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リンダ・ロンシュタッド〜朝になっても最初の歌を歌えない

「何故歌うのかって?そうね、きっと夜明けに鳥が鳴いて、自分の居場所を知らせるのに似ているかも。そう、私は今ここに居るのよって」明晰と言えばこれ程はっきりとした歌う理由はないだろう。そんなリンダの伝記映画を観た。声量に恵まれながらも自分に自信が持てず、ポップ/ロック部門で大成功を収めつつも、両親との死別を機にジャズ・スタンダードやメキシコ歌曲といったルーツに立ち返っていったリンダの半生が上手く纏められていた。僕が彼女に夢中になっていた人気絶頂の70年代に関しても、リンダは冷静に振り返り、ロックンロール・ライフの危さや男性優位のショウビズの世界を語っていたのは象徴的だ。「もうアリーナでは歌いたくない。ギター・ソロの音量に耐えられないの」
それにしても圧倒的な歌唱力を持っていたリンダが、母親と同じパーキンソン病に冒されるとは何と残酷な運命だろうか。自分のことで恐縮だが、病になってからやっと彼女の苦悩が解ったような気がする。君は考えてみたことがあるかい?自分の居場所を知らせる鳥が、朝になっても最初の歌を歌えないことを。

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# by obinborn | 2022-04-25 16:20 | one day i walk | Comments(0)  

『ドライブ・マイ・カー』に関するメモその2

『ドライブ・マイ・カー』について昨日書き忘れたことを幾つかメモしておきたい。まず第一に3時間という上映時間の長さについて。何でも濱口監督は当初慣例的な120分枠に収めるように言われていたらしいが、ロケを進めていく段階で必然的に3時間超えになってしまったという。恐らくこれは車で移動する距離を映画を観る者にそのまま擬似体験してもらうことを目指してのことだと思う。また車に乗っている時間とは即ち長く険しい人生の道のりでもあるといった暗喩であり、実際車の中で交わされる家福と高槻、あるいは家福とみさきとの会話から煩悶や相互理解が生まれている。
次に映画と同時進行する劇中劇について。日韓中と3カ国の役者が言語が異なるままに一つの劇を演じているのだが、これは皮肉にも家福の妻(音)が不実をしていても保たれた夫婦関係と重なる。もう少し肯定的な見方をすれば、たとえ言語が違ってもアートという意思疎通は可能であるといったメタファーが込められているのかもしれない。
いずれにしても家福という中年男が娘ほども歳が離れた運転手みさきとの出会う点が『ドライブ・マイ・カー』の生命線だろう。そこには一人で抱えていた傷口が第三者を介在させることで共有され、浄化されていくといった人生の真実がある。アカデミー賞という権威や浮ついた評判などどうでもいい。私たちは皆時間という名の孤独な漂流者であり、見せかけや体裁ではなく、内なる声に耳を澄ませる者だけが最後に救済されるのだ。『ドライブ・マイ・カー』が問い掛けてくるのはそういうことだ。自分の車を運転しなさい、と。

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# by obinborn | 2022-03-31 04:59 | one day i walk | Comments(0)  

『ドライブ・マイ・カー』に関するメモその1

いい映画だった。こんなにしみじみとした余韻は『ノマドランド』以来ではないだろうか。『ドライブ・マイ・カー』に登場する人物は配偶者の不実や産んだ子供の病死、あるいは過酷だった幼少期の体験などいずれも何らかのトラウマを抱えていて、それが救済されたりされなかったりする。彼や彼女の傷口が時間の経過とともに癒されるといった類のものであればハッピーエンドなのだが、逆に第三者によって新たな事実が見つかり、過去より強い衝撃を受けて苦しみが倍増していくのだから残酷だ。また時代の背景としては大袈裟に大震災を仄めかすのではなく、舞台である広島の台風〜土砂崩れというローカルな事件を扱った点に好感を持った。結局私たちの人生とは他人から見た幸福感とは裏腹にひどく孤独で、多くの欠陥を有したままだ。ならばそんなダークネスととことん付き合いながら、時空を旅する漂流者として自分の車を運転していくしかないのだろう。そんなことを考えさせられた。

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# by obinborn | 2022-03-31 04:52 | Comments(0)  

追悼:Shimeさんへ

入院中に知ったshimeさんの訃報は辛かった。彼と同じく癌に冒された身としては、一人取り残されてしまったような寂しさを感じてしまった。僕がテキーラ・サーキットやブロークン・アッシェスのライブを観ていたのはもう23年くらい前のことで、近年はすっかりご無沙汰していた。そんなある日、shimeさんのほうからfbのフレンズ申請があり、しかも「はじめまして。私はshimeという歌うたいの者です」と丁重な挨拶文があったのには驚いてしまった。こういう些細な部分に人気者にもかかわらず、決して驕り高ぶらないshimeさんの人柄が現れていた。
その申請の直後くらいの時期からまず僕の病が発覚し、彼が後を追うように闘病生活に入っていった。一度だけ僕は彼のページで「今や成人の二人に一人が癌になる時代だけど、その分現代の医療は飛躍的に進歩している。だから希望を持って治療に臨んでください」と、およそそのような励ましのコメントを書いた。残念ながらshimeさんからの返信はなかったけれど、それどころの事態ではないのかもしれないな、と察するようにした。時と場合によって、とても返信を書くような気分になれないのは誰だって同じだ。時に言葉は無力であり、誰かを傷付ける。
さて、ここからは手前勝手な想像に過ぎないのだが、ひょっとしたらshimeさんは熱心なファンや取り巻きではない僕に、第三者の目と耳を通して、自分の音楽を書いて欲しかったのかもしれないなと、ふと思った。今の僕がきみのことを書くとすれば、たぶん次のようになるだろう。
shime自ら言うところの"歌うたい"という言葉が、いい歌であれば新旧を問わず、生まれた国を選ばず、曇りのない眼で歌い継いできたshimeの道筋をはっきりと指し示している。彼が愛したのは全国各地に点在するライブハウスのシーンだった。そんな旅先で育まれるファンとの交信を大事にしながら、彼は多くの聞き手たちから愛された。こんな幸せ者はそうはいないだろう。きみが愛したニール・ヤングのlong may you runは、もはやきみ自身の歌になっているよ。
今朝僕は退院する。本当の意味での闘病生活はこれからだ。志半ばのまま逝ってしまったshimeさんの分も、しっかり生きて音楽を語り継いでいきたい。そう、あなたがこれまで歌ってきたように。

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# by obinborn | 2022-03-25 11:41 | one day i walk | Comments(0)  

病室にて

若かった頃、死はあくまで観念であり、遠い世界の出来ごとだった。稀に若死する友人がいても、特殊な例だと割り切ろうとした。10代20代の頃から遥かな歳月が経ってしまった今、死は間近に迫る予感へと変わっていった。現在の僕はいわば時限爆弾を抱えながら残り時間を与えられた囚われの身であり、毎日少なからず死の恐怖に怯えている。
眠れない夜中に若かった日々の断片をふと思い出す。やはり今でも心の支えになっているのは、青年期に聴いた音楽や記憶の数々だ。こんな風に昔を振り返る時が来るなんて、昔の僕から見たら笑われてしまいそうだね。でも、少なくとも自分が自分なりに歩んできた道のりを消し去りたくはない。つまり、17歳の時の僕にも63歳になった今の僕にも同等の価値があると信じたいのだ。真っ直ぐ連なるその道は、いつかきっと陽の当たる場所へと導いてくれるだろう。
たとえ誰であれ、背伸びしていた若い日と、年齢を重ねてそれなりに思慮深くなった現在とが合わさって今日も生きている。もうすぐ夜が明け、人々が起き上がり、町は少しずつ動き始める。


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# by obinborn | 2022-03-25 11:31 | Comments(0)