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誰のせいにもしない

ここ数日のツイッターでの対話より
*    *    *
みのもんたの事、嫌いなら嫌いって言えばいいだけなのに、言えないだけで、自分等の単なる好き嫌いという感情を、責任だとか正義だとかにすり替えて八つ当たりしてる人間達とは俺は一切関わりたくないって。そんな大人を見た子供達はどう育つのかね?

小尾 隆
同感です。みの氏にだって愚息とは別の人格があると思いますが、スキャンダルが起きてからここぞとばかりに責任とか正義とかいった体のいい(偽善的な)言葉を氏にぶつけるのはIQの低さを自ら露呈しているようなもの。品格もなければユーモアもありません。

遅ればせながら、 小尾さん、リプライ有り難うございました。小尾さんの仰るとおり「品格もユーモアもない」。同感です。 多くの物がまるでペラッペラで、平面にただ羅列してあるだけに感じる最近の世の中、僕もユーモアそして品格だけは大切に生きようと、強く思います。

小尾 隆
お返事ありがとうございます。特定の誰かを標的にして集団で叩くというのは私が最も忌み嫌う行為です。反原発デモでの「東電解体!」といったスローガンにもそれと似た危険性や安易な連帯を感じてなりません。

例えば震災以後(あの曲自体は置いておいて)「ずっとウソだったんだね」という大きな感情のうねりがありますが、それって、元々それなりの意識を持って信じていたからこそ言える事だと思います。自分も含めて、一体どれくらいの人がそうだったのでしょうか?今はあの大きな流れに乗り、本来なら自分自身や他に向けなければいけない感情も全てターゲット(東電)にぶつけて追い詰める。僕はそれはイジメの構造と少しも違わないと思いますし、危険だと思いますし、子供達の為と言うのなら、大人がまずそれを辞めるべきだと思います。

小尾 隆
自分たちも少なからず享受してきた原子力というものをチャラにして東電解体と叫ぶのはあまりにご都合主義というものです。そうした問題点を私が指摘するだけで「小尾は原発容認派だ」というレッテルを彼らは平気で貼る。自問するより楽だからだと思います。

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by obinborn | 2013-10-31 12:57 | rock'n roll | Comments(2)  

ヴァーチャル時代の妖怪

先日ちょっと気になることがあった。さる方と用件があって打
ち合わせしていた時、彼がふと「あれ〜ところできみはFBでぼ
くの友だちだったっけ?」と漏らしたのだ。まあ彼にしてみれ
ばその場の思い付きで何となく言ったのだろうし、悪意がない
ことはその後の会話からも明白だったけれども、ぼくとしては
少なからず愕然としてしまった。「いや、ぼくは友だち申請と
か好きじゃないのでFBも個人登録ではなくグループ・アカウン
トにしているんですよ」ととりあえずその場で説明したのだが、
彼は果たしてぼくの真意を理解してくれたであろうか。

言うまでもなく人と人とのコミュニケーション(相互理解)と
いうのはヴァーチャルの世界ではおのず限界がある。諸刃の剣
という諺があるように我々はこうしてネットで気軽に交信出来
る反面実は互いのことを何も知らないのだという壁に日々ぶつ
かっている。FB然りTW然りである。実際に会って話せば言外
のニュアンスとして汲めることもネット上で文章化するのはと
ても難しい。まあそのことを踏まえて利用するしか手だてはな
いのだけれど、FBやTWへの過剰な期待は禁物だろう。とくに
政治的な問題に関しては意見が異なる相手と対話をする方向性
が大事なのにもかかわらず、FBの場合それぞれのシンパ同士が
それぞれの村で「いいね!」ごっこをして賛同者を募っている
だけだ。これでは単に傷の舐め合いであり、論議が深まるはず
もなかろう。

今日はちょっとカタイ話になってしまったが、冒頭に記したよ
うな事例に沿ってしまうと、FBで申請し合わない人とはオトモ
ダチではないといった倒錯した状況が生まれてしまう(苦笑)
思えばTWもFBも今現在が最終型ではない。わずか10年前の私
たちがこういう媒体を思いつくことがなかったように、あと10
年20年したらTWやFBに代わるもっと優れたネット環境が構築
されるかもしれない。そんなヴァーチャルを夢想しつつ、一方
でリアル・ワールドもやはり大事だなとしみじみ思う午後のひ
と時でした(笑)

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by obinborn | 2013-10-30 14:20 | one day i walk | Comments(0)  

Sweet Jane

スーツケースを持って街角に立つ
ジャックはコルセットをはめ ジェーンはベストを着る
オイラはロックンロール・バンドに入り
スタッツ・ベアキャットに乗る
時代は変わるね 詩人はみな詩のルールを学ぶそうだ
レディたちもびっくりさ

ジャックは銀行員 ジェーンは事務職をこなしてる
二人とも金をため仕事が終わると暖炉の側に座る
ラジオからは「木兵隊のマーチ」が流れ
ジャックはこう言う

ある人たちはダンスが好きで
ある人たちは働かなければいけない
悪魔のような母親もいるし まったく世の中クズばかりだ

女たちは本気で陶酔しない 悪党たちは何かを企む
頬を赤くするのはいつもウブな子供たちだけ
くそっ! 人生は死ぬためにあるのか?

でもいい人たちはそっぽを向いたり傷付けたりはしない
役を演じた立派な人もいる
可愛いジェーン
スウィート・ジェーン

(ルー・リード「Sweet Jane」)

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by obinborn | 2013-10-29 20:44 | rock'n roll | Comments(0)  

ルー・リード逝く

ルー・リードまさかの訃報を今朝聞いた。まるでモノローグ
のような語り口とシャープなギター・ロック。そんな彼の持
ち味がより研ぎ澄まされ、ヴェルベッツ伝説を超えた第三章             の幕開けとなったのが89年の『NEW YORK』アルバムだった
と思う。他にもギター・ノイズの極北『METAL MACHINE M
USIC』(75年)が時代を超えてソニック・ユースらオルタナ
ティヴ・ロックの精鋭たちへと受け継がれていったことや、
ロバート・クィンらと一丸となって強靭なロックンロールを
展開した『LIVE IN ITALY』の熱気が忘れられない。回想的な
名曲「CONEY ISLAND BABY」でふと見せた優しさも都市に
生きるロック詩人たるに相応しいものだった。まるでウォー
レン・ジヴォンと拮抗するような物語歌、皮肉と嘲笑と突き
離しの陰にはいつも必ず「個」を見つめる視線があった。そ
れはときに群衆に同調しない魂となり、ときに消費的な文明
生活への警告となって聞き手一人一人の心に火を点けたのだ。
また混血のロッカー、ガーランド・ジェフリーズとの交流も
ルーがどういう場所に立って歌を作っていたかを如実に指し
示す。あまりぱっとしない時代でさえ「ROCK N ROLL HEA
RT」(俺は不器用だけどやるぜ!)といったロック・アンセ
ムを無防備に掲げていたことを、筆者はまるで昨日書かれた
日誌のように、傷だらけの日々のように思い起こす。

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by obinborn | 2013-10-28 08:15 | rock'n roll | Comments(0)  

漆黒のキング・クリムゾン

キング・クリムゾン史上最も呪われたアルバムと言ったら『Ea
rthbound』の他にないだろう。72年の2月から3月にかけて
行われたアメリカ公演から収録されたライヴ作だが、ミキシン
グ・コンソールからカセットテープに録音されたという音質は
劣悪であり、そのためか英Islandは廉価レーベルのHelpからの
発売となった。しかし不本意だったロバート・フリップは本作
をその後長年クリムゾンのカタログから抹消してきた。今でこ
そCDとして容易に聞けるようになったが、日本では72年当時
発売されなかった故にコレクターズ・アイテムと化したのであ
った。

そんな経緯はともかくクリムゾン史上最もブルージーで混沌と
した演奏が堪能出来るのは確か。前作『Island』と同じくフリ
ップ以下、ボズ・バレル、イアン・ウォーレス、メル・コリン
ズというカルテットでのプレイだが、スタジオ・アルバムにあ
った叙情性のかけらもなく、ただただメタリックに音の塊をぶ
つけ合う様が痛快だ。ナパーム爆弾で破壊される未来図「21世
紀の精神異常者」のフリーキーなジャズ・イディオムに始まり、
演奏はPeoria〜船乗りの話〜Earthbound〜Groonと続き、ど
の局面でもフリップの神経症そのものといったギターと嗚咽す
るコリンズのサキソフォーン各種がリード役を果たすのだが、
それと対を成すような骨太なリズム隊(バレル=ウォーレス)
が実に素晴らしい。しかしこの良さが解る人はごく少数派だっ
たようで、かのフリップはバレル=ウォーレスにこう言い渡し
袂を分つ。「きみたちの演奏は下品だ!」

目まぐるしく入れ替わるメンバーとともにクリムゾンの音楽性
が変遷していったように、この『Earthbound』もフリップに
とっては通過点に過ぎなかったのだろう。しかしここでのハー
ドコアな演奏が呼び水となって、来るべき黄金時代(『太陽と
戦慄』『暗黒の世界』『レッド』『USA』)の序章となったこ
とに注目したい。同じインプロヴィゼーションの嵐といっても
キャプテン・ビーフハート&マジック・バンドのような黒人音
楽への愛情や理解はまったく感じ取れないが、この混沌とした
サウンドを私は愛する。まるで断末魔のような終曲「Groon」
が奇声を上げながら漆黒の闇へと疾走していく。

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by obinborn | 2013-10-27 23:30 | rock'n roll | Comments(0)  

マナサスの一里塚

マナサスを真剣に聞き直そうと思ったのは中村まりが『マナサ
ス』からJohnny's Gardenをステージで取り上げたことがきっ
かけだったと思う。その後彼女はロンサム・ストリングスとと
もにマナサスのアルバムからBound To Fallをレコーディング
したほどだった。Bound To Fallに関しては正確にはブリュー
ワー&シップレイの作品であり彼らの録音も残っているが、ロ
ンサムたちはマナサス版も聞き込んだことだろう。ロンサム11
年夏のツアーではこの曲が演奏面での白眉となった。

それはともかくスティーヴン・スティルスの一里塚とも言うべ
きこの『マナサス』(72年)に描かれたのは豪胆かつ繊細な音
楽絵巻とでも呼ぶべきもの。LP2枚の分量に亘って壮大な音楽
パノラマ(ブルーズ、ロック、カントリー、ラテンの折衷)が
スリリングに展開されていく。山もあれば谷もあり、高揚する
瞬間もあればレイドバックする場面もあるといった具合に、飽
きることなくその旅は続いていく。どこか骨太な南部テイスト
や埃っぽさが全体を貫いているのが何ともスティルスらしい。

ストーンズの『メイン・ストリートのならず者』と比較された
は単に同時代の2枚組ということだけではなく、ここでもいい
フィドルを弾くバイロン・バーライン(ブリトーズの客演や自
らのカントリー・ガゼット)が当時ストーンズに招かれCount
ry Honkをプレイしたことや、マナサスのアル・パーキンスが
『ならず者』に参加したことも関係するだろう。さらにストー
ンズからビル・ワイマンが『マナサス』に加わったのが決定打
だった。ワイマンというと寡黙なベーシストという印象を持た
られる方が多いだろうが、ストーンズのなかでは最も早くソロ
・アルバムの構想に着手し、ローウェル・ジョージやダニー・
コーチマー、先のバイロン・バーラインにニッティ・グリッテ
ィ・ダート・バンドのジョン・マッキュエーンなど西海岸の精
鋭たちと『モンキー・グリップ』のレコーディングに臨んだの
だった。

英米の音楽家同士が交流を深めて音楽的な成果を残していく。
そんな現象は60年代後半からロック・シーンの趨勢となってい
った。ライ・クーダーやグラム・パーソンズがストーンズとセ
ッションしたように、マスル・ショールズの面々がトラフィッ
クのツアーに帯同したように、ビル・ワイマンもまた英国側か
らアメリカへと飛び込んでいった。そんな時代の断面図として
この『マナサス』を聞いてみると、スティルスが刺激されたも
のの大きさに気が付くことだろう。アルバムはスティルスの独
白のようなBlues Manの弾き語りで厳かに終わる。謝辞として
はジミ・ヘンドリクス、アル・ウィルソンそしてデュエイン・
オールマンの名がまるで忘れ得ぬ墓碑銘のように記されている。

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by obinborn | 2013-10-27 12:34 | one day i walk | Comments(0)  

オクラホマからやってきた男

学生時代に吉祥寺の芽瑠璃堂でこのジャケットを見た時は
「何だ、このおっさんは!」という驚きだけだった。その
インパクトはジャッキー・ロマックスの『Three』(これ
またデカ顔!)級であり、畏れおののいて買うことも出来
ずにいたのだった。しかしその後ジェシ・エド・デイヴィ
スがプロデュースしているという情報を得た私はやっと購
入を果たし、十字路で悪魔と取り引きし、進むべき道を間
違えてしまったのである。

オクラホマ州タルサというのは不思議とスワンプ系の音楽
家たちを輩出する土地らしい。このロジャー・ティリソン
をはじめとして、J.J.ケイル、レオン・ラッセル、ジェシ・
エド・ディヴィス、カール・レイドルなどはすべてタルサ
出身。そういえばレオンのアルバム・セッションではタル
サ・トップスなる急造バンドが招集されたこともあったっ
け。

71年にATCOレーベルから発売されたこのアルバムにはグ
ラインダーズ・スウィッチ出身のスタン・セレストや、タ
ージ・マハールのバンドに在籍していたサンディ・コニコ
フ、やはりタージやベターデイズにいたビル・リッチなど
が参加し、泥臭く彫りのある音楽に貢献している。ドラム
が横揺れビートの達人・ジム・ケルトナーであることも胆
だろう。そして勿論ジェシ・エドの粘り付く蛇のようなス
ライド・ギター!エンジニアにザ・バンドのブラウン・ア
ルバムでおなじみのジョー・ザガリノが選ばれた点にも注
目したい。ロビー・ロバートソンが書いた「Get Up Jake」
やフォー・トップスの「Loving You Is Sweeter Than Eve
r」も最高の出来!この2曲は偶然にもザ・バンドの71年
頃のレパートリーでもある。他にもロジャー渾身のオリジ
ナル「Let'Em Roll Johnny」や、ディラン、ガスリー、ド
ン・ニックスのカバーなどがきらりと光っている。

オクラホマの季節労働者たちは仕事を求めてカリフォルニ
ア州へと流れ着いたという。奇しくもそれを音楽で行った
のがロジャー・ティリソンだった。70年の10月にLAのレ
コード・プラントで行われたスタジオ・ライヴをそのまま
生々しく記録した本作にも、砂埃を舞わせるオクラホマの
風が吹き荒れているかのようだ。

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by obinborn | 2013-10-21 13:01 | one day i walk | Comments(4)  

音楽的なミクスチャーについて

ロックンロールの四天王といえばチャック・ベリー、ボ・ディ
ドリー、ファッツ・ドミノ、リトル・リチャードであることに
異論はないだろう。ベリーの伝記映画『ヘイル!ヘイル!ロッ
クンロール』のなかには彼らの四者放談もあって楽しい。誰だ
ったがこう言う「白人の奴らが俺たちの音楽を盗んだのさ!」
確かに彼らブラック・ピープルにとっては搾取されたも同然だ。
多かれ少なかれ黒人音楽の翻訳版としてストーンズがあり、ヤ
ング・ラスカルズがあり、トーキング・ヘッズがあったことは
歴史が証明する周知の事実なのだから。

それでも私はミクスチャー(混沌・混合)のことを考えたい。
ここに一枚の写真がある。エルヴィスを中央にジュニア・パー
カーとボビー・ブランドが左右に並んだ貴重なものだ。ロック
の歴史は何もエルヴィスから始まったわけではない。それほど
カルチャーとは一直線で解り易いものではないのだ。若き時代
のエルヴィスの周辺ではパーカーやブランドのメンフィス・ブ
ルーズが脈々と流れていた。そうした背景なしにエルヴィスが
パーカーの「ミステリー・トレイン」をカバーした理由など考
えられない。

歴史の見方とか音楽の成り立ち方を考える時、どちらの側から
見るのかで自ずから見方が変わるのは仕方あるまい。しかしな
がら、私はこのフォトから感じ取れる音楽的な混濁が好きだ。
ブランドがいてパーカーがいてエルヴィスがいる。その光景を
誰かがカメラに収める。そこから想像出来るもの・その広がり
を私は今も信じたいと思う。

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by obinborn | 2013-10-16 18:55 | one day i walk | Comments(0)  

Sweet Soul Music

ピーター・ギュラルニックやジョン・ブローベンあるいは
ロブ・ボウマンといった音楽評論家が一定の評価を得てい
るのは、自らの足で動き回りインタビューを取りながら他
ならぬ音楽家たちの声に耳を傾けているからだろう。そこ
には自説を主張したいがために歴史を改竄してしまうよう
な頑さは見られない。ジェリー・ウェクスラーの評伝やマ
スル・ショールズの映画が公開されようとしている今、改
めて”当事者たちの声”に触れることの出来るいい機会だと
思う。サザーン・ソウルが白人層に受け入れられるために
は多少の計算や取り引き(アトランティック・レコーズの
戦略も含めて)があったのだろうが、あまりそうした点ば
かりに固執すると肝心の音楽が霞んでしまうのではないだ
ろうか。

ぼくがいつも言っているのは、ある特定の音楽家がある日
突然オリジナルな表現を生み出したと考えるよりは、同じ
時代のミュージシャンたちが相互に影響し合い、互いに刺
激を受け合いながらシーンを築いていったと考えるほうが
遥かに自然だということ。例えばビル・ブラックス・コン
ボとブッカー・T&MG'sとの類似、あるいはMG’sがミータ
ーズに与えた影響、さらにはジョン・ボーナムがミーター
ズの大ファンだったこと。それらの流れから見えてくる共
通の基盤を大事にしたいと思う。

最後にドニー・フリッツが来日した時、筆者に話してくれ
たエピソードをご紹介しよう。「私はアーサー・アレキサ
ンダーと10代の頃から同じバンドにいた。そのことを快く
思わない連中も確かにいたさ。”一体黒人なんかと何をやっ
ているんだ!”って感じでね。でも私は気にも留めなかった。
私は言ってやったさ。”一緒にレコードを作るんだ!一緒に
音楽をやりたいのさ!”ってね」

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by obinborn | 2013-10-16 18:51 | one day i walk | Comments(0)  

Hills And Home〜中村まりのツアーが千秋楽を迎えた

二ヶ月半ぶりに中村まりと安宅浩司のデュオ・
ライヴを14日は吉祥寺のキチムにて。この間
彼らは西日本へのツアーや大掛かりなフェス
に出演して好評を博してきたが、この日の東
京公演が千秋楽となった。また今宵は若いフ
ィドラーの手島宏夢をゲストに招き、多くの
場面を三人で演奏するなど、ツアー・ファイ
ナルに相応しい一夜に。

その時の相方や楽器編成によって微妙に色合
いを変えるのは中村まりの特徴だが、フィド
ルが入ったことでこの夜はオールド・タイム
のテイストを強める。それでも全体を見渡せ
ば序盤に「A Brand New Day」を置き、中
盤でカバー曲の幾つかを披露し、終盤は「N
ight Owls」や「Black Eyed Susan」とい
ったオリジナルの名曲で余韻を湛えるといっ
た具合に中村まりらしさは全開で、彼女が敬
愛するカナダのシンガー・ソングライター、
ロン・セクスミスのナンバーも飛び出すほど
だった。

基本はあくまでギター・デュオなのだが、中
村が「私はもぐらになりたい」を始めとして
仄かにダークで哀感に満ちたバンジョー・チ
ューンを普段よりも多めに弾いたことにも驚
かされた。他にも彼女はカズーやハーモニカ
を吹き、一方の安宅はマンドリンを弾くかと
思えばブラッシングで汽車の音を模したり、
ジャグ的な賑わいを打楽器で伝えるなど、メ
インで弾く楽器以外にも細やかな配慮を示す。

感動的だったのは「Hold My Little Hand」
「Caught In A Roundabout」「Going Bac
k To My Home」と3曲続けて温もりのある
ハーモニカを終盤に聞けたことだろうか。シ
ンプルな弾き語りに始まったステージが、時
間の経過とともに様々な楽器が併走し合いな
がら微笑み合っていく。そんな起伏ある構成
もあっぱれだったと思う。この日はHills An
d Homeというテーマが掲げられていたが、
なだらかな丘を幾度か旅するうちに家路に着
くような旅の過程がくっきりと示されていた
のだった。

ロンサム・ストリングスとの壮大な音楽絵巻
をここ数年でひとまず描き切った中村は、果
たして次の駅でどんな切符を手にするのだろ
う。どんな出会いが待っているのだろうか。
この夜にも加わった彼女の新曲「Through M
y Heart Again」の素晴らしさを反芻しつつ、
ぼくはこの日最後のビールを開けた。

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by obinborn | 2013-10-15 00:49 | 中村まり | Comments(0)