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私の小さな弟は死んでしまった

ボブ・ディランにライ・クーダーと、元祖アメリカーナの新作がたて続けに発売された。
思えばこの二人に直接的な繋がりは殆どないし、あるとしたら以前クーダーがディラン作
の「I Need A Woman」をカヴァーしたことくらいだろうが、両者の音楽に共通して脈々
と流れているのは広い意味でのアメリカへの思いなのだろう。ディランはタイタニック号
の悲劇(tempest)などを題材にしながら死や終末のイメージを語る。方やクーダー
はかなり直截的に政治とコミットする。何しろクーダーの場合、新作のアルバム表題が『
選挙号外』(election special)ときた。次期のアメリカ大統領選を睨んで放たれた”号外”
だ。以前ニール・ヤングにも『Living With War』というイラク戦争への異議申し立てを
正面から行ったアルバムがあったけれど、なるべく早く曲を作りリリースしたいという切
迫感や時事性では、今回のクーダーはヤングのそれに似ているのかもしれない。

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徹底的に共和党のルムニー候補を皮肉った冒頭の「Mutt Romney Blues」もあれば、報
われない労働者たちに団結を呼びかける「The Wall Street Part Of Town」もある。あ
るいは「Guantanamo」では、失ってから始めて気がつく感情が考察される。しかもそこ
ではアラブ系というだけでアルカイダではないかと容疑をかけられ拷問を受けた若者たち
を題材にしているのだから、アメリカ人としてのクーダーの自責の念はいかほどのものだ
ろうか。かなりヘヴィなエレクトリック・ブルーズ「Cold Cold Feeling」ではオバマ大
統領の苦悩が生々しく描かれているし、「Kool-Aid」ではフロリダの白人自警団員が誤っ
て黒人の少年を射殺してしまった事件を扱っているのだが、それを一方的に糾弾するので
はなく、射殺してしまった青年の独白という形でヴァースが進んでいくだけに、何とも
苦い思いが込み上がってくる。

こうして書き連ねていくと、かなり社会的なメッセージに溢れたアルバムだと誰もが強
く思うことだろう。実際その通りであるし、クーダーのギターと息子ヨアヒムのドラム
ス&パーカッションのみで骨格が剥き出しになったサウンドもそうした感情を一層
後押しするものだ。しかしその一方で、本作には「Brother Is Gone」のような寓話的な
ナンバーが収録されている。兄弟二人が二つの道が交差する地点、ウィチタのプレーリ
ー・タウンでサタンと善悪の取り引きをする。そんな歌なのだが、どこかアイリッシュ的
な旋律が古き佳きアメリカの日々を映し出しながら、良心が託された審判の日を待つよう
でもあり、アルバムの多くを占める政治的なナンバーをうまく中和する影絵になっている
と思う。兄が弟に言うのだろうか、「ぼくの可愛い弟は死んでしまった」というフレーズ
の繰り返しがとても印象的だ。アルバムの折り返し地点に置かれた小唄「Going To Tam
pa」同様、ヘヴィなエレクトリック・ブルーズやストレートアヘッドなロックが渦巻く
なか、こうしたアコースティックな歌が鮮やかな場面転換となっているぶん余計に染み
込んでくる。マンドリンの響きが素晴らしい「Brother Is Gone」での映像を喚起させる
広がりのあるサウンドは、まさに多くのサウンドトラック・アルバムを手掛けてきた
クーダーの賜物だろう。

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思えばライ・クーダーという人は忘れ去られた古いブルーズや伝承歌を掘り起こし歌い
ながら、現代という時代に投げかけてきた。それがアルフレッド・リードの不況物語
「How Can Poor Man Stand Such Time And Live?」であれ、ブラインド・ウィ
リー・ジョンソンが採集した宗教歌「Dark Is The Night」であれ、一見私たちの現代
の暮らしとはあまり接点がないような内容の歌を歌うことで、物事の裏側というか、
豊かさの陰に隠れがちな側面を示し続けてきたのだ。そういえばクーダーはウディ・
ガスリーの「Do Re Mi」を取り上げていたが、オクラホマからカリフォルニアへと
新天地を求めつつ挫折する季節労働者の歌を歌うことは、ロスアンジェルスに生まれ
育ったクーダーにとって温故知新であり、自分の立っている場所を確認する作業でも
あったはず。

そんなクーダーがどんどん自作曲を増やしていったのは近年顕著な傾向だ。前作
『Pull Up Some Dust And Sit Down』もほぼ全曲クーダーの書き下ろしだったが、
今回もヨアキムとの共作一曲を含めてすべてがライのオリジナルで占められている
のだから古くからのファンには感慨深い。それは何も曲を作れるようになったから
偉いとか成長したといった意味合いとはちょっと違う。古い音楽の介在者であること
に徹してきた彼が、貧困や差別にあえぐアメリカ、中東で不遜な戦争を仕掛けるアメ
リカに異議を申し立てた曲を書いていることに、のっぴきならない心の動きを感じ取
ってしまうからだ。そういえば公民権運動の尊厳に改めて着目したメイヴィス・ステ
イプルズのアルバム『We'll Never Turn Back』をプロデュースしたことも、クーダー
の創作力を大いに刺激したことだろう。積極的にフォークロアを紹介してきた彼が、
いつしか現代という困難な時代を映し出すフォークロアそのものになろうとしている。
この『選挙号外』を聞いていると、彼の変わらぬリべラリストぶり、弱く虐げられた
人々へ投げかけられた目線の低さとともに、ふとそんなことを考えずにはいられなか
った。

クーダーは繰り返す。「ぼくの小さな弟は死んでしまった」と。極めて簡素に語られ
るフレーズだが、その言葉の広がりに単なるプロパガンダだけではない”音楽する心”
や生傷だらけの心情が溢れ出している。

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by obinborn | 2012-09-23 09:38 | rock'n roll | Comments(2)  

ポンコツ・サウンドの凱旋、匿名性への思い

21世紀に入ってから発売されたディラン3枚のアルバム、つまり『Love And
Theft』(01年)、『Modern Times』(06年)、『Together Through Life』
(09年)を聞いていると、ひとつの連なりのなかで音楽している彼の姿がくっき
りと見えてくる。自身のバンド、装飾を排したサウンド、そして過去のアメリカ
音楽を再発見していこうとする謙虚な心持ち。これらが音のうねりのなかで幾十
にも折り重なりながら、確実にひとつの像へと結びついていく。その像とは一体
何だろう? それをひとことで言い切ってしまうとしたら、雄大に脈々と流れる
アメリカ音楽の底流に自身を投げ込もう、もしくは紛れ込ませようとするディラン
の願いのようなものかもしれない。

そうした延長線のなかに最新作『テンペスト』を並べてみると、このアルバムもま
た『Love And Theft(愛をもって盗む)』から連綿と続く四部作のように思え
てならない。ここにはオクラホマのカントリー・スウィング(「Duquesne Whis
le)があり、アパラチア地方から運ばれてきたような旋律(「Tempest」)があり、
ミシシッピからシカゴへと北上したマディ・ウォーターズをザディコに翻訳したぼ
やき節(「Early Roman Kings)がある。こうした壮大な音楽地図のなかで自分なんか
ほんの一駒に過ぎないんだよ、とでも言いたげなアンチ・ヒーロー的な思いがこの
アルバムを奥深く、味わいのあるものにしている。つまり聞き手はディランを介在
者として音楽巡礼に出掛けるわけであり、聞いているうちにこれはディランのレコ
ードでありながら同時にディランの音楽ではない、といったちょっと不思議な体験
に囚われる。マディの「Rollin and Tumblin'」(『Modern Times』に所収)をディ
ラン作とクレジットしてしまうところに、いささかの不遜や乱暴さを感じないわけ
にはいかないが、こうした換骨奪胎ぶりがこの10年くらいの彼を大きく特徴付けて
いるのではないだろうか。

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むろんこうした匿名性への願いは近年始まったものではなく、過去のブルーズやフ
ォークの数々に多くの恩恵を受けた60年代初期のデビュー時からディランの背骨と
なってきたものだ。自分と相手との関係を辛辣に言い放つ曲(「It's Ain't Me B
abe」であれ「Just Like A Woman」であれ)を書く一方で、彼は結論の出ない
迷宮に誘うような物語歌(「The Lonesome Death Of Hattie Carolle」や「Lily,
Rosemary And The Jack Of Hearts」)を第三者的な視点をもって歌ってきた。
そんなディランの長いキャリアを振り返ってみると、激しい自己葛藤(「All I Real
ly Want To Do」に「It's All Over Now,Baby Blue」)や当てつけ(「Positively
4th Street」)もしくは吊るし上げの極致~お前はかつて女王様だったが今や単な
る物乞いだ〜「Like A Rolling Stone」)だけではない、観察者としての眼差しが見
えてくるのだ。そうした観察者を物語の語り部と置き換えても構わないが、その語
り部はあくまで歌の主人公たちよりも目立ってはいけないのだ。

『テンペスト』でのディランはとても柔らかい。それは何も若く勇敢だった日々を
遠くに置いてきたということだけではなく、自分の音楽を先代の音楽家たちとの
繋がりのなかで探そうとする控えめな態度、過去の音楽遺産に対する限りない
リスペクト、そしてスタジオ・ミュージシャンの手慣れた名人芸に溺れるのではない
自身のバンド(すっかりお馴染みのトニー・ガーニエから久し振りのチャーリー・セク
ストンまで)への信頼の感情ゆえだろう。そういえば21世紀に入ってからのディラン
はすべてジャック・フロスト名義のセルフ・プロデュースだ。ここにはダニエル・
ラノワの幽玄的な音像もなければ、腕達者なナッシュヴィル・ピッカーとの併走も
ないし、まして顔見せ興行的な豪華ゲスト出演もない。「いつもバンドとともに~
Always With A Band」といった気持ちのあり方に、激しく胸を突かれる。

”俺はビリー・ジョー・シェイヴァーを聞いている。ジェイムズ・ジョイスの詩も読
んでいる” これは前作『Tougether Through Life』に収録された「I Feel A Chan
ge Comin' On」からの一絞りだけれども、この主人公が何もディランだけではなく、
多くの人々の暮らしを言い含めていることに気がつく時、きっとボブ・ディランの
音楽はあなたに微笑みかけることだろう。

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(前作『ずっといっしょ:Together Through Life』のジャケット。車という移動の
手段が永遠に宛のない旅を指し示す。そして乗車した名もないカップルの姿には
ディランの匿名性への願いが託されているかのよう)


この『テンペスト』には予期せぬ悲劇に見舞われた旅行者たちを遠近法で淡々と
描写する「Tempest」が暗喩となって、私たちの揺らぐ日々、変化を余儀なくされ
た生活(それが日航機事故であれオウムであれ震災であれ)を映し出す。ジョン・
レノンを慈しむ「Roll On John」が昨日に置いてきたはずの古傷を思い起こさせる。
そして気の置けない、むしろロウ=ファイでポンコツなまでのバンド・サウンドが
ゴツゴツと砂埃を立てながらも優しく語りかけてくる。

これが最後のアルバムになるだろうといった芸能ゴシップ的な話題はともかくとし
て、一連のアーカイヴ・シリーズとともにディランが彼の音楽の総まとめを意識
し始めていることはほぼ間違いあるまい。土から生まれたものはやがて土へと還っ
ていく。円はいつか弧を描きながら閉じ、長い旅もいつの日にか終わる。この
『テンペスト』を含めた四部作を聞くと、ふとそのような感情がこみ上げてくるの
だった。

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by obinborn | 2012-09-16 10:31 | rock'n roll | Comments(7)  

追悼:ジョニー・ペレス

長谷雅春さんに教えて頂いたのだが、ジョニー・ペレスが亡くなったらしい。
長年サー・ダグラス・クィンテット(SDQ)のドラマーとして活躍してきた人であり、
ダグ・サームとは故郷テキサスのサンアントン時代からの付き合いだった。
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(初代64年頃のSDQ Lto R:Doug Sahm,AugieMeyers,Johnny Perez,Jack Barber
and Frank Morin)

やがてSDQはプロデューサーのヒューイ・P・モーの助言もあって、全国区を目指す。
新たにサンフランシスコを拠点とした彼らは「She's About A Mover」を65年の4月
に全米で13位の大ヒットに。この曲はビートルズ「She's A Woman」(64年11月)
の翻訳とも言われたが、マラカスの響きをブリティッシュ・ビートに溶け合わせた
ゴキゲンなナンバーだった。アメリカ人のグループだと思われないようにメンバー5人
のジャケット写真をシャドウにしたというファースト・アルバムに関する顛末は、
当時のブリティッシュ・インヴェイションの影響力を伺わせる微笑ましいエピソード
だろう。

その後のSDQは「The Rains Came」を66年の3月に31位に、シスコ北部の地名を歌
い込んだ「Mendocino」を69年の3月に27位のスマッシュ・ヒットとした。バンドは
71年前後に一旦解散し、失意のもとダグはサンアントンに戻りソロ活動へと駒を進めて
いったが、いつしかSDQは再結成され80年代に入ってからも優れたアルバムを連発して
いく。

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それらのすべてのアルバムでジョニー・ペレスがドラムスを叩いていたわけではないが、
例えば83年にタコマから発売された彼らのライヴ・アルバム『Live:Texas Tornado』
などでは、ペレスのしなるような素晴らしいドラミングが味わえる。ダグの相方となる
ドラマーとしてはジョージ・レインズやクリーデンス出身のダグ・クリフォードの名前
も思い起こすけれど、オーギー・マイヤーズが奏でるVOXオルガンと同期しながら無駄
のないタイコを叩いていた人としてジョニー・ペレスのことが忘れられないし、ダグに
してみてもソロの時は職人肌のジョージ・レインズを雇い、SDQであればやはりジョニ
ーに託すといった本能的な勘があったのではないだろうか。後年ガレージ・ロック愛好家
からも再評価されるようになったSDQだが、音数もシンプルなジョニーのスタイルは
まさにガレージ・ライクと言えるだろう。

振り返ってみれば、テックス・メックスのロック版を初めて私に教えてくれたのが
サー・ダグラス・クィンテットだった。そのことはバディ・ホリーの「Words Of Love」
に溢れるメキシコ風味を発見したとか、キングスメン「Louie Louie」の
終わらないビートにリッチー・バレンスの「La Bamba」と共通する匂いを感じたとか、
そういう後から学習したものではなく、もう少しだけ身近に寄り添ってくれるものだ
ったと思う。

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(69年の12月にリリースされた『5時過ぎに集合!:Together After Five』から
L to R :Augie Meyers, Frank Morin,Sir Doug,John Perez and Harvey Kagan)

猛暑がまだまだ続いている。思わず冷房を入れたいくらいだ。
私は今、部屋のレコード棚からSDQ一連のアルバムを取り出してきて、
ジョニー・ペレスのドラムスを聞いている。

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(83年のアルバム『Quintessence』より。L to R :Augie,Doug,Johnny,Louie
Ortega and Speedy Sparks なおチカーノであるルイ・オルテガは70年代に
Louie and the Loversを率い、ダグのプロデュースでエピックにアルバムも
残した)

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by obinborn | 2012-09-14 00:23 | rock'n roll | Comments(0)  

愛すべきブリンズリーズ 

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 ブリンズリー・シュウォーツというバンド
を最初に知ったのはいつのことだっただろう
か。渋谷は百軒店にあったロック喫茶ブラッ
クホークだったか、それとも高田馬場のレコ
ード・ショップOpus Oneだったかはもう定
かではないが、確か78~79年頃のことだっ
たと思う。バンドの筆頭格であるニック・ロ
ウは既にソロ・アクトへと転じ、スティッフ
やレイダーといった新興インディ・レーベル
からガンガンとシングルをリリースしていた、
そんなニューウェイヴが台頭していた時代だ
った。ニックは当時プロデューサーとしても
グレアム・パーカーやダムド、そしてプリテ
ンダーズなどを担当し、まさに飛ぶ鳥を落と
すような勢い。そう、時代はヒッピーからパ
ンクスへ。ロンゲから短髪へ。例えば道玄坂
のシカゴでブーツカットのジーンズを買うの
も躊躇われるほどだったと記憶する。

 バンド名として冠するにはあまりに冴えな
いというか、マーケッティングという概念が
隅々にまで行き届いた現在であればプレゼン
にすら量れない。そんなブリンズリー・シュ
ウォーツという名前が、このバンドのギタリ
ストの個人名だと知った時の何とも腰が抜け
るようなトホホ感は、やがて親愛の情へと変
わっていった。グループ名を考えるのが単に
めんどくさかったのか、あるいは照れがあっ
たのかは知る由もないけれども、そうしたこ
とには無頓着というか、むしろ演奏をずっと
続けられればそれでいいとでも言いたげな邪
心のなさすら感じ、ぼくは次第にこの英国バ
ンドを好きになっていった。

 グループの結成は69年。前身となるキッピ
ントン・ロッジは67年にパーロフォン・レー
ベルからデビューしたサイケ・ポップ的バン
ドだったが、そこに在籍していたブリンズリ
ー・シュウォーツ(g,vo)の元へとニック・
ロウ(b,vo)、ボブ・アンドリュース(kbd,
,vo)そしてビリー・ランキン(ds)が次第
に合流し母体が築かれ、UAレーベルと契約
した。マネージャーのデイヴ・ロビンソンが
まず画策したのは、多数のメディア関係者た
ちを引き連れてアメリカに上陸し、デビュー
を派手に持ち上げるというものだった。ヘッ
ドライナーにクィックシルヴァー・メッセン
ジャー・サーヴィスとヴァン・モリソンを迎
え、フィルモア・オーディトリアムで行われ
たデビュー・コンサートはしかしながら大失
敗に終わってしまう。彼らはこの時に抱えた
負債を返すためイギリスに戻り、タリー・ホ
ーやホープ&アンカーなど、ロンドン各地の
パブ・サーキットで演奏するようになったの
だ。ブリンズリーズはのちにパブ・ロックの
開祖と呼ばれるようになったが、彼らにして
みればこんな屈辱的な出発点があったのであ
る。

 しかしそれでも表の流行シーン(例えば
当時であればT.レックス、デヴィッド・ボウ
イ、ロキシー・ミュージックなどのグラム・
ロック)とは無縁のパブという裏街道で育ま
れたのは、カントリーやR&Bなどのルーツ
に根ざしたアメリカ音楽への眼差しであり、
毎晩の如く酔客たちを相手にしながら鍛えら
れた柔軟な演奏力だった。ちょうど米サンフ
ランシスコから渡英していたクローヴァーや
エッグス・オーヴァー・イージーといったア
メリカのバンドとの交流もまた刺激になった
ことだろう。ちなみにクローヴァーにはのち
に大ブレイクするヒューイ・ルイスや、ドゥ
ビー・ブラザーズに参加するジョン・マクフ
ィーが、エッグスにはオースティン・デ・ロ
ーンが在籍していた。のちにエルヴィス・コ
ステロがニック・ロウのプロデュースで最初
のアルバムを作った際、バッキングをクロー
ヴァーが担当したのは、このような背景があ
ったからだ。デ・ローンにしてものちにコス
テロの作品やツアーに抜擢されたことがある。
ここら辺の連携はまさにパブの絆といったと
ころだろうか。

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 話をブリンズリーズに戻そう。彼らの最初
の2枚のアルバム『Brinsley Schwarz』と
『Despite It All』(ともに70年発売)では
まだまだCSN&Y流フォーク・ロックからの
影響が強く、また『Despite It All』のジャケ
ット(青空と少女の絵柄)は容易にイッツ・
ア・ビューティフル・デイ69年のデビュー作
のそれを思わせるものだったが、72年に発表
されたサード・アルバム『Silver Pistol』の
頃になるとザ・バンドへの憧れからか、より
アーシーなサウンドを身に付けるようになっ
た。カーサル・フライヤーズのウィル・バー
チの言を借りれば「ナイーヴな魅力に溢れ、
かつ繊細なダウンホーム感覚とドゥ・イット
・ユアセルフな質感を備えた」アルバムだっ
た。メンバーの持ち家に8トラックの機材を
持ち込んで録音されたのも、ザ・バンドが
サミー・ディヴィス・Jrの邸宅を借り切って
レコーディングされた通称”ブラウン・アル
バム”の神話に倣ってのことだったに違いな
い。耳を澄ませば犬の鳴き声さえ聞こえてく
るこの『Silver Pistol』は、細野晴臣の『H
osono House』やジェイムズ・テイラーの
『One Man Dog』同様にホーム・レコーディ
ングの指標なのかもしれない。また『Silver
Pistol』からは五人めのメンバーとしてイア
ン・ゴム(g, vo)が加わり、ソングライティ
ングやバンド・アンサンブルに膨らみが増し
たことも聞き逃せまい。

 72年の秋に発売された『Nervous On Th
e Road』もまた『Silver Pistol』と響き合う
くすんだ情感や彫りの深さが魅力的なアルバ
ムだった。4作めにしてやっとメンバーの顔
が表ジャケットに大写しとなったが、当時彼
らのローディをしていたマーティン・ベルモ
ント(のちにダックス・デラックスからザ・
ルーモア、そしてニック・ロウのカウボーイ
・アウトフィットヘ)が中央に写っていると
いう鷹揚さ。こうしたファミリー的な結束感
もまた彼らの良さだろう。なおレコーディン
グには初めてウェールズのロックフィールド
・スタジオが選ばれ、当スタジオの主である
チャールズ&キングスレー・ワード兄弟の片
割れであるキングスレー・ワードがプロデュ
ースに加わっている。ワード兄弟とともにロ
ックフィールド・スタジオでエンジニア技術
を習得したのが言わずと知れたデイヴ・エド
モンズだが、彼とブリンズリーズとの接点は
恐らくこの頃から生まれたと思われる。

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 以降ブリンズリーズは『Please Don't Ever
Change』(73年)『New Favourites Of B
rinsley Schwarz』(74年)といずれも評価
の高いアルバムを続々とリリースしていく。
前者ではヴィック・メイル(のちにドクター
・フィールグッド、パイレーツ、モーターヘ
ッドを制作)がプロデューサーとして初登場
し、後者では遂にデイヴ・エドモンズに制作
を仰ぐなど、サウンドにより磨きを掛けてい
った。デイヴとニック・ロウとの友情の始ま
り(二人はのちにロックパイルを結成)を感
じさせるのも『New Favourites Of.....』の
特徴だろう。この直後に発売されたデイヴ2
枚めのソロ『Subtle As A Flying Mallet』
(75年)にも、ニックやボブ・アンドリュー
スなどブリンズリー・チームが参加していた
からだ。ロックフィールド・スタジオで録音
されたこの2枚を地続きの兄弟作として聞き
直してみると、デイヴやニックの音楽趣味(
フィレス・サウンド、R&B、初期のロックン
ロールからフィラデルフィア・ソウルまで)
がより鮮明に浮かび上がってくるような気が
する。75年には最終作として『It's All Over
Now』が録音されたものの、これは残念なが
らテスト盤が僅かにプレスされただけで終わ
り、バンドは75年の3月18日、マーキー・ク
ラブでのステージを最後に終焉の時を迎えた。
わずか5年余りの活動期間だった。

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 ブリンズリーズの音楽性を彼らがカヴァー
した曲から探っていくのも面白いだろう。P.
J.プロビーでヒットした「Niki Hoeke Speed
way」(67年2月に全米で23位)を手始め
に、クリス・ケナーのニューオーリンズR&B
「I Like It Like That」(61年7月に2位)、
ゴフィン=キングが書き下ろしたクリケッツ
63年の「Please Don't Ever Change」に関
しては、アメリカのチャートには入らず英国
のみでヒットした曲を採用する思い込みを伺
わせていた。ニューヨーク出身のR&Bクィン
テットであるキャデラックスの「Speedo」
(56年7月に15位)は、ヤングブラッズや
ライ・クーダーのヴァージョンでお馴染みの
方も少なくはないだろう。ブレンダ・リーや
ジェリー・リー・ルイスに曲を提供していた
ロカビリー・シンガー、ロニー・セルフの「
Home In My Hand」はスタジオとライヴそ
れぞれのヴァージョンを異なるアルバムに収
録した。また一方でボブ・マーリィ&ウェイ
ラーズがロックステディの時期に吹き込んだ
「Hypocrite」に関しても、レゲエ・シング
ルAB面の通例に倣ってヴォーカル版とヴァ
ージョン(カラオケ)版の両方を、やはり違
うアルバムごとに聞かせるという念の入れよ
うだった。こうした遊び心というか茶目っ気
は、ニック・ロウがソロになって全開させる
類のものである。ブリンズリーズにとっては
母国の先輩格であるホリーズの「Now The
Time」の粋な響きや、オーティス・クレイ
のメンフィス・ソウル「Trying To Live M
y Life Without You」のポンコツな解釈も
思わず笑みを誘うものだった。蛇足として
加えるのならば、発売が見送られてしまっ
た幻の最終作ではボビー・ウーマック&ヴ
ァレンチノズの「It's All Over Now」(
ローリング・ストーンズ版が64年の8月
に26位)や、ウィリアム・ベル&ジュディ
・クレイのスタックス曲「Private Number」
などをブートレグCDで聞くことが出来る。
この世に出ることがなかったとはいえ、ク
ォリティがとても高い作品だけに、いつの
日にか正式にリイシューされることを願っ
て止まない。

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 ニック・ロウのソングライティングにつ
いては、その才を誰もが認めるところだろ
う。ブリンズリーズの初期に生まれた「C
ountry Girl」や「Love Song」の柔らか
な旋律は今なお新鮮だし、ザ・バンドへの
憧憬は「The Slow One」や「Brand Ne
w You, Brand New Me」での含蓄のある
サウンド絵画からも十分に汲み取れる。ヴ
ォーカリストとしてはブラック・ミュージ
ック的な押し出しの強さよりも、カントリ
ー・ライクな味わいに真価を発揮するタイ
イプだ。そして特筆すべきは、計らずも代
表曲となってしまった解散間際の「(Wh
at's So Funny 'Bout)Peace Love And U
nderstanding」に関するエピソードだろ
う。表題にあるような”平和と愛と理解”を
そのままストレートに賛美する歌ではなく、
ここには彼特有の苦みや皮肉が込められて
いたのだった。

 ウィル・バーチの著作『No Sleep To
Canvey Island』(以前シンコー・ミュー
ジックから翻訳版が『パブ・ロック革命』
として出た)でニック・ロウはこう振り
返っている。「あの頃のぼくが多くの時
間とエネルギーを注いできたあのヒッピ
ーってやつは、すっかり古臭くてナンセ
ンスなものへとなっていった。ぼくはそ
れが廃れていく様をずっと見てきた。そ
して頭のなかでこう考えたのさ。どこか
の年老いたヒッピーがこう言うんだ。”
今すべてが変わろうとしている。きみは
笑うかもしれないが、だからといって平
和と愛のいったいどこがそんなに可笑し
いというんだい?” ぼくはちょっとば
かりの皮肉を込めてあのイカしたリリッ
クを入れたのさ。もちろん平和と愛って
いうのは基本的にはいいことだと思うよ。
でも突然昔の夢が終わって、ぼくは今ま
さに、(バンド解散間際の)この場所に
立っているんだ。何かに気が付くために
ね。ある意味でこいつは目覚めのための
歌なんだ」

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 自らを時代に取り残されていく老人に
譬えながら「平和と愛と理解のどこがそ
んなに可笑しいんだい?」と歌ったニッ
ク・ロウの心模様はどれほどのものだっ
ただろうか。逆にこの曲のエルヴィス・
コステロ版は怒れる若者といった疾走感
をストレートに表出させたものへと生ま
れ変わっている点が大いに興味深い。い
ずれにしても、冒頭で触れたように75年
前後を機にヒッピー・ロックの時代は幕
を下ろし、パンクやニューウェイヴの
ムーヴメントが到来する。そんな意味で
ニック・ロウはあの懐かしいヒッピー・
カルチャーとパンク〜ニューウェイヴ旋
風という両方の時代を目撃してきた生き
証人のような存在かもしれない。ニック
が抱えたそんな屈折や毒気は、例えば彼
のデビュー・アルバムが『クールの神様』
(Jesus Of Cool)と冠されていたこと、
さらにその冒頭曲が「音楽は金さ!」(
Music For Money)であったことにもよ
く現れている。なお余談だが米国ではジ
ーザスという言葉が引っ掛かったのだろ
うか、アルバム表題は『Pure Pop For
Now People』というものに改められて
いる。

 最後にとっておきの美談を。件の「(
What's So Funny 'Bout ) Peace Love
And Understanding」はのちにケヴィン
・コスナーとホィットニー・ヒュースト
ン主演のメガ・ヒット映画『ボディーガ
ード』(92年)でカーティス・スティガ
ーズのヴァージョンによって挿入され、
作者のニック・ロウに相当の印税をもた
らした。イギリスだけでサウンドトラッ
ク・アルバムを29万枚売り上げたという
からその金額は推して然るべしだろうが、
ニックはその印税をかつてのバンド・メ
イト、つまりブリンズリーズの面々へと
分け与えたという。ニックはこう回想し
ている。「ブリンズリー・シュウォーツ
のメンバーで、今もフルタイムで音楽を
しているのはぼくだけじゃないのかな?」
そこに込められた自尊心とある種の痛み
が近年の彼の音楽をより味わい深いもの
にしている。ニック2011年の最新作『
This Old Magic』に収録された「House
For Sale」のエンディング間際でも彼は
”Peace,Love And Understanding"の一
節をまるで去り行く男のように呟いてい
るのだから、ニックにとってもこの曲は
勲章であると同時に、作者の意図を離れ
て広く大衆のものとなった足枷なのかも
しれない。そんな切ない気持ちまでブリ
ンズリーズの音楽は今日もなお運び込ん
でくるのだった。

 ブリンズリー・シュウォーツが汗を拭
きながらジャズマスターをチューニング
している。ビリー・ランキンがスネアと
椅子の位置を確かめている。ボブ・アン
ドリュースがニック・ロウとふざけ合っ
ている。そしてイアン・ゴムはノートに
もう一度コード進行を書き留め直そうと
している。(了)

            2012年9月
             小尾 隆

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L to R: Brinsley Schwarz, Billy Rankin, Bob Andrews, Nick Lowe and Ian Gomm

*本文は奥山和典さんのサイト『酒富web』に寄稿(2012年8月)
したテキストを再録&加筆したものです。あらかじめご了承ください。
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by obinborn | 2012-09-12 16:19 | rock'n roll | Comments(0)  

言葉に絡めとられない柔らかな心持ち

報告がやや遅くなってしまったが、9月1日に十条のシネ・カフェ・ソト
で行われた青山陽一と千ヶ崎学のデュオ・ライヴは素晴らしかった。この
二人はthe BM'sとは別にアコースティック・ライヴを時折行っているが、
私としては初めての体験。そういえばウッド・ベースが鳴っているのを至
近距離で聞くのも久し振りだったけれども、普段のバンド編成による手に
汗握る丁々発止とはまた違う、寛いだ雰囲気が次第に会場を満たしていっ
た。昨年の秋にリリースされた青山の新作『Blues For Tomato』からの
曲を中心に、「Are Domo」「Thunderbolt」「三日月」「月曜のバラッ
ド」など懐かしいナンバーも程よく織り交ぜた構成は、千ヶ崎学のときに
弓弾きを交えた”黙して語る”ベースに底辺を支えられながら、青山の楽曲
の良さを改めて浮き彫りにしていったと思う。

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もともと一曲のなかで起承転結を強調したり、言葉の意味性に寄りかかっ
たりするタイプのソングライターではない。それよりも感覚的というか、
抽象化された断片を浮遊したり旋回していくメロディへと結びつけるのが
青山は抜群に上手い。この夜に演奏された最新作からの曲で言えば、リズ
ムの場面転換が心憎い「お花見ブルー」や、変拍子を重ねて広がりをどん
どん増していく「炎とは何のことか」など、歌詞の一言一言を拾い上げて
想像を膨らませていけばかなりシリアスな内容とも受け取れるのだが、そ
れを拳を振り上げて表現するのではなく、立ちこめる”気配”として彼はそ
っと描写する。そんな意味ではどうしようもない疲弊が漂う「25時」にし
ても、紋切り型の常套句を徹底して迂回するという潔さ。それ故に聞き手
は歌に登場する中学生や初老の男といった人物を自由にイメージすること
が出来る。そう、語られたものだけが本当のことではないとでも言いたげ
に。

青山のライヴではもうひとつのお楽しみとなるカヴァー曲では、ザ・バン
ド「Ophelia」とスティーヴ・ウィンウッドの「Can't Find My Way Ho
me」そして懐かしいテレビ主題歌から「マイティジャックの歌」が今回
選ばれた。とくに「Ophelia」ではゲストの中原由貴がシェイカーととも
に可憐な歌声を届けるなど、the BM's〜タマコウォルズのファンにはた
まらない瞬間もあった。けっして過剰なメリスマを付けるのではなく、あ
くまで自然な情感を込めるムーさんに好感を抱く方々も少なくないはず。
そしてこの人にはいつも陽性の響きがある。

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あれはある夏の日だった。その青年は「夕闇におけるクロール」を自由詞と
鮮やかなメロディで歌っていた。「On The Dunes」では夏という言葉を
使わずに移ろいゆく季節を音でスケッチしていた。あれから早くも10数年。
彼のキャリアから数えれば27年くらいの歳月が流れたものの、意味にから
め取られまいとする柔らかな心持ちとか、どこか内気なのではと思わせる
その表情はずっと変わらない。私やあなたはきっと明日も青山陽一に新し
く出会うことだろう。

*(お写真は青山さんのウェブサイトからお借り致しました)
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by obinborn | 2012-09-09 13:09 | 青山陽一theBM's | Comments(0)