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トニー・ジョー・ホワイトと私

先日江古田のおと虫で40枚ほど手持ちのレコを買い取って
貰ったのだが、ご近所らしいSさん(まだお会いしたこと
はない)が、私の放出品から2枚ほど購入されたことを彼
のFBで知った。文字通りリサイクルである。何らかのお役
に立てれば嬉しい。そういう意味で中古レコ店というのは
本当に介在役だなと思う。年齢的なこともある。これから
はある程度”還元”していくのが私の役割なのかもしれない。

トニー・ジョー・ホワイトはレコを集めるのに苦労したア
ーティストの筆頭格。リアルタイムで彼のヒット曲をラジオ
で聞いていた世代はともかく、遅れてきたSSW〜スワンプ・
ファンが80年代になってから、彼の全盛期〜70年代のアルバ
ムを揃えるのにはマジ苦労した。私は90年代、大阪にまで彼
のレコを買いに行ったことがある。まだトニー・ジョーがCD
化される以前のハナシだ。

モニュメント・レーベルに3枚のアルバムを残した彼が、71
年に心機一転、ワーナー・ブラザーズに移籍してリリースし
たのが『TONY JOE WHITE』である。それまでナッシュヴィ
ル・エリアを中心に録音してきた彼が、本作ではサウンド・
オブ・メンフィスとアーデントの2カ所へと飛び、サミー・
クリーズン(ds)やマイク・アトレイ(kbd)といったディキ
シー・フライヤーズ、あるいはアンドリュー・ラヴ(ts)ら
メンフィス・ホーンズの面々と、本格的に合い塗れたことに
本作最大の価値がある。むろんクリーズンやアトレイの参加
は前作『TONY JOE』で一部実現していたのだが、今回はま
ったなしの全面開示だ!

何故”水と油”の関係とも言えそうなピーター・アッシャー(
英デュオのピーター&ゴードン出身、その後渡米しジェイム
ズ・テイラーやリンダ・ロンシュタドに大きく貢献した)に
プロデュースを依頼したのかは今もって不思議な気がするも
のの、フンパーストンパー(ワウワウの一種)を踏み込んで
いくギターの野趣、セクシーなテナー・ヴォイス、ときに泣
かせるバラードと、トニー・ジョー節がプロダクションによ
って損なわれるような欠点はまったく見当たらなく、昇り坂
にあったアーティストと新進気鋭だった制作者との密な関係
だけがある。

そしてトニー・ジョーは次作『THE TRAIN I'M ON』(72年)
で、アトランティック・グループの名将ジェリー・ウェクス
ラーの”指導”により、いよいよアラバマ州マスル・ショール
ズへと乗り込んでゆく。その盤に聞き取れる柔らかなサウン
ドスケープと放浪する者の夜汽車のような心情は、彼が掴み
取った一里塚であろう。今も時々引っ張り出してくる究極の
”私の一枚”。いや〜すみませんね、進歩がなくって(笑)

「俺が歌に書くのは実際のこと、ルイジアナに暮らす人々の
生活、風習、日常のことだよ」兄が聞いていたライトニン・
ホプキンス、姉が夢中だったエルヴィス・プレスリー。それ
らを手土産にしながら、トニー・ジョーは71年このセルフタ
イトル・アルバムとともに、時代の真っただ中へと躍り出て
いった。

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by obinborn | 2016-09-29 18:21 | one day i walk | Comments(0)  

エッグス・オーヴァー・イージー『STORY』に寄せて

「ある晩遅くにギグが終わり、近所の狭い新聞スタンドのよう
な店で目玉焼き(Eggs Over Easy)を食べた。ぼくらのバンド
名はそうして出来たのさ!」オースティン・デ・ローンはそう
回想する。69年頃シスコでのことだ。エッグスはやがてチャス
・チャンドラー(元アニマルズ~ジミ・ヘンドリクスのマネー
ジャー)と知り合い、渡英することになる。70年の11月彼らは
チャンドラーの制作下、ロンドンのオリンピック・スタジオで
アルバム用のレコーディングを開始。しかしそのアルバムは様
々な理由により、当時陽の目を見ることはなかった。

今回発売されたボックスセット『STORY』の目玉!となるのは
その時の未発表音源だ。”London '71”と冠されたその全12曲は
まさに翌年の名盤『Good' N 'Cheap』のプロトタイプとなった
もので、今聞いてもまったく色褪せることのないダウンホーム
・ミュージックが開示されている。記念すべきファースト・ア
ルバムが発売されなかった彼らの失望は大きかったが、もうし
ばらくロンドンに滞在するように説得され、北ケンジントンの
タリー・ホで演奏することになった。当時ジャズのクラブであ
ったタリー・ホは、月曜の夜だけロック・バンドにも場所をサ
ーヴした。これがいわゆるパブ・ロック伝説の序章となってい
った。何でも当時はお客さんがたった6人しか居なかったらし
いが、その場所でエッグスはブリンズリーズやビーズ・メイク
・ハニーやダックス・デラックスらと親交を重ねていった。
タリー・ホではオリジナル曲に混ざり、ジミー・リードやサム
・クックの幾つか、ビートルズの「プリーズ・プリーズ・ミー」
ザ・バンドの「オールド・ディキシー・ダウン」などが演奏さ
れたという。

そんなロンドン・デイズに思いを馳せながらこの『STORY』を
聞いていると、何とも言えない感慨が込み上げてくる。ライナ
ーノーツには「パブ・ロックはヒッピー・ロックとアリーナ・
ロックとの狭間にあったムーブメントで、ダウンサイズされた
アンプとルーツ・リヴァイヴァルへの気運があった」と記され
ている。また『Good'N' Cheap』については、「当時は虚飾的
なロック・レコードが多かったが、エッグスの音楽はラヴィン
・スプーンフルのように語り掛けてきた」とも。

偉大なるメンバー、ジャック・オハラ、ブライエン・ホプキン
ス、オースティン・デ・ローンの三人に乾杯を!彼らは特定の
ドラムス奏者を得ることはなかったが、それ以上のものをシー
ンに与えた。当時は46年後にこんな立派なボックスセットが出
るなんて誰も想像しなかったことだろう。かつてのアンサング
・ヒーローたちは歳月とともに勝利を収めた。今は亡きブライ
エン・ホプキンスにこのボックスを手渡したかった。

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by obinborn | 2016-09-28 04:33 | one day i walk | Comments(0)  

ブリンズリー・シュウォーツ〜まるで親しい隣人のように

82年といえば私が社会人一年生として働き出したイヤーであり、
同年にリリースされた南佳孝『Seventh Avenue South』が爆発
的に売れていた。私もそれに倣った一人だが、周りに広がるの
はニューヨークシティでもパームトゥリーのLAでもなく、延々
と続く茶畑と山田うどん(註:埼玉県下の定食チェーン)であ
った。そうした環境のなかでボズ『ミドルマン』や南『七番街』
を聞くことに、私は次第に居心地の悪さを感じ始めていた。ま
あ、平たく言えば「俺の音楽じゃないよなあ~」である。

横浜や湘南のシティ・ボーイたちはどう思っていたのだろう?
彼らにとって最も近い東京は東横線や田園都市線の終点である
渋谷だった。西武池袋線で乗り付けた最初の都会が池袋だった
私とはえらい違いである。その頃はスプリングスティーンやサ
ウスサイド・ジョニーに夢中だったせいだろうか、所沢こそが
日本のニュージャージーだぜ!と息巻いていたのだが。ちなみ
にオレンジ・カウンティ・ブラザーズの谷口邦夫さんは、こう
おっしゃていた「横浜の人達はやはり自分たちの文化を一番上
だと思っているんだよ」

自分に相応しい音楽とはどんなものだろう? 漠然とモヤモヤ
した気持を抱えながら、今も私は暮らす土地と音楽との関係を
考え続けている。出来ればその音楽が最適なものであることを、
もう一日を無事過ごすために必要な処方箋であると願いながら。

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by obinborn | 2016-09-27 17:17 | one day i walk | Comments(0)  

映画『君の名は。your name』を観て

26日は午前中『君の名は。〜your name』を豊島園シネマで
鑑賞しました。50代後半のジジイが観る映画かよ〜wという
自嘲気味の気持もありましたが、結果観て良かったです。様
々なメディアで話題になっているアニメ作品ですが、自分は
なるべく真っ新な状態で接したかったので、情報はあえてオ
フにしました。それでもどこからか漏れてくるのは致し方な
いところです。でもときに禁欲的になるのは必要ですよね。

最も多感な10代真ん中である男女二人の高校生が主人公とな
り物語を進めていくのですが、都会に暮らす男子と田舎に住
む女子との人格が、時空をワープしながら入れ替わっていく
ところに面白さがあります。消費的な生活に早くも染まりつ
つある東京の青年がひとつの軸。もうひとつの柱は田舎で退
屈な(されど愛おしいと思える)毎日を過ごす少女。そんな
二人が、何千年に一度かで地球に降りてくる惑星を機会に、
それぞれの立場や置かれた環境へと、性差を乗り越えながら
思いを馳せていきます。

秀逸なのは惑星の到来とともに消滅してしまった地方の町(
つまり女子主人公が暮らしていた場所)を、東京の青年が探
し求めていくという後半でしょうか。そこに阪神大震災、あ
るいは東日本大震災といった近年の残酷な出来事を容易に重
ね合わせられるところに、この映画の苦みがあるように思え
てなりません。私たちの現代的な生活は物質的には満たされ
ていることでしょう。メールやライン一本で即座に互いと”会
話"出来る。たとえ雇い主の顔を知らなくとも携帯画面のみで
アルバイト先を探せる。しかし、そんなインスタントな関係
は時に両刃の剣であり、自分や他人を容赦なく傷付けていき
ます。

そんな負の部分を背負っている私たちにも、本当に大事なこ
とや人々の営為を記憶していく能力があります。そうした意
味でこの映画は、様々な環境に置かれながらも愛すべき他者
を忘れてはいないよ、ちゃんと覚えているよ、ということを
言外に伝える作品なのかもしれません。『君の名は。〜your
name』という直裁なタイトルが、俄然重みを伴ってくるの
です。そんな訳で、私のようなくたびれた単なるオッサンも
少し泣けてきました。

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by obinborn | 2016-09-26 14:48 | one day i walk | Comments(0)  

映画『怒り』を観て

本日は『怒り』を豊島園シネマで観てきました。吉田修一の
原作を読んでいたので、その再現というよりはどれだけ映像
としてリアルであるかどうかに関心は向かいましたが、これ
が大正解!細かくストーリーを模すのではなく、映画ならで
はのカットアップ、飛躍、移動などがこれでもかという具合
に繰り返され、2時間半余りの長丁場を殆ど感じさせません
でした。夫婦を殺害してから姿形を変えて潜伏する犯人らし
き人物は、それぞれ三人東京と千葉と沖縄で暮らしています
が、映画の主題はけっして犯人探しには向かわず、各地で暮
らす容疑者たちのサブ・ストーリー(ゲイイズム、男女恋愛、
米軍兵によるレイプ)へと拡散していきます。とくに沖縄に
於ける政治的な葛藤、70年代からずっと続く楽天的なユート
ピア志向への冷ややかな眼差しには、筆者も大いに納得出来
ました。この辺りは桐野夏生の小説『メタボラ』で描かれる
”沖縄”に近いのかもしれません。

世の中は不条理に満ちています。誰もが焦燥と不安を抱えな
がら毎日を過ごしています。勿論そうしたモヤモヤは東京と
地方都市(この映画では千葉の勝浦辺り?)と沖縄の離れ小
島とでは温度差があります。それらの違う土地で毎日を懸命
に黙々と生きる人々の群像が、この『怒り』のサブ・テーマ
なのかもしれません。真犯人でさえ、その土地で人々の優し
に触れながら心を通わせていくのです。それにしても時代背
景としては、90年代に小泉内閣が推し進めた新自由主義〜派
遣切り(勝者は一人勝ちして敗者は永遠に負のゲームのなか
に)の残酷過ぎる結末があるような気がします。

けっして顔を見合わせることなく、携帯一本で次の仕事先に
”派遣”される。真犯人がそもそも殺人を犯す要因になったの
は、人材派遣会社の男から電話で言われた「きみ、その現場
は一週間前だよ」と、平然と突き放すように言われたことへ
の『怒り』でした。

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by obinborn | 2016-09-23 17:31 | one day i walk | Comments(0)  

ハリケーン・スミスを聞く初秋

夜中にコオロギの声などを聞いていると、いつの間にか秋に
なったことを実感します。私も今日久し振りに長袖を着てみ
ました。台風もいつの間にか去ったようですね。そんな夜に
ハリケーン・スミスを聞いています。彼は一般的にはあまり
知られていませんが、1923年の2月ロンドンに生まれ、やが
てEMIレコードに入社。あのジョージ・マーティンの庇護の
もと、レコーディング・エンジニアとしてのキャリアを積ん
でいきます。ノーマン・スミスという本名で彼が録音に関わ
った作品には、ビートルズの『ラバーソウル』『リヴォルヴ
ァー』ピンク・フロイド『夜明けの口笛吹き』『神秘』『ウ
マグマ』プリティ・シングス『S.F.スロウ』など、ロック史
に燦然と輝く名アルバムがあります。

そんな彼がある日、アビー・ロード・スタジオでフロイドと
の仕事をしていた休憩時間に、たまたま自作曲Don't Let It D
ieを冗談のように歌ったところ、周囲から意外な好評を得て、
ノーマンはハリケーン・スミスという芸名でソロ・デビュー
することになりました。それが72年の『Don't Let It Die』(
EMI)でした。スミスは当時48歳。まさに中年男の遅過ぎる
デビューでした。しかし、オーケストレーションを多用した
そのノスタルジックな音楽性は英米で高く評価され、Don't
Let It DieやOh Babe, What Would You Say?といったシング
ル・ヒットが生まれました。また当時デビューしたばかりのソ
ングライター、ギルバート・オサリヴァンのWho Was It?を
取り上げた点にも、ノーマンのオールド・タイム嗜好の一端
が伺えるような気がします。

スミスのデビュー・アルバムは英盤(写真左)と米盤(右)
で選曲が幾つか違っています。トータルに彼の世界に触れた
ければ英盤、それには収録されていないOh BabeやWho Was
It?を聞きたければ米盤といったところでしょうか? 私はど
ちらも大好きです。70年代初頭には前述のオサリヴァンを始
め、ハリー・ニルソン、リンゴ・スターなどノスタルジック
な意匠を施した音楽に注目が集まりました。そんな潮流のな
かにハリケーン・スミスを置いてみると、彼の果たした役割
がおぼろげながらも見えてくるようです。

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by obinborn | 2016-09-23 06:05 | one day i walk | Comments(0)  

自衛隊のこと

自衛隊について語ることは勇気を要する。人にはいつも臆する
ことなく書いているように見えるかもしれないが、ぼくは案外
小心者であり、政治のことで友だちを失いたくないという気持
はみんなと同じくらい強い。それでも自衛隊に関して迂闊に物
を言えないような空気が、実は日本人の不幸そのものではない
か?と思い始めている。ここでは自衛隊(旧警察予備隊)の歴
史をいちいち繰り返さないけれども、専守防衛という何となく
観念的な存在だった自衛隊が、もう少しだけ身近でリアルなも
のに感じられるようになったのは、確か90年代初頭の湾岸戦争
あるいはもう少し先のイラク・ウォーからのことだったと記憶
する。PKO法の執行によって自衛隊が海外派兵され、国際的に
貢献する(ときに犠牲になる)下敷きはその頃作られた。

そもそも戦後の日本の平和と安定は、日米安保条約によって保
たれてきた。中国や旧ソビエト連邦といった社会/共産主義圏の
脅威の防波堤となり、日本に民主資本主義をもたらしたのはア
メリカだった。かつての大戦で敵対した米国勢に敗れた代償と
して米軍基地が日本の各地に作られた。その基地から朝鮮戦争
のため、ヴェトナム・ウォーのため米軍が飛び立っていった。
いずれもアメリカの大義名分は共産(独裁)主義との闘いだっ
た。その方便は9/11以降も変わってはいまい。さらに近年では
世界各地でテロが勃発し、より世界の成り立ちを複雑に見せて
いる。

結論から言おう。日米安保条約によって平和を享受してきた私
たちが、その条約から眼を背けたまま憲法9条の価値だけを語
るのは欺瞞的ではないか? というのがぼくの立場だ。激変す
る世界情勢(中国の領海侵犯や北朝鮮のミサイル発弾など)の
なかで、日本の幾つかのムーヴメントが掲げるメッセージはあ
まりに”お花畑”であるし、世界各地の悲し過ぎる民族紛争のな
かにあって、まるで米国兵の血は流れても構わないけれど、日
本の自衛隊のそれは嫌だと駄々をこねる幼児のようにも映って
しまう。

我が国の自衛隊についてすら語れない不幸のことを思う。

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by obinborn | 2016-09-21 18:39 | one day i walk | Comments(0)  

9月19日の中村まり

19日は中村まりのワンマン・ライブを高円寺のGrainにて。
幾つかのイベントやワークショップへの出演はあったもの
の、東京での公演は約半年ぶりのことになる。何でも新し
いスタジオ・レコーディングとソングライティングに集中
したいとの理由だったが、いずれにしても、こうして久し
振りに中村の歌に触れられるのは嬉しい限り。変わってい
ないと言えば、いささかの変化もないのだろうが、そのぶ
ん毎朝の食卓に差し出されるパンやスープのように、感謝
の気持が小躍りするフィンガー・ピッキングとともに溢れ
出す。

”フィドルとドラムスとともに" そうサブタイトルが付け
られたように、今回は手島宏夢と田嶋友輔のサポートを伴
なったものであり、僅かに膨らみを増した演奏が頼もしい。
中村自身も普段より多めにバンジョー・チューンへ挑戦す
るなど、オールド・タイム色が全面に押し出されていく。
またポール・マッカートニーの「Let'em In~幸せのノック」
や、レオン・レッドボーンの「Shanpane Charie」といった
比較的モダンな楽曲を、砂埃舞うようなフォークやブルーズ
へと咀嚼するアレンジメントにも脱帽せずにはいられない。
まだレコーディングされていない中村のオリジナル新曲も幾
つか披露された。ライブの場で次第に鍛えられていったThro
gh My Heart Again、When the Days Is Over、Mockin'birdに
加え、この夜初めて披露されたInto the Cloudsはとくに秀逸
だった。

ブラインド・ウィリー・マクテルの戦前ブルーズ「Delia」を
取り上げる一方で、彼女のこうしたオリジナル曲群がどれも
洗練された響きを携えているコントラストが面白い。それは
現代っ子である中村の屈託のなさ故なのかもしれない。その
ようにして、彼女の歌は古いアメリカと現代の日本との間を
自在に往来する。昨日と明日との狭間で揺れ動いていく。

繰り返される毎日のなかで、この人は何を見つめ、どんなこ
とに思いを馳せているのだろう。そんな風に思わせるソング
ライターは、僅か数えるほどしかいない。中村まりは過去の
遺産を抱えながら、いわし雲のようなソングライティングに
自身を投げかけながら、これからも歩み続けていくのだろう。
そんなことを確信しながら、雨のなか帰路に着いた。

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by obinborn | 2016-09-20 01:26 | 中村まり | Comments(0)  

9月17日の青山陽一the BM's

いや〜、参った!あまりの素晴しさに終演後はあえてメンバー
たちと会話せず、余韻を反芻しながら一人帰路に着いた。そん
な青山陽一the BM'sのライブを17日は、沼袋のオルガンジャズ
倶楽部にて2時間たっぷり堪能した。青山(g,vo)以下、伊藤隆
博(org)、中原由貴(ds、cho)からなるトリオ編成としては、お
よそ一年半ぶりのお披露目だったが、ベースレスのオルガン・
トリオならではの丁々発止〜インタープレイの数々に息を呑ま
ずにはいられない。三人ともキャリアが長くそれぞれ卓越した
プレイヤーたちだが、この夜も互いを鼓舞し合っていくような
スリリングな連携に圧倒されっぱなしだった。

青山はバンド編成時に珍しく、シットダウン・スタイルでギタ
ーを抱えながら、キャノンボール・アドレイのMercy,Mercyを
オープニングに持ってくる。以降も自作のOdorelをインスト化
したり、中近東的なフレーズが混ざるMicro Waveを長尺ジャム
展開したり、レコーディング時にはスティール・パンに導かれ
ていた「停電」をオルガン・トリオならではのアレンジへと大
胆に改変するなど、新機軸がたっぷり。なかではダン・ペン作
のDark End of the Streetを、ライ・クーダーの『ショウ・タイ
ム』ヴァージョンに倣って、全編スライド・ギターで弾いてい
くという、ややマニアックなサーヴィスも。

それでもやはりトータルな印象として特筆すべきは、青山なら
ではのソングライティングのことだろう。何度も繰り返してき
て申し訳ない程だが、歌詞それ自体にもっともらしい主張を込
めるのではなく、彼は散文あるいは抽象に近い形で言葉を拾い
上げながら、もはや独壇場とも言える浮遊するような旋律と重
ね合わせてきた。青年期の憧れであっただろうロック(それを
介在にした)ブルーズやファンクのフォームを自分ならではの
語彙へと変換させてきた。本人は寡黙であり、けっして多くを
語ろうとしない。それでも私は、彼のなかで堆積していった歳
月のことを思わずにはいられない。

シットダウン形式で進められた17日のステージ。しかし終盤に
Friday RiderやJust One Noteが怒濤の如く固め打ちされる頃に
なると、青山は自然と立ち上がり、彼の最高の理解者である伊
藤と中原をフィーチャリングしながら、一気呵成に突き進んで
ゆく。むろん青山のギターの澄んだトーンが変わることはない。

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*写真は青山さんのウェブサイトよりお借り致しました。
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by obinborn | 2016-09-18 02:02 | 青山陽一theBM's | Comments(0)  

9月15日のサーディンヘッド

15日はサーディンヘッドのライブを下北沢のrpmにて。ワン
マンとしては5月26日以来だったが、たっぷり2時間彼らの
自由奔放な音世界を堪能した。とくにこの日はファンからあ
らかじめリクエストを募るというレアな趣向を凝らし、結成
してから16年めとなるサーディンの歩みを凝縮する内容にな
った。フロントの斎藤丈二も珍しくMCを多めに入れるなど、
オーディエンスへの感謝の気持が溢れ出す。

一言で長尺のジャム演奏といっても何も彼らはのんべんだら
りと時間を費やすのではなく、曲の骨格をがっつり束ねる部
分と、インプロヴィゼーションを広げていくパートとのメリ
ハリがとても鮮やか。キング・クリムゾンのような変拍子の
嵐で圧倒するかと思えば、ジェリー・ガルシアのように優し
くメロディックなラインを奏でていく展開もある。そんな緩
急自在に進んでいく時間に大いに酔った。メンバーたちの音
楽遍歴の一端なのだろう。第二部のFUSIONではラリー・カ
ールトンやジャコ・パストリアスのフレーズが飛び出すとい
う茶目っ気も。

言葉の不自由さに囚われることなく、オール・インストゥル
メンタルでサーディンはまるで抽象絵画のように世界を描い
ていく。そう、一人の青年が荒野に立ち尽くしながら、雨風
を凌ぎ、道の脇にある名もない花に心を寄せ、いつか来るだ
ろう暖かな季節を待ちわびているような。しかも彼らの演奏
は、聞き手それぞれが気楽に、自分だけの絵の具で白いキャ
ンバスを描いていけばいいんだよ、とでも言いたげな想像の
余地を残している。そうした自由に対して彼らは極めて寛大
だ。特定の誰かを英雄視したり、解りやすい敵を定めて糾弾
するようなことをサーディンの人達は一切しない。その尊さ
を思わずにいられない。終盤に演奏されたメロウなBLOW RI
PPLEの静謐さが心を捉えて離さなかった。

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by obinborn | 2016-09-16 01:20 | one day i walk | Comments(0)