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ボブ・ディラン『FALLEN ANGELS』

ボブ・ディランの新作『FALLEN ANGELS』は、またしても
古き佳き時代のポピュラー・ソング集となった。フランク・
シナトラのYoung At Heart、ホーギー・カーマイケルのSkyl
ark、ミルス・ブラザーズのNeverthelessといった楽曲を、
ディランは抑制された声で淡々と歌っている。古くは60年代
から自作にこだわらずエヴァリー・ブラザーズやエルヴィス・
プレスリーの持ち歌を取り上げてきた人なので驚くに値しな
いが、自分の背景となった広範なアメリカ音楽への想いが近
年一層強まってきたとは言えるだろう。もう少し広く見れば
自身のアーカイブ音源を積極的に供給するなど、人生の総ま
とめに入っている印象だ。

今回のカバー集の価値は、華美なオーケストレーションを排
して、クィンテット編成のスモール・コンボに音楽を翻訳し
直した点にあると思う。無駄な音がない代りに隙間があり、
その沈黙のなかに歌を感じるようなニュアンスがたっぷり。
バンドもべースのトニー・ガニエやギターのチャーリー・セ
クストンとスチュ・キンボールをはじめとして、近年のツア
ーでおなじみの顔ぶれだけに演奏は親密さに満たされている。
とくにドニー・ヘロンのペダル・スティールが効果的で、こ
の楽器がストリングスの代りになっているのかもしれない。
そして一拍のタメが深いウッドベースの響きが底辺をしっか
り支えている。

ところで、ぼくがディランを聞き始めた70年代には、彼は別
れた妻への未練がましい歌など幾つかの私的なラブソングを
歌っていた。曲によっては抽象詞やカットアップの手法を用
いた難解な歌があったものの、誰の代弁者でもアイコンでも
なく個人的な歌を歌うディランに好感を抱いた。だから今回
の気負わない『FALLEN ANGELS』も好きになりそう。多く
を背負わされ過ぎてきた人が、旅の途中でふと荷物を下ろし
た時、聴こえてきたのは大衆歌(ポピュラー・ソング)だっ
た。

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by obinborn | 2016-04-29 07:18 | one day i walk | Comments(0)  

私は明日もきっとその人の名を呼ぶだろう、ウィルコ!と。


川越のパブロック・ナイトは熱狂だった。私より遥かに若い
娘さんたちが、LPやシングルでパイレーツやブリンズリーや
エディ&ザ・ホットロッズなどを回していたのだから、思わ
ず頬が緩んでしまった(笑)やはりミッシェルガン・エレファ
ントの影響でこういう音楽に目覚めた世代なのだろうか?きっ
かけがどうであれ、パブロックが今なおこうして愛好されてい
る事実がもう嬉しくって。思えばシンプルなビート・ミュージ
ックやルーツ音楽は、とりたてて新しくない代りにけっして古
いわけでもない。そんな意味では間違いなく時代を超越したホ
ンモノというわけ。私が心から良いと思い、ずっと文章を書い
てきたパブロックは間違ってはいなかったのかも。

私の好きなパブロックの名盤は、勿論数え切れないほどある。
そのなかでも70年代中盤という時代背景を考慮しながら、あえ
て一枚を選ぶとしたら、私は何の迷いもなくドクター・フィー
ルグッドの『STUPIDITY』を差し出すだろう。まったくギミッ
クのない演奏と、キャンベイ・アイランド(ロンドンを挟んだ
対岸の工業とリゾートのエリア)出身の四人組ならではの、中
央に対して反抗するスピリットが見事なまでに捉えられている。
以前から音や映像で親しんできたリー・ブリローとウィルコ・
ジョンソンとの友情が感じられる良き日々だ。しかもその関係
が歳月とともに次第に綻びを見せ始め、崩壊していく様が切ない。

この『STUPIDITY』は何と76年の10月に英国のアルバム・チャ
ートで第一位に輝いた。産業化するばかりだったロック・カル
チャーに怒りを表明したこの若者たちが愛した音楽は、この盤
でカバーされた曲のシークエンスで言うと、チャック・ベリー、
ソロモン・バーク、ボ・ディドリー、ルーファス・トーマス、
コースターズ、サニーボーイ2世だった。今私が言いたいこと
はそれほど多くない。あえて言えばこうかな「ウィルコさん、
リー・ブリローが早死したぶん、黒色のテレキャスターをずっ
と鳴らし続けてください!」

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by obinborn | 2016-04-26 18:35 | rock'n roll | Comments(0)  

ギブ・ギルボーとナッシュヴィル・ウェスト

スワンプウォーターを旗揚げする以前のギブ・ギルボーの動向
としては、クラレンス・ホワイトを擁したナッシュヴィル・ウ
ェストに参加しているのが興味深い。他のメンバーはジーン・
パーソンズ(D)とウェイン・ムーア(B)二人はギブと同じく
キャスタウェイズの同僚であり、彼らがロスアンジェルズで売
れない日々を過ごしている時、ケンタッキー・カーネルズ出身
のクラレンスと意気投合したらしい。彼ら唯一のアルバムとな
った『NASHVILLE WEST』(写真)は、67年のある日エル・
モンテのクラブ、ナッシュヴィル・ウェストで行っていた彼ら
のギグをレコーディングしたもので、ほぼ10年後の78年にシエ
ラ・レコードからリリースされた。

このナッシュヴィル・ウェストの素晴しさは、フォーピースと
いう通常のロック・カルテット編成でカントリー・フィールを
実践したことだろう。ケンタッキー・カーネルズではアクース
ティック・ギターを弾いていたクラレンスだが、ここでは早く
も彼のシグネチャーとなるストリング・ベンダーをエレクトリ
ック・ギターに取り込み、ペダル・スティール的なエレメント
を発揮するほか、カーネルズ時代から顕著だったシンコペイト
感覚に磨きを掛けた。ギブ・ギルボーに話を戻せば、彼が得意
とするケイジャン・フィドルをここでは一切弾かず、サイド・
ギターに徹し、クラレンスを盛り立てている姿が印象的だ。そ
れでもギブがフランス語で歌うSWEET SUZANNAには、のち
のスワンプウォーターで全開となるルイジアナ風味が感じられ、
ギブのファンはこういう部分にこそ感じ入ってしまうのだった。

この4人組の活動はわずか一年ほどで終わってしまったが、そ
の後クラレンスとジーンはザ・バーズへと合流し、このフォー
ク・ロック・グループの音楽地図を大きく塗り替えていく。何
しろザ・バーズにはその名もNASHVILLE WESTというインスト
曲が残されているくらいだ。そんな意味でもこの短命に終わっ
た四人組が残したものは少なくないだろう。先日惜しくも亡く
なってしまったマール・ハガードのSING ME BACK HOMEを
取り上げ、ベイカーズフィールド・カントリーに敬意を表する
ばかりか、ジミー・ウェブのBY THE TIME I GET TO THE P
HOENIXやチャック・ベリーのMEMPHISをカバーする柔軟さ
を彼らは携えていた。弾き過ぎないクラレンスのプレイとし
ても、このナッシュヴィル・ウェスト時代がベストだと思う。

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by obinborn | 2016-04-22 18:25 | one day i walk | Comments(0)  

77年5月のグレイトフル・デッド

77年のグレイトフル・デッドといえば彼らのオウン・レーベル
が破綻し、コロンビア・レコーズのクライヴ・ディヴィスが新
たに興したアリスタへと移籍し、『テラピン・ステーション』
をリリースするという転換点に立った年だった。そんな彼らは
37日間で26回のショウを行うスプリング・ツアーに繰り出し、
全米各地で昔と少しも変わらない歓迎を受けた。そのなかから
5月28日にコネチカット州のハートフォード市民会館で催され
た公演を収録したのがこの『TO TERRAPIN』であり、09年に
ライノから3枚組のCDで発売された。彼らのアーカイブ音源は
例のディックス・ピックス・シリーズを始め数え切れないほど
あるが、音質面でこの『TO TERRAPIN』は群を抜いているこ
とを特筆しておきたい。またメンバーにしてもキース&ドナ・
ゴドショウが在籍していた後半に当たり、79年からはブレンド
・ミッドランドへと交代し、キーボードの音色がモダンなもの
に変質してしまった。そんな意味でもまだ素朴だった時代のデ
ッドを捉えた最後のライブだったのかもしれない。むろんミッ
キー・ハートが復帰してツイン・ドラムス(パーカッション)
体制となったダイナミズムは健在だ。

今も熱心なデッド・ファンの間ではアリスタ・イヤーズはす
ごぶる評判が悪い。私もローウェル・ジョージがプロデュー
スした78年の『SHAKEDOWN STREET』を除けば、今では殆
ど聞かない時期なのだが、やはりライブでは彼ら本来の伸びや
かさが存分に発揮されているのが嬉しい。とくにディスク3の
ESTIMATED PROPHET>PLAYING IN THE BAND>DRUMS
>NOT FADE AWAY>WHARF RATの長尺インプロには息を
吞まずにはいられない。また楽曲単位で言えばSUGAREE での
ジェリー・ガルシアの優しい歌が終わると、すぐさまボブ・ウ
ェアが野趣溢れる声でヒッピー讃歌JACK STRAWを歌い始める
などセットリストにもしっかりとした起伏が感じられる。ご存
知の方々もいらっしゃるだろう。アルバムの主題となったTER
RAPIN組曲はウサギと亀の寓話に着想を得ている。いわば素早
く走り抜けるか、のんびりと自分の歩調で進めるか。77年と言
えばパンク・ロックが狼煙を上げた最初期であろう。そんな変
わりゆく時代のなかで、自らを亀になぞらえたデッドのことを
思うと何だか切なくなってしまう。

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by obinborn | 2016-04-20 18:18 | one day i walk | Comments(0)  

モンキービジネスの住人たちに

音楽出版に長らく携わっていると、いわゆる業界のイヤな部分
が見えてきてしまう。私が一番悪癖だなと思うのは対象アーテ
ィストのライブに足を運びもしないくせに、彼や彼女の新作に
”今が旬!”とばかり飛び付き誉めまくるというパターンで、こう
いう人達はもういい加減駆逐されて欲しい。こんなこと書くの
も私がある一定の音楽家たちのライブには誰にも負けないくら
い通っているからであり、たった一回それも”レコ発”のような
時のイベントに来ただけで、そのミュージシャンの全体像を解
った風に書かれると、ホント不愉快な気持になってしまう。む
ろん第一印象による客観的な音楽批評は必要なのかもしれない。
しかしながらそこに音楽する演者への理解がなければ、それは
単なるゴミ〜雑文であろう。そもそも私は業界的な馴れ合いが
好きでなく、そういう”どっぷりな”人達とはなるべく距離を置
いてきた。その哲学はごくシンプル。私はこう言いたい「好き
なら書くがいい。それほどでもないなら書くな!」

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by obinborn | 2016-04-18 02:20 | rock'n roll | Comments(0)  

4月15日の木下弦二

15日は木下弦二のソロ・ライブを中央林間のパラダイス本舗
にて。同店での彼の弾き語りは2ヶ月半ぶりだったが、今回
もまたパラ舗ならではのアット・ホームな雰囲気に包まれた。
発売されたばかりの初ソロ作『natural fool』から「遅刻しま
す」や「夏みかん」、覚和歌子と歌詞を共作した「夜道」を
披露するばかりか、東京ローカル・ホンクのヴァージョンが
すっかり身体に馴染んでいる「お手紙」「昼休み」「ブラッ
ク里帰り」などをソロならではの手触りで奏でていく。ある
いは自作にこだわらず、千昌夫「星影のワルツ」を輪郭のは
っきりした発声でじわりと染み込ませるのも弦二ならでは。
そのひとつひとつに彼がこれまで辿ってきた道のりが反映さ
れ、聞き手たちへと共有されていった。

驚かされたのは新曲「dark matter」のこと。弦二は生まれた
ばかりのこの歌を聴衆の前で試してみたかったのだろう。何
と彼は計3回「dark matter」を取り上げ、解らないことに向
き合っていこうとするメッセージを託していった。熱心なホ
ンク・ファンならご存知のように、あの名曲「みもふたもな
い」にも通じる問いかけや煩悶がそこにはあり、初めて聞い
たにもかかわらず筆者の心を満たした。またこの夜は中盤か
らパラ舗のマスターである藤田洋介をギターに迎え、「ザッ
ト・ラッキー・オールド・サン」や「国境の南」など夕焼け
楽団の曲を計4つとサーヴィスもたっぷり。とくに「国境の
南」でのメキシコ情緒、洋介のランドマークとなる名曲「星
くず」での甘美なフレージングとソロはまさに鳥肌モノだっ
た!

木下弦二の歌、あるいはホンクの含蓄ある演奏を聞き始めて
からもうすぐ10年近くになる。彼らはこれからもけっしてそ
の歩みを止めることはないだろう。雲がどんどん流れてく。
影がだんだん長くなる。

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by obinborn | 2016-04-16 02:00 | 東京ローカル・ホンク | Comments(2)  

1975年のニック・ロウ

「75年の3月。ぼくたちブリンズリー・シュウォーツは解散
寸前だった。あるメンバーには子供が生まれ、ツアーよりも
家族と過ごす時間を欲しがった。あの懐かしい長髪のヒッピ
ー世代は過去のものとなりつつあった。ニューウェイブの波
がそこまで押し寄せていたからね。そこでぼくは自分を老人
に見立ててPeace、Love And Understandingを書いてみたん
だ。幾つかはジュディ・シルのリックを、イントロはザ・フ
ーのBaba 0' Rileyから借用した。まるでたった一人ぽっちの
ような気持でぼくは歌ってみたのさ。平和と愛と理解のどこ
がそんなにもおかしなことなのかい?って」

ニック・ロウの回想を読むと、Peace,Love and Understandi
ngがちょっとした思い付きから生まれてきたことがよく解る。
だからこの歌をあまり大上段に構えてカバーする人たちには
ちょっと違うんじゃない?と思ってしまう。お題目としての
平和や愛を歌うのではなく、やや斜に構えたシャイな目線か
ら発せられた言葉とメロディたち。そのユーモアを湛えた響
き。それらがあるからこそ、ぼくはニック・ロウという人を
聞いてきた。たぶんこれからもずっと。

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by obinborn | 2016-04-11 21:40 | one day i walk | Comments(0)  

グレアム・ナッシュと私

グリン・ジョンズの自伝のなかでもとくに驚かされたのは、
彼がグレアム・ナッシュを敬愛していることだった。実際
ナッシュ71年のファースト・アルバム『Songs For Begine
rs』のリミックス作業をジョンズはロンドンのベーシング・
ストリートにあったアイランド・スタジオで手掛け、とか
く一本調子になりがちなナッシュの音楽に奥行きを与えて
いる。この頃にはすっかりロスアンジェルスの要人となっ
ていた彼だが、元を正せばあの懐かしいホリーズ出身。ジョ
ンズとは同じイギリス人だけに共有する背景があったのかも
しれない。

近年ではマイク・バインダー監督の映画『再会の街で〜Rei
gn Over Me』(07年)に何気なくこの『Songs』アルバム
が登場したことを記憶されている方も少なくないだろう。あ
の忌まわしい9/11事件で妻と子供を失い精神を病んでしまっ
た主人公を心配した旧友が彼を訪ね、街へ連れ出す場面では
ブルース・スプリングスティーンの「表通りに飛び出して」
が高らかに鳴り、ヴィレッジにある中古レコード店で主人公
がふと目に留めるのが、ナッシュのこのLPだった。その場面
を深読みすれば、愛と平和を掲げたウッドストック世代が遥
か彼方へと消え去り、今やシリアスな現実認識に晒されてい
る着地点を暗示するかのよう。あるいは”原点に戻ろうよ!”
といった願いだろうか。

他ならないぼく自身も、今ではもうめったに聞かないアルバ
ムである。「狂気の軍隊」と「シカゴ」にはヴェトナム・ウ
ォーに対するごくまっとうな怒りの感情が渦巻いている。「
ビー・ユアセルフ」と「スリープ・ソング」からはナッシュ
ならではの諭すような響きが夜汽車のように、南に下る列車
(サウスバウンド)のように聴こえてくる。何でも後者はセ
ックスを仄めかす内容だという理由でホリーズ時代にリリー
スを拒否され、ナッシュが自分のソングライティング能力を
を傷付けられた楽曲であった。そういえばボブ・ディランを
歌うことに勇敢な姿を示したのは、ホリーズ時代のナッシュ
に他ならない。

今こうして日曜日の夕方に『Songs For Beginers』を聞いて
いると、自分が失ってしまった感情と、今なお保持している
気持ちとの狭間に立たされる。まるで合わせ鏡のようにそん
なことを問い掛けてくるのは、ニール・ヤングの『After The
Gold Rush』とナッシュの『Beginers』だけだ。

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by obinborn | 2016-04-10 18:29 | one day i walk | Comments(0)  

グリン・ジョンズの自伝『サウンド・マン』を読んだ

グリン・ジョンズの自伝『サウンド・マン』(新井崇嗣訳/シン
コーミュージック)を読了。いやあ〜面白かった!今でこそジ
ョージ・マーチンやジェリー・ウェクスラーといったプロデュ
ーサーの書籍が出るなど、レコーディング現場に於ける裏方の
存在が一般的にも広く認識されてきたが、このジョンズもまた
彼らと並ぶ大物として語られるに相応しい人だろう。幼少期に
聖歌隊に入ったことに始まる彼の音楽体験は、やがてロニー・
ドネガンのスキッフルによって明確に方向性が示され、百貨店
で働きながらスタジオ・エンジニアへと昇格していく道のりへ
と連なっていくが、その歩みが60年代初頭の英国ロック黎明期
とぴったり重なり合っているのだから興奮させられる。とくに
イアン・スチュワートとは当時ルーム・シェアをしていたとい
うだけあって、デビュー前後のローリング・ストーンズに関す
るエピソードはたっぷり。サットンのパブでR&Bナイトを企画
しストーンズを出演させたものの、客が10人しか集まらず「彼
らに最も低額のギャラを払ったのは世界で恐らく私だろうね」
とジョンズ氏はユーモアとともに回想する。63年3月のことだ。

まだシングル盤が主流の60年代前半に於いて、LP用のレコーデ
ィング・セッションはせいぜい1回3時間で済ませるのが常識
であり、またエンジニアやプロデューサーはあくまで所属する
レコード・カンパニーの社員であることが当たり前とされてい
た。そうした業界の慣習から少しずつ抜け出し、アルバムとと
もにアーティストを育て、自らオリンピック・スタジオを拠点
にフリーランスの制作者として名を成していくジョンズ。その
代表作がザ・フーの『フーズ・ネクスト』であり、フェイシズ
の『馬の耳に念仏』であり、黄金期のストーンズ作品でのエン
ジニアリングだった。ザ・バンドが仲間割れをして『ステージ
・フライト』のミキシングをトッド・ラングレンとジョンズに
競わせたことや、『ゲット・バック・セッション』の際にビー
トルズの四人を車座にさせるよう提案したことも、本書にはし
っかり書き留められている。

恐らくエンジニア出身という経歴故だろう。ここで本人が語る
グリン・ジョンズの肖像は控えめであり、いわゆるビッグマウ
ス(大口叩き)が多い音楽業界のなかでは良くも悪くも職人肌
を感じさせる。ハウリン・ウルフをロンドンに送り込んだノー
マン・デイロンの無能さや、デヴィッド・ゲフィンの商魂逞し
さを罵る記述があるものの、その一方で『レット・イット・ビ
ー』や『レッド・ツェッペリン1』に自分のクレジットを要求
した(実際は無記名)功名心を正直に告白するなど何とも人間
的であり、けっして「俺が一番!」的な成り上がり物語にはな
っていない。例えばイーグルスとの確執に関しても、フライ=
ヘンリーが強権を発動する以前の四人のハーモニーこそに価値
があり、ランディ・マイズナーが歌う「悲しみの我ら〜Most Of
Us Are Sad」を讃える部分などに、ジョンズの繊細な感性が
浮かび上がってくる。やがてバーニー・レイドンのデュオ・プ
ロジェクトに手を差し伸べ、ジョン・ハイアットのセッション
でもレイドンを起用し続け、商業的な成功からは程遠かったも
のの、初期のギャラガー&ライルやランバート&ナッティカム
といったアクースティック・デュオを誇りに思い、ロニー・レ
インやイアン・マクレガンとの友情を最後まで育んだのがジョ
ンズその人だった。

エンジニアやプロデューサーとは何も技術ばかりが要求される
仕事ではない。ときにミュージシャンと正面からぶつかり合い
意見を戦わせるなど、泥臭い役柄も演じなければならない。
過度の飲酒で思うようにドラムを叩けなくなったキース・ムー
ンに「オレも禁煙するからきみも飲むな!」と体当たりで叱咤
する場面など、多くの人々の共感を呼ぶだろう。ベーシックな
部分では人と人とが顔を見合わせながら録音するランスルー(
完奏)に価値を見出してきた人だ。だからこそ、過度のダビン
グが施され、”0か1か”にデジタル変換されてしまう昨今の録音
現場を嘆き、インディ・カンパニーが大手に再統合されていく
業界をジョンズは憂いてみせる。単にブリティッシュ・ロック
の裏面史が覗けるというだけでなく、音楽に向き合うジョンズ
の真摯な人間ドラマがここにある。

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by obinborn | 2016-04-10 10:03 | one day i walk | Comments(0)  

かつて辿って来た以上の自由〜『サタニック・マジェスティーズ』

あまり報われることのなかった『ビトゥイーン・ザ・バトン
ズ』を経たストーンズの次なるステップが67年の暮れにリリ
ースされた『サタニック・マジェスティーズ』だった。『バ
トンズ』のベーシックな録音が西海岸のRCAスタジオでスタ
ートしつつも、最終的にはグリン・ジョンズのエンジニアリ
ングによってロンドンのオリンピック・スタジオで仕上げら
れたように、『サタニック』の録音もジョンズの元、同スタ
ジオで行われた。以降『ベガーズ』や『ブリード』といった
傑作がオリンピックで生まれたことを思えば、その基礎固め
となったアルバムという見方も出来るだろう。但し発売当時
の評価は『サージェント・ペパーズ』の物真似ではないか?
と散々たるものだった。ルーツ・ロック指向の筆者自身、長
いこと邪道だと思い込んでいたフシがある。しかし何度も丁
寧に聞き直すうちにそんな認識がいかに浅はかなものである
か解ってきたのだ。冒頭を飾るSing This All Togetherの主旋
律の最後にNow~と突如中近東的な音階が飛び出し、タブラ
が打ち鳴らされるエスニックな展開などまさに象徴的だろう。
アラブ~中近東的なアプローチとしては、Gomperのシタール
も聞き逃せない。ここら辺は同時期のジョージ・ハリソンや
ドノヴァンといった英国アーティストのみならず、デヴィッ
ド・リンドレーが在籍したサイケデリック・グループである
アメリカのカレイドスコープとも共振した”非西洋圏音楽”へ
の思いが聞き取れる。楽曲としてはやはりB面のShe's A Ra
inbowと2000 Light Years From Homeがとくに印象的だ。
89~90年のスティール・ホイールズ・ツアーで後者がリスト
に加わったことに狂喜された方も少なくないのでは?両者と
もにサマー・オブ・ラヴの時代ならではのカラフルな色合い
とスペーシーな広がりのあるサウンドが素晴しい。また隠れ
た人気曲としてはThe Lanternのフォーキーな味わい、Citad
elでのエッジの効いたギターも極上のトリップへと誘ってく
れる。前述したShe's A Rainbowは90年代にアップル・コン
ピュータのCMソングとして甦り、若いコに「誰の曲ですか
?」なんて尋ねられたっけ。その編曲はレッド・ツェッペリ
ン結成以前のジョン・ポール・ジョーンズであり、彼がミッ
キー・モストに雇われてドノヴァンの音楽を押し広げていた
ことも同時代ならではの符合であろう。全編でキラキラとし
たピアノを弾くニッキー・ホプキンスの存在も、以降暫くス
トーンズに欠かせないものとなった。英米で初めて曲目のシ
ークエンスが一致したこの『サタニック』について、ミック
・ジャガーはこんな風に回想している「ぼくたちがShe's A
RainbowとCitadelと2000 Light Years From Homeをレコー
ディングした時、かつてぼくたちが辿ってきた道のり以上の
フリーキーな精神を感じたのさ!」

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by obinborn | 2016-04-07 18:49 | rock'n roll | Comments(2)