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ボブ・ディラン「リリー、ローズマリーとハートのジャック」

ソニーからボブ・ディラン『リアル・ロイヤル・アルバート・
ホール』のサンプル盤が届いた。66年にザ・ホウクスを率いて
行った伝説的なツアーの音源だ。むろん以前から長らくブート
レグの時代を経て、近年やっとオフィシャルな形で商品化され
たものだが、今回はその”完全版”という触れ込み。本来であれ
ばそれを真っ先に紹介したいところだが、時流に乗っかったパ
ブ記事は書きたくない(そんなものはいくらでも転がっている
だろう)ので、今日はぼくが最も好きなディランのアルバム『
血の轍』(75年)についてメモしておこう。

73年にザ・バンドとともに録音に臨んだ『プラネット・ウェイ
ヴス』それに伴って74年の初頭から始まった彼らとの全米ツア
ーによって、ディランは久し振りに公の場に立ち、音楽家とし
てのカンを取り戻しつつあった。74年の9月16日ユダヤ人にと
っての新年祭ロッシェ・ハサナのこの日、ディランは突如レコ
ーディングを思い付いたという。彼はエンジニアのフィル・ラ
モーンにこう言ったという「記念すべきニューイヤー。どうし
て今日じゃ駄目なんだい?」

そんな風に一気呵成に進められたレコーディングだったが、そ
のセッション終了間際の12月、ディランは突然録音し直したい
と言い出し、それまでのニューヨーク吹き込みとは違うミネア
ポリス周辺の演奏家と新たにスタジオへと向かうことになった。
アルバム『血の轍』にはそれらミネアポリス・セッションから
「ブルーにこんがらがって」「きみは大きな存在」「愚かな風」
「リリー、ローズマリーとハートのジャック」「彼女に会った
らよろしくと」の5曲が採用されている。没になったレコーデ
ィングの幾つかは『バイオグラフ』や『ブートレグ・シリーズ
1〜3』に聞けるのだが、それらを比べてみると、ディランが成
熟した手練手間のバックより、もっと生々しい手触りを欲して
いたことがよく解る。ディランの故郷でもあるミネアポリス在
住の"無名な”プレイヤーたちが彼を煽り、支え、目線をしっか
り合わせながら演奏を共にした。ディランを本気にさせた。そ
のことを忘れたくない。

無名であり無冠であること。それは”自由”とどこまでも相似形
を描いていく。『血の轍』に描かれたディランの歌の多くは、
男女の別れ、宛のない旅、時の政府への怒りといった内容であ
り、それらを彼はときにストレートに、ときにカットアップや
遠近法を用いながら歌詞とメロディに託している。歌詞がこと
さら難解だとされるディランだが、ポール・ウィリアムズによ
れば、アメリカ人でさえ彼の歌詞はよく解らないらしい。そこ
はひとつ奔放なイメージの飛躍、優れたメタファーが散りばめ
られたそれを、音粒とともに感じるままに感じていけばいいの
ではないだろうか?

もしきみが町の無名の人達の声を聞きたいと思うなら、「リリ
ー、ローズマリーとハートのジャック」に耳を傾けてみるとい
い。そこにはキャヴァレーの喧騒と夜明けの寂しさがあり、リ
リーとローズマリーの視線が一曲のなかで入れ替わり、しまい
には判事や銀行強盗までやってくる。まるで一篇の西部劇のよ
うだ。この歌にどう生きろとか、人はどうあるべきか、といっ
た説教めいた結論は一切ない。そういう意味では迷宮に投げ出
されるような感覚を味わうかもしれない。それでもきみは以前
よりもリリーやローズマリーやジャックといった知らない人達
の無名の物語を、自分に引き寄せながら感じていることだろう。

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by obinborn | 2016-10-23 05:15 | one day i walk | Comments(0)  

ボズ・スキャッグスの72年作『マイ・タイム』を顧みて

先日なんばのphoe~beさんに持ち込んだ音源がボズ・スキャッ
グスの72年作『マイ・タイム』(Columbia PC31384)でした。
けっしてゴリ押ししたわけではなく(笑)マスル・ショールズ
録音を含むプレAOR的な本作なら、このお店にも受け入れられ
るのでは?と思ったからです。いわば土臭さと洗練との超克。
何も私に限らず、ここら辺のさじ加減にグッと来る方々は少な
くないことでしょう。

今でこそAORの象徴となってしまったボズですが、元々はテキ
サス生まれの南部人。やがてシスコに出てスティーヴ・ミラー
・バンドに参加します。そこでもブルース・ライクな感覚を染
み込ませていましたが、やがて独立。ヨーロッパで修行した時
代のデモ録音集(筆者は未聴)もあるようですが、アメリカに
戻った彼はアトランティックと契約し、マスル・ショールズに
向かい、ブルーアイド・ソウルの名盤『ボズ・スキャッグス』
でソロ・デビューしました。デュエイン・オールマンのむせび
泣く押弦ソロが収められたフェントン・ロビンソンのブルース
「10セントを俺に」はとくに評価を高めましたが、すぐにボズ
はコロンビアに移籍し、『ボズ&バンド』『モーメンツ』とい
う2枚のアルバムを、ともにグリン・ジョンズをプロデュース
に迎えながら試行錯誤していきます。グリンとはスティーヴ・
ミラー・バンド時代から旧知の仲。何らかの方向性を彼に委ね
てみようというボズの心の動きはそれなりに伝わってくるので
すが、残念ながら今ひとつ成果を上げることは出来ませんでし
た。

そんな彼が再びマスル・ショールズを探訪して作り上げたのが
このフォース・アルバム『マイ・タイム』です。いわば原点回
帰であり、選曲もアル・グリーンの「オールド・タイム・ラヴ
ィン」、アラン・トゥーサンの「フリーダム・フォー・ザ・ス
タリオン」などR&B色が濃厚に漂ってきます。それでもこれら
2曲をマスルで録音するのではなく、ボズにとって第二の故郷
と言うべきサンフランシスコでのセッションに託したところに、
ボズの卓見を見る思いがします。そのシスコ録音ではサイモン
&ガーファンクルでおなじみのロイ・ハリーの手腕も鮮やか。
次作『スロー・ダンサー』の制作をモータウン~ホットワック
スのソングライター&シンガーであるジョニー・ブリストルに
委ねたボズは、更に都会的なシンガーへと変貌していきます。
私は74年の『スロー・ダンサー』も、76年の記念碑『シルク・
ディグリーズ』も高く評価しています。そこら辺はブラックホ
ークの故:松平維秋さんの価値観との違いかもしれません。そ
れも決定的な感覚の差というか、埋められない断層というか。

ドナルド・フェイゲンのライブを観た友人が、いささか興奮気
味に私にこう語ったことがあります「単なるR&B大好きオヤジ
じゃん!」と。スタジオ録音に精緻を極めたフェイゲンやボズ
がライブという場面で、もっと生々しいブルーアイド・ソウル
へと戻っていく。ふと自分の原点を確かめてゆく。そんな営為
の発露として、私はボズの『マイ・タイム』を忘れることが出
来ません。エディ・ヒントンとピート・カーのオブリ・ギター
が交錯するMight Have To Cryが、私のベスト・トラックです。

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by obinborn | 2016-10-21 01:07 | one day i walk | Comments(0)  

10月15日のラリーパパ&カーネギーママ

15日は横浜サムズアップでラリーパパ&カーネギーママのツア
ー初日をたっぷり2時間堪能した。久し振りの活動再開とはいえ、
そこは勝手知ったる我が家の如し。これまでのスタジオ・アルバ
ムを遥かに上回る骨太いバンド・サウンドが堂々と繰り広げられ
ていった。豪放に唸りまくるガンホのスライド・ギターはもとよ
り、ヒョンレとスチョリによる声質の異なるリード・ヴォーカル
の対比といい、それを後押していくコーラスといい、断続的なが
らも長くキャリアを積み上げてきた者たちならではの連携を思わ
ずにはいられない。

アメリカ南部の音楽に憧れ、オクラホマ出身のロジャー・ティリ
ソンの日本公演に帯同しつつ信頼を得た。さらにラリーパパたち
は自分たちのソングライティングに磨きを掛けながら、普段暮ら
している町や人々の光景をスケッチしていく。そうした営為がど
れだけ尊いことだろう。どれだけ隣人たちの心を溶かせていくこ
とだろう。いわば日本から発せられた言葉とアメリカ音楽との共
振だ。第一部はザ・バンド「チェスト・フィーヴァー」に、第二
部はジェシ・エド・ディヴィス「ナチュラル・アンセム」に導か
れながら始まったラリーパパ&カーネギママのステージ。

それは音楽という女神が微笑み、客席へと舞い降りてくるような
愛おしい時間の流れだった。私はそれらを抱きしめながら終電に
乗った。

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by obinborn | 2016-10-16 00:53 | one day i walk | Comments(0)  

語る言葉〜words

昨日久し振りに宮本望くんとお会いしました。彼は90年代後半
頃音楽ライターとしてバリバリ売り出し、私もその才能を高く
評価していたのですが、業界の慣習に嫌気が差したのか、本業
であったレコード・バイヤーとして再出発し、今はしっかりと
その道で食べています。そんな彼の健在を確認出来て嬉しかっ
です。宮本くんは音楽に限らず人の価値観や社会に関してもは
っきり好き・嫌いを言うタイプなので、初めて出会う方はやや
面食らうかもしれませんが、私は彼のそんな部分がむしろ好き
ですね。きっとオブラートに包むのではない直言の数々の彼方
に、壊れやすいナイーブの塊のようなものが見える(見えてし
まう)からかもれません。

宮本くんと私の共通する部分は、例えば音楽評論家の山名昇氏
を最大限にリスペクトしていることかもしれません。山名さん
もまた好き嫌いをはっきり言う、確かな審美眼を持った大先輩
です。私などは山名さんに憧れて文章を書き始め、出版社に売
り込み、今もなんとか細々と暮らしているくらい(笑)それは
ともかく、何でも誉め囃す自称音楽ライター・評論家連中が偉
そうにのさばっているなか、宮本くんが何らかの形で傷付いた
ことは容易に想像出来ます。彼ほど明確に違和を唱えられなか
った私でも、せめて自分に相応しくない、好きではない音楽の
原稿はすべてお断りする矜持は持ち合わせているのでした。

いやあ〜、懐かしかったよ、宮本くん。互いに確認し合ったの
は「とにかく徹底的に聞き込む」「文章はそれからでいい」こ
の2点!いやマジ、サムシング・エルズが沸き上がってくるま
で言葉を待つ、他人の書いた記事の上塗りのような原稿は書く
まい、といった謙虚さは絶対に必要だよね。私は少なくとも、
自分がどういう物事に心を寄せるのか、どういう態度が嫌いな
のかを峻別したいと思っています。自分がともすれば忘れがち
な感情のかけら。断片。言葉にならない想い。それを宮本望く
んが思い起こさせてくれました。事実70年にアトランティック
・レーベルから発売されたラウドン・ウェインライト3世のデ
ビュー作について、私は未だ語る言葉が見つかっていないので
した。こんなに素晴しいシンガー・ソングライターなのに。

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by obinborn | 2016-10-10 17:40 | one day i walk | Comments(0)  

10月8日の中井大介

8日は武蔵小山のアゲインにて中井大介のレコ発ライブを。第
2作となる『SOMEWHERE』を携えて京都からやって来たこ
の青年は、幾分衒いの表情を見せながらも、堂々と彼ならでは
ソングライティングと歌とギターで満員となった会場の空気を
じわじわ満たしていった。何一つ偉ぶらず、結論を急がず、た
だひたすら感じたままをスケッチしていく。そこには町のざわ
めきがあり、寂れた漁港を一人見つめる視線があり、夜明けま
で回り続けるミラーボールとともに踊っていたいという無邪気
な心がある。これらの歌詞はどこまでも散文的ではあるけれど
も、聞き手それぞれが自由に解釈出来る余白を残す。優れた楽
曲、雨風に晒されながらもじっと芽を出す季節を待っているよ
うな歌とは、きっとそのようなものではないだろうか。

彼のファミリーであるパイレーツ・カヌーから岩城一彦(g)、
谷口潤(b)、吉岡孝(ds)が、しっかりと中井の歌世界を守
護しながら飛翔させていく。打ち上げの会場では冗談しか言
わなかった彼らだが、ステージでの綿密なバンド・アンサン
ブルに、パイレーツが試行錯誤しながらも歩んできた歳月を
思わずにはいられない。音色にまで気を配ったリゾネイター、
寡黙に底辺を支えるべース、ソウル音楽の16ビートをしなや
かに叩き出していくドラムス。それらが中井の宛先のない手
紙のような歌を補完する。そう、花に水が必要なように。限
りなく続く砂漠の道を潤すように。そして後方でコーラスす
る河野沙羅と、この日の特別ゲストだった木下弦二が、歌の
行き先を見守っている。

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by obinborn | 2016-10-09 06:25 | one day i walk | Comments(0)  

追悼:平野実さん(江古田クラン・レコード)

今日は悲しいお知らせをしなければなりません。長年に亘って
テックス・メックス音楽の紹介に尽力されてきたクラン・レコ
ードの平野実さんが死去されました。正確には15年2月のこと
だったらしいですが、親族の方々の控えめな御意向もあり、私
たち一般に知らされたのは昨日から今日にかけて。約一年半が
経ってからのことでした。

彼は80〜90年代を通して、東京は練馬区の江古田にある自分の
お店クランを媒介に、フラーコ・ヒメネス、ロス・ロボス、ブ
レイヴ・コンボ、スティーヴ・ジョーダンなど、日本ではまだ
知られていなかったテックス・メックスのレコードをいち早く
輸入し、やがてクラン・レーベルを立ち上げました。配給網を
Pヴァイン・スペシャルに委ね、日本語の解説と帯を付けたそ
れらの盤を各地の店頭で見かけた方も少なくないと思われます。
個人的な思い出を少しばかり語らせてください。私は江古田で
学生時代を過ごしていたせいで、1978〜79年頃からまだレコー
ド店になる以前の喫茶『CLAN』に通っていました。当時はそ
の頃人気だったシンガー・ソングライター〜スワンプ・ロック
をメインにした小さなお店でした。今でもよく覚えています。
私が最初に同店を訪れた時、掛けてくれたジェシ・ウィンチェ
スターのファースト・アルバムのことを。

平野さんは無骨で気取らない方でした。淡々としているという
か、世間一般の俗っぽさをちょっと斜に構えながら眺めておら
れる。そんな諦観のようなものに学生だった私はそっと憧れま
した。直情タイプの私とは違う人物像ゆえに、大人になったら
こうなりたいものだ、とカウンター越しに密かに思いました。
彼の店だけではなく、時に呑み屋で語り合いました。終電がな
くなってしまい、彼を私のアパートに泊めながら翌朝出勤した
社会人成り始めの頃などが、とても懐かしく思い出されます。

平野さんと最後にお会いしたのは、2014年に開催されたテッ
クス・メックスの祭典『SQUEEZEBOX NIGHT』、その会場
である目黒のリトル・テキサスにて。この時も俗世間からは
離れたような彼の佇まいが印象に残っています。確か最後の
会話はこのようなものだったと記憶しています。「小尾くん、
最近オレはクリームの2枚組を聞いているよ。カッコイイよ
ね。江古田ヤーマンの塩ラーメンはすごく美味しい。今度食
べてみるといいよ」

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by obinborn | 2016-10-07 19:14 | one day i walk | Comments(0)  

追悼:バックウィート・ザディコ


バックウィート・ザディコ(スタンリー・デューラル)が癌
のため亡くなりました。遅ればせながら何枚かの所有盤を持
ち出してきて追悼しています。クリフトン・シェニエが60〜
70年代を通してザディコ音楽を広めたスターだとすると、バ
ックウィートはその後、80年代以降のザディコを牽引してい
く存在でした。当初はサニー・ランドレスも所属していた地
元南ルイジアナのレーベル、ブルーズ・アンリミッテッドで
ローカルな活動に甘んじていたバックウィートでしたが、や
がてブラックトップやラウンダーといったルーツ音楽に理解
のある白人向けの中堅レコード・カンパニーと契約しながら、
音楽の幅を広げていきました。87年には何と大手のアイラン
ドへと移籍してファンを驚かせます。折しもこの頃は、ワー
ルド・ミュージックの全盛期。ザディコというルーラルな音
楽をもっと広めたい!というクリス・ブラックウェルの思惑
も容易に想像されます。正確な時期はもう忘れてしまいまし
たが、確か90年前後に初来日した際の公演を私は渋谷のクア
トロで観ていたのでした。

今聞いているのはブラックトップを経てラウンダーに移籍し
た最初のアルバム『TURNING POINT』〜84年です。アルバ
ム表題曲はタイロン・ディヴィスの代表的なノーザン・ソウ
ルのカバーであり、このようにR&B/ソウルの有名ナンバーを
取り上げ、ザディコ音楽としてリアレンジするアプローチが
バックウィートにはとくに顕著でした。どこまでレーベルが
主導するアイディアだったのか、それとも本人による選択だ
ったかは解りませんが、少なくとも音に接している限り、私
には親しげに語り掛けてくる気持を感じます。まあ逆にザデ
ィコというクレオール(フランス系入植者とルイジアナ黒人
との混血)文化にどこまでも学究的〜フォークリリックな態
度を求める方々には、適さなかったのかもしれません。

「ぼくの父は本物のフランス人でした。ぼくの家庭ではフラ
ンス語で会話するのが当たり前の環境でした。当時はクリフ
トン・シェニエくらいしか、ぼくたちフランス系クレオール
が聞ける音楽はなかったんです。やがてぼくは自分でザディ
コを演奏し始めました。父親には”学校に行け!”と言われま
したけど、ぼくはやがてファッツ・ドミノやリトル・リチャ
ードに夢中になりました。71年になって本格的にバンドを組
む頃には、クール&ザ・ギャングやアース・ウィンド&ファ
イアそしてパーラメントなどのファンク・ジャズも聞いてい
ましたよ」(『TURNING POINT』のライナーに於けるバッ
クウィートの回想より)

音楽が何よりも混血文化であることを身を持って示してくれ
たバックウィート・ザディコさん、本当にありがとうござい
ました。あえてバックウィート(黒ん坊という蔑称。ガーラ
ンド・ジェフリーズの歌に「俺をバックウィートと呼ぶな」
という人種問題を告発した歌があるほど)という芸名を用い
ながら、ザディコとR&Bとロックを分け隔てなく歌い演奏し
続けたバックウィート・ザディコ。私はあなたの理解者であ
りたいと願っています。

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by obinborn | 2016-10-05 17:26 | blues with me | Comments(0)  

ビリー・バトラーとともに、夕暮れ時を。

今日は昨日とは対照的に暑い日でした。それでも夕暮れが早く
なり何となく秋を実感する時期になりました。というわけで
さっきレコ棚からアットランダムに引っぱり出してきたのが、
ビリー・バトラーのセカンド・アルバム『GUITAR SOUL!』
(プレステッジ 69年)です。私が所有しているのはOJS(オリ
ジナル・ジャズ・シリーズ)の廉価リイシュー盤で、あの懐か
しい西武百貨店系列のWAVEの値札が貼ってあるので、恐らく
90年代に池袋の同店で購入したものだったと推察されます。

私がビリー・バトラーというジャズ・ギタリストを知ったのは、
彼が昨日紹介したビル・ドゲット・コンボに在籍してからであ
り、およそ55年から60年にかけてビリーはビル・ドゲットたち
とともに初期のキャリアを磨いていきます。そういう意味では
ジャズというよりもR&Bテイストをルーツに持つ人だったのか
もしれません。そんなビリーはやがてビル・ドゲット・コンボ
から独立しソロ活動へと転じます。ブルーノートと並ぶジャズ
の名門レーベル、プレスティッジに招かれた彼は大いに自信を
深め、メルヴィン・スパークスやブーガルー・ジョーンズとと
もに同レーベルお抱えのセッション・ギタリストとして活躍し
始めるのでした。

この『GUITAR SOUL!』はそんなビリーのリーダー・アルバム
第二弾です。まず驚かされるのがA面冒頭の超ファンク・ナン
バーBLOW FOR THE CROSSING。彼は何とワウワウ・ペダル
を駆使しながら、69年前後のジミ・ヘンドリクスと同期するよ
うなエグいプレイを展開しているのです。スペックス・パウエ
ルのファットバック・ドラムスが俄然映えるのも、こうしたフ
ァンク曲ゆえでしょう。ボブ・ブッシュネルのフェンダー・ベ
ースとの絡みも効果的。かと思えばA2曲のGOLDEN EARRIN
GSと、B4のAUTUMN NOCTURNE/YOU GOT MY HEADでは
まるでジャンゴ・ラインハルトのようなジプシー・ジャズを奏
でるのですから多面的ですね。さらにラテン・ビートの応用と
いう50年代からジャズと親和性が高い領域については、B面3
曲めB&B CALYPSOのお遊びを、余裕でこなしていきます。

それでもビリーのルーツとなるのは、やはり圧倒的にR&Bな
のでしょう。かつて同じ釜の飯を喰ったビル・ドゲットの看板
曲HONKY TONKを堂々とB1に配していることが何よりの証明
です。ちなみにこのHONKY TONKというR&Bインストを私が
最初に聞いたのは、ロギンス&メッシーナのカバー・アルバム
『SO FINE』(コロンビア 75年)でした。ボビー・ダーリンか
らハンク・スノウ、クライド・マクファッター、エヴァリーズ、
チャック・ベリー、さらにクリス・ケナーまで幅広くセレクト
したこの盤は、私のハイスクール・イヤーズの聖典でした(出
来ればもっと評価して欲しい!)

「ビリーは踊るヴァイオリンのようにギターを弾く。あるいは
自ら歌うようなギターを奏でる。私は彼に尋ねた”きみにはどん
なメゾットがあるんだい?するとビリーは答えた”きみが何かを
掴み取った時に自分自身であればいいんだよ。別にそれがラジ
オ局と取り引きする時に、価値あることでなくともさ!”」

1969年の11月に記されたラリー・カートのライナーノーツには
そんな記述があります。ビル・ドゲットのR&Bコンボに在籍し
つつも、チャーリー・クリスチャンの甘美なシングル・ノート
に憧れ、またジャンゴ・ラインハルトとT.ボーン・ウォーカー
を視界に収め、恐らくジミ・ヘンドリクスの台頭も意識してい
たのでしょう。そんなことを思い浮かべながらこの『GUITAR
SOUL!』を聞いていると、当時の音楽状況(ロックとジャズとR
&Bのシンクロナイズのようなもの)が、はっきり浮かび上がっ
てくるのです。

世間一般ではあまり評価されていないビリーですが、彼が60年
代というワン・ディケイドの混沌のなかにあって、『GUITAR
SOUL !』のような名作を残したことにひたすら感謝しています。
あ〜、夕暮れが迫ってきました。

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by obinborn | 2016-10-04 18:02 | blues with me | Comments(0)  

コテコテ・ジャズは最高っす!


ハモンド・オルガンは南部の教会で用いられるなど、バレル
ハウス・ピアノとともに黒人音楽の歴史を支えてきました。
50年代にはR&Bやジャズの分野にも応用されるなど、どんど
ん進化していきました。一番有名なのはビル・ドゲッドやジミ
ー・スミス辺りでしょう。私もオルガンの泥臭くファンキーな
タッチは大好きなので、ロックをとりあえず一周し終えた90年
代には狂ったようにオルガン・ジャズ、オルガンR&Bのレコー
ドを集め始めたものです。ちょうどイギリスでアシッド・ジャ
ズ〜レア・グルーヴのブームがあり、日本でもピーター・バラ
カンがベビー・フェイス・ウォレットのブルーノート盤や英チ
ャーリーがコンパイルしたビル・ドゲットのLPを紹介していた
頃だと記憶します。ヒップホップ以降の世代ではビースティ・
ボーイズがジミー・スミスのROOT DOWNをサンプリングし
ましたよね。その温故知新的な効果は絶大でした。

やがて聞く枚数を重ねていくと、ブルーノートは比較的大人し
いオルガン・ジャズに終始していて、プレステッジやチェスの
傍系のアーゴといったレーベルにもっとエグく、よりR&Bパー
ティ向けのダンス・レコードが多いことに気が付いていきまし
た。『ジャズ批評』誌が”コテコテ・ジャズ”なる造語を新たに
作り出し、従来のハード・バップとは違うファン層を開拓しな
がら、モダン・ジャズ派には敬遠されがちだったB級プレイヤ
ーたちを掘り起こしたことも忘れられません。グルーヴ・マー
チャントも真っ黒ないいレーベルです。60年代後半に立ち上げ
られた会社らしく、当たり前のようにエレクトリック・ベース
や16ビートが援用されているのは、当時のソウルやファンクの
台頭を意識していたからでしょう。ブラック・ミュージックは
スライ&ザ・ファミリー・ストーンやカーティス・メイフィー
ルド、あるいはスティーヴィ・ワンダーなどの台頭で、70年代
の扉を開きつつありました。

73年にグルーヴ・マーチャントからリリースされた『GIANTS
OF THE ORGAN:COME TOGETHER』を、そんなニューソウ
ルの蜂起と共に感じてみるのもあながち間違いではないと思い
ます。ジミー・マグリフとグルーヴ・ホルムズという二大ハモ
ンド奏者がまったく互角に共演したこの盤は、いわばオルガン・
トリオ二組が同時にプレイしているようなものであり、単純に
2倍以上の劇薬的な効果を促します。ドラマーとコンガ奏者だ
けはバーナード・パーディとクワシ・ジェイオルバに固定しつ
つも、ギターをジョージ・フリーマンとドネル・レヴィに振り
分けた点にも、ダブル・トリオの意義をはっきり汲み取ること
が出来ます。

もっとも当時のマイルズ・デイヴィズのようなポリリズム的な
面白さは希薄というか、そもそも目指すところではなく、あく
までシンプルなビートが絶え間なく供給(反復)され、そのな
かでオルガン×2、ギター×2の丁々発止がスリルとともに展開
されるという塩梅です。なおこの顔合わせに気を良くしたのか、
マグリフとホルムズは、同じ73年に本作のライブ展開版とも言
うべき『IN CONCERT』を残しています。そちらもぜひ併せて
聞きたいですね。

元々ブッカー・T&MG’sのGREEN ONIONやTIME IS TIGHTを
中学生の頃から身体に馴染ませていた私には、こうしたオルガ
ン・ジャズ〜コテコテ路線に免疫があったのかもしれません。
まさに娯楽ジャズの極み〜ダンス・パーティ必携の一枚が、こ
の『GIANTS OF THE ORGAN:COME TOGETHER』ではない
でしょうか。というわけで音楽のお供はビールからハイボール
へと進み始めました。

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by obinborn | 2016-10-02 17:24 | blues with me | Comments(0)  

フェイスブックが5年めを迎えました

この10月1日で私のフェイスブックが5年めになりました。
あっという間ですね。それ以前はブログ(06年9月に開始)
で発信してきたことを徐々にFBの方に移行し、最近では
まずFBに書き、ライブレポートや評論など永きに亘って
保存しておきたいテキストはブログに記録するというスタ
イルが定着しています。私の場合は同じアーティスト/バン
ドを見続けることをひとつの目標にしていますので、格納
されたライブ評などは、アーカイヴとしてそれなりに楽し
んで頂けるのでは?と密かに思っています。

始めたばかりの頃は手探りだったFBですが、次第に要領が
解ってきました。まあ要領といっても結局自分のやり易い
スタイルを保持していくという意味なんですが、私の場合
は(1)なるべく毎日書く~出来るだけ間隔を開けないこと              (2)言いたいことを言う~ときに敵を作っても構わない
(3)同業者とは馴れ合わない~そのために個人ではなく法
人アカウントに設定、とおよそ3つことを意識しました。
すると自分の資質というか個性のようなものが自然と解って
きて、これは自分でもなかなか面白い発見でした。

というわけで所々書き連ねてきましたが、皆様の励ましや
応援はホント嬉しい限りで、書き続ける大きな動機になって
います。先日、昔東京で知り合って今は北海道にお住まいの
方から、「FBもTWもブログも毎日読んでいます!」という
何とも嬉しいお便りを頂きました。そういう方のためにも
続けていこうと思っています。いろいろなタイプの音楽評論
があるでしょう。自分の場合は「聴いて感じたことをスケッ
チする」「一人のアーティストを英雄視するのではなく、同
時代の他の音楽家との関係のなかで把握していく」ことを基
本に考えています。今後ともよろしくお願いします。

小尾隆(2016年10月)

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by obinborn | 2016-10-02 09:15 | one day i walk | Comments(0)