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9月19日の東京ローカル・ホンク

ツアー中日の東京ローカル・ホンクを19日は武蔵小山の
Againにて。約一ヶ月ぶりに接する彼らだったが、この日
もホンクの飾らない日本語のロックが心の底まで染み渡っ
た。ことさら聞き手を選ばない間口の広さが彼らにはあり、
日常をスケッチした歌詞にしろ、含蓄あるバンド・アンサ
ンブルにしろ、もはや他の追随を許さないといったところ
だ。「サンダル鳴らしの名人」のアカペラ・コーラスが終
わるとすぐさま「ハイウェイソング」になだれ込んでいく
序盤の展開からして、人力で出来ることのすべてを注ぎ込
んだ演奏にその道20年(実際はもっと)のキャリアが滲ん
でいた。終演後グループのソングライターである木下弦二
に、シリアスな世相が今後のホンクにどう影響していくか
を訊いてみたのだが、彼は直接的なメッセージソングは今
後も歌わないでしょう、と頼もしい答えが返ってきた。そ
の矜持は聞き手である私にもよく解る。何故なら彼らの楽
しい歌の背後に深い悲しみを感じるから。まるで影絵のよ
うなニュアンスをたっぷり含んだ「夏みかん」はどうだろ
う。生まれたての生命のことを親の目線で慈しんでいるよ
うなこの歌に、私たちは無邪気と喪失という両方の感情を
覚える。平易な言葉が多くの感情を伴って響き渡ってくる
さざ波のことを思う。

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by obinborn | 2015-09-20 00:16 | 東京ローカル・ホンク | Comments(0)  

安保法案と私

安保法案が19日未明成立した。予想していたこととはいえ
苦み走った気持ばかりが残る。多くはこれまでも語ってき
たので繰り返さないが、日本は今後いつでも戦争出来る国
になる。何も明日からすぐにという話ではないが、法案は
国際情勢次第でじわじわと未来に影を落としていくだろう。
ただ反対派にも反省すべき点はある。違憲状態でのゴリ押
し解釈という”イリーガル”があったことは大問題であるし、
今後すぐ検証されなければならないが、本来の安保法案と
は来るべき時代、激変する国際情勢のなかで新しい安全保
証の環境を築かなければ、というのがスタート地点だった
はず。そうした安保法案を”戦争法案”と強引に翻訳するこ
とで一般の人々をかえって困惑させてしまった感は否めない。
デモに関しても”俺たちがいつも正しく、オマエらは常に間
違っている”と言わんばかりの二分法がまかり通っていたこ
とを残念に思う。いずれにせよ振り返ってみれば国民の無
関心が今日の安倍政権の暴走を招いた。21世紀の日本でこ
のような暗黒社会が出現するとは私も思っていなかったが、
いかにも脇が甘かった。所詮「この程度の国民にこの程度
の首相」なのだ。これまでの信条に背くようだが、場合に
よって今後私はデモに参加するかもしれない。ただしそれ
は特定の団体との連携ではなく、あくまで個人としての意
見表明のためであり、ときに既存団体との軋轢も十分予想
される。たった一人の戦いとはとどのつまりそういうこと
だから。
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by obinborn | 2015-09-19 14:42 | one day i walk | Comments(0)  

9月12日のロンサム・ストリングスと中村まり

2011年の夏に名作『Folklole Session』を生み出したロンサム
・ストリングスと中村まりが久し振りに再会したライブを12
日は吉祥寺のMANDALA2にてとことん堪能した。中村は日頃
から共演者ごとに様々な音楽地図を描いていくのだが、ロンサ
ムと合体した時の音空間は一種独特であり、深い陰影を湛えた
この夜のサウンドスケープには息を吞むばかりだった。オープ
ニングはまずロンサムのみでSnow QueenとDeja Vuが束ねられ、
エフェクターを駆使した桜井芳樹のエレクトリック・ギターが
ジョー・ヘンリーやT・ボーン・バーネットにも通じる音響を醸
し出していく。3曲めでようやく中村が加わりカーター・ファミ
リーのLonesome For Youが歌われる。いわば中村まりのルーツ
音楽探訪を腕達者なロンサムの4人が手助けしながら、現代的に
アップ・トゥ・デイトしていくといったところだ。名盤『Folkl
ore Session』とその副産物的な『Afterthoughts』からの楽曲を
中心に据えながらも、カーレン・ダルトンのウッドストック・
アルバムでも馴染み深いスコットランド・チューンKatie Cruel
を初披露するなど新しい収穫もあった。カーレンに倣ってこの
日の中村もバンジョーとともに歌い始めたが、それがいつの間
にか音数を増し、強力なアンサンブルへと化けていく部分にロ
ンサムの面々の実力を感じずにはいられなかった。桜井のギタ
ーが効果を上げながらも後半ブズーキへと持ち替え多彩な音色
を繰り出すBound To Fallなどまさに出色であり、きっとブリュ
ーワー&シップレイもスティーヴン・スティルスも悔しがるに
違いない。ただ個人的な感覚としては、MCがやや冗長で曲と
曲との自然な流れを断ち切ってしまっていたことを残念に思う。           優れた演奏家たちによる素晴しい連携の連続だっただけに、そ
の点のみが惜しまれる。

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by obinborn | 2015-09-13 00:56 | 中村まり | Comments(2)  

9月9日のハニークッキーズ

9日は久し振りにハニークッキーズのライブを池袋のフリー
フロウにて。確か前回見た時が彼らの新作“WHERE IS MY H
ONEY?"のレコ発記念時だったから、およそ一年ぶりになる。
その間にこのブルーグラス〜ウェスタン・スウィング・トリ
オはRitukoのスネア・ドラムを加えていたのだが、隙間を持
たせたアンサンブルを失うことなくメリハリを加えた演奏が
冴え渡っていた。とくにHOT RED MAMAなどリズミックな
曲ではSatomiのスラップ・ベースも相俟って熱量がたっぷり。
Freight Trainに始まりアンコールはMy Blue Heavenで締める
など演目は広範なアメリカーナにオリジナル曲を交えていく
といった塩梅で、フロントの三人それぞれがリードパートを
歌い、なお染み渡るようなコーラスを取ることが出来るのも
クッキーズの強みだろう。オヤジを泣かせるジョン・ハート
フォードのナンバーを2曲も加えるなどマニアックな要素も
あったのだが、老獪さより若葉の季節のような瑞々しい気持
がダイレクトに飛び込んでくるのが嬉しい。幾多のセッショ
ンで活躍するHiromuのフィドルとYousukeのギターの腕前と
音色にも唸らされた。新しい世代によるルーツ音楽再発見と
いった御託ではなく、クッキーズの四人がともに演奏する喜
びを見出している。音楽が鼓動とともに動き出してくる。そ
んなあまりに素敵な夜だった。

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by obinborn | 2015-09-10 00:28 | one day i walk | Comments(0)  

OBIN TALKS HIMSELF

佐野元春の『COYOTE』が発売されたのが07年の春でした
から、あれからもう8年ちょっと。歳月が経つのは本当に早
いですね。子供の頃は例えば夏休みに近所でキャッチボール
をしていても、学校のプールで泳いでいても、一日がずっと
長く続いていくような感覚がありました。ところが大人にな
り、しかも人生の半分以上を超えてしまうと、誰もが未来は
けっして永劫ではないことを次第に理解していきます。アル
バム『COYOTE』はそんな中年男を主人公に見立て、息苦し
い世の中を歩いていくというストーリー。その感覚は大震災
後にリリースされた『ZOOEY』にも、今年の『BLOOD MO
ON』にも引き継がれていているように思えます。だからぼ
くは勝手に”コヨーテ三部作”と呼んでいるんです(笑)

この8年でぼくを襲った感覚は、一見自由そうに見える世界
でも実際は不自由に捕われているんだな、といったものです。
90年代に推し進められた市場原理主義がそうであったし、原
発に依存してきた社会がひっくり返った現実がそうであった
し、あるいは戦後70年経った日本の民主主義という理念がそ
れほど盤石なものではなかったという苦み走った認識です。
それぞれの説明については省略しますが、あとひとつ挙げる
とすればソーシャル・ネットワークが両刃の剣だと実感した
ことも大きい。我々は今日もこうして顔馴染みの人や、そう
でない見ず知らずの人と”交信”しているわけで、そこで生じ
る誤解や不寛容に関してはもっと自覚したほうがいいと思い
ます。勿論これはぼくの方こそ相手に傷を負わせているのか
もしれない、という前提に立っているのですが。

でも一番衝撃的だったのは、原発事故後ぼくが”原発推進派”
のレッテルを張られたことでした。自分はただ「東電を解
体せよ!」といったワンイシューに疑問を抱き、もう少し
文明論として原子力を享受してきた私たちに自省を向けよ
う!と主張したのですが、それがネット空間では熟考され
ることなく、小尾=推進派という恐るべき図式がたやすく
成立してしまうんです。その音頭を取った人や、そこに「
いいね!」ボタンを押した人たちをいつまでも憎むつもり
はないけれど、結果として心のシコリになってしまった。
これは事実です。ある意味ネットという密室では辛抱強く
ディスカッションを重ねることより、「お前が敵なんだ!」
と標的を定めて、自分のカタルシスを得るような回路のほ
うがずっと楽なんです。そこには自問を深めるといったデ
ィレクションは一切存在しません。まして責任なんて誰も
負わなくっていい。時事的なことで言わせて頂ければ、オ
リンピックのエンブレム問題もそうです。誰もがデザイナ
ーに石を投げ、口汚く罵り、そのくせ自分だけは安全圏に
いると思い込んだまま。少なくともぼくが描いた未来図は
そうした薄暗いものではなかった。

市場原理主義、大震災、そして民主主義の熔解。この8年を
三つの命題として大雑把にまとめるとそんな感じですかね。
その年月を大した怪我もせず、病に冒されることもなくぼ
くは自分の日常を暮らしてきました。そうした平穏がいつ
何時決壊し、失われてしまうかは誰にも解りませんが、出
来れば、もう少し平和な日々を慈しんでいたいと思ってい
ます。

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by obinborn | 2015-09-04 13:18 | one day i walk | Comments(0)