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1月最後の土曜は渋谷でブルーアイド・ソウルのDJでした。

30日は渋谷のBAR FACEでブルーアイド・ソウル特集のDJ
でした。悪天候のなか来てくださった方々、ナイスなセレク
ター諸氏、素晴しい歌唱でフロアを湧かせてくれたLemonさ
ん、オーガナイザーの堀池さん、店主の鈴木さん、ありがと
うございました。大盛況でしたね。やはりみんなでワイワイ
やりながら聴く音楽は生き物!そんなことをビシバシと感じ
まくった土曜の夜でした。以下私のプレイリストです。

JULIE DRISCOLL&BRIAN AUGER/ISOLA NATALE
FULL MOON/NEED YOUR LOVE
YOUNG RASCALS/WHAT IS THE REASON
SOUL SURVIVORS/EXPRESSWAY TO YOUR HEART
HUMMINGBIRD/SPIRIT
JOSE FELICIANO/GOING TO CHICAGO BLUES
CAROLE KING/RASPBERRY JAM
JAMES TAYLOR/YOUR SMILING FACE(きみの微笑み)

なお個人的なことで大変恐縮なのですが、この日私の家族に
悲しい知らせが届きました。しばらくその対応と供養に追わ
れる日々が続くと思います。どうかご了承ください(小尾)

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by obinborn | 2016-01-31 01:20 | one day i walk | Comments(0)  

ポール・カントナーと「木の舟」

ポール・カントナーの訃報に接して反射的に思い浮かべたのが
Wooden Ships(木の舟)だった。ジェファーソン・エアプレイ
ンが69年にリリースしたアルバム『ヴォランティアーズ』に
収録されたこの曲は終末思想を歌ったもので、この汚染された
地球を離れ僕たちは木の舟で旅立とうといった内容になってい
る。いかにも当時のヒッピーらしい願望が夢幻的なサウンドと
もに奏でられ、カントナー、スリック、バリンと入れ替わるヴ
ォーカルも曲の表情を豊かにしたが、選民的な現実逃避ではな
いか?という批判もあり、ジャクソン・ブラウンが同曲に反発
して「For Everyman」を書き上げたことは広く知られている。
実際筆者がジャクソンにインタヴューした時も、彼はヒッピー
的なコミュニズムに懐疑の念を抱き、もっと現実を見つめなき
ゃいけない、しっかり社会に目を向けよう!とひどく真剣に語
っていた。カントナー、クロスビー、スティルスの三人が共作
したこの「木の舟」は一般的にはCS&Nのヴァージョンのほう
で親しまれているだろうか。少し気になって『CS&N』のアル
バムを取り出してみたら、カントナーの名前がクレジットされ
ず、単にクロスビー=スティルスのみの表記になっていて驚い
てしまった。些細なことかもしれないが、こんな点にもヒッピ
ー的な夢と音楽ビジネスという現実との落差が現われているよ
うで心が痛い。個人的にはジェファーソン自体よりは離脱組で
あるキャサディとコウコネンによるホット・ツナに肩入れして
いたのでカントナーはあまり意識していなかった。それでもス
リックとともにジェファーソンを旗揚げしたカントナーの退場
に寂しさを覚えずにはいられない。筆者がリアルタイムで接し
たのはスターシップと改名してから。スターシップに関しては
どんどん産業ロック的な音作りになってしまったが、75年の
『レッド・オクトパス』や76年の『星船〜スピットファイア』
辺りはまだ往年のシスコ・サウンドらしい自由な気風、おおら
かなノリ、音楽で結ばれた友情のようなものがあり、本当によ
く聞いたものだった。そうそう、映画『オルタモントの悲劇』
で暴徒化するヘルス・エンジェルズを必死になだめようとして
いたのはカントナーではなかっただろうか。そんなことを突然
思い出したら涙がこぼれてきた。


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by obinborn | 2016-01-29 15:06 | rock'n roll | Comments(0)  

ジェシ・ウィンチェスター覚え書き

以前レコ屋のリコメンド欄にジェシ・ウィンチェスターが
カナダ出身のSSW〜と書かれており呆れてしまった。ジェ
シはルイジアナに生まれメンフィスで育ち音楽活動を始め
たが、ヴェトナム戦争の徴兵を拒否した理由で国外に追放
されカナダのトロント周辺で長らく逃亡生活をしていたの
である。そんなある日教会で歌っていたジェシを見て声を
掛けたのがザ・バンドのロビー・ロバートソンだったとい
うわけ。ファースト・アルバムがまるで指名手配の”お尋ね
者”のようなジャケットになったのはジェシ精一杯の皮肉で
あった。その後も長らくカナダで音楽活動を続けた彼だが、
77年ジミー・カーター大統領の特赦によって、やっと故郷
アメリカに帰ることが許された。ジェシの心中は一体どの
ようなものだったろう。以降はレコーディングもナッシュ
ビルのクアドロフォニック・スタジオを使ったり、ウィリ
ー・ミッチェルの制作下メンフィスのロイヤル・レコーデ
ィング・スタジオでハイ・サウンドにアプローチするなど、
その音楽はずっと柔らかいものとなった。私はむしろ77年
以降のジェシを積極的に評価しているくらいだ。ソングラ
イターとしていかに彼が優れているかは、イアン・マシュ
ーズが「ビロシキ」を、エミルー・ハリスが「デフィニン
グ・グレヴィティ」を、ニコレッタ・ラーソンが「ルンバ
・マン(ガール)」を、マイク・フィニガンが「ミシシッ
ピ・ユー・ワー・オン・マイ・マインド」を取り上げたこ
とでも証明済みだ。個人的なことで申し訳ないが、ライナ
ーノーツも『ジェシ・ウィンチェスター』(ワーナー)と
『ラヴ・フィリング・ステイション』(芽瑠璃堂)の2枚
を書かせて頂いた。ばっちり気合いを入れて書いたのでも
しよろしければ読んでみてください。そのライナーで私が
書いたのはジェシのキャリアばかりでなく、彼と同時代を
生きたアメリカの小説家ティム・オブライエンのことだっ
た。オブライエンの代表作『本当の戦争の話をしよう』で
彼が告白しているように、オブライエンもまたジェシと同
じく徴兵を逃れて国外追放された経歴を持つ。従って触れ
ないわけにはいかなかったのであった。そんなジェシであ
るが、癌のため2014年に亡くなってしまった。挙げた音源
は彼の遺作から。晩年には愛情に満ちたトリビュート・ア
ルバムが作られ、またその印税が彼の医療費に当てられた
が、私たちファンの願いは叶わなかった。この「今ぼくた
ちが持っているすべて」を耳にしていると、かつて厳しい
逃亡生活を送った者が歳月を経て、春風のように優しい眼
を宿しているのが解るだろう。最後にオブライエンの言葉
を引用する「かつて私はコーラとビーンズとベースボール
を愛するごく平凡な少年だった。ごく普通に青年期を送り、
ガールフレンドを得て日曜日の夕方には近所の野原を散歩
するまっとうな人生を望んでいた。しかしある日突然、そ
の機会はヴェトナム・ウォーとともに奪われてしまった」


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by obinborn | 2016-01-28 17:46 | Comments(0)  

さらば、書泉グランデ

昨日書泉グランデの問題点を指摘したら、それなりの人数の
賛同を得ることが出来た。むろんオレと違う考え方の人や関
心のない人やあえて抵触しない人たちもいるのだろうが、か
つてはスルー出来た問題が今現在では社会のすぐ側でオレた
ちの足元を揺さぶっていることは覚えておいたほうがいいだ
ろう。そこで諦観を決め込むことは選挙に行かない無関心層
と同じで、ここにある現実を容認してると受け取られても仕
方ない。ごくたまに「オマエは音楽評論家なのだから音楽の
ことだけを書け!」と言う人がいるのだが、冗談じゃない。
オレは音楽評論家である前に、きちんと税金を収めている社
会の構成者の一人だ。そういう意味ではオレが実際に知って
いるミュージシャンが三人賛同してくれたのはとくに心強い。
その意識を自身の音楽に反映させるかどうかは個々によって
アプローチは勿論違う。ただもうこの時代に「音楽と社会問
題とは関係ない」とする見方はあまりにナイーヴ過ぎるので
はないだろうか。これからあとどの位自分が現役で社会と関
われるのかは解らないが、一定の団体に所属する形ではなく、
個人の思いとしてオレは物を言っていこう。ボウイの77年作
『ロウ』はオレが浪人していた18歳の時に最もよく聞いたア
ルバムだ。こうした鋭い音楽を若いうちに聞いておいて良か
った。むろん書泉の事件とボウイとは直接関係しないが、オ
レのなかにくすぶっているものを今なおはっきり思い起こさ
せてくれる。

註:書泉グランデ問題
シリア難民を揶揄し「難民になって金を貰おう!」など極端
な排外主義を掲げる漫画家はすみとしこ氏のトーク&サイン
会を2月に書泉グランデが行う予定だったが、批判が殺到し
1月27日にイベントの中止が伝えられた。


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by obinborn | 2016-01-28 10:27 | Comments(0)  

James Taylor 『Never Die Young』

88年にリリースされた『Never Die Young』はジェイムズ・
テイラーにとって通算12作めのアルバムにあたる。ツアー
をともにするキーボードの名手ドン・グロニックをプロデ
ュースに迎えた初めてのアルバムであり、従来パートナー
の多くを務めたピーター・アッシャーとの違いが注目される
結果となった。一聴して解るのはアッシャーのプロデュース
が基本的に骨太なバンド・サウンドを重視していたのに対し、
グロニックは自身のキーボードを中心としたスコア・ライク
なアレンジへと舵を切ったことだ。優れた鍵盤奏者は自覚的
なベーシスト同様、”裏メロ”を綺麗に拾い上げつつ弾くこと
に長けているが、そんな美点の極致は表題曲のNever Die
YoungとHome By Another Dayに聞き出せる。浮遊感のある
キーボードといえば80年代にありがちだった威圧的なそれを
思い浮かべる方もいらっしゃるだろう。しかしグロニックの
場合はきっとバンドリーダーという自覚があったに違いない。
丁寧に裏メロを生かし、コーラス隊も含めた和声を徹底的に
考え抜いた編曲に閃きを感じずにはいられない。またブルー
グラス界の名フィドラーであるマーク・オーコナーを2曲で
起用するなど、近年のJ.Tに顕著なアメリカーナ回帰への伏線
もある。このアルバムがリリースされた80年代後半には筆者
の周りでもジェイムズを話題にする人はもはや皆無に近かっ
た。それどころか彼の存在を揶揄するような”進歩人"まで大手
を振って歩いているほどだった。時代に流されたのはどちらだ
っただろう?真冬のような試練に耐えながらも自分自身の歩み
を信じ、歌を紡いでいったのはどちらの側だろう?そんなこと
を『Never Die Young』は今日もしっかりと問い掛けてくる。

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by obinborn | 2016-01-26 18:28 | one day i walk | Comments(0)  

木下弦二『natural fool』

木下弦二はいつも二つのことを強調する。一つはロック的な
価値観から離れてみて初めて自分の音楽が見えてきたこと。
もうひとつは彼にとって歌は自分の目で見る”窓”であること
だ。最初は誰もが洋楽の模倣から何らかの音楽活動を始める
のだろうが、そんな無邪気な日々はいつまでも長く続かない。
借り物の表現にはおのずと限界があり、歌の作り手たちはそ
こで壁にぶつかるからだ。この8年あまり木下弦二のステージ
やオフに触れてきて、今ぼくが思い起こすのはそんな彼の言
動である。弦二はこんな風に述懐する「ある日突然気が付い
たんです。ロック的なカッコ良さを求めていた自分は何てカ
ッコ悪いんだろうって」

そんな木下弦二にとって初めてのソロ・アルバムが『natural
fool』(2016年2月発売)だ。自分という窓から歌をスケッチ
しているという意味でも、飾らない言葉がすくっとこちらの胸
に降りてくる。起承転結のあるドラマやら暑苦しいメッセージ
やらを押し付けるのではなく、彼は歌という”窓”を借りて問い
掛ける「想像してごらん」と。歌われる言葉は簡素だが奥行き
があり、聞き手が重ねた歳月や経験によって幾多の色を自由に
塗っていける余白を残している。また優れた共演者たちが弦二
の介在役となることで一曲のなかで遠近法が可能になり、歌に
静かなケメストリーが生まれた。そのことを祝したい。

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by obinborn | 2016-01-25 19:27 | 東京ローカル・ホンク | Comments(0)  

ティム・ハーディンの寂しい死

ジョン・レノンが射殺された80年の12月は彼の死を悼む記事
で溢れ返ったが、ちょうど同じ頃あまり話題になることもな
くひっそりとドラッグ渦の果てに亡くなったのがティム・ハ
ーディンだった。60年代半ばにニュー・フォークの旗手とし
てデビューした彼は、次第にグリニッチ・ヴィレッジのシー
ンでボブ・ディランやフィル・オクスと並ぶ人気者になった
が、公民権運動の高まりやヴェトナム戦争への反対といった
潮流を受けて、当時ディランやオクスがプロテスト・ソング
に価値を見出していたのに対し、ハーディンはあくまで個人
的な体験に基ずく愛と失意を歌う動機にしたものだった。彼
の代表作「イフ・アイ・ワー・カーペンター」にしても、「
もしぼくがしがない大工だったとしても、きみはぼくと結婚
してくれるかい?」という歌詞を震えるようなヴォイスで歌
った。世間体や名誉欲とはまるで違うピュアな気持を恋人に
託した。

そんなところにティム・ハーディンの新しさがあったのだと
思う。「私たちはこう主張する」ではなく「ぼくはこう思う」
言葉にしてみれば些細な違いに過ぎないのかもしれないが、
作者が歌に向かう心映えとしてはまったく異なる感情の襞が
そこにあった。ボルティモアからやって来たレディとして、
ハーディンは恋人のスーザンを讃え、彼女がダミアンという
新しい生命を身籠ったことを『ティム・ハーディン2』のジャ
ケットで伝えるほどだった。しかしながらそんな幸せは長く
続かなかった。ある意味スーザンとの別離がハーディンのそ
の後の人生を規定したとも言えよう。その作風はアルバムを
重ねるごと耽美的になった。ジャズの秘めやかな語法をより
多く用いるようになった。自作にこだわらなかった『ペイン
ンテッド・ヘッド』(72年)というカバー集であっても、ピー
ト・ハムによるバッドフィンガーの「ミッドナイト・カラー」
は誰よりもハーディンの孤独を映し出した。遠く離れれば離
れるほど、真夜中になればなるほど、ハーディンは今ここに
いない人に想いを巡らせたのだろう。

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by obinborn | 2016-01-22 17:57 | one day i walk | Comments(1)  

追悼:グレン・フライ

「最初にアラバマを訪れたのは71年。ぼくはエディ・ヒントン
からギターの手ほどきを受けた。それはボビー・ウーマック風
の中国的リックと呼ばれるフレーズだった。尊厳溢れる体験だ
ったよ。だからこの曲ではぼく自身がそのギターを弾いてみた」
グレン・フライのI Found Somebodyにはそんなエピソードが
添えられている。彼が現在来日中のジャック・テンプチンとと
もに書き上げた曲だ。そのフライが18日合併症のためニューヨ
ークの病院で亡くなった。67歳だった。

デトロイトに生まれた彼はいつしかロスアンジェルスを目指し、
ジョン・デヴィッド・サウザーとともにロングブランチ・ペニ
ーホイッスルを69年に結成。これがプロとしての第一歩だった。
日々トゥルヴァドール・クラブなどで切磋琢磨していたフライ
はやがてドン・ヘンリーと出会い、彼らはリンダ・ロンシュタ
ドのバック・バンドを務めながら何とか食い繋いだ。やがて互
いを刺激し合う仲となった二人はソングライティングのコンビ
を組む。これがイーグルズの始まりだった。以降彼らが70年
代の西海岸ロックを支える大きな潮流となったことは言うまで
もないだろう。楽天的なヒッピーを気取ったTake It Easyや、
恋人と一夜を過ごすPeaceful Easy Feelingといった初期の代表
曲に、青年期ならではの不安や焦燥が同居していたことを覚え
ておきたい。そんな部分に人々は共感を寄せていった。かつて
ヘンリーは「CSN&Yが俺たち唯一の希望だった」と述懐してい
たが、CSN&Yが解散してからのカリフォルニアのロック・シー
ンを牽引したのはイーグルズに他ならなかった。73年のセカン
ド『ならず者』を西部劇仕立てのコンセプト・アルバムにした
ことも話題になった。作品では無法者ドゥーリン・ダルトンの
生涯が描かれていたが、それがロック・スターという危い職業
に就いている彼らと二重写しになっていたことに抜き差しなら
ない意味があった。また76年作『ホテル・カリフォルニア』の
表題曲では「69年以来そのスピリットは切れたままです」と魂
の不在を嘆き、「駆け足の人生」では現代人の享楽的な生活を
戒めた。

そんなピュアな精神を持っていた彼らだけに、90年代に再結成
してからはまるで産業ロックの偶像のように変容してしまった
のは大きな皮肉だった。いや、そこまで言わなくとも、バンド
の音楽性に幅を持たせたドン・フェルダーを解雇するなど、近
年のフライ/ヘンリーの言動に傷付いた古くからのファンは少な
くない。それはビートルズの昔からSMAPの現在に至るまで、
仲間と始めた楽しいことがビジネスや人間関係とともに異なる
様相を呈してくる苦々しい現実だった。いいコンビだったと思
う。大抵の場合はドン・ヘンリーが思索的な詩人となり音楽に
深みを与えた。もう一方のグレン・フライは陽気なハンサム・
ガイを演じながら「気楽に行こうよ」と呼びかけた。その両軸
がうまく噛み合っていた。仲間たちがそれを支え、テキーラ・
サーキットと呼ばれる豊潤な音楽シーンが形成された。彼らの
歌やハーモニーはローレル・キャニオンに響き渡った。もうあ
の若葉のような季節は戻ってこない。

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by obinborn | 2016-01-19 13:44 | rock'n roll | Comments(1)  

音と見識

13日の朝刊で巻上公一さんが的確なボウイ評を書かれていて
救われた。他の方が自分の仕事との関係からどうしてもボウ
イとの交遊を披瀝してしまう(それも仕方ないけど)のに対
し、巻上さんはミュージシャンとしての観点から冷静に洞察
されていたのが印象的だ。ボウイへの評価は様々あるだろう
が、巻上さんが自分の直截的な感情吐露ではなく、虚構のな
かで物事の屈折率を変えたとの旨を指摘されたことは、ぼく
も極めて重要だと考える。シンガー・ソングライターという
自作自演歌手の場合、とかく彼や彼女が作った歌世界が当人
の個人史を反映したものだと思われがちだが、ボウイはそう
した私的なソングライトを避け、その時々で様々なペルソナ
を立てた。宇宙から地球に落ちて来た男を演じるという初期
のSF的な設定を始め、ベルリンの冷たい壁に立ち尽くす思索
的な男、ファンクのリズムを求めてアメリカを横断する男な
ど、時代時代でボウイは”古い服を脱ぐように”次々と新しいキ
ャラクターを演じたのだった。個人的にはダンス・ミュージッ
ク度が高くなった『レッツ・ダンス』以降は彼への興味をなく
してしまったが、やはり『ロウ』や『ヒーローズ』までのボウ
イは革新的だったと思う。また意外と語られないのだが、ソウ
ル・ミュージックに接近した『ヤング・アメリカンズ』や『ス
テイション・トゥ・ステイション』ではヴォーカリストとして
の魅力が炸裂。その音域の広さに驚いたものだった。この時期
の作品はボウイにいつまでもグラム・ロックのイメージを求め
るファンから反発されたが、過去の自分の肖像を大胆に塗り替
えていく手法が彼らしい。またカヴァー集の『ピンナップス』
ではプリティ・シングス「ロザンヌ」ゼム「ヒア・カムズ・ザ
・ナイト」ザ・フー「アイ・キャント・エクスプレイン」など
英国のビート曲を楽しませてくれた。ここら辺に音楽好きとし
ての彼の本音が見え隠れしているのではないだろうか。訃報に
接して涙は出てこなかった。きっと近年の彼を無視し続けてき
た自分への罪悪感も関係しているのだろう。だからぼくは彼を
追悼しない。たまたま地球に落ちてきた男が様々なペルソナと
なって私たち(孤独、群衆心理、未来への恐れなどが私たち)
を啓発し続け、物事を違う側面から見るように促し、今再び
宇宙へと帰っていった。その軌跡は恒久の星のように今も燦然
と煌めいている。

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by obinborn | 2016-01-13 13:58 | rock'n roll | Comments(0)  

久し振りにジミ・ヘンドリクスを聞いた

最初にヘンドリクスのLPを購入したのは私が高校を卒業した
76年の春のことで、そのアルバムは彼の最終作『クライ・オ
ブ・ラヴ』だった。次に買ったのがサウンドトラック盤の『
天才ジミ・ヘンドリクスの生涯』だった。これは当時新譜と
して発売されたニール・ヤングの『ラスト・ネヴァー・スリ
ープス』と一緒に買ったから、多分79年頃のことだったと思
う。その帰り道にマルチ商法のセールスマンに声を掛けられ
無理矢理車のなかで説明を受けたことまで覚えている(あの
時逃げ出さなかったら私は道を間違えただろう)この『生涯』
は73年にワーナー・パイオニアから日本盤も発売された2枚
組だったが、以降廉価版としてリイシューされ私はそちらの
方を求めたのだった。映画のほうは今もって未見だが、音源
自体はヘンドリクスのキャリアをてっとり早く把握出来るも
ので、67年のモンタリーからHEY JOE、ROCK ME BABY、
LIKE A ROLLING STONE、WILD THINGの4曲、70年のバー
クレーからJOHNNY B GOODEとPURPLE HAZEの2曲、69
年のウッドストックからTHE STAR SPANGLED BANNER、
70年のワイト島からMACHINE GUN、RED HOUSE、IN FR
OM THE STORMの3曲、69年のフィルモア・イーストから
MACHINE GUNの別ヴァージョンが選曲されている。いずれ
も各地でのライヴで統一されているのが素晴しい。その上で
ヘンドリクスが67年のロンドンでスタジオ録音したギターの
弾き語りHERE MY TRAIN-A COMIN'と、サントラらしくイ
ンタヴューも収録されている。金のない(今もだけど)青年
にとってこのアルバムは宝物に違いなかった。音楽的なこと
を書いておこう。やはりとくにMACHINE GUNの2ヴァージ
ョンが際立っている。彼はプロとしてデビューする以前アメ
リカ陸軍のパラシュート部隊に属していたが、それがヴェト
ナム戦争で実践される恐れのようなものを感じ取っていたの
だろう。この曲を聴くと今でも空から落下していく時の、ぞ
っと身がよだつような恐怖を感じる。歌詞も付いているが、
言葉以上にエレクトリック・ギターの生々しい音でそうした
複雑な感情を描いたところにきっと価値がある。例の半音上
がり下がりのフレーズでの模写がそれを雄弁に物語っていて、
「戦争はいけません」なんていう美辞麗句以上の体験を聞き
手である私たちに促すかのようだ。今現在では遺族の意向に
よりヘンドリクスのスタジオ・アルバムが整理され、またラ
イヴ音源に関しても価値ある発掘が為された。その一方でか
つて発売されていた『クラッシュ・ランディング』など幾つ
かのアルバムが市場から抹殺されてしまったことが残念でな
らない。この『天才ジミ・ヘンドリクスの生涯』もまたそん
な一枚だ。どんなにリマスターされいい音になったとしても、
青年期に接したジミヘン体験には代えられない。そんなこと
を思いながら聴くこの『生涯』は格別だ。かつてはギターを
中心に堪能していた11分越えのブルーズ・ナンバーRED HO
USEだが、彼がヴォーカルと対となりながらギターを奏でて
いたことが今の私にはよく解る。

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by obinborn | 2016-01-09 18:46 | rock'n roll | Comments(0)