったのは、それを(パーソネル欄を見る前に)自分の耳で発見
出来たこと。私の50耳、まだまだ腐ってはいませんでした^0^

リッキー・ファターといえば、古くは70年代前半のビーチ・ボーイズを
サポートし、その後はLAを拠点に活動していったセッション・ドラマーだ。
とりわけイアン・マクレガンのバンプ・バンドにベースの小原礼とともに
参加し、しなるようなバックビートを叩き込んでいたのが忘れられない。
そのバンプ・バンドをそのまま起用したボニー・レイットには『グリーン・
ライト』(82年)というなかなかの佳作もある。

そのバンプ・バンドのニュアンスをたっぷり味わえるのが「Down To You」だ。
気風のいいミドルなロックンロールであり、むろんレイットはここでエレクトリック・
スライドを弾き、そして歌う。

新しい時代の古いロックンロール。
それがぼくにはとても素敵で価値あることだと思えてならない。

註1:Qのフォー・ビート・ロックに関してテリー・アダムスはかつて「俺はセロニ
アス・モンクのようにロックンロールを演奏しているんだ」と簡素に言い含めたこと
がある。

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by obinborn | 2012-06-30 01:48 | rock'n roll | Comments(0)  

6月27日

逞しいバンド・サウンドが中盤の「難破船のセイラー」以降、どんどん加速
していく。そんな高揚感が最後まで途切れることなく会場を包んでいく。

アンコールこそ「夏は喧噪なり」一曲に留められたが、バンド4人のクォリティは
完璧。テクニックは各自むろんあるのだろうが、それ以上に一丸となった”バンド心”
に魅せられた夜だった。

27日の青山陽一The BM's@渋谷サラヴァ東京を見て、そう思わずにはいられなかった。
昨年秋に発売された青山の新作『Blues For Tomato』と同じレコーディング・メンバー
での演奏は今年1月以来。途中ベースレスのオルガン・トリオでの演奏を3月に挟み、
久し振りのThe BM'sだったが、もっと聞いていたいと感じたのは私だけではないはず。

言葉の意味に寄りかかることのない青山の抽象詞と複雑な展開を持った楽曲との
取り合わせに関しては、ファンであれば先刻承知だろう。従来からの持ち味である
そんなテイストを、21世紀になってからの青山はより逞しく、剥き出しのサウンド
とともに轟かせる。それもギター英雄的な立ち位置とは真逆に、いや、むしろ凝縮さ
れた短めのソロをトータルなサウンド絵画のなかに染み込ませていくあたりに、音楽家で
ある青山陽一の人となりを感じずにはいられない。もはや彼のシグネチャーとなっているテ
レキャスターから繰り出されていく艶やかなトーン。ここぞの時に畳み掛けていく色彩感に
溢れたフレーズの数々!

ソロ・キャリア20数年となる青山陽一が実力派のメンバーたち、つまり伊藤隆博(kbd)、
千ケ崎学(b)、中原”moo"由貴(ds)とともに繰り広げた、ケレン味のない力感が最後の
最後まで心を満たしていった。

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by obinborn | 2012-06-28 04:42 | one day i walk | Comments(0)  

6月25日

知久寿焼と東京ローカル・ホンクのツーマンを吉祥寺のパインズにて。

絶え間ない出演オファーがあっても、ここのところ意図してライヴの
日程をスロー・ダウンさせているホンクだが、実際、先週行われたイヴェント
を除けば3月以来のライヴとなる。3月公演はレコ発ツアーのファイナルとして
壮大な音楽絵巻を描いたのが記憶に新しいところだが、今日のようにコンサバな
彼らも勿論素晴らしい。

「お手紙」で始まり「目と手」へと連なっていく序盤といい、中盤の胆となる
「昼休み」といい、そして勿論「社会のワレメちゃん」から「カミナリ」に雪崩
込んでいく終盤のジャム演奏まで、短めのセットながら起承転結は明確であり、
会場の多くを埋めた知久のファンたちも、きっとホンクの世界に引き込まれた
ことだろう。

実際、毎回ダブの手法が冴え渡る「昼休み」にしても、今日はイントロのリム・
ショットからエコーをかけまくるというエンジニア担当の伊藤”ハルク”の音響への
思いが冴え渡り、長尺インプロヴィゼーション曲「カミナリ」では
井上文貴が今までになかった新しいフレーズを織り込むなど、息を呑まずにはいられ
ない瞬間が幾度も幾度も訪れた。

平易な言葉がもたらす膨らみ。それをホンクの4人は音として鮮やかにスケッチしてゆく。
ギター×2、ベース、ドラムスという何の変哲もない編成で、彼らはそれを成し遂げるの
だった。そして木下弦二は抑制されたMC(註)にさえ、彼が辿ってきた道のりや逡巡を
染み込ませていく。

受け止めたものをそのままにしたくて、私は早めに会場を後にした。

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註:「地元の個人商店が大型チェーンに取って代わるのは寂しいが、そう感じる自分も
実際はチェーン店も利用している」そんなMCもあった。つまり人間は矛盾した存在だと
いうこと。
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by obinborn | 2012-06-26 00:31 | one day i walk | Comments(0)  

6月23日

@高円寺の洗濯船でDJを
(7,10,13以外はシングル盤にて)。

1 Ramsey Lewis Trio/Hi Heel Sneakers (Part 1)
2 Justin Hinds&The Dominos/Carry Go Bring Come
3 Persia &No.1 Station/Moonlight Lover
4 Bad Company/Can't Get Enough
5 Small Faces/Sha-La-La-La-Lee
6 Johnny Winter/Boney Maronney
7 Rolling Stones/Get Off My Cloud
8 Los Lobos/Ooh ! !My Head
9 The Showmen/It Will Stand
10 Chuck Berry/Thirteen Question Method
11 Young Rascals/Good Lovin
12 Carole King/ Brother, Brother

〜One More Miles To Go〜

1 Arex Chilton/Let Me Get Close To You

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by obinborn | 2012-06-24 00:50 | rock'n roll | Comments(2)  

6月22日

谷口さんのインタビューにも出て来たグレイト・スペックルド・バード。
彼らが69年にAmpexレーベルに遺した唯一のアルバムを久し振りに聞いた。

僕はどうしてもエイモス・ギャレットのエレクトリック・ギターに耳が行き
がちだったのだが、ナルホド要所要所にバディ・ケージが隠し味的なペダル・
スティールで貢献していることが解る。例えば「Flies In The Bottle」では
澄んだトーンが、カントリー古典の「Crazy Arms」では快活なプレイが聞き
出せるのだが、エイモスのギターといい案配に入り混じる「This Dream」が
ベスト・トラックかも。

こうして名盤とされるアルバムでも、各プレイヤーの立ち位置を考えながら
(というほど大袈裟なもんではないけど〜笑)聞き直してみると何だか新鮮。
ちなみに制作はウッドストックで修行をしていた時代のトッド・ラングレン。

ご存知のようにバディはのちにニュー・ライダーズへ。
エイモスはウッドストック村のハウス・バンド的なハングリー・チャックを
経て、ポール・バタフィールドのベターデイズに。
なお、スペックルド・バードの母体であるカナダのフォーク・デュオ、
イアン&シルヴィアは72年の『You Were On My Mind』でザ・バンドの
「Get Up Jake」をカヴァーした。

ニール・ヤングは78年の『Come A Time』でタイソンの「風は激しく
〜Four Strong Winds」を歌った。先日来日したデヴィッド・ブロムバーグが
タイソン作の季節労働歌「Summer Wages」をステージで歌ったことも記憶
に新しい(スタジオ・レコーディングは78年のFantasy盤で)。

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by obinborn | 2012-06-22 18:41 | one day i walk | Comments(0)  

6月21日

ドクター・フィールグッド最初のライヴ・アルバムはベリーの「Talkin' bout You」
で始まっていたなあなんていう感慨にふけっていたら、無性に聞きたくなったのが
ストーンズの『ディセンバー・チルドレン』。65年11月発売の米国編集盤で「一人
ぽっちの世界」(65年10月に1位)を記念して急遽組まれたような形跡もある。

ラリー・ウィリアムズ「She Said Yeah」に始まり、先のベリー曲へとすぐに続く
流れがいい。マスル・ショールズはアーサー・アレキサンダー「You Better Move
On」で。ビートルズもデビュー・アルバムでアーサーを取り上げたことと考え合わせ
たい。ハンク・スノウ「I'm Movin On」ではブライアンのスライドが味わい深い。
フレイミン・グルーヴィーズは「She Said~」だけでなく、秀逸なバラード「Blue
Turn To Grey」を取り上げた。ブルーズ・ハープをフューチャーしたマディ「Look
What You've Done」もストーンズらしい出来だ。

数多いジャガー=リチャード曲のなかでも、最も知られていない一つが「I'm Free」
ではないだろうか。どうっていうことのない曲なのだが、ミックの叩くタンバリンが
途中で一拍ズレるところが妙に愛おしいのだった。

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by obinborn | 2012-06-21 18:37 | rock'n roll | Comments(2)  

6月17日

飯田雄一&ザディコキックスwithニヒル・ブラザーズを横浜のサムズアップで。

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それぞれ順にテックスメックス、ザディコ〜ケイジャン、ニューオーリンズ。
いわばガルフ・コースト一帯に息ずく音楽を今に伝えるバンドの一大セッション
絵巻であり、ぼくも最後まで気持ち良く懐の深いリズムに抱かれた。

オレンジ・カウンティの飯田は至って野生児。
キックスの面々の話では直前になってキーを変更するわ、曲目(もしくは曲順)
を変えるわといった具合(笑)。
それは単なる気まぐれというよりは、より自分自身に触れ合いたい故なのだろう。
そんな御大を瞬時に受け止めていくキックスたちの柔らかな心持ちも、胸を打つ。
告知にはなかったオレンジの中尾淳乙の出演というサプライズも嬉しい。

実際のステージでもどんどん曲を入れ替えていくのだが、ダグ・サームへの思い
に溢れた「ソープ・クリーク・サルーン」に始まり、「ビューティフル・テキサス・
サンライズ」や「サンアントンに行こう」などダグの曲が連なっていくあたりに、
飯田雄一という男の傷だらけの肖像が、くっきりと愛おしく浮かび上がってくる。

サニー&ザ・サンライナーズやリトル・ウィリー・ジョンでおなじみの「トーク・
トゥ・ミー」にしても、自然とダグのヴァージョンを思い起こさせるのが
この人ならでは。そしてヴァン・モリソン「クレイジー・ラヴ」の鮮やかさ。

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けっしてスムースではない。むしろゴツゴツとした、されど大事なもの。
時代には流されない。情報や流行にも興味を持たない。
それでも朝の陽は昇っていくし、夕方になればでっかい太陽が地平線に沈み、
今日の役割を終える。

そんなことをまっさらに受け止めること。
針小棒大な言説に振り回されないこと。

ビールをおかわりする声が飛び交い、笑顔の数々がどこまでもどこまでも
会場を満たしていった。

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(中華料理店でのキックスたち。本番前にこの余裕!^0^)
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by obinborn | 2012-06-18 01:14 | rock'n roll | Comments(0)  

ロング・インタヴュー、谷口邦夫(上巻)

 オレンジ・カウンティ・ブラザーズというバン
ドを覚えている方はどれくらいいらっしゃるだろ
うか。76年にレコード・デビューして79年に解
散するまで、彼らはカントリーやテックス・メッ
クスを引き寄せながら、自分たちの音楽を作った。
埃っぽい情感に安酒場の賑わい、そして一途な思
い。彼らに脈打っているのは、そんな血の通った
光景だ。恐らく音楽を愛し過ぎていた故に彼らは
時代の波に乗ることが出来なかったのだろう。そ
うした逆説がまたあまたの伝説となり、今宵もま
たどこかのバーで人々は彼らの名を呼ぶ。オレン
ジ・カウンティのペダル・スティール・ギター奏
者、谷口邦夫に話を聞いた。

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☆成増には昔、グラントハイツという米軍用の住宅
がありました。

ーーまずは谷口さんの個人史を少々お伺いしたいと
思います。

 生まれは板橋区の成増です。結婚してからは隣町
の和光市に移ったのですが、それ以外はずっとこの
近辺です。家は兄弟が多くって女女男男男の5人兄
弟で私は末っ子でした。一番上の姉はパット・ブー
ンが好きで、二番目の姉さんはプレスリーの姿はそ
うでもないけど声が好きだとか言っていましたね。
ですから音楽に目覚めたのはそういう家庭環境があ
ったからだと思います。あと私の家はずっと質屋を
やっていますので近くにあるグラントハイツという
米軍用の住宅、ここは今では光が丘に移っているん
ですが、そこから持ち込まれたレコードにも影響を
受けました。ハンク・スノウとかファッツ・ドミノ
とかチャビー・チェッカーなどのレコードが日本盤
ではなく洋盤で集まってきたんです。今それが手元
に残っていたら膨大なコレクションですよね(笑)。
日本人では小坂一也の「デビー・クロケットの唄」
とかクレイジー・キャッツのソノシートなんかをよ
く聴いていました。幼稚園から小学校低学年くらい
でしょうか。ナベプロのアメリカン・ポップスのカ
ヴァーがテレビに溢れていて、演歌が入り込む隙が
なかったかな。

ーー楽器を手にされるようになるにはどういうきっ
かけがあったのでしょうか。

 姉たちに教えるため家にはピアノの先生が毎週来
ていたんです。その先生が「この子は音感がいい!」
って誉めてくれたみたいなんですね。母親がその気
になって私にヴァイオリンを買ってくれたらしいん
ですけど、首がくすぐったくって全く習いませんで
した。その時やっていれば、ケイジャン、安積始じ
ゃなくて私が弾いていたかも。
 それからは中学くらいで、兄がギターを始めてい
たこともあってギターも練習しましたが、インスト
ゥルメンタルよりは歌を歌うことのほうが好きだっ
たので、歌の伴奏ということでギターを始めました。
三つくらい上ですとヴェンチャーズ世代なので例に
よってエレキのテケテケテケ~なのでしょうが、そ
の時は加山雄三やグループ・サウンズが流行ってい
る時代で、私はビートルズやモンキーズそしてアメ
リカのフォーク・ソング。中三の頃はニュー・ロッ
ク全般が好きでした。

ーーやがて高校生になられる。

 歌を歌いたかったので高校ではアメリカ民謡同好
会に入りました。当時は五つの赤い風船なども好き
で、山野楽器が主催していたフリー・コンサートな
ども見に行きました。URCから出た五つの赤い風船
と高田渡とのカップリングLPを同級生に借りて、け
っこう衝撃でした。それですぐにオート・ハープを
買ったんです。私と二人で組んでいた稲田っていう
奴はやがて”梅祭り”というバンドでデビューしたん
だけど、知らないかな。
 ちょっとお笑いが混ざったフォークでしたけれど、
その稲田と二人で学園祭で「遠い世界に」や「血ま
みれの鳩」といった五つの赤い風船の曲を歌いまし
た。彼が普通の6弦ギターだったので、私は音に厚
みを持たせるために12弦ギターを弾いたり、オー
ト・ハープをじゃ~んと弾いたり。オート・ハープ
といってもカーター・ファミリーのように色々と出
来るわけじゃなく、「遠い世界に」で使っていただ
けなんですけどね。その頃から弦が多くてちょっと
変な楽器が好きだったのかもしれない。
 私が通っていた城北高校というのは進学校なんだ
けど、教頭の息子のバンドが和田アキコが司会をや
っていた『R&B天国』っていう番組で優勝して、
ドラム・セットを貰って来たりしたのでバンド活動
にはうるさくなく、まあバンカラではあるんだけれ
ど、わりと自由な校風でした。当時はCSN&Yのラ
イヴ・アルバム『フォー・ウェイ・ストリート』辺
りをよく聴いていたのですが、その頃になるとギタ
のめちゃくちゃ上手い奴(現在はジャズ・ベーシス
トの桜井郁雄)を入れて三人編成で、その『フォー・
ウェイ・ストリート』に入っていたニール・ヤング
の「カウガール・イン・ザ・サンド」や、ジェイム
ズ・テイラーの「スウィート・ベイビー・ジェイム
ズ」を高校の講堂の落成式で歌いました。

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☆☆ペダル・スティールは初心者にはちょっと手が
出せない楽器なんです。

ーーそうしてどんどん音楽にのめり込んでいかれる。

 楽器をやるという目的で大学に行きました。たま
たま入学したのが法政大学だったのですが、そこで
カントリー・レンジャーズっていう軽音楽部のC&
W(カントリー・アンド・ウェスタン)のバンドに
入ったんです。他の大学にも伝統あるC&Wのバン
ドというのはあったと思うのですが、法政のそこは
戦後初めてC&Wを演奏した学生バンドだったらし
いです。ただ世の中はもう完全にロックの時代に入
っていたから、そのバンド自体もC&Wから新しい
音楽を模索し始めた時でした。そこで本格的にペダ
ル・スティールを習い始めました。ギターでは他に
上手い人たちが沢山いましたので、こりゃ今から始
めても遅いんじゃないかとも考えた。しかし、ペダ
ル・スティール・ギターという楽器はある程度きち
んと教えてくれる先生がいないと初心者にはちょっ
と手が出せないものなんですね。メカニカルな部分
からチューニングが狂った時の調整方法まで含めて
シロウトが自己流で始めるにはなかなか大変な楽器
なんです。
 私の場合はたまたまペダル・スティールの第一人
者である尾崎孝さんが二学年上にいたり、尾崎さん
の紹介で私が使っている日本で唯一のペダル・メー
カーFUZZYの社長である藤井さんと知り合えたり
しました。藤井さんというのはジミー時田のマウン
テン・プレイボーイズのペダル奏者だった人で、あ
のバンドはベースがいかりや長介でギターは寺内タ
ケシ、マンドリンはジャイアント吉田でした。これ
がドリフターズの前身だと言われています。藤井さ
んには初歩的なピッキングを教わったり、FUZZY
の工場でアルバイトして、毎日スティールで使うス
テンレスのバーを磨いたりしていました。オレンジ
で使っていたペダル・スティールはそのバイト代で
買いました。そんなわけで私はペダル・スティール、
安積はフィドルを習い始めたんです。

ーー当時はどんな音楽を聞かれていたのでしょうか。

 先ほどお話したCSN&Yやニール・ヤングから広が
ってカントリー・ロックと呼ばれていたものも勿論聞
いていたんですが、やはり子供時代に体験したファッ
ツ・ドミノのような黒人のリズムが頭にありましたか
ら、そういう意味では物足りなさも感じていました。
そんななかでジェイムズ・テイラーの『マッド・スラ
イド・スリム』を聞いた時、これだ!って思ったんで
す。というのもジェイムズの音楽っていうか、ザ・セ
クションの演奏にはブラック・ミュージックの要素が
自然に溶け込んでいて、白人離れしたリズム感が気持
ち良かったんです。それでも彼のヴォーカルはハンク・
ウィリアムスやジョージ・ジョーンズなんかのカント
リー・シンガーの伝統を通過していますよね。『マッ
ド・スライド・スリム』を初めて聴いたのは、大学を
受験する夏のことでした。大学時代は必要に駆られて
ペダル・スティールの入った有名なアルバムを聴きま
くっていました。そこで出会ったのがニュー・ライダ
ーズ・オブ・パープル・セイジのバディ・ケイジです。

(中巻に続く)
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by obinborn | 2012-06-17 06:30 | インタヴュー取材 | Comments(6)  

ロング・インタヴュー、谷口邦夫(中巻)

☆☆☆飯田くんは最初、私のことをへたくそだと思っ
ていたみたいです。

ーーそれではオレンジ・カウンティ・ブラザーズ結成
前夜のお話に入っていきたいと思います。一般的には
73年の秋、埼玉大学の”オールナイト・エレクトリッ
ク・ショウ”で飯田雄一さんがステージに立たれた時が
バンドの母体になったと伝えられていますね。

 私はまだその場にはいなかったんですが、ジプシー
・ブラッドだったかオズ・バンドだったか、どのバン
ドか定かではないんですが、穴を空けてしまったんで
す。そこで夕焼け楽団の(久保田)麻琴ちゃんが急遽
代役を立てなければならず、「誰か演奏しない?」っ
ていう問い掛けに「オレたちカントリーみたいなのや
るよ」って手を挙げたのが飯田くん、倉田義彦、鵜沢
章でした。麻琴ちゃんは飯田くんのロングヘアとカン
トリーがオシャレだと感じたみたい。そこに夕焼け楽
団の洋ちゃん(藤田洋麻)がギターで加わった演奏だ
ったと聞いています。「Truck Driving Man」か「Ja
mbaraya」がオレンジが生まれた最初の曲だったよう
です。でもとにかくまだこの時は私も安積もバンドに
いなかったし、ギターの中尾(淳乙)も参加していま
せんでした。

ーー谷口さんが飯田さんと最初に出会ったのはいつだ
ったのでしょう。

 今日このインタヴューがあるからこの前飯田くんと
電話で話したんだけど、正確なところはもう覚えてい
ません。ただ飯田くんがビクターが企画した『大学バ
ンド対抗合戦』というアルバムに参加するために、私
の師匠の尾崎孝を招聘して、ヴォーカルが飯田、ドラ
ムが倉田、ペダル・スティールが尾崎、その他のメン
バーは解りませんが、とにかく日本大学の代表として
フォー・レター・ワーズというバンドを結成したよう
です。
 そのアルバムに収録された曲目は日大が飯田くんの
オリジナル「Honky Tonk Downtown」、法政は何と
私が歌うフライング・ブリトー・ブラザーズ(リック
・ロバーツ)の「コロラド」でした。その時は私は
まだスティールは二軍で、レギュラー・メンバーとし
てはセカンド・ヴォーカルでした。本来はメイン・ヴ
ォーカルだった先輩のカントリー・ソングをレコーデ
ィングする予定だったんですが、ビクターの女性ディ
レクターが、ついでに演奏した私の曲のほうがいいと
いうことで急遽そうなったんです。「Honky Tonk D
owntown」はオレンジのアルバムには入っていません
が、初期には何回か演奏していましたね。
 当時その『大学バンド対抗合戦』のために法政の部
室に来て練習していた飯田くんは、学生NO.1の尾崎
の演奏に比べてまだ覚えたてだった私のペダル・ステ
ィールを「へたくそだなあ」って思ったらしいんです。
それから二年くらい経って飯田くんが風の噂で法政に
スティールの上手い奴がいるって聞いて呼んだのが、
その”へたくそな”私でした。
 飯田くんが倉田と出会ったのは、当時『ライト・ミ
ュージック』っていう音楽雑誌があって、そこのメン
バー募集欄に倉田が「デッドやジェファーソンをやり
たい!」って書いたのを飯田くんが読んで誘ったんだ
と思います。当時倉田は鵜沢と一緒に複葉機というバ
ンドをやっていたんですが、そうやって次第にオレン
ジ・カウンティのメンバーが集まってきたんです。オ
レンジが結成された当初はもうダグ・サームか、ニュ
ー・ライダーズ・オブ・パープル・セイジかという感
じでした。

ーーレコード・デビューは76年、トリオ・レコードの
ショウボート・レーベルからでした。久保田麻琴さん
のプロデュースによるハワイ録音でしたね。

 デビューにあたってどういう段取りがあったかはも
う忘れてしまいましたが、麻琴ちゃんは当時からすで
に別格というかちょっと特別な存在でしたね。オレン
ジでも夕焼け楽団の話題はしょっちゅうしていたし、
オレンジと夕焼け楽団で共演し、そこでジャムったり
ウィーピング・ハープ妹尾が加わることも多かった。
ライヴのMCにしても「おまえら元気か!」という激
しい音楽の乗せ方とは違う、もう少し自然で柔らかい
鼓動を感じさせました。彼はもう前年に夕焼け楽団の
『ハワイ・チャンプルー』(75年)でハワイ録音を
経験していましたから、その流れでオレンジもハワイ
に行ったのだと思います。サウンズ・オブ・ハワイの
スタジオにはワイキキのアラモアナ・ショッピング・
センターのすぐ近くにあったバンヤン・ホテルという
名の安アパートから、のんびりハワイ見物しながらの
出勤だったので、東京の自宅から都心の立派なスタジ
オに通うような緊張感がまるでありませんでした。ス
タジオ自体も普通の家のように物が雑然と散らかって
いて、日本のスタジオとは雰囲気が違っていましたね。
勿論16トラックでリズム・セクションから録音してい
く方法自体は日本と同じで、いわゆる一発録音ではな
かったのですが、とてもリラックスしながら演奏する
ことが出来ました。レコーディング・エンジニアも『
ハワイ・チャンプルー』と同じ松本裕くん(松本隆の
弟)でした。

ーー麻琴さんはプロデューサーとしてどういう風にレ
コーディングを進めていったのでしょうか。

 優しいお兄ちゃんという感じかな。こっちが演奏し
やすいような雰囲気を作ってくれたと思います。勿論
局面局面でいろいろなアドバイスをし、困った時には
ちゃんと答えを出してくれました。でもオレンジの音
というのは飯田くんの頭のなかでもうアレンジが出来
上がっていたわけだから、それを自然に活かすやり方
だったですね。人や立場によって久保田麻琴という人
の捉え方は違うだろうけど、以前も小尾さんにお話し
たように、私の場合はその時の麻琴ちゃんのイメージ
が今も変わらずにずーっとあります。

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(76年の8月に石川県の高原で行われた第三回夕焼け祭りの記念撮影。
バンド、ファン、関係者が一堂に会しツアー・バスへと乗り込んだ。
勿論オレンジのメンバーも写真のなかに)


☆☆☆☆『Soap Creek Saloon』が一番いいアルバ
ムかな。

ーー77年のセカンド・アルバム『Soap Creek Saloo
n』はサンフランシスコ録音でしたね。

 メンバーのなかでも「あれが一番いいかな」ってい
う声は多いです。スタジオはヘイト・アシュベリーの
近くにあって、レコーディングに(ダン・ヒックス&
ザ・ホットリックスの)ジョン・ガートンとマリアン
・プライスの二人がピックアップ・トラックに乗って
駆けつけてくれたのも嬉しかった。「On The Beach
Of Hawaii」ではマリアンのスキャットをフューチャ
ーしていますが、これだけでもかなり効果が出ている
でしょ? 麻琴ちゃんはこのアルバムをのちにリミッ
クスしましたけど、あのリミックス・アルバムはメン
バーの間では評判が悪い。私がドブロを弾いている曲
がクレジットでは(シェリフの)青木(繁久)くんに
なっていたのは青木くんがブルーグラスのミュージシ
ャンだから麻琴ちゃんは勘違いしたのかな。私はとく
にそのことを麻琴ちゃんには言わなかったけれど。

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(メンバーの間でも「これが一番!」という声が多い77年のセカンド・
アルバム。ダグ・サームに捧げられた一曲めから思わず胸が焦がすような
ホンキー・トンク・ソングスの数々を収録している。印象的なイラストレ
ーションは中尾紀久子。オレンジのアルバムはすべて彼女のイラストでト
ータライズされていた)

ーーアルバムは冒頭からダグ・サームへのトリビュー
ト・ソングと言うべき「Soap Creek Saloon」で始ま
ります。70年代半ば当時はシュガー・ベイブ、めんた
んぴん、センチメンタル・シティ・ロマンスなど、そ
れぞれが憧れの音楽にアプローチしていった時期だっ
たと思いますが、オレンジの場合はダグ・サームへの
愛情が際立っていました。やはりここら辺は飯田さん
の存在感がずば抜けていたとも感じるのですが、その
点はどうでしょうか。

 飯田くんはずっと横浜育ちで、浜っ子ならではとい
う言い方は変かもしれないけれど、そこら辺は彼が思
うところのお洒落な感覚があって音楽をやってきたん
じゃないかな。これが関西の人になると東京には負け
ないぞ!みたいな気負いが出て来てしまう場合もある
のでしょうが、ほら横浜って東京人よりも文化面で上
だと本人たちが思っているようなところがあるじゃな
い? 飯田くんは確かに存在感はあるんでしょうけど、
だんだん声が痰絡みになってきてしまったのが少し残
念だけど。彼は「昔はウィーン少年合唱団みたいな声
だったんだぞ」って言ってたけれど(笑)。飯田くん
はダグ・サームの「サンアントン」やチャック・べリ
ーの「ナディーン」を日本語の歌詞で歌った。彼の訳
詞は作者に対する愛情が溢れていて好きです。あと作
詞については倉田が多くを担当しました。あのインチ
キ・ウェスタンみたいなオレンジの楽しくて奇想天外
な世界は倉田の功績じゃないかな。

(下巻に続く)
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by obinborn | 2012-06-17 06:17 | インタヴュー取材 | Comments(0)  

ロング・インタヴュー、谷口邦夫(下巻)

ーー78年には日本コロンビアに移籍してベターデイズ
・レーベルから3作め『Cruisin'』を発売しますが、
環境の変化などは感じられましたか。

 私はあんまり感じなかった。ソニーでニュー・ライ
ダーズを担当していたディレクターの柳生さんには、
「ライダーズみたいな音楽をやっています」ってバン
ド全員で挨拶に行ったことがあって、その彼がコロン
ビアに移ったということを聞いて、オレンジも移籍す
ることになったんです。その頃コロンビアには大滝詠
一や佐藤奈々子がいました。佐藤奈々子とはどこかの
野外ライヴで一緒になって、当時オレンジ全員のアイ
ドルだったマリア・マルダーに似てるね、ってステー
ジの袖からみんなでニヤニヤしながら観ていましたね
(笑)。大滝詠一さんとの思い出は『GO GO ナイア
ガラ』のレコ発ライヴが渋谷公会堂であって、駒沢裕
城さんとともにスティールを並べてバッキングで参加
したこと。オレンジは当時たくさんライヴをやってい
ましたから、とくに印象に残っている演奏を思い出す
のは難しいのですが、大きいコンサートでは夕焼け祭
りと春一番にそれぞれ二回ずつ参加しました。そうだ、
あと大阪の中之島公会堂でちょっと風変わりなコンサ
ートがありました。出演者は詩人の金子光晴、作家の
田中小実昌、紀伊国屋の田辺茂一そしてオレンジ・カ
ウンティ。お三方のおしゃべりコーナーのあと、我々
の伴奏で田中小実昌が「道頓堀行進曲」、例の〜赤い
灯、青い灯〜ってやつ。田辺茂一は「黒猫のタンゴ」
の替え歌で「茂一のタンゴ」。「道頓堀行進曲」のイ
ントロをスティールで弾いていると、マヒナスターズ
になったような気分でした(笑)。

☆☆☆☆☆「谷やんが最高のプレイをしたから俺も頑
張って歌ったんだ」って飯田くんが言ってくれた。あ
の時は嬉しかった。

ーー79年のスタジオ・ライヴ盤『Jump And Shout』
を最後の置き手紙のようにして、オレンジは一旦解散し
てしまいます。解散の原因を一言で言うのは難しいと思
いますが、時代もパンクやニューウェイヴが主流になっ
てきた頃のことでした。

 音楽をやっていてだんだん楽しくなくなってきてしま
った。聞いてくれるファンにとってはずっと大事に繋が
っていることでも、演奏している方には生活の問題があ
ったのが一番の原因かもしれません。サンディ&ザ・サ
ンセッツのように新しい波に乗っかれるバンドもいれば、
それが出来なかったバンドもいる。オレンジの場合はき
っと後者だったのでしょう。

ーーそれでも今なお熱心なファンがいたり、ザディコキ
ックスやコスモポリタン・カウボーイズなどオレンジの
遺伝子や匂いを受け継いだようなバンドがいます。

 ザディコキックスの西田(琢)くんなんかはまさに飯
田くんのお洒落な部分をそのままザディコに置き換えて
いるね。彼はオレンジが解散したあと、飯田くんのバン
ド、サイケデリック・カウボーイズにゲスト・フィドラ
ーとして参加してくれて、オレンジが復活して狭山のハ
イドパーク・フェスや、京浜ロック・フェスに出演した
時も彼が手伝ってくれた。安積が仕事の関係や家が遠く
て来れなくても「ニシダなら大丈夫!」って。たぶん彼
はオレンジの4枚のアルバムは全部頭のなかに入ってい
るんじゃないかなぁ。
 カウボーイズの(ハル)宮沢くんを初めて見た時は久
保田麻琴かと思った(笑)。彼がオレンジの曲を歌って
くれているのはすごく嬉しい。それに彼はハンク・ウィ
リアムスの曲に自分の日本語詞を付けるなど努力をして
いる。そうやってハンクの曲を自分の歌にしている。ま
さに「俺のハンクはこれだ!」っていう感じで、そうい
う匂いも飯田くんに通じているのかな。宮沢くんのカウ
ボーイズで叩いているドラムの東野りえさんの演奏スタ
イルも好きです。

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(ザディコキックスのギター&フィドル奏者、西田琢と。
80年代以降不遇続きだったオレンジを支えたのが彼だった。
2010年の10月、ジェフ・マルダー&エイモス・ギャレット
公演が行われた渋谷クアトロにて)

ーーオレンジ・カウンティ・ブラザーズという素晴らし
いバンドがありました。谷口さんが今振り返ってみて、
どんな感想をお持ちでしょうか。

 当時のライヴで私はペダル・スティールを後ろで座っ
て弾いていたのですが、飯田くんはギターの音がでかく
ってね(笑)。他のメンバーもみんなそう思っていたら
しい(笑)。ミュージシャンなんてギターでもドラムで
も自分が世界で一番だと思わなければやっていられない
ようなところがあるけれども、私の場合あの頃は懸命に
やるだけだったし、後からバンドに入ったという気持ち
が心のどこかにあったのかもしれない。それでもライヴ
の発掘音源集『Far East Swampers』(99年)が発売
された時、年月が経ってきたせいもあるのかもしれませ
んが、初めて自分の演奏を客観的に見ることが出来まし
た。自分のプレイが自分が思っていたほどしょぼいもの
ではなかったんだなと確認出来た時はやはり嬉しかった。
そこにはジミー・クリフの「Many Rivers To Cross」
が収録されていて、飯田くんが最高のヴォーカルを聴か
せているんですが、いつだったか飯田くんに「気合いが
入っているね」と言ったら、彼は「谷やんが最高のプレ
イをしたから、俺も頑張って歌ったんだ」と言ってくれ
た。あの時は本当に嬉しかったです。私の演奏では(78
年の秋に札幌で録音された)「Many Rivers To Cross」
がベストかもしれません。

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(99年になって初公開されたオレンジの未発表ライヴ音源集。何より
もライヴ・バンドだった彼らの実力が隅々にまで息付いている)

ーーオレンジ以外の代表的なセッション・ワークを教え
て頂けますか。

 オレンジ以外で最初に行ったスタジオ・ワークはガロ
の最後のアルバム『三叉路』です。隣でしゃかしゃかと
マラカスをやっていて「うるさいなあ〜」と思ってクレ
ジットを見たら松崎茂でした。アイドルワイルド・サウ
スの最初で最後のアルバムに「憧れのジョージア」って
いう曲があるんですが、そこでもペダル・スティールを
弾いています。細野晴臣さんの『泰安洋行』では「ポン
ポン蒸気」に参加しました。
 オレンジが解散してからは、札幌のリンダ・ロンシュ
タドと呼ばれていた宮田あやこの『Lady Mockin Bird』
、久保田麻琴のソロ『On The Border』のなかの「Me
And Bobbie Maggie」、最近では東京ローカル・ホンク
の「遠い願い」でペダル・スティールを弾かせてもらい
ました。もっとも彼らと一緒にシンガポールまで行った
わけではなく、(プロデューサーである)麻琴ちゃんに
呼ばれてオーバー・ダビングしたんですが、京浜ロック
でも共演させてもらいました。東京ローカル・ホンクは
奇跡のように素敵なバンド。もっと売れたらいいなぁと
思います。

ーー谷口さんのお好きなペダル・スティール奏者を教え
てください。

 高校時代、まだスティールを演奏するようになるまえ
に、はっぴいえんどの「空色のくれよん」で弾いていた
駒沢裕城さんや、CSN&Yの「ティーチ・ユア・チルド
レン」に参加していたジェリー・ガルシアのイントロが
印象に残っています。
 昔バック・オウエンズのバッカルーズで弾いていた、
リック・ネルソンのストーン・キャニオン・バンドのぺ
ダル奏者、トム・ブラムリーの明るくて気持ちいいステ
ィールが好きです。イアン・マシューズのバンドで弾い
ていたゴードン・ハントレーは確か「サイオン」という
曲で音数は少ないんだけど印象に残る演奏をしていまし
たね。あとはやはりバディ・ケイジです。ニュー・ライ
ダーズの『Powerglide』は衝撃的でした。エイモス・
ギャレットと一緒にやっていたグレイト・スペックルド
・バード時代に、すでにあの奏法をマスターしていたの
にもびっくりしました。彼らが70年に大阪万博で演奏し
た音源も一部で出回っていますよね。あの人はナッシュ
ヴィル的な仕事はしていないようだし、ポップなフィー
ルドに引っ掛かってくるわけでもないので、どうやって
生活しているのか? バディは基本的なピッキングはカ
チッとしていて全くレイジーではないんだけれども、ガ
ルシアと同じでコード進行に縛られない、空中を飛び回
っているみたいな自由なフレーズが特徴です。彼のよう
に演奏出来たら楽しいだろうな、って思わせてくれる。
あとは最近You Tubeで見つけたアイリッシュのペダル・
スティール奏者のデヴィッド・ハートレーが気になりま
す。

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(不定期ながら近年も活動を続けるオレンジ・カウンティ。下は06年9月
に狭山で行われた第二回ハイド・パーク・フェスに出演した時のステージ)

ーー今日はお忙しいなかどうもありがとうございました。
最後の質問ですが、生涯のフェイヴァリット・アルバム
を5枚ほど選んで頂けますか。

 こちらこそありがとうございました。小尾さんが『F
ar East Swampers』のアルバム・レヴューでありがた
いことを書いてくださり、それでこの人に会いに行って
みようと思ったのが最初でした。ライヴ会場でもしょっ
ちゅうお会いしてますね(笑)。
 好きなアルバムを5枚選ぶのはとても難しいのですが、
ビートルズの『セカンド・アルバム』とジェイムズ・テ
イラーの『マッド・スライド・スリム』はやはり入れた
いです。あとはアーロン・ネヴィルの『ソウルフル・ク
リスマス』、高校生の頃”ゆでめん”よりも先に買った
はっぴいえんどの『風街ろまん』、そしてダグ・サーム
ですね。ダグはCCRのリズム隊が入った『グルーヴァー
ズ・パラダイス』にしようかな、それとも『ジュークボ
ックス・ミュージック』にしようかな。オレンジが「Ho
key Pokey」でリフを借用させてもらった「ニッティ・
グリッティ」が入っている『テキサス・トルネード』も
ダグのなかでは好きな作品です。あと一枚いいですか?
ジョン・セバスチャンの『ターザナ・キッド』も忘れら
れない大好きなアルバムです。(了)


取材・文:小尾 隆
質問協力:多加谷茂
(6月6日 池袋:ポルカドッツにて)

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by obinborn | 2012-06-17 06:01 | インタヴュー取材 | Comments(0)