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移民の目

エリック・アンダーソンが2000年に発表したアルバムでは、
一曲めにEyes of the Immingrantという新曲が歌われていた。
それは遥かアイルランドから海を渡り、アメリカに辿り着い
た移民をテーマにした歌だった。この例に限らずアメリカと
は多民族からなる複合国家であり、そこに掲げられた多様性
への理解はこの国の根幹を成すものとなった。その土台が今
崩れつつある。排外主義的なトランプと、彼の悪夢的な入国
拒否の政策に私は抗議します。

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by obinborn | 2017-01-31 07:35 | one day i walk | Comments(0)  

陶守正寛さんとの対話:高橋健太郎に抗議する

陶守正寛
(1月28日:高橋氏のツイに)横から失礼します。小尾さんは、全然ネトウヨなんかではないですよ。ただ、典型的な左翼思想の人が嫌いなだけだと思います。

小尾
陶守さん、ありがとうございます。そもそも実際に会って話したことがない相手に対し「ネトウヨだ!」「ネトウヨかも?」などとレッテルを貼ること自体失礼極まりなく、思慮のなさと知性の欠落を感じます。また本来「ネトウヨ」とは在特会などの主張と同期する民族的な排外主義者のことであり、人種融和を願う私の考え方とはまるで異なります。

陶守
小尾さんがネトウヨ的(というか右翼的)な行動をしているのを見たことがありませんし、そもそもそういう思想の持ち主だとも思っていませんので口を挟みました。高橋氏の返答があったのは今まで気づいてませんでした。しかしあの内容(左翼思想の逆張りなど)、僕には理解不能です。うーむ。

小尾 
私もまったく理解不能ですね。何だかんだ屁理屈付けて呟いていますが、要は自分の意に沿わない同業者を貶めたかったのでしょう。個人の思い込みで「ネトウヨ」認定された私は大迷惑。29日の朝氏のツイに抗議し謝罪を求めましたが、30日朝の時点でまだ返答を頂いていません。

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by obinborn | 2017-01-30 10:38 | one day i walk | Comments(0)  

VIVA、ミスター山名昇!

今日は山名昇さんこそ最高の音楽評論家であることが
逆説的に証明されました!山名先生のマニアックな拘り、
収集熱、広範な知識には昔から一貫した熱量があり、ち
ょっと世の中を斜に見る態度もまた、好ましいものとして
映ります。私は80年代に先生が『寝ぼけ眼のアルファッ
ファ』を自費出版された少し後に直接お話しする機会を
得て、以来ときどき(近年はごくたまに)お酒を飲んだり
DJをご一緒させて頂いてます。私は氏が最も得意とされる
ジャマイカ音楽には詳しくないのですが、パブロックから
その下地となるブルーズ/R&Bまで、これほど気が合う同
業者も珍しいと思われます。以前三鷹のバイユーゲイトで
「タカシ!いいぞ!」と呼んでくれたり、もうサイコー!

少しだけマジな話をすると、ロジカルな大風呂敷を広げる
のではなく、本当に自分の好きな音楽をとことん追求して
いく、その心映えにかつて音楽青年だった頃の面影を感じ
るから慕っているのかもしれません。山名さん、先日私は
マッコイズHANG ON SLOOPYの7'sを回しましたよ。それ
ではまたいつか。お元気で。

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by obinborn | 2017-01-30 01:50 | one day i walk | Comments(0)  

日曜日のボ・ディドリー

今日は江古田のハロー・オールドタイマーでランチした後、
隣町・東長崎のクレオール・コーヒーに行ってきました!
たまたまパブロック好きのAさんが来られて、久し振りに話
せたことが嬉しかったです。まあ世の中いろいろな人たちが
います。楽しい人、寂しい人、威張る方、謙虚な方etc…Aさ
んは間違いなく楽しい方ですね。彼は以前ぼくがパブロック
のDJを天辰さんと一緒に開催した時に来てくださり、以来
東京ローカル・ホンクやパイレーツ・カヌーなど互いが好き
なバンドのライブ会場でお会いしてきました。

すごくバック・トゥ・ベーシックなことに立ち返ると、ニン
ゲン素直に音楽を楽しめなくなったらオシマイです。そして
もし自分が間違った行いをして人を傷付けてしまった場合、
ちゃんと相手に謝れるかどうかも。誰もが自分が可愛く自分
を守りたい気持から逃れられませんが、肝心な時に人に対し
て「ごめんなさい、ご迷惑をお掛けしてすいませんでした」
と言えるかどうか。ぼくはそこに人の度量(のようなもの)
を見てしまいます。

つまらないこと書き連ねてスミマセン!ところで今日クレオ
ールではボ・ディドリーのシングル盤SOUL TRAIN(Chess〜
69年)を購入しました。ソウル音楽の有名なTV番組と関係あ
るのかどうかはよく解りませんが、いわゆるボ・ビートでは
なく、ミッドテンポで粘る曲調が新鮮です。オルガンの導入
もファンキーなサウンドのなか映えていますし、誰が吹いて
いるのか解らないへたっぴいなハーモニカも、ガレージ・ロ
ックの匂いを運んできます。こりゃ次のDJで「使えるぜい!」

今晩はもう少しだけビールを飲み、休日の音楽を楽しもうと
思っています。

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by obinborn | 2017-01-29 18:15 | one day i walk | Comments(0)  

今宵はライノ・レーベルの大河シリーズ『SOUL SHOTS』を!

今日は群馬県の沼田まで義父の一周忌法要に行ってきました。
普段電車に乗らない生活をしているので弱冠疲れましたが、
家族・親族のみんなと会えて良かったです。法要後は地元の
老舗:網元で鰻を。これがまた美味しかったのでした。

京都の音楽通&ベーシストTANYさんのツイを見て、久し振り
に米ライノが87年前後にリリースした『SOUL SHOTS』を聞
き始めました。60〜70年代のR&B〜ソウルのヒット曲を網羅
したこのシリーズ、さっき棚から引っぱり出したら、Vol.1か
ら飛び飛びで7枚ほどありました(汗)

個々の素晴らしい楽曲についてはあえて触れませんが、一枚
ごとに「ダンス・パーティ」「インストゥルメンタル」「ス
ウィート・ソウル」「ブルー・アイド・ソウル」など必ずテ
ーマを設け、それに沿った選曲がされている点に興味を覚え
ました。細かいことを言えば「俺なら違うセレクトをする!」
という気持も弱冠ありますが、それを言ってしまうのは禁猟
区。だったら自分でCDRなりカセットテープを作ってみなさ
い!っていうお話ですよね(笑)

80年代後半のライノ・レーベルと言えば、まさに自主独立の
気風に溢れたインディの会社でした。その功績の多くはリイ
シューにありましたが、ロスアンジェルスに拠点を置くレー
ベルだけに、チカーノの新世代をコンパイルした”新録音”を
何気に出していたことは、もっと語られていいような気がし
ます。

いずれにせよ、まるでヒット・パレードのように幾多のR&B
〜ソウルの名曲群を聞けるのはすごく嬉しいものです。今夜
はこの『SOUL SHOTS』のシリーズでガンガン行きます!

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by obinborn | 2017-01-28 20:09 | one day i walk | Comments(0)  

編集者と私


Kさんは07年から08年にかけて私の書籍を担当してくださった
編集者です。具体的には増補改訂版の『Songs』を手始めに、
『U.S Records』『U.K Records』と計3冊の作業に関わって
頂きました。私が掘っている音楽のことを殆ど知らない方(
そりゃそうですよね)でしたが、どこまでも一生懸命に、とき
に私の文章の誤りを優しく指摘する、ありがたい存在でした。

時を経て、ある日自由が丘にあるバードソング・カフェで久し
ぶりに彼女と再会しました。何でも今現在は出版業界から足を
洗い、別の職業に就いているとのこと。私もフリータイムの音
楽ライターとして将来を案じ、まったく異なる職場を見つけま
した。そこには時間という名の堆積があったように思います。
Kさんとはバードソング・カフェが移転する以前、まだ中目黒
にお店があった頃から、よくミーティングを重ねました。向こ
うがどう思っていたのかは解りませんが、夏目漱石の話をした
り、「私は海外旅行なんかに興味はありません。小説を読む時
間を大事にしたい」と言っていたことは今でもよく覚えていま
す。

二時間ほどお酒を飲み会話をした後、私は一足先に店を出まし
た。Kさんはバー・カウンター席を離れ、地下から階段を登っ
てきてくれました。それだけではありません。別れの挨拶をし
てからふと振り返ってみると、彼女はまだそこに立ったまま、
私に手を振っていました。


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by obinborn | 2017-01-28 01:21 | one day i walk | Comments(0)  

ロニー・レインのこと、学生時代の記憶

夕暮れの陽射しが少しずつ伸びてきました。さっきビールを
飲み始め、我が最愛の人、ロニー・レインの『ANYMORE F
OR ANYMORE』(74年)を聞いています。彼のことは音楽
誌等に沢山の記事を書いてきましたので、もう言い残すこと
は殆どありません。ですから今日は少々脱線して、ごく個人
的なことをメモしていきたいと思います。

私が最初にこのレコードを聞いたのは、大学時代の友人S君
が貸してくれたからでした。あれは確か79年の夏休み前後の
ことでした。S君とは音楽サークルで知り合ったのですが、
皆がドゥービー最高!イーグルス抜群!と騒いでいるなかで
殆ど浮いた存在でした。何せ卒業アルバムの記念写真にマッ
ド・エイカーズの『ウッドストック・マウンテンズ』を掲げ
るような男ですからね。でも私は何故かそんなS君に注目し
ていました。彼とよく話してみると児童文学を愛するナイー
ブな青年でした。S君とよくつるんで大学近くにある江古田
のロック喫茶クランで語り合い「吉祥寺の芽瑠璃堂にエディ
・ヒントンのカット盤が入荷したらしい。オビ君、ぼくは今
日バイトがあるから2枚買ってきてね!」なんていう会話を
しました。

あの時代から40年近くの歳月が流れ、お互いの連絡は少しず
つ途切れていきました。S君はさる有名なタレントさんと幸せ
な結婚をし、私もまた妻を得ました。80〜90年代は仕事の忙
しさもあってか、完全に交流は絶えてしまったのです。ところ
が運命とは本当に面白いものですね。S君が下北沢のロック・
バー、ストーリーズに通っていて、時々「オビ君に会いたいな
あ」なんて言っていることを、ヘタウマ・スワンプ・ギタリス
トのY君や『ワルボロ』でおなじみの映画監督Sさんが教えてく
れたのです。ストーリーズの店主である落合さんも何気に動い
てくださいましたし、S君と同じ文学部のIさんとは本当に偶然
にも、藤沢のケインズというバーで出会い、S君の話題に花を
咲かせました。

私が2008年に3冊めの著作を出し、そのトーク・イベントが
新宿のディスク・ユニオンで催された時、その長く失われた
友人のS君が来てくれたことは本当に嬉しかった!実際彼は
私の音楽嗜好に決定的な影響を与えた人物であり、あの夏に
ロニーのLPを貸してくれたことを、今も鮮やかに思い起こす
ことが出来ます。でもそれ以上にS君から教わったのは「時
代なんてナンボのもんじゃい?ぼくは流行で動かないのさ」
という人生への真摯な眼差しでした。しかも彼の場合、常に
伏せ目がちであり、控えめであり、デリケートな心のありか
のことを熟知していました。

そんなことを思い出しながら聞くロニー・レインは特別です。
都会の喧騒、あるいは世間の流行に背を向けて旅立つ男たち
を捉えたアルバム・ジャケット。それがすべてを物語ってい
るような気がします。

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by obinborn | 2017-01-27 18:18 | one day i walk | Comments(0)  

グレッグ・オールマンの『レイド・バック』を再訪してみました

「深夜のホテルの一室で、グレッグ・オールマンが音を
消したままテレビを観ている。そのブラウン管の明かり
が照らし出す彼の疲れた横顔は、メイコンの月夜の墓地
のように蒼白い」これはかつてまだ使い走りの記者に過
ぎなかった若き日のキャメロン・クロウがローリング・
ストーン誌に寄稿した文章ですが、ツアーに明け暮れる
グレッグの孤独を写し取った名文だと思っています。

彼が初めてのソロ・アルバム『レイド・バック』を発表
したのは、オールマンズが『ブラザーズ&シスターズ』
をリリースしたのと同じ73年のことでした。まさか新生
オールマンズのカムバック作の前に出すわけにもいかな
かったので、発売は『ブラザーズ〜』の後になってから
のことでしたが、ジョニー・サンドリンをプロデューサ
ーに迎え、ジョージア州メイコンのキャプリコーン・サ
ウンド・スタジオで録音されたという点で両者は共通し
ます。時期は微妙に違っていたのでしょうが、バンドの
新作と前後してグレッグがソロ作のために時間を割いて
いたことは興味深い現象ですね。

本作にはかつてオールマンズで歌っていた「ミッドナイ
ト・ライダー」と「プリーズ・コール・ホーム」の再演、
アワーグラス時代にロスアンジェルスで修行していた頃
に知り合った旧友ジャクソン・ブラウンの「ジーズ・デ
イズ」、フォンテラ・バスとボビー・マクルーアが65年
の3月にヒットさせたR&B「ドント・メス・アップ・ア
・グッド・シング」、カーター・ファミリーを始めとし
て多くの人々に親しまれてきたカントリー・ソング「永
遠の絆」、既にカウボーイを立ち上げていたスコット・
ボイヤーの「オール・マイ・フレンズ」、残りの2曲が
当時グレッグと結婚したばかりのシェールに捧げたと思
しき「マルティカラード・レディ」に「クィーン・オブ
・ハーツ」というグレッグの書き下ろしでした。

オールマン・ファミリーからチャック・リーヴェル、ジ
ェイモ、ブッチ・トラックスの三人を招集しつつも、グ
レッグはバンドとの違いを明確にするために、アトラン
ティック・ジャズを中心に鳴らしたデヴィッド・ニュー
マンのサックスや、当時ニール・ラーセンらとともにフ
ルムーンを結成していたバジー・フェイトンのギターを
随所に配していきます。米南部ロックならではの寛ぎ(
それこそレイド・バック!)を基本としながらも、時々
洗練されたアーバンなテイストが加わった点に、本作の
意義があるのかもしれません。

とくに「クィーン・オブ・ハーツ」に於けるバジー・フ
ェイトンのギター・ソロとオブリガートは屈指の名演!
フェイトンといえばボブ・ディランの『新しい夜明け』
(70年)やラスカルズの『アイランド・オブ・リアル』
(72年)に起用され、少しずつ頭角を現してきたプレイ
ヤーですが、グレッグの「クィーン・オブ・ハーツ」も
また”名盤の陰にフェイトンあり!”を世間に知らしめて
いきました。このバラードは途中でイン・テンポとなり、
デヴィッド・ニューマン(当時は『ダグ・サーム&バン
ド』=73年にも参加)のサックスがここぞとばかりに吹
きまくるのでした。

『レイド・バック』にはいわば米南部ロックと都会的な
テイストの抱き合わせがあり、超克があり、グレッグは
そのなかで歌唱に思いの丈を込めていきます。高校時代
に本作やエリック・クラプトンの74年作『461オーシャ
ン・ブルーバード』と出会ったことは、私に歌とギター
との幸せな関係を考えさせるきっかけになりました。グ
レッグの歌の彼方から今宵もメイコンの月が立ち登って
くるようです。

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by obinborn | 2017-01-27 01:55 | one day i walk | Comments(0)  

オールマン・ブラザーズと私

しかし中学〜高校と進むにつれて自分の手持ちのLPが
5枚から10枚へと少しずつ増えていくのは、これから
未来を開いていくようなドキドキ感があって、今から
振り返ればいいものでした。よく知り合いの(尊敬す
る)音楽家たちに「生涯の5枚は?」なんて訊くので
すが、そういう時に相手がどうしても音楽体験の初期
に接したアルバムを選んでしまうのは、最も多感だっ
た時期に聞いたが故、記憶の底にしっかり刻まれてい
るからでしょう。

私がオールマンズを知ったのはデュエイン・オールマ
ンとベリー・オークリィーが相次いで事故死してから
のことであり、その悲劇を乗り越えて再出発した『ブ
ラザーズ&シスターズ』(73年)が最初に買った彼ら
のレコードでした。シングル・カットされた「ランブ
リン・マン」が73年の9月に全米チャートの第2位に
輝き、またオールマンとデッドとザ・バンドで60万人
を集めたワトキンス・グレンのコンサートがウッドス
トック・フェスの集客を超えたと話題になった頃です。
そんな情報は所沢の田舎に住む私にもラジオを通して
伝わってきたのでした。

最初にA面一曲めの「虚しい言葉」を聞いた時は、デ
ィッキー・ベッツが弾くダル丸出しのスライドギター
の印象が強く「何てもっちゃりとした音なんだ!」と、
エッジの効いたブリティッシュ・ロック(クリーム、
フリー、ジェフ・ベック・グループ)と比べてしまい
ひどく落胆させられました。まだ自分には”ファットな
横揺れ”なんていう語彙はありません。しかしそのイモ
で田舎臭い音楽が、以降の私の音楽嗜好を明確にして
いったのですから面白いですよね。

デュエインに代わるギタリストをあえて補充せず(レ
ス・デューイックの「ランブリン・マン」へのゲスト
参加はありますが)、新たにチャック・リーヴェルの
ピアノを迎えたことからも解る通り、ギター中心のジ
ャム・バンド指向が弱まった一方、グレッグ・オール
マンの、あるいはディッキー・ベッツのヴォーカルを
聞かせようというソング・オリエンテッドな姿勢を感
じます。とくにボビー・ブランドで知られる曲をグレ
ッグが歌うブルーズ・ナンバー「ジェリー・ジェリー」
は感動的。ここら辺の良さは加齢ごとに染みまくるよ
うな気がします。とっくに当時の彼らの年齢を自分は
超えているのにね(笑)

以前もブルーズの古典的な名曲「ストーミー・マンデ
ィ」を取り上げていたオールマンズ。しかしながら原
作者であるT・ボーン・ウォーカー版というよりは、ボ
ビー・ブランドのヴァージョンに近い彼らの歌と演奏
を耳にしていると、メイコンで育ったオールマン兄弟
の音楽地図がくっきり見えてくるようです。そう、リ
チャード・マニュエルがそうであったように、グレッ
グ・オールマンもまたボビー・ブランドやレイ・チャ
ールズに憧れた青年の一人だったのです。

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by obinborn | 2017-01-26 18:02 | blues with me | Comments(0)  

追悼:ブッチ・トラックス

ブッチ・トラックス(写真右端)が亡くなってしまった。
享年69歳。オールマン・ブラザーズ・バンドのドラマー
として、結成された69年からずっとリズム・パートの一
角を担ってきたメンバーだった。とくにジェイモとのツ
イン・ドラムス(パーカッション)は米南部ロックのダ
イナミズムを伝えるとともに、ジャズ的なアプローチも
示す確かな技術があり、90年代以降に隆盛を極めたイン
プロ〜ジャム・シーンの礎となった。なおご存知のよう
に、現在大活躍しているデレク・トラックスはブッチの
甥っ子である。

悲しくなって『フィルモア・イースト・ライブ』のLP盤
を部屋から取り出してきた。忘れもしない高校2年の時
に所沢のヤマハ楽器でぼくはこのアルバムを購入したの
だった。ベリー・オークリーの弾力あるベースと同期し
ながら舞い上がっていくブッチやジェイモのリズムがあ
ってこその、デュエイン・オールマンであり、ディッキ
ー・ベッツだった。今でもそう思う。

小川洋子の自伝的な小説『ミーナの行進』のなかには、
ある日撮った家族・親族との記念撮影を振り返りながら
主人公が呟く場面がある「みんないる。誰一人欠けてい
ない」と。そのことを反芻しながら『フィルモア』のジ
ャケットを眺めていると、何とも言えない感情に襲われ
てしまう。確かにみんないる。時計回りにデュエイン、
ジェイモ、グレッグ、ベリー、ブッチ、そしてディッキ
ー。みんなまだ20代の若者たちだった。

ブッチさん、今まで素晴しい演奏の数々を本当にありが
とうございました。「エリザベス・リードの追憶」序盤
での秘めやかなパートから、次第に熱を帯びていくあな
たのドラムスが大好きでした。

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by obinborn | 2017-01-26 02:59 | one day i walk | Comments(4)