<   2015年 02月 ( 11 )   > この月の画像一覧

 

フェアポート・コンヴェンション『UNHALFBRICKING』

老夫婦が映し出されたこのジャケット写真を見て彼らが演奏
していると感じた人は今はいないと思うが、69年当時若者の
心情発露とされたロックの担い手がこの写真を選んだのは大
胆な発想の転換だった。前年にはザ・バンドの『ビッグ・ピ
ンク』がリリースされ、その見開きにはまるで家族を凝縮す
るように叔父や叔母たちの写真が収められていたから、フェ
アポートはそれに影響されたのかもしれない。仮にそうでな
くても、ロックの楽器編成で伝承音楽にアプローチすること
に価値を見出していた彼らにとって、こうした形で目上の人
々に敬意を払うのは自然な心の流れだったと想像する。

69年が明けてから間もなくロンドンのサウンド・テクニクス・
スタジオで本作のレコーディングは始まった。プロデューサ
ーは前2作と同じくアメリカ人のジョー・ボイドが担当して
いるものの、フェアポートのメンバーも名を連ねていること
から、バンド側に自信が生まれ発言力が増した様子が伺える。
やがて正式メンバーとなるデイヴ・スウォブリックのフィド
ルとリチャード・トンプソンのエレキ・ギターがせめぎ合う
長大なA SAILOR'S LIFEの演奏で、フェアポートは一躍評価
を高めた。またトンプソンが作ったGENESIS HALLが生まれ
たての古典のように響くかと思えば、サンディ・デニーは生
涯の名曲WHO KNOWS WHERE THE TIME GOES(時の流れ
を誰が知る)を持ち込むなど、ありとあらゆる点でバンドは
ピークを迎えようとしていた。SI TU DOIS PARTIR、PERCY
'S SONG、MILLION DOLLAR BASHとボブ・ディランの作品
を3曲も取り入れたことは、『ベースメント・テープス』から
の影響を仄めかしている。以降サンダークラップ・ニューマン
やマクギネス・フリントなど『ベースメント〜』から選曲する
英国のグループの先鞭を付けた形だ。

レコーディングの合間にはマーチン・ランブルの悲劇的な死
があり、7月にアルバムがリリースされSI TU DOIS PARTIR
がシングル・チャートを駆け巡ってもメンバーの心は晴れなか
った。バンドはもはや解散状態だった。このアルバムにも一曲
参加しているトレバー・ルーカスはメンバーとともにグループ
の再編成について話し合ったという。その結果スウォブリック
のフィドルとデイヴ・マタックスのドラムスを新たに迎え、フ
ェアポートは活動を再開。8月の終わりから4作めのアルバム
『LIEGE AND LEAF』の録音に取り組んでいく。

e0199046_16222463.jpg

[PR]

by obinborn | 2015-02-26 16:29 | rock'n roll | Comments(0)  

『歌追い人たちのアメリカ』

昨年の夏、芽瑠璃堂〜クリンク・レコードの長野和夫さんに
お会いした時に彼が言っていたのは「CDと同じようにぼくは
色々な書籍も出したいんです。ぼく自身音楽を聞きながら本
を読むことが好きだから」ということだった。それから半年
経って『歌追い人たちのアメリカ』が出版された。元ロック
喫茶の店主であった山瀬洋一郎さんが発案され、音楽ライタ
ーの小西勝さんが監修された本だ。内容は移ろいがちな音楽
シーンとは距離を置きながら、しっかりと自分の歌を温めて
いったシンガー・ソングライターの紹介であり、それらに対
する書き手たちの思いだ。とくにこの書ではインディ系のあ
まり知られていない音楽家たちに焦点が当てられている。実
際ここで触れられているアルバムの半数もぼくは持っていな
いくらいだ。そういう意味ではかなりマニアックでコアな書
籍なのだろうが、何も心配することはない。その前段階のコ
ラムとして70年代のアメリカやカナダのベイシックな重要作
も語られている。そこから出発して日本では殆ど知られてい
ない歌い手たちにスポットライトを当てたところに『歌追い
人たち〜』の主眼があると思う。

昨年の秋、山瀬さんにお会いした時に彼は「シロウトがこん
なことに手を出してすみません」と謙遜されていたけれど、
ぼくはプロであろうがアマチュアであろうが書きたいことが
あればどんどん本を出して欲しいと願っている。野球でもサ
ッカーでもラグビーでもアマがプロとの試合に臨んでプロよ
り好成績を上げることと同じだ。むろんここに書かれた文章
はプロのそれほど洗練されているわけではないが、そのぶん
朴訥とした、あるいはゴリゴリとした気持ちが伝わってくる。
あまたのシンガー・ソングライターたちが永遠に彼や彼女ら
のファースト・アルバムを超えられないようなもの、といっ
たら言い過ぎであろうか。かつて西荻窪にあったロック喫茶
に人々が集い、時間を忘れて音楽に聞き入り、いつの間にか
会話をし始める…..。この本のページをめくっていると、ぼ
くもまた彼らと一緒にビールを飲みながら音楽を語りたくな
ってくる。

e0199046_14193572.jpg

[PR]

by obinborn | 2015-02-22 14:20 | one day i walk | Comments(4)  

ハンブル・パイ『TOWN AND COUNTRY』

ハンブル・パイに関しては一般的にA&M移籍後のロッキン・ソウ
ル路線が人気があるようです。とくにブラックベリーズを起用し
ながら熱唱するスティーヴ・マリオットの勇姿は、いわゆるアメ
リカン・スワンプ愛好家たちからも支持されています。勿論私も
そんなパイが大好きなのですが、イミディエイト・レーベルに残
した彼ら最初の2枚のアルバム(『AS SAFE AS YESTERDAY IS
』と『TOWN AND COUNTRY』)を忘れるわけにはいきません。
ともに69年に発売された作品ですが、前者での翳りあるロックと
いい後者に於けるフォーク音楽への傾倒といい、フォーマットに
囚われていない自由な響きが心を打ちます。恐らく60年代末期と
いうロックにとって最も創造的だった時代環境も影響しているの
でしょうが、イミディエイトの倒産によりその魅力が(今も?)
広く知られていないのは残念です。『AS SAFE〜』にもALABAM
A '69やイアン・マクレガン作のGROWING CLOSERなどアーシー
なナンバーがありましたが、そんなダウンホーム指向が一気に開
花したのが『TOWN AND COUNTRY』(写真)です。

ザ・ハード出身のピーター・フランプトンが新グループを模索して
いたところ、マリオットの紹介によりジェリー・シャーリーがフラ
ンプトンと手を携えたことがパイ結成の発端であり、そこにスプー
キー・トゥースのグレッグ・リドリーが加わり、しまいにはスモー
ル・フェイシズでの活動に飽き足らなかったマリオットが合流して
このバンドは第一歩を踏み始めました。マグダリーン・レイバーと
いう小さな町のコテージで合宿生活を始めた彼らはそこで次第に目
指すべき音を固め、やがてロンドンのオリンピック・スタジオで『
AS〜』を、モーガン・スタジオで『TOWN〜』をレコーディングす
るのでした。フランプトンの淡いメロディが冴えるTAKE ME BAC
K、シタールとタブラを援用したリドリー作のTHE LIGHT OF LO
VE、穏やかな曲調のなかで緩急を付けていくシャーリーのCOLD
LADY、マリオットのEVERY MOTHER'S SON などメンバー全員
がソングライティングに関わっているのもこの頃の特徴で、後年
顕著になるマリオット&ヒズ・バンドといった独裁的なあり方と
ニュアンスが異なっている点も大変興味深いです。

そのEVERY MOTHERS SON(トラフィックに同名異曲)では「
ミシシッピ・クィーン号でニューオーリンズのバイユーに向かう」
という歌詞が出てくるなど、60年代末期のルーツ指向の一端まで
伺えるようです。元々スモール・フェイシズは激しいR&Bの一方
で牧歌的なオリジナル曲を作ったりティム・ハーディンをカバー
するなどフォーク音楽のエレメントも押し出していましたが、そ
んな側面が一気に開花したような印象です。スモール・フェイシ
ズから新たにフェイシズへと改めて発表した『FIRST STEP』の
一曲めがボブ・ディランのナンバーだったことも一緒に考え合わ
せると、『地下室』のブートレグ(もしくはアセテート盤)や『
ジョン・ウェズリー・ハーディング』が当時のブリティッシュ・
ロックに及ぼした影響が自ずと見えてきます。そんな意味でもハ
ンブル・パイの『TOWN AND COUNTRY』は意味深なアルバム・
タイトルとともに英国ロックの隠れた遺産だと思います。なお
余談ですが、後年になってマリオットがかつてのバンド・メイト
だったロニー・レインと共同名義で発表したアルバムにも、この
『TOWN AND COUNTRY』の匂いが溢れていました。

e0199046_14501150.jpg

[PR]

by obinborn | 2015-02-18 14:51 | one day i walk | Comments(0)  

ローラ・ニーロと冬の一番星

昼は近所のハロー・オールドタイマーでケイジャン・チキンとコ
ーヒーを美味しく頂いた。それからのんびりとオハイオ・ノック
スをアルバム一枚丸ごと聞き終え夕暮れになるとウォーキングに
出掛けた。理想的な休日の過ごし方である。それにしてもノック
スのように牧歌的かつ高度な音楽がメジャーのレコード会社(リ
プリーズ)から堂々とリリースされていたなんて、70年代前半の
音楽産業は幸せだったと思わずにはいられない。適正な資本によ
る的確なマーケットが、そこではきっと守られていたのだろう。
今のぼくが日本のインディー系レーベルに所属している音楽家の
ライブに足を運んでいるのも、心のどこかでそんな匂いを本能的
に嗅ぎ付けているからかもしれない。

久し振りにローラ・ニーロの『GONNA TAKE A MIRACLE』(コ
ロンビア 71年)を聞いている。ローラが少女時代にブロンクスの
町並みで親しんできたドゥワップやR&Bに敬意を表したカバー・
アルバムだが、それもマーサ&ザ・ヴァンデラズ、スモーキー・
ロビンソン&ザ・ミラクルズ、ジ・オリジナルズといったモータウ
ン・サウンドを範にしているところが東海岸出身のローラらしい。
こうした音楽を当時24歳だった彼女が精一杯恩返ししているとい
った感じだ。それらをギャンブル&ハフによる制作のもと、フィラ
デルフィアのシグマ・サウンド・スタジオで録音し、コーラスにラ
ヴェルの3人が加わった。ソウル・アルバムにもかかわらず全体に
リズム隊が控えめなのは、ローラがラヴェルたちとの和声を最大限
に生かしたかったからだろう。

それにしてもカバー・アルバムとは難しいものだと思う。耳の肥え
たリスナーたちはオリジナル・ソングの素晴しさと比べてしまうだ
ろうから。それでもスタジオ・レコーディングの場合でも、ライブ
の一期一会でも、筆者は幾つかのかけがえのない体験をしてきた。
とくにライブの場では会場の空気がすくっと立ち上がり、みんなの
気持ちが明るくなるのがいい。それこそは古い曲が今の時代に歌わ
れる意味だと思いたい。明日という日が永遠にやってこないような
巡業に明け暮れていたロニー・ホーキンズ&ザ・ホークスの時代に
思いを乗せていくザ・バンドの『MOONDOG MATINEE』(キャ
ピトル 73年)が南部的カバーの最高峰としたら、ノーザン・ソウ
ルに多感だった日々を重ねたローラの『GONNA TAKE A MIRACL
E』は、筆者にとって冬の一番星のようなものだ。

e0199046_1993033.jpg

[PR]

by obinborn | 2015-02-14 19:10 | one day i walk | Comments(0)  

ボブ・ディラン 『SHADOWS IN THE NIGHT』

ボブ・ディランの新しいアルバムはスタンダード・ソング集になる
らしいよという噂から始まり、今それがフランク・シナトラに因ん
だ曲ばかりを歌ったものとして届けられると、ちょっと目眩がして
しまう。予想出来なかった展開というわけではない。21世紀に入って         からのディランは自分の人生を総まとめするかのように、彼の栄
養となったブルーズやゴスペルに敬意を払ったアルバムを作り、自
分の独創性を発露するというよりはルーツ・ライクな姿勢に徹して
きたから、その一環としてシナトラのようなポピュラー・ソングを
歌っても不思議ではなかった。いわば本作は広範なアメリカ音楽に
対するディランの感謝のひとつであり、少し前にクリスマス・アル
バムを作った延長のようなものだろう。

ただ今から半世紀前の1965年にディランがシナトラを歌う日が来る
とは誰も予想出来なかったと思う。当時台頭してきたフォークやロ
ックという音楽はいわば従来のポップスに対する反逆児であり、デ
ィランが『セルフ・ポートレイト』や『ディラン』といった自分の
アルバムでエヴァリー・ブラザーズやエルヴィス・プレスリーのバ
ラードを取り上げただけでも70年代には随分非難された記憶が筆者
にはある。しかしながら日本に限っても、岡林信康が美空ひばりへ
の共感を示し、吉田拓郎の「襟裳岬」を森進一が大ヒットさせ、は
っぴいえんど解散後の松本隆は歌謡曲の作詞家としてビッグセラー
を飛ばす。今や佐野元春も雪村いづみとコラボレイトして素晴しい
歌を共にしたり、雪村の過去の音源を掘り起こし監修するような時
代。狭義の音楽ジャンルはどんどん溶解しつつある。

そうした幾つかの音楽勢力地図を振り返ってみると今のディランが
ポピュラー・ソングを歌う心持ちが自ずと見えてくる。ぼくが中学
生となり物心が付き始めロックに目覚めた頃、両親が聞いていたク
ラシックや歌謡曲は唾棄すべきものだった。フォークやロックこそ
が自分の気持ちを代弁してくれる尊い兄貴のような存在であったか
ら。しかしながらそんなアティチュードが長続きするわけもなかっ
た。とくに自分がかつて反抗していた頃の両親の年齢を超えたり、
そのうちの一人が今やもう永遠に語ることも出来ないとなれば、な
おさらだ。だからぼくはディランの『SHADOWS IN THE NIGHT』
を愛おしいホーム〜家庭のような作品として聞いている。

e0199046_17294535.jpg

[PR]

by obinborn | 2015-02-14 00:39 | Comments(0)  

1976年4月のヘンリー・マカロック

紹介がやや遅くなってしまったけれども、昨年末の大収穫がヘン
リー・マカロックのロックパラスト音源(と映像)だった。時が
76年の4月というだけで過ぎ去ってしまった歳月に目眩を覚える
ほどだが、マカロックにとって最初のソロ・アルバム『MIND YO
UR OWN BUSINESS』がリリースされた時期だけに意気込みが伺
える素晴しいライブとなっている。ブリテン諸島のフォーク音楽
を奏でたスウイニーズ・メンに始まり、ジョー・コッカーのギタ
リストとして脚光を浴びながらグリース・バンドとして独立した
マカロックは、その後ウィングスに短期間関わりMY LOVEで究極
のソロラインを奏でた。その後に彼が歩んだステップがまさにこ
の76年前後のことだった。

やはり気になるのはバンド・メイトであろう。そういう意味では
グリース・バンドのセカンド・ギタリストであり、英国ソウルの
とても粋なバンドであるココモに参加するニール・ハバードや、
ブリテイッシュ・スワンプ界隈のお助けマンであるミック・ウィ
ヴァーの参加は嬉しい。リズム隊と一本のホーンは寡聞にしてぼ
くは知らない人たちばかりだが、それでも過不足ない演奏であり
何よりマカロックのレイジーなノリに最大限の敬意を払っている
のがいい。曲目はファースト・ソロとグリース・バンド2枚のア
ルバムからのナンバーでほぼ埋め尽くされているものの、伝承曲
のJOHN HENRYを採用しているのが新味であろうか。既発表で言
えば多くの曲にサックスが登用されていることや、グリース・バ
ンド時代のHONKEY TONK ANGELがぐっとテンポを落としてプ
レイされたことも嬉しい。異なる2ヴァージョンを聞き比べられ
るMIND YOUR OWN BUSINESSや、アクースティック・ギター
をマカロックが珍しくも奏でるLET IT BE GONEは予想外のプレ
ゼントだった。とくにLET IT〜でハバードが丁寧にオブリガード
を織り成していく様には、思わず胸が一杯になってしまった。

いつだったか私は自己紹介文のようなものを書かされ、その時に
「マカロックのような遅弾きのギタリストがとくに好きです」と
記したことがある。むろん今でもその気持ちにいささかの曇りは
ない。刷り込みというのは恐ろしい(笑)私が高校時代に一番好
きだったギター弾きがデイヴ・メイソンであったと言えば解って
頂けるだろうか? むろんそこにはかつての弾き過ぎを反省しな
がら自らの音楽を求めていったエリック・クラプトンの足跡が重
なっていく。蛇足ではあるがそんなE.CがJ.J.ケイルを世に広めた
意味も少なくないだろう。そんなロック地図のなかにこのマカロ
ックを置いてみると、彼が本当にやりたかった音楽がおぼろげな
がらも見えてくる。マカロックという一般的にはけっして著名で
はない音楽家の自画像を、もっと大きな時代のうねりのなかでし
っかり捉えることが出来る。

弾かないギタリストの聖域。音が鳴らない部分に寡黙なニュアン
スを聞き取ることの尊さ。もしくは音数の少ないことに込められ
たプレイヤーたちの心持ち。ヘンリー・マカロック76年4月22日
のライブは、私にそんな感情を運び込んでくるのであった。そう、
旅路に迷った人がホームの灯火を求めるように。

e0199046_22324335.jpg

[PR]

by obinborn | 2015-02-10 22:34 | one day i walk | Comments(0)  

究極のスワンプ・ポップ20曲!

8日は東長崎のクレオール・コーヒースタンドで第4回のスワンプ
・ポップ・サミットが開催された。今回はまず100のスワンプ・ポ
ップ・ソングを候補曲として挙げつつ、そのなかから5人の愛好家
が更に各自重要と思われる20曲を投票していくという趣向。限りな
く趣味的な催しではあったがとても楽しかった。なおスワンプ・ポ
ップとは50年代後半から60年代前半にかけて南ルイジアナ地方で局           地的に流行したケイジャン〜クレオール文化圏のロックンロール〜
ティニーボッパーのことで、ニューオーリンズR&Bとも相互影響下
にある。

e0199046_2120495.jpg


*究極のスワンプ・ポップ20

1 Cookie & The Cupcakes/Mathilda
2 Dale&Grace/I'm Leaving Up To You
3 Rod Bernard/This Should Go On forever
4 Phil Philips/Sea of Love
5Tommy McLain/Before I Grow Too Old
6 Joe Barry/I'm A Fool To Care
7Tommy Mclain/Sweet Dreams
8 Jivin' Gene/Breaking Up Is Hard To Do
9Buck Rogers/Crazy Baby
10 Bobby Charles/On Bended Knee
11 Freddy Fender/Wasted Days And Wasted Nights
12 Jimmy Donley/Born To Be A Loser
13 Bobby Charles/See You Later, Alligator
14 Jimmy Donley/Think It Over
15 Warren Storm/Prisoner's Song
16 Johnnie Allan/Promised Land
17Clint West/Big Blue Diamond
18 Jimmy Wilson/Please Accept My Love
19 Johnnie Allan/Lonely Days, Lonely Nights
20 Fats Domino/Walking To New Orleans

*小尾個人が推したスワンプ・ポップ20

1 Tommy McLain/Before I Grow Too Old
2 Cookie&The Cupcakes/Matilda
3 Tommy McLain/I Need You So
4 Dale & Grace/I'm Leaving Up To You
5 Bobby Charles/On Bended Knee
6 Jimmy Wilson/Please Accept My Love
7 Guitar Gable/This Should Go On Forever
8 Charles Mann/Red Red Wine
9 Phil Phillips/ Sea Of Love
10 Warren Storm/Prisoner's Song
11 Guitar Gable/Life Problem
12 Lloyd Price/Lawdy Miss Clawdy
13 Guitar Jr./The Crawl
14 Guitar Jr./Family Rule
15 Rockin' Dave Allen/Walkin' Slowly
16 Sir Douglas Quintet/The Rains Came
17 Fats Domino/Walking To New Orleans
18 B.J.Thomas / I'm So Lonesome I Could Cry
19 Freddy Fender/Wasted Days And Wasted Nights
20 Jivin' Gene /Breaking Up Is Hard To Do

*個人的なメモ

客観性と個人的趣味を折衷させながら投票させて頂きました。
1、5、17とボビー・チャールズ縁の曲を推し、ロイド・
プライスの12まで押し込んだのは、ニューオーリンズR&Bとの
繋がりを強調したかったから。ファビュラス・サンダーバーズ
も演奏した最高のギター・ロック13は残念ながら落選してし
まいましたが、それはいつか”リフ・ルーラー”の時にでも(笑)
細かいことを言えば切りはありませんが、総合リストに関して
もルイジアナ・バイユーの香りを伝える的確なセレクションに
なったと思います。
[PR]

by obinborn | 2015-02-08 21:18 | one day i walk | Comments(2)  

J.J.ケイルは今晩も黙しながら語る。

無口な男とは大変好ましいものである。私はこの歳になってやっと
信用出来る人間とそうでないそれを見極められるようになったが、
かくいう自分もつい口約束をしてしまうことがある。「絶対行くか
ら」「また遊びに来るよ」といった種類のリップサービスであり、
それを実行しなかった時は罪悪感に苛まれるのだ。それならば黙っ
ているほうが人の態度として遥かにマシというもの。ある呑み屋の
店主のこんな呟きはどうだろう「口先だけの奴は会計時に一発で判
るんだよ」

前振りはこれくらいにして、J.J.ケイルは最高峰の寡黙な男である。
実際に会ったこともなければ関係者の証言があるわけでもないので
あくまで彼の音楽から私が受けるイメージに過ぎないのだが、それ
でも歌われる言葉なり奏でられる演奏に性格が宿るのであれば、私
は間違いなく彼の人と音楽を愛していた。30数年に及ぶケイルの音楽         キャリアのなかで彼の態度は一貫していた。自分の信じるスタイ
ルが揺らぐことはなかった。私はその事実にただひたすら驚愕する
とともに、彼が74歳で人生を閉じるまで少しの時間彼と触れ合うこ
とが出来て良かった。最初はデビュー・アルバムの『ナチュラリー』
をレーナード・スキナード版CALL ME THE BREEZEの原作者という
意識で聞いたのだと思う。エアロスミスの新作を追いかけるのに精
一杯だった高校生にとってそれは背伸びした心持ちだった。

ケイルにとって第三作めとなる『オーキー』(シェルター74年)は
そんな男の黙示録であり、問わず語りのオクラホマ人によるオーキ
ー(南部からカルフォルニアに移動する季節労働者の意味)だろう。
それが計らずとも生粋のオクラホマ生まれでありながら、ロスアン
ジェルスに活路を求めていったスワンパーたちと二重映しとなって
いる。アルバムとしての聞かせ方も前2作以上。どの曲も同じじゃ
んという感想(駄目押しのようにI GOT THE SAME OLD BLUESが
B面ラストを締め括っている)を抱かせながら、カントリー・ナン
バーであるレイ・プライスのI'LL BE THERE(ニック・ロウとジ
ョン・フォガティも録音している)もあり、ロマンティックなCA
JUN WOMANと旅する男の物語ANYWAY THE WIND BLOWSも待
ち構えている。ケイルの故郷であるオクラホマ州タルサ、テネシー
州のブラッドリー・バーンとナッシュヴィル。この三カ所の演奏家
が違うロケーションがこの作品に幅を持たせたのだ。カントリー古
典PRESIOUS MEMORIESでの朴訥としたケイルのギターと、名手
レジー・ヤングの息を呑むようなオブリガードとの対比を聞けば、
J.J.ケイルの音楽はどれも同じ!とあなたは言えなくなるだろう。
そしてナイロン弦を張ってケイル自ら奏でるアルバムのタイトル・
トラックOKIEの楚々とした響きはどうだろう。この曲はわずか
2分にも満たないインストゥルメンタル作品だが、それ故にケイル
の声が聴こえてくるようだ。ところで今夜、呑み屋の店主に一体
何と声を掛ければいいのであろうか。

e0199046_198249.jpg

[PR]

by obinborn | 2015-02-06 19:09 | one day i walk | Comments(0)  

2月4日はサザンライツのワンマン・ライブを

4日はサザンライツのワンマン・ライブを池袋のフリーフロウに
て。ダグ・サームの「グルーヴァーズ・パラダイス」から始まり
トニー・ジョー・ホワイトの「ポーク・サラダ・アニー」に終わ
るまで、気持ち良くアメリカ南部サウンドに酔うことが出来た。
その間にはマクギネス・フリントやキンクスやロニー・レインの
楽曲を挟むといったメンタリティも、日本人が受容してきたある
世代の洋楽史を覗くようで親しみを覚える。むろんナイスな選曲
だけがポイントではない。何より重心の低い落ち着いたサウンド
と燻し銀のような音色にサザンライツのキャリアが滲み出ていた。
山本シラスとタージとが変幻自在にリードへとバッキングへと回
っていくギター同士の駆け引きはまさに絶妙だったと思うし、そ
んなバンド・サウンドが頂点に達したのはロバート・ジョンソン
の「ストップ・ブレイキング・ダウン」であろうか。ここでの山
本のタメの効きまくったスライド・プレイにはとくに痺れた。ザ
・バンドで知られる伝承曲「エイント・ノーモア・ケイン」やロ
ニー・レイン最初のシングル曲「ハウ・カム?」などでタージが
弾くマンドリンも程よい中和剤へとなっていく。終盤に置かれた
エディ・ヒントンの「エヴリバディ・ニーズ・ラヴ」を耳にする
頃には筆者も思わず肩入れしたくなってしまった。一体どんなも
のをロック音楽と呼ぶのかはともかく、アメリカやイギリスのル
ーラルな音楽エリアに関してサザンライツは少しも臆することが
ない。ザ・バンドやストーンズを介在者としてカントリーやR&
B/ソウルへと自然に踏み込んでいくあの感覚だ。メンバー6人全
員が反応するのは誰かのインタープレイではあるまい。そうでは
なく彼らはミディアム・ビートの懐深い世界を丁寧に丁寧に束ね
ていく。その一音一音が温かく響き渡った冬の一夜だった。

e0199046_133398.jpg

[PR]

by obinborn | 2015-02-05 01:32 | one day i walk | Comments(0)  

ジョニー・アランと英パブ・ロック

南ルイジアナのラファイエット出身のジョニー・アランがジン・
レコードからデビューしたのは1959年のことだった。最初のシ
ングルは彼の自作となる3連曲LONELY DAYS LONELY NIGHTS
で、これはやがてスワンプ・ポップと呼ばれる代表作のひとつに
なった。その後もアランはジョニー・ホートンでおなじみのNOR
TH TO ALASKAを改作した地元讃歌SOUTH TO LOUISIANAをヒ
ットさせたが、これは60年代前後のロックンロール・ブームの局
地戦のようなものだった。やがて彼は時代とともに忘れられたが、
72年にチャック・ベリーのPROMISED LANDで再デビューを果た
し英国チャートを賑わした。英BBCの名物DJ故チャーリー・ジレ
ットは熱心なスワンプ・ポップの紹介者だったこともあり、彼は
自身のOVALレーベルから『ANOTHER SATURDAY NIGHT』とい
うコンピレーションLPを74年に作るほどだった。この頃のジレッ
トがボビー・チャールズのウッドストック・アルバムを番組で好
んで掛けていたこと、OVALがバーバラ・リンやサー・ダグラス・
クィンテットなどルーラル・ロックのアルバムを配給していたこ
とも興味深い。ブリンズリー・シュウォーツ時代のニック・ロウ
はスワンプ・ポップ風の自作ナンバーI WORRY('BOUT YOU BA
BY)を書いているが、同時代にリリースされた『ANOTHER SAT
URDAY NIGHT』からの影響を想像してみるのも悪くないだろう。
というのもロウがソロ・デビューするスティッフはOVALと提携
してアランのPROMISED LANDをシングル発売しているほどであ
り、またアランは彼の79年のアルバム『LOUISIANA SWAMP FO
X』でロウのI KNEW THE BRIDE(WHEN THE SHE USED TO RO
CK N ROLL)をカバーしているのだから面白い。この曲はまずデイ
ヴ・エドモンズ版が77年にリリースされたが、そのヴァージョン
に近いファストな出来になっている点も、アランがデイヴ版を聞
きながら覚えた可能性を仄めかしている。またデイヴ・バンドの
名脇役であるゲラント・ワトキンスは、アランの英国公演の際に
バックを務めているという事実もある。さらにジョニー・アラン
は『LOUISIANA SWAMP FOX』でジム・フォードのJU JU MAN
を取り上げているが、この曲をブリンズリーズとデイヴがそれぞ
れカヴァーしていたことは偶然ではあるまい。かくの如くルイジ
アナ・スワンプ・ポップと英国パブ・ロックとは面白い縁があり、
こうした相関性を調べていくのは、あなたに劇薬のような興奮を
もたらすことだろう。

e0199046_15452522.jpg

[PR]

by obinborn | 2015-02-03 15:47 | one day i walk | Comments(2)