陶守正寛さんとの対話:高橋健太郎に抗議する

陶守正寛
(1月28日:高橋氏のツイに)横から失礼します。小尾さんは、全然ネトウヨなんかではないですよ。ただ、典型的な左翼思想の人が嫌いなだけだと思います。

小尾
陶守さん、ありがとうございます。そもそも実際に会って話したことがない相手に対し「ネトウヨだ!」「ネトウヨかも?」などとレッテルを貼ること自体失礼極まりなく、思慮のなさと知性の欠落を感じます。また本来「ネトウヨ」とは在特会などの主張と同期する民族的な排外主義者のことであり、人種融和を願う私の考え方とはまるで異なります。

陶守
小尾さんがネトウヨ的(というか右翼的)な行動をしているのを見たことがありませんし、そもそもそういう思想の持ち主だとも思っていませんので口を挟みました。高橋氏の返答があったのは今まで気づいてませんでした。しかしあの内容(左翼思想の逆張りなど)、僕には理解不能です。うーむ。

小尾 
私もまったく理解不能ですね。何だかんだ屁理屈付けて呟いていますが、要は自分の意に沿わない同業者を貶めたかったのでしょう。個人の思い込みで「ネトウヨ」認定された私は大迷惑。29日の朝氏のツイに抗議し謝罪を求めましたが、30日朝の時点でまだ返答を頂いていません。

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# by obinborn | 2017-01-30 10:38 | one day i walk | Comments(0)  

VIVA、ミスター山名昇!

今日は山名昇さんこそ最高の音楽評論家であることが
逆説的に証明されました!山名先生のマニアックな拘り、
収集熱、広範な知識には昔から一貫した熱量があり、ち
ょっと世の中を斜に見る態度もまた、好ましいものとして
映ります。私は80年代に先生が『寝ぼけ眼のアルファッ
ファ』を自費出版された少し後に直接お話しする機会を
得て、以来ときどき(近年はごくたまに)お酒を飲んだり
DJをご一緒させて頂いてます。私は氏が最も得意とされる
ジャマイカ音楽には詳しくないのですが、パブロックから
その下地となるブルーズ/R&Bまで、これほど気が合う同
業者も珍しいと思われます。以前三鷹のバイユーゲイトで
「タカシ!いいぞ!」と呼んでくれたり、もうサイコー!

少しだけマジな話をすると、ロジカルな大風呂敷を広げる
のではなく、本当に自分の好きな音楽をとことん追求して
いく、その心映えにかつて音楽青年だった頃の面影を感じ
るから慕っているのかもしれません。山名さん、先日私は
マッコイズHANG ON SLOOPYの7'sを回しましたよ。それ
ではまたいつか。お元気で。

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# by obinborn | 2017-01-30 01:50 | one day i walk | Comments(0)  

日曜日のボ・ディドリー

今日は江古田のハロー・オールドタイマーでランチした後、
隣町・東長崎のクレオール・コーヒーに行ってきました!
たまたまパブロック好きのAさんが来られて、久し振りに話
せたことが嬉しかったです。まあ世の中いろいろな人たちが
います。楽しい人、寂しい人、威張る方、謙虚な方etc…Aさ
んは間違いなく楽しい方ですね。彼は以前ぼくがパブロック
のDJを天辰さんと一緒に開催した時に来てくださり、以来
東京ローカル・ホンクやパイレーツ・カヌーなど互いが好き
なバンドのライブ会場でお会いしてきました。

すごくバック・トゥ・ベーシックなことに立ち返ると、ニン
ゲン素直に音楽を楽しめなくなったらオシマイです。そして
もし自分が間違った行いをして人を傷付けてしまった場合、
ちゃんと相手に謝れるかどうかも。誰もが自分が可愛く自分
を守りたい気持から逃れられませんが、肝心な時に人に対し
て「ごめんなさい、ご迷惑をお掛けしてすいませんでした」
と言えるかどうか。ぼくはそこに人の度量(のようなもの)
を見てしまいます。

つまらないこと書き連ねてスミマセン!ところで今日クレオ
ールではボ・ディドリーのシングル盤SOUL TRAIN(Chess〜
69年)を購入しました。ソウル音楽の有名なTV番組と関係あ
るのかどうかはよく解りませんが、いわゆるボ・ビートでは
なく、ミッドテンポで粘る曲調が新鮮です。オルガンの導入
もファンキーなサウンドのなか映えていますし、誰が吹いて
いるのか解らないへたっぴいなハーモニカも、ガレージ・ロ
ックの匂いを運んできます。こりゃ次のDJで「使えるぜい!」

今晩はもう少しだけビールを飲み、休日の音楽を楽しもうと
思っています。

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# by obinborn | 2017-01-29 18:15 | one day i walk | Comments(0)  

今宵はライノ・レーベルの大河シリーズ『SOUL SHOTS』を!

今日は群馬県の沼田まで義父の一周忌法要に行ってきました。
普段電車に乗らない生活をしているので弱冠疲れましたが、
家族・親族のみんなと会えて良かったです。法要後は地元の
老舗:網元で鰻を。これがまた美味しかったのでした。

京都の音楽通&ベーシストTANYさんのツイを見て、久し振り
に米ライノが87年前後にリリースした『SOUL SHOTS』を聞
き始めました。60〜70年代のR&B〜ソウルのヒット曲を網羅
したこのシリーズ、さっき棚から引っぱり出したら、Vol.1か
ら飛び飛びで7枚ほどありました(汗)

個々の素晴らしい楽曲についてはあえて触れませんが、一枚
ごとに「ダンス・パーティ」「インストゥルメンタル」「ス
ウィート・ソウル」「ブルー・アイド・ソウル」など必ずテ
ーマを設け、それに沿った選曲がされている点に興味を覚え
ました。細かいことを言えば「俺なら違うセレクトをする!」
という気持も弱冠ありますが、それを言ってしまうのは禁猟
区。だったら自分でCDRなりカセットテープを作ってみなさ
い!っていうお話ですよね(笑)

80年代後半のライノ・レーベルと言えば、まさに自主独立の
気風に溢れたインディの会社でした。その功績の多くはリイ
シューにありましたが、ロスアンジェルスに拠点を置くレー
ベルだけに、チカーノの新世代をコンパイルした”新録音”を
何気に出していたことは、もっと語られていいような気がし
ます。

いずれにせよ、まるでヒット・パレードのように幾多のR&B
〜ソウルの名曲群を聞けるのはすごく嬉しいものです。今夜
はこの『SOUL SHOTS』のシリーズでガンガン行きます!

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# by obinborn | 2017-01-28 20:09 | one day i walk | Comments(0)  

編集者と私


Kさんは07年から08年にかけて私の書籍を担当してくださった
編集者です。具体的には増補改訂版の『Songs』を手始めに、
『U.S Records』『U.K Records』と計3冊の作業に関わって
頂きました。私が掘っている音楽のことを殆ど知らない方(
そりゃそうですよね)でしたが、どこまでも一生懸命に、とき
に私の文章の誤りを優しく指摘する、ありがたい存在でした。

時を経て、ある日自由が丘にあるバードソング・カフェで久し
ぶりに彼女と再会しました。何でも今現在は出版業界から足を
洗い、別の職業に就いているとのこと。私もフリータイムの音
楽ライターとして将来を案じ、まったく異なる職場を見つけま
した。そこには時間という名の堆積があったように思います。
Kさんとはバードソング・カフェが移転する以前、まだ中目黒
にお店があった頃から、よくミーティングを重ねました。向こ
うがどう思っていたのかは解りませんが、夏目漱石の話をした
り、「私は海外旅行なんかに興味はありません。小説を読む時
間を大事にしたい」と言っていたことは今でもよく覚えていま
す。

二時間ほどお酒を飲み会話をした後、私は一足先に店を出まし
た。Kさんはバー・カウンター席を離れ、地下から階段を登っ
てきてくれました。それだけではありません。別れの挨拶をし
てからふと振り返ってみると、彼女はまだそこに立ったまま、
私に手を振っていました。


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# by obinborn | 2017-01-28 01:21 | one day i walk | Comments(0)  

ロニー・レインのこと、学生時代の記憶

夕暮れの陽射しが少しずつ伸びてきました。さっきビールを
飲み始め、我が最愛の人、ロニー・レインの『ANYMORE F
OR ANYMORE』(74年)を聞いています。彼のことは音楽
誌等に沢山の記事を書いてきましたので、もう言い残すこと
は殆どありません。ですから今日は少々脱線して、ごく個人
的なことをメモしていきたいと思います。

私が最初にこのレコードを聞いたのは、大学時代の友人S君
が貸してくれたからでした。あれは確か79年の夏休み前後の
ことでした。S君とは音楽サークルで知り合ったのですが、
皆がドゥービー最高!イーグルス抜群!と騒いでいるなかで
殆ど浮いた存在でした。何せ卒業アルバムの記念写真にマッ
ド・エイカーズの『ウッドストック・マウンテンズ』を掲げ
るような男ですからね。でも私は何故かそんなS君に注目し
ていました。彼とよく話してみると児童文学を愛するナイー
ブな青年でした。S君とよくつるんで大学近くにある江古田
のロック喫茶クランで語り合い「吉祥寺の芽瑠璃堂にエディ
・ヒントンのカット盤が入荷したらしい。オビ君、ぼくは今
日バイトがあるから2枚買ってきてね!」なんていう会話を
しました。

あの時代から40年近くの歳月が流れ、お互いの連絡は少しず
つ途切れていきました。S君はさる有名なタレントさんと幸せ
な結婚をし、私もまた妻を得ました。80〜90年代は仕事の忙
しさもあってか、完全に交流は絶えてしまったのです。ところ
が運命とは本当に面白いものですね。S君が下北沢のロック・
バー、ストーリーズに通っていて、時々「オビ君に会いたいな
あ」なんて言っていることを、ヘタウマ・スワンプ・ギタリス
トのY君や『ワルボロ』でおなじみの映画監督Sさんが教えてく
れたのです。ストーリーズの店主である落合さんも何気に動い
てくださいましたし、S君と同じ文学部のIさんとは本当に偶然
にも、藤沢のケインズというバーで出会い、S君の話題に花を
咲かせました。

私が2008年に3冊めの著作を出し、そのトーク・イベントが
新宿のディスク・ユニオンで催された時、その長く失われた
友人のS君が来てくれたことは本当に嬉しかった!実際彼は
私の音楽嗜好に決定的な影響を与えた人物であり、あの夏に
ロニーのLPを貸してくれたことを、今も鮮やかに思い起こす
ことが出来ます。でもそれ以上にS君から教わったのは「時
代なんてナンボのもんじゃい?ぼくは流行で動かないのさ」
という人生への真摯な眼差しでした。しかも彼の場合、常に
伏せ目がちであり、控えめであり、デリケートな心のありか
のことを熟知していました。

そんなことを思い出しながら聞くロニー・レインは特別です。
都会の喧騒、あるいは世間の流行に背を向けて旅立つ男たち
を捉えたアルバム・ジャケット。それがすべてを物語ってい
るような気がします。

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# by obinborn | 2017-01-27 18:18 | one day i walk | Comments(0)  

グレッグ・オールマンの『レイド・バック』を再訪してみました

「深夜のホテルの一室で、グレッグ・オールマンが音を
消したままテレビを観ている。そのブラウン管の明かり
が照らし出す彼の疲れた横顔は、メイコンの月夜の墓地
のように蒼白い」これはかつてまだ使い走りの記者に過
ぎなかった若き日のキャメロン・クロウがローリング・
ストーン誌に寄稿した文章ですが、ツアーに明け暮れる
グレッグの孤独を写し取った名文だと思っています。

彼が初めてのソロ・アルバム『レイド・バック』を発表
したのは、オールマンズが『ブラザーズ&シスターズ』
をリリースしたのと同じ73年のことでした。まさか新生
オールマンズのカムバック作の前に出すわけにもいかな
かったので、発売は『ブラザーズ〜』の後になってから
のことでしたが、ジョニー・サンドリンをプロデューサ
ーに迎え、ジョージア州メイコンのキャプリコーン・サ
ウンド・スタジオで録音されたという点で両者は共通し
ます。時期は微妙に違っていたのでしょうが、バンドの
新作と前後してグレッグがソロ作のために時間を割いて
いたことは興味深い現象ですね。

本作にはかつてオールマンズで歌っていた「ミッドナイ
ト・ライダー」と「プリーズ・コール・ホーム」の再演、
アワーグラス時代にロスアンジェルスで修行していた頃
に知り合った旧友ジャクソン・ブラウンの「ジーズ・デ
イズ」、フォンテラ・バスとボビー・マクルーアが65年
の3月にヒットさせたR&B「ドント・メス・アップ・ア
・グッド・シング」、カーター・ファミリーを始めとし
て多くの人々に親しまれてきたカントリー・ソング「永
遠の絆」、既にカウボーイを立ち上げていたスコット・
ボイヤーの「オール・マイ・フレンズ」、残りの2曲が
当時グレッグと結婚したばかりのシェールに捧げたと思
しき「マルティカラード・レディ」に「クィーン・オブ
・ハーツ」というグレッグの書き下ろしでした。

オールマン・ファミリーからチャック・リーヴェル、ジ
ェイモ、ブッチ・トラックスの三人を招集しつつも、グ
レッグはバンドとの違いを明確にするために、アトラン
ティック・ジャズを中心に鳴らしたデヴィッド・ニュー
マンのサックスや、当時ニール・ラーセンらとともにフ
ルムーンを結成していたバジー・フェイトンのギターを
随所に配していきます。米南部ロックならではの寛ぎ(
それこそレイド・バック!)を基本としながらも、時々
洗練されたアーバンなテイストが加わった点に、本作の
意義があるのかもしれません。

とくに「クィーン・オブ・ハーツ」に於けるバジー・フ
ェイトンのギター・ソロとオブリガートは屈指の名演!
フェイトンといえばボブ・ディランの『新しい夜明け』
(70年)やラスカルズの『アイランド・オブ・リアル』
(72年)に起用され、少しずつ頭角を現してきたプレイ
ヤーですが、グレッグの「クィーン・オブ・ハーツ」も
また”名盤の陰にフェイトンあり!”を世間に知らしめて
いきました。このバラードは途中でイン・テンポとなり、
デヴィッド・ニューマン(当時は『ダグ・サーム&バン
ド』=73年にも参加)のサックスがここぞとばかりに吹
きまくるのでした。

『レイド・バック』にはいわば米南部ロックと都会的な
テイストの抱き合わせがあり、超克があり、グレッグは
そのなかで歌唱に思いの丈を込めていきます。高校時代
に本作やエリック・クラプトンの74年作『461オーシャ
ン・ブルーバード』と出会ったことは、私に歌とギター
との幸せな関係を考えさせるきっかけになりました。グ
レッグの歌の彼方から今宵もメイコンの月が立ち登って
くるようです。

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# by obinborn | 2017-01-27 01:55 | one day i walk | Comments(0)  

オールマン・ブラザーズと私

しかし中学〜高校と進むにつれて自分の手持ちのLPが
5枚から10枚へと少しずつ増えていくのは、これから
未来を開いていくようなドキドキ感があって、今から
振り返ればいいものでした。よく知り合いの(尊敬す
る)音楽家たちに「生涯の5枚は?」なんて訊くので
すが、そういう時に相手がどうしても音楽体験の初期
に接したアルバムを選んでしまうのは、最も多感だっ
た時期に聞いたが故、記憶の底にしっかり刻まれてい
るからでしょう。

私がオールマンズを知ったのはデュエイン・オールマ
ンとベリー・オークリィーが相次いで事故死してから
のことであり、その悲劇を乗り越えて再出発した『ブ
ラザーズ&シスターズ』(73年)が最初に買った彼ら
のレコードでした。シングル・カットされた「ランブ
リン・マン」が73年の9月に全米チャートの第2位に
輝き、またオールマンとデッドとザ・バンドで60万人
を集めたワトキンス・グレンのコンサートがウッドス
トック・フェスの集客を超えたと話題になった頃です。
そんな情報は所沢の田舎に住む私にもラジオを通して
伝わってきたのでした。

最初にA面一曲めの「虚しい言葉」を聞いた時は、デ
ィッキー・ベッツが弾くダル丸出しのスライドギター
の印象が強く「何てもっちゃりとした音なんだ!」と、
エッジの効いたブリティッシュ・ロック(クリーム、
フリー、ジェフ・ベック・グループ)と比べてしまい
ひどく落胆させられました。まだ自分には”ファットな
横揺れ”なんていう語彙はありません。しかしそのイモ
で田舎臭い音楽が、以降の私の音楽嗜好を明確にして
いったのですから面白いですよね。

デュエインに代わるギタリストをあえて補充せず(レ
ス・デューイックの「ランブリン・マン」へのゲスト
参加はありますが)、新たにチャック・リーヴェルの
ピアノを迎えたことからも解る通り、ギター中心のジ
ャム・バンド指向が弱まった一方、グレッグ・オール
マンの、あるいはディッキー・ベッツのヴォーカルを
聞かせようというソング・オリエンテッドな姿勢を感
じます。とくにボビー・ブランドで知られる曲をグレ
ッグが歌うブルーズ・ナンバー「ジェリー・ジェリー」
は感動的。ここら辺の良さは加齢ごとに染みまくるよ
うな気がします。とっくに当時の彼らの年齢を自分は
超えているのにね(笑)

以前もブルーズの古典的な名曲「ストーミー・マンデ
ィ」を取り上げていたオールマンズ。しかしながら原
作者であるT・ボーン・ウォーカー版というよりは、ボ
ビー・ブランドのヴァージョンに近い彼らの歌と演奏
を耳にしていると、メイコンで育ったオールマン兄弟
の音楽地図がくっきり見えてくるようです。そう、リ
チャード・マニュエルがそうであったように、グレッ
グ・オールマンもまたボビー・ブランドやレイ・チャ
ールズに憧れた青年の一人だったのです。

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# by obinborn | 2017-01-26 18:02 | blues with me | Comments(0)  

追悼:ブッチ・トラックス

ブッチ・トラックス(写真右端)が亡くなってしまった。
享年69歳。オールマン・ブラザーズ・バンドのドラマー
として、結成された69年からずっとリズム・パートの一
角を担ってきたメンバーだった。とくにジェイモとのツ
イン・ドラムス(パーカッション)は米南部ロックのダ
イナミズムを伝えるとともに、ジャズ的なアプローチも
示す確かな技術があり、90年代以降に隆盛を極めたイン
プロ〜ジャム・シーンの礎となった。なおご存知のよう
に、現在大活躍しているデレク・トラックスはブッチの
甥っ子である。

悲しくなって『フィルモア・イースト・ライブ』のLP盤
を部屋から取り出してきた。忘れもしない高校2年の時
に所沢のヤマハ楽器でぼくはこのアルバムを購入したの
だった。ベリー・オークリーの弾力あるベースと同期し
ながら舞い上がっていくブッチやジェイモのリズムがあ
ってこその、デュエイン・オールマンであり、ディッキ
ー・ベッツだった。今でもそう思う。

小川洋子の自伝的な小説『ミーナの行進』のなかには、
ある日撮った家族・親族との記念撮影を振り返りながら
主人公が呟く場面がある「みんないる。誰一人欠けてい
ない」と。そのことを反芻しながら『フィルモア』のジ
ャケットを眺めていると、何とも言えない感情に襲われ
てしまう。確かにみんないる。時計回りにデュエイン、
ジェイモ、グレッグ、ベリー、ブッチ、そしてディッキ
ー。みんなまだ20代の若者たちだった。

ブッチさん、今まで素晴しい演奏の数々を本当にありが
とうございました。「エリザベス・リードの追憶」序盤
での秘めやかなパートから、次第に熱を帯びていくあな
たのドラムスが大好きでした。

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# by obinborn | 2017-01-26 02:59 | one day i walk | Comments(4)  

ヴァン・モリソン『KEEP IT SIMPLE』

ヴァン・モリソンの近作では『KEEP IT SIMPLE』(08年)も
いいですね。9年前のアルバムを”近作”と呼ぶかどうかはとも
かく、自分の感覚ではつい最近のことのような気がする。この
盤以降モリソンは『アストラス・ウィークス再現ライブ』『B
ORN TO SING』『DUETS:RE〜』そして昨年の大傑作『KEE
P ME SINGING』をリリースしていく。とかくベテラン勢は10
数年ぶりの新作といった間隔になりがちだが、モリソンの場合
はずっと快調にキャリアを進めてきたことが解る。

内容は完全にオリジナルの新曲集といった塩梅だ。ロニー・ド
ネガンとのスキッフル・ライブやカントリー大会の『YOU WI
N AGAIN』と『PAY THE DEVIL』ですっかりルーツに立ち戻っ
たモリソンが、シンプルなコンボ編成で自分の歌に取り組んで
いる。ジョン・プラタニア(g)デヴィッド・ヘイズ(b)といっ
た70年代初期からモリソンを支えてきた最古参のメンバーもい
れば、ミック・グリーン(ジョニー・キッド&パイレーツ〜パ
イレーツのg)やゲラント・ワトキンス(デイヴ・エドモンズ〜
ニック・ロウ〜バラム・アリゲイターズのkbd)と、パブ・ロッ
ク界隈のキー・パーソンもいる。以前から少しずつモリソンが
切り開いてきたカレドニアソウルと大衆路線の融合かな。あま
り語られないのが残念だが、かつての名盤『INTO THE MUSIC』
で大活躍した女性ヴォーカリスト、ケティ・キッスーンも久し
ぶりに参加し、過日と変わらぬ瑞々しい歌唱を披露している。

なおアナログ盤のみD面に、08年の1月にブラックプール・オペ
ラ劇場で行われたライヴから3曲が収録されている。とくに名
曲AND THE HEALING HAS BEGUNが、かつてほど重くなく、
ペダル・スティールの楚々とともに響き渡る様は格別!そう、
前述した79年の名作『INTO THE MUSIC』で親しまれた曲だ。
そのスタジオ・アルバムで起用されていたケティが、歳月を経
てここでもモリソンとともに歌っている。音楽を聞いていて心
温まるのはこんな時だ。以前『バック・コーラスの歌姫たち』
という裏役シンガーにスポットを当てた映画があったけれど、
ケティ・キッスーンもまた素晴しい!

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# by obinborn | 2017-01-25 02:06 | one day i walk | Comments(0)  

アイズリー・ブラザーズ『ライヴ』〜黒人音楽の沸騰点へ!

歳のせいか、最近陽射しの強さが気になってきた。とくに
冬が侮れない。南向きの部屋では昼間ずっとカーテンを閉
める次第だ。かつてこんなことはなかった。ぼくは以前告
白したように緑内障であり、定期的に眼科検診を受けてい
る身だが、他の疾患を誘発しないようせめて気を付けたい。

今日の午後はずっとアイズリー・ブラザーズ『ライヴ』(
73年)を聞いていた。録音場所は残念なことに明記されて
いないものの、比較的小規模のクラブで行われたらしい親
密感は、容易にカーティス・メイフィールドやダニー・ハ
サウェイのライヴ作を思い起こさせるものだ。

アイズリーズといえばヴォーカル・グループとしてモータ
ウンに所属しながら「ツイスト&シャウト」や「ディス・
オールド・ハート・オブ・マイン」をヒットさせていた60
年代に始まり、90年代以降露になったブラコン〜H路線ま
で様々な顔がある息の長いヴォーカル&インスト・グルー
プだが、やはり独立レーベルのT・ネックを興してニュー・
ソウルの時代と同期していった70年代前半の時期に、ぼく
は一番親しみを覚える。

ジミ・ヘンドリクスの「マシーン・ガン」でアーニー・ア
イズレーのエグいギターが炸裂する。JBばりのファンク・
ナンバー「イッツ・ユア・シング」は高らかに公民権運動
と結託する。そして白人ロックからスティーヴン・ スティ
ルス「愛への讃歌」とボブ・ディランの赤裸々なメイク・
ラヴ曲「レイ・レディ・レイ」が選曲される。さらにはニ
ール・ヤングの「オハイオ」が学園闘争の時代を反映する。
そのどれもに高らかな信念(少なくともぼくたちはこうで
ありたいという願い)があり、音楽的にはソウルとロック
との幸せな結婚がある。

自覚的なアーティストは時代を切り取ると同時に、そうし
た時代の状況に流されないよう、音楽としてのクォリティ
をしっかり掴み取る。そうしたトータルな観点で振り返っ
てみると、この『アイズリーズ・ライヴ』が時の流れを超
え、今なお当時を知らない若者たちから支持されている理
由が判る。そこにはリズムのさざ波があり、劇的な興奮が
あり、ファンク音楽ならではの連帯と陶酔がある。

目はすっかり悪くなってしまったけれど、自分の耳で偏見
なく音楽を聞き取る能力は失いたくない。そんなことをふ
と思う一月終わりの季節だった。


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# by obinborn | 2017-01-24 18:29 | one day i walk | Comments(0)  

遥か、ラクーンに

(東日本大震災時に友人から貰ったメールを再録します)

だんまりをしてすみません。
被災地へのおこころづかいありがとうございます。
先日やっと故郷・陸前高田で家族と対面できました。
それまでは毎日映像を見るたび泣いて暮らしていましたが
行く道の、自衛隊の皆さんやタンクローリー、
救援物資を運ぶトラックの逞しい姿に何度勇気づけられたことか。
皆さんの善意のライン。
そうでした、心が折れたなんていっている場合ではないのでした。
頭は冷たく心は熱く。やることは山積みです。
まだ音楽などを楽しめる余裕はありませんが
もう少し経って、気持ちをくんでくれるのも
傍にいてくれるのも必ず音楽だと思っています。
それぞれの思いを胸に前へ
どんなに厳しいときも生き抜いてゆきましょう。

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# by obinborn | 2017-01-22 19:19 | rock'n roll | Comments(0)  

B.J.トーマスのこと

今日は奥田英朗の『向田理髪店』を読了。北海道の過疎地を
テーマにした連作短編で、小さい町ならではの人間関係の温
かさと疎ましさがユーモアとともに描かれていた。現実とし
ては財政破綻に陥った夕張市を想定したのではないだろうか。
僕が奥田さんで偉いなと思うのは、いわゆる自己憐憫に終始
しがちな私小説ではなく、人々が求めている”物語”を洗い直
しながら紡いでいること。行間に温かさが滲む。ほんのりと
した湯加減に包まれる。

B.J.トーマスの歌にも同じようなことが言える。彼は60年代
の後半から70年代にかけて全米チャートを賑わしたシンガー
であり、代表曲「雨に濡れても」を両親のレコードで聞いた
若い人たちも少なくないだろう。B.J.の場合自分の歌を自分
で作るシンガー・ソングライターではなかったけれど、その
確かな歌唱が多くの人々の心を捉えた。SSWの時代には随分
と”ヘタウマ”が跋扈した。それでも同時代を駆け抜けたB.Jは
歌そのもので、確かなテナー・ヴォイスで、聴衆たちを魅了
していったのだ。

そんなB.Jにとって73年の『SONGS』はメジャー・キャリア
の後半戦だった。ウェイル=マンの曲を、ゴフィン=キング
のナンバーを、あるいはマーク・ジェイムズやバリー・ゴー
ルドバーグの曲を、B.J.はしっかり自分の歌へと昇華させる。
まさにシンガーならではの矜持、ここにあり。

温かい部屋で立派なオーディオ装置に囲まれるのが歌ではな
いだろう。深夜のラジオで、町の片隅で、本物の歌は人々の
凍て付いた心を溶かしていく。B.J.トーマスはそれが出来る人
だ。北の町の寒さを思う。B.J.のことを思う。

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# by obinborn | 2017-01-22 18:59 | one day i walk | Comments(0)  

リベラルというねじれのこと、逆説のこと。

オハイオ州といえば僕なんかの世代はどうしてもニール・
ヤングの「オハイオ」を思い起こしてしまう。そう、同地
のケント大学で行われたデモ集会に警察が発砲し、四人の
学生が殺された事件をヤングは扱い、その歌に権力の横暴
への怒りを込めたのだった。そこでは当時のリチャード・
ニクソン大統領が名指しで批判されている「鉛の兵士たち
とニクソンがやってきた。四人が殺された。信じられるか
い?」と。

あれから45年以上の長い歳月が経ち、僕は久し振りにオハ
イオの名前を耳にした。かつては鉄鋼業が栄えた州だった
が、産業はすっかり寂れラストベルト(錆び付いた地帯)
と呼ばれるようになったエリアだ。21日の朝日記事の通り、
この町の人々の多くは仕事を失い、トランプが掲げる「ア
メリカを取り戻そう!」に共鳴し、地域代理人に自分たち
の未来を託したのだった。

暮らしたことがないアメリカに気持を寄せるのは危険なこと
だ。僕はオハイオの失業者たちの成り立ちを実感として理解
していないから。それでも思う。人種融和や多様性を掲げた
理想主義の以前に「仕事が欲しい!」という願いが切実であ
ることを。今日は多くのリベラル・左派の論者のページに当
たってみたけれど、どこもトランプ新大統領を感情的に貶め
る内容ばかりで、冷静な理論を伴って説明したものは皆無だ
った。そのことをとても残念に思う。

第一リベラルとは、オハイオの取り残された人々のような弱
者へと寄り添う思想であり行動原理ではなかっただろうか?
それがいつしかねじれを起こし、逆説的な説法となり、大衆
の心とかけ離れてゆく。そんなことを感じずにはいられない
寒い冬の一日だった。

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# by obinborn | 2017-01-22 04:14 | rock'n roll | Comments(0)  

真冬のカーレン・ダルトン

今日は寒かったのでカーレン・ダルトン。言わずと知れた
ウッドストックならでは手作りの質感と幽玄的なヴォーカ
ルの取り合わせが頂点に達している。30歳ちょっと過ぎの
カーレンがまるで達観した老女のように歌っている。湿性
フォークの先駆として今なお語り継がれているのは、そん
なミステリアスな存在感ゆえだろう。とくにザ・バンドの
IN A STATIONが秀逸。ジョージ・ジョーンズのカントリー
TAKE MEからマーヴィン・ゲイのR&B曲HOW SWEEET
IT ISまでの広角な選曲、2つのバンジョー・チューンの枯
れすすきのような味わいも格別で、SAME OLD MANでは
ホーリー・モーダル・ラウンダーズのスティーヴ・ウェバ
ーがアレンジを担当している。またアルバムの随所で印象
的なヴァイオリンを弾くボビー・ノコトフは、ザ・ロケッ
ツ〜初期クレイジー・ホースの作品でもおなじみだ。

ちなみに本作にフレッド・ニールはこんな讃辞を寄せてい
る「カーレンは60年代初期に私が自分のスタイルを模索す
る最中で最も影響を受けた重要なシンガーです。ある夜私
は彼女をヴィレッジのクック・アンド・ブル(のちのビタ
ー・エンド)に連れていきました。カーレンは私のBLUES
ON THE CEILINGを歌ったのですが、あまりにも感情を込
めて歌ったので、作者の私でさえその曲を作ったのは彼女
ではないか?と思うほどでした」

フレッド・ニールが言うように「他人の曲を自分の歌のよ
うに歌う」点に、カーレンの美点が凝縮している。そんな
彼女に引き寄せられるように、プロデューサーのハーヴェ
イ・ブロックス(エレクトリック・フラッグ〜ファビュラ
ス・ラインストーンズ)が貢献した。エイモス・ギャレッ
ト、ポール・バタフィールド、ジョン・ホール、ジョン・
サイモン、リチャード・ベル、ビル・キースetc...といった
ニューヨーク〜ウッドストック・エリアの演奏家たちが脇
を固めた。カーレン・ダルトンの『IN MY OWN TIME』は
そんな時代のモニュメントであり、その輝きが失われるこ
とはないだろう。

ジョン・ホールは言う「カーレンの歌に合わせてギターを
弾くのは大変だった。彼女のヴォーカルは限りなく飛翔し、
どこに着地するか予想出来ない種類のものだったからね」
フレッド・ニールの讃辞とともに、ジョン・ホールによる
回想(聞き手は筆者・99年)もまた、カーレンの歌唱を上
手く捉えていた。

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# by obinborn | 2017-01-21 02:03 | blues with me | Comments(0)  

リアリストの思考

かつてサラリーマンの平均年収は600万だった。ちょっと身
振りがいい企業で700〜800万だったと記憶する。若い人は
知らないだろうが、一億総中産階級と呼ばれた高度成長時代
である。以降バブルの栄華と退潮、リーマン・ショックを経
て、日本経済は低迷の一途を辿っている…というのが大筋で
の見立てである。私がとくに指弾したいのは小泉・竹中内閣
時代に推し進められた新自由主義だ。この愚策によって非正
規労働者が増え、彼らは企業の単なる雇用調整弁の対象とな
り、不安定な生活を余儀なくされた。アルバイトの時給を現
在1,000円と仮定したら、今や年収200万も夢のまた夢だろう。

一体どうしてこのような世界になってしまったのだろう?
年末から新年にかけての朝日の論調は醜くかった。要するに
かつての栄華を振り返るのではなく、低成長時代を受け入れ、
それに合わせて自身の私生活もシフトせよ、という説教だっ
た。身の丈にあった暮らしといえば何やら文学的だが、実際
は「お前の未来などない」という死刑宣告であり、恫喝であ
る。きっとこの状況のままではバブルを謳歌し優雅なセカン
ド・ライフに手を出している団塊の世代と、現在の若者たち
との間で階級闘争が発生するだろう。そう、村上龍の近未来
小説のように。

若い人と話していて心が痛いのは、もう年金なんか当てにし
ていないという恨み節があること。それだったら今この一瞬
を享楽的に刹那的に楽しめばいいという逆張りがあること。
そこに、かつて日本を支えた中間層の心の豊かさを伺うこと
は出来ない。内田樹や想田和弘といった”リベラルな”論客が
成長しなくてもいいという新たな神話に歩を合わせている様
などまさに噴飯モノであり、知性の退廃という他ない。金銭
で買えないものがあると流布するのは、持っている者たちの
戯れ言に過ぎない。もっと平たく言えば、ある程度の蓄えが
あってこそ心の平静が保たれ、それが音楽や文学といったカ
ルチャーに結び付き、知的な思考の源泉となる。私のような
リアリストは少なくともそう考える。

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# by obinborn | 2017-01-19 01:25 | one day i walk | Comments(0)  

追悼:リチャード・イングイ〜あなたに出会えて良かった

リチャード・イングイの訃報が届いた。チャールズ・イング
イとともにソウル・サヴァイヴァーズのヴォーカルとソング
ライティングを担った素敵な兄弟だった。ガレージ・バンド
に始まり、アラバマのフェイム・スタジオを訪れ、最後には
フィラデルフィアの地でシグマ録音を敢行する。その歩みに
ブルーアイド・ソウルの時代が凝縮されていたような気がし
てならない。ぼくが彼らを知ったのはブルーズ・ブラザーズ
がEXPRESSWAY TO YOUR HEARTを取り上げていたから。
ソウル・サヴァイヴァーズの原曲は67年の9月、全米チャー
トで堂々の4位に輝いた。既にヤング・ラスカルズはデビュ
ーしていたけれど、サヴァイヴァーズの情熱もなかなかだっ
た。リチャード・イングイさん、豊かな音楽のありかのこと
をぼくはあなたから学びました。願わくばその土地がこれか
らも耕され、来るべき収穫の季節を迎えますように。

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# by obinborn | 2017-01-17 02:19 | one day i walk | Comments(0)  

音楽ビジネスの変遷と自分

輸入盤店の老舗である新宿レコードが代替わりするニュース
を今朝聞きました。ぼくが最初にお店を訪ねたのは大学生の
時で、確か高田馬場での会合の後ブルース・コバーンのLPを
買ったと記憶しています。けっして閉店ではなくあくまで世
代交代とはいえ、ひとつの時代が終わったことを実感させら
れます。レコード店だけではありません。レコード会社、音
楽雑誌、そして肝心の音楽家などあらゆるミュージック・ビ
ジネスに関わる人たちが、今変革の時代に晒されています。

個人的なことで恐縮ですが、音楽の文章を書き始めてから今
年の2月で27年めを迎えます。まあぼくの場合は有名な音楽
評論家の方々と違って、好きな音楽自体がマイナーな分野(
SSW、スワンプ、パブ・ロック、ルーツもの)に偏っていた
せいか、今でもほとんど零細企業のようなものですが、その
間に出会った友人たちは何よりもぼくの宝だと思っています。

そもそもぼくはサラリーマン出身なので、いわゆる音楽業界
の慣習(夕方におはようございますなど)に未だ馴染めない
部分があります。またミニコミ誌を作っていたこともあり、
いつでもそっちに戻っていけるという感覚があります。譬え
が適切かどうか判りませんが、ロス・ロボスが「オレたちは
クラブで演奏することから始まった。売れなくなったらまた
いつでもバー・バンドに戻っていくよ!」(セサース・ロサス)
と発言したことに頷くのです。

ぼくが現役で頑張れるのは正味あと10年前後かな。お陰様で
幾つかの成果を書籍という形で残してこれました。レコード
会社も音楽出版社もかつての栄華を懐かしむのではなく、適
正規模に戻り、もっとマイナーな音楽を開拓していければど
んなに素晴しいことでしょう。

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# by obinborn | 2017-01-16 09:52 | one day i walk | Comments(0)  

1月15日:パワー・ポップとパブ・ロックの合同新年会DJでした!

本日(15日)は渋谷TANGLEにて、パワー・ポップとパブ・
ロック・チームの合同新年会DJでした。来てくださった方々
ありがとうございました!以下私のプレイリストです。
*    *    *
UTOPIA/I JUST WANT TO TOUCH YOU
EDGER WINTER GROUP/RIVER'S RISING
RICK DERRINGER/ROCK'N' ROLL HOOCHIE KOO
THE McCOYS/HANG ON SLOOPY
DAVID BOWIE/HERE COMES THE NIGHT
THE WHO/PICTURES OF LILY
THE WHO/I CAN SEE FOR MILES
THE WHO/MY GENERATION
RASPBERRIES/GO ALL THE WAY

〜ONE MORE MILE TO GO〜

GRAND FUNK RAILROAD/ THE LOCO-MOTION

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# by obinborn | 2017-01-15 23:56 | rock'n roll | Comments(0)  

サム・クックと冬の歌

大好きなサム・クックの『ハーレム・スクエア・ライブ』を
聞いています。自分にとってはマーヴィン・ゲイとダニー・
ハサウェイとアリーサ・フランクリンとオーティス・レディ
ングそれぞれのライブ・アルバムと同じくらい恒久の輝きを
放っている名盤です。

とにかく聴衆とのコール&レスポンスや演奏の臨場感が半端
なく凄く、サムのよく伸びるハイトーン・ヴォイスとキング・
カーティス楽団との緊密な連携には、本当に感動させられま   
す。1963年1月12日にフロリダ州マイアミにある黒人向けの
クラブで収録された『ハーレム』ですが、実は長い歳月の間
黙殺され続けた挙げ句、やっと陽の目を見てRCAレコーズか
ら正式にリリースされたのは、1985年になってからのことで
した。

63年の社会情勢を振り返ってみましょう。アメリカに限って
みても、公民権のための運動はまだ志半ばでした。それどこ
ろか実際にはもっとひどい差別が平然と行われていた時代で
す。私がドニー・フリッツに直接尋ねた時、彼はこう言って
いました「俺はアーサー・アレクサンダーと二人で南部一帯
をツアーした。よく言われたよ”何で黒ん坊なんかと一緒にい
るんだい?”と。俺はそいつに言ってやったよ”一緒に音楽を
やりたいだけさ!”とね」

今再び、トランプ新大統領の出現によって、アメリカ社会は
混乱の時を迎えてしまいました。海の彼方の人ごとではあり
ません。本来ならば仲良き隣人のはずの日本人と韓国人との
関係が、靖国神社や慰安婦の問題で再び冷え込んでしまいま
した。私たちは今まで一体何を学んできたのでしょうか?

サムは「NOTHING CAN CHANGE THIS LOVE」のなかでこ
う歌っています「きみの瞳の彼方にはアップル・パイが見え
るよ。シェリー・パイのよう。アイス・クリームのよう。ぼ
くは意味なくきみに降参してしまうよ」単なるラブソングが
いつしか人種の壁を超えながら伝わってきます。それがサム・
クックの無垢な声で歌われます。聞き手であるぼくたちはい
つの間にか、サム・クックの歌に夢中になっています。

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# by obinborn | 2017-01-13 21:43 | Comments(0)  

1月13日:川上弘美の小説と、ヴァン・モリソンの音楽と

川上弘美さんの連作小説『どこから行っても遠い町』を久し
ぶりに読み直してみた。まずこの人は文章が上手い。参考に
なるとかならないとかいった次元ではなく、書かれた活字か
ら登場人物の息遣いがふわりと立ち上がり、日常の何でもな
い風景や暮らしぶりがくっきり立ち現れる。また掌に収まる
かと思ったら、今この瞬間にも零れ落ちてしまうような切な
さを秘めている。男女の行き違いが、加齢による喪失と気付
きが、大きな時間のなかで自分を見つめることが、さらりと
提示され、またすぐに彼方へと消え去っていく。こんな珠玉
のような作品と再び出会えたことを噛み締める。

音楽も同じことだ。ヴァン・モリソンの歌やソングライティ
ングに示されるのもまた、大きな時間と小さな暮らしのこと。
恒久の流れのなかでの自問や、何かを愛でる心のありかのこ
と。これまでも何度かレビューを書いてきたので、ここでは
繰り返すのを最小限に留めるけれど、少ない音数のなかで多
くを伝えるというヴァンの語法が、近年はより冴え渡ってい
る。抑えた歌唱がじっくりと周りを見渡し、低くなってしま
った声域が、かえって人生の陰影を味方に付けている。そん
な彼の歌を聞ける喜びは何物にも代え難いものだ。

冬至を超え、柚子風呂を終え、七草粥を食べながら正月が終
わった。今年はどんな人たちと出会えるのだろう。どんな人
たちを失ってしまうのだろう。夕方5時の買い出しに出掛けた
ら、以前よりも残っている陽射しが見えた。少しだけ伸びて
いく自分の影を感じた。

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# by obinborn | 2017-01-13 18:39 | one day i walk | Comments(0)  

そして木下弦二は今日も歌う


小尾さん、メールありがとうございます。
今日は昨日の機材の引き取りに隣街珈琲に再度お邪魔しました。
店主の平川克美が三波春夫の「チャンチキおけさ」について教えてくれました。
三波春夫はシベリア抑留経験があり、絶望した人たちに明るく歌いたい、という意図があったということだそうです。
「お客様は神さまです」は「神に向かって歌っている」と言い換えても良いのでは、とも仰言ってました。
私は誰でもがそうであるように、先行きに対する不安と明るい兆しが見えない世の中に潰されそうになる毎日ですが、
「お前は歌わせてやる、その代わりに絶望に沈む人たちを笑顔にしろ」と誰かから言われているような気がしました。
できるかわかりませんが。(笑)
もう少し頑張って見ます。

(昨年末のメール書簡より・弦二くんの原文まま)

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# by obinborn | 2017-01-13 14:44 | 東京ローカル・ホンク | Comments(0)  

窮屈な言葉、自由な音楽

ある方がブログで最近のニール・ヤングに関して、ポリティ
カルな意識は解るけど、かつてあったようなメロディが乏し
くて音楽的な魅力は今ひとつと書かれていた。また本当に危
機的な状況ならば音楽どころではないのでは?とも。すごく
正直な意見だと思った。ロック・ファンというのはとかく”
生き様”を至上価値として重視し、ディランやヤングならど
んなつまらない作品でも一生付いていきます!的な人たちが
多い。またそうした態度を貫くことがロックだと勘違いして
いる。その部分ぼくは少し違うんだよな。たとえ偉大なディ
ランでもヤングでもエリック・クラプトンでも、駄目なアル
バムを出したらちゃんと指摘する。そういう批評精神をぼく
は大事にしたい。

もう少し観点を換えてみるなら、多くの優れたアーティスト
たちが20代に瑞々しい”名盤”を生み出したことは偶然ではあ
るまい。最も感受性が強く、また吸収する力もある時期にレ
コーディング・アーティストでいられた彼らの幸せを感じず
にはいられない。むろんベテランになっても過去の栄光に溺
れることなくクリエティヴィティを発揮している音楽家はい
る。ぼくの知るところでは『ニューヨーク』のルー・リード、
『センチメンタル・ハイジーン』のウォーレン・ジヴォン、
『COYOTE』の佐野元春などだ。それらはぼくにロックであ
ることの価値を改めて問い掛けてくる傑作だった。

むろん個々の音楽家の”手癖”やワンパターンを愛おしく思う
時はある。それは一人の人間はそれほど変われないのだとい
う生きた証明であろう。新しい作品がたとえ過去の模倣であ
ったとしても、愛するアーティスト/バンドはぼくにも沢山い
る(例えばジョン・フォガティやデイヴ・エドモンズ)それ
でも、もう一人の自分は冒頭のブロガーさんに共感するので
ある。

今日たまたまあるフォーク・シンガーのFBを読んでいて、嘘
寒くなった。その方は自分のアクースティック・ギターに「
大きな変化は小さな願いから」といった旨のステッカーを貼っ
ていた。彼にとってはウディ・ガスリーに似たそれを模したの
だろう。しかしそうして貼られた標語より、もっと豊かにイメ
ージを喚起し、聞き手を遥か遠い土地へと誘っていくのが音楽
の役割ではないだろうか? 窮屈過ぎる言論が跋扈する2017年
の初めに、ぼくはそんなことを考えてみた。

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# by obinborn | 2017-01-10 17:58 | rock'n roll | Comments(0)  

下北沢『ストーリーズ』

下北沢の「ストーリーズ」は昔から好きなロック・バーである。
最近はなかなか行けていないのが残念だが、店主の落合さんは
ぼくが最初の本を書いた97年夏、家の留守電にお祝いのメッセ
ージをくれた。またその本が07年の夏に増補改訂版として再び
出た時は、新宿のイベントまでわざわざ足を運んでくださった。
ヴェルヴェッツやルー・リードを愛する落合氏とダウン・トゥ・
アース志向のぼくとでは一見ミスマッチに思えるかもしれない。
しかし時代に流されず、自分のポリシーを守るという点では相
通じるものを感じてきた。こだわりという意味ではこの「スト
ーリーズ」はアナログ専門で、CDプレイヤーは置いていない。
それが奇異に映った頃もあっただろうが、今では時代が一回り
して元に戻ったという印象すら受ける。薄緑色に塗られた木目
のカウンターだけのこの小さな店は、そんな長い歳月をずっと
生き抜いてきたのだった。久し振りに落合さんと再会したのは
2016年秋に行われたヘロンのライブ会場にて。そこでもみんな
と馬鹿騒ぎをするのではなく、ひっそりと壁際に奥様と立たれ
ていた様子が心に残っている。ちなみに店名はデヴィッド・ブ
ルーの『STORIES』から拝借したものであり、そのジャケット
を模したコースターを差し出してくれるのが嬉しい。お察しの
通り、皆んなとつるむのが好きな連中にはあえてお薦めしない。
その代り、個人であることを尊ぶ人たちには佳き伴侶となる店
に違いない。「ストーリーズ」は密やかな交差点であり、そこ
を行き交う隣人たちが、それぞれの物語を語り合う場所だ。

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# by obinborn | 2017-01-09 02:38 | one day i walk | Comments(0)  

ボブ・ディラン〜悲しきベイブ

昨年はボブ・ディランの年だった。ファンが浮かれ、メディア
が騒ぎ、レコード会社が特需とばかり大喜びした。だけどもう
こういう馬鹿騒ぎはいい加減にして欲しい。以前も少し書いた
けど、ノーベル受賞後のディランの煮え切らない態度を見てい
ると、彼自身が”権威の側”に名を連ねてしまうことを誰よりも
恐れているのではないか?と深読みしたくなる。そしてさらに
重要なのは、エリオットがいてケラワックがいてギンズバーグ
がいて、そうした過去の偉人たちが築いてきた連綿とした系譜
のなかにたまたま自分もいるのだ、と明言したディランの謙虚
な心映えだろう。

基本的にメディアと大衆の関係というのは、その年のニュー・
イヤーズ・モデルを作り出し、熱狂し、飽きたら冷たく扱い、
最後には三面ゴシップ記事で腐すという方向で成り立っている。
よくテレビで「あの人は今どうしてる?」の芸能人特集が組ま
れる。かつて名を成した子役が現在東京ガスの検針員をやって
いる様が、以前はアイドルとして頂点に立った者が今は全国の
スナックを渡り歩きながら歌う様が逐次報告される。当事者に
してみれば「もういい加減ほっといてくれ!」というのが本音
に違いない。

かつて60年代の中頃にディランがウッドストックで隠遁生活を
始めたのは、自分を追い回すマスコミの喧騒から逃れるためだ
った。フォークの神様と崇められ、左翼運動に利用され、英雄
伝説のなかで消費されてしまうことへの本能的な回避だった。
そう考えると、最初の人気絶頂時に書かれた「悲しきベイブ〜
IT'S AIN'T ME、BABE」の歌詞が、なお一層暗示的に響いてく
る。

俺の窓から出ていってくれ
せいぜい好きなやり方で出ていくがいい
俺はきみが欲しがっていた男じゃないし
きみが必要としていた男でもないんだ ベイブ

きみは言っていたね 誰か強い人を探していると
正しかろうが間違っていようが 自分を守護してくれて
どこのドアでも開けてくれるような人が欲しいと

冗談じゃない
俺はきみが求めているような男じゃないし
きみが必要としていた男でもないんだ ベイブ
(悲しきベイブ)

実際には男女のすれ違いを動機に書かれた歌なのかも知れな
い。それでも最初のきっかけを超えて多義的な様相を帯び、
聞き手それぞれの事情に当てはまっていくのがポピュラー音
楽の面白さだ。今この「悲しきベイブ」を聞き直すと、まる
で冬の朝のように孤独なディランの姿が浮かび上がってくる。
かつては何も持っていない青年だった。今では多くのものを
持っている大人だ。ノーベルを受賞しようがしまいが、夏は
終わり、枯れ葉の季節がやって来て、いつか寒い朝を迎える。

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# by obinborn | 2017-01-08 05:24 | one day i walk | Comments(0)  

イアン・マクレガンの思い出

デヴィッド・リンドレー&エル・レイオーXが来日したのは
1989年の春だった。スタジオ盤ではウィリー"スミッティ”
スミスがキーボードを弾いていたが、急遽ツアーに帯同した
のは、当時LAでバンプ・バンドを率いていたイアン・マクレ
ガンだった。そのニュースを聞いて嬉しくなった私は東京公
演のすべてに駆け付けたのだった。

その際読売ホールで撮った写真が、年末の大掃除でふと出て
きた。恥ずかしながら、その時のマックとのツーショットを
公開しよう。彼はフェイセズが解散してからやっと10数年が
経った時期であり、自身のソロ・キャリアに磨きを掛けてい
た。風貌も若さを留めている。私のことを顧みれば当時まだ
30歳になったばかりだった。写っているアルバムはジョニー
・ジョンソン初めてのソロ作。このプレゼントをマックはと
ても喜んでくれた。翌90年3月に行われたロニー・レインと
のツアー時にも私はマックと再会し、ハグし合った。何より
彼が「オビ!」と声を掛けてくれたのが嬉しかった。

あれから長い歳月が経った。膨大な時間の流れを受け止める
一方で、まるでつい昨日の出来事だったような錯覚にも陥っ
てしまう。どちらが本当の実感なのだろうか?それでも彼は
もう亡くなってしまった。その事実を受け止めるまでに私は
かなりの時間を要した。

エル・レイオーXが渋谷クアトロ公演を終えた後、マックは
会場に出て来てハイネケンのビールを差し出してくれた。そ
の時に貰った缶は、大切な一品として今も部屋の片隅にそっ
と置かれている。

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# by obinborn | 2017-01-07 01:27 | one day i walk | Comments(0)  

ローリング・ストーンズ〜先鋭と大衆性

最初のGOT LIVE IF YOU WANT ITが人気にあやかった疑似ライ
ブだとしたら、グリン・ジョンズをプロデューサーに据えた『
GET YA YA YAS OUT』はもっと自覚的なライブ・アルバムだと
言えるだろう。新加入したばかりのミック・テイラーの凄さを
見せつけ、時代考証としてはオルタモントの悲劇を想起させる。
そんな意味でもこのアルバムに特別な感情を抱くファンは少な
くないのでは?

本作は1969年の11月27日と28日に行われたN.Y公演の2日間
(昼夜計4回のステージ)から抜粋された作品であり、今であれ
ばB.B.キングとアイク&ティナ・ターナーがオープニング・アク
トを飾った完全版がリリースされている。黒人音楽と共振したス
トーンズという意味でも聞いておきたい。そしてチャック・ベリ
ーの「CAROL」と「LITTLE QUEENE」が原曲より遥かにスロー
ダウンされ、粘っこいビートとともに新解釈されている点に、当
時トレンドになりつつあったスワンプ・ロックの萌芽を感じる。
実際この69年に彼らはアラバマ州マスル・ショールズを訪れ、
「BROWN SUGAR」「WILD HORSES」フレッド・マクドゥエ
ルの「YOU GOTTA MOVE」の3曲をレコーディングしている。

米公民権運動の盛り上がりとパリ革命の時代を横目で睨みつつ、
「俺ら貧しいロンドンっ子は、ロックンロール・バンドで歌う
だけなのさ」と「STREET FIGHTING MAN」で俯瞰したミック
・ジャガーに驚愕する。その一方には酒場に集まる人々の心情
に寄り添った「HONKY TONK WOMEN」がある。いわば新進
の気勢と大衆的な娯楽との止揚(アウフヘーベン)をストーン
ズはまさに実践したのだった。

英作家ニック・ホーンズビーの自伝的な小説『ハイ・フィデリテ            ィ』には、こんな一節がある「ねえ、あなたが付き合ってい
るのは、BROWN SUGARに合わせて”フ~フ~!”なんて拳を
振り上げ騒いでいる愚かな人たちなのよ」そんなガール・フレ
ンドを、主人公はこう宥める「いいかいダーリン、ぼくはもう
そんな時期をとっくにやり過ごしたんだよ。ぼくはストーンズ
が愛おしい。最新のダンスには付いていけないけど、マーヴィ
ン・ゲイのWHAT'S GOING ONを聞いて今も感動する。もっと
素直にならないかい?」

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# by obinborn | 2017-01-06 17:37 | rock'n roll | Comments(0)  

NRBQ『GOD BLESS US ALL』

NRBQ史上最強のメンバーによる87年4月のライブ盤が
『GOD BLESS US ALL』だ。今ではテリー・アダムズ
&Qといったニュアンスで活動しているが、この頃はテ
リー(kbd)ジョーイ(b) アル(g)トム(ds)と強者揃い
で、各自の個性が際立ちつつ全員がバンドに貢献すると
いう得難い時期だった。そしてホール・ホウィート・ホ
ーンズが帯同していた。

やはりアル・アンダーソンのキレキレ・ギターが凄い!
そこにピアノとクラヴィネットを両刀使いするテリーが
タメを張り、リズム隊がしなやかなビートで合流すると
いう贅沢さだ。録音された会場はハートブレイク・ホテ
ルといういかにもな名前のラウンジで、全米のロード・
ハウスを回ってきたQに相応しいものとなっている。ク
ラブ・バンドらしく親しげに語りかけてくるロックンロ
ールがどこまでも愛しい。まさに最高のバー・バンドだ!

カバーではビリー・スチュワートの名バラードSITTIN' IN
THE PARKとジョー・タナーのSHAKE, RATTLE &ROLLを
演奏している。なお同時期のQのライブ盤に『DIGGIN'U
NCLE Q』があるので、そちらも姉妹編として併せて聞い
ておきたい。そっちでは何とカラオケでビリー・ジョエル
の「素顔のままで」まで歌っている(笑)

私がNRBQを観たのはこの時から10年以上も経ってからの
ことで、既にアルは脱退していたが、それでも99年と2000
年に行われた吉祥寺のスターパインズ・カフェ公演は今も
心に残る最高のステージとなった。一時期あまりに情熱を
注いだバンドだけに、それからはどうしても後日談的にな
ってしまうことを許して頂ければと思う。なお最後にQサ
ウンドの秘密を解くようなテリーの発言を引用しておこう。

「かつてのセロニアス・モンクはどんなロック・バンドよ
りもスウィングしていたよ!」

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# by obinborn | 2017-01-06 00:13 | rock'n roll | Comments(0)  

音楽に罪はない

そもそも何でぼくが差別問題を書くのかといえば、ぼく自身
が外国に行った際に蔑まれたことがあったからだ。サンフラ
ンシスコではJAP!と、ロンドンではYELLOW,GO HOME!と
言われた。むろん、逆に現地の人々との温かい交流もあった
けれど、局地的にこういう言葉を浴びせられたことはぼくに
人種を考えるきっかけを与えてくれた。昔の『ミュージック・
マガジン』にはニューオーリンズのクラブにミーターズを観
に行ったら冷たくされたという日本人の投書があったけ。そ
れらには世界大戦の傷跡があり、血塗られた植民地主義の痕
跡があり、”愛と平和”というスローガンでは到底埋めること
が出来ない、歴史の生々しい現実を感じずにはいられない。

差別撤廃をイシューに掲げて行進するのではなく、普段の暮
らしのなかで克服していく、というのがぼくの大まかな社会
的な態度である。実際に育った環境や生活風習が違う人種を
理解し合うのは難しく、綺麗ごとだけでは済まされない。そ
れらを公明正大な価値観や友愛の精神だけで解決出来るとは
思えない。こう言っては誤解を招くかもしれないが、ロンド
ンでもパリでも人種ごとに居住区の棲み分けがあるのは、彼
らのアイデンティティの保持であり、生き抜いていくための
知恵だろう。画一的なユートピアを夢見るほうがかえって気
味悪い。

この数年ぼくの心を曇り空のように占めているのは、普段は
交流のある韓国や中国の人たちと、ひとたび国家単位の問題
(靖国や慰安婦)になると、何故あれほどまでに意見が二分
してしまうのか?ということだった。日本人が犯した罪を認
めつつ、一方では何故いつまでも謝罪しなくてはならないの
か?もう十分謝ったではないか?という気持にもなる。

その点音楽は素晴しい。人種差別がとりわけ激しかった60年
代のアメリカ南部でも、マスルショールズのスタジオでは黒
人と白人が協力し合って幾多のレコードを作った。メンフィ
スではブッカー・T&MG'sのような黒白混成チームがスタッ
クス・サウンドに貢献した。アメリカン・サウンド・スタジ
オではボビー・ウーマックとレジー・ヤングが腕を競った。
アラバマでのウィルソン・ピケットとデュエイン・オールマ
ンの出会いなどは、最も美しい異人種同士の邂逅だろう。そ
のことをずっと忘れずにいたい。

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# by obinborn | 2017-01-04 16:44 | blues with me | Comments(0)  

追悼:石坂敬一氏

大晦日に亡くなった石坂敬一さん。ぼくには東芝音楽工業の
洋楽ディレクターとしてのお姿が馴染み深い。氏が頻繁にラ
ジオにも出演されていた70年代。それはまさにニューロック
の黎明期であり、その鼓動を何とか日本に伝えたいと尽力さ
れていた。ビートルズの『赤盤・青盤』に詳細な年表を付け
るよう進言されたのも石坂氏に他ならなかった。そのお陰で
ぼくのような洋楽少年少女が日本全国に芽生え育っていった。

RCサクセションの問題作『COVERS』の発売を巡って忌野
清志郎さんと意見が対立し「東芝からは出せない」という立
場に立たされた。それは無邪気な音楽青年がやがて大人にな
り、企業側の論理に従わざるを得ないという意味で、とても
他人事と思えない苦々しい教訓を残した。実際どんな”ロッ
ク”と言えども、流通の段階で様々なビジネスの現実に直面
することを思い知らされた事件だった。

「歳を喰ってもオレの好みは変わらないよ」とヤードバーズ
に溯るジェフ・ベックへの愛情を吐露された石坂さんのお話
が耳に焼き付いている。アーティストへの想いが日本盤を発
売することにしっかり結び付いていた佳き時代の音楽ディレ
クター。音楽を取り巻く環境が激変した今の時代にあって、
ぼくが思うのはそんなことだったりする。日本というアジア
の土地にロックという夢を与えてくれた石坂さん。今まで本
当にありがとうございました。心からご冥福をお祈りします。

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# by obinborn | 2017-01-03 02:38 | rock'n roll | Comments(0)