クレイジー・ホースとハル宮沢のことを考えてみた

今一番欲しいアナログ盤はクレイジー・ホースのセカンド
『LOOSE』なんだけど、4月27日に石塚浩子さんの個展に
行く際に立ち寄ったお店では6800円もしたので仕方なく諦
めた。未開封のシールド付きだったからなおさら高かった
のだろうけど、昔は投げ売り同然だったし、今も探せば500
円で購入出来ると思う。値段的な口上はともかく、ワーナー
の名盤探検隊でCD化された際に初めて聞いて”震えた”。勿論
前身バンドのロケッツや彼らのファーストは大好きだったけ
ど、本作は70年代に何故かタイミングを逃し聞かないままだ
った。きっとダニー・ウィットンが亡くなったクレイジー・
ホースなんて...という先入観に囚われていただけなのだろう。
私はそんな自分の浅はかさを呪った。ダニーに代わる新しい
ギタリストのグレッグ・リロイとジョージ・ウィッセルの二
人がかなり貢献しているし、多くの曲でソングライティング
を手掛けているのも頼もしい。むろんタルボット=モリーナ
の馬力あるリズム隊は、まるでB級食堂のA定食のように力強
く優しく、身体ごと安心して委ねられる感じかな。

この人達はきっとロック音楽の未来を透視するなんていう視点
とは無縁に、自分たちの音楽を楽しみ慈しんでいるだけなんだ
と思う。その心意気が頼もしい。アルバム表題の如くルーズで
タフな演奏の味わいといったら!まるで一番いい時のハル宮沢
のコスモポリタン・カウボーイズのようだ。荒ぶる心も穏やか
なカントリーもそのまま出しちゃう不器用な部分は両者に共通
するものだろう。この時期のクレイジー・ホースのライヴはき
っと無敵だったに違いない。細かいことは気にしない。その代
り俺たちはラウドで行くぜ!そんなことを無言のうちに言い含
めた姿がもう圧倒的に美しい。

余談だが、ハル宮沢は日本のロックの埋もれがちな才能の一人。
この人はこんなことまで考えていたのかと思わせるナイーブが
激しいノイズの彼方から見えてくる。あるいはハンク・ウィリ
アムズの曲に託した喜怒哀楽が聴こえてくる。彼と出会った時
は、まるでたまたまクラスが違って話す機会に恵まれなかった
ハイスクール時代の友だちだと直感した。そしてクレイジー・
ホースとハル宮沢は、これからもきっと怒りや喜びや悲しみ...
それらすべてを音楽に託していくことだろう。


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# by obinborn | 2017-06-03 17:09 | rock'n roll | Comments(0)  

さようなら、こんにちは。

昨日から今日にかけて、尊敬するお二人のミュージシャンから
励ましの言葉を掛けて頂きました。一人はとても優れたソング
ライター。もう一人はほぼ同級の気の置けないギタリスト。と
ても嬉しかったです。

自分が「音楽と政治」について迂闊に発言してしまったことが
今回の”騒動”を呼び起こしてしまいました。本当に申し訳あり
ませんでした。自分としてはひとつの歌なり、ひとつのフレー
ズなりが何らかの党派性を帯びてしまうことの危険を言い当て
たつもりだったのですが、騒動は飛躍し、誤解されつつ、あっ
と言う間に拡散されてしまいました。

それに対してぼくは言い訳をしたくありません。また自分の
正しさを言い連ねることもしたくありません。むしろ自分が
苦難に陥った時、友人たちが掛けてくれた言葉や思いのほう
がじわりと染み込んできました。この感覚って一体何なんで
しょう?

いつかまた、皆さんとお会い出来たならすごく嬉しいです。

小尾 隆


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# by obinborn | 2017-06-02 19:02 | one day i walk | Comments(0)  

6月1日はデイヴ・メイソンの原稿を

今日はずっとデイヴ・メイソン『流れるままに〜Let It Flow」
のライナー原稿を書いていました。スペンサー・ディヴィス・
グループI'm a Manのセッションにデイヴ、ジム、クリスの3
人が合流したことを機にトラフィックが生まれ、すぐにデイヴ
が数回の脱退劇を繰り返しながら渡米し、西海岸を新たな拠点
としてソロ活動へと踏み込む...。そんな彼のキャリアを音とと
もに追いかけてみました。お陰様で?『ヘッドキーパー』や
キャス・エリオットとのデュオ作などへとつい脱線。筆を止め
て聞き入ってしまうこともしばしば(笑)それでもこうした聞
き直しによる再発見は楽しいですね。どこか憂いを秘めた彼の
旋律や間合いのあるギターが、アメリカの風に吹かれることで
科学反応を起こし、才能がやっと開花する。その頂点とでも言
うべきアルバムが77年にリリースされた『流れるままに』でし
た。表題曲を当時カリフォルニア・ジャムで熱演したデイヴの
姿が今も筆者の胸に焼き付いたまま離れません。


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# by obinborn | 2017-06-01 19:27 | one day i walk | Comments(0)  

オールマンズ謎の『音カット事件』

さっき日戸さんとも話したんだけど、アナログ時代のIT'S NOT
MY CROSS TO BEARにはエンディング部にギターのフィード
バックのような残響音が入っていて、それが不思議なトリップ
感をもたらしていた。ところがCD時代になってからは何故か
この部分がカットされてしまったのが悲しい。これはファンに
は結構有名な話で、私はわざわざキャプリコーン・クラシック
スというCDを購入して確かめたら、やはり残酷なことに効果
音の部分が省略されていた(このYOU=TUBE音源もそう)カッ
トに至るまでどんな経緯があったのかね?例えば単純なミス
とか、メンバーの意向だとか、寡聞にも私は知らないのだが、
ご存知の方はぜひご一報ください。ちなみにLPでは短い溝まで
刻まれているので、そこには当初制作者エイドリアン・バーバ
ーなり、フィル・ウォルデンなりの意志が明確にあったと私は
思っている。

https://youtu.be/ZkBdtjq_26s



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# by obinborn | 2017-05-29 18:51 | one day i walk | Comments(2)  

恩田陸『蜜蜂と遠雷』を読んで

今年前半で一番面白かった小説が恩田陸『蜜蜂と遠雷』
だ。クラシック・ピアノのコンクールをめぐる複数男女
の群像劇ゆえに、目線が局面局面で入れ替わり、まった
く飽きさせない。才能があっても幼少期にもて囃された
がために一度引退を決意した少女と、幼なじみの少年と
が時を経て邂逅し本選を競い合う場面が筋書きとしては
山場だろう。しかしむしろ主題は音楽という抽象画の捉
え方だ。例えば破綻なくまとまった端正な演奏が必ずし
も人々の心を打つとは限らないとか、技巧の習得に懸命
だった若い時よりも今は素直に音楽に向き合えるとか、
誰もが感じることを主人公たちに「語らせて」いる。と
りわけ今は他の職業を持つ中年ピアノマンが奮闘する姿
は、多くのアマチュア音楽家を励ますことだろう。

またピアニストの主人公たちだけでなく、審査員や調律
師といった脇役の人生にさり気なく目を向けたり、音楽
業界の魑魅魍魎に鋭く切り込んだりと、複数の丹念な取
材なしには書けなかった記述が多くあるのも特徴だ。そ
もそも英才教育が必要とされ、膨大な金銭と人脈が投資
されるクラシック音楽が、どれだけ市井の人たちに届く
のか?という矛盾も暗喩に込められた。それでも音楽の
彼方からは今日も蜜蜂が飛び交い、遠くの空では遠雷が
鳴っている。


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# by obinborn | 2017-05-29 08:27 | Comments(0)  

架空連載小説『レコ屋太郎の物語』その4(最終回)


おはようございます。今朝も10時に出勤し店内の掃除をし、
昨日終わらなかった値付け作業を粛々と始めるぼく(太郎)
です。するとオビ店長が入っていました。「おはよう太郎。
昨日は16時戻りと言いながら結局帰れなく悪かった」「い
えいえオビさん、たぶんお忙しかったんでしょう」「ああ、
まあな。そのコレクターさんが全処分されるというのでな、
これはとても一日では終わらない作業だと判断し、その方
と飲み屋に行きいろいろ相談してな〜」「そうだったんで
すか〜。ところでその方のコレクションはどうでした?」
「おお太郎、よく訊いてくれたな。この一件で当分ウチの
商いはまかなえるぜ!」

するとオビ店長は一気に語り始めました。そのコレクター
さんが現在82歳の高齢であること。奥様に先立たれて以来
塞ぎ気味なこと。もう収集への意欲を失ってしまったこと。
そして膨大なレコードの数々...。何しろ所有枚数は25,000
前後であり『江古田レコード』の倉庫一つでは扱えないこと
が解ったのでした。「オビさん、どうしましょうか?」「
うむ、とりあえず彼の自宅に通わせて頂ける了解は得た。
ウチのバンで順次運び続けるしかないだろうな。何しろス
トーンズの英米日盤だけで相当あるで!ユニオンさんに持っ
ていかれない案件で心底ほっとしとるわ」

「ところで太郎、昨日変わったことはなかったか?」そう
訊かれたぼくは内心ドキドキしました。清美さんのことを
言うか言うまいか判断が付かなかったのです。でも別に隠
すことでもないと思ったので告白したのです。「おお清美
ちゃんか。元気でやっとるかいなあ〜。たぶん太郎と歳も
違わんと思うよ。オイラは業界が長いから彼女のことは良
く知っとる。最近の若い連中のなかでは群を抜いて研究熱
心なコでな。ちょっと耳に挟んだハナシやが、ビートルズ
しか集めないカレ氏にもういい加減愛想が尽き、先日別れ
たばかりみたいだよ〜」

「よし、これなら勝てる!」そう心に誓ったぼくは嬉しさ
のあまり、通常清掃に加えワックス掛けまでしたのでした。
午前11時『江古田レコード』開店の時間です。いらっしゃ
いませ!(了)


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# by obinborn | 2017-05-28 05:44 | Comments(0)  

架空連載小説『レコ屋太郎の物語』その3


(これまでのあらすじ:28歳の独身太郎は『江古田レコード』
で働く日々であった。そんなある日、イカした女性が店に入っ
てきたのだった…)

「あのう、私ブリンズリー・シュウォーツ『銀の拳銃』のLP
盤を探しに来た清美と申します。太郎さん、どうかよろしく
ね!」瞬時にぼくの心臓は激しく鳴り出しました。こんな綺
麗なお嬢さんが来てくれるなんて。『ブリンズリーズですか!
お客さんもいい趣味されてますねえ〜。少々お待ちください。
ただいま弊社のパブロック・コーナーを探してきますね!」
極めて平静にそう答えたぼくですが、内心はもうドキドキで
した。というわけでコーナーを漁ってきたのですが...。「キ、
キヨミさん、いや失礼お客様、あいにく現在『銀の拳銃』の
在庫は切らしておりまして...」

「あら残念ね!オビさんの伝を頼ってせっかく隣町から来た
のに」「ほんますんません。英エドセルの再発盤をつい先日
まで800円で売っていたんですが…あの、もしよろしかった
ら明日ぼくの手持ち盤を店に持ってきます。一緒に聞きませ
んか?」「う〜ん、わからない。私明日はカルチャー教室に
行く予定ですし」「それは残念です。あ、あのお客さん、メ
アド教えて頂けますか?うちの店の新入荷情報をすぐお届け
出来ますし、ポイントカードも満額貯まればレコ半額でご奉
仕しているんです」

「えっ本当!じゃあ明日また来ようかしら!」ぼくはもう夢
心地でした。明日も清美さんに会えると思うと、倉庫からの
重い搬出作業にもワンパターンの値付け業務にもオビ店長の
罵詈雑言にも不思議と耐えられるような気がしてきました。
「清美さん、明日また!」そう心のなかで呟いたぼくは、再
び『江古田レコード』の作業に没頭していきました。いつの
間にか陽が落ち、東の空には月がうっすらと立ち昇ってきま
した(続く)


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# by obinborn | 2017-05-27 18:35 | one day i walk | Comments(0)  

架空小説『レコ屋太郎の物語』その2

午前中の仕事はほぼ順調に終了しました。プライスカード
に店頭価格のスタンプを押しまくる流れ作業です。これで
まず150枚の値付けが出来ました!それらを新たに店頭出し
していくのがぼく(レコ太郎)の役割です。でも、その間
に来店されたお客さんはたった三人。近所のよく来てくれ
るおじさん、勘違いして入ってきたヒップホップ風ジャー
ジー姿の若者、そして東京ガスのメーター検針のおばさん
が「ねえ?聖子ちゃんの『風立ちぬ』ある〜?」と尋ねて
きたくらいです。ぼくの趣味とは違うけど、地元の商店街
とうまくやるのが本物のプロでっせ!というのがオビ店長
の持論なので、ちゃんと接客致しました。最初に来たおじ
さんはネッド・ドヒニーの名盤『ハード・キャンディ』を
嬉しそうに買っていかれました。ぼくもいつかあんな温厚
なおじさんになれたらなあ〜。

中古レコ店に昼休みなんかありません。たまに近所のラー
メン屋さんに出前を頼んだり、給料日には贅沢してピザの
大皿をオビさんと一緒に食べることもありますが、今日は
業務をしながらコンビニ弁当を胃に流し込んだだけ。ぼく
もいつかお金持ちのように低カロリーの健康食を食べてみ
たいなあ。とりあえず一服です。近くにあるスタバの従業
員に一番安いコーヒーのデリバリーを頼み、彼が配達をし
てくれたのです。そのコーヒーを飲みつつも、午後に向か
って値付けの作業は続きます。昨日オビ店長が買い取って
きたジョージ・ハリソン『ALL THINGS MUST PASS』の
オーストラリア盤を査定したかったのですが、オビさんに
「けっ!太郎には10年早いわ!」と一蹴されてしまいまし
た。

そんな午後がちょっと過ぎた頃、思いがけないお客さんが
『江古田レコード』の扉を開けて入ってきました。黒のノ
ースリーブに褐色の肌。その鮮やかなコントラストが衝撃
でした。結わいた髪にも思わずゾクゾクしてしまいました。
彼女は開口一番ぼくにこう語りかけたのです。「こんにち
は。太郎さんのことはオビ店長から伺い、隣町の東長崎か
ら来ました。ところで私はブリンズリー・シュウォーツ『
銀の拳銃』のLP盤を探しているんだけど...」その一言をぼ
くはもう無我夢中で伺っていました(続く)


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# by obinborn | 2017-05-27 14:22 | one day i walk | Comments(2)  

◎架空小説『レコ屋太郎の物語』いよいよ連載開始です!


ぼくの名前はレコ屋太郎、現在28歳の独身です。そろそろ
結婚したいんだけど、彼女もいない毎日を過ごしています。
現在近所の『江古田レコード』に週6日勤務のバイトに明
け暮れています。仕事はやっと2ヶ月経って少しずつ中古
レコの世界に馴れてきたかな?でも店長のオビさんにはい
つも怒られっぱなしです。「おお太郎、おはよう!ちゃん
と朝の店内清掃は済ませたか?」「へい、店長!」「へい
じゃないだろ、馬鹿者!ちゃんとはいと返事しろ!」「す
みまへん!」ざっとこんな感じです。

店は午前11時開店ですが、10時に出勤してまず店とトイレ
を清掃することから一日が始まります。それが終わると、
昨日店長が出張買取してきたLP/CDの値付けです。といっ
てもぼくはただオビ店長の指示に従うだけです。「こっち
の段ボールが200円買取の100枚、あっちが300円の箱。そ
れに400円500円と順に書いたからな、くれぐれも間違えて
値付けするなよ!」「へい!解りました」「だからへいじゃ
ないだろアホ!そんなことだから彼女も出来ないんじゃ!
もう一度値付けのおさらいをしとかんとな。おい太郎、200
円買取の店頭出しはいくらや?」「はい、600円です」「そ
うそう、ごく単純な作業じゃ、頼むぜ!オイラは今日は引退
したコレクターさんの家に行ってまた買取じゃ。たぶん16時
ごろには戻るからな」「あの店長!宇宙戦艦ヤマトのLPと
榊原郁恵のシングルが未指定なんですが...」「じゃかしい!
そんなもんは100円コーナーにくれておけ!」

最初ぼくはレコ屋の仕事を舐めていたのかもしれません。何
か一日じゅう店番しながら好きな音楽聞いていられるのかな
〜なんてね。でも実際は大変です。カウンターに座りつつも
こうした値付け作業をはじめ、底割れを防ぐためにLPの下部
に厚紙を差し込んだり、お客さんが飽きないように店内在庫
と倉庫に眠っていたアイテムとを入れ替えたり...オビさんには
内緒だけど昨日は単純ミスをして、お客さんにお釣りを余計に
渡してしまいました。ああ、でも今日は土曜日、話しの合うお
客さんが来ないかな〜(続く)


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# by obinborn | 2017-05-27 12:36 | Comments(0)  

中村とうよう氏の思い出

中村とうようさんとは神保町のカレー屋さんでばったり
遭遇したことがあります。むろんこっちは30歳の若造で
一方的にとうようさんを慕っていただけの関係でしたが、
原稿用紙の入った封筒を取り出す姿は、物書きを志して
いた私にとって「ああ、とうようさんがいる!」という
感激で一杯でした。また「とうようズトーク」では飲食
店で客が店にごちそうさまと言うのは良くないなんて書
いていたのに、その店では帰り際店員にしっかり挨拶さ
れていて、とうようさんも人の子だったと感慨を新たに
しました。ちょうど1990年前後だったと記憶します。ま
だワープロも浸透していなく、原稿用紙に手書きするの
がごく一般的な時代でした。

とうようさんから一番大きく影響されたのは、やはりリ
ズムの悦楽・豊かさのことだったと思います。ロックに
入る以前にジャズやラテンに精通されていた彼にとって、
ロックはあくまで客観的な素材のひとつだったのかもし
れません。そんな部分にまだ若かった私は反発した時期
もありました。きっとそこら辺は世代的に埋められない
溝なのかもしれませんね。それでもとうようさんのお陰
でライ・クーダーとタージ・マハールを俯瞰することが
出来たのは私にとって最大の収穫でした。またブラジル、
カリブ、アフリカ、アラブ、東欧州など、世界各地の音
楽を貪欲なまでに吸収していく姿勢にも学ぶものは少な
くありませんでした。

一番印象に残っているのはジャズの新伝承派をめぐって
とうようさんが『スウィング・ジャーナル』と激しく論
争した80年代後半の時期です。かつて隆盛を極めたハー
ドバップの時代をいたずらに懐古し、バップ・ジャズの
形だけを真似たブラフォード・マルサリスらの動きは氏
の感性に合わなかったようで「内実を伴わない上辺だけ
の音楽」「肉体というスポンティニアスな衝動に欠く」
「単に小器用なだけ。マルサリスには汗の匂いがしない」
などなど、もうボロクソに叩いていました。その一方で
あるべきジャズの未来としてジェイムズ・ブラッド・ウ
ルマーを早い時期から高く評価していたのも、またとう
ようさんその人でした。ここら辺はしっかり筋が通って
いました。

今は何でも”当たり障りなく”やり過ごすのが賢明な時代
です。そんな傷付けず傷付けられずの風潮が批評という
分野をも浸食しているとしたら深刻だと思います。遂に
最後までとうようさんとお話する機会は叶いませんでし
たが、彼の批評精神は事なかれ主義、政治への無関心、
都会的流行の上辺などが跋扈する現在こそ、必要とされ
るものではないかなと感じます。最後にとうようさんの
至言をご紹介しておきましょう。正確な引用ではありま
せんが、およそ次のような内容でした。「昔の人だって
現代人のようにテレビを観ながら衣を縫うことは出来た
だろう。でも昔の人がそれをしなかったのは、何の有益
にもならない二股作業は無駄だと熟知していたからだ」


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# by obinborn | 2017-05-26 14:48 | one day i walk | Comments(0)  

音楽にとって幸せな文章って何だろう?

マディ・ウォーターズの11枚組LP『THE CHESS BOX』が
発売されたのは1985年のことだった。日ヴィクター社以来
久し振りにチェス・レーベルと契約したPヴァインは、当時
毎月チェスの作品を飛ぶ鳥を落とすかの如くリリースしまく
っていた。それは弱小インディ会社として75年に始まったP
社がちょうど10年後に成し得た快挙だった。個人的には学生
時代を終え社会人になった時期と重なったので、サラリーを
貰えることが嬉しく、給料日には最低でも5枚くらいは購入
していたっけ。それらの日々は今なお私の財産だ。

こうして久し振りにマディのボックスを聞いていると、様々
なことを思い起こす。音源もさることながら、添えられたブ
ックレットがものすごく丁寧だった。日暮泰文氏によるイマ
ジネィティブなマディ論に始まり、鈴木啓志氏の「ミシシッ
ピ・デルタの泥水がシカゴへ流れ込んだ」がそれに続いた。
さらにマディを巡るイラストも楽しい人脈図があり、吾妻光
良氏が愛情を込めた「あの大きな笑顔を忘れない」のエッセ
イが控えていた。それらの頁をめくっていくのが大好きだっ
た。

「音楽を聴くことと同じように、ぼくは音楽について書かれ
た文章を読むのが好きです」私が尊敬する同業の先輩は簡潔

にそう言い含める。そう、私たちは音楽それ自体を愛するの

と同じように、書かれた文章を読むのが大好きだった。


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# by obinborn | 2017-05-24 17:24 | blues with me | Comments(0)  

Pヴァインのコンビニ出店に思ったこと

老舗インディ・レーベルのPヴァインが下北沢にコンビニを
出店したらしい。自社説明ではもっともなことを言っている
けど、要は音楽だけじゃ喰えなくなったってことだろう。時
の流れとはいえ、こういう本末転倒は悲しい。仮にリテイル
(小売り部門)を強化するなら、本来持っているノウハウを
生かしてレコード/CDのセレクトショップを展開することも
可能だったと思う。そのほうが新しい世代によるレコ・ブー
ムに応える意味でも歓迎されたろう。それに俺はPヴァイン
にコンビニ出店して欲しくてレコ買ってきたわけじゃないし
な。ここら辺はディスクユニオンがアーティスト・グッズの
売り場面積を増やす展開にも似て、ちょっと寂しくなった。



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# by obinborn | 2017-05-24 13:51 | one day i walk | Comments(0)  

ローリング・ストーンズの75年作『ブラック&ブルー』に寄せて

オイラが『ブラック&ブルー』(76年)を最初に買ったのは
77年の3月。自分が地元の県立高校を卒業する間際のことだっ
た。何でそんなに正確に覚えているかと言えば、絶対合格す
ると確信していた明治学院大学の英文学科に落ちてしまった
ことを掲示板で知り、その帰り道に池袋の西武百貨店系列の
ディスクポート(WAVEの前身)で購入したからだ。そのワ
ーナー盤は無著名の短い、明らかに手抜きと解るライナーが
添えられており、音楽内容の素晴しさとは反比例して落胆さ
せられた。オイラは当時から音楽について書かれる文章を読
むのが大好きだったから余計にそれを感じたのかもしれない。

今から振り返ると過渡期のストーンズを象徴するアルバムだ
ったと思う。ブロンズ髪と長身の若きギタリストは「もうツ
アーは沢山だ。ぼくはやはりブルーズを追求したい」と言い
残してバンドを脱退。その代りの"ギタリスト探し"をしなが
ら西ドイツはミュンヘンにあるロッカダム・スタジオを拠点
としながらレコーディングは進められた。本作には重量級の
ファンクHOT STUFFとHEY NEGURITTAがそれぞれAB面の
冒頭曲となり、ニューソウルの時代に対応した。何でも当時
の彼らはニューオーリンズ公演時、オープニング・アクトに
ミーターズを起用するほど、ブラック・ミュージックの新し
い動きに極めて敏感だった。エリック・ドナルドソンのレゲ
エ曲CHERRY ON BABYをいち早くカバーしたのもその現れ
だろう。そしてストーンズならではの”横揺れ”ロックンロー
ルの醍醐味はHAND OF FATEとCRAZY MAMAでたっぷり味
わうことが出来る。

でもそれ以上にオイラの心を揺さぶったのはMEMORY MOT
ELにFOOL TO CRYという二つのバラードだった。前者は伝
説のグルーピー、ハンナ・ハニーの回想録だった。もうひと
つは妻子ある男が不倫に陥り、それを察した娘に「パパはお
馬鹿さんね、でももう泣かないで」と諭される物語歌だった。
不思議なことだが、オイラが自分なりの人生経験を増すたび
にこれらの曲が、より深い部分で突き刺さってくるのだった。

思えば75年当時のミックやキースはちょうど30歳を少し超え
たばかりだった。好きなだけ女たちと寝た。シャンペンに塗
れた風呂にも浸かった。俺たちを知らない者はいない。そん
な彼らではあったけれども、MEMORY MOTELとFOOL TO
CRYでの二人は、青年期を終えようとする自画像を正直に告
白する。その痛みはどれほどのものだったろう。『ブラック
&ブルー』がストーンズの最高傑作であるかどうかの論議は
ともかくとして、このアルバムは今もオイラの心を捉え、ま
るで静かな波が岸辺に押し寄せるように、自分を揺さぶり続
けている。


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# by obinborn | 2017-05-22 19:08 | rock'n roll | Comments(0)  

シーナ&コス唯一のアルバムのこと。渋谷ブラックホークについて

シーナ&コスはもともとデトロイトのロック・バンド、サヴェ
イジ・グレイスに在籍していたジョン・シーナーとロン・コス
が意気投合し再出発したデュオだ。二人はリプリーズ・レーベ
ルと契約し、唯一のアルバム『SEANOR &KOSS』を72年にリ
リースした。何と言っても話題になったのはジョン・セバスチ
ャン(exラヴィン・スプーンフル)がハーモニカで、ケニー・
アルトマン(exフィフス・アヴェニュー・バンド)がベースで
客演したことだろう。サヴェイジ・グレイス時代のハード・ロ
ックからは一転、アーシーなフォーク・ロック風味に様変わり
した点は当時どう受け止められたのだろうか。プロデュースが
キンクスやザ・フーを手掛けてきたシェル・タルミーであるこ
とも、そこら辺の混乱を映し出しているようだ。

それでもこの作品が密かに日本で愛されたのは、ひとえに渋谷
のロック喫茶ブラックホークが発行していたミニコミ誌『スモ
ール・タウン・トーク』が選ぶ99枚に登場した故だろう。つま
り、サヴェイジ・グレイスのガレージ・ロック信望者というよ
りは、むしろ南部指向のスワンプ・ファンに愛好されたのだっ
た。他ならぬ私自身が後者に属していたリスナーの一人であり、
ブラックホークからの坂道を、シーナ&コスのONE DAY LON
GERを反芻しながら駅へと向かったものだった。楽曲としては
そのONE DAY LONGERとMISTERY TRAIN(ジュニア・パーカ
ーのメンフィス・ブルースとは同名異曲)がとにかく傑出した
出来映えだった。それぞれがB面最後とAサイドの冒頭にうまく
配置されていた。シングル・カットはされたのだろうか?もし
私が制作A&Rだったとしたら、間違いなくこの二曲を候補にし
ただろう。それほど聴く者の心を捉え、さらに楔を打ち込むよ
うな音楽だった。

「俺はデトロイトの町に生まれた/何年も何年もその工場地帯
でくすぶっていた/この町を出ていく夢を見たよ/出て行ったら
最後/二度と戻ることはない/ミステリー・トレインよ/お前は
どこに行くのかい?/この俺も同じようなものさ」(MISTERY
TRAINより)ジョン・セバスチャンのハーモニカがまたいい。
それが汽笛の音となって、果てしない迷宮、終着駅が見えない旅、        朝靄の退屈、くたびれたベンチ、無法者の凱旋、気まぐれな態度         etc...を束ねていく。


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# by obinborn | 2017-05-21 17:41 | one day i walk | Comments(0)  

ポール・スタンレーと私

就職活動のためオイラが動き出したのは22歳の時だった。
不真面目な学生だったのでかなり苦労したと記憶する。
ある日オイラはそんな日々に疲れ、何故か上野動物園で
孔雀を観ていた。その時に流れ出したポール・スタンリ
ーのこの歌が忘れられない。「気にしないで。抱きしめ
て。きっとすべてがうまくいくから」

それから歳月が経ち、私はスタンリーがユダヤ人の末裔
としてニューヨークへと渡った家系だと知った。このあ
りふれた恋愛歌がもっと深い部分で聴こえてきた。


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# by obinborn | 2017-05-19 18:24 | one day i walk | Comments(0)  

ランディ・ニューマンのこと、羽田野さんのこと。

昨夜はみんなと中華料理を囲む手があったか!くっそ〜(笑)
でも渋谷の隠れ家「国境の南」で一人しっぽり飲むのが私ら
らしいといえば私らしかったね。店主の羽田野さんは私がリ
スペクトする大先輩で、ちょっとした雑文のなかにこっちが
ハッとするような鋭い記述がある。例えばランディ・ニュー
マンのようなソングライターに関して「どれだけ多くを語る
か」よりも「どれだけ聞き手に多くを想像させるか」なんて
さらっと書かれている。文体が必ずしも整然とされているわ
けではないし、すっきりリズムに乗っているわけでもないの
だが、その朴訥とした文章のなかに羽田野さんの人となりが
見える。私如きが真似したくともけっして真似出来ない世界
だ。

20才の時、私はランディ・ニューマンの『GOOD OLD BOY
S』を中古盤で買った。NHKーFMの『サウンド・ストリート』
で佐野元春さんがニューマンの「マリー」を掛けその歌詞を
紹介されたのが直接のきっかけだったと記憶する。くたびれ
た中年のカップルが場末の劇場で肩を抱き合って微笑み合っ
ている。男はこう囁く「マリー、最初にきみと会った時のよ
うに今も愛しているよ」と。語られる言葉そのものはニュー
マンの武骨な声と相俟って平坦かもしれない。でもその背中
の彼方に主人公が重ねてきた時間の流れがある。煩悶の日々
が見える。羽田野さんにとって、あるいは私にとって、歌と
はそういうものなのかもしれない。


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# by obinborn | 2017-05-19 17:38 | one day i walk | Comments(0)  

昨夜のヒダルゴ=リボウを反芻しつつ、ロス・ロボスを聴く

いやあ〜、ヒダルゴ&リボウは本当に素晴しかったなあ!
こりゃ今日は原稿仕事出来んわい(笑)というわけで早朝
バイトを終えたオイラは昨夜を反芻すべくロス・ロボスの
『THE NEIGHBORFOOD』(90年 Slash)を!昨日ヒダル
ゴがこのアルバムからジミー・マクラクリンのGEORGIA
SLOPを取り上げたのは嬉しい驚きだった。今現在の耳で
この『ネイヴァーフッド』を振り返るなら、初期の陽気な
テックス・メックスから脱して、より包括的にアメリカ(
とその周辺)の音楽に向かっていったロボスの分岐点とい
ったところだろうか。制作陣はラリー・ハーシュにミシェ
ル・フルームという気鋭たち。彼らはやがてチャド・ブレ
イクを加え、96年の傑作『コロサル・ヘッド』を生み出し
ていくのだった。

ヒダルゴとルイ・ペレスが主導するスルメ味のロックとR&
B、あるいは哀愁のケイジャン・チューンと重厚極まりない
ブルーズ・ロック。これらが混然一体となって壮大なサウン
ドスケープを描き出していく様は、ザ・バンドのそれを思い
起こさせる。あるいはフェアポート・コンベンションの勇気
ある越境とか、長く続かなかったブラスターズの頓挫を含め
て。そういえばブラスターズ出身のスティーヴ・バリン(sax、
kbd)が活躍し始めるのは本作の前後だった。ゲストとして
本作に参加したジョン・ハイアットとリヴォン・ヘルムも、
広範な”アメリカーナ”に貢献した。とくに読み書きが出来な
い少年たちに捧げられたヒダルゴ=ペレス作のLITTLE JOHN
OF GODは胸を打つ。ヒダルゴの歌を受けた後のワン・ヴァ
ースをリヴォン・ヘルムが引き継ぐ。その光景に筆者は最も
美しいアメリカン・ロックの姿を思わずにいられない。

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# by obinborn | 2017-05-19 12:30 | one day i walk | Comments(0)  

5月18日のデヴィッド・ヒダルゴとマイク・リボウ

18日は渋谷のクラブ・クアトロにてデヴィッド・ヒダルゴ
とマーク・リボウのライブを。ぴったり息の合った二人の
歌とギター、互いが繰り出すスリリングなソロ・パート、
もしくはルーツ音楽への敬愛。それらが何ひとつ気負いなく
滲み出すような一夜だった。ことリボウに関してはかつてラ
ウンジリザーズを牽引していた頃のフェイク・ジャズのイメ
ージは皆無であり、ヒダルゴの歌へと寄り添う姿が感動を呼
び起こしていく。演目に関してもマール・ハガードのベイカ
ーズフィールド・カントリーからジミー・マクラクリンの西
海岸ブルーズGEORGIA SLOP、メキシコのソン・ハローチョ
まで、ごく自然にジャンルを越境していく様が素晴しい。

だからと言って単に和気あいあいとしたコラボレイトという
わけではない。ステージが後半に進むにつれてヒダルゴとリ
ボウそれぞれのフレーズがどんどん鋭角的になり熱を帯びて
いく様は、かつて熱血的なギター少年だった二人を彷彿させ
る。恐らく互いの共通分母であるR&Bとロックンロールへの
想いがあり、それらはグレイトフル・デッドのBERTHA、マ
ーヴィン・ゲイのWHAT'S GOING ON、そしてトミー・ジェ
イムズ&ザ・シャンドルズのあの無邪気なトップ40曲Hanky
Pankyが立て続けに演奏された終盤で実証された。二度のア
ンコールに応えた最後の曲がウィルソン・ピケットの麗しき
メンフィス・ソウルIN THE MIDNIGHT HOURだったことに
は、とかく”新しさ”ばかりを求めがちな音楽ジャーナリズム
への警告が込められていたようにも思える。

どちらかと言えば筆者はロス・ロボスのデヴィッド・ヒダル
ゴを追いかけてきた聞き手だが、リボウを相方にしたヒダル
ゴの姿はとても詩的であり、ものすごく音楽的だった。それ
らのひとコマひとコマをずっと覚えていられたら、どんなに
素敵なことだろう!電車は終電近く。季節には仄かに夏の匂
いがした。

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# by obinborn | 2017-05-19 01:09 | Comments(0)  

5月18日のデヴィッド・ヒダルゴとマイク・リボウ

18日は渋谷のクラブ・クアトロにてデヴィッド・ヒダルゴ
とマーク・リボウのライブを。ぴったり息の合った二人の
歌とギター、互いがスリリングに繰り出すソロ・パート、
もしくはルーツ音楽への敬愛。それらが何ひとつ気負いなく
滲み出すような一夜だった。ことリボウに関してはかつてラ
ウンジリザーズを牽引していた頃のフェイク・ジャズのイメ
ージは皆無であり、ヒダルゴの歌へと寄り添う姿が感動を呼
び起こしていく。演目に関してもマール・ハガードのベイカ
ーズフィールド・カントリーからジミー・マクラクリンの西
海岸ブルーズGEORGIA SLOP、メキシコのソン・ハローチョ
まで、ごく自然にジャンルを越境していく様を素晴しいと思
った。

だからと言って単に和気あいあいとしたコラボレイトという
わけではない。ステージが後半に進むにつれてヒダルゴとリ
ボウそれぞれのフレーズがどんどん鋭角的になり熱を帯びて
いく様は、かつて熱血的なギター少年だった二人を彷彿させ
る。恐らく互いの共通分母であるR&Bとロックンロールへの
想いがあり、それらはグレイトフル・デッドのBERTHA、マ
ーヴィン・ゲイのWHAT'S GOING ON、そしてトミー・ジェ
イムズ&ザ・シャンドルズのあの無邪気なトップ40曲Hanky
Pankyが立て続けに演奏された終盤で実証された。二度のア
ンコールに応えた最後の曲がウィルソン・ピケットの麗しき
メンフィス・ソウル曲IN THE MIDNIGHT HOURだったこと
には、”新しさ”ばかりを求めがちな音楽ジャーナリズムへの
警告的な態度が込められていた。

どちらかと言えば筆者はロス・ロボスのデヴィッド・ヒダル
ゴを追いかけてきた聞き手だが、リボウを相方にしたヒダル
ゴの姿はとても詩的であり、ものすごく音楽的だった。それ
らのひとコマひとコマをずっと覚えていられたら、どんなに
素敵なことだろう!電車は終電近く。季節には仄かに夏の匂
いが漂っていた。

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# by obinborn | 2017-05-19 01:09 | Comments(0)  

東京砂漠〜ある家族の肖像

近所に金持ちの三世帯家族がいた。大きな邸宅に住み優雅な
暮らしぶりが伺えたのだが、先月のある日突如空き家になり、
今もまだ買い手が付いていない。会社が破綻して抵当に入れ
られたとか浪費が祟ったとか、周囲では様々な噂が流れたが、
本当のところはどうだったのだろう。企業と言えば以前私が
勤めていた会社も今年2月自己破産を東京地裁に申し立てて
おり、人生の明暗を考えされられた。90年代にインターネッ
トが普及してからはや30年近く。この間にいわゆる企業のビ
ジネス・モデルはすっかり様変わりした。老舗の商いが立ち
往かなくなり、IT産業が台頭し、町の商店街はすっかり朽ち
果てた。私の地元である江古田の町にもかつての面影はない。

しかし私のことを「辞めたら今の生活レベルは維持出来んぞ」
と、ちょうど10年まえに脅した人事担当者が恐らく現在右往
左往している様を想像するのはシュールだな。つい皮肉を言
ってみたくもなる。結局自分の人生をトータルに見渡すのは
大変だね、ということなのだろう。そういう意味では毎日毎
日が選択の連続だと思う。この道を左に曲がるか右に曲がる
かといった判断の難しさ。それは多くの経営者が日々抱える
悩みでもあろう。訓話もなければ教訓もない。未だに癒えな
い古傷だけが生々しく残った。


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# by obinborn | 2017-05-18 10:36 | one day i walk | Comments(0)  

池袋は日本のニュージャージーだった?

学生時代は所沢、社会人になってからはずっと江古田に住んで
いるので西武池袋線とはもう長い付き合いだ。人身事故以外は
開線以来一度も大きなトラブル(転落や衝突)を起こしていな
いのも強みだろう。そんな環境に育った私にとってはまず池袋
に出ることが都会への第一歩だった。ここら辺の感覚はたぶん
最初に出る山の手線圏内が渋谷や目黒や五反田である人たちと
は違うと思う。それはニューヨークに対するニュージャージー
位の違いであり、私はずっとコンプレックスを抱えてきたので
ある。なにせ池袋ですぜ。こう言ってはナンだがとても垢抜け
た都会とは言えまい。それでも腐れ縁とはよく言ったもので、
横浜や中央林間へと遠出した帰りに、池袋へ降り立つ時の安堵
する気持は、似た環境の方なら解って頂けるだろう。またかつ
て「渋谷系」ともて囃されたジャンルもお洒落なイメージ作り
のためのマーケッティングに過ぎなく、そう括られた音楽家の
本人達が一番迷惑していたという話はよく聞かされた。やはり
自分が暮らす町が一番なのであ〜る。というわけで無性にサウ
スサイド・ジョニーのローカルなR&Bが聞きたくなってきた。

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# by obinborn | 2017-05-18 07:14 | rock'n roll | Comments(2)  

激しい憎悪、友情の喪失、裏切りと変容〜今後4年の日本を憂う

ぼくが新宿フォーク・ゲリラのような集団活動に馴染めなか
ったのは、みんなでシング・アロングしながら絆を深めよう
というあり方に偽善を感じたからだった。いくら為政者に異
を唱えるという共通分母があったとしても、実際には各自そ
れぞれ考え方の違いや煩悶があったはずだ。そんな疑問を感
じ始めた頃、これまでプロテストソングの旗手として持て囃
されていたボブ・ディランは転向し、個人的な愛や悩みを歌
う先駆となった。こうした方向性は以降シンガー・ソングラ
イターと呼ばれ、70年代前半に大きな潮流を生み出した。同
じアクースティック・ギターの弾き語りといっても、フォー
クとSSWとでは目線の宿し方が違っていて、ぼくは後者の表
現に惹かれていった。

さて時代が変わり、今同じようなフォーク運動が起きている。
ぼくがこのまえ制服向上委員会の歌に疑問を呈したのも、お
よそ以上の理由があるからだ。彼女たちは「戦争と平和」と
いう歌で反戦と反原発を一緒くたにし、他の歌では自民党や
安倍首相を批判していた。そうした反骨精神自体は歓迎すべ
きものなのかもしれないが、安っぽい言葉と貧しい音楽性は
少なくともぼくが考えるアート・フォームとはほど遠い。そ
れに若い女の子であれば、もっと個人的な歌を歌っていいと
思う人もいるのでは?

いくら集会でシング・アロングして”共感”し合ったとしても、
実際にはいろいろな考え方の人がいる。なかには会社でリス
トラを行う管理職の人もいるだろうし、リストラされたほう
の職員やアルバイトがいるかもしれない。はっきりいってイ
ヤな奴もイイ奴もいるのである。そんな現実を見ようとせず
に、いくら大勢で「アイ・シャル・ビー・リリースト」をシ
ング・ア・ロングしてもぼくには届かないのだった。少し前
に書いたけど、これからの4年は憲法を巡って今以上に国民
が分断されていくことだろう。そこに生まれる激しい憎悪、
友情の喪失、裏切りと変容を想像すると、胸が潰れそうにな
る。

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# by obinborn | 2017-05-16 07:24 | Comments(0)  

ウォーレン・ジヴォン「軒下のならず者」

今日はあににくの雨だった。雨が降るから自分の行動範囲が
狭くなるということはないけど、こんな日はずっとウォーレ
ン・ジヴォンを聞いていたい。

*      *      *

北ハリウッドにあるハワイアン式のホテルに滞在して
今ぼくは空になったコーヒーカップを眺めている
この地にまだジプシーはいるんだろうか?なんて思いながら
ああ、L.Aじゅうのマルゲリータを飲みほしてしまいたい

もしカリフォルニア州が太平洋に吞み込まれたらどうしよう?
まるで神秘が告知したように 統計表が予見したように
たとえこのホテルが海に呑み込まれた時でも
支配人は宿泊代を取るのかね?

木々よ、朝陽を怒りとともに立ち昇らないで
木々よ、欲望とともにざわめかないで
ぼくを軒下のならず者のように扱わないで
天国って奴がそこを離れる者のためにあればいいのになあ

手をもがきつつ ぼくは朝目覚めた
どこかにぼくのことを理解してくれる女の子がいたらなあ
でも所詮 きみも夢のなかでしか自由になれないんだよ
ああ太陽よ ぼくを怒りとともに目覚めさせないで

ぼくは今 ハリウッドのハワイアン式のホテルに滞在し
空調が鳴る音を聞いている

(ウォーレン・ジヴォン/軒下のならず者)


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# by obinborn | 2017-05-13 19:36 | rock'n roll | Comments(0)  

他人の人格を否定し続ける左翼


しかし以前左翼のクソババアに絡まれた時はまいったな。
リオ五輪の閉会式をめぐってオイラが「安倍ちゃんの好
き嫌いはともかく、一国の首相が自国の選手をねぎらう
のは当然のこと」と書いたら、ヒステリーを起こしたみ
たいで「こいつ安倍が好きなんだな、音楽を語る資格な
し!」と怒濤の如く返してきた。またそれにいいね!す
る連中のなかには結構有名な音楽評論家や写真家もいて、
それまではとくに何の感情も抱いていなかった彼らに負
のバイアスがかかってしまった。実際に会ったことも話
したこともない相手を実名で晒して批判しないほうがい
いですよ。万が一それを苦にオイラが自殺したら、彼や
彼女らはオイラの家族や友人にどう謝罪するんだろう?

それを思うと昔はのんびりした時代だった。遠方の相手
と会話する手段は長距離電話や手紙だった。そういう一
定の時間があるからこそ熟考する視点が生まれ、互いを
配慮する気持が育まれた。ところが今は速効性に特化し
たSNSの時代だけに、そうした慎みが失われてしまった
ように思えてならない。まあ媒体の変化はともかく、普
通に賢い人たちはどんな時代であっても礼節を知ってる
ものだけどね。というわけでまたウダウダと書いてしま
いすみませんでした。はっきり言って左翼のクソババア
を相手にするよりおねえちゃんと話をしているほうがず
っと有益で人生の糧になります。


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# by obinborn | 2017-05-12 14:27 | rock'n roll | Comments(0)  

5月6日のザディコキックス

6日は吉祥寺のバオバブにてザディコキックスのライブを。
ゆったりとしたケイジャン・ナンバーを序盤に数曲連ねな
がら少しずつ音数を増し、彼らの本懐であるザディコのダ
ンス・ナンバーへと盛り上げていく。そんな構成も見事な
2時間を堪能した。培われた演奏力、お客さんとの当意即
妙な駆け引き、時にチャンプスの「テキーラ」やサム・ク
ックの「シェイク」そしてチャック・ベリーの「プロミス
ト・ランド」まで触手を伸ばす選曲と、文句の付けようが
ない濃密さ。ゲストで登場したロス・ロイヤル・フレイム
ズのCOUNT.Dも相当ノっていたようで、超満員の会場狭し
とフロアを練り歩く様は古き佳きR&Bスタイルを彷彿させ
る。

南ルイジアナ地方に今日も息付き、ラファイエット辺りに
点在するクラブの週末を彩るクレオールのカルチャー。そ
れはアフロ=アメリカンのR&Bとフレンチ・ケイジャンの
幸せな結婚だ。彼らザディコキックスはそうした混血文化
を十分に把握しながらダンサブルなステージへと特化する。
柔らかいラインを描くエレクトリック・ベースに絶え間な
くビートを供給し続けるドラムス。そんな竹内=諸星のリ
ズム・セクションを特筆しておきたい。けっして一夜浸け
で出来る連携ではない。このリズム隊の二人に限らず、彼
ら6人全員が10年以上に亘って辛抱強くそれを実践してき
た。そのことの価値をふと帰り道に考えてみた。

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# by obinborn | 2017-05-07 01:52 | one day i walk | Comments(0)  

オイラの音楽遍歴(簡略版)

オイラの音楽遍歴をごく簡単に振り返ってみると、最初は
小学生時代の森山加代子「コーヒー・ルンバ」や、江利チ
エミ「テネシー・ワルツ」だったと記憶する。弘田三枝子
のパンチのある歌唱が好きだったから、当時から無意識な
がらも洋楽志向があったのかもね。オイラの母親は戦時下
は満州に疎開し少女時代を過ごしたので、戦後日本に帰っ
てきてからはモダンなものに対する憧憬が人一倍強かった。
そんな母からの影響がオイラの遺伝子にあるのかもしれな
い。

中学に入ってもう少し自覚的に音楽を聴くようになってか
らは、南沙織「17才」やサイモン&ガーファンクル「アメ
リカ」のシングル盤を300〜400円で買った。ただし、岡林
信康の「チューリップのアップリケ」を聞いていた時だけ、
母に怒られた。当時は理不尽なものを感じたけれど、今や
っと「みんな貧乏が悪いんや〜」と歌う岡林に反発した母
親の気持に寄り添うことが出来る。それは親元で暮らす中
坊が安易に労働歌へと感情移入することへの戒めであり、
共産主義への警戒であり、歌は人に希望を与えなきゃ!と
いう彼女のごくまっとうな願いが込められていた。

オイラの洋楽かぶれは高校時代に加速した。時代的にはレ
ッド・ツェッペリンとCSN&Yをやや後追いながらも素晴し
いなと思った。もっとも同時にカーペンターズの綺麗なメ
ロディも大好きだった。そのカーペンターズが歌うA SON
G FOR YOUのソングライターが、オクラホマの怪人レオ
ン・ラッセルだったと知ったことは収穫で、以降のオイラ
はアメリカ南部のロックに目覚め、メロディの良さだけで
はなく、リズムのヴァリエーションやコクのあるビートを
知っていく。リトル・フィートの「ディキシー・チキン」
は、そんな音楽体験の頂点だったように思えてならない。

とまあ、思いつくままに音楽遍歴を語ってみました。父は
09年に肺腫瘍で死んだ。母は何度か入退院を繰り返しなが
ら今も元気だ。妹はきっと仕事を頑張っていることだろう。
果たしてオイラはどうなんだろう?

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# by obinborn | 2017-05-05 18:37 | Comments(0)  

復古主義への懸念と政治的リアリズムの狭間で

昨日の憲法記念日は左派・リベラルにとって衝撃的な一日
となりました。そう、ご存知のように安倍首相がビデオ・
メッセージで改憲への道筋を示したからです。ぼくが懸念
するのは現内閣の日本会議に連なる復古主義的な価値観(
個人より家族、自由より責任)であり、9条の改定自体に関
しては「まあ、こんなものかな」という感想を持ちました。
何故なら三浦瑠麗さんが指摘するように、憲法と自衛隊と
の関係は、本来中学生に質問されて答えに窮するものであ
ってはならないから。日本は70年もの間政界や学会で延々
と憲法を都合よく「解釈」し続けてきました。そうした曖
昧な態度ではシビリアン・コントロールに影響し、厳しさ
を増す国際情勢に対応が出来ない、というのが三浦さんの
見解です。

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# by obinborn | 2017-05-04 06:58 | one day i walk | Comments(0)  

70年めの憲法記念日に

そもそも自衛隊という軍備があるのに憲法9条との整合性
を未だ議論している日本って、諸外国からはかなり奇異に
映ると思います。最南端の与那国島の漁民は「普通の国は
軍隊が国境を守ってくれるじゃないですか。日本にはそれ
がない」と告白しています。その現実をもう少し考えてみ
ましょう、というのが私の立場です。自衛隊は認めるけれ
ど交戦してはいけない。いざ有事になったらアメリカ軍が
守ってくれる。自衛隊は災害救助隊でいいといった考えは
あまりに身勝手です。また9条を置いているから日本は攻
められまいという解釈もナイーブ過ぎるのでは? 70年め
の憲法記念日に私はそんなことを思っています。

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# by obinborn | 2017-05-03 07:31 | one day i walk | Comments(0)  

エルヴィス・コステロ&ジ・アトラクションズ『ALMOST BLUE』

「このアルバムはカントリー&ウェスタン・ミュージックが
含まれています。だから心の狭い人々は過剰な拒否反応をす
るかもしれません」エルヴィス・コステロ&ジ・アトラクショ
ンズが81年に発表したLPには、そうした警告文のステッカー
が貼られている。

無理からぬことかもしれない。何しろパンク/ニューウェイブ
のムーブメントとともに登場したコステロが、カントリー音
楽の本場ナッシュヴィルに赴いて作った”もろカン”の内容に
他ならなかったから。しかもプロデューサーには現地のビリ
ー・シェリルを据えるという徹底ぶりだった。選ばれた楽曲
もジョージ・ジョーンズのBROWN TO BLUE、マール・ハガ
ードのTONIGHT THE BOTTLE LET ME DOWN、ドン・ギブ
ソンのSWEET DREAMS...といった具合にカントリー・ミュ
ージックの古典で埋め尽くされていた。

あえてR&B〜ロックンロール色を探すとしたら、ジョー・タ
ーナーがヒットさせたHONEY HUSHくらい。余談だけど、
ぼくはこの曲を最初ブギ・ロックの素敵な四人組フォガット
のヴァージョンで知った。それはともかく、ここまでカント
リーに特化したアルバムを企画するなんて、コステロもなか
なかやるじゃん!と当時まだ学生だった筆者は密かに思った
ものだ。加えてゲストに参加していたのはジョン・マクフィ
ーだった。本作は彼のギターとペダル・スティール・ギター
が大活躍したアルバムとしても、長らく記憶されるだろう。

実はこの名作『ALMOST BLUE』に惹かれたことにはぼくな
りの理由がある。それはあまたのカントリー古典に混ざって
グラム・パーソンズの曲を2つも取り上げていたからだった。
グラムがフライング・ブリトー・ブラザーズ時代に発表した
I'M YOUR TOY(HOT BURRITO#1)がそのひとつ。グラムが
ソロ・アクトに踏み出した記念碑『G.P』からのHOW MUCH
I LIEDがもうひとつ。グラム・パーソンズといえばロック世代
にカントリー音楽の素晴らしさを問いかけ、実践していった
先駆者だ。コステロがグラムに刺激されながらカントリーに
目覚めていった様子は想像に難くない。この2曲をセレクト
したことで、ぼくはコステロにより親近感を覚えたものだっ
た。そう、ちょっとだけ年上の兄貴の音楽遍歴に触れたよう
な。

”心の狭い人々”とは何も他人にばかり向けられたものではな
いだろう。ぼく自身が音楽に限らず、人生の様々な局面で陥
りがちになる視野狭窄のことかもしれない。エルヴィス・コ
ステロ&ジ・アトラクションズは問い掛ける「本当にブルー
な気持じゃんかよ」と。とくにALMOST BLUEという曲が収
録されている訳ではない。だからこそアルバム表題にコステ
ロが込めた気持を汲み取りたい。このアルバムは81年の5月
18日から29日まで、比較的短期間でレコーディングが終了し
ている。あっぱれ!それはまさにロックンローラーがカント
リーと出会った濃密な時間だった。


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# by obinborn | 2017-05-01 12:55 | rock'n roll | Comments(0)  

パブリック・イメージと闘ってきた吉田拓郎

文芸誌『すばる』2010年3月号に掲載された吉田拓郎さ
んのインタビューを興味深く読みました。聞き手は作家
の重松清さんで、彼はずっと熱心な拓郎ファンだったと
か。そんなこともあってか、拓郎は珍しく打ち解けなが
ら本音を語っているのでした。古いファンはどうしても
中津川フォーク・ジャンボリーでアンプが故障し、突如
「人間なんて」をアンプラグドで歌い始める拓郎の姿を
いつまでも追い求めてしまう。あるいは「旅の宿」や「
落陽」のイメージかもしれません。そうした肖像に関し
て、煩悶し反発してきたのが他ならぬ拓郎だったことが
この取材ではかなり正直に明かされているのでした。

もともと拓郎さんはフォークを始める前にR&Bのバンド
を組まれていた方です。それがたまたま「イメージの詩」
や「人間なんて」が全共闘世代に支持され、同期されな
がら吉田拓郎というパブリック・イメージが次第に捏造
されていったのです。70年代に於いてはよく、こっち側
あっち側という分け方でフォークと歌謡曲の線引きがさ
れていましたよね。あたかもフォークは純粋な表現であ
り、歌謡曲は旧態依然とした商業主義の産物だと言わん
ばかりに。そうした時代のど真ん中で拓郎は「結婚しよ
うよ」をヒットさせ、南沙織のために「シンシア」を書
きました。それでも彼の葛藤はなかなか理解されず、フ
ァンはいつまでも中津川での吉田拓郎のイメージを追い
求めていったのです。

彼が背負わされた時代性・政治性とはおよそそのような
ものでした。そういえば以前『報道ステーション』に招
かれた時も拓郎さんは、歌謡フィールドにいた安井かず
みさん(故人)との親交を明かし、彼女から「汚らしい
ジーンズとTシャツのままでステージに出るフォーク・
シンガー」と揶揄されたことを告白していました。実は
ぼく(小尾)が敵対するフォーク集団は未だに「拓郎は
商業主義に魂を売った。フォーク・アーティストとして
は到底認められない」などと、団塊の世代ならではの我
が儘な主張を今日も繰り返しているのでした。

「きみの部屋のカーテンやカーペットは汚れていないか
い?」(「シンシア」)と歌う拓郎さんが好きです。そ
のたった一行から、彼のナイーブ過ぎる心情が伝わって
くるからです。


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# by obinborn | 2017-04-30 09:38 | Comments(0)