追悼:モーズ・アリソン〜TELL ME SOMETHING

今年も様々な音楽家が亡くなった。世紀の変わり目というのは
このように10数年経ってから初めて意識されるものなのかもし
れない。それは親しかった者の不在が、慌ただしく興奮状態の
葬儀前後ではなく、半年くらいしてからやっと突然実感される
のと似ている。20世紀を彩った多くの偶像たちの退場。何だか
寂しいね。

モーズ・アリソンは50~60年代にプレステッジ、コロンビア、
アトランティックなどに結構な量のレコードを残しているけれ
ど、本人も参加したトリビュートに近いアルバムとしては、96
年に発売された『TELL ME SOMETHING:THE SONGS OF MO
SE ALLISON』をお薦めしたい。ヴァン・モリソン、ジョージィ
・フェイム、ベン・シドランと”大人の粋”を知り尽くした三人
が、大先輩であるモーズの歌を歌い、敬意を込めたナイスな作
品だ。

むろんモーズがこだわったスモール・コンボによる無駄のない
シンプルな演奏が用意され、幾多のモーズ・ソングスが最高の
形で再提示されるといった塩梅。彼の歌(その多くはぼやき節
やほろ苦い人生訓話)がザ・フー、カクタス、ボニー・レイッ
ト、ザ・ルーモアなど数多くのロック音楽家によって広まった
ことも忘れられない。この『TELL ME SOMETHING』では、
ポール・バターフィールドもベターデイズ時代に取り上げたIF
YOU LIVEが最もお馴染みだろうか?軽妙洒脱で足回りのいい
シャッフル・ビートのなか、ベン・シドランが憂いのヴォーカ
ルを、ジョージィ・フェイムが腹八分目のハモンド・オルガン
を弾く会心の演奏だ。さぞかし作者モーズはご満悦だったろう。

青年時代にはよく解らなかったモーズ・アリソンの良さが、今
では五臓六腑に染み亘る。やっとのことだ。ぼくの経験も人生
もまだまだだね、ミスター・モーズ。享年89歳。いままであり
がとうございました。

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# by obinborn | 2016-11-16 13:09 | blues with me | Comments(0)  

11月14日のヘロン

14日は英国フォークの伝説的カルテット、ヘロンの初来日公演
を高円寺HIGHにて。音域が微妙に違う鮮烈な三声ハーモニー、
秘めやかに小躍りするパーカッション、暖色のエレピなどに酔
った。遠い昔にぼくがレコードで慣れ親しんだヘロンよりも、
遥かに立体的で粒立ちが良く、ユーモアを交えたステージング
に祝杯を上げたい。ここら辺は互いに時間をやり過ごし、何人
かの死者たちを松明とともに見送り、少しだけ賢くなったこと
へのご褒美かもしれない。

新旧交えたオリジナル・ソングの数々に、ボブ・ディランの曲
を加え、アイリッシュ・トラッドを交える。穏やかな人々の慎
ましい暮らしぶりをそのまま映し出したような歌が、熟慮を重
ねた超満員のお客さんたちと笑みを交わし合う。チャス&デイ
ヴやゲラント・ワトキンスと共振するようなブギウギ・ナンバ
ーが奏でられ、ロンドンのパブへと思いを馳せる時間もあった。
9・11事件以降、あまりに残酷になってしまった世界に異議
を申し立てる人種ソングもしっかりと用意された。

明日からまた二カ所三公演が待っている。それらに行かれる方
々のためにも、本日のセットリストは公開しないでおきたい。
終演後のぼくは、温めた想いとともに友人たちと一緒に飲み、
終電に乗り込んだ。電車の窓にはかつて若者だったぼくと、今
現在の自分が写し出されていた。

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# by obinborn | 2016-11-15 01:36 | one day i walk | Comments(0)  

追悼:レオン・ラッセル〜タルサに還る

レオン・ラッセルのエピソードにこういうものがある。まだ
18歳だったにもかかわらずバンドでピアノを弾いていた彼だ
が、大人向けのクラブに出演する許可はなかなか下りず、苦
肉の策としてバックステージ・パスを偽造していたという。
時は60年代半ばのハリウッド。すでにこの青年は故郷オクラ
ホマ州タルサを後にしていた。ジェリー・リー・ルイスから
直々にピアノの腕前を誉められていた。

そんなレオンの訃報が届いた。フィル・スペクターの門下生
となり、レッキング・クルーの一員として60'sポップス黄金
時代を陰から支えたこと、ダラス出身のマーク・ベノと出会
いアサイラム・クワイアというデュオを組み、サイケデリッ
クの時代に反応したこと、そしてジョー・コッカーらとマッ
ドドッグス&イングリシュ・メンを結成し、英米混成のメン
バーによる一大R&Bレビュー・ツアーに繰り出したこと…。
それらが走馬灯のように甦る。デラニー&ボニーを見出し、
彼らの音楽監督となったスワンプ・ロックの日々、ジョージ
・ハリソンやボブ・ディランとともにバングラ・デシュ難民
のベネフィット・コンサートに出演したことも今では懐かし
い。ハンク・ウィルソンという変名でカントリー・シンガー
に化けたり、『STOP ALL THAT JAZZ』というタイトルで
ジャズを仄めかしつつ一曲めがティム・ハーディンといった
茶目っ気も素敵だった。英国人のデニー・コーデルとともに
インディの先駆とも言えるシェルター・レーベルを興し、フ
ィービー・スノウやJ.J.ケイルといった新しい才能を世の中
に問い掛けたこともある。

豪放にうねる熱狂的な南部ロックが看板だったせいで、ソロ
・アクトの一部があまり顧みられていないのは残念だ。なか
でもレオンのソロ作としては3枚めに当たる72年の『CARN
EY』は、ソングライターとしての才能が全面開花した記念碑
だと思う。普段のワイルドなロックとは裏腹の、ひたひたと
降り注ぐ雨のように静謐なソングライティングが光る。「タ
イト・ロープ」では綱渡りのような人生の危うさを歌い、「
マスカレード」では華やかな社交パーティのなかにある空し
さや孤独を写し取った。仮面を剥いだピエロの独白のような
アルバム・ジャケットが、それらの歌とピタリ呼応しながら、
この男の実像を伝えていく。昨夜悲しい知らせを聞き、真っ
先にレコード棚から抜き出してきたのは、ぼくの場合この『
CARNEY』だった。カーニーを「人生の舞台」と意訳したい。

鮮やかに時代を彩り、シーンを牽引し、音楽ジャンルを軽々
と跨いだ人だった。銀色の長髪を振り乱し、ぎょろっとした
不敵な眼つきと生めかしくセクシーなヴォーカルで聴衆たち
を興奮の渦に巻き込んだ人だった。そんなレオン・ラッセル
が今、人生という舞台からそっと退場する。彼によって導か
れた土地のことを考えてみる。その土地はよく耕され、草花
を咲かせた。樹木を育てた。そしてレオンは故郷タルサの土
地へと還っていった。

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# by obinborn | 2016-11-14 12:21 | one day i walk | Comments(0)  

服部高好氏の労作『アンシーン・アンド・アンノウン』に寄せて

名古屋在住の音楽研究家、服部高好氏が『アンシーン・アンド・
アンノウン〜アンサング・ヒーロー達から聴こえる米国ルーツ
音楽』を上梓された。A4サイズ・全400ページというヴォリュ
ームも凄いが、それ以上に氏が長年に亘って温めてきた構想、
及びその広範な音楽体験のうねりが伝わってくる点に圧倒され
る。

『アンシーン・アンド・アンノウン』(Unseen And Unknown)
という書籍タイトルを聞いて、アーカンソー出身のオルガン奏者
ベイビー・フェイス・ウィレットのアルバム『モー・ロック』
(64年)に収録された同名曲を思い起こす方は、どれくらいい
らっしゃるだろう? 実際に服部氏はウィレットに一章を割くほ
ど、この余り知られていないプレイヤーに熱量を込める。そんな
”知られていない、無名の音楽家”に温かい視点を注ぎ、ジャンル
や時代を軽く超えながら、アメリカ(とイギリス)の音楽を俯瞰
したのが本書である。

リトル・ジョニー・ジョーンズを切り口にしながらマディ・ウ
ォーターズやハウリン・ウルフとの接点を探る。一般的にはハ
ングリー・チャックのメンバーとしてのみ語られがちなジム・
コルグローヴのキャリアを丹念に調べ上げ、その”知られざる”
姿を現在の地点までリサーチする。あるいは英国のロックパイル
を俎板に乗せながら、ジョー・テックスやキップ・アンダーソン
のR&B/ソウルを語る。さながら音楽マニアの友だちとレコード
を聞きながら、ワイワイと楽しく会話しているような趣だ。

結局こうした良書が既存の音楽出版社から出ない(出にくい)
ところに現在の音楽業界が抱える不幸を感じてしまう。服部
氏のこの労作、残念なことに一般的な販売ルートには乗らない
「私家版」である。それでも彼の情熱に勇気付けられる音楽ファ
ンは少なくないはず。スター(大物)志向、リジェンド志向を
強めるばかりの書籍編集者たちに反省を促し、ルーツ音楽を
愛する者たちに歓迎される。そんな究極の一冊だと思う。

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# by obinborn | 2016-11-13 09:13 | one day i walk | Comments(0)  

11月11日のスーマーwith桜井芳樹

レーナード・コーエンが亡くなった夜に一体どうしよう?そ
んなことを思いながら、11日はスーマーwith桜井芳樹のライ
ブを阿佐ヶ谷のSOUL玉TOKYOにて。折しもスーマーは第二
作『泥水は揺れる』がリリースしたばかり。そのプロデュー
を担った桜井(eg)とのデュオをたっぷり堪能した。

一曲め「あさき夢みし」に始まり、ステージは「風の女たち」
「もうない船」「烽火」そしてアルバム表題曲と、新作『泥
水』の収録曲を約半数交える。方やパイレーツ・カヌーのエ
リザベスがものにした名曲「グッドバイ・ジャックリーン」、
スーマーのロード・ソングとして実感がこもる「道路」、あ
るいは暮らしをそのままスケッチした「雨がひらひら」など、
前作『ミンストレル』で馴染みになった歌もある。そのいず
れもが彼の落ち着いた深みのあるテナー・ヴォイスと、桜井
が奏でる音色にまで気を配ったギターによって彩られる。ス
ーマーがアクースティック・ギターを置いて、四弦バンジョ
ーで繰り出すピッキング。桜井の繊細なトレモロ・アーミン
グ。細かく耳を傾けていけばいくほどハッとさせられるサウ
ンド・スケープだ。アンコールではお客さんのリクエストに
応えてボビー・チャールズのI Must Be In A Good Place Now
を歌うサーヴィスも。きっと来月になれば、ザ・バンドのCh
ristmas Must Be Tonightをやってくれるだろう。

朴訥とした語り口。気負いのない歌世界。日本全国を毎日の
ように旅して歌うスーマーの目には一体何が映っているのだ
ろう。彼の愛車〜水色のボディと白いバンパーのワンボック
ス・カー〜は走行距離が二十万キロを超えたらしい。スーマ
ーは気ままな旅の愉しさを、暮れなずむ町の寂しさを、夜明
けの孤独を、焼べる薪の暖かさを、よく知っている人だ。

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# by obinborn | 2016-11-12 12:55 | one day i walk | Comments(0)  

デヴィッド・ボウイ『ピンナップス』を時代順に組み直す(監修:Mr.Morrie)

ザ・バンド『マチネー』を時代順に組み替えたテキストはお陰
様で好評を頂きました。ありがとうございます。今回は同じ73
年にリリースされたデヴィッド・ボウイのカバー集『ピンナッ
プス』に焦点を当ててみました。といっても英国モノに疎い私
ではまるで歯が立たないので、今回はクラブDJ・英国音楽研究
家のMorrieさんに全面監修をお願いしました。氏に感謝します。

こうして見渡してみると、64年から67年までの比較的短い期間
に英国シーンを席巻した英バンドの選曲に特化した様子が伺え
ます(豪州のイージー・ビーツも渡英後の代表曲)いわばボウ
イによるブリティッシュ・ビートへのオマージュ。最後にピン
ク・フロイドの「エミリーはプレイガール」が入ってくる辺り
も、サイケデリック・イヤーの到来を告げるようで興味深いで
すね。なおチャート・リアクションはすべて英国でのものです。

☆     ☆     ☆

SIDE A

1 Everything's Alright ( The Mojos)64年3月9位
2 I Wish You Would ( The Yardbirds)64年5月ランクインせず
3 Rosalyn ( The Pretty Things)64年5月41位
4 Don't Bring Me Down ( The Pretty Things)64年10月10位
5 I Can't Explain(The Who)65年1月8位
6 Here Comes The Night (Them) 65年3月2位

SIDE B

1 Anyway,Anyhow,Anywhere (The Who) 65年5月10位
2 Where Have All The Good Times Gone(The Kinks)65年11月8位
3 Shapes Of Things(The Yardbirds) 66年2月3位
4 Sorrow(The Merseys) 66年4月4位
5 Friday On My Mind (The Easybeats) 66年10月6位
6 She Emily Play (The Pink Floyd) 67年6月6位

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# by obinborn | 2016-11-07 16:52 | rock'n roll | Comments(0)  

ヴァン・モリソンの新作『KEEP ME SINGING』を聞いて

訳もなく雑踏に紛れ込みたくなって、久し振りに新宿の町へ出
掛けてみた。しかも普段の自分なら避けるであろう日曜日に。
こうして休日の町並を眺めてみると、若く放蕩なグループから
仲睦まじそうなカップル、家族連れ、そして杖を付いたお年寄
りまで、本当に様々な人達が町を訪れ、約束を交わし、とめど
もなく談笑し合っていることに気が付く。そうした人々のうね
りが愛おしい。そんななか、果たして自分は一体何をしている
のだろう? とふと思う。

ヴァン・モリソンの新作『KEEP ME SINGING』が素晴しい。
三つ前が『KEEP IT SIMPLE』で、次が『BORN TO SING :
NO PLAN B』そしてデュオ集。直裁なアルバム・タイトルが
続いてゆく。音楽も若かった頃のがむしゃらな唱法ではなく、
ずっと抑制が効いた歌い方だ。キーは明らかに低くなってる。
でもそれに何の問題があるだろう。むしろ音は優しく粒立ち、
言葉が発せられる以前のニュアンスや、言葉にならない想いを
そっと包み込んでいくようだ。私事になって申し訳ないけれど、
ぼくが最初にモリソンと出会ったのは77年作『A PERIOD OF
TRANSITION』あれから38年が経って、今日新宿の町で彼の
新作を購入するなんて、当時は夢にも思わなかったさ。

自分探しの旅を終え、現在のヴァン・モリソンは平穏な日々の
なかで、歌うことの価値をそっと噛み締めているようだ。木々
の葉たちは次第に秋色になる。やがて厳しい季節を迎えながら
朽ちていく。何ヶ月か前の若葉の面影はもうない。そろそろ、
洋服棚から厚いコートを取り出してこようか。いささかの綻び
があったとしても、それは自分に馴染んだ大事なコート。毎年
冬が訪れる度に向こうから「大丈夫かい?」と声を掛けてくれ
るような。きみは元気かい? 夜汽車のシートのなかで寒くな
いかい? 大事だと思われたものを、いとも簡単に誰かに売り
渡してはいないかい?

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# by obinborn | 2016-11-06 18:41 | one day i walk | Comments(0)  

ニール・ヤング『DECADE〜輝ける10年』に寄せて

ニール・ヤング最初のベスト・アルバムは76年に発売された
『DECADE』(輝ける10年)だった。ワーナー・パイオニア
(現ワーナーミュージック・ジャパン)から国内盤もしっか
りリリースされたが、何と3枚組で価格は確か¥6,000だった
と記憶する。そんなものは諦めるに越したことはない。何し
ろこっちは浪人確定組の高校3年だ。卒業記念に買ったのは
マンフレッドマンズ・アースバンド『ローリング・サイレン
ス』と『ザ・バーズ・グレイテスト・ヒッツ』所沢・ミノヤ
のカウンター越しにいた店員のお姉さんは長身の美女で、私
は萌えたが、当然交際には至らず。それでも300円分まけて
くれたことは今でもはっきり覚えている。確か初めて購入し
た輸入盤がこの2枚じゃないかな。

私が通った所沢北高等学校は、今でこそ立派な進学校となっ
たが、当時は落ちこぼれの巣窟であり、埼玉ベース住吉連合
の予備軍バイカーとノンポリと、川越高校に落ちた優等生の
混血であり、野戦病院のようなものだった。それでも幸せな
気持になったのは、ラジオから流れてくる「プラウド・メア
リー」であり、美容院の息子が持ち込んだ「セックス・マシ
ーン」であり、治外法権の「津軽じょんがら節」だった。私
は同級生の兄が弾く寺内タケシの津軽に圧倒されて、何故か
バックマンターナー・オーヴァー・ドライヴと、西の町から
やってきたキャロルをコピーするバンドに誘われたが、いか
んせん実力は伴わず。

そんな個人史はともかく、大事なのはニール・ヤングの最初
の10年を見つめられたことだろう。バッファローからCSN&
Yへと栄光の駒を進めながらも、何故か「俺ってだめだもん
ね〜」とか、「あかんべ〜」とか、そんなことを当時から彼
はずっと歌ってきた「川面に裸足で突っ込み、ハイスクール
の頃のように手足を伸ばしたい」普通そんなことを大人たち
は歌わない。むしろ見ては見ないふりをするのではないだろ
うか?それに加えて、死んでしまった友人たちのために、弔
いのレコーディング・セッションを、テキーラの杯をしこた
ま重ねながら深夜に行うなんて、あまりに青臭さ過ぎるじゃ
んか。

友の一人は自死をした。憧れて止まなかった師も息絶えた。
明日からの私は一体どうすればいいのだろう? 書き込まれ
ることのない日誌。閉じられたままのノート。冬は長い。そ
れでも私はこれからも書いていく。長い冬に逆らうように、
もっともらしい態度に異を唱えながら。

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# by obinborn | 2016-11-06 05:03 | rock'n roll | Comments(0)  

ザ・バンド『ムーンドッグ・マチネー』を、オリジナルの時代順に組み直してみました!

ザ・バンドの73年作『ムーンドッグ・マチネー』は、彼らが
音楽の先輩たちに敬意を表したカバー・アルバムとしてあま
りに有名ですね。ぼくも長年愛聴してきましたが、ちょっと
ばかり気になって、オリジナル・ソングがリリースされた年
を調べ、年代順にシークエンスを組み直すとどうなるのか?
を試してみました。以下にご報告しましょう!

☆      ☆      ☆

SIDE A

1 THIRD MAN THEME 49年 オーストリアのチター奏者、
アントーン・カラスによる映画挿入インスト。邦題は「第三
の男」

2 MYSTERY TRAIN 53年 メンフィスのブルーズマン、
ジュニア・パーカーのSUN吹き込み。ほぼ速攻でエルヴィス・
プレスリーが54年に取り上げた

3 THE GREAT PRETENDER 55年 コーラス・グループの
プラターズが同年12月にヒットさせ、全米チャート一位に

4 AIN'T GOT NO HOME  57年 ニューオーリンズのR&B
シンガー、クラレンス”フロッグマン”ヘンリーが同年1月に全米
チャート20位へと送り込む

5 I'M READY 59年 ニューオーリンズの偉大なシンガー/ピ
アニスト、ファッツ・ドミノが同年5月に全米チャート16位へ

SIDE B

1 SAVED 61年 気風のいい女性R&B歌手、ラヴァーン・ベ
イカーのヒット曲 61年5月全米で37位と大健闘した

2 SHARE YOUR LOVE 63年 メンフィス〜テキサスをベース
にしたボビー”ブルー”ブランドが絶唱したバラード曲。ザ・バン
ドはみんなブランドやパーカーを愛していたね

3 PROMISED LAND 64年 勿論オリジナルはチャック・ベリ
ー。多くのヒット曲を生み出したベリーだが、これは何故かチャ
ート・インせず。だからこそ、この勇気あるカバーを讃えよう

4 A CHANGE IS GONNA COME 65年 言わずと知れたサム・
クックの記念碑。65年の2月に全米31位。折りしも時は公民権
運動の真っ只中。サムの願いを聞き取りたい

5 HOLY COW 66年 ニューオーリンズR&Bの新世代、リー
・ドーシーが同年11月に全米チャートの23位へ。インディ・レ
ーベルAMY発。プロデュースはアラン・トゥーサン

と、まあ物好きなことをしてしまいました(笑)皆さんがこれを
機会にまた『ムーンドッグ』アルバムを棚の隅から引っぱり出し
てくだされば、それに勝る喜びはありません!

*ジョエル・ウィットバーン氏の労作『THE BILLBOARD BOOK
OF TOP 40 HITS』を参考資料にしました。ありがとう、ミスタ
・ウィットバーン

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# by obinborn | 2016-11-05 17:59 | rock'n roll | Comments(0)  

ニール・ヤング『TIME FADES AWAY』

やばいやばい。懐かしい写真を見て昔を思い出していたら眠れ
なくなってしまい、起き出して深夜ニール・ヤングの『TIME
FADES AWAY』(73年)をコーヒー飲みながら聞いている。
ヤングにとって最初のライブ・アルバムとなった本作は、当時
行われた全米ツアーからシアトル、クリーヴランド、サンディ
エゴ、サクラメントでの音源を収録しているが、全8曲がすべ
て新曲で構成されるという画期的なものだった。通常ライブ作
といえばファン・サーヴィスのためのグレイテスト・ヒッツ集
であったり、アーティストにとって活動に一区切り付ける意味
合いがあったり、またはレコード会社が人気にあやかって勝手
にリリースする場合もあるのだが、そうした慣習をヤングは覆
して、73年時点での”現状報告”にしたのだった。そういう意味
では、のちにジャクソン・ブラウンが新しいナンバーばかりの
ライブ作『RUNNING ON EMPTY』を発表する伏線となったの
かもしれない。

72年〜73年のヤングといえば、アルバム『HARVEST』が全米
で第一位に輝き、シングル・カットされたHEART OF GOLDも
また72年の2月、堂々と一位にチャート・インしている。そん
な意味では彼にとって最初の頂点であり、ジェイムズ・テイラ
ーやキャロル・キングの活躍とともにシンガー・ソングライタ
ーの大ブームを巻き起こしたわけだが、必要以上の名声を得て
しまったヤングは新たに苦悩を抱え込むことになった。「もう
僕は大きな会場ではやりたくない。これからは無名のバーや小
さなクラブ、つまり聴衆の顔がはっきり見える場所で歌いたい
のさ」これはヤングの本音であっただろう。

『TIME FADES AWAY』が収録された会場が比較的大きいこと
は歓声の大きさからも容易に想像出来る。そういう意味ではヤ
ングの意思に背いていたのかもしれない。しかしヒット曲のH
EART OF GOLDや当時の最新作『HARVEST』からのナンバー
を焼き直すのではなく、新曲ばかりで徹底的に固め打ちしたと
ころに、ヤングのアーティスト魂を感じずにはいられない。そ
れも内省的なピアノの弾き語り歌L.A、苦みに満ちた自己遍歴
を吐露したDON'T BE DENIED、ヤング自らが監督となった映
画のタイトル・トラックJOURNEY THROUGH THE PAST、の
ちに定期化される障がい児のためのベネフィット・コンサート
の名前を冠したTHE BRIDGEなど、重要曲が演奏されているの
だから、ファンにはたまらない贈り物だ。

とりわけB面最後を飾る長尺のLAST DANCEは劇的な盛り上が
りを見せる。ジャック・ニッチェのピアノもいいし、ティム・
ドラモンドのベースとジョニー・バーバータのドラムの骨太な
コンビネイションが何よりもヤングの実像を伝えようと懸命に
なっている点が素晴しい。加えてクロスビー&ナッシュがコー
ラスで盛り上げ、ベン・キースのペダル・スティールが砂埃を
舞い上げていく。クレイジー・ホースとの荒れ馬ぶりが湾岸戦
争への抗議とともに轟音で示されたのちの『WELD』も価値あ
るライブ作であり、その際に共演したソニック・ユースに刺激
されたノイズ・エクスペリエンス王『ARC』も重要な副産物だ
が、その発端は間違いなくこの『TIME FADES AWAY』にある。
そのことを忘れずにいたい。このアルバムはハル宮沢的なナイ
ーブと中山義雄の黙示録の肖像。傷だらけのロック、血塗れの
国旗、果たされなかった約束の縮図なのだ。きみは元気かい?
もうすぐ夜が明け、エレクトリック・ギターの凱旋が始まる。

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# by obinborn | 2016-11-04 04:47 | rock'n roll | Comments(0)  

クラン・レコードの平野実さんを偲ぶ

何の変哲もない私鉄沿線の町にその店はあった。今や伝説として
語られる輸入レコード店・クランのことだ。テックス・メックス
とルイジアナのスワンプ・ポップ&ザディコを看板にした同店は、
いつしか人と人の交差点となり、何人かのミュージシャンやライターを輩出していった。その渦の真只中にはいつも店主の平野実さんがいらっしゃった。今や故人となってしまった彼をクランの思い出とともに偲びたい。そう、1978年から2008年までの30年、平野さんはずっと店を支え続けたのだった。

☆      ☆      ☆

開店は78年 当初は当時潮流だったSSW~スワンプ・ロックを中心に掛けるロック喫茶だった

私が最初に行ったのは79年の夏 初めてのリクエストは『ジェシ・ウィンチェスター』

リクエストはLPの片面単位ごと あの頃はこうした店が主流だった

トム・ウェイツ『クロージング・タイム』をフルで流す夜も

西武池袋線江古田駅北口から約5分 三叉路前の青梅(現:西京)信用金庫が店の目印だった

コーヒーは豆を挽いていた 値段は250~300円前後と記憶する

夜は次第に呑み屋へと変化  私はサントリーホワイトのボトルをよく入れていた

美味しかったフードはボルシチ ごく初期にはカレーも置いていたらしい

まだSNS環境がない時代 店に置かれた一冊のノートが「つぶやき」の場だった

渋谷のブラックホークを意識してか、月曜夜に英トラッドを聞く会を開催

トイレには「ウンコは家でしましょう」の張り紙が

店では野良猫がよく平野さんに懐いていた 心温まる風景だった

マチケン(町田謙介)、クランでソロ・ライブ

友部正人が自主制作盤『何でもない日には』販促のため来店

湯布院のSSW通販店タンボリンと親交 「田圃林通信」を配布

八王子のロック喫茶「アルカディア」と親交  「アルカディア通信」を配布

常連の長谷雅春氏、「ビール・ストリート」~「レッドビーンズ(赤豆報)」と自らミニコミで大活躍

私(小尾)のミニコミ「ハックルバック」にも平野氏は寄稿して
くださった

当初から委託中古盤などを扱っていたが、やがて輸入盤専門レコード店へと方向転換

Pヴァインがチェスの権利を獲得した80年代前半頃から、同社と取り引き開始

平野氏、本格的な音楽体験のため、幾度かテキサスへと旅立つ

スワンプ・ポップに着眼 大河シリーズ『ジェイ・ミラー・セッションズ』を取り扱う

フラーコ・ヒメネスの貴重なインディー録音盤をがっつりと輸入

ジョー・キング・カラスコやバックウィート・ザディコら新世代もいち早く紹介

ロス・ロボスのメジャー・デビュー作『AND A TIME TO DANCE』を輸入 音楽メディアなど各方面に衝撃を与えた

ファビュラス・サンダーバーズやリロイ・ブラザーズも積極販売

スティーヴ・レイ・ヴォーン来日時には「SRV公演のため本日臨時休業」の張り紙も

サニー・ランドレスが帯同したジョン・ハイアット来日公演のため臨時休業

スティーヴ・ジョーダンやフレディ・フェンダーの輸入盤を国内配給開始 ライナーも平野氏(ときにペンネームの黒岩姓で)担当

アコーディオンやラブボードといった楽器、スラック・キーの教則本、ルイジアナ音楽研究の第一人者であるジョン・ブローヴェンの著作なども販売 音楽ファンから信頼を得る

ダグ・サームのビデオ上映会を開催 小型テレビ画面で見せられた

レコを買うとポイント制の割引券(茶色の名刺サイズ)が貰えた

レア盤の購入には、例えば¥2,800円プラス割引券20枚要というハードルあり

そのハードルでリードーシーのポリドール盤やSDQのマーキュリー盤を購入した思い出も

ブレイヴ・コンボのカール・フィンチ、来日時のステージで招聘の平野氏を讃える

平野氏、『ミュージック・マガジン』『レコード・コレクターズ』に幾つかの記事を寄稿

『ミュージック・マガジン』の連載で店が紹介される

山崎直也、中山義雄といった鋭い感性の音楽評論家諸氏も店を愛した

さらにチカーノ・ラップのカセットまで取り扱うマニアックぶりを発揮

この頃からクレイジー・ケン・バンドの横山剣氏と親交

90年代後半からは古着や中古オーディオ機器の扱いも始める

平野さんは配線回路に詳しく、機械の修理にも長けていた

クラン閉店は2008年の春 とくに告知はぜず、粛々と

平野さんは常に無口で淡々とした風情 「世間に動ぜず」が基本姿勢だったように思える

私が最後にお会いしたのは2014年秋のスクイーズボックス・ナイト
お元気そうだったのに…

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# by obinborn | 2016-11-01 18:36 | blues with me | Comments(0)  

ボブ・ディラン「リリー、ローズマリーとハートのジャック」

ソニーからボブ・ディラン『リアル・ロイヤル・アルバート・
ホール』のサンプル盤が届いた。66年にザ・ホウクスを率いて
行った伝説的なツアーの音源だ。むろん以前から長らくブート
レグの時代を経て、近年やっとオフィシャルな形で商品化され
たものだが、今回はその”完全版”という触れ込み。本来であれ
ばそれを真っ先に紹介したいところだが、時流に乗っかったパ
ブ記事は書きたくない(そんなものはいくらでも転がっている
だろう)ので、今日はぼくが最も好きなディランのアルバム『
血の轍』(75年)についてメモしておこう。

73年にザ・バンドとともに録音に臨んだ『プラネット・ウェイ
ヴス』それに伴って74年の初頭から始まった彼らとの全米ツア
ーによって、ディランは久し振りに公の場に立ち、音楽家とし
てのカンを取り戻しつつあった。74年の9月16日ユダヤ人にと
っての新年祭ロッシェ・ハサナのこの日、ディランは突如レコ
ーディングを思い付いたという。彼はエンジニアのフィル・ラ
モーンにこう言ったという「記念すべきニューイヤー。どうし
て今日じゃ駄目なんだい?」

そんな風に一気呵成に進められたレコーディングだったが、そ
のセッション終了間際の12月、ディランは突然録音し直したい
と言い出し、それまでのニューヨーク吹き込みとは違うミネア
ポリス周辺の演奏家と新たにスタジオへと向かうことになった。
アルバム『血の轍』にはそれらミネアポリス・セッションから
「ブルーにこんがらがって」「きみは大きな存在」「愚かな風」
「リリー、ローズマリーとハートのジャック」「彼女に会った
らよろしくと」の5曲が採用されている。没になったレコーデ
ィングの幾つかは『バイオグラフ』や『ブートレグ・シリーズ
1〜3』に聞けるのだが、それらを比べてみると、ディランが成
熟した手練手間のバックより、もっと生々しい手触りを欲して
いたことがよく解る。ディランの故郷でもあるミネアポリス在
住の"無名な”プレイヤーたちが彼を煽り、支え、目線をしっか
り合わせながら演奏を共にした。ディランを本気にさせた。そ
のことを忘れたくない。

無名であり無冠であること。それは”自由”とどこまでも相似形
を描いていく。『血の轍』に描かれたディランの歌の多くは、
男女の別れ、宛のない旅、時の政府への怒りといった内容であ
り、それらを彼はときにストレートに、ときにカットアップや
遠近法を用いながら歌詞とメロディに託している。歌詞がこと
さら難解だとされるディランだが、ポール・ウィリアムズによ
れば、アメリカ人でさえ彼の歌詞はよく解らないらしい。そこ
はひとつ奔放なイメージの飛躍、優れたメタファーが散りばめ
られたそれを、音粒とともに感じるままに感じていけばいいの
ではないだろうか?

もしきみが町の無名の人達の声を聞きたいと思うなら、「リリ
ー、ローズマリーとハートのジャック」に耳を傾けてみるとい
い。そこにはキャヴァレーの喧騒と夜明けの寂しさがあり、リ
リーとローズマリーの視線が一曲のなかで入れ替わり、しまい
には判事や銀行強盗までやってくる。まるで一篇の西部劇のよ
うだ。この歌にどう生きろとか、人はどうあるべきか、といっ
た説教めいた結論は一切ない。そういう意味では迷宮に投げ出
されるような感覚を味わうかもしれない。それでもきみは以前
よりもリリーやローズマリーやジャックといった知らない人達
の無名の物語を、自分に引き寄せながら感じていることだろう。

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# by obinborn | 2016-10-23 05:15 | one day i walk | Comments(0)  

ボズ・スキャッグスの72年作『マイ・タイム』を顧みて

先日なんばのphoe~beさんに持ち込んだ音源がボズ・スキャッ
グスの72年作『マイ・タイム』(Columbia PC31384)でした。
けっしてゴリ押ししたわけではなく(笑)マスル・ショールズ
録音を含むプレAOR的な本作なら、このお店にも受け入れられ
るのでは?と思ったからです。いわば土臭さと洗練との超克。
何も私に限らず、ここら辺のさじ加減にグッと来る方々は少な
くないことでしょう。

今でこそAORの象徴となってしまったボズですが、元々はテキ
サス生まれの南部人。やがてシスコに出てスティーヴ・ミラー
・バンドに参加します。そこでもブルース・ライクな感覚を染
み込ませていましたが、やがて独立。ヨーロッパで修行した時
代のデモ録音集(筆者は未聴)もあるようですが、アメリカに
戻った彼はアトランティックと契約し、マスル・ショールズに
向かい、ブルーアイド・ソウルの名盤『ボズ・スキャッグス』
でソロ・デビューしました。デュエイン・オールマンのむせび
泣く押弦ソロが収められたフェントン・ロビンソンのブルース
「10セントを俺に」はとくに評価を高めましたが、すぐにボズ
はコロンビアに移籍し、『ボズ&バンド』『モーメンツ』とい
う2枚のアルバムを、ともにグリン・ジョンズをプロデュース
に迎えながら試行錯誤していきます。グリンとはスティーヴ・
ミラー・バンド時代から旧知の仲。何らかの方向性を彼に委ね
てみようというボズの心の動きはそれなりに伝わってくるので
すが、残念ながら今ひとつ成果を上げることは出来ませんでし
た。

そんな彼が再びマスル・ショールズを探訪して作り上げたのが
このフォース・アルバム『マイ・タイム』です。いわば原点回
帰であり、選曲もアル・グリーンの「オールド・タイム・ラヴ
ィン」、アラン・トゥーサンの「フリーダム・フォー・ザ・ス
タリオン」などR&B色が濃厚に漂ってきます。それでもこれら
2曲をマスルで録音するのではなく、ボズにとって第二の故郷
と言うべきサンフランシスコでのセッションに託したところに、
ボズの卓見を見る思いがします。そのシスコ録音ではサイモン
&ガーファンクルでおなじみのロイ・ハリーの手腕も鮮やか。
次作『スロー・ダンサー』の制作をモータウン~ホットワック
スのソングライター&シンガーであるジョニー・ブリストルに
委ねたボズは、更に都会的なシンガーへと変貌していきます。
私は74年の『スロー・ダンサー』も、76年の記念碑『シルク・
ディグリーズ』も高く評価しています。そこら辺はブラックホ
ークの故:松平維秋さんの価値観との違いかもしれません。そ
れも決定的な感覚の差というか、埋められない断層というか。

ドナルド・フェイゲンのライブを観た友人が、いささか興奮気
味に私にこう語ったことがあります「単なるR&B大好きオヤジ
じゃん!」と。スタジオ録音に精緻を極めたフェイゲンやボズ
がライブという場面で、もっと生々しいブルーアイド・ソウル
へと戻っていく。ふと自分の原点を確かめてゆく。そんな営為
の発露として、私はボズの『マイ・タイム』を忘れることが出
来ません。エディ・ヒントンとピート・カーのオブリ・ギター
が交錯するMight Have To Cryが、私のベスト・トラックです。

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# by obinborn | 2016-10-21 01:07 | one day i walk | Comments(0)  

10月15日のラリーパパ&カーネギーママ

15日は横浜サムズアップでラリーパパ&カーネギーママのツア
ー初日をたっぷり2時間堪能した。久し振りの活動再開とはいえ、
そこは勝手知ったる我が家の如し。これまでのスタジオ・アルバ
ムを遥かに上回る骨太いバンド・サウンドが堂々と繰り広げられ
ていった。豪放に唸りまくるガンホのスライド・ギターはもとよ
り、ヒョンレとスチョリによる声質の異なるリード・ヴォーカル
の対比といい、それを後押していくコーラスといい、断続的なが
らも長くキャリアを積み上げてきた者たちならではの連携を思わ
ずにはいられない。

アメリカ南部の音楽に憧れ、オクラホマ出身のロジャー・ティリ
ソンの日本公演に帯同しつつ信頼を得た。さらにラリーパパたち
は自分たちのソングライティングに磨きを掛けながら、普段暮ら
している町や人々の光景をスケッチしていく。そうした営為がど
れだけ尊いことだろう。どれだけ隣人たちの心を溶かせていくこ
とだろう。いわば日本から発せられた言葉とアメリカ音楽との共
振だ。第一部はザ・バンド「チェスト・フィーヴァー」に、第二
部はジェシ・エド・ディヴィス「ナチュラル・アンセム」に導か
れながら始まったラリーパパ&カーネギママのステージ。

それは音楽という女神が微笑み、客席へと舞い降りてくるような
愛おしい時間の流れだった。私はそれらを抱きしめながら終電に
乗った。

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# by obinborn | 2016-10-16 00:53 | one day i walk | Comments(0)  

語る言葉〜words

昨日久し振りに宮本望くんとお会いしました。彼は90年代後半
頃音楽ライターとしてバリバリ売り出し、私もその才能を高く
評価していたのですが、業界の慣習に嫌気が差したのか、本業
であったレコード・バイヤーとして再出発し、今はしっかりと
その道で食べています。そんな彼の健在を確認出来て嬉しかっ
です。宮本くんは音楽に限らず人の価値観や社会に関してもは
っきり好き・嫌いを言うタイプなので、初めて出会う方はやや
面食らうかもしれませんが、私は彼のそんな部分がむしろ好き
ですね。きっとオブラートに包むのではない直言の数々の彼方
に、壊れやすいナイーブの塊のようなものが見える(見えてし
まう)からかもれません。

宮本くんと私の共通する部分は、例えば音楽評論家の山名昇氏
を最大限にリスペクトしていることかもしれません。山名さん
もまた好き嫌いをはっきり言う、確かな審美眼を持った大先輩
です。私などは山名さんに憧れて文章を書き始め、出版社に売
り込み、今もなんとか細々と暮らしているくらい(笑)それは
ともかく、何でも誉め囃す自称音楽ライター・評論家連中が偉
そうにのさばっているなか、宮本くんが何らかの形で傷付いた
ことは容易に想像出来ます。彼ほど明確に違和を唱えられなか
った私でも、せめて自分に相応しくない、好きではない音楽の
原稿はすべてお断りする矜持は持ち合わせているのでした。

いやあ〜、懐かしかったよ、宮本くん。互いに確認し合ったの
は「とにかく徹底的に聞き込む」「文章はそれからでいい」こ
の2点!いやマジ、サムシング・エルズが沸き上がってくるま
で言葉を待つ、他人の書いた記事の上塗りのような原稿は書く
まい、といった謙虚さは絶対に必要だよね。私は少なくとも、
自分がどういう物事に心を寄せるのか、どういう態度が嫌いな
のかを峻別したいと思っています。自分がともすれば忘れがち
な感情のかけら。断片。言葉にならない想い。それを宮本望く
んが思い起こさせてくれました。事実70年にアトランティック
・レーベルから発売されたラウドン・ウェインライト3世のデ
ビュー作について、私は未だ語る言葉が見つかっていないので
した。こんなに素晴しいシンガー・ソングライターなのに。

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# by obinborn | 2016-10-10 17:40 | one day i walk | Comments(0)  

10月8日の中井大介

8日は武蔵小山のアゲインにて中井大介のレコ発ライブを。第
2作となる『SOMEWHERE』を携えて京都からやって来たこ
の青年は、幾分衒いの表情を見せながらも、堂々と彼ならでは
ソングライティングと歌とギターで満員となった会場の空気を
じわじわ満たしていった。何一つ偉ぶらず、結論を急がず、た
だひたすら感じたままをスケッチしていく。そこには町のざわ
めきがあり、寂れた漁港を一人見つめる視線があり、夜明けま
で回り続けるミラーボールとともに踊っていたいという無邪気
な心がある。これらの歌詞はどこまでも散文的ではあるけれど
も、聞き手それぞれが自由に解釈出来る余白を残す。優れた楽
曲、雨風に晒されながらもじっと芽を出す季節を待っているよ
うな歌とは、きっとそのようなものではないだろうか。

彼のファミリーであるパイレーツ・カヌーから岩城一彦(g)、
谷口潤(b)、吉岡孝(ds)が、しっかりと中井の歌世界を守
護しながら飛翔させていく。打ち上げの会場では冗談しか言
わなかった彼らだが、ステージでの綿密なバンド・アンサン
ブルに、パイレーツが試行錯誤しながらも歩んできた歳月を
思わずにはいられない。音色にまで気を配ったリゾネイター、
寡黙に底辺を支えるべース、ソウル音楽の16ビートをしなや
かに叩き出していくドラムス。それらが中井の宛先のない手
紙のような歌を補完する。そう、花に水が必要なように。限
りなく続く砂漠の道を潤すように。そして後方でコーラスす
る河野沙羅と、この日の特別ゲストだった木下弦二が、歌の
行き先を見守っている。

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# by obinborn | 2016-10-09 06:25 | one day i walk | Comments(0)  

追悼:平野実さん(江古田クラン・レコード)

今日は悲しいお知らせをしなければなりません。長年に亘って
テックス・メックス音楽の紹介に尽力されてきたクラン・レコ
ードの平野実さんが死去されました。正確には15年2月のこと
だったらしいですが、親族の方々の控えめな御意向もあり、私
たち一般に知らされたのは昨日から今日にかけて。約一年半が
経ってからのことでした。

彼は80〜90年代を通して、東京は練馬区の江古田にある自分の
お店クランを媒介に、フラーコ・ヒメネス、ロス・ロボス、ブ
レイヴ・コンボ、スティーヴ・ジョーダンなど、日本ではまだ
知られていなかったテックス・メックスのレコードをいち早く
輸入し、やがてクラン・レーベルを立ち上げました。配給網を
Pヴァイン・スペシャルに委ね、日本語の解説と帯を付けたそ
れらの盤を各地の店頭で見かけた方も少なくないと思われます。
個人的な思い出を少しばかり語らせてください。私は江古田で
学生時代を過ごしていたせいで、1978〜79年頃からまだレコー
ド店になる以前の喫茶『CLAN』に通っていました。当時はそ
の頃人気だったシンガー・ソングライター〜スワンプ・ロック
をメインにした小さなお店でした。今でもよく覚えています。
私が最初に同店を訪れた時、掛けてくれたジェシ・ウィンチェ
スターのファースト・アルバムのことを。

平野さんは無骨で気取らない方でした。淡々としているという
か、世間一般の俗っぽさをちょっと斜に構えながら眺めておら
れる。そんな諦観のようなものに学生だった私はそっと憧れま
した。直情タイプの私とは違う人物像ゆえに、大人になったら
こうなりたいものだ、とカウンター越しに密かに思いました。
彼の店だけではなく、時に呑み屋で語り合いました。終電がな
くなってしまい、彼を私のアパートに泊めながら翌朝出勤した
社会人成り始めの頃などが、とても懐かしく思い出されます。

平野さんと最後にお会いしたのは、2014年に開催されたテッ
クス・メックスの祭典『SQUEEZEBOX NIGHT』、その会場
である目黒のリトル・テキサスにて。この時も俗世間からは
離れたような彼の佇まいが印象に残っています。確か最後の
会話はこのようなものだったと記憶しています。「小尾くん、
最近オレはクリームの2枚組を聞いているよ。カッコイイよ
ね。江古田ヤーマンの塩ラーメンはすごく美味しい。今度食
べてみるといいよ」

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# by obinborn | 2016-10-07 19:14 | one day i walk | Comments(0)  

追悼:バックウィート・ザディコ


バックウィート・ザディコ(スタンリー・デューラル)が癌
のため亡くなりました。遅ればせながら何枚かの所有盤を持
ち出してきて追悼しています。クリフトン・シェニエが60〜
70年代を通してザディコ音楽を広めたスターだとすると、バ
ックウィートはその後、80年代以降のザディコを牽引してい
く存在でした。当初はサニー・ランドレスも所属していた地
元南ルイジアナのレーベル、ブルーズ・アンリミッテッドで
ローカルな活動に甘んじていたバックウィートでしたが、や
がてブラックトップやラウンダーといったルーツ音楽に理解
のある白人向けの中堅レコード・カンパニーと契約しながら、
音楽の幅を広げていきました。87年には何と大手のアイラン
ドへと移籍してファンを驚かせます。折しもこの頃は、ワー
ルド・ミュージックの全盛期。ザディコというルーラルな音
楽をもっと広めたい!というクリス・ブラックウェルの思惑
も容易に想像されます。正確な時期はもう忘れてしまいまし
たが、確か90年前後に初来日した際の公演を私は渋谷のクア
トロで観ていたのでした。

今聞いているのはブラックトップを経てラウンダーに移籍し
た最初のアルバム『TURNING POINT』〜84年です。アルバ
ム表題曲はタイロン・ディヴィスの代表的なノーザン・ソウ
ルのカバーであり、このようにR&B/ソウルの有名ナンバーを
取り上げ、ザディコ音楽としてリアレンジするアプローチが
バックウィートにはとくに顕著でした。どこまでレーベルが
主導するアイディアだったのか、それとも本人による選択だ
ったかは解りませんが、少なくとも音に接している限り、私
には親しげに語り掛けてくる気持を感じます。まあ逆にザデ
ィコというクレオール(フランス系入植者とルイジアナ黒人
との混血)文化にどこまでも学究的〜フォークリリックな態
度を求める方々には、適さなかったのかもしれません。

「ぼくの父は本物のフランス人でした。ぼくの家庭ではフラ
ンス語で会話するのが当たり前の環境でした。当時はクリフ
トン・シェニエくらいしか、ぼくたちフランス系クレオール
が聞ける音楽はなかったんです。やがてぼくは自分でザディ
コを演奏し始めました。父親には”学校に行け!”と言われま
したけど、ぼくはやがてファッツ・ドミノやリトル・リチャ
ードに夢中になりました。71年になって本格的にバンドを組
む頃には、クール&ザ・ギャングやアース・ウィンド&ファ
イアそしてパーラメントなどのファンク・ジャズも聞いてい
ましたよ」(『TURNING POINT』のライナーに於けるバッ
クウィートの回想より)

音楽が何よりも混血文化であることを身を持って示してくれ
たバックウィート・ザディコさん、本当にありがとうござい
ました。あえてバックウィート(黒ん坊という蔑称。ガーラ
ンド・ジェフリーズの歌に「俺をバックウィートと呼ぶな」
という人種問題を告発した歌があるほど)という芸名を用い
ながら、ザディコとR&Bとロックを分け隔てなく歌い演奏し
続けたバックウィート・ザディコ。私はあなたの理解者であ
りたいと願っています。

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# by obinborn | 2016-10-05 17:26 | blues with me | Comments(0)  

ビリー・バトラーとともに、夕暮れ時を。

今日は昨日とは対照的に暑い日でした。それでも夕暮れが早く
なり何となく秋を実感する時期になりました。というわけで
さっきレコ棚からアットランダムに引っぱり出してきたのが、
ビリー・バトラーのセカンド・アルバム『GUITAR SOUL!』
(プレステッジ 69年)です。私が所有しているのはOJS(オリ
ジナル・ジャズ・シリーズ)の廉価リイシュー盤で、あの懐か
しい西武百貨店系列のWAVEの値札が貼ってあるので、恐らく
90年代に池袋の同店で購入したものだったと推察されます。

私がビリー・バトラーというジャズ・ギタリストを知ったのは、
彼が昨日紹介したビル・ドゲット・コンボに在籍してからであ
り、およそ55年から60年にかけてビリーはビル・ドゲットたち
とともに初期のキャリアを磨いていきます。そういう意味では
ジャズというよりもR&Bテイストをルーツに持つ人だったのか
もしれません。そんなビリーはやがてビル・ドゲット・コンボ
から独立しソロ活動へと転じます。ブルーノートと並ぶジャズ
の名門レーベル、プレスティッジに招かれた彼は大いに自信を
深め、メルヴィン・スパークスやブーガルー・ジョーンズとと
もに同レーベルお抱えのセッション・ギタリストとして活躍し
始めるのでした。

この『GUITAR SOUL!』はそんなビリーのリーダー・アルバム
第二弾です。まず驚かされるのがA面冒頭の超ファンク・ナン
バーBLOW FOR THE CROSSING。彼は何とワウワウ・ペダル
を駆使しながら、69年前後のジミ・ヘンドリクスと同期するよ
うなエグいプレイを展開しているのです。スペックス・パウエ
ルのファットバック・ドラムスが俄然映えるのも、こうしたフ
ァンク曲ゆえでしょう。ボブ・ブッシュネルのフェンダー・ベ
ースとの絡みも効果的。かと思えばA2曲のGOLDEN EARRIN
GSと、B4のAUTUMN NOCTURNE/YOU GOT MY HEADでは
まるでジャンゴ・ラインハルトのようなジプシー・ジャズを奏
でるのですから多面的ですね。さらにラテン・ビートの応用と
いう50年代からジャズと親和性が高い領域については、B面3
曲めB&B CALYPSOのお遊びを、余裕でこなしていきます。

それでもビリーのルーツとなるのは、やはり圧倒的にR&Bな
のでしょう。かつて同じ釜の飯を喰ったビル・ドゲットの看板
曲HONKY TONKを堂々とB1に配していることが何よりの証明
です。ちなみにこのHONKY TONKというR&Bインストを私が
最初に聞いたのは、ロギンス&メッシーナのカバー・アルバム
『SO FINE』(コロンビア 75年)でした。ボビー・ダーリンか
らハンク・スノウ、クライド・マクファッター、エヴァリーズ、
チャック・ベリー、さらにクリス・ケナーまで幅広くセレクト
したこの盤は、私のハイスクール・イヤーズの聖典でした(出
来ればもっと評価して欲しい!)

「ビリーは踊るヴァイオリンのようにギターを弾く。あるいは
自ら歌うようなギターを奏でる。私は彼に尋ねた”きみにはどん
なメゾットがあるんだい?するとビリーは答えた”きみが何かを
掴み取った時に自分自身であればいいんだよ。別にそれがラジ
オ局と取り引きする時に、価値あることでなくともさ!”」

1969年の11月に記されたラリー・カートのライナーノーツには
そんな記述があります。ビル・ドゲットのR&Bコンボに在籍し
つつも、チャーリー・クリスチャンの甘美なシングル・ノート
に憧れ、またジャンゴ・ラインハルトとT.ボーン・ウォーカー
を視界に収め、恐らくジミ・ヘンドリクスの台頭も意識してい
たのでしょう。そんなことを思い浮かべながらこの『GUITAR
SOUL!』を聞いていると、当時の音楽状況(ロックとジャズとR
&Bのシンクロナイズのようなもの)が、はっきり浮かび上がっ
てくるのです。

世間一般ではあまり評価されていないビリーですが、彼が60年
代というワン・ディケイドの混沌のなかにあって、『GUITAR
SOUL !』のような名作を残したことにひたすら感謝しています。
あ〜、夕暮れが迫ってきました。

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# by obinborn | 2016-10-04 18:02 | blues with me | Comments(0)  

コテコテ・ジャズは最高っす!


ハモンド・オルガンは南部の教会で用いられるなど、バレル
ハウス・ピアノとともに黒人音楽の歴史を支えてきました。
50年代にはR&Bやジャズの分野にも応用されるなど、どんど
ん進化していきました。一番有名なのはビル・ドゲッドやジミ
ー・スミス辺りでしょう。私もオルガンの泥臭くファンキーな
タッチは大好きなので、ロックをとりあえず一周し終えた90年
代には狂ったようにオルガン・ジャズ、オルガンR&Bのレコー
ドを集め始めたものです。ちょうどイギリスでアシッド・ジャ
ズ〜レア・グルーヴのブームがあり、日本でもピーター・バラ
カンがベビー・フェイス・ウォレットのブルーノート盤や英チ
ャーリーがコンパイルしたビル・ドゲットのLPを紹介していた
頃だと記憶します。ヒップホップ以降の世代ではビースティ・
ボーイズがジミー・スミスのROOT DOWNをサンプリングし
ましたよね。その温故知新的な効果は絶大でした。

やがて聞く枚数を重ねていくと、ブルーノートは比較的大人し
いオルガン・ジャズに終始していて、プレステッジやチェスの
傍系のアーゴといったレーベルにもっとエグく、よりR&Bパー
ティ向けのダンス・レコードが多いことに気が付いていきまし
た。『ジャズ批評』誌が”コテコテ・ジャズ”なる造語を新たに
作り出し、従来のハード・バップとは違うファン層を開拓しな
がら、モダン・ジャズ派には敬遠されがちだったB級プレイヤ
ーたちを掘り起こしたことも忘れられません。グルーヴ・マー
チャントも真っ黒ないいレーベルです。60年代後半に立ち上げ
られた会社らしく、当たり前のようにエレクトリック・ベース
や16ビートが援用されているのは、当時のソウルやファンクの
台頭を意識していたからでしょう。ブラック・ミュージックは
スライ&ザ・ファミリー・ストーンやカーティス・メイフィー
ルド、あるいはスティーヴィ・ワンダーなどの台頭で、70年代
の扉を開きつつありました。

73年にグルーヴ・マーチャントからリリースされた『GIANTS
OF THE ORGAN:COME TOGETHER』を、そんなニューソウ
ルの蜂起と共に感じてみるのもあながち間違いではないと思い
ます。ジミー・マグリフとグルーヴ・ホルムズという二大ハモ
ンド奏者がまったく互角に共演したこの盤は、いわばオルガン・
トリオ二組が同時にプレイしているようなものであり、単純に
2倍以上の劇薬的な効果を促します。ドラマーとコンガ奏者だ
けはバーナード・パーディとクワシ・ジェイオルバに固定しつ
つも、ギターをジョージ・フリーマンとドネル・レヴィに振り
分けた点にも、ダブル・トリオの意義をはっきり汲み取ること
が出来ます。

もっとも当時のマイルズ・デイヴィズのようなポリリズム的な
面白さは希薄というか、そもそも目指すところではなく、あく
までシンプルなビートが絶え間なく供給(反復)され、そのな
かでオルガン×2、ギター×2の丁々発止がスリルとともに展開
されるという塩梅です。なおこの顔合わせに気を良くしたのか、
マグリフとホルムズは、同じ73年に本作のライブ展開版とも言
うべき『IN CONCERT』を残しています。そちらもぜひ併せて
聞きたいですね。

元々ブッカー・T&MG’sのGREEN ONIONやTIME IS TIGHTを
中学生の頃から身体に馴染ませていた私には、こうしたオルガ
ン・ジャズ〜コテコテ路線に免疫があったのかもしれません。
まさに娯楽ジャズの極み〜ダンス・パーティ必携の一枚が、こ
の『GIANTS OF THE ORGAN:COME TOGETHER』ではない
でしょうか。というわけで音楽のお供はビールからハイボール
へと進み始めました。

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# by obinborn | 2016-10-02 17:24 | blues with me | Comments(0)  

フェイスブックが5年めを迎えました

この10月1日で私のフェイスブックが5年めになりました。
あっという間ですね。それ以前はブログ(06年9月に開始)
で発信してきたことを徐々にFBの方に移行し、最近では
まずFBに書き、ライブレポートや評論など永きに亘って
保存しておきたいテキストはブログに記録するというスタ
イルが定着しています。私の場合は同じアーティスト/バン
ドを見続けることをひとつの目標にしていますので、格納
されたライブ評などは、アーカイヴとしてそれなりに楽し
んで頂けるのでは?と密かに思っています。

始めたばかりの頃は手探りだったFBですが、次第に要領が
解ってきました。まあ要領といっても結局自分のやり易い
スタイルを保持していくという意味なんですが、私の場合
は(1)なるべく毎日書く~出来るだけ間隔を開けないこと              (2)言いたいことを言う~ときに敵を作っても構わない
(3)同業者とは馴れ合わない~そのために個人ではなく法
人アカウントに設定、とおよそ3つことを意識しました。
すると自分の資質というか個性のようなものが自然と解って
きて、これは自分でもなかなか面白い発見でした。

というわけで所々書き連ねてきましたが、皆様の励ましや
応援はホント嬉しい限りで、書き続ける大きな動機になって
います。先日、昔東京で知り合って今は北海道にお住まいの
方から、「FBもTWもブログも毎日読んでいます!」という
何とも嬉しいお便りを頂きました。そういう方のためにも
続けていこうと思っています。いろいろなタイプの音楽評論
があるでしょう。自分の場合は「聴いて感じたことをスケッ
チする」「一人のアーティストを英雄視するのではなく、同
時代の他の音楽家との関係のなかで把握していく」ことを基
本に考えています。今後ともよろしくお願いします。

小尾隆(2016年10月)

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# by obinborn | 2016-10-02 09:15 | one day i walk | Comments(0)  

トニー・ジョー・ホワイトと私

先日江古田のおと虫で40枚ほど手持ちのレコを買い取って
貰ったのだが、ご近所らしいSさん(まだお会いしたこと
はない)が、私の放出品から2枚ほど購入されたことを彼
のFBで知った。文字通りリサイクルである。何らかのお役
に立てれば嬉しい。そういう意味で中古レコ店というのは
本当に介在役だなと思う。年齢的なこともある。これから
はある程度”還元”していくのが私の役割なのかもしれない。

トニー・ジョー・ホワイトはレコを集めるのに苦労したア
ーティストの筆頭格。リアルタイムで彼のヒット曲をラジオ
で聞いていた世代はともかく、遅れてきたSSW〜スワンプ・
ファンが80年代になってから、彼の全盛期〜70年代のアルバ
ムを揃えるのにはマジ苦労した。私は90年代、大阪にまで彼
のレコを買いに行ったことがある。まだトニー・ジョーがCD
化される以前のハナシだ。

モニュメント・レーベルに3枚のアルバムを残した彼が、71
年に心機一転、ワーナー・ブラザーズに移籍してリリースし
たのが『TONY JOE WHITE』である。それまでナッシュヴィ
ル・エリアを中心に録音してきた彼が、本作ではサウンド・
オブ・メンフィスとアーデントの2カ所へと飛び、サミー・
クリーズン(ds)やマイク・アトレイ(kbd)といったディキ
シー・フライヤーズ、あるいはアンドリュー・ラヴ(ts)ら
メンフィス・ホーンズの面々と、本格的に合い塗れたことに
本作最大の価値がある。むろんクリーズンやアトレイの参加
は前作『TONY JOE』で一部実現していたのだが、今回はま
ったなしの全面開示だ!

何故”水と油”の関係とも言えそうなピーター・アッシャー(
英デュオのピーター&ゴードン出身、その後渡米しジェイム
ズ・テイラーやリンダ・ロンシュタドに大きく貢献した)に
プロデュースを依頼したのかは今もって不思議な気がするも
のの、フンパーストンパー(ワウワウの一種)を踏み込んで
いくギターの野趣、セクシーなテナー・ヴォイス、ときに泣
かせるバラードと、トニー・ジョー節がプロダクションによ
って損なわれるような欠点はまったく見当たらなく、昇り坂
にあったアーティストと新進気鋭だった制作者との密な関係
だけがある。

そしてトニー・ジョーは次作『THE TRAIN I'M ON』(72年)
で、アトランティック・グループの名将ジェリー・ウェクス
ラーの”指導”により、いよいよアラバマ州マスル・ショール
ズへと乗り込んでゆく。その盤に聞き取れる柔らかなサウン
ドスケープと放浪する者の夜汽車のような心情は、彼が掴み
取った一里塚であろう。今も時々引っ張り出してくる究極の
”私の一枚”。いや〜すみませんね、進歩がなくって(笑)

「俺が歌に書くのは実際のこと、ルイジアナに暮らす人々の
生活、風習、日常のことだよ」兄が聞いていたライトニン・
ホプキンス、姉が夢中だったエルヴィス・プレスリー。それ
らを手土産にしながら、トニー・ジョーは71年このセルフタ
イトル・アルバムとともに、時代の真っただ中へと躍り出て
いった。

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# by obinborn | 2016-09-29 18:21 | one day i walk | Comments(0)  

エッグス・オーヴァー・イージー『STORY』に寄せて

「ある晩遅くにギグが終わり、近所の狭い新聞スタンドのよう
な店で目玉焼き(Eggs Over Easy)を食べた。ぼくらのバンド
名はそうして出来たのさ!」オースティン・デ・ローンはそう
回想する。69年頃シスコでのことだ。エッグスはやがてチャス
・チャンドラー(元アニマルズ~ジミ・ヘンドリクスのマネー
ジャー)と知り合い、渡英することになる。70年の11月彼らは
チャンドラーの制作下、ロンドンのオリンピック・スタジオで
アルバム用のレコーディングを開始。しかしそのアルバムは様
々な理由により、当時陽の目を見ることはなかった。

今回発売されたボックスセット『STORY』の目玉!となるのは
その時の未発表音源だ。”London '71”と冠されたその全12曲は
まさに翌年の名盤『Good' N 'Cheap』のプロトタイプとなった
もので、今聞いてもまったく色褪せることのないダウンホーム
・ミュージックが開示されている。記念すべきファースト・ア
ルバムが発売されなかった彼らの失望は大きかったが、もうし
ばらくロンドンに滞在するように説得され、北ケンジントンの
タリー・ホで演奏することになった。当時ジャズのクラブであ
ったタリー・ホは、月曜の夜だけロック・バンドにも場所をサ
ーヴした。これがいわゆるパブ・ロック伝説の序章となってい
った。何でも当時はお客さんがたった6人しか居なかったらし
いが、その場所でエッグスはブリンズリーズやビーズ・メイク
・ハニーやダックス・デラックスらと親交を重ねていった。
タリー・ホではオリジナル曲に混ざり、ジミー・リードやサム
・クックの幾つか、ビートルズの「プリーズ・プリーズ・ミー」
ザ・バンドの「オールド・ディキシー・ダウン」などが演奏さ
れたという。

そんなロンドン・デイズに思いを馳せながらこの『STORY』を
聞いていると、何とも言えない感慨が込み上げてくる。ライナ
ーノーツには「パブ・ロックはヒッピー・ロックとアリーナ・
ロックとの狭間にあったムーブメントで、ダウンサイズされた
アンプとルーツ・リヴァイヴァルへの気運があった」と記され
ている。また『Good'N' Cheap』については、「当時は虚飾的
なロック・レコードが多かったが、エッグスの音楽はラヴィン
・スプーンフルのように語り掛けてきた」とも。

偉大なるメンバー、ジャック・オハラ、ブライエン・ホプキン
ス、オースティン・デ・ローンの三人に乾杯を!彼らは特定の
ドラムス奏者を得ることはなかったが、それ以上のものをシー
ンに与えた。当時は46年後にこんな立派なボックスセットが出
るなんて誰も想像しなかったことだろう。かつてのアンサング
・ヒーローたちは歳月とともに勝利を収めた。今は亡きブライ
エン・ホプキンスにこのボックスを手渡したかった。

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# by obinborn | 2016-09-28 04:33 | one day i walk | Comments(0)  

ブリンズリー・シュウォーツ〜まるで親しい隣人のように

82年といえば私が社会人一年生として働き出したイヤーであり、
同年にリリースされた南佳孝『Seventh Avenue South』が爆発
的に売れていた。私もそれに倣った一人だが、周りに広がるの
はニューヨークシティでもパームトゥリーのLAでもなく、延々
と続く茶畑と山田うどん(註:埼玉県下の定食チェーン)であ
った。そうした環境のなかでボズ『ミドルマン』や南『七番街』
を聞くことに、私は次第に居心地の悪さを感じ始めていた。ま
あ、平たく言えば「俺の音楽じゃないよなあ~」である。

横浜や湘南のシティ・ボーイたちはどう思っていたのだろう?
彼らにとって最も近い東京は東横線や田園都市線の終点である
渋谷だった。西武池袋線で乗り付けた最初の都会が池袋だった
私とはえらい違いである。その頃はスプリングスティーンやサ
ウスサイド・ジョニーに夢中だったせいだろうか、所沢こそが
日本のニュージャージーだぜ!と息巻いていたのだが。ちなみ
にオレンジ・カウンティ・ブラザーズの谷口邦夫さんは、こう
おっしゃていた「横浜の人達はやはり自分たちの文化を一番上
だと思っているんだよ」

自分に相応しい音楽とはどんなものだろう? 漠然とモヤモヤ
した気持を抱えながら、今も私は暮らす土地と音楽との関係を
考え続けている。出来ればその音楽が最適なものであることを、
もう一日を無事過ごすために必要な処方箋であると願いながら。

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# by obinborn | 2016-09-27 17:17 | one day i walk | Comments(0)  

映画『君の名は。your name』を観て

26日は午前中『君の名は。〜your name』を豊島園シネマで
鑑賞しました。50代後半のジジイが観る映画かよ〜wという
自嘲気味の気持もありましたが、結果観て良かったです。様
々なメディアで話題になっているアニメ作品ですが、自分は
なるべく真っ新な状態で接したかったので、情報はあえてオ
フにしました。それでもどこからか漏れてくるのは致し方な
いところです。でもときに禁欲的になるのは必要ですよね。

最も多感な10代真ん中である男女二人の高校生が主人公とな
り物語を進めていくのですが、都会に暮らす男子と田舎に住
む女子との人格が、時空をワープしながら入れ替わっていく
ところに面白さがあります。消費的な生活に早くも染まりつ
つある東京の青年がひとつの軸。もうひとつの柱は田舎で退
屈な(されど愛おしいと思える)毎日を過ごす少女。そんな
二人が、何千年に一度かで地球に降りてくる惑星を機会に、
それぞれの立場や置かれた環境へと、性差を乗り越えながら
思いを馳せていきます。

秀逸なのは惑星の到来とともに消滅してしまった地方の町(
つまり女子主人公が暮らしていた場所)を、東京の青年が探
し求めていくという後半でしょうか。そこに阪神大震災、あ
るいは東日本大震災といった近年の残酷な出来事を容易に重
ね合わせられるところに、この映画の苦みがあるように思え
てなりません。私たちの現代的な生活は物質的には満たされ
ていることでしょう。メールやライン一本で即座に互いと”会
話"出来る。たとえ雇い主の顔を知らなくとも携帯画面のみで
アルバイト先を探せる。しかし、そんなインスタントな関係
は時に両刃の剣であり、自分や他人を容赦なく傷付けていき
ます。

そんな負の部分を背負っている私たちにも、本当に大事なこ
とや人々の営為を記憶していく能力があります。そうした意
味でこの映画は、様々な環境に置かれながらも愛すべき他者
を忘れてはいないよ、ちゃんと覚えているよ、ということを
言外に伝える作品なのかもしれません。『君の名は。〜your
name』という直裁なタイトルが、俄然重みを伴ってくるの
です。そんな訳で、私のようなくたびれた単なるオッサンも
少し泣けてきました。

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# by obinborn | 2016-09-26 14:48 | one day i walk | Comments(0)  

映画『怒り』を観て

本日は『怒り』を豊島園シネマで観てきました。吉田修一の
原作を読んでいたので、その再現というよりはどれだけ映像
としてリアルであるかどうかに関心は向かいましたが、これ
が大正解!細かくストーリーを模すのではなく、映画ならで
はのカットアップ、飛躍、移動などがこれでもかという具合
に繰り返され、2時間半余りの長丁場を殆ど感じさせません
でした。夫婦を殺害してから姿形を変えて潜伏する犯人らし
き人物は、それぞれ三人東京と千葉と沖縄で暮らしています
が、映画の主題はけっして犯人探しには向かわず、各地で暮
らす容疑者たちのサブ・ストーリー(ゲイイズム、男女恋愛、
米軍兵によるレイプ)へと拡散していきます。とくに沖縄に
於ける政治的な葛藤、70年代からずっと続く楽天的なユート
ピア志向への冷ややかな眼差しには、筆者も大いに納得出来
ました。この辺りは桐野夏生の小説『メタボラ』で描かれる
”沖縄”に近いのかもしれません。

世の中は不条理に満ちています。誰もが焦燥と不安を抱えな
がら毎日を過ごしています。勿論そうしたモヤモヤは東京と
地方都市(この映画では千葉の勝浦辺り?)と沖縄の離れ小
島とでは温度差があります。それらの違う土地で毎日を懸命
に黙々と生きる人々の群像が、この『怒り』のサブ・テーマ
なのかもしれません。真犯人でさえ、その土地で人々の優し
に触れながら心を通わせていくのです。それにしても時代背
景としては、90年代に小泉内閣が推し進めた新自由主義〜派
遣切り(勝者は一人勝ちして敗者は永遠に負のゲームのなか
に)の残酷過ぎる結末があるような気がします。

けっして顔を見合わせることなく、携帯一本で次の仕事先に
”派遣”される。真犯人がそもそも殺人を犯す要因になったの
は、人材派遣会社の男から電話で言われた「きみ、その現場
は一週間前だよ」と、平然と突き放すように言われたことへ
の『怒り』でした。

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# by obinborn | 2016-09-23 17:31 | one day i walk | Comments(0)  

ハリケーン・スミスを聞く初秋

夜中にコオロギの声などを聞いていると、いつの間にか秋に
なったことを実感します。私も今日久し振りに長袖を着てみ
ました。台風もいつの間にか去ったようですね。そんな夜に
ハリケーン・スミスを聞いています。彼は一般的にはあまり
知られていませんが、1923年の2月ロンドンに生まれ、やが
てEMIレコードに入社。あのジョージ・マーティンの庇護の
もと、レコーディング・エンジニアとしてのキャリアを積ん
でいきます。ノーマン・スミスという本名で彼が録音に関わ
った作品には、ビートルズの『ラバーソウル』『リヴォルヴ
ァー』ピンク・フロイド『夜明けの口笛吹き』『神秘』『ウ
マグマ』プリティ・シングス『S.F.スロウ』など、ロック史
に燦然と輝く名アルバムがあります。

そんな彼がある日、アビー・ロード・スタジオでフロイドと
の仕事をしていた休憩時間に、たまたま自作曲Don't Let It D
ieを冗談のように歌ったところ、周囲から意外な好評を得て、
ノーマンはハリケーン・スミスという芸名でソロ・デビュー
することになりました。それが72年の『Don't Let It Die』(
EMI)でした。スミスは当時48歳。まさに中年男の遅過ぎる
デビューでした。しかし、オーケストレーションを多用した
そのノスタルジックな音楽性は英米で高く評価され、Don't
Let It DieやOh Babe, What Would You Say?といったシング
ル・ヒットが生まれました。また当時デビューしたばかりのソ
ングライター、ギルバート・オサリヴァンのWho Was It?を
取り上げた点にも、ノーマンのオールド・タイム嗜好の一端
が伺えるような気がします。

スミスのデビュー・アルバムは英盤(写真左)と米盤(右)
で選曲が幾つか違っています。トータルに彼の世界に触れた
ければ英盤、それには収録されていないOh BabeやWho Was
It?を聞きたければ米盤といったところでしょうか? 私はど
ちらも大好きです。70年代初頭には前述のオサリヴァンを始
め、ハリー・ニルソン、リンゴ・スターなどノスタルジック
な意匠を施した音楽に注目が集まりました。そんな潮流のな
かにハリケーン・スミスを置いてみると、彼の果たした役割
がおぼろげながらも見えてくるようです。

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# by obinborn | 2016-09-23 06:05 | one day i walk | Comments(0)  

自衛隊のこと

自衛隊について語ることは勇気を要する。人にはいつも臆する
ことなく書いているように見えるかもしれないが、ぼくは案外
小心者であり、政治のことで友だちを失いたくないという気持
はみんなと同じくらい強い。それでも自衛隊に関して迂闊に物
を言えないような空気が、実は日本人の不幸そのものではない
か?と思い始めている。ここでは自衛隊(旧警察予備隊)の歴
史をいちいち繰り返さないけれども、専守防衛という何となく
観念的な存在だった自衛隊が、もう少しだけ身近でリアルなも
のに感じられるようになったのは、確か90年代初頭の湾岸戦争
あるいはもう少し先のイラク・ウォーからのことだったと記憶
する。PKO法の執行によって自衛隊が海外派兵され、国際的に
貢献する(ときに犠牲になる)下敷きはその頃作られた。

そもそも戦後の日本の平和と安定は、日米安保条約によって保
たれてきた。中国や旧ソビエト連邦といった社会/共産主義圏の
脅威の防波堤となり、日本に民主資本主義をもたらしたのはア
メリカだった。かつての大戦で敵対した米国勢に敗れた代償と
して米軍基地が日本の各地に作られた。その基地から朝鮮戦争
のため、ヴェトナム・ウォーのため米軍が飛び立っていった。
いずれもアメリカの大義名分は共産(独裁)主義との闘いだっ
た。その方便は9/11以降も変わってはいまい。さらに近年では
世界各地でテロが勃発し、より世界の成り立ちを複雑に見せて
いる。

結論から言おう。日米安保条約によって平和を享受してきた私
たちが、その条約から眼を背けたまま憲法9条の価値だけを語
るのは欺瞞的ではないか? というのがぼくの立場だ。激変す
る世界情勢(中国の領海侵犯や北朝鮮のミサイル発弾など)の
なかで、日本の幾つかのムーヴメントが掲げるメッセージはあ
まりに”お花畑”であるし、世界各地の悲し過ぎる民族紛争のな
かにあって、まるで米国兵の血は流れても構わないけれど、日
本の自衛隊のそれは嫌だと駄々をこねる幼児のようにも映って
しまう。

我が国の自衛隊についてすら語れない不幸のことを思う。

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# by obinborn | 2016-09-21 18:39 | one day i walk | Comments(0)  

9月19日の中村まり

19日は中村まりのワンマン・ライブを高円寺のGrainにて。
幾つかのイベントやワークショップへの出演はあったもの
の、東京での公演は約半年ぶりのことになる。何でも新し
いスタジオ・レコーディングとソングライティングに集中
したいとの理由だったが、いずれにしても、こうして久し
振りに中村の歌に触れられるのは嬉しい限り。変わってい
ないと言えば、いささかの変化もないのだろうが、そのぶ
ん毎朝の食卓に差し出されるパンやスープのように、感謝
の気持が小躍りするフィンガー・ピッキングとともに溢れ
出す。

”フィドルとドラムスとともに" そうサブタイトルが付け
られたように、今回は手島宏夢と田嶋友輔のサポートを伴
なったものであり、僅かに膨らみを増した演奏が頼もしい。
中村自身も普段より多めにバンジョー・チューンへ挑戦す
るなど、オールド・タイム色が全面に押し出されていく。
またポール・マッカートニーの「Let'em In~幸せのノック」
や、レオン・レッドボーンの「Shanpane Charie」といった
比較的モダンな楽曲を、砂埃舞うようなフォークやブルーズ
へと咀嚼するアレンジメントにも脱帽せずにはいられない。
まだレコーディングされていない中村のオリジナル新曲も幾
つか披露された。ライブの場で次第に鍛えられていったThro
gh My Heart Again、When the Days Is Over、Mockin'birdに
加え、この夜初めて披露されたInto the Cloudsはとくに秀逸
だった。

ブラインド・ウィリー・マクテルの戦前ブルーズ「Delia」を
取り上げる一方で、彼女のこうしたオリジナル曲群がどれも
洗練された響きを携えているコントラストが面白い。それは
現代っ子である中村の屈託のなさ故なのかもしれない。その
ようにして、彼女の歌は古いアメリカと現代の日本との間を
自在に往来する。昨日と明日との狭間で揺れ動いていく。

繰り返される毎日のなかで、この人は何を見つめ、どんなこ
とに思いを馳せているのだろう。そんな風に思わせるソング
ライターは、僅か数えるほどしかいない。中村まりは過去の
遺産を抱えながら、いわし雲のようなソングライティングに
自身を投げかけながら、これからも歩み続けていくのだろう。
そんなことを確信しながら、雨のなか帰路に着いた。

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# by obinborn | 2016-09-20 01:26 | 中村まり | Comments(0)  

9月17日の青山陽一the BM's

いや〜、参った!あまりの素晴しさに終演後はあえてメンバー
たちと会話せず、余韻を反芻しながら一人帰路に着いた。そん
な青山陽一the BM'sのライブを17日は、沼袋のオルガンジャズ
倶楽部にて2時間たっぷり堪能した。青山(g,vo)以下、伊藤隆
博(org)、中原由貴(ds、cho)からなるトリオ編成としては、お
よそ一年半ぶりのお披露目だったが、ベースレスのオルガン・
トリオならではの丁々発止〜インタープレイの数々に息を呑ま
ずにはいられない。三人ともキャリアが長くそれぞれ卓越した
プレイヤーたちだが、この夜も互いを鼓舞し合っていくような
スリリングな連携に圧倒されっぱなしだった。

青山はバンド編成時に珍しく、シットダウン・スタイルでギタ
ーを抱えながら、キャノンボール・アドレイのMercy,Mercyを
オープニングに持ってくる。以降も自作のOdorelをインスト化
したり、中近東的なフレーズが混ざるMicro Waveを長尺ジャム
展開したり、レコーディング時にはスティール・パンに導かれ
ていた「停電」をオルガン・トリオならではのアレンジへと大
胆に改変するなど、新機軸がたっぷり。なかではダン・ペン作
のDark End of the Streetを、ライ・クーダーの『ショウ・タイ
ム』ヴァージョンに倣って、全編スライド・ギターで弾いてい
くという、ややマニアックなサーヴィスも。

それでもやはりトータルな印象として特筆すべきは、青山なら
ではのソングライティングのことだろう。何度も繰り返してき
て申し訳ない程だが、歌詞それ自体にもっともらしい主張を込
めるのではなく、彼は散文あるいは抽象に近い形で言葉を拾い
上げながら、もはや独壇場とも言える浮遊するような旋律と重
ね合わせてきた。青年期の憧れであっただろうロック(それを
介在にした)ブルーズやファンクのフォームを自分ならではの
語彙へと変換させてきた。本人は寡黙であり、けっして多くを
語ろうとしない。それでも私は、彼のなかで堆積していった歳
月のことを思わずにはいられない。

シットダウン形式で進められた17日のステージ。しかし終盤に
Friday RiderやJust One Noteが怒濤の如く固め打ちされる頃に
なると、青山は自然と立ち上がり、彼の最高の理解者である伊
藤と中原をフィーチャリングしながら、一気呵成に突き進んで
ゆく。むろん青山のギターの澄んだトーンが変わることはない。

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*写真は青山さんのウェブサイトよりお借り致しました。
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# by obinborn | 2016-09-18 02:02 | 青山陽一theBM's | Comments(0)