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マーク・ベノの憂鬱

冬はやはり家飲みに限る。お気に入りの麦焼酎片手にLP一枚一枚
をじっくり聞き倒していくほど至福な時間はないであろう。むろん
音楽バーに行くのは楽しいのだが、訳の解らないオヤジに絡まれた
日にはせっかくの時間が台無しである。私はこれでも結構気を使う
ほうなのだが、少し前自分の自慢話ばかりする隣席の客に閉口した
嫌〜な記憶がある。要するに彼は我々全共闘世代はお前らとは違う
のだと言いたかったのだろうが、そんな奴に「今の労働人口のうち
非正規雇用は三分の一なんですよ。ヌクヌクと親のスネを齧りなが
ら学園闘争という見せかけの反抗にアイデンティファイしつつ、高
度成長の時代を謳歌したあなたたちにこの焦燥が解りますか?」と
訊ねるのはまったくもって無駄なのであった(苦笑)

そんな前振りはともかく、マーク・ベノの人生にはいろいろ考えさ
せられる。筆者が以前インタビューした時にけっこうショックだっ
たのは、彼が必ずしも彼の黄金時代を気に入っていなかったこと。
「A&Mレーベルはぼくをジェイムズ・テイラーのようなバラード・
シンガーに仕立てようとした。でもぼくが本当に好きなのはブルー
ズだった。あの頃は今よりずっと若かったせいもあって、レコード
会社から反発されればされるほど、ぼくはリアル・ブルーズを演奏
したかった。実際ぼくはまだ17歳だったスティーヴ・レイヴォーン
をギターに迎えてナイトクロウラーズを結成した。僕たちのバンド
はフィルモアのイーストやウェストで、J.ガイルズ・バンドやハン
ブル・パイとともに演奏したんだよ!」

実は筆者自身もベノといえば「フラニー」や「チェイシング・レイ
ンボーズ」といった”バラード”がまず思い浮かぶ。それが彼らしい
音楽表現であれば(エリック・クラプトンのそれのように)堂々と
していればいいじゃないかと考えるからだ。それでも72〜73年頃
の若き日のベノが自画像と闘っていたことを忘れたくはない。72年
のサード・アルバム『AMBUSH』を聞いていると、そこら辺の葛藤
がすごくよく伝わってくる。まるでスタジオ名鑑のようだった前2
作と違い、本作でのベノはジム・ケルトナー、マイク・アトレイ、
ボビー・キーズ、カール・レイドルと基本となるバンド・サウンド
をしっかり固定している。むろん数曲ではジェシ・エド・ディヴィ
スやブッカー・T・ジョーンズやレイ・ブラウンが適材適所に加わ
るのだが、ベーシックな部分でバンド指向が伺える点が最大の美点
だろう。骨っぽいバンド・サウンドがしっかりと真ん中に座ってい
る音像。そんな荒削りの気持ち良さは前2作には求められないもの
だった。

この『AMBUSH』こそはA&Mレーベルへのベノ精一杯の反抗であり、          いささかの妥協点でもあったのだろう。実際先に述べたナイ
トクロウラーズとのブルーズ・セッションは、この『ABBUSH』
に続くアルバムになるはずだったが、レコード・カンパニーから
発売を拒否されている。その後のベノは79年の『LOST IN AUST
IN』(A&M)まで長い沈黙期間に入る。そのブランクのなかで彼
は一体どんな歌を紡いでいったのだろうか?

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by obinborn | 2015-01-31 18:57 | one day i walk | Comments(0)  

中井大介『NOWHERE』を聞いて

遅ればせながら中井大介のファースト・ミニアルバム『NOW
EHERE』(2013年 On The Corner)を聞いた。現在産休中の
欅夏那子に代わってパイレーツ・カヌーのツアーに帯同してい
ることから、カヌー・ファミリーの一員であることは何となく
把握していたけれど、彼の作った歌を彼自身の声で耳にするの
は今回が初めてだ。そして飛び込んできた音楽がカヌーが奏で
る幾多のルーツ音楽とは違うことに心地よい目眩を感じている。

むろんカヌー6人のメンバー全員が全面的に協力しているのだが、
聴こえてくるのは16ビートの淡いソウル感覚であったり、プロ
グラミング・サウンドとの対比で際立つアクースティック・ギ
ターの温もりであったり、心のままを映し出した歌詞であったり
する。とくに歌詞と控えめなヴォーカルがいい。彼らが活動の拠
点とする京都の町をぼくは殆ど知らないが、そうした町の風土に
寄りかかるのではない言葉と音楽とが東京の片隅で暮らしている
ぼくの耳にもすくっと入ってきて、しみじみ「いいなあ〜」と思
わせる。

大袈裟に愛やら平和やらを歌うのではない。むしろ中井大介は一
人帰路に着く時の呟きを大事にしている。耳触りのいい言葉たち
を慎重に迂回しながら、夜明けのダンスフロアで一人朝を迎えて
いる。大勢でいる時にみんなと一緒に歌うことは簡単だ。でも、
楽器を車に詰めながら一人で運転する時の気持ちはどうだろう?
寒い朝へと漕ぎ出していく時の孤独はどうだろう? そんなこと
まで中井大介の歌は静かに語り始めていく。アルバム・タイトル
は『NOWHERE』その意味がぼくはやっと解り始めたところだ。

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by obinborn | 2015-01-31 03:44 | one day i walk | Comments(0)  

『リック・ダンコ』にまつわる幾つかのメモ

マザーアースのI WANT TO LAY DOWN BESIDE YOU(ティム・
ドラモンド作)があまりにリック・ダンコSHIP THE WINEにク
リソツだったので調べてみたら、こちらは立派にダンコ作のクレ
ジットが…..。因果関係と言ってもちょっと見当が付かないと思
っていたところ『リック・ダンコ』でドラモンドは2曲ベースを
弾いていた!I WANT TO LAY DOWN〜では立派にSHIP THE W
INEというリフレインも出てくることを考え合わせると、もはや
完全に同じ曲と言えそうである。想像出来る光景としてはドラモ
ンドがたまたまスタジオで仮歌を歌ったのをダンコが模したとか、
マザーアースが積極的にダンコと仲が良いボビー・チャールズの
曲を取り上げていたことから、ボビー経由でI WANT TO LAY DO
WN〜がダンコに伝わったとか、およそそんなところだろうか。

むろんダンコを貶めているわけではない。こういうこともあるん
だなあ〜という感じであるし、むしろダンコ版SHIP THE WINEの
ほうが遥かに出来が良いくらい。その一因はダグ・サームのサス
ティンを効かせたギターなど演奏やアレンジメントにもあるだろ
う。『ダンコ』からはジッピー・メイヨー期のドクター・フィー
ルグッドがJAVA BLUESを、ザ・ルーモアがTIRED OF WAITING
をカバーするなど英パブ・ロックとの接点もあるし、ことアメリ
カ人に限ってもデヴィッド・ブロムバーグがWHAT A TOWNを歌
っている。

そんなことからもいかに『リック・ダンコ』(77年アリスタ)が
愛されたアルバムであるかが解ろうというものだ。個人的な再発
見はケン・ローバーが3曲ピアノを弾いていたこと。ジョー・ラ
ラが1曲パーカッションを叩いていたこと。ダンコ自身が2曲で
ギター・ソロ(当たり前だが上手い!)を取っていたことだろう
か。なお余談だが、当時リリースされた日本盤(確か東芝とフォ
ノグラム2社で出た)では省略されていたインナースリーヴが味
わい深い。ダグ・サームの勇姿が確認出来るだけでも、ここはや
はり時価800円クラスのARISTA AB4141を購入しておきたい。

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by obinborn | 2015-01-30 18:09 | one day i walk | Comments(2)  

ティム・ハーディンの個人的な歌

アクースティック・ギターの弾き語りというとどうしてもフォー
ク音楽のそれを思い起こしてしまうのは仕方ないにしても、実際
には様々なバックグラウンドがあります。普段ロック・バンドを
組んでいる人が行う弾き語りには力強さと引き算が加わりますし、
ギター一本といっても北米とプエルトリコとブラジルとではやは
りリズムの感覚が異なると思います。そんなことを考えながらテ
ィム・ハーディンの音楽を聞いています。というのも60年代のア
メリカ東海岸のフォーク・シーンで活躍した彼にはジャズの語法
を昇華した独特の耽美的な世界があり、かつてライヴァル視され
ていたボブ・ディランと単純に比較は出来ないよなあ〜という思
いに駆られるからです。

68年の4月10日にニューヨークのタウン・ホールで行われたライ
ブを収録した『TIM HARDIN 3』は、ジャズのクィンテットをバ
ックに弾き語っているハーディンの姿が際立っています。とくに
ウッド・ベースのエディ・ゴメスは当時から著名なプレイヤーで
あり、ヴィブラフォーンのマイク・マイニエリに関して言えば、
70年代のフュージョン音楽シーンに欠かせない存在となっていき
ます。そんな二人を含めていた60年代後半のハーディンがいかに
先駆的だったかが解ろうというものです。実際このアルバムに聞
き取れる彼の音楽は内気めいた声といい複雑な和声といい、今な
お驚くほど新鮮で音楽的な魅力に溢れています。

そして何よりハーディンのソングライティングが世の中を糾弾す
るとか特定の政治団体に与するとか正義の旗を掲げるようなプロ
テストソングとは一線を画していました。むしろ彼が最も大事に
したのは個人的な事項を包み隠さず歌にするといった私小説的な
歌のあり方です。「ボルティモアから来た淑女」で恋人のスーザ
ンを讃えたハーディンはセカンド・アルバム『2』のジャケットで
妊娠した彼女とともに映っているほどです。そして筆者は何より
「ぼくが(しがない)大工であっても結婚してくれるかい?」(
IF I WERE A CARPENTER)と恋人に問い掛ける姿に激しく共感
したのです。反語的に「ぼくが資産家なら」とか「ぼくが有名で
あれば」といったフレーズを持ち出してみれば、彼がこの歌に託
した思いがより鮮明になっていくような気がしてなりません。

スーザンとの破局は後年のアルバムで痛々しいほどに語られてい
きます。むろんそうした自己憐憫のような歌を好まない人たちも
大勢いたでしょう。私個人も私小説よりは、もっとデフォルメさ
れた抽象詩(とサウンド絵画)に惹かれることは言うまでもあり
ません。しかしその一方で、こんなに馬鹿正直なまでに個人史を
音楽に託したハーディンを忘れるわけにはいきません。音楽サイ
トamassが最も素晴しいシンガー・ソングライターのアルバムと
して『TIM HARDIN 1』を選出したこと。その重過ぎる宿題を抱
えながら、今晩はもう少しハーディンの歌を聞いてみようと思っ
ています。

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by obinborn | 2015-01-29 18:12 | one day i walk | Comments(0)  

1月18日の中村まりと青山陽一the BM's

清々しい余韻に満ちた夜となった。フォークやトラディショナル
音楽に基盤を置く中村まりと、ソウルやファンクの語彙を独自に
昇華させた青山陽一とでは互いのルーツは異なるものの、18日に
恵比寿LIVE GATE TOKYOで行われたツーマン・ライブでは、そ
んな二人の静と動が際立つ結果になった。最初に登場した中村ま
りは珍しくリズム・セクションを帯同してのレアなパフォーマン
ス。彼女のスタジオ録音では為されてきたリズセクの起用だが、
千ヶ崎学のコントラ・バスと田嶋友輔のドラムス&パーカッショ
ンをバックに歌っていく様は曲の表情に奥行きを与えていく。一
拍一拍に深い陰影をもたらしていったリズム隊の健闘を讃えたい。
とくにまだレコーディングされていない中村二つの名曲WHEN T
HE DAY IS OVERとSTILL IN THE SUNがこの日の三人で奏でら
れた意義は少なくなく、予定されている新たなスタジオ・アルバ
ムへの期待を募らせる。カヴァー曲としてはバスコム・ラダーの
「私はモグラになりたい」でのバンジョーを用いた野ウサギのよ
うな歌にこの人の底知れない磁力を感じずにはいられなかった。
そんな意味では多分初出となるスキップ・ジェイムズのI'M SO G
LAD(ロック世代にはクリームの演奏でお馴染みだろうとの旨を
青山がMCで語っていた)も極上級の仕上がり。

対する青山陽一the BM'sはロック・カルテットならではのダイナミ
ズムで会場中を湧かせた。とにかく中原由貴のパワー・ドラムス
が半端なく強力で、16ビートを軸としたファットバック・スタイル
が俄然冴えまくる!中村のステージに続いて登場した千ヶ崎学のフ
ェンダー・ベースがそのグルーヴと果てしなく同期していく様に
筆者は涙が出そうになったほど。そうしたボトムの確かさに支えら
れて、青山は音色にまでしっかり気を配ったエレクトリック・ギタ
ーのソロを畳み掛けていく。それも無闇やたらに弾き倒すのではな
く、ダイナミズムと抑制のなかで着地点を見出すところに彼の人と
なりを感じずにはいられなかった。COME AND GOでのちょっとし
た中原のコーラスも可憐だったし、青山とずっと長くthe BM'sを支
え続けている伊藤隆博によるエレピの光沢あるフレーズは、リズム
隊の低音域と対照を描くように鳴り響いていく。そしてシリアスな
世相を託した「25時」や本編最後に演奏された「炎とは何のことか
」といった楽曲は、青山というソングライターの特質をしっかり浮
かび上がらせていたと思う。

待望だった中村と青山たちのジョイントはアンコールの3曲にて。
スティーヴン・スティルスのLOVE THE ONE YOU'RE WITHに始
まりビル・ウィザーズのLOVELY DAYへと連なっていく様に、筆
者は胸を焦がした!the BM'sのソウル展開のなかでも中村のヴォ
ーカルは少しも物怖じすることはなかったし、中村と青山それぞ
れの音楽を聞いてきて良かったなあ〜〜と思える瞬間があった。
そして最後の最後は中村の名曲NIGHT OWLSだ。思えば16打ちの
バンドを背中に感じながら彼女が歌うシーンも極めて貴重な体験
である。「私の曲が巣立っていったように嬉しく思います」と語
る中村に応えるかのように、青山は極上のスライド・ラインをそ
っと無言のままに奏でていった。

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by obinborn | 2015-01-19 00:50 | 青山陽一theBM's | Comments(0)  

ALL THINGS MUST PASS

町歩きをしているとしょっちゅう解体工事に出喰わします。古い
ビルが壊され新しいマンションに建て替わったり、馴染みだった
個人商店がチェーンストアに変貌するのもしょっちゅうです。皆
さんも工事現場を見て「あれ、ここ前は何だったっけ?」と思わ
れることがあるでしょう。昭和の時代も遥か彼方に去り、日本全
体が産業の構造も含めて激変している只中なのだと感じます。確
かに古い建物や馴染みの店が続々と無くなっていくのは一抹の寂
しさもありますが、中華屋や床屋が代替わりをしその息子や娘が
店を継ぎたくないというのであれば仕方ないどころか、選択肢の
一つとして尊重したいです。

かつて東海道新幹線が開通した時にも古い鉄道の良さが失われる
という見解がありましたが、人間とは新しい環境に慣れてしまう
もので多くの人が新幹線や飛行機の便利を認めています。20年前
はパソコンを持っていなくメールのやり取りさえしていなかった
のですから科学とはまさに日進月歩ですね。例えば今では恐らく
ファックスを使う人も稀でしょう。つまり新しい交通機関や伝達
手段が出始めてくる当時は何やかんや文句を言うのですが、やが
てそれに順応していくのも人間の習性なのだと思います。ですか
ら一方的に昔は良かったとか昭和が懐かしいとかノスタルジーに
浸るのはためらわれます(再開発は防災の面からも考慮されたい)

東京オリンピックの開催が決定した時、多くの人が反対の声を上
げました。私もその一人でした。震災や放射能の後始末もままな
らないのにオリンピックをやっている場合ではないだろう、その
財源があるのならすぐに被災地に回せ、という意見です。しかし
ながら現実として開催が決まってしまったのであれば、どこまで
も頑に異を唱え続けるというのは少し違うような気がします。か
つてのオリンピックがそうであったように、今度の開催が東京を
21世紀に相応しい町へと変えていくかもしれませんし、雇用の促
進という経済効果を生み出すことも大いにある。気になるとすれ
ば地方との格差をより助長することですが、一極集中はオリンピ
ックというよりはむしろ産業全体の問題です。

自分という物差しは絶対ではありません。先日とある若者と話を
して印象的だったのは、大きな夢など持てないから小さな喜びで
生きていくといった彼の発言でした。つまり、かつての高度成長
期やバブルの時代と現在の日本とでは、依って立つ位相がまった
く違うということです。昔のフォークソングに「古い舟を今動か
せるのは古い水夫ではないだろう」という一節がありましたが、
時代が二周りくらいした現在、奇しくもその歌詞が戦後ベビーブ
ーマーの末裔である私に突き刺さってきます。
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by obinborn | 2015-01-18 15:59 | one day i walk | Comments(0)  

1月11日のロンサム・ストリングスとパイレーツ・カヌー

百戦錬磨のロンサム・ストリングスと、まだ初々しさが残るパイ
レーツ・カヌーのツーマン・ライブを11日は十条のシネ・ソトに
て。そんな好対照とも言える二組の演奏をたっぷり味わい尽くし
た。まずは久し振りに接したロンサムの緻密でイマジネィティヴ
な音世界に胆を抜かれた。キャロル・キングのSNOW QUEENと
デヴィッド・クロスビーのDEJA VUをインストゥルメンタルで束
ねていく演奏の、まるで一篇の映画を観ているような喚起力から
いきなり気持ちを持っていかれたが、さらに田村玄一と桜井芳樹
の共作となる「南の噂」や、ブロックヘッズのIN-BETWEENSへ
と広がっていく世界はまさに無国籍そのもの。田村のけっしてカ
ントリー臭くないスティール・ギターや、エフェクターを駆使し
ながら音響の広がりを明確に意識した桜井のエレクトリック・ギ
ター、ハーモニクスを丁寧に拾い上げる原さとしのバンジョー、
そして千ヶ崎学のときにボウまで駆使しながらボトムを支えるコ
ントラ・バスの響きに、すっかりやられてしまった。

ロンサムのそんな静謐なサウンドスケープに酔った後は、昨日も
観たばかりのカヌーの演奏を。若葉のようなGUITAR BLUEがあ
れば、しっとり聞かせるRAINMAKERがあるといった具合の起伏
は昨夜とさほど変わりないものの、この日は代表曲のひとつであ
るSPIDER TATOOをバンド・ヴァージョンではなく、アカペラで
聞かせるという趣向があり、日々一カ所に留まってはいないカヌ
ーの底力に触れた思いがする。そして特筆すべきは吉岡孝による
曲の表情をしっかり汲み取りつつ、丁寧に音色を変えていくドラ
ムス&パーカッションの心が籠ったプレイだ。昨夜の対バンだっ
た東京ローカル・ホンクのドラマー、田中クニオの言葉を借りよ
う。「あんな風に叩ける奴はそうはいないぜ!」

アンコールではロンサムとカヌーのジョイントは勿論、この日は
単に遊びに来ていただけの中村まりをコーラスに迎えてケルト音
楽を合奏したと思えば、最後のレディ・ガガ曲!では中井大介と
桜井芳樹のギター・バトルに加え、原さとしがバンジョーで大暴
れするなど展開予測不可能なジャム・セッションも(笑)!!

終演後それぞれのメンバーたちと会話することも出来たし、桜井
さんにはボビー・チャールズの7'sをプレゼントすることも出来た。
ぼくは今、家に帰ってきてロンサムとカヌーのCDを交互に聞きな
がら今日最後のワインを飲んでいます。


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by obinborn | 2015-01-12 01:17 | one day i walk | Comments(0)  

1月10日のカヌーとホンク

半年ぶりのパイレーツ・カヌーと一ヶ月ぶりの東京ローカル・ホ
ンクのジョイント・ライブを10日は横浜のサムズアップにて。二
組とも活動エリアは京都に東京と異なるものの、昔から仲が良い
バンド同士だけに3時間たっぷり気持ちいい音の渦に包まれた。
アリソン・クラウス以降活況を示す昨今のブルーグラス〜カント
リー・シーンをがっつりと受け止めたようなカヌーには音楽する
心映えのようなものがしっかり感じられたし、ホンクに関しては
たったフォー・ピース編成のバンドがこれほど湧き出る泉のよう
な音の絵を描き出せることに改めて驚愕せずにはいられなかった。

どちらもけっして新しい音楽をやっているわけではない。最新の
外部アレンジャーに自分たちを売り渡しているわけでもない。慌
ただしい毎日のなかではつい見過ごしてしまうような音楽だ。し
かしながらカヌーもホンクもそんな日常を心から慈しんでいるよ
うな言葉と音を奏でていく。何もなかった日にはとくに何も語ら
なくていい。その代り何か心臓をバクバクさせることがあったら
そのままスケッチしてみよう。音によるそんな絵画がこの夜には
満ち溢れていた。

そしてホンクの木下弦二は震災以降、ますます真摯なソングライ
ターになりつつある。彼の最新曲である「身も蓋もない」は本人
によれば「ジョン・レノンのGODへのアンサーです」とのこと。
その歌詞はぼくたちを射る。ぼくたちがごまかしてもいいと思っ
ていることに否応なく飛び込んでくる。「ブルーズなんて借り物
さ。ロックンロールなんて習いごとさ」本編の最後に歌われたこ
の「身も蓋もない」がこうして突き刺さってくる。

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by obinborn | 2015-01-11 02:50 | 東京ローカル・ホンク | Comments(0)