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『昭和の犬』

犬との暮らしを通して時代背景が浮かび上がってくるような
『昭和の犬』を読んだ。作者の姫野カオルコさんが私と同い
歳ということもあり、あの時代の地方での暮らしぶりはこん
なものだったねと頷かされもしたし、全体としては姫野さん
の半生を辿る自伝的な色合いが強い。けっして裕福だったわ
けではなかった時代だが、彼女と飼い犬との会話はまるで昨
日のことのように生き生きと語られている。正確には会話と
いうよりは匂いや肌ざわりといったものだろうか。ときに父
親がシベリアに拘束されていた時代や、必ずしも幸福ではな
かった母親の結婚生活も仄めかされるが、あくまで騙し絵の
ようなものであり、テーマに結び付く伏線とはけっしてなら
ない。

私は大きなテーマに頼ったり、ことさら意味性を訴える小説
を好まない。いや、昔はそういう社会ドラマのような作品を
三浦綾子から山崎豊子まで読んでいた時期があったので、必
ずしもポリシーがあるわけではないのだが、経年とともに、
文体それ自体の美しさとか、完結することのない抽象性のほ
うにより惹かれるようになった。音楽でいえば大袈裟なプロ
グレではなく、シンガー・ソングライターのような味わいか
もしれない。世の中の不公平や欺瞞や差別に立ち向かってい
く表現が好きな方には物足りないだろうが、『昭和の犬』に
は子供や動物の眼を通して見る世界があり、主人公の背がや
がて伸び、大人になってから感じるものまでが年代記(クロ
ニクル)のように描かれている。言うまでもなく犬好きの方
はマスト。思えば今日も人間とばかり会話していた。

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by obinborn | 2015-08-26 02:10 | 文学 | Comments(0)  

やぎたこの新作『I'm here!』を聞いて

やぎたこの辻井貴子さんが彼らの新しいCDを届けてくださ
った。やぎたこにとって3作めになるそのアルバムは『I'm h
ere!』と控えめに申告されているが、ここ数年は以前にも増
してフォーク音楽の源泉へと溯るようなルーツ指向を深めて
おり、そんな彼らの姿が生に近い形でうまく反映されている。
男女デュオらしいハーモニーとリード・パートの歌い分けは
もとより、器楽面ではバンジョーとダルシマーを積極的に登
用しながら、オールド・タイム色を強めていることに少なか
らず驚かされた。

アルバムに収録された殆どの曲はアパラチア地方に古くから
伝わる労働歌、アイルランドから新大陸に入植した人々によ
る哀歌、あるいはすれ違い続ける男女の報われない求愛歌で
あったりする。やぎたこの二人が今過ごしている現代の日本
とは随分違う暮らしぶりが浮かび上がってくるトラディショ
ナル・ソングの数々だ。それでも辛い毎日を過ごしていくた
めのちょっとしたユーモアや機智、そして感情の襞がこれら
の歌には脈々と流れている。そうした意味では1940年代の
古色蒼然とした歌たちが、剥き出しの欲望と消費を強要して
いく今の日本に響き渡る意味はきっと少なくない。タイプは
異なるものの、あのボブ・ディランとザ・ホウクスの面々が
人里離れた地下室で暖を取りながら、古い歌に光を当ててい
った60年代末の営為と似ている気がしてならない。

温故知新とはよく言ったものだ。やぎたこの歌と演奏が少し
ずつ膨らみを増していくと、その小径にいつの間にか新しい
影絵がすくっと立ち上ってくる。アルバム最後に置かれたA
ngel Bandの確かな足取りはどうだろう。歌の後半部をアウ
トロに見せかけつつ、歌い手たちは再びカウントを取り直し
ながら一歩ずつ踏み出してゆく。やなぎのフィドルがそれを
後押ししてゆく。

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by obinborn | 2015-08-21 12:27 | one day i walk | Comments(0)  

オーリアンズの覚え書き

「豊かなハーモニーという点ではイーグルズとオーリアン
ズとは確かに共通点がある。でもぼくたちは元々東海岸の
R&Bバンドだったんだよ」ジョン・ホールがそう言ってい
たように、オーリアンズは”ファット・ボトムとハイ・ハー
モニー”を実践したバンドだった。デビュー・アルバムをマ
スル・ショールズで録音したのも、彼らの出自を物語って
いる。そして73年オーリアンズは地元ウッドストックのベ
アズヴィル・スタジオで念願のセカンド作のレコーディン
グを完了したのだった。これこそは彼らの自信作だったが、
abcレーベルは「売れない!」と発売を拒否してしまった。
ホールはこう回想する「レコード会社にもう少し想像力が
あれば良かったのに…」

2015年の今になってもオーリアンズの影響力は絶大だ。と
いうのも有名無名に関わらず、ちょっとしたギターのオブ
リガートや歯切れのいいカッティングにホールやホッペン
の痕跡を感じさせる音楽家(勿論私が好きな人たちだ)が
少なくないから。ある意味アヴェレージ・ホワイト・バン
ドやココモといった英国圏のバンドと同じような役割を果
たしたとも言えよう。このオーリアンズやファビュラス・
ラインストーンズの波及効果はそれこそシュガー・ベイブ
からキリンジまでに散見される。歌われる言葉が平易な連
なりとしてではなく、生き生きとしたリズムを伴いながら
輝き出していく。音楽を聞いていて幸せだなと思うのはい
つもきまってこんな時だ。

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by obinborn | 2015-08-19 19:35 | rock'n roll | Comments(0)  

『Blood Moon』をアナログ盤で聞く

『BLOOD MOON』のアナログ盤が届いた!これまでCD
でもう多分150回以上聞いてきたけれど、LP盤で聞くとコ
ヨーテ・バンドらしい野性味に満ちたバンド・サウンドが
より剥き出しになる感じで、普段接している彼らのライブ
の印象に近い。ああ、佐野元春はコヨーテたちとこういう
強靭な音を作りたかったんだなあ、ということがCD版以上
に伝わってくる。確かにCDではひとつひとつの音がバラン
ス良くデジタル変換されているが、音がひとつの塊となっ
て唸り迫ってくるLP盤のサウンドスケープは圧巻だ。収録
時間が48分以上あるのでLPメディアのダイナミック・レン
ジを考えた場合は昨今流行りの2枚組に振り分ける判断も
あっただろうが、アルバムのトータリティを考えたとき、
やはり佐野はきっかり一枚で起承転結を付けたかったはず。
そんな想いもしっかり届いた。CDと同じ音量で聞く分には
いかにも弱いのだが、倍音にした際のしなやかなグルーヴ
は、まさにロック・バンドの理想型を思わせるほど。

アルバムの内容については何度も書いてきたので、ここで
繰り返すまでもないだろう。佐野元春は今までも時代を映
すアーティストだったが、今回はとくに社会性の高い作品
が並んでいる。それもこれまでの彼が必ずそうしてきたよ
うに具体的にどこかの誰かを糾弾するものではなく、言葉
は選び抜かれ抽象化されている。そのぶん、あと5年経っ
て、あるいは10年経って、2015年を振り返った場合でも、
本作に収録された12曲は鮮度を失わないのではないだろう
か。勇ましいことをダイレクトに表明するのがパンク・ロ
ックだとしたら、佐野元春はもう少し世界を俯瞰しながら
歌の主人公に”歌わせている”そんな物語性を考慮しながら
最高のロック詩人の言葉とコヨーテ・バンドの音を感じて
欲しい。

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by obinborn | 2015-08-13 17:25 | rock'n roll | Comments(2)  

ディック・ゴーハン『HANDFUL OF EARTH』

「これらのオリジナル・ソングがなければ私は何も出来な
かったのです。私は伝承曲に影響され自分なりに翻訳しま
した。とくに私の故郷である北アイルランドのトラッド・
ソングには感銘を受けました」ディック・ゴーハンが自ら
ライナーノーツで語る『HANDFUL OF EARTH』(Topic
81年)は、まさにゴーハンの記念碑といっていいだろう。
ジャケットでは原子力発電所を背景に仁王立ちする彼の姿
が映し出されているが、収められた歌の数々は人の営みや
伝えられてきた奇譚に発する歌が多い。なかにはレイシズ
ムに言及した歌もあるが、同じレーベルのアーチー・フィ              ッシャーの曲、望郷の念に捕われたSong For Ireland、そして            労働歌などが大半を占めていて、必ずしも反原発の歌が歌
われているわけではない。しかしながらそれらの歌がある
日突然失われてしまうような怖さが本作にはある。社会的
ではない歌が逆に社会を反映していくようなアイロニーが
ろうか。ゴーハンがシンプルな弾き語りで静かに歌うほど、
伝わってくるものは大きい。

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by obinborn | 2015-08-12 18:57 | one day i walk | Comments(0)  

ロニー・レインの足跡を辿って

昨年の秋に藤沢のBar Cane'sで出版記念のDJをさせて
頂いた時、大学の同級生に会った。同級生といっても
当時は見ず知らずの間柄だったが、雑談しているうち
に同じ学校に通っていたことが判明した。そうすると
何とも不思議な(現金な?)もので何となく彼に親し
みを覚えてしまった。お互いすっかり歳は喰ったとは
いえ、その夜は近況や音楽噺に花を咲かせたものだ。
彼がどういう文脈で何を言いたいのかまでは汲むこと
が出来なかったものの、「みんな保守的になっちゃっ
たね」という一言は心に突き刺さった。

そんな彼から先日メールを貰ったのだが、それぞれ共
通の友人がいたことが解り嬉しくなってしまった。仮
にその人をS君として話を進めたいのだが、私にとって
S君は当時の音楽仲間の間でも異彩を放ち、時代に流さ
れまいとする頑固さを持ち合わせていた。当時の音楽
シーンはごく大雑把に言えば『ホテル・カリフォルニ
ア』とともに西海岸サウンドが斜陽化し、パンク〜ニュ
ーウェイブの動きが活発になっていった時期と重なる
のだが、そんな変化のなかでS君はいつも悠然として
いた。それほど多くの言葉を発するわけではないのだ
が、好きな音楽を昨日と同じように聞いてりゃいいじ
ゃんとでも言いたげな気持は、彼が黙すれば黙するほ
ど、確かな輪郭とともに伝わってくるようなニュアン
スがあった。

以前、京都のCDショップであるプー横町のアンケート
にも書かせて頂いたが、そんな学生時代にS君が貸して
くれたレコードがロニー・レインのファースト『ANY
MORE FOR ANYMORE』とセカンド『SLIM CHANCE』
であり、私はそれに大きく影響された。元々フェイシズ
の陽気なロックンロールは大好きだったが、バンドを脱
退してソロになったロニーの方向性とはこういうルーラ
ルな音楽地図だったのか、と密かに頷いたものだった。
『ANYMORE〜』のジャケットにはこちらに背を向け
馬車に乗って町並みから去っていく男たちが映し出され
ている。その含みこそロニーの実践するオールドタイミ
ーな音楽としっかり足並みを揃えていたように思える。

今こうしてロニー・レインの音楽を聞き直していると、
あの気ままな学生時代から随分長い歳月が経ってしまっ
たことが判る。私自身に関しては昔と変わらない部分も
あるだろうし、変貌していったところもあるだろう。そ
こは預かり知れぬ問題であり、いちいち気にしては前に
進めまい。ただいつも感じるのは、どんな時代に身を置
くのであっても世間の趨勢に流されたくないということ
だけだ。もう少しだけ強い言葉で言えば、どこかの誰か
が持ってきた借り物の言葉や思想には与しない。そんな
思いだろうか。

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by obinborn | 2015-08-10 12:09 | one day i walk | Comments(0)  

ランディ・ニューマンの観察

振り返ってみれば、80年代のラジオ番組で佐野さんが
「マリー」を選曲したのが、私とランディ・ニューマ
ンとの出会いだった。その番組を聞いてから数週間後
に私はたまたま中古盤でニューマンの『グッド・オー
ルード・ボーイズ』を見つけたのだ。何でも佐野さん
は10代の頃に「マリー」を聞いて「ぼくもソングライ
ターになりたい」と思ったというから、かなり早熟な
青年だったのだろう。

74年のアルバム『グッド・オールド・ボーイズ』でニ
ューマンが描き出したのはアメリカ南部の名もなき人
たちの物語であり、そこに登場するのは貧しい農民た
ち、中年のカップル、アル中の老人、洪水で家を流さ
た人々…..といった具合。なかには人種差別がとくに
激しかったバーミンガムを”こんな素晴しい町はどこに
もないよ”と主人公に歌わせる過剰なまでの皮肉もある。
いずれにしても歌の作者であるニューマン本人は一歩
引き、舞台裏の監督に徹している。まるで一篇の映画
を観ているような錯覚に陥るアルバムで、ニューマン
の観察眼に富んだソングライティングがじわじわと染
み亘っていく。

とくに中年カップルの様子を捉えた「マリー」は、ア
ルバム・ジャケットに映し出された二人とも重なって
いくようなバラードで、”マリー、最初に出会った頃と
同じようにきみを愛しているよ”という主人公の独白が、
かえって長い歳月の経過や、永遠に戻らない無邪気な
日々を思い起こさせるといったパラドックスを持つ。
ティーンエイジャーの単純な求愛歌とは明らかに異な
る苦渋が、きっと「マリー」を特別な歌にしているの
だと思う。そこには気休めもなければ救済もない。主
人公の呟きが場末のバーのなかで響いているだけだ。

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by obinborn | 2015-08-10 01:02 | one day i walk | Comments(0)  

ランディ・ニューマンと佐野元春

ランディ・ニューマンの素晴しさは客観的な描写力にある
と思う。いわゆるフォークやシンガー・ソングライターの
歌には「私は悲しい」とか「私は怒っている」といった一
人称を用いたものが多い。時に私小説的と揶揄されるのも
その為で、なかなか「彼は悲しそうだ」とか「彼女は俯
いている」といった視点は生まれてこなかった。勿論ニュ
ーマンの歌詞にも「私」という単語はわりと出てくるのだ
が、それは彼本人の心情というよりは、歌の作者である彼
が曲の主人公たちに”語らせている”といったほうが正しい。
いわば脚本家や監督が映画のなかの俳優たちに何かを仮託
するのと同じで、そういう映画的な作風がニューマンの歌
に広がりを与えていると思う。70年代前半の日本はフォー
クソングのブームで、従来のプロテストソングへの反発か
ら個人的な体験の歌がもて囃された。私もそれらに青年期
特有の鬱屈を重ねた時期もあったのだが、やがてそうした
自己憐憫的な世界に苛立ちを感じるようになり、同じ言葉
でもビートとともに語るロックのほうに惹かれるようにな
った。さて、ニューマンのように第三者に語らせるという
作風に大きく影響されたのが佐野元春だ。歌の作者である
佐野自身は一歩引いて、曲に登場する彼や彼女を造形して
いく。それも佐野の場合ひとつの曲での彼や彼女が別の曲
でも姿を変えつつ立ち現れるといった具合で、そうした複
雑なペルソナは、きっとボブ・ディランにも影響されたの
だろうが、この日本でそんな入れ子のようなソングライテ
ィングを試みたのは佐野が初めてだった。彼の歌がしばし
群像劇と呼ばれるのもそうした作法による部分が大きいか
らだろう。驚くべきことにデビュー・アルバムの『Back To
The Street』から最新作の『Blood Moon』に至るまで、
佐野元春の基本的な持ち味はまったく変わっていない。
ランディ・ニューマンと同じように、個人の心情吐露に終
わることなく、曲の主人公たちに”語らせる”。その意味は
とてつもなく大きく、聞き手にイマジネイションを与え続
けている。

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by obinborn | 2015-08-09 14:31 | one day i walk | Comments(0)  

8月7日の中村まり

7日は中村まりのワンマン・ライブを高円寺のGrainに
て。今回はハニー・クッキーズの手島宏夢をフィーチャ
ーしての”バンジョーとフィドル”が掲げられたテーマで
あり、普段よりもオールドタイム色に彩られた音楽展開
にしばし時間を忘れるほどだった。オープニングに中村
が自作のLittle Houseを一人で弾き語ると、2曲めからは
早くも手島が登場し、以降二人の共演を中心にしながら
ときに中村がソロになるといった塩梅。二人が奏でる音
楽はミシシッピ・ジョン・ハート、チャーリー・プール
そしてバスコム・ラマー・ランスフォードといった古い
アメリカ音楽から、21世紀のカナダが誇る逸材ロン・セ
クスミスまでの時間軸があるものの、それらを自分の歌
としてアップデイトしていく彼らの卓越した感性と技量
にただただ息を呑むばかりだった。

ジーンズに綿の上着という中村まりの衣装はまるで60年
代末期のジョニ・ミッチェルやカーレン・ダルトンがそ
のまま抜け出してきたかのようだが、そんな中村がギタ
ーやバンジョーとともに繰り出す歌は、時間という歳月
を乗り越えながら迫ってくる。1940年代のアメリカ南部
で歌われた伝承曲もあれば、彼女の卓越したソングライ
ティングを鮮やかなまでに物語る名曲Night Owlsもあっ
た。中村はそれらの歌を時空を超えながらひとつひとつ
丁寧に束ねてゆく。オーガニック・ブームとして消費さ
れていくだけの”ナチュラルな歌”とやらとは明らかに異
なる土の匂いや陽炎のゆらめき。フィンガー・ピッキン
グひとつを取ってみても、そこに感じられるのは修練を
重ねた演奏家の姿だった。

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by obinborn | 2015-08-08 01:49 | 中村まり | Comments(0)  

8月1日のホンク

音の粒子がキラキラと輝きながらどこまでも弾け
飛んでいった。1日に高円寺のJIROKICHIで行われ
た東京ローカル・ホンクのワンマン・ライブはそん
な至福感に包まれる特別な夜となった。人力演奏に
よるロック・カルテットとして出来ることのすべて
を注ぎ込んだかのようなアンサンブルは精緻であり
ながら、ラフな匂いを失っていない点にも思わず肩
入れしたくなるほどで、この日会場に居合わせた方
々は特別な体験をされたと思う。お客さんたちの笑
顔が何よりもそれを物語っていた。「ハイウェイソ
ング」に始まり、本編を生命讃歌である「おいでお
いで」で終え、アンコールでは陽性のロード・ソン
グ「車のうた」とアカペラ・コーラスが詩情を醸し
出す「サンダル鳴らしの名人」とを束ねていく。そ
の約3時間の場面場面に今すぐ立ち戻りたいほどだ。

ホンクのソングライターである木下弦二の歌には「
身も蓋もない」や「社会のワレメちゃん」といった
現実世界へのシリアスな認識がある一方、「拡声器」
や「冬のお嬢さん」に代表される愛おしい日常のス
ケッチがある。ジョン・レノンやスティーヴィ・ワ
ンダーといった先人がそうであったように、弦二の
歌もまた社会性と日々の断片とが別個の歌として選
別されるのではなく、互いに響き合いながら、聞く
者たちの心の奥底に確かな足跡を残していく。

辛い時代だからといって、もっともらしく紋切り型
のメッセージを連呼すればいいというものではある
まい。事実私は今夜もホンクの楽しい歌に深い悲し
みを感じ、日々の描写の陰に蠢く人々の群像劇を思
った。

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by obinborn | 2015-08-02 00:59 | 東京ローカル・ホンク | Comments(0)