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追悼:スコティ・ムーア

スコティ・ムーアが亡くなったことをRollingstoneのTWで
知った。84歳だった。言うまでもなく50年代のエルヴィス
をビル・ブラック(b)、D.J.フォンタナ(ds)とともに支え
たギタリストであり、ロカビリー〜ロックンロールに与え
た影響力は計りしれない。例えばジョン・フォガティやデ
イヴ・エドモンズのギター奏法ひとつ取っても、ムーアや
マール・トラヴィスやチェット・アトキンスなしには成り
立たないほどのものだった。

以前ムーアに電話インタビューしたことがある。確か90年
代に彼を囲むトリビュート・ライブがリリースされた時だ
ったと記憶する。その時「64年に出たあなたのソロ・アル
バムを持っています」と伝えたら、ムーアが「きみは熱心
なコレクターだね!アメリカ人にとってもこのレコードは
レアなんだよ」なんてお世辞を言ってくれたっけ。

ナッシュヴィル・カントリーの名プロデューサー、ビリー
・シェリル(コステロ『ALMOST BLUEも!)を迎えたそ
の『THE GUITAR THAT CHANGED THE WORLD!』は、
「ハウンド・ドッグ」や「冷たくしないで」といったエル
ヴィス縁のヒット曲をインストに翻訳したもので、まさに
ムーアが奏でるギターの色艶を堪能出来る聖典だ。

そのアルバムの裏面にはこんな記述がある「彼らは旅に出
たけどいつも傷心だった。ツアーで稼いだお金はガソリン
代に消えた。そう、エルヴィスたちはスコティのおんぼろ
車で旅をしたのさ。彼らの稼ぎは一晩65ドル。そのうち12
ドルをエルヴィスが受け取った。スコティとビルは6ドルず
つだった。やがてスコティの車が壊れると、エルヴィスが
やっと中古のリンカーンを買えたんだよ…」

そんな50年代のメンフィスの日々に思いを馳せると、どう
しようもなく感慨が押し寄せてくる。誰も歩かなかった道
を彼らは歩き、その轍には後進たちが続いていった。偉大
なるシンガーの隣では、いつも名脇役がしっかりギターを
弾いていた。その人の名はスコティ・ムーア。私はこれか
らも彼のことをけっして忘れないでしょう。今まで本当に
ありがとうございました。

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by obinborn | 2016-06-29 18:00 | rock'n roll | Comments(0)  

6月25日のイトウサチ&ブンケンバレエ団/双六亭

25日は自由が丘のマルディグラにて、イトウサチ&ブンケン
バレエ団と双六亭のツーマン・ライブを。まずはリンダ・ル
イスを彷彿させるイトウの無垢なソプラノ・ヴォイスが染み
渡る。抑揚の付け方ひとつひとつに歌詞と合致する豊かさが
あり、新井健太のウッド・ベースと、井上文貴のアクーステ
ィック・ギターが見守るように支えていく。東京ローカル・
ホンクのメンバー二人による歌心あるプレイには、ソングラ
イターとバイ・プレイヤーの最良の連携を見る思いがした。
イトウの歌世界は自分の視界に映るものを丁寧に温めていく
ものであり、その自問やスケッチする対象にはとって付けた
部分がまったくない。極めて意志的な彼女の眼力もこちらの
薄暗い心を射抜くかのよう。

対する双六亭はすっかり馴染みになったフォーピースのロッ
ク・バンドだ。個々のメンバーにはキャリアに準じた高度な
演奏力がある。それでも、彼らは精緻な地図に逆らうが如く、
ザラザラとした剥き出しの荒ぶるロック心をとても大事にす
る。そんな直感に賭けていく姿は最高の時のニール・ヤング
&クレイジー・ホースを彷彿させる。緩急と起伏に満ちた楽
曲に、メンバー全員が鋭く瞬時に反応していくミュージシャ
ンシップ。その尊さを思わずにはいられない、6月最後の土
曜日だった。

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by obinborn | 2016-06-26 04:42 | タマコの人々 | Comments(0)  

新しい世代の歌

昨日はせっかく頂いたライナーノーツ原稿の依頼を断って
しまった。当該アーティストのそのアルバムは大好きで思
い入れもあるけれど、彼が生前に残したアルバムすべてを
持っているわけではない自分には、ちょっと荷が重いなと
感じたから。やはりこういう判断は直感で決めるしかない。
ぼくを推薦してくださった業界の重鎮やレコ会社のディレ
クターには、ホント申し訳ないと思っている。

そんなモヤモヤとか薄暗い心を見透かすように中井大介は
こう歌っている「耳触りの良い言葉を並べては/これが歌だ
とすかして笑う/何処かで見かけた気はしていても/諦めた思
いで背を向ける」(雲の向こうの星)と。むろん彼がこの
ヴァースに込めた気持とぼくのそれとでは、置かれた状況
は違うことだろう。それでも、誤解を含め聞く者それぞれ
の事情に思わず当てはまっていくのが歌の素晴しさだ。

2013年に発売された中井のファースト・アルバム『nowhe
re』にその曲は収録されている。ぼくよりずっと新しい世
代の人が、きちんと自分の目で物事を見つめ、自分の言葉
と旋律で歌を携えていく。暗い夜道を照らし出す月のよう
に。故郷の町を吹き抜ける風のように。

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by obinborn | 2016-06-23 00:24 | one day i walk | Comments(0)  

追悼:ヘンリー・マッカロック

悲しいことに大好きなヘンリー・マッカロックさんが6月14日、
北アイルランドの自宅で息を引き取りました。近年は心臓発作
を起こし倒れるなど体調に不安を抱えていましたが、残念なが
らその日が訪れてしまいました。享年72歳。長年に亘るパート
ナーだったジョシー夫人に看取られ、最後の朝を迎えられたこ
とがせめてもの救いです。

地元アイルランドでスウィニーズ・メンというフォーク・グル
ープを組みキャリアをスタートさせたマッカロックは、60年代
半ばにジョー・コッカーのバンドに加入。69年の夏にはコッカ
ーとともにウッドストック・フェスティヴァルに出演しました。
いつしかコッカーの元から離れ、他のメンバー(ニール・ハ
バード、アラン・スペナー、ブルース・ロウランド)とともに
独立したマッカロックは、遂にグリース・バンドを結成。彼
らのファースト・アルバム『Grease Band』(71年)は、英国
スワンプの記念碑的な作品として今なお愛されています。グリ
ース・バンドが解散してからのマッカロックは、ポール・マッ
カートニー&ザ・ウィングスに参加。名曲「My Love」で聞か
せたギター・ソロは語り草になりました。何でもポールによれ
ば「オーケストラとのリハで、彼はすぐさまあの素晴しいソロ
を編み出したんだよ!」とか。75年にはソロ・アーティストと
して独立し、これまた名作『Mind Your Own Business』を生み
出す一方、フランキー・ミラー・バンドやロニー・レインの
ロケット69に合流し多くの信頼を勝ち得ました。以降ソロ・ア
ルバムを順調にリリースし、遺作となってしまった『Poor M
an's Moon』(09年)など、彼らしい朴訥としたヴォーカルと
ギターが年齢とともにますます味わい深くなってきた大傑作
でした。

05年の10月には待望の来日。ごくプライヴェイトな観光目的
の旅行だったみたいですが、池袋のレコード店で行われた弾
き語りのライブ&サイン会は熱心なファンたちが多数詰めかけ
る、忘れられないものとなりました。その時もしっかり「間」
があり、タメの効いたオブリガートを弾いてくれたへンリー
さん。今まで本当にありがとうございました。あなたは永遠
の一番星です。心からご冥福をお祈りします。

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by obinborn | 2016-06-15 04:16 | one day i walk | Comments(2)  

ジョン・セバスチャン「Stories We Could Tell」

ジョン・セバスチャンのバックカタログが現在どうなっている
のか気になって、amazonで検索してみたら軒並みMP3音源ば
かりで複雑な気持になった。彼に限らず、今後はこうした傾向
にますます拍車が掛かるのだろう。だが何も気にすることはな
い。ダウンローディングの音質に満足出来ない人のために中古
レコ屋さんがあるのだし、アナログ・レコード復活の兆しも嬉
しい。いたずらに状況を細かく分析するより、音楽そのものが
「こんなにもいいんだよ!」と、しっかり語り伝えていくこと
のほうが案外突破口になるのでは、と思っている。

セバスチャンにとって3作めとなる『TARZANA KID』は74年
にリリースされた。当時国内盤の発売が見送られてしまい、ぼ
くはだいぶ後になってから輸入レコードを新宿のCISCOで買っ
た。生粋のニューヨーカー〜都会っ子であり、ラヴィン・スプ
ーンフルで洗練された音楽を歌ってきた彼が、ジミー・クリフ
のSitting in the Rimboやローウェル・ジョージのDixie Chicken、
あるいはカーター・ファミリーでおなじみのWild Wood Flower
などを取り上げていることに驚かされた。むろんスプーンフル
時代から彼はブルーズやジャグなど、自国アメリカの古い音楽
に着目してきたのだが、表看板はあくまでDo You Believe In M
magic?、Daydream、Summer in the Cityといったポップ・ヒ
ットの数々だっただけに、びっくりさせられた。

アーシーな指向性を深めた頂点は、A面最後に収録されたFace
of Appalachiaだろうか。セバスチャンとローウェル・ジョージ
が手を携えながら作った楽曲であり、ローウェルがスライド・
ギターを弾き、デヴィッド・リンドリーがフィドルを奏でるそ
の演奏からは、70年代を模索していったセバスチャンの姿が
浮かび上がってくる。そういえば当時の彼には、第一期リトル
・フィートが息詰まっていたローウェルに声を掛け、フィル・
エヴァリーを誘いながら三人で新しいグループを組む計画が
あったとか。久し振りに復活したエヴァリー・ブラザーズが
セバスチャンのStories We Could Tellをアルバム・トラックと
して配したのも、まさにこの時期。三人によるそのバンドは
結局夢のままに終わってしまったが、その断片をこの『TAR
ZANA KID』に聞き取ることは可能だろう。

『TARZANA』アルバムに収録されたStories We Could Tellの
作者版では、フィル・エヴァリーがセバスチャンと声を合わせ
ながら、こう歌っている「たとえ強風が吹き荒れ/悪い予感に
苛まれる日々があったとしても/ぼくは投宿先のベッドで/我々
が今朝も健在だと知ることでしょう/ぼくたちが伝えられるの
はそんな歌なのさ」

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by obinborn | 2016-06-14 18:57 | one day i walk | Comments(0)  

6月12日のカヌーとホンク

12日はパイレーツ・カヌーと東京ローカル・ホンクの2マン
・ライブを渋谷のB.Y.Gにて。いやあ〜楽しかったなあ!昨
夜のthe BM'sに続いて、自分のフェヴァリット・グループを
観れたこの喜びといったら!新作『What Do We Have To P
rove?』を携えて京都から久し振りに来てくれたカヌー。彼ら
とは以前から仲が良く、幾多の共演を積み上げてきたホンク。
アンコールでは2つのバンドが合体し、ホンクの「夏みかん」
とレディ・ガガのBorn This Wayを束ねていく。ホンクの木下
弦二が優れたマンドリン奏者や、リゾネイターの達人たちに、
「もっと!」とソロ回しを2コーラスに亘って呼び掛けてい
く場面に、彼らならではのハートウォームな連携を思った。

終演後はぼくも最近では珍しく打ち上げに参加。ビールを3
杯!ハイボールを重ねつつ、締めは赤ワインで。みんなが交
わし合う言葉たちからも、音楽そのものがしっかり聴こえて
きた。写真はぼくが心からリスペクトしている名ドラマーの
お二人と。左がホンクの田中クニオさん、右がカヌーのヨッ
シーこと吉岡さん。お二人の歌心ある抑制されたドラムスを
同じ時間に耳にした幸せ!そのことをずっと覚えておきたい。

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by obinborn | 2016-06-13 01:34 | 東京ローカル・ホンク | Comments(0)  

6月11日の青山陽一the BM's

11日は十条のシネ・ソトにて青山陽一the BM'sを。個人的
には約一年ぶりの再会となったが、精緻な密度を保ちつつ
どこまでも奔放に弾け飛んでいくリズムの波に包まれた。
カルテット編成による研ぎ澄まされたその音群は、ロック
やファンクが切り開いてきた道のりに多くを負いつつつも、
自分たちのイディオムとして生かしていこう!という気概
に満ちたものであり、ちょっと目頭がじ〜んと潤んでしま
ったほど。

第一部をMG’s、トラフィック、ボビー・ウーマック、ロン
・ウッド、ハウリン・ウルフ、ザ・バンドそしてリトル・
フィートと、これまで青山が触発されてきた偉人たちの楽
曲で連ねる一方、第二部をオリジナル曲で堂々と固め打ち
していく構成は、青山陽一がこれまで辿ってきた長い道の
りを聞き手たちに想像させるものだった。洋楽ファンにと
っては第一部だけでも満足だったろう。それでもパート2
のほうが俄然生き生きしているところに今現在のthe BM's
の逞しさを思わずにいられない。とくに近作『ブルーズ・
フォー・トマト』前後から新たに加入した千ヶ崎学のエレ
クトリック・ベースは、その音域の豊かさといい、歌心の
確かさといい、新生KIRINJIの一員として抜擢されたことに
頷かれる方々も多いはず。凹凸に溢れた彼のベースライン
の数々。それらをファンたちはしっかり聞き取った。

昨年シングル盤がリリースされたFreezer Bag、ファスト
なテンポで甦ったFreedom、あの懐かしいTragic Magic、
リフの応報がやがて視界を広げていくBycicle、そしてこ
の日初出となった新曲You Know What I Meanに、アンコ
ールの壮大な幻想曲「難破船のセイラー」。それらは今日
もなお、音楽という抽象画として結晶する。聞き手たちに
想像の翼を与えていく。ステージ終盤には青山が喉を痛め、
会場を埋め尽くしたすべてのファンを心配させたが、その
アクシデントを補うかのように、彼はシグネチャーとなる
テレキャスターで、虹のように鮮やかなシングルノートと
カッティングを、どこまでもどこまでも織り成していった。

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by obinborn | 2016-06-12 01:12 | 青山陽一theBM's | Comments(0)  

書き手として、26年間を振り返ってみた

音楽に関する原稿を書き始めた26年前に、とある先輩から
アドバイスを頂いたことがある。それは「これなら任かせ
ておけ!」という分野を作ることと、「けっして何でも屋
にはなるなよ!」という助言だった。幸いにもぼくはそれ
をずっと守ってきた。唯一意外に思われそうなのが、かつ
てキング・クリムゾンのかなり長いテキストを寄稿したこ
とかもしれないが、それとて一時の彼らが好きだったから
に他ならない。

むろんライターによってアプローチが違うことはぼくも認
める。ある者は生活のため、好きでもないヴィジュアル系
Jポップのバンドに密着して提灯記事を書きまくる。またあ
る者はビッグネイムのアーティストに特化した企画をプレ
ゼンする。その領域を侵害したりはしない。でもぼくには
それがどうしても出来ないんだなあ〜(笑)広く多岐に亘
って多くの音と触れ合いながら、時代を俯瞰する視点は書
き手の必須条件だろうが、それを実際に原稿という形で落
とし込む際には、細心の注意が必要だろう。まるで一夜漬
のようにwikiをコピペしたような文章は、その音楽の熱心
なファンであればあるほど、いとも容易く見破る。鋭く刺
さるナイフのように看破する。

慌ただしい日々のなか、自分らしさを保つのは大変なこと
だと思う。でも一番大事なのは好きなミュージシャンやバ
ンドに対し、自然に向き合い、彼らが放つひとつひとつの
言葉や音を丁寧に拾い上げていくことだ。思わず青臭いこ
とを書いてしまったけれど、ぼくはこれからもそんな気持
を大事にしていきたい。今日はずっと曇りの天気だったけ
れど、ジェリー・ガルシアのギターを聞いていたら、坂道
の彼方に大きないわし雲が見えてきた。

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by obinborn | 2016-06-06 18:26 | one day i walk | Comments(0)  

追悼:デイヴ・スゥオブリック〜あなたの音楽に出会えて良かった

デイヴ・スゥオブリックがフェアポート・コンベンションに
初参加したのは1969年7月のことだった。マーティン・ラン
ブルを交通事故で失うという悲劇に見舞われ、存続するかど
うかの瀬戸際に立たされていたバンドは、ある日トレヴァー
・ルーカスの家にスゥオブリックを呼び、一緒に音を奏で始
めた。彼の楽器はヴァイオリン。その調べはいつしかフェア
ポートの一翼となり、バンドを黄金時代へと導いていく。69
年の夏から秋にかけて彼らがレコーディングに取り組んだ『
リージ&リーフ』アルバムは、やがてフェアポートの記念碑
となった。

そのスゥオブリックが亡くなってしまった。近年は足腰が衰
え車椅子に座るなど体調が心配されたが、とうとうその日が
訪れてしまった。『リージ』のB面に収録された「タム・リ
ン」で枯れ葉のように舞うスゥオブリックのヴァイオリンが
大好きだった。そのフレーズはときにイングランドの凍て付
いた大地を思わせた。寒さにじっと耐える冬ザクロのような
孤独を醸し出した。そしてロック・バンドにヴァイオリン奏
者がいてもいいんだ!という発見は、後進に勇気を与えてい
く。この日本に限っても、はちみつぱいがそうだった。彼ら
を母体にしたムーンライダーズがそうだった。彼らの仲間の
あがた森魚がそうだった。

『リージ』アルバムのジャケットをかざしてみる。フェアポ
ートのメンバーは自分たちの新しい音にきっと手応えを感じ
ていたのだろう。そんな気持を物語るようにメンバー6人の
顔がしっかりと写し出されている。サンディやリチャードと
いった顔役はもとより、バンドの母体を支えたサイモン・ニ
コルがいる。頑固そうなアッシュレイ・ハッチングスがいる。
重厚なドラムスを叩くデイヴ・マタックスがいる。そしてデ
イヴ・スゥオブリックがいる。皆んながいる。誰一人として
欠けていない。フェアポートの音楽はこれがトラッドでこれ
がロックだというつまらない論議や、アクースティックかエ
レクトリックかという退屈な垣根を飛び越えながら、今日も
なお迫ってくる。そのど真ん中には確かな腕のヴァイオリニ
ストがいた。スゥオブリックさん、今までありがとうござい
ました。あなたの音楽に出会えて良かった。

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by obinborn | 2016-06-06 12:29 | one day i walk | Comments(0)  

ディノ・ダネリのこと


「ディノ・ダネリのドラムスにはスタジオ・ミュージシャン
にはけっして出せない奔放さがある」武蔵小山のレコード店
ペットサウンズの森勉さんが、そうお書きになられていたの
を読んだ時、ああ、この人は本当にラスカルズを愛されてい
るんだな、と心底嬉しく思ったことがある。

1960年代にはザ・バーズの「ミスター・タンブリンマン」の
ように、メンバーのマイケル・クラークではなく、スタジオ
集団レッキング・クルーのハル・ブレインが”虎”となってド
ラムスを叩いているようなケースが少なくなかった。まだ音
楽ビジネスが未熟であり、ミュージシャン自身が主導権を握
るような状況はなかった。

そんな時代のなか、66年にデビューしたヤング・ラスカルズ
は健闘した。アトランティックという自覚的なレコード会社
と、トム・ダウドやアリフ・マーディンといった優秀なスタッ
フに彼らは恵まれた。でもそれだけのことではない。自分たち
の歌を自分たちの演奏で届けたい。そんな想いはニューヨーク
周辺のクラブ・サーキットでトップ40を演奏しながら修行を
積んだメンバーたちのプライドでもあっただろう。しかも彼ら
の場合、フェリックスがハモンド・オルガンのフット・ペダル
で低音部を支えていたから、専任のベース・プレイヤーはいな
かった。ベース奏者が示す明確なラインなしで、ドラムスに向
かっていったディノ・ダネリは一体どんな心持ちだったのだろ
う。

アルバム『COLLECTIONS』は「ダンス天国」でB面の最後を
閉じる。その演奏のなか、ヴォーカルのエディ・ガバルッティ
がメンバーを紹介していく。そう、「オン・ドラムス、ディノ
!」「オン・オルガン、フェリックス!」といった具合に。
それはとても誇らしい光景だった。ぼくがかつてリンゴ・スタ
ーやチャーリー・ワッツのドラムスに心揺さぶられたのと同じ
ように、ディノは情熱とともにしっかりバスを踏み、スネアを
刻み、ここぞという展開でトップ・シンバルの音を高らかに鳴
らしている。

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by obinborn | 2016-06-06 00:45 | rock'n roll | Comments(0)